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田舎住まい https://blog.goo.ne.jp/onime_001

吸血鬼テーマーの怪奇伝奇小説を書いています。田舎ではスローライフをたのしんでいます。

ソニー・ロリンズは三度カムバックしたといわれています。 アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」の二人をめざしています。 ということはだいぶ歳もくたびれていますが、精神には衰えはありません。 なにせ吸血鬼作家ですから。 よろしくご愛読のほど。ズズイットおねがいします

オニメ
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2007/08/13

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  • これって『随筆』? 麻屋与志夫

    12月29日金曜日これって『随筆』として読まれるだろうか、教えて下さい。麻屋与志夫2018-12-0615:52:03 ブログ12月6日Thu.りり、どこにいるの「リリに、餌はやらないほうがいいのかな」「どうかしら?不妊手術だから」わたしはリリの餌皿をタンスの上に置いた。「抱っこしていきましょう」カミサンは毛布を用意してきていた。リリは不安そうに、でも「ンン」とカミサンのかおを見上げて鳴いた。リリはなぜかニャオと猫の鳴き声が出ない。生後三月ぐらいで、わが家の玄関に迷いこんで来た。「ごめんな。パパに働きがあれば何匹でも赤ちゃん産んでいいのに」カミサンはリリにほほを寄せて歩きだした。大通りの方ですごい騒音が高鳴る。道路工事をしていた。トラックが警笛を鳴らした。カミサンが悲鳴をあげた。リリが車道にとびだした。ト...これって『随筆』?麻屋与志夫

  • デキチャッタ飼い猫 ・麻屋与志夫

    デキチャッタ飼い猫・・・・・・・・・・・・・・・・・・麻屋与志夫ミュに死なれたとき、もう……猫を飼うのはやめるつもりだった。飼い猫に死なれるのがこれほど悲しく辛いとは思っていなかった。人間の年齢にすると、ミュは、おそらく九十歳を越えるオバアチャン猫だった。わたしの膝の上でつつましく死んでいった。最後に弱々しい息をして……しだいに冷たくなっていくミュを抱えたままわたしは、涙を流していた。やせほそって骨と皮だけになっていた。それでも昨夜まで二階の書斎までのぼってきた。わたしの寝床にもぐりこんですやすやと寝息をたてて寝ていた。ところが、黒い縞のある迷い猫を飼うことになってしまった。この猫はミュが元気だったころから、なかば飼い猫としてわが家にではいりしていた。ある凍てつく夜、二階の書斎に寝ていたわたしは小さな音で...デキチャッタ飼い猫・麻屋与志夫

  • 来年こそ新作と取り組むぞ。麻屋与志夫

    12月28日木曜日室温4℃暮れもおしつまって来た。今年は、取り立てて病気らしい病気もしなかった。ただ足腰が衰えてきたのが、心細い。朝六時起床。いつもの朝のようにほうじ茶を熱湯をそそいで飲む。直ぐ飲むわけではない。まず匂いをたのしむ。このひとときがかぎりなくいとおしい。血圧が高いので夜分に不足がちだった水分を補う実利的な意味もある。この朝の儀式はかかしたことがない。小説のほうは新作にはとりくめなかった。旧作に手入れをした。新作に来年こそはとりくみたい。周囲からは反対されている。もう新しいことはしなくていい。ご苦労様でした、という歳なのよ。なにぬかす。まだ、まだ、これからだ。すきなことをヤラセテもらえないなら。ガン箱のなかにパソコンもちこむぞ。地獄にいっても書きつづける。もっとも、おれは――ここは地獄。ここで...来年こそ新作と取り組むぞ。麻屋与志夫

  • 涎をたらすよになったら 麻屋与志夫

    12月19日金曜日室温三℃しばらくぶりで詩です。涎をたらすようになったらさむいからだがふるえているからだがふるえているからさむいのだ室温零℃ああ、やはりさむいわけだ温度計などなくさむさをあらわす数値がなかったらさむさはさむいという感覚で察知したのだろうさむいということばもないむかしにはただふるえていたのだろうテレビである高原で凍死した人間が発掘されたと報じていたなん百万年か時を遡行すればこのちほうはいまよりずっとさむかつたのだろうお年寄りの集うある「詩の会」で発言したことがあった涎をたらすようになったら詩をかきますぜひおたくの雑誌にのせてください誤解されたろうな抒情詩ばかりかいている彼らへの反発発言だひとは欲情しなくなったら感傷も抒情とも無関係になるべきだ女性の男性美もBeautyisonlyskinde...涎をたらすよになったら麻屋与志夫

  • ひさしぶりの俳句です。麻屋与志夫

    12月13日枯れ山は竹ばかりなり風の鳴る寒風にこの木なんの木天をつくしらじらと心療内科のみ風渡る木枯らしに座り向き合うベンチかな寒風になにが足りないわが発句古民家を重機でならし曼殊沙華彼岸花のこして重機は風の中なにをするひとりごたつの老婆の手わたしは夜半に目がさえて眠れないことがある。昼間体を使わないからだろう。しかたないから、寝床で俳句をつくる。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてありがとうございます。お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。皆さんの応援でがんばっています。ひさしぶりの俳句です。麻屋与志夫

