当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
例えば、昔の田舎の住まいづくりは、専門業ばかりではなくて、地域の住人達が腕に覚えのある棟梁の指揮のもと、農閑期などを使って若い新婚の夫婦のために住宅を皆で建てたものだと言います。もやいという制度ですが、まさに地域の木材をはじめとする天然資
住まい創りにおいても、世情不安や厳しい条件の悪化を嘆いてばかりもいられません。このところの建材価格高騰や品不足は深刻で、すでに住まい手に価格添加している部分も大きく、深刻になってきています。原油高と流通の混濁、世界的な電子部品の生産性低下
私は常から、徐々に全体主義に傾倒する傾向のあるこのところのこの国の状況に対して、「一個人」という最小単位であるけれど、何より重く大切なものが蔑ろにされていく方向に一番の危惧の念を抱いている者の一人です。良い悪いではなく、全体主義的な観点は
実に。経済経済と大騒ぎしながら、20年賃金が上がっていないということがこの頃周知の事実として色々な場面で語られています。この表現は、すこし周りを見渡してもなんとなく合点がいって、表面だけは先進国のふりをし続けてきたわが国も、これまではデフ
コミュニケーションツールとしてのデジタルとアナログ、情報ソースとしてのデジタルとアナログ、ともにほとんどのものがデジタルに変わっていく中で、実は非常にクリアなはずのものが、抽象的な言い方ですが目が粗く、文章でいう行間とか、音楽でいう間とい
YOUTUBEで垂れ流される15分のソースが、全ての叡智を網羅しているかのような錯覚に陥るのも、今のデジタル社会が故かもしれません。単なるお手軽情報的なものが、真理のように扱われている状況にはちょっと違和感を覚えます。発信者は、大学の先
先日、お仲間とお話ししていて、デジデータに終始する現代社会の歪みはどこからくるのか、何となく刺々しい荒んだ感覚をどうして感じてしまうのか、それをどう払拭していけば良いのかというお話をしていて面白かったのですが、朧げながら、ヒントのようなも
デジタルデータというのは、あらゆる情報を0と1の並列に置き換えて記録するもので、現在は、あらゆる分野でほとんどがそういうものに置き換わった世の中になっているようです。音源データもCDやメモリーに記録されているものがこれにあたります。一方ア
仕事が趣味などというと、お客さまに申し訳ない気がしてしまいますが、もう35年も他人様の住まいを考え創り出すことを生業として、自身の暮らしの時間のほとんどをそれに当てて生きている感がある私のことを、周りの人はよくそう形容します。疲れませんか
さて、閣議決定された法案は国会で議論されてやがて施行に至ります。そのとばぐちには達した省エネ性能義務化の動きが、これから大きくうねって始まるのだと思いますが、まずは既得権益への配慮とか、国内だけを見たご都合主義にならないように、本当の意味
この国にも、いわゆる省エネ基準というものはこれまでにもあって、新省エネとか次世代という言葉でその基準は語られてきたのですが、世界的にはいち早く省エネに取り組んでいる欧州などのレベルに比べると箸にも棒にもかからないレベルで、今回ようやくその
前述の基礎断熱の合法化の一件に始まった私の住まいづくりから考えれば、誤解を恐れずにお話しすれば、法律は後から追随してくるものなのです。先行する私たちは完全にマイノリティーですから、マイノリティーが先走ってやっていることの中でどうもそちらの
常に規制というのは諸事情によって後付けで後付けでやってきます。今回の省エネ性能義務化に関しても賛否両論あり、消極論が業界自体にも根強く凝っていることも事実かもしれません。拙い私の住まい創り屋としての数十年の間にも、大きな改正が何度かありま
一転俄に閣議決定されて、省エネ関連の性能基準義務化の動きがここ数年で加速しそうです。住宅業界ではその話題で持ちきりで、今後その制度の内容や運用で大改革が進められていくのだと思います。総じて良いことで、この国の住まいが全くの野放し状態から、
この数十年、耳障りの良い「グローバル化」という言葉であらゆる価値観が十把一絡げになって、一個人というものが軽々しく扱われるようになって世の中はなんだか空虚な時代になりました。そこへ来てのコロナ、戦争は、一層に全体主義への傾倒を加速させるエ
良い意味で、日本人は総じてお行儀が良いし、列を乱さず順番に並んだり、公共施設を汚さずに使ったりという評価は本当だと思います。ただ、逆に言えば体制に流されやすいとか、同調圧力に弱いとか、表裏一体ですがそれがウイークポイントになりかねないこと
例えば、どんな郡部の田舎道にも、500mおきくらいにコンビニがあって、一通りのものは置いてあって、その便利なことは私の子供時代からしてもとても変わりました。このコンビニも東京中心の全国区の統一ロゴです。私もその「便利」を享受している一人で
言い方は悪いですが、この国は今、負のルーティンの真っ只中にあるような気がしてなりません。かつて技術立国で資源がなくても世界に名を馳せることができた時代は、護送船団方式と言って国を挙げて一体になって技術輸出を後押しして国力を上げてきました。
