不登校・引きこもりを経験した当事者として、自分がこれまで感じてきた思い、回復までの道のりを書き綴っていくエッセイです。
私はファッションに無頓着だったので、加害者からもっとお洒落な服を着ろ、隣を歩かれるのが恥ずかしいと言われ続けて
りりあちゃんは誰とでも打ち解けることが得意だったので、その繋がりから真希ちゃんという友達ともとても仲良くなりま
「おはようございます」 一言だけ挨拶を交わして私は黙々と勉強に取り掛かる。 人と話すのが苦手な私にとってはとて
通信高校へ転入した私。 これでようやく心と身体を休ませられますが、だらだらと遊んでいられるわけではありません。
私はその後も頑張って心療内科で薬を処方してもらいながら単位を落とさないように学校へ登校しましたが、身体が持たな
学校を不登校になった私は心療内科へ通院することになりました。 私が通うことにした心療内科は元々祖父が前立腺がん
父がいつ怒鳴るか分からない生活といじめに疲弊した私は次第に活力を失っていき、高校2年生に上がると不登校になって
いじめから逃れて一ヶ月後、三者面談で私と母は担任の先生にいじめがあったことを話しましたが、加害者達に反省を促し
断りのメールを送信して、携帯の電源を切って無視を決め込んでから早1ヶ月。 私は下校途中、校門を出てすぐの道端で
小学5年生からいじめが始まり、中学生になると金銭の要求や使いっぱしりなどいじめの内容はエスカレートしていき、い
中学生にもなるといじめの加害者達は不良の先輩付き合いなども増えお金を消費する機会が多くなり、私はお菓子ではなく
私が大人しい性格に育ったのは家庭環境の影響なのか元来の性格なのかは定かではありませんが、母に向かって怒鳴り物に
私が小学生になる頃、祖母はこの家にあるもの全て使っている必要なものだ。ゴミなんか一つもないと言い張り、父と口論
私の家庭での父とはどういった人物なのか。 どんな状況下の家庭で育ったのか。 家庭で起きていたある大きな問題を取
さっきまで普通に喋っていたはずなのに…。 自分の部屋に逃げる暇もなく、その時は災害のように突如として訪れるので
私は大人しい性格で高校の友達と上手くコミュニケーションが取れないことが目立ったストレスとなり、普通科高校を退学
はじめまして。私の名前はさやかです。不登校、引きこもりの経験を経て、現在は社会復帰し仕事に就いています。 父親
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