名もなき私にも忘れがたい思い出が心の片隅に埋もれてます。当事者が既に亡くなってたり、その記憶にないことも含め、感謝と後悔の念を込めて可能な限り記憶から記録に残します。いわば昭和の生活の一端の記録。ハンドル名は大学時代の通称。
昭和30年前後のころではあるが、場所柄、小学校入学前の子供たちはほとんどが幼稚園に行っていた。だが、私は行かなかった。何故いかなかったのかは定かには覚えていない。母と話をして行かないで家で勉強することにしたのは覚えている。周りの子は幼稚園に行っているわけだから、当然遊び相手はいない。母も自宅で和裁の内職をしていて、邪魔にならないように過ごしていた。姉も幼稚園には行っていないから、姉と遊んだり、…
久が原の家はかなり広い庭を持っていた。 南側が道路に面していて、道路と建物の間が日当たりの良い庭で、また建物の西側も、後で8畳の和室を増築したり、2階の住人の玄関を作るほどの広さがあった。 南側の庭には、門の脇の東南の部分も含めて果樹が植わっていた。私の記憶の範囲では、物心ついたときにはすでに水蜜の桃の樹と、イチジクの樹があった。その後から東南の角地に夏ミカンの苗が植えられ、桃の隣に柿の苗…
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