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田舎住まい https://blog.goo.ne.jp/onime_001

吸血鬼テーマーの怪奇伝奇小説を書いています。田舎ではスローライフをたのしんでいます。

ソニー・ロリンズは三度カムバックしたといわれています。 アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」の二人をめざしています。 ということはだいぶ歳もくたびれていますが、精神には衰えはありません。 なにせ吸血鬼作家ですから。 よろしくご愛読のほど。ズズイットおねがいします

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2007/08/13

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  • 少年は大谷翔平に憧れる。 麻屋与志夫

    7月15日月曜日ひとはだれかにあこがれる。そのひとの職業にも。わたしは12歳。旧制中学さいごの入学生、人生で一番多感なころだった。あこがれの対象は川上哲治。赤バットがいまでもイメージとしてのこっている。もちろんテレビのないころだ。少年むけの雑誌のグラビヤでみた。そこで野球部に入ろうとグランドに見学に行った。座布団を荒縄でくくりつけていた。打球がキンゾク音をたててとぶ。硬球野球をはじめてみた。それまでは、町内の少年たちで結成した『千手チーム』にいた。もちろん軟式だ。快音をあげて硬球の飛ぶのにおどろいた。でもそれから……。捕手が玉の直撃を玉にうけて、ぶっ倒れた。ピョンピョンはねている。「座布団を菱形にくくりつけるのだ。なんどもいっているだろう。バカ者」監督の先生がわめいている。なるほど菱形にくくりつければ、男...少年は大谷翔平に憧れる。麻屋与志夫

  • 皿なめる餌なし水なし猫炎暑 麻屋与志夫

    7月10日俳句です。水なし餌なし皿舐める猫酷暑皿なめる餌なし水なし猫炎暑皿舐める野良猫なめる猛暑かな裏のデッキ。カタカタと音がした。のぞくと野良猫チイちゃんが空になった皿をなめている。わが家の猫食堂にまた子ネコがくるようになった。よくも野良猫の命脈かつづいたものだ。わたしは、あわてて固形餌と水を給仕。デッキの板は、めだま焼きができるほど暑かった。「なんとか、この暑さをしのいで秋をむかえような」チイちやんは猫だからニャンともこたえなかった。舌先でピチャピチャまず水を飲んでいた。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてあり...皿なめる餌なし水なし猫炎暑麻屋与志夫

  • Insomnia 麻屋与志夫

    7月10日水曜日Insomnia高齢者には若い人にはわからない悩みがいろいろある。加齢のためのインソムニヤ(不眠症)もそのひとつだろう。わたしは寝つきが悪いということはない。夏になると妻は暑がりなので28度くらいにエアコンをつけておく。そでも、なかなか眠れないで悩んでいる。わたしは汗をかかなくなった。若い時はステテコだけで夏をすごした。汗をダクダクかいた。ところがいまは、暑さもあまり感じない。そのためにおきる熱中症には気配りをしている。水をこまめにのむ。部屋の襖をすこしあけて冷気がはいるようにはしている。人生は一過性。歳と共にかわっていく生理感覚とうまくつきあっていくのには、いろいろと工夫が必要なのだろうな。Insomnia麻屋与志夫

  • 蛇がー 麻屋与志夫

    7月8日月曜日室温36℃蛇が白い腹をみせてグッと鎌首をもち上げる。赤い舌がチョロチョロとみえる。まさに獲物に噛みつこうとしている態勢だ。パツト、ルナがへびの頭を横くわえに噛みついた。プルンとふりまわしている。寝室の床の4うえだ。そこで気がついた。プラスチックだ。ルナのオモチャだ。いよいよわたしも「うろが来た」のかと寂しかった。まだボケルには、はやすぎる。いやおそすぎるのかもしれない。痴呆症になるひとは、わたしの歳をまたず、とっくになっている。あと20年くらいは生きて、納得のいく小説を書きたい。こんなところでボケてなるものか。なあ、ルナちゃんとアメショウのルナに声をかけた。ルナはまだ蛇と遊んでいる。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カク...蛇がー麻屋与志夫

  • カシマしや咲き乱れたる白十字 麻屋与志夫

    7月7日日曜日七夕句吟して苦吟の果ての夏椿。ひねもす、廊下のロッキングチェアを揺すり庭を眺めていた。ときどき、すさまじい陽光が庭にさしこむ。酷暑のためか、梅雨の花アジサイなど森のように茂っている。グランドカヴアの花々。俳句にして、俳句にしてとかしましいこと。カシマしや咲き乱れたる白十字この酷暑ははまだはじまったばかりだ。カシマしや咲き乱れたる白十字麻屋与志夫

  • 超短編33 君とみし崖の桜は咲きたるか part2 麻屋与志夫

    7月6日土曜日超短編33君とみし崖の桜は咲きたるかpart2冷気が頭にふりそそいだ。顔にかすかな抵抗感。まるでエァカーテンを潜ったような感触。鷹雄は恐怖が冷たい触手をのばして彼をとりこんだのに気づいた。街の風景が変わってしまった。魚屋。八百屋。ラーメン屋。荒物屋。薬屋。床屋。鷹雄はその床屋の前でたちどまった。なつかしい昭和の街がここにはある。そうかあの冷気はこの街に入りこむための通過儀式だったのだ。「タカオさん。優勝おめでとう」玉川床屋のドアを押して入る。化粧品のにおいがしている。正吾さんがにこにこしている。「野州新聞の英語の弁論大会ですよ。すごいな」正吾さんにほめられた。なにかと街の批判をする。辛口にのコメントがウリの正吾さんが手放しでほめてくれている。なにをいっているのだ。半世紀も前のことではないか。...超短編33君とみし崖の桜は咲きたるかpart2麻屋与志夫

  • シャリシャリと己が骨食む酷暑かな 麻屋与志夫

    7月3日水曜日室温25℃俳句です。身代わりに杖が倒れし梅雨の道パラソルを差すはどなたか夏野行く悔い多し夏痩せ腰の痛みかなシャリシャリと己が骨食む酷暑かなこの句は説明しないと分かってもらえないだろう。じぶんの句作の意図を説明しなければならないのはわたしがいつになっても初心者だからだ。体重は85Kもあったのに、今や60K。骨が浮き出ている。焼き場で焼かれればこの骨だけが残る。なにをやっても、上手くいかなかった己が人生。己の愚かしさに臍(ホゾ)嚙むおもいだ。いや、骨をしゃぶった方がいい。この夏の暑さをなんとか無事に過ごしたい。シャリシャリと己が骨食む酷暑かな麻屋与志夫

  • テッシュの箱にメモ。麻屋与志夫

    6月18日火曜日朝から雨雨音で目が覚めた。枕元の空になったテッシユの箱を捨てようとしたら、なにやら蓋に走り書き。俳句が書きつけてあった。いつ書きつけたのかまったく記憶にない。いつもは、こうした俳句を現句として、推敲するのだがそのまま載せてみた。このところしきりとなくなった親族のことを夢に見る。とくに母の夢をみる。呼ばれているのかもしれない。そのうちオジャマしますから冥府にいるみなさんどうぞあと20年くらいは待ってください。わが家の歴史をまだバカショウ(わが本名は正一)は書いていませんから⁻―。このあたり母と見し梅薫るはず梅が香に誘われて歩む細い道。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら...テッシュの箱にメモ。麻屋与志夫

  • 日傘男子 麻屋与志夫

    6月2日日曜日小雨日傘男子。なんて言葉があるのを最近知った。熱中症対策だけではなく、毛髪の脱毛、薄毛に悩む男子がおおいらしい。それらのことを考えると極めて合理的なのことなだろう。それに日焼けして色黒になるのを嫌う若者。たしかに電車のなかでみわたすとすらっとした色白の若者がふえている。そしてものごしが静かでやさしく親切だ。GGは杖をついているのでよく席をゆずってもらう。脚がふらついているので大変ありがたい。女の子にもやさしい男の子なのだろうな。陽傘男子。井上雅彦「綺霊」の中に「パラソル」という超短編が載っている。黒い蝙蝠をさしたやさしい男子が登場する。陽をよけるために黒い蝙蝠をさしている。誘われて女性がついていく。吸血鬼を連想する。そこでGGは若者が吸血鬼化しているように思える。性欲よりも相手の精を吸いたい...日傘男子麻屋与志夫

  • 大谷翔平選手六月から無双 麻屋与志夫

    5月30日木曜日ジイジイも無双することを夢想しています。若い時の話だが、天下無双の活躍をしていると自負していた。レストランの経営。それも二店舗。小さな田舎町としては話題を呼んだものだ。本業は「大麻商」マリファナではない。大麻の茎を精麻としてロープや真縄を製造する栃木から鹿沼周辺だけの特異な職業。それに学習塾。若さですね。よくも体がもったものだとおもいます。いまは、尾羽打ち枯らし、ただただお座敷のかからない小説を毎日書く生活。八面六臂の活躍をすることはもうないでしょうね。数え年では92歳になる。「大谷選手6月から無双」というコメントをパソコンで見て考えた。人間の運勢には絶頂期というものがあるようです。翔平さんの絶頂期が、かれの特大ホームランの飛距離のように長くつづくことを日本の野球フアンは願っていますよね。...大谷翔平選手六月から無双麻屋与志夫

  • 俳句 ややこしや乗換駅の春の蝶 麻屋与志夫

    5月24日金曜日久しぶりで東武電車にのった。車中吟。社あり関東平野の青葉かげ。ややこしや乗換駅の春の蝶利根川を斜めに渡る春の雁いたずらに過ぎ来し方の青葉影麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてありがとうございます。お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。皆さんの応援でがんばっています。俳句ややこしや乗換駅の春の蝶麻屋与志夫

  • 悪夢をみた。 麻屋与志夫

    5月22日不吉な夢をみた。どこが不吉なのかわからない。だが、夢から覚めて、妻に起こされたのだから、うなされていたのだろう。部屋の隅の明り取りの『天窓』から男がこちらをうかがっていた。わたしはベットに横になっている。男の目をみた。皮肉な視線を感じた。おまえにはこれから起きることがわからないだろう。口元には残酷な表情が刻まれている。その残忍な口元から牙でも生えてきて妻に襲いかかるのではないか。その予感にわたしはおののいたのだ。妻はこのところ足がむくみ、からだがだるいと嘆いている。またなにかの前兆のような夢をみた。雄のライオンがゆこたわっている。三越のライオンとまったく同じ姿勢で、ただし、こちらに尻を向けて座っている。ところが表情は正面からみえる。こちらに尻をむけているのだから、正面の顔が見えるわけはないのだが...悪夢をみた。麻屋与志夫

  • 君は大谷翔平になれるか 麻屋与志夫

    5月19日日曜日君は大谷翔平になれるか「だれもが大谷翔平になれるわけではないのだよ」隣のベンチの老人に話しかけられた。武尾は朝練のグランドまで走っている途中だ。いつもよりすこし早く家を出た。朝食をたべてなかった。母のつくってくれた特大の梅干しオニギリを食べるくらいの時間はあるだろうと座った街角公園のベンチだ。かぶりとやったところで隣から声がした。父にもよく言われる。同じ文句だ。おせっかいなジジイだ。それにしても、父とまったく同じセリフ。「若い時はみじかい。一日もむだにしないことだ」「野球をやることが青春の浪費だというのかよ。よけいなお世話だ」とはこたえなかった。はやくたべおわって、学校にいそがなければ。大人はみんな自分の青春のつまづきを悔いている。若者にその轍を踏ませないために助言するのがすきなのだ。返事...君は大谷翔平になれるか麻屋与志夫

