きょうの詩は「ひとめ」そう思うのはひとでなく夏の山野草の花への思いひとめそう思う人が私にはいてその人に会うため心ときめかせ六月を心待ちしひとめ思う人が私の求めるユリユリなら至る所で咲いているじゃない違う…そのユリでなく私が「ひとめ」そう思うのは山野草のユリ彼女が消えると再会は難しく、会えは七年後そう思うから夏になるとひとめ会いたくなる。「ひとめ」思う
きょうの詩は、夏彩が濃いなかで「季節は秋」告げ、咲、去る野菊の花との出会いとわかれ去るひとこの秋の半ばに私から去るのはひっそり咲いて消える小さな野菊花は残る夏彩に対し薄化粧で優しい笑みをこぼし一時を過ごし旬を終える野菊その散りの一片に去りの寂しさはなく「ありがとう」去る人に贈る私の別れの一言。秋の花の散り
きょうの詩はいつもなら九月半ばに咲く彼岸花が、この秋は遅れ「咲く頃」思い訪ねれば花の代わりに静寂が広がる咲の遅れいつもなら九月半ばにはやあ、会えたねいつもの彼女に声をかけ再会を喜ぶのがいつもの場所にその姿はなくああ・・・いない哀しいというか侘しいというか無言が広がる彼女の不在。ある花の咲遅れ
きょうの詩は私がいろいろ話す友人のために書いた詩わかれきょうあなたを次の花として育てその咲を見届けあなたの大切なひとが咲を終え私に愛を残して散り触れる私の手に温もりを伝え土に帰る私が贈る言葉はさようならでなくIloveyou。永遠の別れ
きょうの詩はいつも九月半ばに、この暑さで遅れ花をみたのが彼岸過ぎ、その咲き始めの花をみての想い咲く萩みて水面に垂れるしなやかな小枝に無数にともる小花が吹く風に身を任せゆれみせる萩咲く小さな花は思いを内に秘め咲く花姿に見るのは花の控えめでこまやかな美しさそのこぼれ落ちる一涙の花を別れた人との想い出を重ねてしまうのは花が持つどことなく寂しげな風情のせいか。萩の咲をみて
秋の七草の一つである芒、近くの里山でも群生することなく一塊となって群れる芒の穂花に秋をみる。尾花いまの私は嫌われ見捨てられている秋の野花その私を見てこれは花・・・花の魅力ないじゃないThroughされ尾花の花穂が寂しく揺れる山野の芒秋の里山に映える芒の花姿がshy。芒の花
きょうの詩は去るひと、それは夏になるといつも咲く場所であう向日葵、それがこの夏は旬にあえずに終わった去りをひとの別れに見立て思う想い。去る人初夏の中であえず少し早いか・・・次に再会を求めて訪ねればいつもの花びらは消え花は頭をうなだれ笑顔はうせさようならの人となって化粧は落ち寂しく見えるけれどその顔は去る人の表情でなくモナリザのほほ笑み。わかれ
私のなかに多くあるメモリのなかで、消せない一つのメモリに対する思い一つのメモリの消そうそう思いながら残るあの人のメモリもう過去のこと今さら使うことのないあの人のことポチ(削除)消すと消滅しゼロ消去がハードまで消すのが怖くポチに迷い続ける私。私のメモリ
私のであいはいろいろありその一つがいつも決まった時期に出会う秋の花、その出会いはひとりの友との再会であり新たな出会い。きょうの出会いきょうの出会いはひとではなくそろそろ逢える秋の人今日は逢えるかな訪ねるとそこには求める相手はいず木立の下で待つ人はいずいたのは人出会いを求める人から人に変え交わす言葉が私のきょうの出会い。私のであい
町の空き地を小さな花で埋める盗人萩の咲を見て秋の野花あなたは邪魔無作為に踏まれ倒れてもそれでも晩夏から蕾をつけ初秋からほほ笑む野花その花に誰も関心を持たず無視される私いま花が旬を迎え別れの季節に想い出を添える。秋の野花
この秋は残暑は厳しく大地を潤す雨も少なく、未だに夏を思わせるなかで思うのは私が好きなヒガンバナへの想い彼岸の一輪朝露を見る頃に土から茎を伸ばしあどけないふくらみを思わせる蕾から肩から衣を脱ぐように現す赤い長襦袢の美を見せる一輪の曼珠沙華花の美はその色その燃える炎のような赤が描く狂おしく燃える花びらに見るのはひとをいちずに思う恋彩か。彼岸の一輪
