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田舎住まい https://blog.goo.ne.jp/onime_001

吸血鬼テーマーの怪奇伝奇小説を書いています。田舎ではスローライフをたのしんでいます。

ソニー・ロリンズは三度カムバックしたといわれています。 アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」の二人をめざしています。 ということはだいぶ歳もくたびれていますが、精神には衰えはありません。 なにせ吸血鬼作家ですから。 よろしくご愛読のほど。ズズイットおねがいします

オニメ
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2007/08/13

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  • 超短編 カーブミラー 麻屋与志夫

    9月30日土曜日細い道だ。わたしの毎朝の散歩道だ。木陰になっている。昼でも薄暗い。カーブミラーが立っている。ポールは鉄製なのだろう。赤さびている。鏡もだれもクモリをふくものがいない。いつもよごれている。わたしが、路肩によって車をよけているのに。ドライバーは会釈もしない。「おジイャン。あれなに。ぽつんとたっているの」「カーブミラーだ。むかし、あそこで死傷事故あったのだ」車は平然とカーブをまがった。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら●角川のbookwalkerーにも載っています。今日も遊びに来てくれてありがとうございます。お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。皆さんの応...超短編カーブミラー麻屋与志夫

  • 遠い夏の蝉しぐれ 麻屋与志夫

    9月29日金曜日今年は夏の終わりがしぶとくひきのばされた。朝の散歩のおり、墓地の角にあるカーブミラーのところでたたずむのが、いつのころからか習慣となっている。残暑がつづいているので、まだ山からは蝉の鳴き声がつづいている。80年前の夏わたしは鳥もち竿を手に蝉取りに熱中していた。鳥もちはお寺の参道の角の店で売っていた。いまは駐車場となっている。あのころはお寺の境内にも墓地にも自由に入って遊ぶことができた。木の枝にとまっている蝉にそっと竿の先をちかづける。あの高揚感はまだわたしの腕がおぼえている。いまでは不用意に空をみあげると目がくらみ転倒する恐れがある。それどころか脇目もできない。ともすればふらつきそうなからだを杖でささえて、物思いにものおもいにふけりながら歩いている。このあたりの田圃には冬になると農家の人が...遠い夏の蝉しぐれ麻屋与志夫

  • わが家のルナちゃん。麻屋与志夫

    9月28日木曜日ルナはかわいい。アメリカンショートヘアーの♀レッドダビイ。そもそもこの種の猫はぺっとにはふむきである。とわたしてきにはおもう。鼻づらを床につけて現れないネズミを仮想してかぎまわっている。いや一匹ねずみをとったことがある。だがたべない。狩ることが目的で、食べることではないらしい。ハンターなのだ。だっこはきらい。すりすりもしない。まったくブアイソな猫だ。注意深く知らない客が門扉を開ける音で、ソファのしたにもぐりこんでしまう。「ルナ、ルナと」いくらよんでも返事をしない。家中さがした。いまでは、まずソファの下を探す。だが、あたまのよさは抜群。夜の9時くらいになると、わたしたちが、手がすき遊んでもらえるのを知っている。昨夜は、ルナの抜け毛を丸めてボールにしたのをどこからか探してきた。妻に遊びましょう...わが家のルナちゃん。麻屋与志夫

  • 感傷の秋。昔のことを思い出しています 麻屋与志夫

    9月27日水曜日読書の秋ですね。読書というのは週刊誌、雑誌レベルは読書とはいわない。などとお堅いことを先輩に言われた時代にGGは文学を志したのですよ。そんなこと今となっては、アナクロもいいところですよね。ともかく戦後の文芸復興の時代です。文学はすごい人気でした。文学青年はすごくもてました。でも、でもね。いまとちがい女性のほうから告白してくれるなんてことありませんでした。だから内気なGGは結婚できないと思っていました。文学書をbookバンドで持ち歩いていました。都電の中でフランス語の原書を逆さまにもって読んでいる女性をよく見かけました。それほど文学に興味をもってくれました。太宰も三島も現役ばりばりで活躍していた時代です。純文学の時代でもありました。GGは北杜夫の「牧神の午後」が載っていた「文芸首都」昭和27...感傷の秋。昔のことを思い出しています麻屋与志夫