解決策が見出せないままウクライナとロシアの戦争の状況が日々刻々と報道されて、コロナもおさまらない。これまでの輸出入のバランスは大きく乱されて流通もさまざまなところで不具合を生じています。近年の環境悪化とエネルギー問題を俯瞰すれば、戦争など
GW前に突然声が出なくなって(今は回復しています)、口から発する言葉というものの大切さを噛み締めて、改めて身の回りを考えてみました。コロナ以降、一層の依存拡大をしたSNSも、要は遠い船と船の間で交わす手旗信号のようなもので、双眼鏡を覗きな
スマホの画面は、針の穴のような小さな窓で、無限に広がる、しかもかなりノイズを含んだ荒野のような世界が見えていて、現代人はその中に何かを求めて必死で窓を覗いているように感じます。意思疎通もその世界を介するから、かなりぶっきらぼうになっている
逆に、「お互いすぐ隣にいるのにスマホの画面のSNSで会話する若者」などという笑い話を時々目にしますが、考えると恐ろしいもので、みすみすその荒削りな方法の方をチョイスしてしまい、その方が面倒がなくて良いと想うのなら、いよいよ人と人とのコミュ
古くからこの国では言霊(ことたま)という言葉があって、発せられた言葉の一つ一つには魂(たましい)が宿るというほどに、その一音一音の言葉は大変大切に扱われてきた歴史があります。何もカルトめいたことを言おうとしているのではなくて、文字ではなく
卒じながら、私のゴールデンウィークは、声を失った一週間だった。原因はよくわからないが、突然ある晩から出なくなり、予定されていたお打ち合わせなど散々なもので、関係者の皆さんには大変なご迷惑をお掛けしてしまいました。今は大分戻り、意思疎通は普
社会の価値観が、何もかも貨幣経済という物差しを使うようになってしまって久しいですが、近年いよいよ極まって、それと共に人間の心の内がどんどん刺々しくなってしまっていくのは、そんなことも起因しているのではないかとよく思います。私がいう丁寧な時
時間がゆっくり流れるということは、感覚的な言い方になってしまいますが、時間が丁寧に流れていくという言い方もできるかもしれません。例えば、食事というシーンを考えても、真逆なのは、お湯を注いだら3分とかいう即席麺を場所も構わずそのまま食べると
空間の持つ力として、住まい手の心身を安心の方向へ導くことができると私は思います。いわゆる人間工学的な汎用性については当たり前のことですが、それに加えてその住まい手特有の部分に関しては、かなり密に詰めていく必要があります。私はよく、住まい手
私の拙い30年余りの仕事の中でも、さまざまなご家族の暮らしを見つめてまいりましたが、まあそのありようは三者三様、一つとして同じものは存在しません。例えば国民的家族の象徴のようなサザエさん一家のようなご家族などというものは現実には存在しませ
私事ですが、私は珈琲が何より好きで、好きというよりは既に私のどこか一部のようになっていて、一日の始まりはその日の分の珈琲を豆を弾き、ドリップし、ポット一つを満たすことから始まるという毎日を送っています。15歳で実家を離れ、寮生活を始めやが
好天に恵まれた日に、直方市のK邸のファサードの撮影に行ってきました。長閑な田園風景の中に、もともと休耕田だった細長い敷地を持つK邸は、その敷地形状に合わせて間口5M余りの細長い平面形態を持つ住まいです。ご夫妻とこれから誕生する
近年の高性能住宅ブームで少しばかり危惧するのは、ネット媒体の加速度的な波及効果と裏腹に、住まい創りの取りこぼしてはいけない部分がポロポロと案外ぞんざいに扱われていないかという部分なのです。住まいは、住まい手にとって何より優しくなければなり
あの窓辺に行けたら〇〇ちゃん喜ぶ。お打ち合わせの中の、そんなご家族の言葉から生まれた猫トンネル。このトンネルをくぐると、キャットウォークが吹き抜けの上の窓辺まて続きます。 K邸は、家族同然の猫ちゃんと暮らすことを前提として計画された住まいで
以前にも少し書きましたが、かつて一軒の住宅があった敷地。と言ってもそれほど大邸宅でもない普通の郊外の一戸建てでしたが、そのの既存住宅を、あっという間に壊したかと思うと、土地はいきなり西面道路側から三分割されて、三軒の住宅が今にも軒先がくっ
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当時のお仲間がご夫妻と集まると、福岡パッシブハウス完成までの様々な物語が鮮明に思い出されて話題には事足りません。何よりもこんなに大切に、新築当時とほぼ変わらない状態で暮らし楽しまれているご夫妻の笑顔に出逢うたびに、手がけて本当に良かったフ
築13年の中古物件と聞けば、連想される世界があると思いますが、福岡パッシブハウスの場合はそのイメージにはほぼ該当しないということができると思います。私も何度かお客様をお連れしていますが、「え、新築ですか?」と言われるほど、建築当初の状態を