立秋からはや一ヶ月半が過ぎようとするなかで、その変化に抵抗するように夏彩が至る所で夏模様が居座る居座る暑いいまだに夏模様が広がり彼女がさようならと告げたのに町にいまだに居座り去らない人嫌なやつ夏の終わりに別れを告げたのだからその思いを無視して今日も空の白亜のソファに座り居座り続ける嫌な人。夏彩の残る秋
私の住む町は小高い山と田圃と三川が合流する堤の桜の町、その町で「秋か」そう思うのは秋が最初に口づけする田圃の稲穂から住む町の秋小高い山田んぼ三川が合流する中の長い桜並木秋か・・・知るのは田んぼの稲穂顔となっている桜並木の秋の化粧顔はいがいと映えず春と比較し秋は無粋でつぶやきも出ないわれが住む町の九月半ばの秋。町の秋
いま過ぎるなかで思うのは男の哀しさというか寂しさというか性をみるかけ違いいつもふとしたことで思い出される好きだったひといや、愛したあの人のこと今更何でそう思うけれどなぜかいまは亡き両親のことを思うとの状況を思うと俺はどこでボタンをかけ間違えたのか・・・過ぎた時間に問う私。ボタンのかけ間違い
季は秋だけれど、店先で秋をみても秋らしさはなく実感は夏、早く秋を私の五感でみたい楽しみたいと秋を待つ私の待ち人いま私が待つのは店先を飾る食べる秋でなく冷めこの乾いた夏土に潤いを与え一葉に別れの下絵を描く一雨その待ち人をきょうも阻み笑い私から想い出を奪い嘲笑う嫌なやつ。実感する秋
秋になると咲を待つ好きな花、それは美しいというか人の性の燃える美しさにみえる花が私の待ち人私が待つ人再び訪ねても逢えない私の待つ愛おしい人はいつもの場所に来てもきょうもいない「なぜ」問う私に「私がいる限り彼女は来ないから」私の待ち人を阻む憎い夏の居座り。秋の一花を待つ
一年も残りは三か月と1/2のなかで秋の半分を過ぎたが「秋か」その思いになかなかなれい日々が続く「きょうの詩」みえない秋秋の半分が過ぎたけれど町に居ると知る秋が見えてこないが店先を飾る早生の果実で「秋か」と思うが火照る心身を和らげる北からの風が齎す変化の便りはなく見る一コマ・・が移ろいを止め化粧を待っている秋。みえない秋
季は秋、町を離れれば秋のテーマは拾えるが、描く一コマは以前として似られない夏がまだ留まり節は白露になったけれども・・・露をもたらす涼しい空気はまだ訪れず草には涙もなく乾燥しているああ・・・空を仰げば、青空に映えるのは青さを際立たせる積乱雲このままでは秋は遠い夏の恋がまだ続く初秋。居座る夏
きょうの詩は、里山に広がる主の不在の森がみせるその一コマの風景主の不在暗い森からともりが消え足の踏み場もないほど荒れ、哀しいいまでは森に流れる風は止まり誰も住まない主の消えた森寂しいというか悲壮というか温もりと明るさが消えた家は主を失い朽ち荒れ、形を失いつつある里山の森。主不在の森
きょうの詩は白露の節になっても他人事の顔でいる空何も変わらない日中の気温は夜になっても下がらず暑い夜が彼岸まで続くのか・・・そう思うと気がめいりモチベーションは下がりああ・・・暑いいつまでこの暑さは続くのか私の思いなど気にしない演奏に見るのは表情を変えない他人事の演奏。みえない白露の顔
きょうの詩は、去りは定刻で、知る、みるの訪れの遅さに思う白露の訪れ白露日々のページはめくられても暑く苛立ちを覚えた夏蝉はうせ、寒蝉が鳴く。季は白露か、見るもの何も変わらず。陽が落ちても蒸し暑く、火照る体を冷ます露の降りはなく。わが身は燃え続け、この満たされない火照りを冷ます。白い裸体が愛おしい。みる訪れは遅く
きょうの詩は、夏と秋の間で咲く野花が告げる秋の始まり季の間で互いの季の重なりあうなかでほほ笑む花にまだ見ぬ人を重ね求める私の哀しい性それって「素朴な小さな花じゃない」そう・・・でもこの花は残る夏に口づけをして別れを告げる花。季節を知る
