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たまたま仏事をいとなみ法華経を供養し追善を修するにも、念仏等を行ずる謗法の邪師の僧来って、法華経は末代の機に叶い難き由を示す。故に、施主もその説を実と信じてあるあいだ、訪わるる過去の父母・夫婦・兄弟等はいよいよ地獄の苦を増し、孝子は不孝・謗法の者となり、聴聞の諸人は邪法を随喜し、悪魔の眷属となる。 今月の座談会御書も以前講義した御文なので過去記事のリンクを読んでもらうとして(しかし同じ御文ばかりだな創価の座談御書)、今月の創価学会員の為の御書要文はお彼岸も近いので『唱法華題目抄』の上記の御文を選んでみました。お彼岸と言っても創価では会館の御本尊への献膳もなければ(創価執行部の創価本尊は単なる掛…
末代には善無き者は多く善有る者は少し故に悪道に堕ちんこと疑い無し、同くは法華経を強いて説き聞かせて毒鼓の縁と成す可きか然らば法華経を説いて謗縁を結ぶべき時節なる事諍い無き者をや 今月の御講拝読御書は『唱法華題目抄』の御文です。本抄は文応元(1260)年・大聖人が39歳の時の御述作で佐前の御書ですが十大部に数えられる重要な御書で15問の問答形式で書かれています。今回の御文は【問うて云く一経の内に相違の候なる事こそよに得心がたく侍ればくわしく承り候はん】(法華経の中で摂受と折伏の相反する事が書かれているのが良くわからないから説明してください)という問いに対する答えで、「末法は善がない人が多いので放…