  • 箴言「一生かけて自分の顔を刻め」麻屋与志夫

    5月13日箴言ひとを恨むな。じぶんの愚かさを嘆け。この歳まで生きてくると、身近の多くの人に騙されたり裏切られたりした。「バカなんだよな。おれは」ようやく言えるようになった。結局残った友人は五指に満たない。一生かけて自分の顔を刻め。子どもの時から顔のことではからかわれた。「馬面だ」「頭でっかちの布袋面(ほていづら)」「ぎょろ目だ」青年になって東京にでるまでからかわれ続けていた。「みにくいアヒルの子」だったのだ。じぶんの顔には成人してから老いるまで自分に責任がある。彫刻するように自分の顔を作り上げてきた。期待通りにはいかないが、結構気に入っている。箴言「一生かけて自分の顔を刻め」麻屋与志夫

  • 杖走る走者も走る春の暮れ 麻屋与志夫

    5月13日雨昨日は市のマラソン大会。杖をついて見物。思わず走りだしたい熱気があった。マラソンや杖が走る暮れの春。杖走る走者も走る春の暮れ杖突きてジジイ伴走春の暮れ興奮しているので、あまりできが良くない。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてありがとうございます。お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。皆さんの応援でがんばっています。杖走る走者も走る春の暮れ麻屋与志夫

  • なんべんをなんべんもする皐月風 麻屋与志夫

    5月9日木曜日午後になってうれしい五月晴れ。故、星君の家があった場所まで散歩。星豊君は「早稲田の四季」の作詞家。友の家ありたるあとの新家屋彼の悲劇的な生涯を想っていたらお腹が痛くなった。その辺の草地と思ったが、急遽帰宅。したがって妄想の句。なんべんをなんべんもする皐月風これでは、皐月風が便をしていることになりはしないか。軟便を何べんもする背に胡蝶なんべんをなんべんもする皐月風麻屋与志夫

  • 前回の「わが人生、蹉陀(さだ)たり」の続きです。麻屋与志夫

    5月8日前回の徒然草の内容です。孫引きてすが、現代語訳の先生の名前、失念しました。申し訳ありません。「人間が生きている限りしなくてはならない社交儀礼は、どれもしないわけにはいかない。だからといって、世間のしがらみを捨てきれずに、これらのことを必ずしていると、願望も多く、体も辛く、精神的な余裕もなくなって、肝心の一生が、次から次に押し寄せてくる雑事にさえぎられてしまい、空しく暮れてしまう。もう人生が暮れるような晩年になっても、まだ究めようとする道は遠い。自分の人生は、すでに不遇のうちに終わろうとしている。まさに、白楽天の「日、暮れ、道、遠し。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たり」という状況だ。もうこうなったら、すべての縁を打ち捨てるべき時である。私は、約束も、もう守るまい。礼儀も、気にしまい。このような決...前回の「わが人生、蹉陀(さだ)たり」の続きです。麻屋与志夫

  • わが人生、蹉陀(さだ)たり。 麻屋与志夫

    5月8日水曜日白楽天の「日、暮れ、道、遠し。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たり」をふまえた徒然草第百十二段をしみじみとGGは感じている。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たりというが、気づくのが遅かったわけではない。それなのに母や父のことを思うと、故郷を、血肉の情をきれいさっぱりすてることはできなかった。ようやく小説を書くことに一日、フルタイムの作家としての生活に入ることが出来て丸一年。たいした成果はあがっていない。まわりを安心させるために、あと二十年は生きているから、と豪語しているものの……どんなことになるやら。あせりはある。健康面での不安とたたかうだけでも、並の男では精神に狂いがしょうじてしまうだろう。並ではない、はじめから狂っているような生活をきりぬけてきたので、いまが一番幸せな気分だ。わが家に...わが人生、蹉陀(さだ)たり。麻屋与志夫

  • 雨蛙。 麻屋与志夫

    5月5日日曜日「なに、これ?」妻の悲鳴に近い甲高い声が裏のデッキでした。駆けつけてみると、彼女が外猫用の水飲み皿を手にしてのぞきこんでいた。皿の中に灰色の小豆つぶほどのものがうごめいていた。虫とも卵ともとれる。なんとも得たいしれないものだ。「気味が悪いわ」といって庭にすててしまった。後になってみると、ピクチャにとってブログにアップして識者の見識にとえばよかった。「ボウフラか、雨蛙の卵じゃないかな」わたしにはそれいがいのことはいえなかった。雨蛙。保護色で、草や木の葉の上では緑。木では茶。環境に順応して色を変えることの出来る賢いヤツだ。わたしは、この歳になってみて、全ての苦労は自我を押し通してきたことによる。と反省している。環境に応じて生活態度や発言を変えるとができない。つくづくバカなヤツだなと自嘲している。...雨蛙。麻屋与志夫

  • 俳句 亀頭おなじ彼方見る春の池 麻屋与志夫

    4月27日土曜日23℃亀頭おなじ彼方見る春の池初句は亀頭(かめあたま)とよんでください。さもないととんでもない猥褻な句となってしまいますものね。あくまでも毎日散歩の道すがら眺める弁天池での具象句としてよんでください。たちどまって柵にもたれて見下ろす池の面。中央の木材を井桁にくんだ島に亀がいます。17匹もいました。みんなうれしそうに寄り添って同じ方向をみています。親亀の上の子亀。三匹くらい重なっています。甲羅干しをしているのでした。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてありがとうございます。お帰りに下のバナーを押してく...俳句亀頭おなじ彼方見る春の池麻屋与志夫

  • 超短編31 肥満体。麻屋与志夫

    4月24日水曜日超短編31過食症100キロを超す巨女が、肉の山がのしのしと近寄ってくる。このあたりにいた野ら猫の所在をきこうとおもった。「このあたりで、かわいい小さな子猫がいたのをみかけませんか」と訊ねようとした。聳え立つ肉の山に、小さいとか、かわいいとかきくのは、皮肉と取られる。そう思うと、怖くなった。なにもきけなかった。この町では、猫がつぎつぎと消えていく。肥満体の女性は増えていく。●discriminatoryremarkともかくGGです。肥満体の女性に対して、目前の女性にたいして個人的ではないとしても差別用語になるのでしょうか。男子厨房に入るべからず、といった時代に育ってきたGGにはとても面白い時代に生きていることになります。わからないことばかりです。マイナス思考におちいることはありません。Z世代...超短編31肥満体。麻屋与志夫

  • 失敗をプラス思考に。 麻屋与志夫

    4月23日火曜日失敗をプラス思考に昨日の「親切もほどほどに」。どこかで読んだような気がしていた。他人様の作品だと申し訳ない。盗作になる。ハタと思いついた。わたしのブログ内を検索してみました。ありました。2022、3、6にアップしていました。うれしくなった。おなじ作品を二度も載せた。その点は、じぶんの不注意をせめた。だがこれは不注意、マチガツタあーー。ということではない。長編ならいざ知らず。超短編となるとブログに載せたほかにもたくさん書いている。むしろ、どこかで読んだことがある。疑問に思った記憶力こそほめられるべきだ。と、まあGG的にはかんがえました。なにか失敗してもメゲズニプラス思考に変換する。これがわたしのように長生きするコツですよ。とまあ老婆心ならぬ、GGの考えを披露するなんぞはボケのはじまりではあり...失敗をプラス思考に。麻屋与志夫

  • 超短編30 親切もほどほどに。麻屋与志夫

    4月22日月曜日超短編30親切もほどほどに。「葉ッパがついていますよ」前をいく女の髪に葉ッパがついていた。とってあげた。葉ッパといっしょにウイッグまでとってしまった。「見たわね」女の頭皮はワニ膚だった。ハ虫類の女だ。もう逃げられない。超短編30親切もほどほどに。麻屋与志夫

  • 顎さげて杖つき桜盗み見る

    4月20日土曜日桜もちり蕊桜(しびざくら)の季節。ことしは妻が同伴してくれなかった。花見はできなかった。それで一句。顎さげて杖つき桜盗み見る顎さげて杖つき横目みる桜杖をつきそれでも足元に注意を集めなければならない。うつむいて歩いている。諭吉さんでもありはしないかと路面注視の歩行だ。杖をついているからだ。杖の先が歩道にあいた穴にでも入ると、そのために転んでしまう。転ばぬ先の杖とたよりにしているのに、かえつて危険をともなう。道の向こう側の桜を観たいのだがままならぬ。横眼でうなだれたまま彼方の桜を……見る。鑑賞とまではいかない。これが年寄りの現実だ。そのうち桜に興味がなくなるかもしれない。そうなったら、おわり。人生卒業だ。こっちとら、いよいよ31歳。文学青年。まっただなか。わかりますか?得意のアサヤ流自虐です。...顎さげて杖つき桜盗み見る

  • 花の季節を引き延ばしたい。麻屋与志夫

    4月17日水曜日御殿山と千手山の桜が散った。わが庭の藤の花が咲きだした。藤の花は咲きながら花房がしだいにのびていく。それを毎朝眺めるのが楽しみだ。小説を書くのにももっとも適した季節だ。わたしは歳を取ってからすごい寒がりになった。気力がなくなったというよりは、体力が衰退している。今朝は、小雨が降っていた。右手に杖。左手に傘で散歩にでるのは危険だ。両手がふさがっているときに、転倒して額をわった。手をついて受け身をとるのが遅れたのだ。だいたい、倒れるときには何の予告もなく瞬間的に倒れてしまう。だから年寄りは倒れて怪我をする。そこで寝込んでしまう。こわい。こわいな。思い切って杖なしで出かけた。なんとか30分いつもどおり歩ききった。小説を書き、わたしの頭に咲く花の季節をまだまだつづけたい。花の季節を引き延ばしたい。花の季節を引き延ばしたい。麻屋与志夫

  • 桜散る。 麻屋与志夫

    4月14日日曜日まさに咲き満ちた桜を今見ている。美しさに息をつめて観ている。はっと息をはきだすとひとひらひとひらと散り始めた。満開の桜が散り始める瞬間にたちあえたことにかんげきしてごつごつした黒い幹に手をおいて囁きかけた。おまえさん、こんな不格好なからだからどうしたらこれほどみごとな桜を咲かせることができるのだ。あわい桜色の花弁がひとひらわたしのほほに張りついた。みみもとでささやく声。それは、ものごとは見た目だけで判断してはだめ、ごまかされてはだめなのよ。美しい花を咲かせるには毛根から水分や栄養分をすいとることからはじまって、たいへんなくろうをしてくれているの。桜散る。麻屋与志夫

  • 桜咲きケヤキ新芽の宮の内 麻屋与志夫

    4月10日水曜日ひさしぶりで今宮神社の境内を散策した。そこで一句。桜咲きケヤキ新芽の宮の内春はこころがウキウキする。なにか新しいことをやりたくなる。旅立ちの季節なのかもしれない。GGはもはやこの家から離れられない。念願かなって、孫娘が新しい職場に就職できた。婚約を知らせてよこした孫娘もいる。やはり新しい季節だ。そう実感できた。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてありがとうございます。お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。皆さんの応援でがんばっています。桜咲きケヤキ新芽の宮の内麻屋与志夫

