イエスの時 ③(ヨハネの福音書7章)
さて、エルサレムのある人たちは、こう言い始めた。「この人は、彼らが殺そうとしている人ではないか。見なさい。この人は公然と語っているのに、彼らはこの人に何も言わない。もしかしたら議員たちは、この人がキリストであると、本当に認めたのではないか。(25~26) イエスのわざを見てメッセージを聞いた人たちから、イエスが命を狙われている意味が分かって来たのであろう。イエスの話されることは、宗教家たちとはまったく違っていたからである。その人たちはみことばからキリストに気付き始めたのである。 しかし、私たちはこの人がどこから来たのか知っている。キリストが来られるときには、どこから来るのかだれも知らないはずだ。」(27) ナザレの大工の子であることを知っている。イエスの出自を知っていることで彼らは躓いた。私たちの知って...イエスの時③(ヨハネの福音書7章)
2024/09/09 18:59