  • GGと彼女とでは体感温度が違う。 麻屋与志夫

    9月26日火曜日むかし産業文化会館の場内管理をしていた知りあいに聞いたことがある。若者だけの観衆と老人会では場内の温度調整がちがう。老人ばかりの時には、幾分高めにしなければならない。若者には熱気があるのだろう。風呂屋のオッチャン曰く。若い女の子が大勢入った後は、湯面が油でギトギトしてる。なんだか生々しい話ですね。さて、わたしはどうみても老人。自他共に許す老いぼれだ。「なに、どうしたのパパ。とっくりのセエタァの上に丸首のセエタァ重ねたの」なるほど彼女は夏の服装のまま。シャツ一枚だ。庭仕事からもどってきて、汗をかいている。昨日のこのブログの訪問者190。あまりのうれしさに今朝から小説を書いたり、このブログを書いたりしています。ただ心配になってきているのは。このままオッムのほうが老化したら???どうする麻屋のバ...GGと彼女とでは体感温度が違う。麻屋与志夫

  • 妻のベッドにミイラが…… 麻屋与志夫

    夜間尿。GGなので、三度は起きる。昨夜、二度目の尿をすませてもどる。と!!!!!。妻のベッドにミイラが横たわっていた。全身を白い布でおおわれ棺に横たわっている姿勢。どうみてもミイラだ。ここにあるのがまがいななくミイラだとしたら、妻はどこにいったのだ。一度目に、起きたときだ。天井にがさがさという音がしていた。ルナが上を見あげてうなっていた。黒い大きな羽のあるもの。わたしはコウモリではないかとおもってしまった。茜色の空をよく乱舞している。コウモリなら吸血鬼だ、と連想してしまう作家の悲しい性(サガ)だ。妻が噛まれた。赤い血をながした。とこのとき、むっくと……ミイラが起き上がった。妻だった。「今夜は寒いわね」とケロッとしている。上掛けを寒いので体にまきつけていたのだった。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで...妻のベッドにミイラが……麻屋与志夫

  • 見ているようで見ていない。 麻屋与志夫

    9月21日木曜日曇り見ているようで見ていない。わが家の前は細い路地だ。隣の家の塀にそってあるく。青い朝顔が路面に咲いている。杖をつき砂利道を転ばないように注意して進む。足元がおぼつかないのでいつも下をむいている。若いときはからだをそらし、遠くをみてあるいていたのに。ところが、今朝は雨が降りだしそうなので、部屋にいた。隣の家の庭をのぞいた。朝顔がみごとに庇の上の方まで咲き誇っている。青いカーテンが下がっているように見える。いつもうつむきかげんなので、上の風景がみえていなかったのだ。これは家の庭でのこと。数年前「ああ、この季節には萩の花が見事だろうな」「庭に咲いているのに、あなたた、よく見ていないのね」と妻に警告された。行き行きて倒れ伏すとも萩の原曽良の句がすきだ。萩の花は枝がふえて可憐な花を今年も咲かせてい...見ているようで見ていない。麻屋与志夫

  • Danny Boy 夏は過ぎ去り バラもみんな枯れ落ちる 麻屋与志夫

    9月18日月曜日敬老の日曇りThesummer'sgoneandalltherosesfallingアイルランドの民謡DannyBoyの一節だ。戦地に息子を送り、その帰りを待つ母親(または父親)の気持ちで書かれている。今年はとりわけ暑かった。いや酷暑はまだつづいている。妻が丹精込めて育成したバラの花々が被害をうけた。この暑さにたえきれずピンクや赤、白の花があまり咲かなかった。剪定したり、薬をかけたりした。暑さの中で園芸にいそしむには耐えられない歳に、彼女はなっている。こういう時だ。子どもたちのだれかが、一緒に残っていてくれたらと。かなえられない望みを夫婦で口にするのは。わたしは妻には残酷なようだがやがて廃園になってもいいと思っている。まずわたしたちがこれから生きぬくこと。それが、肝要だ。上記の歌詞の、子ど...DannyBoy夏は過ぎ去りバラもみんな枯れ落ちる麻屋与志夫