  • 超短編小説29 きみとみし崖の桜は咲きたるか 麻屋与志夫

    4月3日水曜日桜が咲きだした。超短編29きみとみし崖の桜は咲きたるか小田垣鷹雄は航空便でむかしの彼女に俳句をおくった。定年となった。再就職の誘いはすべて断った。生まれ故郷の鹿沼にもどることにした。烏小路鹿子はあれからどんな人生をおくっているだろうか。それが気がかりだった。会うのがなつかしいやら、こわいやらで躊躇いがあった。その気持ちを俳句に託したのだった。断崖の桜は見事に咲いていた。若木だったものがすっかりたくましくなっていた。そしてなによりも驚いたのはふたりで逢引の場所としていた坂田山は団地となっていた。家々が密集してまるでほかの場所に迷い込んだようだった。「わたしも鷹雄さんと東京の大学に進学したい。親が許さないのよ」気丈な鹿子がはじめてみせた涙だった。ふたりはまさに崖っぷちに立たされていた。ふたりで家...超短編小説29きみとみし崖の桜は咲きたるか麻屋与志夫

  • 瓦 麻屋与志夫

    3月29日金曜日雨●夜来の雨がふりやまず、まだ降り続いている。16年も前に書いた随筆をどなたか読んでくれた。そこはパソコンのありがたさ。ポンとキーを打った。下記の随筆があらわれた。読み返したがけっこうおもしろいので再録しました。2008-03-1922:15:00 Weblog3月19日瓦(随筆)瓦への憧憬は幼少の頃からあった。明治維新のあと、士魂商才という言葉があるが、母の実家は瓦屋になった。剣をもつ手で粘土をこね始めたわけである。そうした、父の苦境におちた環境の激変について、母はぼくによく話してくれた。朝の陽光をあびて働く父や瓦職人の姿を実にリアルに話してくれた。まんじゅう型の瓦窯から立ち上る紫煙を、庭先にでて家族全員で眺めたときの感慨など、明治を生きた人々の姿が、強烈な印象となって、ぼくの幼い脳裏に...瓦麻屋与志夫

  • 可憐な青い花、イヌフグリは西洋では「天の瞳」 麻屋与志夫

    可憐な青い花、イヌフグリは西洋では「天の瞳」麻屋与志夫2015-03-1409:57:13 ブログ3月14日土曜日●都会ではあまり見かけなくなった。わが街ではいたるところに咲いている。●「イヌフグリ」少女には名前の由来は教えにくい。でもこの可憐な花はいかにも早春の野辺にふさわしい。道の辺に、裏路地に、となりの空き地に、そしてささやかなわが家の狭小庭園にも咲いている。●「ことしも春が来ましたよ。春ですよ。春ですよ」と早春の大地に薄紫の小さな花を開花させる。コバルトブルーの星くずをまきちらしたようだ。天と地をひっくりかえせば、星の瞳といわれる西洋のネーミングもよくわかる。どうしてこの花に対して、こうもつけられた名前が、それこそ天地がヒックリカエッタほどの差があるのだろうか。このアドケナイ花に対して日本名は失礼...可憐な青い花、イヌフグリは西洋では「天の瞳」麻屋与志夫

  • 卒寿の新人作家めざして 麻屋与志夫

    3月12日卒寿の新人作家めざしてみなさん、卒爾(そつじ)なが90歳、卒寿(そつじゅ)の新人作家なんてきいたことがありますか。わたしの知る限りでは黒田夏子さんが75歳で芥川賞。おいらは芥川賞なんて畏れ多い賞をねらっているわけではありません。ささやかな、小さな暖簾をわけていただいて文筆業に専心したいだけです。非才、無能、誇れる学歴もない田舎町に住む90になるジジイが願うには少しハードルがたかすぎるのかな。人生百年時代なんて言葉がもてはやされている。それも肉体的健康が強調され、もてはやされているが。80になっても奮い立つ。なんのことはない強精剤のコマーシャル。おいどんは、90歳にって人さまによんでいただけるような小説を書きたいと奮い立っています。そもそも吾輩は考えるのだが、日本においては世界でもそうだよねー。小...卒寿の新人作家めざして麻屋与志夫

  • メイキングオブ「白比丘尼」 麻屋与志夫

    3月7日木曜日メイキングオブ「白比丘尼」前作「白比丘尼」を書くにあたっての、手の内を紹介したい。日本の読者はとくに年配の方は小説は実際に作者が経験したこととおもいこむ。これは日本独自の私小説の影響なのだ。作者がわたしという一人称で小説を書くと、そっくりまるごと作者の自画像だとおもいこまれてしまう。そのてん、平成からブームのファンタジー、幻想による小説をわたしはすきだ。いままでにも「浜辺の少女」―カクヨムに載っています、のような、ムンクの浜辺の少女は吸血鬼で栃木県の大谷出身だというわたしなりの幻想小説、転生ものを書いています。これからもながく生きられたら浜辺の少女のような、さらに恋愛を前面に押しだし、主軸とした作品を書きたいとねがっています。ホリゴタツで、歩行もままならず毎日家の中ですごしている翁にとっては...メイキングオブ「白比丘尼」麻屋与志夫

  • わか見え美人の妻の正体は 麻屋与志夫

    3月3日超短編(28)卒塔婆どさっと卒塔婆をひとかかえほどヒロャンがなげだした。下のお寺の墓地からぬいてきたものだ。「ツヨシちゃんチには細引きが売るほどあるよな。明日はここにもってきてよ。この卒塔婆で秘密基地つくろうぜ」八〇年も前のことだ。ぼくらが、第二次大戦が終結をむかえる夏、八月のことだった。外塔婆は細長い木の板。梵字や戒名などがかかれている。墓地にさしてあった。今のように金属でお墓の脇に卒塔婆立てなどはなかった。火葬ではなく土葬。雨が激しく降るとシャレコウベが露出したりしてとても気味の悪い場所だった。卒塔婆をほそびきでつないだ。木簡のような状態につないだ卒塔婆を外壁とした。つなぎめのすきまには周囲の木の枝を切ってうめこんだ。かぜがふきこまなくなった。剛はただみているたけだった。剛だけが小学生。ヒロチ...わか見え美人の妻の正体は麻屋与志夫

  • 超短編27(三稿) 声 麻屋与志夫

    2月3日土曜日超短編27(三稿)声声をかけられたことがあった。それがどこから来たのか、誰の声かわからない声もあった。「翔平。声をかけられても行っちゃダメ。もどっておいで」「行きたいよ。向こうへいきたいよ。お花畑で呼ばれている」「ダメ‼」母の声はいまでも耳元にのこっている。あのとき、誰になんと声をかけられたのかわからない。呼びもどしてくれた母の声の記憶があるだけだ。四歳のときだった。母が信仰していた岩船さんの孫太郎尊の助けをかりて必死で呼びもどしてくれなかったら――。いまのわたしはない、と翔平は思っている。木暮サーカスの女の子に声をかけられた。「お兄ちゃんとこ、あの塀のかかっている門のある家でしょう。食べ物がタントあるでしょう。お腹がすいているの。食べ物くれたらアタイのブランコの芸みせてあげる」翔平はまだ小...超短編27(三稿)声麻屋与志夫

  • 超短編27(二稿) 声 麻屋与志夫

    2月2日金曜日超短編27(二稿)声声をかけられたことがあった。それがどこから来たのか、誰の声かわからない声もあった。「翔平。声をかけられても行っちゃダメ。もどっておいで」「行きたいよ。向こうへいきたいよ。お花畑で呼ばれている」「ダメ‼」母の声はいまでも耳元にのこっている。あのとき、誰になんと声をかけられたのかわからない。呼びもどしてくれた母の声の記憶があるだけだ。四歳のときだった。母が信仰していた岩船さんの孫太郎尊の助けをかりて必死で呼びもどしてくれなかったら――。いまのわたしはない、と翔平は思っている。木暮サーカスの女の子に声をかけられた。「お兄ちゃんとこ、あの塀のかかっている門のある家でしょう。食べ物がタントあるでしょう。お腹がすいているの。食べ物くれたらアタイのブランコの芸みせてあげる」翔平はまだ小...超短編27(二稿)声麻屋与志夫

  • 超短編27 声

    2月1日木曜日超短編27声声をかけられたことがあった。それがどこから来たのか、誰の声かわからない声もあった。「翔平。声をかけられても行っちゃダメ。もどっておいで」「行きたいよ。向こうへいきたいよ。お花畑で呼ばれている」「ダメ‼」母の声いまでも耳元にのこっている。あのとき、誰になんと声をかけられたのかわからない。呼びもどしてくれた母の声の記憶があるだけだ。四歳のときだった。母が信仰していた岩船さんの孫太郎尊の助けをかりて必死で呼びもどしてくれなかったら――。いまのわたしはない、と翔平は思っている。木暮サーカスの女の子に声をかけられた。「お兄ちゃんとこ、あの塀の掛かっている門のある家でしょう。食べ物がタントあるでしょう。お腹がすいているの。食べ物くれたらアタイのブランコの芸みせてあげる」戦争中だった。テントの...超短編27声

  • 笑ってください。売れない小説をまだ書いています。麻屋与志夫

    1月30日火曜日あそこまで歩けば陽があたる。いつもの散歩道。さすがに大寒、日陰は寒い。幸いこのところ日光颪は吹かない。風で体感温度を奪われることはないが、日陰に入るとぶるっとふるえる。衣服をもっと着ればればいいのだろうが。すでに六枚重ねている。こんな寒がりになるとはおもわなかった。お日さまのありがたみをつくづく感じているGGだ。陽のあたる道に到達した。温かい。太陽の恵み。エアコンのあたたかさとはまったくちがう。やわらかな、やさしく全身をつつみこんでくれるようなあたたかさだ。こんなことは若い時は感じなかった。しばらく道端の石塀によりかかって日光浴をしていると「おけげんきですね」と近所の人に声をかけられた。杖をつくようになってからは、まわりのひとがやたらとやさしくなった。散歩にでるいがいはは、ひたすら書斎にこ...笑ってください。売れない小説をまだ書いています。麻屋与志夫

  • 日光お化け地蔵 麻屋与志夫

    6月19日木曜日鬱蒼と茂った杉木立の影になっていた。お化け地蔵は山裾にひっそりと並んでいる。青い苔が一面に生えた古仏は赤いヨダレかけをしていた。杉の梢越しに射しこむ秋の光が並んだ地蔵の膝のあたりにかろうじて照り映えていた。あの頃とまったくかわっていなかった。思いでの憾満ヶ淵では、悠久の時間が流れていて、人の生きる時間などなにほどのこともなかった。あの頃、東京オリンピックの時代といっていいかもしれない。沼尾潔はこのお化け地蔵をなんどか訪れていた。「あかちゃんがうまれたら、赤いヨダレかけをこのいちばん端のお地蔵さんにかけるの」「そういう風習があるんだ……」「この土地にはないわ。わたしがはじめるの」並び地蔵といわれるだけあって七十体くらいはあるのではないか。潔はそう思った。日光の老舗旅館の一人娘、安西玲子はお腹...日光お化け地蔵麻屋与志夫

  • 夢見るGGの夢占い38 記憶を美化してますね。麻屋与志夫

    1月20日土曜日いつもにように路地で迷子になった夢をみている夢をみた。これは夢の世界だ。なにもそんなにシリアスになることはないよ。と夢のなかで迷子になっているじぶんに声をかけている。ふいに時間が飛んで旧制中学生になっている。いつもの通学路。いつもの先輩と路地を歩いている。わたしより二級上級生。上沢の博チャン、懐かしいな。益子さん。この路地の先に住んでいる恩田さん。狭い路地をぬけると『小薮川』。まだ現在のように改修工事がもちろんおこなわれていない。流れも速く水量もほうふだ。恩田さんが道端でまっていた。今でも、このあたりはむかしの路地裏の雰囲気を残しているよな。と博ちゃんにタメ口をきいているわたしがおかしかった。もっともヒロチャンは四〇代で早逝しているから、九〇さいになるわたしの意識が夢の中に溶けこんでしまっ...夢見るGGの夢占い38記憶を美化してますね。麻屋与志夫