  • 日本作家クラブ随筆賞受賞作品「蛸壷」麻屋与志夫

    12月12日火曜日日本作家クラブ随筆賞受賞作品「蛸壷」明石は「人麻呂神社」の前に小さな句碑があった。震災後のことで、ゆがみや凹凸のはなはだしい石畳の参道の脇に立っていた。丸っぽい自然石に夏の日が照りつけていた。蝉の声もする。向こうに倒れかけた山門がみえる。天災にたいしていかに人の世が無防備であるか、脆弱なものであるかをおもいしらされた。句は、蛸壷やはかなき夢を夏の月と読めた。そういえば、芭蕉、「笈の小文」の旅の西の極みがこの明石であった。淡路島が明石の海の彼方、いがいと近くにみえていた。夏の温気のなかで霞み夢幻泡影の感懐をもたらす。橋をかける工事がなされていた。そのためか、わびさびの感銘にはいたらなかったが、海青色の波のきらめきがまさに夢幻の趣をそえていた。半世紀も昔のこと、戦争が終わり野州麻が軍の納品か...日本作家クラブ随筆賞受賞作品「蛸壷」麻屋与志夫

  • 妻に同伴。「娘さんと一緒でいいですね」麻屋与志夫

    12月8日金曜日裏の勝手口からゴミ袋を集積所にだした。帰りは玄関のほうからはいった。ふとみるとオレンジ色のタンクが五個ほどならんでいる。その上にさらに色濃い楕円形の烏瓜がむぞうさにのせてあった。「今年は烏瓜は、生らなかったな」「猛暑がつづいたから、薔薇もあまり咲かなかったわ」妻の関心はもっぱらバラにある。バラが命の妻だ。カイガラムシが大量発生。どうやら、かわいそうだが、バラは、いやバラだけではない。そろそろ園芸はあきらめなくてはならない年齢にたっしているのだ。妻にはそれがまだ納得できない。年寄り、はるかに、若見えの妻だ。まだ実年齢を認めるわけにはいかない。同年齢の友だちは――。足がおもうようにいかなくなったり。腰を曲げたりして歩いている。老人ホームに入っているひともいる。それがどうしたことだ。妻はリュック...妻に同伴。「娘さんと一緒でいいですね」麻屋与志夫

  • 父セェター 麻屋与志夫

    12月5日火曜日室温5℃本格的に冬将軍の到来だ。父の着ていた緑色のセェターを箪笥の奥の方から取りだした。暖かい。驚くほと暖かい。そこで考えた。裏起毛とか、いろいろとCMがテレビからいやでも伝わってくる。最近では、パソコンにまでふいにCMがはいる。それはいいのだが、ブログなどに、うかつな言葉を使えない。わたしは小説家だが、GGなので現地取材はもうでかけられない。PCでほとんど調べる。たいがいのことは、それですむ。あたたかなホリゴタツにいてすましてしまう。ことたりる。ところが困ったことも突発する。過日、中上や半村などの先生方と飲んだくれていた。歌舞伎町のゴールデン街のことを調べた。あらあらとんでもないことがおきた。風俗店のお誘いのド派手なCM。モウ、おどろいたなぁ。この調子でいくと。キーワードでこのような操作...父セェター麻屋与志夫

  • 『カンカラコモデケア』聞いたことがありますか?

    12月2日土曜日室温8℃『カンカラコモデケア』聞いたことがありますか?歌ではありません。わたしにとっては、呪文のようなものです。文章を書くのに迷ったときに。わたしはいつもこころのなかでとなえます。『カンカラコモデケア』『カンカラコモデケア』すると――。暗い迷いの世界から、バラ色の世界に転移できます。文章を書くのがたのしくなります。山崎宗次著光文社刊。『カンカラ作文術』からの引用です。文章を書く極意がわかります。素晴らしい教えが各ページで輝いています。カン……感動カラ……カラフルコ……今日性モ……物語性デ……データケ……決意ア……明るさ上記のことをもりこんで、あるいは意識して、文章を書くことが大切だといことです。あとは実際にこの本を読んでください。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます...『カンカラコモデケア』聞いたことがありますか?

  • 散歩半ばでひきかえす。麻屋与志夫

    12月1日金曜日きのうは、昼頃散歩に出た。いつもはこの町では午後になると男体颪が吹きだす。ところがすでに北風が吹きだしていた。風さえ吹かなければ陽だまりは暖かなのに。弁天さんのところで引き返すことにした。池では親亀の上に子亀子亀の上に孫亀。といった光景が見られた。なにしろあんなに厚い甲羅だ。風など気にしているふうではない。のんびりと甲羅をほしていた。鶴は千年、亀は万年という。わたしは子供の頃、花市で買った亀をペットとしていた。この池に、しばらくしてから奉納した。いまでも生きているだろうかなどと、妄想をたくましくしながら、眺めていると楽しい。同級生の男子はわたしの知る限りでは皆亡くなってしまった。寂しいものだ。そんなことを考えながら木枯らしの中、家にもどった。玄関の引き戸を勢い良く開けた。レールからはずれて...散歩半ばでひきかえす。麻屋与志夫

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