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道助の自分セラピー https://michisuke.hatenablog.com/

道助(みちすけ)です。40過ぎのおじさんです。働きすぎからの心身症に休職、人にお酒に依存、離婚に自宅売却に一人暮らし。完治してないけれども、現実に戻ってきた今だから自分のケアを残したいと思い、始めたブログです。

道助
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2023/02/17

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  • 苦しい時、どう捉えるか

    心の苦しみは快でも不快でもある 人生には、どうしても避けられない苦しい時期があります。思うようにいかない現実に直面したり、出口が見えない状況に身を置かれたりすることもあるでしょう。どう捉えるか。 自分一人で乗り越えることのできないこともあります。 けれども苦しみは、決して無意味なものではありません。見つめ直す機会を与えてくれるものとも捉えられます。心が追い詰められたとき、何が本当に大切なのかが見えてくることがあります。 「今までがんばりすぎていたかもしれない」「もっと人に頼ってもいいのかもしれない」という気づきが、生まれる瞬間もあるかもしれません。 また、苦しいと感じることは、「これまでの方法…

  • 誰かを大事にするということ

    人を大事にするということ 人を大事にするとは、相手を思いやり、その存在を尊重すること。 誰かの話を真剣に聞き、相手の気持ちを理解しようとする姿勢。それだけで、人と人の間に温かなつながりが生まれます。何気ない行動の中に「あなたを大切に思っています」という心が宿ると、その気持ちは自然と伝わるものです。 相手の価値を認め、「あなたがいてくれてよかった」と感じる瞬間。それは小さな「ありがとう」の言葉や、困っているときに手を差し伸べる行動に表れます。 人を大事にすることは、巡り巡って自分を大事にすることにもつながります。誰かを尊重することで、「自分もまた誰かにとって必要な存在なんだ」と気づくことができま…

  • 幸せは足元にある

    幸せは足元にある 淡々と日々を過ごしていると、「幸せ」とはどこか遠いところにあるもののように感じることもあります。「もっと成功したら幸せになれる」「欲しいものが手に入ればきっと幸せになれる」 そんな風に、私たちは幸せを未来や外側に求めがちです。でも、ふと立ち止まって考えてみると、幸せとは自分のすぐそばの足元にあるように思います。 朝起きて窓を開けたときに差し込む日差し。好きなコーヒーを一口飲んだときのほっとする気持ち。誰かと笑い合ったり、ちょっとした会話が心を軽くする瞬間。 どれも特別なことではないけれど、小さな幸せの種です。それに気づくことができれば、日常の中に幸せをみつけることもできるので…

  • 食事について

    カレーを食べたかった、そんな日 食事をしてお腹が満たされると、自然と心も穏やかになることがあります。この感覚には、大脳辺縁系と呼ばれる脳の部分が深く関係しています。大脳辺縁系は、私たちの本能的な感情や欲求をつかさどる重要な役割を果たしています。食べるという行為は、ただ空腹を解消するだけでなく、脳を通じて私たちの心にも大きな影響を与えているのです。 食欲は、生きるための本能的な欲求です。お腹が空いた状態は、脳にとって一種の「危機信号」となり、大脳辺縁系が食べ物を求めるように体全体を動かします。そして、食事をして空腹が満たされると、脳は安心感を感じます。このとき、脳内では「ドーパミン」や「セロトニ…

  • 新年あっと言う間に過ぎていくから

    今 過去や他人を変えたいと思うことは、誰しも一度はあるかもしれません。過ぎた時間や他人の考えや行動をどうにかしたいと思う気持ちは、時に私たちを悩ませます。でも、過去と他人は変えられない、心理学者E・バーン博士の言葉です。 変えられないものに心を向けすぎると、エネルギーは疲弊してしまいます。しかし、変えられないものを受け入れると、今の自分に意識を向けることができるようになります。そして、自分を変えられるのは今の瞬間だけ。未来を変えたいなら、今日の自分に目を向けることが自分にとって価値のある時間となります。 「今」をどう使うかによって、未来は少しずつ形を変えていきます。小さな行動であっても、それを…