  • 「ブギウギ」小夜ちゃんが手にした「日米會話手帳」で英語の勉強を始めた。麻屋与志夫

    1月9日火曜日室温3℃寒かった。懐かしいものを見た。「ブギウギ」で「日米會話手帳」がでていた。わたしは英語勉強の戦後の第一期生だ。英語の勉強についてはさまざまなおもいでがある。それを書きだすといくら長生きしてもきりがないのでやめておく。箇条書きにしておく。1旧制中学には英語の先生がいなかった。日光で外人相手に米語の発音を習ったわたしはいつもその先生に叱られていた。英語を教えてくれてはいたが。他の教科の先生だった。2戦争少年だった。負けたのがくやしかった。小夜ちゃんのように「ギブミィチョコレイト」とは言ったことがない。言ったことはないが、東照宮の周りを拙い英語で説明して歩きお礼に金谷ホテルのランチをごちそうになった。プレゼントとしていろいろいただいた。3神宮にあった「津田英語会」?で一色先生の授業をうけた。...「ブギウギ」小夜ちゃんが手にした「日米會話手帳」で英語の勉強を始めた。麻屋与志夫

  • わが家から見える場所に『宮崎駿』さんのご家族が住んでいた。 麻屋与志夫

    令和6年ブログ2024明けましておめでとう。この歳まで生きてこられたことに感謝。家族、とくにいつもそばにいて、わたしと伴走してくれている妻。ありがとう。最近、隣近所のひとや、街のひとがこのGGにとみにしんせつにしてくれる。うれしい。みなさんの励ましを背に今日も街歩きをつづけようと思っている。坂田山団地に向ういつもの散歩コース。市役所の北の端と御殿山病院。ここには昔、山本別荘があった、と記憶していた。ところが最近、ネットサーフィンをしていて知った。終戦前後に、『宮崎駿』さんの家族が住んでいたというのだ。もっとも駿さんは就学年齢にはたっしていなかったろう。なにかこの場所の記憶があればうれしいのだが。鍵山といまの御殿山公園にかこまれていたこの場所は。うっそうと茂る樹木に、取り囲まれていた。6年生だったわたしの遊...わが家から見える場所に『宮崎駿』さんのご家族が住んでいた。麻屋与志夫

  • これって『随筆』? 麻屋与志夫

    12月29日金曜日これって『随筆』として読まれるだろうか、教えて下さい。麻屋与志夫2018-12-0615:52:03 ブログ12月6日Thu.りり、どこにいるの「リリに、餌はやらないほうがいいのかな」「どうかしら?不妊手術だから」わたしはリリの餌皿をタンスの上に置いた。「抱っこしていきましょう」カミサンは毛布を用意してきていた。リリは不安そうに、でも「ンン」とカミサンのかおを見上げて鳴いた。リリはなぜかニャオと猫の鳴き声が出ない。生後三月ぐらいで、わが家の玄関に迷いこんで来た。「ごめんな。パパに働きがあれば何匹でも赤ちゃん産んでいいのに」カミサンはリリにほほを寄せて歩きだした。大通りの方ですごい騒音が高鳴る。道路工事をしていた。トラックが警笛を鳴らした。カミサンが悲鳴をあげた。リリが車道にとびだした。ト...これって『随筆』?麻屋与志夫

  • デキチャッタ飼い猫 ・麻屋与志夫

    デキチャッタ飼い猫・・・・・・・・・・・・・・・・・・麻屋与志夫ミュに死なれたとき、もう……猫を飼うのはやめるつもりだった。飼い猫に死なれるのがこれほど悲しく辛いとは思っていなかった。人間の年齢にすると、ミュは、おそらく九十歳を越えるオバアチャン猫だった。わたしの膝の上でつつましく死んでいった。最後に弱々しい息をして……しだいに冷たくなっていくミュを抱えたままわたしは、涙を流していた。やせほそって骨と皮だけになっていた。それでも昨夜まで二階の書斎までのぼってきた。わたしの寝床にもぐりこんですやすやと寝息をたてて寝ていた。ところが、黒い縞のある迷い猫を飼うことになってしまった。この猫はミュが元気だったころから、なかば飼い猫としてわが家にではいりしていた。ある凍てつく夜、二階の書斎に寝ていたわたしは小さな音で...デキチャッタ飼い猫・麻屋与志夫

  • 来年こそ新作と取り組むぞ。麻屋与志夫

    12月28日木曜日室温4℃暮れもおしつまって来た。今年は、取り立てて病気らしい病気もしなかった。ただ足腰が衰えてきたのが、心細い。朝六時起床。いつもの朝のようにほうじ茶を熱湯をそそいで飲む。直ぐ飲むわけではない。まず匂いをたのしむ。このひとときがかぎりなくいとおしい。血圧が高いので夜分に不足がちだった水分を補う実利的な意味もある。この朝の儀式はかかしたことがない。小説のほうは新作にはとりくめなかった。旧作に手入れをした。新作に来年こそはとりくみたい。周囲からは反対されている。もう新しいことはしなくていい。ご苦労様でした、という歳なのよ。なにぬかす。まだ、まだ、これからだ。すきなことをヤラセテもらえないなら。ガン箱のなかにパソコンもちこむぞ。地獄にいっても書きつづける。もっとも、おれは――ここは地獄。ここで...来年こそ新作と取り組むぞ。麻屋与志夫

  • 涎をたらすよになったら 麻屋与志夫

    12月19日金曜日室温三℃しばらくぶりで詩です。涎をたらすようになったらさむいからだがふるえているからだがふるえているからさむいのだ室温零℃ああ、やはりさむいわけだ温度計などなくさむさをあらわす数値がなかったらさむさはさむいという感覚で察知したのだろうさむいということばもないむかしにはただふるえていたのだろうテレビである高原で凍死した人間が発掘されたと報じていたなん百万年か時を遡行すればこのちほうはいまよりずっとさむかつたのだろうお年寄りの集うある「詩の会」で発言したことがあった涎をたらすようになったら詩をかきますぜひおたくの雑誌にのせてください誤解されたろうな抒情詩ばかりかいている彼らへの反発発言だひとは欲情しなくなったら感傷も抒情とも無関係になるべきだ女性の男性美もBeautyisonlyskinde...涎をたらすよになったら麻屋与志夫

  • ひさしぶりの俳句です。麻屋与志夫

    12月13日枯れ山は竹ばかりなり風の鳴る寒風にこの木なんの木天をつくしらじらと心療内科のみ風渡る木枯らしに座り向き合うベンチかな寒風になにが足りないわが発句古民家を重機でならし曼殊沙華彼岸花のこして重機は風の中なにをするひとりごたつの老婆の手わたしは夜半に目がさえて眠れないことがある。昼間体を使わないからだろう。しかたないから、寝床で俳句をつくる。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてありがとうございます。お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。皆さんの応援でがんばっています。ひさしぶりの俳句です。麻屋与志夫

  • 日本作家クラブ随筆賞受賞作品「蛸壷」麻屋与志夫

    12月12日火曜日日本作家クラブ随筆賞受賞作品「蛸壷」明石は「人麻呂神社」の前に小さな句碑があった。震災後のことで、ゆがみや凹凸のはなはだしい石畳の参道の脇に立っていた。丸っぽい自然石に夏の日が照りつけていた。蝉の声もする。向こうに倒れかけた山門がみえる。天災にたいしていかに人の世が無防備であるか、脆弱なものであるかをおもいしらされた。句は、蛸壷やはかなき夢を夏の月と読めた。そういえば、芭蕉、「笈の小文」の旅の西の極みがこの明石であった。淡路島が明石の海の彼方、いがいと近くにみえていた。夏の温気のなかで霞み夢幻泡影の感懐をもたらす。橋をかける工事がなされていた。そのためか、わびさびの感銘にはいたらなかったが、海青色の波のきらめきがまさに夢幻の趣をそえていた。半世紀も昔のこと、戦争が終わり野州麻が軍の納品か...日本作家クラブ随筆賞受賞作品「蛸壷」麻屋与志夫

  • 妻に同伴。「娘さんと一緒でいいですね」麻屋与志夫

    12月8日金曜日裏の勝手口からゴミ袋を集積所にだした。帰りは玄関のほうからはいった。ふとみるとオレンジ色のタンクが五個ほどならんでいる。その上にさらに色濃い楕円形の烏瓜がむぞうさにのせてあった。「今年は烏瓜は、生らなかったな」「猛暑がつづいたから、薔薇もあまり咲かなかったわ」妻の関心はもっぱらバラにある。バラが命の妻だ。カイガラムシが大量発生。どうやら、かわいそうだが、バラは、いやバラだけではない。そろそろ園芸はあきらめなくてはならない年齢にたっしているのだ。妻にはそれがまだ納得できない。年寄り、はるかに、若見えの妻だ。まだ実年齢を認めるわけにはいかない。同年齢の友だちは――。足がおもうようにいかなくなったり。腰を曲げたりして歩いている。老人ホームに入っているひともいる。それがどうしたことだ。妻はリュック...妻に同伴。「娘さんと一緒でいいですね」麻屋与志夫

  • 父セェター 麻屋与志夫

    12月5日火曜日室温5℃本格的に冬将軍の到来だ。父の着ていた緑色のセェターを箪笥の奥の方から取りだした。暖かい。驚くほと暖かい。そこで考えた。裏起毛とか、いろいろとCMがテレビからいやでも伝わってくる。最近では、パソコンにまでふいにCMがはいる。それはいいのだが、ブログなどに、うかつな言葉を使えない。わたしは小説家だが、GGなので現地取材はもうでかけられない。PCでほとんど調べる。たいがいのことは、それですむ。あたたかなホリゴタツにいてすましてしまう。ことたりる。ところが困ったことも突発する。過日、中上や半村などの先生方と飲んだくれていた。歌舞伎町のゴールデン街のことを調べた。あらあらとんでもないことがおきた。風俗店のお誘いのド派手なCM。モウ、おどろいたなぁ。この調子でいくと。キーワードでこのような操作...父セェター麻屋与志夫

  • 『カンカラコモデケア』聞いたことがありますか?

    12月2日土曜日室温8℃『カンカラコモデケア』聞いたことがありますか?歌ではありません。わたしにとっては、呪文のようなものです。文章を書くのに迷ったときに。わたしはいつもこころのなかでとなえます。『カンカラコモデケア』『カンカラコモデケア』すると――。暗い迷いの世界から、バラ色の世界に転移できます。文章を書くのがたのしくなります。山崎宗次著光文社刊。『カンカラ作文術』からの引用です。文章を書く極意がわかります。素晴らしい教えが各ページで輝いています。カン……感動カラ……カラフルコ……今日性モ……物語性デ……データケ……決意ア……明るさ上記のことをもりこんで、あるいは意識して、文章を書くことが大切だといことです。あとは実際にこの本を読んでください。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます...『カンカラコモデケア』聞いたことがありますか?