きょうの詩は、私の誕生日に対する思い生まれた日今日は私が生まれた日そして私がこの世に一歩踏み出した日そして私が未知数のページの一枚をめくった記念の日私の始まりは愛する人の手によって育まれページのめくりは関わりあう人たちの愛で私の容姿は作られていくそう誕生日は私を生み、基盤を作った両親に「ありがとう」と告げて感謝し、愛する人を忘れない日。BIRTHDAYに思う
きょうの詩は、親しい人たちに節ごと送る私の手作りカードに対する思い送る一枚いまでは親しい人に対し何もanalogの紙で送らなくてもいまではすべてが機器で事足りるのに何で今さら紙でそれは機器では送れない心の温もりを一枚のCardにインクで知るし温もりを添えるこれは機器では取り組めない心のインプット。送る一枚のCard
きょうの詩は私、私は一人ではなく善と悪のソフトとハードで成り立ち、いまの私は二人で一人と思うひとり。もう一人の私「私は私」そう思うが時々もう一人の私が間違った方向に行くと私を諫める善という私もうひとりの私は私の生を維持する欲その欲をセーブしたりコントロールするのがもうひとりの善私はこの二人で一人その一人が私のパートナーであり分身そう、私は善と悪でひとり。私は二つでひとり
きょうの詩は悩む若いひとへの私の応援歌戦士になれ人が生きるということは戦い何も武器を持って戦うのではなく自らが生きるために幅広い知識と強い心を得て愛する人たちのサポートで戦える術を得て社会で戦うこの戦いは生きるためであり得るのは愛に満ちた幸せ。立ち向かえ
きょうの詩は、晩夏から咲く南国生まれの空と海の青に映え、無垢の美をみせる百合の思い無垢の百合仲間が初夏から一足早くスポットライトを浴びながら散る中私を忘れないでそう言って咲く白い百合からこぼれる偽りのないほほ笑みその笑みに最後に見る寂しさはなく咲く花彩に見るのは汚れのない無垢の美しさ。初秋の百合
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きょうの詩は「ひとめ」そう思うのはひとでなく夏の山野草の花への思いひとめそう思う人が私にはいてその人に会うため心ときめかせ六月を心待ちしひとめ思う人が私の求めるユリユリなら至る所で咲いているじゃない違う…そのユリでなく私が「ひとめ」そう思うのは山野草のユリ彼女が消えると再会は難しく、会えは七年後そう思うから夏になるとひとめ会いたくなる。「ひとめ」思う
きょうの詩は、降る雨にみる怒りとひとのおごりに対する思いをみる詩雨にみる思い降る雨に私と同じ怒りを見て思うのは雨の素直さ雨は怒りをダイレクトに伝え、一気に暴走し破壊しRESETしながら流れ回帰させる雨その人のおごりに怒りで戒めようと注意を促すがそれを無視する私に向かって怒りで回帰Resetする雨の優しさ。雨にみる思い
きょうの詩は私がよく歩く森のなかに立つ、一本の樹木がみせる一コマをみての思い一本の樹木人知れず立つ一本の樹木きょうも訪れの少ない境内に立つ樹木が得意げになるのが萌からの新緑、青葉からの黄葉彼女が描くプロセスとワンシーンはすてきでいつも切ない恋心をわくわくさせああ…この素顔から萌え広がり深く染まる大きな包容力で怒りを遮りホッとする木陰を一本で阻む包容力を森に立つ一本の樹木にみる。一本の樹木
きょうの詩は梅雨空の下で映える一葉の美しい桜を見ての思い梅雨の桜花を終えた樹木の葉が全体を覆い一葉の緑梅がみずみずしい桜その桜の樹の下に集う者はなく今日も寂しげで日差しが桜に声をかけ「呼ぼうか誰かを」誘うが・・・日差しはまだ…梅雨色で逃れてくる者はなく「先か…」私の梅雨化粧はみずみずしく美しいのに誰も私に振り向いてくれない。梅雨の桜
きょうの詩は6月の梅雨入りで降る雨にみる私の思い雨の6月梅雨入りか・・・この雨が森に潤いを齎し、うまい水が生まれその水で美味しい米が作られ、果実などが育まれ私もこの雨から心身に潤いを受ける6月の雨「いいね」そう言いたいけれど「おいおい少し降り過ぎじゃない」これは驕る私に対しての怒りであり、哀しみか降る雨に対し私は何も言えずああ・・・「きょうもよく降るな」で終わる水無月。6月の雨
