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1月12日(日)の朝、沖田神社を訪れた時の様子です。前にも言ったようにここはファジアーノ岡山にとっても氏神様です。寒い時期はピリッと引き締まりますね。先週の土曜日、1月11日(土)にファジアーノ岡山の新体制発表会が山陽新聞社で行われました。観覧は抽選でしたので残念ながら行くことは叶いませんでしたが、いよいよシーズン開幕に向けて動き出したという印象が強くなってきましたね。境内に用意された真新しい絵馬に木山監督がどんな言葉を書くのか?この時はまだ分かりませんでした。それについては後程です。新シーズンのユニフォーム、各選手の背番号も発表されました。J1初年度になる今年は昨年までにも増して地元での注目度が増しているので、ちょっとしたことでも昨年までには考えられなかった事態が発生しています。シーズンパスの完売、オー...ファジアーノ岡山新体制と勝利祈願
1月4日になって初詣です。12月にも所用で行った沖田神社に今年初めてお参りです。少なくはなって来たようですが、まだまだ参拝する方は多いですね。沖田神社は沖新田全体の産土神として宝永6(1709)年に現在の地に移転して現在に至っています。広大な沖新田の氏神様ですから沖新田内外からも参拝者が多いのです。当然、沖新田内に本社とクラブハウス、練習場を有するファジアーノ岡山の氏神でもあります。J1昇格を果たして迎えた新年にはファジサポの参拝も増えたことでしょう。沖新田開墾には様々な伝説が残っていますが、その一つがおきた姫の人柱伝説です。現在では本田裏に沖田姫神社が建立されています。まあ、そんな訳で今年の初詣は簡単に終わりました。1月には地区の行事で再び訪れることもあります。まだまだお世話になることの多い氏神様なので...遅ればせながら初詣
今年、来年と地区の氏子総代なんてことになっていまして、今日は沖田神社に集金分を収めに参りました。年末年始は何かと忙しいことも多くなりますね。風が強く寒いことは寒かったのですが、お天気に恵まれました。沖田神社は、備前国藩主池田綱政の時代に、新しく開拓された沖新田の産土神として建立されました。沖新田は岡山藩の家老、津田永忠が綱政の命を受けて元禄5(1692)年1月11日に着工されました。その工事は当時としては恐るべき急ピッチで進められ、信じられない短期間で潮留の築堤、疎水、検地を終え、約2000町歩の広大な新田が開かれました。元禄7(1694)年4月、沖新田全体の産土神として社を建立するため、京都の吉田殿(当時の神祇官)に見垣近江の守を派遣し神の来臨を請願、同年5月23日に沖田神社の神宣が下されました。当初は...ファジと沖田神社
ファジアーノ岡山の今季の必勝・身体健全・交通安全祈願が沖田神社で行われました。活動拠点でファジの本社所在地である政田サッカー場の氏神は沖田神社になります。よって、毎年ここで新年の祈願が行われています。今年は4年ぶりに全員参加で行われました。サポーターの見学許可も久しぶりにおりました。選手、監督、コーチ陣も三々五々現れます。プロのクラブだから、同時移動という考えはNPBとかでは普通のことなのでしょうが、地方のサッカークラブですから、各自現地集合というのがこのクラブの伝統というか、慣習というか、よく分かりませんが普通にやって来たことです。良し悪しは周りが言うことではなく、当事者が決めることです。ブラジルトリオは揃って一緒に登場。そりゃあそうでしょうね。サポーターは中には入れませんが、拝殿の外から見ることが許さ...ファジの必勝・身体健全・交通安全祈願
早朝から町内の新年御祈祷に参じました。今年は初詣をしていなかったので、これが初詣にもなりました。早い時間であり、1月も中旬ですので、参拝する人の姿はまばらでした。訪れるのは祈祷を受ける人々にほぼ限定されていました。御祈祷の前に個人的に参拝を済ませました。地方の神社にありがちな八百万の神々が散りばめられた配置なので、一周するには結構時間を要します。御祈祷が始まる前にそそくさとお参りを済ませました。岡山藩による新田開発の際、児島湾を大規模に干拓して耕地に転換する大規模な工事は幾度も自然の前に挫折しかけました。それを龍神の怒りととらえて、怒りを鎮めるために人柱になった一人の女性、名を「きた」といったそうな。龍神の怒りは収まり、工事は完成を見て、広大な「沖新田」が誕生しました。元禄の頃の話ですから、真偽を詳らかに...新年御祈祷