  • 散歩半ばでひきかえす。麻屋与志夫

    12月1日金曜日きのうは、昼頃散歩に出た。いつもはこの町では午後になると男体颪が吹きだす。ところがすでに北風が吹きだしていた。風さえ吹かなければ陽だまりは暖かなのに。弁天さんのところで引き返すことにした。池では親亀の上に子亀子亀の上に孫亀。といった光景が見られた。なにしろあんなに厚い甲羅だ。風など気にしているふうではない。のんびりと甲羅をほしていた。鶴は千年、亀は万年という。わたしは子供の頃、花市で買った亀をペットとしていた。この池に、しばらくしてから奉納した。いまでも生きているだろうかなどと、妄想をたくましくしながら、眺めていると楽しい。同級生の男子はわたしの知る限りでは皆亡くなってしまった。寂しいものだ。そんなことを考えながら木枯らしの中、家にもどった。玄関の引き戸を勢い良く開けた。レールからはずれて...散歩半ばでひきかえす。麻屋与志夫

  • 胸にイチモツ下腹部にイチモツ。麻屋与志夫

    11月30日木曜日超短編26胸にイチモツ下腹部にイチモツ。「おれも、老いぼれたものだ」順平はバス停のベンチに腰をおろした。角材を四本ほどあわせただけの素朴なベンチだ。背中を車道のほうにむけた。こうして座っていればバスに乗る客ではないとわかるはずだ。疲れ切ってもう歩けない。温泉がでるいがいはなんのとりえもない田舎町だ。年寄りには無愛想な街だ。歩道にやすむことのできるベンチひとつない。それでバス停のベンチをいつも利用させてもらっている。「オジイチャン。終バスだよ‼」突然。声をかけられた。いつのまにかベンチで眠りこんでいた。あわただしく声をかけられた。おもわずバスにのりこんでしまった。「オジサン、温泉にでもはいっていくといいよ」親切な運転手の声を背中できいた。この温泉は源泉かけ流し、湯気がもうもうとしている。声...胸にイチモツ下腹部にイチモツ。麻屋与志夫

  • 25 超短編 レストランの見える街角で

    11月26日25超短編レストランの見える町角で。その街ではかなり有名な高級レストラン。女の子がでてきた。そのレストランにふさわしい優雅な服装。「麗華、ちゃん」待ちうけていたホームレスらしい男が声をかけた。「おじさん、だぁれ?」「麗華、ちゃん」女の子はかわいらしく首をかしげた。そのしぐさが、ういういしくさらにかわいらしくみえる。「麗華は、わたしの母よ」麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてありがとうございます。お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。皆さんの応援でがんばっています。25超短編レストランの見える街角で

  • 走り去った車に「バキャロウ」。麻屋与志夫

    11月24日金曜日走り去った車に「バキャロウ」。凄まじい怒声をあびせかけた。一瞬、桜紅葉の降りかかる落ち葉をふきとばすようないきおいだった。その男のまわりで足元のおちばがまいあがった。車からとびだして叫んだ男は中年。なぜ、男が怒っているのか。車のハンドルに手をふれたこともない、わたしにはわからなかった。推測だが――。止まっている男の車すれすれに。左折してきた車がスピードもおとさず走りさったから?なのかな。わが町の中年の男たちはムダに威勢がいい。スーパーで買い物をして、リックに詰めるのにとまどっていると。「どけ」とどなられる。暴走族華やかなりし時代の、男たちがいまや中年になっている。わが町の族の総長が夭折したおりには――関東中の族仲間がなん百台もハンドルをならべてはせさんじたものだった。塾の教え子の中にも、...走り去った車に「バキャロウ」。麻屋与志夫

  • 枯れ葉筏。麻屋与志夫

    11月22日水曜日近所のツタにおおわれた空き家。おおきなかさなりあった緑の葉が枯れ落ちた。赤い卵がたの実がみえる。葉陰になっていたので目に留まらなかったのだ。烏瓜だった。赤い色調を目の隅にとどめたまま歩をすすめる。歩道は黄金色。イチョウの落葉がはじまっていた。母校の庭でもイチョウの葉が舞っていた。この季節は野山は刻々と冬支度。日々、かわりゆく草木の色を楽しむことが出来るから好きだ。側溝を茶色の落ち葉が重なるようにしてながれていった。枯れ葉筏。花筏というきれいな言葉がある。枯れ葉筏という言葉があってもいいのではないか。そんなことを考えながら歩いていると道端の農家で白いネギをならべて売っていた。一束100えん。缶詰の空き缶で銀貨が光っていた。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞ...枯れ葉筏。麻屋与志夫

  • 考えすぎて、スランプ。 麻屋与志夫

    11月21日火曜日室温9℃昨夜はクリムゾンリバー2を見た。カミさんとルナと三人のたった一つの共通した趣味は映画を観ることだ。もつとも、ルナはカミさんの顔をみあげて、カミさんが膝にかけた毛布をもみもみしていたが寝込んでしまった。コタツで温まらなかった。夜間に五度ほど起きた。ベッドから降りて歩く床。冷たい。四時起きしてしまった。「イジメ教師は悪魔の使徒」最後の章で迷っている。パン粥をすすりながら考え抜いたが一行もすすまない。こういう悲しい朝もある。考えすぎて、スランプ。麻屋与志夫

  • 初冬の木枯らしに舞う枯れ葉。 麻屋与志夫

    11月20日月曜日室温12℃せせらぎ公園の散歩道。狭いのでサイドバイサイドでは歩けない。ふと下を見ると紅葉した楓の大きな葉が落ちていた。腰をかがめて拾っていると、少し前をいくカミさんから声がかかった。「こっちのほうが赤いわよ」さすがカミさん。ふりかえりもせず、気配だけでGGかがなにをしているのか察してしまう。なるほど二枚目のほうが赤さが深い。なんとも言えない晩秋の趣を一枚の葉に感じてしまう。裏返すと葉脈が透けててはっきりと見える。まだしっとりとして生きているようだ。川沿いに立ち並ぶケヤキの錆び色の葉はかさかさに乾いている。にぎるとこなごなにくずれてしまう。それはそれでうつりかわる季節のはかなさを――。ものみな枯れて寂寥としていく季節感をつたえてくる。掘りごたつで仕事をしている。二枚の葉ほ黒いコピー機の上に...初冬の木枯らしに舞う枯れ葉。麻屋与志夫

  • 頭にオシメをかぶるわけにはいかない。麻屋与志夫

    11月3日金曜日文化の日卒寿となった。人生百年時代の恩恵にあずかっている。六十、七十の男を奮い立たせるカモといったCMがテレビでながれている。いずれにしても長く生きるということは体力勝負だ。この頃、妻がローラアシュレイの赤いタオルを顔をふくのに使っている。洗面所が華やいだ感じだ。巣鴨の地蔵通りを歩いていてもハデやかな赤が目立つ。赤い腹巻、パンツ。パジャマ。色彩の若返り効果カモ。モカより色だ。確かに、長く生きるのは体力勝負だ。オツムのほうはあまり問われない。歳をとるとオムツをしている老人がおおくなる。チョイ漏れや、夜間尿には小生も悩まされている。でも、頭のほうからは知識が漏れ出すということはない。仮に、漏れだすようなことが起きても。まさか介護パンツとを頭にかぶって防ぐようなことはできない。今日は文化の日だ。...頭にオシメをかぶるわけにはいかない。麻屋与志夫

  • 桜紅葉はまだかいな。 麻屋与志夫

    10月28日土曜日雨があがったので、午後、散歩にでた。千手山公園の群葉にへんかがでた。いつも四季をつうじて緑の葉をつけている樹はべつにして、桜の葉は色あせて淡い灰紫色になった。もうすぐ、桜紅葉が見られるだろう。紅葉した桜の葉が落ちつくせばこの里に冬が訪れる。街の西にある岩山がごつごつした岩肌をみせることになる。男体山の冠雪はいつごろになるのだろうか。晩秋の景色をたのしみながら思考を重ね聖母幼稚園の脇をとおり、母校の門の前まで歩いた。桜紅葉はまだかいな。麻屋与志夫

  • たどり着きて今だ山麓。 麻屋与志夫

    10月28日土曜日朝から雷雨たどり着きて今だ山麓。わたしの恩師は木村学司先生だ。劇作家であり小説家で浪曲の原作者だった。NHK『浪曲劇場』という番組をもっていた。「暇があったら、いやいそがしくても一冊でもよけいに本をよむことだよ」と雑誌デビューをようやくはたしたばかりのわたしを導いてくださった。『二一世紀の会』に誘われた。「わたしの故郷の友人です」と紹介された。弟子ではなく友人。先生の気配りに恐縮した。この会には当時人気絶頂の徳川家康の山岡荘八。村上元三。俳優の大友柳太郎、江戸や猫八の諸氏が参加していた。わたしは志なかばにして家庭の事情で田舎にもどってしまった。それからというものは、六十年、生活苦とたたかいながら生きてきた。この歳になってようやく文学以外のことには頭をつかわなくてすむようになった。今朝は、...たどり着きて今だ山麓。麻屋与志夫

  • 超短編24「比喩間野 伊戸子ともうしますだぁ。」

    10月21日比喩間野伊戸土曜日超短編24「比喩間野伊戸子ともうしますだぁ」遠野将平はおどろいた。SNSでつぶやいた。塾の教師を引退した。じぶんと同じだ。場所ばかりとってもはや読むことも利用するともなくなった蔵書。売却しようかな、とふともらした。とたんに、驚くではないか。古本屋さんから高価出張買取のPRがべたべた画面に張りついてきた。SNSマーケッティング敏速さには身の毛もよだつ。将平は部屋からでる。インターホーンがなっている。妻が帰って来たのか。むぞうさに、玄関をあけた。おどろいた。若い女がほほえんでいる。どことなく妻が若いときに、知りあった頃の彼女に似ている。?????……。「比喩間野伊戸子ともうしますだぁ。」肌だってIPS細胞で人肌よりもなめらかであたたかいですだ」なんだかおかしな口調だ。言語修復がひ...超短編24「比喩間野伊戸子ともうしますだぁ。」

  • 短編小説24 断捨離 麻屋与志夫

    10月20日金曜日「蔵書、古本屋さんにきてもらって処分したら」秋の彼岸で帰省した娘がすすめる。「サンリオの文庫本なん高いらしいいわよ」「村上春樹、初版本がそろってるじゃないの」妻と娘が口をそろえる。このところ彼女たちは、断捨離推進派。「塾の黒板も売れるんじゃない。椅子も机も什器いっさい買い取ってもらえるものは売り払いなさいよ」90歳で教壇を下りた。無収入となったわたしは無用の長物。粗大ごみになってしまった。元気ハッラツとしているわが家の女たちが眩しい。短編小説24断捨離麻屋与志夫

  • 「もう死んじゃうよ」麻屋与志夫

    10月17日火曜日「ショウチャン」老婆に呼びとめられた。銀座の街角だ。「ほら、同級生のムッチャンだよ」覚えがない。古い記憶のページをぱらぱらとめくった。「ほら、食べさっせ」なつかしい故郷の言葉だ。彼女は店頭のミカンをひょいと取りあげて彼にすすめた。「みんな同級生は死んじゃったもんね」「ムッチャンはげんきそうだ」名前で呼びかけられて老婆はすごくうれしそう。ミカンのあまずっぱい味が口の中に広がる。「話しかけてくれてありがとう。また声をかけてよ」「もう死んじゃうよ」「そんな弱気なこといわないで元気じゃないか」老婆はうれしそうにほほえんでいる。深いしわがかがやいている。歩きだして、ヒョイと振りかえる。彼女はまだ手をふっている。「武藤青果店」という古びた看板が遠い視野のなかに浮かび上がる。そしてその脇に、鹿沼銀座通...「もう死んじゃうよ」麻屋与志夫