  • 「ルナがいない。ルナがいないのよ」麻屋与志夫

    9月14日木曜日「ルナがいない。ルナがいないのよ」妻はいつもこの時間にはルナと遊んでいる。ルナもゴロンと横になってベッドのわきの空間でまっている。いつもくりえされる儀式のようなものだ。ルナもこころえたもので、どこからかあらわれてゴロン。妻をまっている。わたしはこのところ西の端の書斎で仕事をしている。妻の声を遠く耳にした。「外に出たんじゃないか」「そんなことない。ぜんぶ戸締りしてある」ふたりで探した。いない。開いていた。サッシュの網戸が開いてあいていた。ついにルナも網戸に手をかけて開けることを覚えたのだ。妻は暗い庭に出て小声で「ルナ。ルナ。ドコにいるの」と呼んでいる。ルナどこからともなく、がわたしの足元にノッタリトよってきた。「室外機の上にいたのよ。わたしがダッコしようとしら、じふんぬけだした網戸のすきまか...「ルナがいない。ルナがいないのよ」麻屋与志夫

  • 古峰ヶ原の天狗の話 麻屋与志夫

    9月13日水曜日物忘れするようになった。今朝は眼鏡が見つからない。いつも置いておく枕元の棚にない。パソコンを打っている西の書斎にもない。あきらめていたら、妻が「あったよ」ともってきてくれた。「どこにあった」「天狗の本を見ていた。ところ、たまにはわたしが見つけてあげないとね」形勢逆転。物忘れしないのが自慢だったのになぁ。いつも物忘れする妻をこれでは笑えなくなった。昨夜、古峰ヶ原のことを調べるので、知切光歳著「天狗の研究」を本棚の前で読み、置き忘れのだ。記憶力がいいので自慢していたのに。これでは、自慢の鼻が折れた。柳田国男著「遠野物語」角川文庫。97ページにも古峰ヶ原の天狗の話が出ている。郷里のことがのっていると嬉しくなる。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブ...古峰ヶ原の天狗の話麻屋与志夫

  • あなたは彼氏のことを言葉で表現できますか。麻屋与志夫

    9月12日火曜日「ピクチャーは言葉よりすぐれている」昨日のブログのタイトルだ。物書きのわたしとしては反語的な意味で使ったつもりだ。本を読まない学生が増えている。そうしてその学生は親となり子どもを育てる。子どもは親よりもさらに本を読まない。こうした負のスパイラルがはじまっている。わたしの住む街では義務教育の過程で作文の時間がほとんどない。悲しいことだ。いずれにしても、言葉が失われていく。見たことを正確に表現できなくなってきた。あなたは彼女のことを言葉にすることができますか。彼氏のことを言葉で描写できますか。したがって、本が売れない。統計を見ないからはっきりしたことはわからない。言葉の重要性について考えてみてください。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで...あなたは彼氏のことを言葉で表現できますか。麻屋与志夫

  • ピクチャーは言葉よりすぐれている。麻屋与志夫

    10月11日月曜日木には枝が茂り枝には群葉がめばえ枝には花が咲き命をつぎの世代につなぐ実が実るなんの不思議があるだろうかあたりまえの庭のあたりまえのことがわたしを楽しませてくれる。今朝は妻が丹精こめてそだてているバラが一輪さいていた。薄いピンクの花びらがさわやかな秋の風にゆれている。美しいバラのピクチャーを載せることができないでざんねんだ。Thepenismightierthanthesword.というがこういうときには言葉よりもピクチャーの威力を感じてしまう。さいきんでは、メールのやりとりがさかんだ。ますますことばの力がうしなわれていく。ただたんに要件をつたえるだけで、まつたく深みがない。含蓄がない。生まれた時から、PCも携帯もあるZ世代はどんな渚にたどりつくのだろか。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムの...ピクチャーは言葉よりすぐれている。麻屋与志夫

  • 「どうする古沢良太」 麻屋与志夫

    9月10日日曜日日曜日は「どうする古沢良太」香取俊介の著書に「すべては脚本シナリオから始まる」がある。わたしが古沢良太というシナリオ作家をはじめて意識したのは「デート〜恋とはどんなものかしら〜」からだった。田舎にひきこもって、孤立無援。ただひとりで作品を書いているのでまったく何の情報もながれてこない。古沢良太という稀有な作家を知るのが遅すぎた。でも、彼の作品はテレビでほとんど観ていたことに気づきおどろいている。わたしはシナリオ研究所第四期の卒業生。北村篤子。松元力。官能小説家板坂康弘、麻屋与志夫(木村正一)。野口恭一郎(竹書房の創業者)を輩出している。ほかにも功成り名遂げている人がいるだろうが、情報不足で列挙できないで申し訳ない。さて、はじめにもどそう。ドラマはすべてシナリオからはじまる。まさに、そうなの...「どうする古沢良太」麻屋与志夫

