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田舎住まい https://blog.goo.ne.jp/onime_001

吸血鬼テーマーの怪奇伝奇小説を書いています。田舎ではスローライフをたのしんでいます。

ソニー・ロリンズは三度カムバックしたといわれています。 アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」の二人をめざしています。 ということはだいぶ歳もくたびれていますが、精神には衰えはありません。 なにせ吸血鬼作家ですから。 よろしくご愛読のほど。ズズイットおねがいします

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2007/08/13

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  • 笑ってください。売れない小説をまだ書いています。麻屋与志夫

    1月30日火曜日あそこまで歩けば陽があたる。いつもの散歩道。さすがに大寒、日陰は寒い。幸いこのところ日光颪は吹かない。風で体感温度を奪われることはないが、日陰に入るとぶるっとふるえる。衣服をもっと着ればればいいのだろうが。すでに六枚重ねている。こんな寒がりになるとはおもわなかった。お日さまのありがたみをつくづく感じているGGだ。陽のあたる道に到達した。温かい。太陽の恵み。エアコンのあたたかさとはまったくちがう。やわらかな、やさしく全身をつつみこんでくれるようなあたたかさだ。こんなことは若い時は感じなかった。しばらく道端の石塀によりかかって日光浴をしていると「おけげんきですね」と近所の人に声をかけられた。杖をつくようになってからは、まわりのひとがやたらとやさしくなった。散歩にでるいがいはは、ひたすら書斎にこ...笑ってください。売れない小説をまだ書いています。麻屋与志夫

  • 日光お化け地蔵 麻屋与志夫

    6月19日木曜日鬱蒼と茂った杉木立の影になっていた。お化け地蔵は山裾にひっそりと並んでいる。青い苔が一面に生えた古仏は赤いヨダレかけをしていた。杉の梢越しに射しこむ秋の光が並んだ地蔵の膝のあたりにかろうじて照り映えていた。あの頃とまったくかわっていなかった。思いでの憾満ヶ淵では、悠久の時間が流れていて、人の生きる時間などなにほどのこともなかった。あの頃、東京オリンピックの時代といっていいかもしれない。沼尾潔はこのお化け地蔵をなんどか訪れていた。「あかちゃんがうまれたら、赤いヨダレかけをこのいちばん端のお地蔵さんにかけるの」「そういう風習があるんだ……」「この土地にはないわ。わたしがはじめるの」並び地蔵といわれるだけあって七十体くらいはあるのではないか。潔はそう思った。日光の老舗旅館の一人娘、安西玲子はお腹...日光お化け地蔵麻屋与志夫

  • 夢見るGGの夢占い38 記憶を美化してますね。麻屋与志夫

    1月20日土曜日いつもにように路地で迷子になった夢をみている夢をみた。これは夢の世界だ。なにもそんなにシリアスになることはないよ。と夢のなかで迷子になっているじぶんに声をかけている。ふいに時間が飛んで旧制中学生になっている。いつもの通学路。いつもの先輩と路地を歩いている。わたしより二級上級生。上沢の博チャン、懐かしいな。益子さん。この路地の先に住んでいる恩田さん。狭い路地をぬけると『小薮川』。まだ現在のように改修工事がもちろんおこなわれていない。流れも速く水量もほうふだ。恩田さんが道端でまっていた。今でも、このあたりはむかしの路地裏の雰囲気を残しているよな。と博ちゃんにタメ口をきいているわたしがおかしかった。もっともヒロチャンは四〇代で早逝しているから、九〇さいになるわたしの意識が夢の中に溶けこんでしまっ...夢見るGGの夢占い38記憶を美化してますね。麻屋与志夫

  • 「ブギウギ」小夜ちゃんが手にした「日米會話手帳」で英語の勉強を始めた。麻屋与志夫

    1月9日火曜日室温3℃寒かった。懐かしいものを見た。「ブギウギ」で「日米會話手帳」がでていた。わたしは英語勉強の戦後の第一期生だ。英語の勉強についてはさまざまなおもいでがある。それを書きだすといくら長生きしてもきりがないのでやめておく。箇条書きにしておく。1旧制中学には英語の先生がいなかった。日光で外人相手に米語の発音を習ったわたしはいつもその先生に叱られていた。英語を教えてくれてはいたが。他の教科の先生だった。2戦争少年だった。負けたのがくやしかった。小夜ちゃんのように「ギブミィチョコレイト」とは言ったことがない。言ったことはないが、東照宮の周りを拙い英語で説明して歩きお礼に金谷ホテルのランチをごちそうになった。プレゼントとしていろいろいただいた。3神宮にあった「津田英語会」?で一色先生の授業をうけた。...「ブギウギ」小夜ちゃんが手にした「日米會話手帳」で英語の勉強を始めた。麻屋与志夫

  • わが家から見える場所に『宮崎駿』さんのご家族が住んでいた。 麻屋与志夫

    令和6年ブログ2024明けましておめでとう。この歳まで生きてこられたことに感謝。家族、とくにいつもそばにいて、わたしと伴走してくれている妻。ありがとう。最近、隣近所のひとや、街のひとがこのGGにとみにしんせつにしてくれる。うれしい。みなさんの励ましを背に今日も街歩きをつづけようと思っている。坂田山団地に向ういつもの散歩コース。市役所の北の端と御殿山病院。ここには昔、山本別荘があった、と記憶していた。ところが最近、ネットサーフィンをしていて知った。終戦前後に、『宮崎駿』さんの家族が住んでいたというのだ。もっとも駿さんは就学年齢にはたっしていなかったろう。なにかこの場所の記憶があればうれしいのだが。鍵山といまの御殿山公園にかこまれていたこの場所は。うっそうと茂る樹木に、取り囲まれていた。6年生だったわたしの遊...わが家から見える場所に『宮崎駿』さんのご家族が住んでいた。麻屋与志夫

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