  • はかなくさく秋海棠 麻屋与志夫

    10月14日土曜日淡いピンクの秋海棠の花がすきだ。朝露が花びらの裏に宿っている。下向きに咲く花なので花芯には宿れない。わたしはそれでも、露に嫉妬した。陽で透きとおった淡い花弁にとまっていられる。でも、おまえの命は陽が高く上るまでだ。やがて、おまえは蒸発して天に昇ってしまう。だが、雨となり雪となりあるいはまた露となってわが庭に降りてくる。そのときまでこのいじらしい花はこの庭にあるだろうか。もうこの庭には咲いてしないかもしれない。いや、この庭もわたしも存在していないかもしれないのだ。だからこそこの一瞬の出会いたいせつにおもいたいのだ。「ゴハンデスヨ」朝食の準備ができたと妻がキッチンでよんでいる。こうして一日がはじまる。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで...はかなくさく秋海棠麻屋与志夫

  • 杖をついて、かえって転倒の危険がある 麻屋与志夫

    10月10日火曜日今日は暖かになる。天気予報だ。昨日は寒がりのルナのために暖房をした。室温15℃。猫にはさむすぎる温度なのだろう。いまはなきブラッキーは15℃になるとわたしの寝床にもぐりこんで来た。二階の書斎に寝ていた頃の話だ。いまになってみると幸福だったなあ。健康になんの不安もなく、夜中に電気をつけて本を読むことが出来た。いまは妻と同室なので電気をつけての読書は遠慮してしまう。家庭のことはなにもやらないわたしのために。男がやらなければならない仕事もこなして、夜は疲れ切って寝ている。トイレに行くときも音を立てないように気配りしている。気配りといえば――杖をこのところつくようになった。転ばぬ先の杖という。べつに杖なしでもあるけるのだが、なんども転倒している。杖がないと不安なのだ。つかれてくるとつい杖にたよっ...杖をついて、かえって転倒の危険がある麻屋与志夫

  • 祭りの後の秋の雨 麻屋与志夫

    10月9日月曜日祭りがおわった。にぎやかなお囃子の音がきこえなくなった。秋の雨が降りだした。なごりおしそうに街のはずれで叩いていた遠い太鼓のひびきもとだえた。秋の夜。街のざわめきが空気のぬけた風船のようにしぼんでしまった。昨夜は下痢。昨年のいまごろも二月くらい下痢が続きなやまされた記憶が鮮明によみがえった。注意していたのに。なんとしたことだ。眠られぬ夜をすごした。朝。雨は降りつづいていた。青白い馬が、げんなりと首を垂れたような街に秋雨がふりそいでいる。読書の秋だ。わたしは反省をこめて……。むかし読んだフィリップ・ソレルスをはじめヌボーロマンの作家の本を。五重塔のように積みあげた。べつにぜんぶ目をとおすわけではない。あれほど豊潤な熱意もって読みぬいた本だ。いまは、かわききった頭になった。再挑戦して読もうと思...祭りの後の秋の雨麻屋与志夫

  • 老夫妻の間の友情のようなものは 麻屋与志夫

    10月7日土曜日老夫妻の間の友情のようなものは、友情のもっとも美しい芸術品である。三島由紀夫今日は街の祭日だ。朝からお囃子の響きで目がさめた。明日が本祭りでにぎやかだ。動く陽明門といわれる屋台が何台もでる。そこで、朝からの夫婦の会話。長崎の祭りの実況をテレビでみながら。「優雅なまつりよね。この街の祭りはガサツであまりすきではないわ」「長崎の祭りは衣装にしても、出し物にしてもりっばすぎる。こんな豪華な祭りを見るのは初めてだな」「わたしは静かなのが好き。お祭りはあまりすきではない」「おれもきらいだ。おれは雑踏のなかにでると、すぐ喉をはらす」ともかく、この歳まで夫婦でいる。予定調和ではないが、話がよく合う。夫婦としての話がすごくたのしい。それは恋人同士のときからだ。聞き上手、話し上手の妻を相手にしているのだから...老夫妻の間の友情のようなものは麻屋与志夫

  • 秋深く、ひとり歩む文学の道 麻屋与志夫

    10月6日金曜日散歩から帰って少し寝た。最近とみに疲れやすくなってきた。なんとかいままでの体力を維持したいと散歩をしたりバーベルを持ち上げたりしている。だが急におそいかかってくる歳の波にのみこまれそうです。寝ていて見る夢はともだちの夢。功なり名を遂げたともだちもいる。無名のまま亡くなった友人も多い。一将功なりて万骨枯る。なんだか古臭い表現でごめんなさい。万骨のなかに入らないようにGGは精根をかたむけています。あいかわらずお座敷のかからない小説をかきつづけています。夢にでてくるともだちはもはやこの世にはいません。語りあったり、励ましあった彼らが残ってはいません。残っているともだちもいるのだろうが便りは絶えはています。寂しいです。GGの泣き言に朝からつきあっていただいて恐縮です。いま、イジメが話題になっていま...秋深く、ひとり歩む文学の道麻屋与志夫

  • 刈り残された彼岸花 麻屋与志夫

    10月5日金曜日不意にビューンと音がする。草刈り機だ。この季節になると、まるで年中行事のように。街のいたるところで、空き地で雑草の草刈りをする。ともかく空き家が多い。庭は草が生い茂っている。草刈りをするのは賛成だ。ただ、わたしが知らないだけで。雑草と片付けてしまうがきれいな花をさかせているものもある。刈り取られてしまうのは。なにかかわいそうな気がする。真紅の彼岸花が雑草の中に混じって咲いていることもある。キバナコスモスが咲き誇っていることも。それらもみんな、刈り取られて無残な姿をさらしているのはかなしいものだ。今朝、散歩にでたところ――。空き地で草刈りをしていた。少し色あせはしてきた。だがそれでもまだ赤く咲いていた彼岸花を。狩りのこした作業員の方がいた。その後ろ姿から後光がさしているようにかんじた。麻屋与...刈り残された彼岸花麻屋与志夫

  • 超短編 カーブミラー 麻屋与志夫

    9月30日土曜日細い道だ。わたしの毎朝の散歩道だ。木陰になっている。昼でも薄暗い。カーブミラーが立っている。ポールは鉄製なのだろう。赤さびている。鏡もだれもクモリをふくものがいない。いつもよごれている。わたしが、路肩によって車をよけているのに。ドライバーは会釈もしない。「おジイャン。あれなに。ぽつんとたっているの」「カーブミラーだ。むかし、あそこで死傷事故あったのだ」車は平然とカーブをまがった。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてありがとうございます。お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。皆さんの応...超短編カーブミラー麻屋与志夫

  • 遠い夏の蝉しぐれ 麻屋与志夫

    9月29日金曜日今年は夏の終わりがしぶとくひきのばされた。朝の散歩のおり、墓地の角にあるカーブミラーのところでたたずむのが、いつのころからか習慣となっている。残暑がつづいているので、まだ山からは蝉の鳴き声がつづいている。80年前の夏わたしは鳥もち竿を手に蝉取りに熱中していた。鳥もちはお寺の参道の角の店で売っていた。いまは駐車場となっている。あのころはお寺の境内にも墓地にも自由に入って遊ぶことができた。木の枝にとまっている蝉にそっと竿の先をちかづける。あの高揚感はまだわたしの腕がおぼえている。いまでは不用意に空をみあげると目がくらみ転倒する恐れがある。それどころか脇目もできない。ともすればふらつきそうなからだを杖でささえて、物思いにものおもいにふけりながら歩いている。このあたりの田圃には冬になると農家の人が...遠い夏の蝉しぐれ麻屋与志夫

  • わが家のルナちゃん。麻屋与志夫

    9月28日木曜日ルナはかわいい。アメリカンショートヘアーの♀レッドダビイ。そもそもこの種の猫はぺっとにはふむきである。とわたしてきにはおもう。鼻づらを床につけて現れないネズミを仮想してかぎまわっている。いや一匹ねずみをとったことがある。だがたべない。狩ることが目的で、食べることではないらしい。ハンターなのだ。だっこはきらい。すりすりもしない。まったくブアイソな猫だ。注意深く知らない客が門扉を開ける音で、ソファのしたにもぐりこんでしまう。「ルナ、ルナと」いくらよんでも返事をしない。家中さがした。いまでは、まずソファの下を探す。だが、あたまのよさは抜群。夜の9時くらいになると、わたしたちが、手がすき遊んでもらえるのを知っている。昨夜は、ルナの抜け毛を丸めてボールにしたのをどこからか探してきた。妻に遊びましょう...わが家のルナちゃん。麻屋与志夫

  • 感傷の秋。昔のことを思い出しています 麻屋与志夫

    9月27日水曜日読書の秋ですね。読書というのは週刊誌、雑誌レベルは読書とはいわない。などとお堅いことを先輩に言われた時代にGGは文学を志したのですよ。そんなこと今となっては、アナクロもいいところですよね。ともかく戦後の文芸復興の時代です。文学はすごい人気でした。文学青年はすごくもてました。でも、でもね。いまとちがい女性のほうから告白してくれるなんてことありませんでした。だから内気なGGは結婚できないと思っていました。文学書をbookバンドで持ち歩いていました。都電の中でフランス語の原書を逆さまにもって読んでいる女性をよく見かけました。それほど文学に興味をもってくれました。太宰も三島も現役ばりばりで活躍していた時代です。純文学の時代でもありました。GGは北杜夫の「牧神の午後」が載っていた「文芸首都」昭和27...感傷の秋。昔のことを思い出しています麻屋与志夫

  • GGと彼女とでは体感温度が違う。 麻屋与志夫

    9月26日火曜日むかし産業文化会館の場内管理をしていた知りあいに聞いたことがある。若者だけの観衆と老人会では場内の温度調整がちがう。老人ばかりの時には、幾分高めにしなければならない。若者には熱気があるのだろう。風呂屋のオッチャン曰く。若い女の子が大勢入った後は、湯面が油でギトギトしてる。なんだか生々しい話ですね。さて、わたしはどうみても老人。自他共に許す老いぼれだ。「なに、どうしたのパパ。とっくりのセエタァの上に丸首のセエタァ重ねたの」なるほど彼女は夏の服装のまま。シャツ一枚だ。庭仕事からもどってきて、汗をかいている。昨日のこのブログの訪問者190。あまりのうれしさに今朝から小説を書いたり、このブログを書いたりしています。ただ心配になってきているのは。このままオッムのほうが老化したら???どうする麻屋のバ...GGと彼女とでは体感温度が違う。麻屋与志夫

  • 妻のベッドにミイラが…… 麻屋与志夫

    夜間尿。GGなので、三度は起きる。昨夜、二度目の尿をすませてもどる。と!!!!!。妻のベッドにミイラが横たわっていた。全身を白い布でおおわれ棺に横たわっている姿勢。どうみてもミイラだ。ここにあるのがまがいななくミイラだとしたら、妻はどこにいったのだ。一度目に、起きたときだ。天井にがさがさという音がしていた。ルナが上を見あげてうなっていた。黒い大きな羽のあるもの。わたしはコウモリではないかとおもってしまった。茜色の空をよく乱舞している。コウモリなら吸血鬼だ、と連想してしまう作家の悲しい性(サガ)だ。妻が噛まれた。赤い血をながした。とこのとき、むっくと……ミイラが起き上がった。妻だった。「今夜は寒いわね」とケロッとしている。上掛けを寒いので体にまきつけていたのだった。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで...妻のベッドにミイラが……麻屋与志夫