きょうの詩は、いままで過ごしたなかで私にとり心残るひととなっているのが、ひとでなく里山で咲くささゆりに対する思い。心残るひと長く生きていると心に残る想い出が多く、心に残る人は多い。その中で一年に一度しか会えないひとが、里山でひっそりと咲くササユリ。花は野山で咲くのに七年以上を要し、会えるササユリが私の心残るひと。消えたら会えるのは七年先。でも会えるとは限らない想い出のひと。心残るひと
きょうの詩は何れ私にもくる、生あるものに必ず平等に来る永遠のわかれに思う会えないわかれひとのわかれにはいろいろなわかれがあるなかで一番悲しく寂しく後悔に抱かれるのが愛おしいひととのわかれ寂しく哀しく募る思いは感情を揺さぶり回帰するが唯唯想い出を拾いしのぶ生あるものすべてに訪れる永遠のわかれなまじ思考があるがゆえにやむ命のうせというわかれ。最後のわかれ
きょうの詩は終わった五月に対する私の思い終わった五月五月の中で私が求める花は新緑の中で燃えるヤマツツジツツジなら街でも見られるじゃないでも違うんだね私が求めるのは小さな赤い花その赤がいいそれが五月で叶わず閉じの末まで待って求めたのはサツキ叶わぬ思いをサツキに重ね、五月が終わるああ終わってしまったと六冊目を開く。五月の思い
きょうの詩は好きになってわかれたあの人の想い出を、季節の花に重ね想う私の思い。嫌な人人は出会いと別れを繰り返し私は何も分かっていないと悩む人との別れ今、別れの思いを花に変え私の好きな人を花に重ね思い出を追うように季節ごとに咲く花を求めるが季節ごとに咲く花は私の浮つく心を見抜き弄び見抜き季節ごとに一コマ…で私の思い出を詰め勝利を満面の笑みで弾けさせる嫌な人。嫌なひと
きょうの詩は6月が旬の紫陽花を宴に例え書いた花に対する思い。6月の宴素焼きの器で甘露の雨水を受けほろ酔いし少し飲み過ぎたかな・・・ほんのり顔を赤らめ酔った姿が美しい器の数々そろそろ紫陽花の季節かな・・・その個性その表情は多種多様で雨後の度毎に酔いを深めきょうはこの器で明日はこの器でと杯を変え宴の場を盛り上げる多彩な器の宴が愛おしい。咲を宴として
きょうの詩は降る雨に、ひとの感情を重ね想う雨の降り雨に思うああ・・・今日も雨か降る雨に今では人と同じような感情を見て雨は時には怒りを見せて降るがその源は人間にあるのか考えさせられる雨はすべての生をつかさどる命の源本来それぞれに対し愛しみを込められながら降っていた雨を人々がその環境を変えたことで今では感情をあらわにして雨を見て思う「おまえ今日は随分機嫌が悪そう」と思う雨。降る雨に思う
きょうの詩は私の恋についての思い恋に思う私恋それは私がひとが持つ性恋なくともひとは生きられるが恋は情熱情熱は生きるための活力でを失えば覇気が消えひとは人間を失う唯何となく煩わしいことも捨て生きるそれもありかでもひとは恋を追い求めないと容を失うそうひとの恋は人対人でなく人対四季の自然な恋もいい。私が思う恋
きょうの詩は、私が生を受け過ごすなかで生じる悩みを、解消する気分転換に思うに思う私の気分転換ひとは生を受けるとその時点から悩みを負う。それは成長に従って悩みの対象は広がり、「私は悩みなどない」そう思うひとは少なく、大抵のひとが悩みを抱え込む。それは思考と言葉を持つひとの宿命で、それがゆえにひとの心は荒み、Stressを抱え込み、「いまを変えよう」思うなか、私は悩みを解消するため、野山を歩くことで悩みを吐き出し、空にするResetが私の気分転換。私のReset
きょうの詩は、街の公園で咲く小さな花群をみて想う私のバラへの思い初夏に咲くバラ私がよく気分転換に訪れる街中の公園のバラ小さな囲みの中で群れ咲くバラを見て初夏か・・・知り花色はイレブンくらいであるがそのひとりには育ての愛が込められて彩の個性は少ないが花の色と数は多様で咲きに私たちの子育てをみて楽しくうれしくなる街で咲くバラたち。初夏に咲くバラ
