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心の片隅 <忘れがたき人生の記録> https://kugaharamachi1037.seesaa.net/

名もなき私にも忘れがたい思い出が心の片隅に埋もれてます。当事者が既に亡くなってたり、その記憶にないことも含め、感謝と後悔の念を込めて可能な限り記憶から記録に残します。いわば昭和の生活の一端の記録。ハンドル名は大学時代の通称。

メデル1971
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2022/12/14

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  • そうそうたる親の顔ぶれの同級生

    中学の交友関係は、部活がやはり中心になる。クラスの中でも学年の中でも、同じ部活のつながりが強い。同学年の野球部は6クラスで5人しかおらず、私のクラスでは私一人だった。隣のクラスにも白神誠君一人で、6組には滑川雅士(後に一橋から経済企画庁へ)と錦織与志二、松田隆之の3人がいた。同学年の野球部が5人なので、当然にも3年生になった時には5人がメインのオーダーになった。錦織君は確か若くして亡くなったよ…

  • 坊主頭

    中学校では頭髪は坊主頭だった。伝統のある学校で明治時代の創立当時からの習わしだ。男は5厘から5分までの坊主頭で、女の子も華美なものは禁じられていた。近隣に跡見学園というのがあったがそこの女の子はお下げに決まっていて、お茶大附属中学のこは自由だったような気がする。ただ、お茶大の男の子はどうもなよなよした感じで好きではなかった。もっとも、教育大付属は男:女が2:1なのに対し、お茶大附属はその逆だっ…

  • 中学生活-野球部

    中学に入ったら部活があった。任意参加ではあるが、小学校で何かやっていたわけではないし、先輩後輩関係を学ぶこともできるし、何かした方が良いとの母親の意見もあり、入ることにした。だが体育が得意なわけでもないし、小学校で何らかの経験をしていたわけでもなく、どの部に入ったらよいか分からない。巨人大鵬卵焼き世代でもあり、小学校時代には友達が結構少年野球をやっている話をしていたので、この機会だから小学校の…

  • 母の実家

    父の本家は埼玉だが、母の実家は雪国にある。実家は正業中なので詳しくは書かないが、昔の家なので10人ぐらいの兄弟姉妹がいて、母は一番下とのことだ。母のすぐ上の姉で最後の子供にしようとその意味の名前を付けたところ、その後に母が生まれたのでその姉の名前をひっくり返して命名されたと聞く。いわば、「これで『スミ』」と名前を付けたところがまた産んでしまったので『ミス』とするようなものだ。それで母にお名前は一…

  • 父の実家と親族

    父の実家は埼玉の須加(今の行田市須加)にあった。 小学生の頃まではお盆になると、母と姉とで良く出かけた。熊谷から秩父鉄道に乗って武州荒木駅で降りて歩いたりタクシーに乗ったりしたが、駅から利根川に向かってほぼ直線2.5kmくらいで、歩くと1時間はかかった。駅前の角に父の親族が洋品店をやっていて、行きか帰りには立ち寄ったが、頭の禿げた叔父さんで男の子が2人いた。洋品店だけに、お土産に下着をもらっ…

  • 中学受験

    盗作事件で触れたが、中学校は受検して東京教育大学附属に入った。 6年生になると周囲では「慶応受ける。」だの「早稲田受ける。」だの「白百合受ける。」だのと、受検する学校の話が飛び交うようになった。東京の環境の良い住宅街に住んでいたから、成績の良い子供たちは4年生くらいから家庭教師がついて、それも同じ小学校の先生だったり、また進学教室に通ったりしていて、必然的な流れだった。私は日本進学教室に行か…

  • 小学校時代の盗作事件 クラス全体の糾弾に在って一人の天使が後の日航初の女性役員

    小学校の思い出としては、決して忘れることのできない事件がある。 それは、先生を筆頭としたクラス全体が敵となった時に、たった一人、しかも自分が一番心を寄せている人に助けられた物語だ。 小学校5年生の時、詩を書いてくるという宿題が出た。文学的素養も無く、まして詩を作るなんてやったことも無かったため、机に向かっていても一向に筆が進まない。何をどう書いたら良いのかと思って、参考書などを見てヒントを…

  • 小学校の遠足の記憶

    母や姉と行った「多摩川遠足」について書いたが、遠足と言えば小学校でも毎年出かけている。 どこに行ったのかほとんど覚えていないが、野毛山公園(動物園?)と井の頭公園の名前は憶えている。箱根の芦ノ湖にも行ったのかなぁ。6年生の時には日光湯元に修学旅行に行った記憶はある。 遠足と言えばお弁当屋やおやつがつきものだが、殆ど記憶にない。なんとなく、自分のお弁当がみんなのお弁当と少し違う様だったという…

  • 多摩川には母や姉とよく出かけた。

    小学校低学年くらいの頃までは、多摩川の川べりや多摩川園には、母や姉と、よく歩いて遊びに行った。久が原の自宅から沼部の品鶴線の鉄橋あたりまで直線で1.6kmくらいで、散歩がてらに行くには手ごろだったのだと思う。道すがら、母にはいろいろと野の花の名前を教えてもらったりして歩いたが、懐かしい時間だ。土手まで出ると、時には巨人軍グラウンドで練習風景を見たりもした。その当時は、川の東京都側は巨人軍で、向…

  • 家庭科の成績は5段階評価の「5」!

    いま、靴下の穴をかがっていて思い出した。小学校の時の家庭科はずっと「5」だった。男の子で「5」は他にはM浦君が一時いただけだった。 その当時の小学生だから、やることはガスでご飯を炊くことと、味噌汁を作ること、ちょっとしたおかずを作ったりの料理と、裁縫で雑巾を縫ったり、いろいろな縫い方を習ったり、刺繡をやったり、栄養について学んだりみたいな内容だった。 とはいえ、今も繕い物は自分でやるし、バ…

  • 小学校入学、そして初恋?

    小学校に入学して、それまでの自宅周辺の活動・交友範囲が広がり、女の子と接する機会もできた。ただ、小学校1年生2年生の時の同級生に誰がいたのかは全くと言っていいほど覚えていない。近所のM谷君も同じクラスだったような気もする。ひとりだけ強烈に覚えているのはK村佳子さんという女の子だ。記憶の範囲ではぽっちゃりした感じのおとなしい女の子だった。どうもその子に気がひかれ、仲良くしようとしていたことは覚えて…

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