  • 見ているようで見ていない。 麻屋与志夫

    9月21日木曜日曇り見ているようで見ていない。わが家の前は細い路地だ。隣の家の塀にそってあるく。青い朝顔が路面に咲いている。杖をつき砂利道を転ばないように注意して進む。足元がおぼつかないのでいつも下をむいている。若いときはからだをそらし、遠くをみてあるいていたのに。ところが、今朝は雨が降りだしそうなので、部屋にいた。隣の家の庭をのぞいた。朝顔がみごとに庇の上の方まで咲き誇っている。青いカーテンが下がっているように見える。いつもうつむきかげんなので、上の風景がみえていなかったのだ。これは家の庭でのこと。数年前「ああ、この季節には萩の花が見事だろうな」「庭に咲いているのに、あなたた、よく見ていないのね」と妻に警告された。行き行きて倒れ伏すとも萩の原曽良の句がすきだ。萩の花は枝がふえて可憐な花を今年も咲かせてい...見ているようで見ていない。麻屋与志夫

  • Danny Boy 夏は過ぎ去り バラもみんな枯れ落ちる 麻屋与志夫

    9月18日月曜日敬老の日曇りThesummer'sgoneandalltherosesfallingアイルランドの民謡DannyBoyの一節だ。戦地に息子を送り、その帰りを待つ母親(または父親)の気持ちで書かれている。今年はとりわけ暑かった。いや酷暑はまだつづいている。妻が丹精込めて育成したバラの花々が被害をうけた。この暑さにたえきれずピンクや赤、白の花があまり咲かなかった。剪定したり、薬をかけたりした。暑さの中で園芸にいそしむには耐えられない歳に、彼女はなっている。こういう時だ。子どもたちのだれかが、一緒に残っていてくれたらと。かなえられない望みを夫婦で口にするのは。わたしは妻には残酷なようだがやがて廃園になってもいいと思っている。まずわたしたちがこれから生きぬくこと。それが、肝要だ。上記の歌詞の、子ど...DannyBoy夏は過ぎ去りバラもみんな枯れ落ちる麻屋与志夫

  • 「ルナがいない。ルナがいないのよ」麻屋与志夫

    9月14日木曜日「ルナがいない。ルナがいないのよ」妻はいつもこの時間にはルナと遊んでいる。ルナもゴロンと横になってベッドのわきの空間でまっている。いつもくりえされる儀式のようなものだ。ルナもこころえたもので、どこからかあらわれてゴロン。妻をまっている。わたしはこのところ西の端の書斎で仕事をしている。妻の声を遠く耳にした。「外に出たんじゃないか」「そんなことない。ぜんぶ戸締りしてある」ふたりで探した。いない。開いていた。サッシュの網戸が開いてあいていた。ついにルナも網戸に手をかけて開けることを覚えたのだ。妻は暗い庭に出て小声で「ルナ。ルナ。ドコにいるの」と呼んでいる。ルナどこからともなく、がわたしの足元にノッタリトよってきた。「室外機の上にいたのよ。わたしがダッコしようとしら、じふんぬけだした網戸のすきまか...「ルナがいない。ルナがいないのよ」麻屋与志夫

  • 古峰ヶ原の天狗の話 麻屋与志夫

    9月13日水曜日物忘れするようになった。今朝は眼鏡が見つからない。いつも置いておく枕元の棚にない。パソコンを打っている西の書斎にもない。あきらめていたら、妻が「あったよ」ともってきてくれた。「どこにあった」「天狗の本を見ていた。ところ、たまにはわたしが見つけてあげないとね」形勢逆転。物忘れしないのが自慢だったのになぁ。いつも物忘れする妻をこれでは笑えなくなった。昨夜、古峰ヶ原のことを調べるので、知切光歳著「天狗の研究」を本棚の前で読み、置き忘れのだ。記憶力がいいので自慢していたのに。これでは、自慢の鼻が折れた。柳田国男著「遠野物語」角川文庫。97ページにも古峰ヶ原の天狗の話が出ている。郷里のことがのっていると嬉しくなる。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブ...古峰ヶ原の天狗の話麻屋与志夫

  • あなたは彼氏のことを言葉で表現できますか。麻屋与志夫

    9月12日火曜日「ピクチャーは言葉よりすぐれている」昨日のブログのタイトルだ。物書きのわたしとしては反語的な意味で使ったつもりだ。本を読まない学生が増えている。そうしてその学生は親となり子どもを育てる。子どもは親よりもさらに本を読まない。こうした負のスパイラルがはじまっている。わたしの住む街では義務教育の過程で作文の時間がほとんどない。悲しいことだ。いずれにしても、言葉が失われていく。見たことを正確に表現できなくなってきた。あなたは彼女のことを言葉にすることができますか。彼氏のことを言葉で描写できますか。したがって、本が売れない。統計を見ないからはっきりしたことはわからない。言葉の重要性について考えてみてください。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで...あなたは彼氏のことを言葉で表現できますか。麻屋与志夫

  • ピクチャーは言葉よりすぐれている。麻屋与志夫

    10月11日月曜日木には枝が茂り枝には群葉がめばえ枝には花が咲き命をつぎの世代につなぐ実が実るなんの不思議があるだろうかあたりまえの庭のあたりまえのことがわたしを楽しませてくれる。今朝は妻が丹精こめてそだてているバラが一輪さいていた。薄いピンクの花びらがさわやかな秋の風にゆれている。美しいバラのピクチャーを載せることができないでざんねんだ。Thepenismightierthanthesword.というがこういうときには言葉よりもピクチャーの威力を感じてしまう。さいきんでは、メールのやりとりがさかんだ。ますますことばの力がうしなわれていく。ただたんに要件をつたえるだけで、まつたく深みがない。含蓄がない。生まれた時から、PCも携帯もあるZ世代はどんな渚にたどりつくのだろか。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムの...ピクチャーは言葉よりすぐれている。麻屋与志夫

  • 「どうする古沢良太」 麻屋与志夫

    9月10日日曜日日曜日は「どうする古沢良太」香取俊介の著書に「すべては脚本シナリオから始まる」がある。わたしが古沢良太というシナリオ作家をはじめて意識したのは「デート〜恋とはどんなものかしら〜」からだった。田舎にひきこもって、孤立無援。ただひとりで作品を書いているのでまったく何の情報もながれてこない。古沢良太という稀有な作家を知るのが遅すぎた。でも、彼の作品はテレビでほとんど観ていたことに気づきおどろいている。わたしはシナリオ研究所第四期の卒業生。北村篤子。松元力。官能小説家板坂康弘、麻屋与志夫(木村正一)。野口恭一郎(竹書房の創業者)を輩出している。ほかにも功成り名遂げている人がいるだろうが、情報不足で列挙できないで申し訳ない。さて、はじめにもどそう。ドラマはすべてシナリオからはじまる。まさに、そうなの...「どうする古沢良太」麻屋与志夫

  • 秋口はあまりむりをしないで 麻屋与志夫

    9月7日木曜日今朝は室温23℃。風もさわやかだった。ところが、体のほうは暑さがやわらぎホッとしたのだろう。だるい。妻と朝の散歩と洒落こんだが、5分であきらめて帰ってきた。玄関でルナが出迎えてくれた。というよりルナも外にでたいようす。上目づかいでわたしたちをみあげている。「ごめんな。パパはつかれていてるなとお庭で遊べないのだよ」とやまった。部屋にもどって二時間ほど寝た。去年の9、10月は下痢に悩まされて、さんざんだった。こんな形而下なことを書きもうしわけない。長生きするためには細心の注意を払わなければならないのだ。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら角川のbookwalkerーにも載っ...秋口はあまりむりをしないで麻屋与志夫

  • 妻との会話 麻屋与志夫

    9月6日水曜日夫婦生活は長い会話である。わたしがいちばんはじめに覚えたニーチェの至言だ。中学生のわたしには、夫婦生活はHな意味にしかとらえることができなかった。そこえ、このニーチェの至言である。なにがなんだか、さっぱりわからなかった。でも最も尊敬する哲学者ニーチェの言葉だ。ながくわたしの記憶にとどまった。結婚するなら、キレイナ声で話のできる女性がいいときめていた。妻とは65年も長い会話をしてきた。わたしの師匠保高徳蔵先生の住んでいた初台の駅近くの生まれの彼女。縁故疎開でわたしの街に住んでいたのでキレイナ東京弁。いまだに、彼女と話をするのがたのしい。とくに、散歩をしながら話をしていると目に映る事実とおもわれるものが、解釈のしかたによるとちがうのを発見できてたのしい。まさに、夫婦生活とは長い会話である。これか...妻との会話麻屋与志夫

  • 秋の気配のなかでひとり考えた 麻屋与志夫

    9月5日火曜日今朝は曇り。しばらくぶりで朝の散歩。とはいっても5分ほど。三日も歩いていないので筋肉が萎えてふらつく。毎日つづけて散歩しないとだめなんだなぁ、と思い知らされる。庭では秋海棠が咲きだした。この茎から花にかけていつもうつむきかげんのあどけない花がわたしはすきだ。妻が剪定ばさみで伸びすぎた蔓バラや藤の蔓を切っている音をききながらパソコンにむかっている。庭の緑が窓いっぱいに広がっている。コロナ疎開で田舎にとじこもったが、いまの歩行能力では東京に絵画の展覧会を観に行くのはもうむりだろうな。小説だけはまだ書ける。出来ることに精進するのみ。じぶんをじぶんで励まして、ただひとり小説を書き、これからののこりの人生を妻とともにたのしみながら生きていきたい。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができ...秋の気配のなかでひとり考えた麻屋与志夫

  • この歳になってひととのかかわり合いから解放された 麻屋与志夫

    9月3日日曜日「人間が復讐心から解放されること、これこそ、私にとっては最高の希望への架け橋、長い嵐のあとの虹である」ニーチェ復讐するにも相手はみんな黄泉の人。この歳まで生きてくれば邪魔をされて、苦境に立たされ恨んでいる人はいた。しかしいくら憎んでもどうしょうもない。ただ、彼らより長生きして、あいつもあれだけの人間だった。と見返してやればいい。そう思って生きてきた。いまでは、憎しみの感情からは解放されている。ありがたいことに、心のうちには虹がはっている。まいにち、楽しく小説を書いている。具体的なことは書きたくない。抽象的な文章になってしまった。すべての邪魔をされ苦境にたたされる原因は、ごく身近な人間の嫉妬心からでている。若いみなさんは嫉妬深い友だちを身近に置かないように注意してください。麻屋与志夫の小説は下...この歳になってひととのかかわり合いから解放された麻屋与志夫

  • 残暑御見舞い。 麻屋与志夫

    8月21日月曜日八月に入って初めての更新だ。酷暑。年寄りには、ほんと、酷すぎます。この暑さでは、外出はできません。そのうえ、なんたることか、パソコンがまたクラッシュ。仕方なく、手書きで原稿を書き進めた。一字一字かんがえながら書き進めることが出来る。それに文字を書くたのしさがある。若い時、書道にはげんだ。いまでも死期がせまったら竹林に草庵をかまえ墨をすりながらなにか後世に残るようなことばを書き残したいとおもっている。だが、このヘンチクリンナ願いは達成されそうにない。いい歳をして気宇壮大、バカですよね。この調子でいけば、パソコンも直ってきたことですし、500枚くらいの作品を三本完成できる予定で。作品の中で上記のはかない願望を達成する老爺の話を書く予定です。草庵に籠って竹林の涼風に身をゆだね老いていくなんて優雅...残暑御見舞い。麻屋与志夫