13年前に、パッシブハウスジャパン(以下PHJと記載)の森代表理事と共同設計で取り組んだのが、福岡市内に立つ国内3棟目の認定パッシブハウス「福岡パッシブハウス」です。実は、この福岡パッシブハウスが現在売却に出ていて、この木曜日まで
人が、自分の住処に求めるものはなんだろうと考える時、やはりどこに居るよりも心身ともに安らぐ場所であるということが第一に思い浮かぶものではないかなと思います。「心身ともに」と書きましたが、まさに心と身体の両面からの安心というものが要でないか
これまでの私の仕事の主たるところは、まさにお客様の住宅の新築の分野でした。ただ、ここまで社会全体がコスト高になってくると、万人に向けてその方法のみで対応が可能とは言いにくくなってきました。そもそも、いわば、「高性能のための高性能(スペック
どれが正しく、どれが間違っているということではないにしても、バラバラに発信されている各々の得意分野の方達が、独自に多種多様に放っている情報は、無秩序に拾っていくと、いわば食べ合わせが悪いことが起きてしまうことがあります。お客様の中でもネッ
現在のスタイルが始まった頃は、おそらく30年くらい前ですがここ福岡で弊社は稀有な存在だと言えたかもしれません。九州で「断熱・気密」という言葉を多用しただけで、不思議がられる時代でした。むしろ知らないもの怖さであらぬ攻撃すら受けたほどでした
思案していく中で、現状の社会でも建てるべき住まいはあると私も認識しています。ただ、そのために質を落とすことや、法外な資金繰りで築後の暮らしを蔑ろに企画を進めていくわけにはいきません。日々詰将棋のように一手一手を打っていきますが、社会全体の
「建築YA髭のCOLUMN」はまさに、建築YAである私が、35年余り一貫して取り組んでた建築屋としての自らの表現方法のひとつです。一貫して言えることは、愛すべき住まい手たちであるクライアントの皆さんが、長き人生の大半を過ごす「住まい」の創
正直に吐露すれば、「書けなかった」という方が正確かもしれません、十数年の間、毎日来る日も来る日もコラムを続けてきたこの場で、語ることがなんとなくできなくなってきたのです。決定的なことが何かあったということではありませんが、この数年、さまざ
台風10号が過ぎて、少し厳しさが緩みましたが、近年の夏は、宅内の温度の過酷さが宅内熱中症を産み出しているこの国の住まい事情があります。奇しくも昨晩のNHKのクローズアップ現代では、この国の住宅性能によって起こってしまう夏の問題が取り上げら
何だか例年言っていますが、「今年は特に暑い」という言葉が日に日にまして飛び交っている感覚があります。私たちが教育で教え込まれた日本の気候は、「表情豊かで四季があり、湿潤で人間が暮らすには最適な温暖な気候...」というような人に優しい環境を
羨ましくも、沖縄はもう梅雨明け宣言だそうですが、ここ福岡はまだまだ湿り気とムッとする熱気の坩堝の中にあります。今年の夏予報でも、例年通り「酷暑」という言葉が踊りました。いよいよ、暑さが増して来ている感じは年々増して感じる感覚であって、こん
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史
その上、最近は在宅勤務やオンライン授業などで、自宅滞在時間も大幅に伸びたからなのか、住まいの室内環境に関しての意識が高まるとともに、さらにはエネルギーコストの爆上がりも後押しして、住まいそのものの性能も大きく取り上げられるようになりました
世の中のうねりに、立ち止まりじっとばかりもしていられないけれど、風の時代と言われるようになってきてから既存の価値観がガラガラと崩れ去って、あらゆる事柄がゆらゆらと蠢いている感覚が拭えません。真新しい新築の住宅を住まい手のために生み出すこと
いつの世も、庶民は強かに生きていくものですから、世の流れに従いそれなりのライフスタイルで生きていけば良いということなのかと思いますが、このところの社会状況を見ていると、明らかにもうこれからは、おいそれと新築住宅を建て続けて、いわゆるスクラ
随分、コラムをお休みしてしまいました。書きたいことがないわけではないのですが、激動の社会変化の中にあって、私たちの仕事も大きく様変わりし始めている潮流をなんとか掴みきれないかとも外しているうちに、時が経ってしまったというのが正直なところで
暗い話しばかりしてきましたが、現状把握としては、冷静に俯瞰すれば語ってきたような状況が大きく横たわっています。ただ、「自分の住まいを建てたい」という、人間としての当然の欲求に対して、私たちはこの状況下で冷静に判断し、なんとかニーズに見合う
まず、なんとなくローンが組める年齢のリミットだからとか、周りも建て始めたからという、これまでの社会体制が曲がりなりにも安定していた時代に住まいづくりを模索するケースは減ってくるのではないかと想います。「なんとなく」ではあまりにも大きな投資
高嶺の花と書きましたが、なるべくそうならないように、広く皆さんの衝動として住まいづくりは実現できるものとして今後もあれば良いなと思ったりします。ただ、これまでのおひとりひとりが、住まいを建てることができるという時代も、長い歴史