きょうの詩は、私がよく使う二つの言葉に対する私が思うこと。二つの言葉私たちが使う一対一で「好き」「愛している」使う二つの言葉はいまは日常会話となって二人の関係を深めるが本来は「好き」と「愛している」とは対象が違い「好き」「愛している」は一対一の限定に対し「愛」はすべてのものが対象に対し「好き」「愛している」は最愛の人に使い「愛」は生あるものに対して使う思いやりや慈悲の心。二つの言葉に思う
きょうの詩は私が思う愛についての思い愛に思う愛は生あるものが持つCoreとなる心ひとは彼らと違い言葉と判断で自らの愛を温かい包容力で優しく包み和ませるのがひとの愛愛は利を求めずすべてのものに対し相手を労り傷ついた心を癒やし優しくあやすように温もりを伝えて元気にする人の愛愛は温もりで思いやりであり生きる喜びの道となるのがひとの愛。ひとの愛に思う
きょうの詩は初夏の街で咲いて散った、花の終りを旅たちに変え思う私の思い散りという旅立ち私の思う散りというツツジの旅立ちその旅立ちは恋して楽しい逢瀬を数日過ごし別れを予感しああ旅立ちか・・・知り涙し散るツツジの容のうせ笑顔が消え生みとなった木の葉が化粧し美しい顔で「またね」と告げる花の旅立ち。ツツジの散り
きょうの詩はミモザに付けられた花言葉を重ねて思う私の思いアカシアの思い私は一つの恋で終わるのではなくひとりに恋しながらもうひとりとの恋を楽しむ私その花の思いなど知る由もなく魅力的な花と繊細な一面に鮮やかな黄花ポンポンのような花を着物の胸元から軽く垂れる様子ははかなく心の満たされない私の思いはあなたにひそかに求める私。花言葉に思う
きょうの詩は私がもち思う「好き」という言葉に対する私の思いSUKI好きという思いは人が持つ性であり感情感情は人が生きるためのツールで人を対の形に作る反が歪みを生み思いを暴走させ制御を失う一面も持つ好きという人の思い思いはその人が持つ個体差で違いそれはその人の魅力であり美しさ好きは人のコアとなる心で好感に変換され互いが惹かれ求め合う性を生む。「好き」その言葉に思う
きょうの詩は、雨雲が去ってもなかなか夏空に回復しない空に対する私の思い----雨後の空雨を降らせた雲がLullabyと去っていくなかで駄々をこねる薄雲を叱るように早く…と追いやる日差しに対し抵抗する雨後の空空に青空を一気に広げて回復する元気はなく空で迷走し夏空になり切れない雨後の空。雨後の空
花の戸惑い町の至る所で夏の花が咲いて私は見ごろと微笑む花たち香りは薄く夏の花たちが鮮やかな花彩でみせてそのなかのひとりをみて咲くのが早くない思う花に重ねる夏の戸惑い。夏花に思う
夏の花私が好きなアジサイのアナベル花の色は白とピンクいつもみるのは白でピンクはいまだに会えない愛しいひとそのひとは感情をたかぶらせることなく何人にも染まらないむくでその白亜の美しさが薄汚れた私の心を雨と共に洗い流す。紫陽花のアナベル
わたし私は愛する二人から生を受けいまを生きているふたりの愛で私という形を作り多くの関わりあう人たちから愛を受けて糧となる彼等の恵みで生を育みいまの私があるそのいまがあるのは彼等のおかげでその感謝でいまが在りありがとうで私は明日を生きる。私が在るのは
ある想いきょう思う想いは人でなく夏のアジサイそのひとは日本の花でなく西洋アジサイのアナベル色は白とピンク一目でいいそう思いながらいまだに会えないピンクのアナベル一度でいい想いつつ過ぎる夏の想い。一目
森の樹森のなかに立つ一本のケヤキ見た目はでかくでかい割には格好のいいひとりでこれがケヤキかそう思い新緑のケヤキにみとれる夏の青その深緑のテラスに集うものはなく辺り一面を夏の寂が漂う。夏のケヤキ
初夏の桜の堤で花の消えた初夏の桜並木には訪れる人は少なく長い沈黙の時が流れる静寂の一時その樹木の下で座り耳を澄まして命の声を拾うが邪念で固まる私には何も聞こえない。桜の樹の下で