  • 庭のじめんが恐竜の鱗 麻屋与志夫

    7月28日金曜日連日35℃越えの炎暑がつづいている。うすく苔におおわれていた庭の地面はかわききっている。恐竜の鱗がはげたような形にひび割れてめくれあがっている。さすがに散歩にはでかけられない。アメショウのルナは三段重ねのケージの上。前足にあごをのせてくつろいだ姿勢でねむっている。「ルナ、かわいいね。かわいしね」と妻がくりかえしている。ルナはシッポをふってこたえている。わたしはパソコンを開いてぼんやりとしている。歳をとっせいか、暑さはあまり感じない。でも、からだがだるい。こんなに気力が衰えているのかと思うほどだ。動きがとれないのだ。PC画面上にちらばっている書きかけの小説をながめては吐息。これを全部完成するまで生きていられるだろうと、また吐息。はやく涼しくなるといいですね。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムの...庭のじめんが恐竜の鱗麻屋与志夫

  • 友だちの墓守の歌える 麻屋与志夫

    23友だちの墓守の歌えるぼくのまわりにいた友だちはみんなあの世に移住してしまったから大谷石の塀の上に頭をピコピコ出して訪れ門扉を開けいたかぁと声をはりあげるものはいなくなった寂びしいよ国会議員になった詩人は苦労がおおかったのだろうなこころざし半ば七十歳であの世に旅立った詩人になると最期までいっていたので作品は読ませてもらっていた最後までわけのわからない詩を書いて政治と詩で二刀流を貫き通したなにかと苦労がおおかったのだろうかわいそうにやりたいことはもっとあったろうそれを遂げられず他界した出版社の社長になった友だちは営利経済原理の世界では大成功を収めて軽井沢に別荘を買ったそうだが地政学的負の世界でいまだに売れない原稿を書いている昔の友だちのことなんかすっかりわすれてしまっているお盆に帰省しても電話一本かけてよ...友だちの墓守の歌える麻屋与志夫

  • 老いは引算の世界 麻屋与志夫

    7月20日木曜日額の傷はだいぶ良くなりました。傷はあまり長くガーゼなどで覆っておくより風にさらしたほうが治りが早い。そのとおりにしたところ、だいぶ乾いてきた。かさぶたになった。でもフルシチョフのような痣はのこるだろうな。昭和に人気のあった月形龍之介の旗本退屈男。この向こう傷が目に入らないか。となるでしょう。このところ、山際の西の部屋で午睡をとっている。いや、朝早く起きるので午前中から横にになることがある。老いは引き算の世界に身をおくことになる。いままで出来ていたことが日増しに無理となってくる。このごろ、家の中でもよろけるようになった。転んで怪我をしたことを脳がおぼえてしまったのだろうか。悲しくなる。わが家で一番元気なのはルナだ。あいかわらず家の中をすみずみまで狩りをしている。なかなか獲物に会えないのがかわ...老いは引算の世界麻屋与志夫

  • 山伏のやうな風体で街歩き 麻屋与志夫

    7月16日日曜日11日に額を割る怪我をした。急に雷雨に襲われた。べニマルからの帰りだ。わが家のすぐそばまできていたのに。よろけた。左手に傘。右手に杖。腕で受け身をとることはできなかった。砂利を敷いた大地に直接額をうちつけた。血が止まらない。血液をさらさらにする薬をのんでいるからだ。翌日。早くK病院。脳神経外科。CTをとった。いまのところ急性硬膜下出血はない。ただし4,5か月は要注意とのこと。まいった。まいった。額に山伏の頭襟(ときん)と見まがうようなカーゼーをはりつけた。錫杖(しゃくじょう)ならぬ杖をついて散歩している。いつなんどき、思わぬ災禍にみまわれるものだ。これで法螺貝を吹けば山伏さまだ、などと嘯いて街を散策していますら、ご心配なく。山伏のやうな風体で街歩き麻屋与志夫

  • きみと見し懸崖の桜咲きたるか

    7月15日土曜日夜半に起きてルナを探したが見つからない。このところ寝苦しい夜がつづいている。ルナは転々と涼しい寝床を探している。今夜は机の上に積み重ねてあるプラスチックの衣装ケースの上で寝ていた。これも寝そびれていた妻が探しあてた。わたしも目がさえてしまった。俳句を一句つくった。そのまま起きてしまった。きみと見し懸崖の桜咲きたるかルナがわたしのいないのを察知して、掘りごたつの部屋のほうに来ないかと、離れとの引き戸を広く開けて置く。ルナは高いとこで寝るのが好きだ。先祖が寝ている間に外敵におそわれるのを警戒した。それで木の枝に寝ていた習性が残のことってしるのか。きみと見し懸崖の桜咲きたるか

  • 野良猫のいなくなった街 麻屋与志夫

    23熟成そして腐乱熟成してしまった言葉はおうみごとに腐臭を放っている街のひとたちは清潔な白マスク詩人はせめてもの抵抗としてマスクを拒否して街を歩く腐臭を放つ言葉はあちこちの街角で放射状に拡散する寄生する生き物を求めてそのまま立ちつくす街角おう腐臭を猫の嗅覚ですくいあげろ波立つ車の背を飛び越えて街角に立ちつくす詩人の言葉に耳をかたむけろあなたたちが死滅させたこれは猫族の恨みの腐臭なのだ十数年前。まだヨーカ堂があったころ。駐車場の脇の広場には街ネコがたくさんいました。おなかにボーガンの矢。片足を切られた。尻尾の先がない。そうした猫虐待の被害にあった猫がたくさんいました。行政書士をしていた本田さんがこっそりひとめにふれないようにして餌をあたえていました。いまは旧市内では街ネコをほとんど見なくなりました。めずらし...野良猫のいなくなった街麻屋与志夫

  • ルナが追う抜け毛まるめし毛玉追う 麻屋与志夫

    7月7日金曜日今日は七夕ですね。いままでに生活を共にしてきた猫たちが会いに来てくれた夢を見た。ご先祖様が会いに来てくれるのはお盆です。猫たちはロマンチックです。七夕に会いにきてくれます。俳句です。折りとりて河原のすすき猫じゃらし卒寿すぎ卒業こばむ炎暑かな折りとりしススキで猫を釣る夜長ルナが追う抜け毛まるめし毛玉追うルナが追う抜け毛まるめし毛玉追う麻屋与志夫

  • おもいでのリリのピクチャー

    おもいでのリリのピクチャー

  • 野良猫をかえせ ぼくの街を返してください 麻屋与志夫

    22野良猫をかえせ。もし言葉が息からうまれるなら息が呼吸のためだけとなっていないなら街にむかって剣のように鋭い言葉をなげかけよう目の前に浮かぶ街の形態のゆがみ具合を見るにつけ土地のかけらを新しく光って古びることのない家を手にいれるためぼくらの時代にはまだ生きていたハッサン、熊さん、与太郎はどこにもいない生息できなくなった介護施設に預けられもう息ができなくなった失われた彼らのかけらを探しかれらを求めてさまよう街は重く暗いこんなはずではなかったこんな故郷の街に移住するはずではなかった野良猫一匹いない街街はみように明るくダダッピロイ野良猫を探してこいハッサン、熊さん、与太郎を連れてこい見えるのが見えなくなったGGはすっかり黄昏た街そんな街を拒んで街角に立つあまりに辛すぎる惨すぎるこんなことなら帰省しなければよ...野良猫をかえせぼくの街を返してください麻屋与志夫

  • 歩けることの幸福、外猫来訪のしあわせる。 麻屋与志夫

    7月1日土曜日小雨雨の合間に散歩にでた。教会の尖塔十字架の天辺でカラスが鳴いていた。G病院の車寄せは送迎のタクシー、養護施設のワンボックスカー、自家用車でいっぱいだった。車道まではみだしていた。病院の窓からは入院患者が窓へばりつくようにしてこちらを見ていた。あの階は介護が必要な老人ばかりが入院している階だ。何年か前に、姉がお世話になっていた階だ。元気に働けたときのことを回想してみんなまどから街を見下ろしているのだ。帰ってみるとデッキに置いた外猫の餌皿が空っぽになっていた。わぁいわぁい。あの黒白ぶちの子猫がたべていったのだ。あれからずっと餌皿はやってこない外猫をまっていたのだ。このところブチちゃんの姿を妻が見ている。もっともっとなれてくれるといいのにな。歩けることの幸福、外猫来訪のしあわせる。麻屋与志夫

  • 21ピテカントロプス・エレクトス 麻屋与志夫

    21ピテカントロプス・エレクトスひとは歩くことによって人となっただとしたら悲惨の発疹がふきだすのを覚悟で告白する歩くことのできなくなったわたしはもう人ではないことは明白だ二足歩行でなくてもいい転ばぬ先の杖をついて街を歩け直立猿人の矜持にかけても歩けPithecanthropusエレクトスエレクトしなくなった股間の休息したままで茫洋と垂れさがったイチモツを風もないのに派手やかにゆらしながら街を歩け折節の翳りのなかから浮かび上がる恋人にならなかった恋人の女どもよ笑ってたもれまだまだおいらは生きているよ注名実ともに北斎画人を歳だけはこの六月で超えました。GGは今度は熊谷守一画伯を目指して生きていく所存です。画伯は九七歳まで生きていました。青木繁と上野の芸大で同期。本当なのだろうか。GGは今だ学成りがたし。麻屋与...21ピテカントロプス・エレクトス麻屋与志夫

  • 『愛猫リリに捧げる哀歌』 麻屋与志夫

    6月24日土曜日ルナがアンモナイトのように丸くなって寝ている。妻のベッドの足元に無防備に、ということは安心しきって寝ているのだ。そもそもネコは餌とトイレの始末をしてくれるひとを母猫とおもいこむ。かれこれ半世紀も猫と同棲している。息子が森山会館のまえでチャトラの子ネコをひろってきたのが初代のミューだ。そのころ妻は猫にふれることができなかった。あのむくむくして呼吸しているネコが怖くてさわれなかった。いまではルナにふれていると熟睡できるというのだ。ルナと妻と平和に寝ている姿がわたしをしんみりとした感情にみちびく。平和だなぁねと感じるのだ。ななにもない。なにも起きない。まいにち同じような日がつづく。これでいいのだ。三代目リリ、たった四年の短い命。リリをうしなった悲しみは、妻とわたしの合作。『愛猫リリに捧げる哀歌』...『愛猫リリに捧げる哀歌』麻屋与志夫

  • 毛玉を子ネコのうに思っているのかな。麻屋与志夫

    6月23日金曜日このところルナも衣替えの季節だ。ブラッシングしてやる>すごく毛が抜ける。ひとまわり小さくなったようにみえる。抜けた毛をボールに妻が丸めた。ふんわりとしたピンポンボールほどの大きさ。投げてやると両手でうけとめる。うまいものだ。そのジャンプした時の躍動感が、さすがだ。いかにもハンターらしい。ともかく飛んでいるトンボや蝶をつかまえてしまうルナだ。ルナは毛玉ボールをまるで子ネコをくわえて移動させる母猫の動作でもちあるいている。そして、部屋の隅にかくしてしまう。ときおり、水のみ皿のなかに、ポトンと落としたりする。毛玉だから沈まない。水もふくまない。でも、どうして水のなに入れるのだろう。まるで子猫に水のみ場を教えているようにわたしには見える。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます...毛玉を子ネコのうに思っているのかな。麻屋与志夫

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