  • 感情は脳に

    自分の味方は自分 脳は自分自身にとって最も身近で頼れる存在です。私たちは日々、脳を使って考え、感じ行動しています。時には自分を責めたり、悲観的になったりすることもありますが、それでも脳は休むことなく、私たちがより良く生きるための手助けを続けています。 脳は1日に6万回思考をしていると言われています。その8割、約4万5千回はネガティブな考えだそうです。これは防衛本能から来るもので、遺伝的なものと言われています。 たとえば、悩みや問題に直面したとき、脳は無意識のうちに解決策を探し続けています。落ち込んだときにふと良いアイデアが浮かぶのも、脳が常に「どうすれば前に進めるのか」を考えてくれているからで…

  • この街には何人似た人がいるのかしら

    他人の空似 街を歩いていて、見知らぬ人から話しかけられたり、誰かと間違えられることがあります。しかも地元で。 「あれ、今日休みなの?この前はありがとうね」と言われて戸惑う瞬間。覚えていないだけで何かでご一緒させて頂いた人かなと、とりあえず反応します。 相手の話が進むにつれて、別人と間違えていると確証します。「多分、人違いじゃないですかね」なんて言っても、「何言ってるのよ」みたいな返答で肩を叩かれる。私の名前を言えるか訊いて初めてここで、別人だと気づいてもらえたりします。 小さな街なのに、過去2回あります。どんな意味があるのか、考えさせられる瞬間。 人生には、必然的な偶然の出来事が現れる瞬間があ…

  • 他力本願

    助けてと言える勇気 「助けて」と言うのは、とても勇気のいることです。人に迷惑をかけてしまうのではないか、頼ることで弱いと思われるのではないか、そんな思いが頭をよぎることがあるでしょう。でも、本当に困ったときに「助けて」と言えることは、弱さではなく、むしろ人としての強さだと感じます。 「他力本願」という言葉は、どこか他人任せというイメージで捉えられることもありますが、本来は違うそうです。他者の力を借り、支えられることで自分自身の力を発揮するという考え方です。 人は一人では生きられないものです。誰かの手を借りたり、支えてもらうことで前に進める。だからこそ、助けを求める勇気を持つことは、人間らしさそ…

  • 袖振り合うも他生の縁と雑草魂

    あの時代に教わったこと 道を歩いていて、誰かと肩が触れ合う瞬間。電車の中で、ふと目が合う人。袖振り合うも他生の縁、という言葉がありますが、日常の中で出会う人々は、偶然のようで実は何かしらの意味があるのかもしれません。 雑草はどんな環境でも根を張り、しなやかに生きていきます。それは、周りに目立つわけでもなく、ただ自分の役割を全うしているように見えます。雑草が枯れた場所には新しい芽が育ち、また次の命がつながっていきます。それは、自然が持つ力強さであり、生命が持つ繋がりのようでもあります。 雑草は人間のつけた言葉で、それぞれに存在意義があります。 私たちもまた、雑草のような生命の強さとしなやかさを持…

  • 希望は絶望の中に、絶望は希望の中に

    ダブルバインドかもだけれど 新しい年の始まりには、多くの人が希望を思い浮かべます。でもその一方で、不安や失敗、叶わなかったことに思いを巡らせる瞬間もあるのではないでしょうか。「希望は絶望の中に、絶望は希望の中に」という言葉には、そんな心の動きをそっと肯定する力があるように感じます。 絶望という言葉は、どこか避けたくなるものです。何かを失ったり、思い通りにいかなかったりする中で立ち止まることもあるかもしれません。でも、その立ち止まった場所から見えるものが必ずあると思います。それは、新しい道を探すきっかけであったり、これまでの自分を見直す機会だったりするかもしれません。絶望の中には次への一歩を支え…

  • 人との交流と自己肯定感

    希薄になるつながりの中でも交流の大切さを見直す 家族や地域とのつながりが薄れていると感じることはないでしょうか。総務省の「令和3年社会生活基本調査」によると、日本の家庭では家族全員が揃って過ごす時間が年々減少しているそうです。特に平日は仕事や学校の都合で家庭の時間が限られ、休日でも団らんの時間はあまり多くないという結果が出ています。 厚生労働白書では地域イベントやボランティア活動への参加率の低下が報告され、近所づきあいも少なくなってきているとのこと。新しく引っ越しても、隣近所への挨拶を避けるケースも増えているようです。こうした現象は、犯罪予防や安全のために他人との関わりを避ける風潮が強まってい…

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