一枚のArt森のなかの小路に立ってゆっくり空をみながら窓の下に広がる森の表情を追いArtに見立て一枚・・区切りBestな一枚を選ぶなかで出会うBestな一枚は私の失せた恋心に再び火を付ける。森は一枚のArt
初夏の花走り梅雨が森に潤いをもたらし雨後の日差しがつぼみに話しかけ優しい新緑の広がりが百合を抱きしめ温める初夏その暖かさのなかで花は恋心をふくらませ淡いpinkの姿態を少しうつむきかげんに咲かせるその姿は控えめで愛くるしく優しい微笑みで私の想いをもてあそぶ。初夏のササユリ
私の想いで人は月日を重ねながら成長して一期一会を重ねながら想いでをつづり一冊の本になりその本は校正なしの一冊で時にははがし破いて修正を重ねるごとで私の一冊となり初めはつまらない一冊が年月を重ねるごとに私の想い出になる。想い出
いま思うのはいま私が思うのは籠のなかに閉じこもり失せた旅への想いああ・・・知らない街を歩いてみたい思う気持ちと裏腹に行動に移れない私いま消えた想いと情熱を思い「さあ行こう」その一歩が出ない私を窓から流れ込む初夏の風が「さあまずは街を一緒に歩こう」風が私の耳元で誘う。燻る情熱
紫陽花の社交場初夏の街の至る所で紫陽花が一人二人と微笑むなかでまだあどけない子もいれば薄化粧のおしゃま少女もいるまだまだ化粧の美しいひとは少ないが色とりどりのドレスを花がまとい日を追うごとに華やいでいく紫陽花たちの雨後の社交場。夏花の宴
私が思う恋恋か・・・関係ないないな恋を男と女の性として捉えるから相手を失うと終わる私達も動物と同じ本能をもっているがそれをControlする術を持つ出会いイコール恋でなく互いは惹かあうことで恋が生まれるそれはあくまで自然体から。思う恋
私の換気人はソフトとハードで構成されいまを生きているそのソフトは意外とトラブルという弱点を持っているがソフトは更新と交換ができず維持のメンテナンスが生じる怠ればショートし壊れる人のソフトそれを維持するため私は換気とリセットで更新を繰り返す。私の気分転換
想い出の人誰もが忘れられない思い出の人を心のなかに残しているそれは生涯表に出ない私の心のCoreに閉じ込められて私はいまを生きているそれがいま朽ちるなかで時折うずいてああ・・・切ない思い浮かべるあの人との時間それは私が心に閉じ込め消したふたりの想い出の一時。心に残る人
好きと恋私達が使う好きと恋の言葉好きだからといって恋にはならないひとが求める恋はひとの性で好きとは心の部分この二つは混同され錯覚し狂いを生む言葉いま恋し好きになり恋の形を作り二つが私のCoreを生す。二つの言葉
五月の椛色々な場所で初夏の美をみせる椛がちやほやされるのが秋でその私が春の萌えから初夏に移るといまの私は蚊帳の外ああ・・・何で生える所は違っても私も同じ椛そう思うと哀しいいま菜種梅雨と初夏の心地よい風で春を洗い彩化粧で潤う私も見てと椛が誘う。初夏の椛
消える私公園のなかで際立つ一本がみせる香りの存在感樹木の花は個性と色と香りで存在感を示すが足を止め仰ぐものはないいま彼女の満面な笑顔から香りがこぼれるその香りを拾い見上げるものはなく笑顔も消え渇いた涙が樹の下に散らばる。フサアカシアの散り
風に乗って堤で咲き終えたタンポポが花びらを綿毛に変え新たなる出会いを求めて風を待つ私吹く風は気まぐれでいつ来るかわからないあなたを待ち続ける風が来れば風に必死にしがみついて飛び降りた地で私の生が再び始まる。ある花の旅たち
初夏色染まり散り色あせぬ花びらに別れた女性(ひと)の想いでをかさねる色とりどりのバラ咲く色とりどりの園は多くのひとに愛されるが私もそのひと(女性)りなのに愛されずひとり寂しく散る花もあるその花はどこで咲いても恋化粧は美しく魅惑の微笑みで私を誘う。初夏のバラ
湿り風風が北から南風になって思うのは梅雨の走り雨の季節か・・・曇る空に梅雨の表情こそないが吹く風に感じる重い湿りああ・・・この風は嫌な露を知らせるあの風のさわりその風にみるのはいまでは忘れ会いたくないひとり。南の風