  • 秋口はあまりむりをしないで 麻屋与志夫

    9月7日木曜日今朝は室温23℃。風もさわやかだった。ところが、体のほうは暑さがやわらぎホッとしたのだろう。だるい。妻と朝の散歩と洒落こんだが、5分であきらめて帰ってきた。玄関でルナが出迎えてくれた。というよりルナも外にでたいようす。上目づかいでわたしたちをみあげている。「ごめんな。パパはつかれていてるなとお庭で遊べないのだよ」とやまった。部屋にもどって二時間ほど寝た。去年の9、10月は下痢に悩まされて、さんざんだった。こんな形而下なことを書きもうしわけない。長生きするためには細心の注意を払わなければならないのだ。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。カクヨムサイトはこちら角川のbookwalkerーにも載っ...秋口はあまりむりをしないで麻屋与志夫

  • 妻との会話 麻屋与志夫

    9月6日水曜日夫婦生活は長い会話である。わたしがいちばんはじめに覚えたニーチェの至言だ。中学生のわたしには、夫婦生活はHな意味にしかとらえることができなかった。そこえ、このニーチェの至言である。なにがなんだか、さっぱりわからなかった。でも最も尊敬する哲学者ニーチェの言葉だ。ながくわたしの記憶にとどまった。結婚するなら、キレイナ声で話のできる女性がいいときめていた。妻とは65年も長い会話をしてきた。わたしの師匠保高徳蔵先生の住んでいた初台の駅近くの生まれの彼女。縁故疎開でわたしの街に住んでいたのでキレイナ東京弁。いまだに、彼女と話をするのがたのしい。とくに、散歩をしながら話をしていると目に映る事実とおもわれるものが、解釈のしかたによるとちがうのを発見できてたのしい。まさに、夫婦生活とは長い会話である。これか...妻との会話麻屋与志夫

  • 秋の気配のなかでひとり考えた 麻屋与志夫

    9月5日火曜日今朝は曇り。しばらくぶりで朝の散歩。とはいっても5分ほど。三日も歩いていないので筋肉が萎えてふらつく。毎日つづけて散歩しないとだめなんだなぁ、と思い知らされる。庭では秋海棠が咲きだした。この茎から花にかけていつもうつむきかげんのあどけない花がわたしはすきだ。妻が剪定ばさみで伸びすぎた蔓バラや藤の蔓を切っている音をききながらパソコンにむかっている。庭の緑が窓いっぱいに広がっている。コロナ疎開で田舎にとじこもったが、いまの歩行能力では東京に絵画の展覧会を観に行くのはもうむりだろうな。小説だけはまだ書ける。出来ることに精進するのみ。じぶんをじぶんで励まして、ただひとり小説を書き、これからののこりの人生を妻とともにたのしみながら生きていきたい。麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができ...秋の気配のなかでひとり考えた麻屋与志夫

  • この歳になってひととのかかわり合いから解放された 麻屋与志夫

    9月3日日曜日「人間が復讐心から解放されること、これこそ、私にとっては最高の希望への架け橋、長い嵐のあとの虹である」ニーチェ復讐するにも相手はみんな黄泉の人。この歳まで生きてくれば邪魔をされて、苦境に立たされ恨んでいる人はいた。しかしいくら憎んでもどうしょうもない。ただ、彼らより長生きして、あいつもあれだけの人間だった。と見返してやればいい。そう思って生きてきた。いまでは、憎しみの感情からは解放されている。ありがたいことに、心のうちには虹がはっている。まいにち、楽しく小説を書いている。具体的なことは書きたくない。抽象的な文章になってしまった。すべての邪魔をされ苦境にたたされる原因は、ごく身近な人間の嫉妬心からでている。若いみなさんは嫉妬深い友だちを身近に置かないように注意してください。麻屋与志夫の小説は下...この歳になってひととのかかわり合いから解放された麻屋与志夫

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