Ryo Daimonji Blog箱眼鏡流れに押すやすべてみどり 小澤實 腰から腹に水が来る渓流である。鮎、山女などを採るために箱眼鏡を覗き続けている。そこそこの深さがあるので箱眼鏡を押し続けなければ流されてしまう。箱眼鏡は流れを切っているので覗くと時折水泡が見えるが
Ryo Daimonji Blog箱眼鏡流れに押すやすべてみどり 小澤實 腰から腹に水が来る渓流である。鮎、山女などを採るために箱眼鏡を覗き続けている。そこそこの深さがあるので箱眼鏡を押し続けなければ流されてしまう。箱眼鏡は流れを切っているので覗くと時折水泡が見えるが
Ryo Daimonji Blog猪もともに吹るゝ野分かな 松尾芭蕉 老年期とは言え家族とともにいるわたにしても、秋も台風に直撃されると心細く気弱になってしまうものである。一人暮らしの芭蕉翁にしてみればその侘しさも一入であるのであろう。ついつい強風に煽られているであ
Ryo Daimonji Blog宮柱太しく立ちて神無月 高浜虚子 ときは神無月、出雲へ行かれて神様はいらっしゃらない。そんな社の柱は変わらず太く堂々と立っている。静寂が逆に神の存在を感じさせることもある。清い世界である。
Ryo Daimonji Blog雨後の道まだら乾きや燕 小澤實 燕が飛来する頃の雨後である。何気ない景に燕を認め句とした。梅雨前の初夏のひと日。まだら乾きの道を行くにあてもない。
Ryo Daimonji Blog夏艸に富貴を飾れ蛇の衣 松尾芭蕉 夏草が貧乏くさく生い茂ることだが、せめて蛇の衣なと富貴をまして飾って欲しいものだ。芭蕉翁も蛇は嫌いであったようだが、その皮には富貴を認めていたようである。酒堂との書簡での愚痴のやりとりの一句であったよ
Ryo Daimonji Blog昼過ぎの炬燵ある間を煤払 高浜虚子 この句十一月二十五日の句会での作、とある。二十三人の名の記録がある。家の中で冬場炬燵のある間といえば、家族がくつろぐ大きい間を想像する。昼過ぎとあるので家族もそれぞれに、その間も空いていることなのだ
Ryo Daimonji Blog菜の花に坐せば対岸さらに濃し 小澤實 菜の花の黄につつまれてあるいは背にして坐り、対岸を見ていると一層その色が濃く見える。私はその色を緑と解した。黄色と緑の対比、そしてその間には春の川が流れている。この豊かな自然を私は作者とともに見て
Ryo Daimonji Blog四方より花吹入てにほの波 松尾芭蕉 琵琶湖は別称で「鳰の海」というらしい。その琵琶湖に花吹雪が吹き入っている。膳所・洒落堂からの大観とある。しほうよりはなふきいれてにほのなみと、ルビがあった。こういう大きく静かな句はいちごんも読み間
Ryo Daimonji Blog灯明るき大路に出たる夜寒かな 高浜虚子 句会の後、小路を入る居酒屋で飲んだ。ひととおりの別れの挨拶の後、一人で飲み直す店を探した。そうこうしているうちに西大路通りに出た。さほどに明るくはないが京都の西大路は大きな通りで北向きにどんどん
Ryo Daimonji Blog身の澄めり野沢菜漬に酒酌めば 小澤實 野沢菜は長野県下の特産とされる。この句の作者小澤實さんの故郷である。その野沢菜の漬物をあてに酒を飲むと身の澄むような心地がするという。いや、身が澄む、というのだ。故郷の酒はただ単に美味いだけではな
Ryo Daimonji Blog君やてふ我や荘子が夢心 松尾芭蕉 当時の俳人は多かれ少なかれ荘子に心を引かれていて、芭蕉も同様であったらしい。荘子が夢に蝶になる話は有名で、当時の俳人の常識でもあったらしい。そこで、君が蝶であるのか、このわたしが蝶を夢見ている荘子なの
Ryo Daimonji Blog五月雨に郵便遅し山の宿 高浜虚子 山中の宿に逗留している作者に五月雨がふる。見ていると昼前に郵便夫が来ている。五月雨のせいとも言えないだろうが、ちと遅いのではないか。なあに私は急くこともない身である。昼飯までをのんびりしようではないか
Ryo Daimonji Blog種馬の尻照る秋となりにけり 小澤實 稔りの秋、馬に限らず生殖行為にはめでたい気がある。よく世話された種馬の堂々たる尻のてかりには、親を継ぐ仔馬への期待と、おりからの秋という季節の豊かな締めくくりが感じられる。その全ての感慨を「秋とな
Ryo Daimonji Blogてふの羽の幾度越る塀の屋根 松尾芭蕉 この句「てふの羽」で蝶々が飛んでいる様を言いつくす。さらに「幾度越る」で何度も行き来する蝶々特有の飛び方が目に写る。全体としては古い言い回しと思うが、元禄三年(1690)作といえば、蝶々の原風景句と言っ
Ryo Daimonji Blog温泉に入るや昼寝さめたる顔許り 高浜虚子 明治三十二年七月、伊豆修善寺滞在記「浴泉雑記」を書くとある。その時に仲間内で昼寝ついでに温泉に入った時の、もの憂い自堕落な気分を詠んだものと思われる。そのような瞬間をも句にする俳人の性を感じる
Ryo Daimonji Blog般若心経二百六十二字涼し 小澤實 般若心経は朝夕できるだけあげるようにしています。二百六十二字でしたか。母は行として毎朝早く起きて写経をしていました。僕たち家族の世話をしながら、仕事もある中で100日の行をやりとげ、立派でした。意味も解
Ryo Daimonji Blogひばりなく中の拍子や雉子の声 松尾芭蕉 ひばりの鳴き声の中、雉子が拍子をとるように鳴いていることだなあ。ふと耳にした雲雀と雉子の声を句にしたものである。雲雀、雉子ともに春の季語である。こういう場合、いわゆる季重なりにはならないと理解
Ryo Daimonji Blog物売りの翁の髷や壬生念仏 高浜虚子 壬生念仏は、晩春 四月二十一日から二十九日まで、京都壬生寺で行われる花鎮法会の行事。 俗に、壬生狂言ともいう。円覚上人が鎌倉時代に布教のため唱えた珍しい仏教無言劇とされる。その時には当然多くの見物客が
Ryo Daimonji Blog 富士浅間二日灸の煙かな 高浜虚子 富士山が休火山であることは、幼い頃に学び知った。その富士山に見立てて二日灸を詠んだのだ。通常ならばこの描写はつきすぎの嫌味を感じるところであるが、この句そうは感じない。おそらく富士の祭神、木花咲耶姫
Ryo Daimonji Blog春の田は枯色畦はうすみどり 小澤實 確かに春の田は枯れている。しかしあちこちに春の息吹が見えている。それが、うすみどりである。ほらほら軽トラックが来るよ、トラックターも農道で順番待ちしてる。春耕はいつの日も活気に溢れる。山桜はまだまだ
Ryo Daimonji Blog此たねとおもひこなさじとうがらし 松尾芭蕉 吹けば飛ぶような種子、とあなどってはならない。こんな見栄えのしない唐辛子の種子でも、蒔けば秋にはぴりりと辛い実になるのである(小学館『芭蕉全句』)。あったあった広辞苑「こな・す」⑦見くだす。軽
Ryo Daimonji Blog晝寄席の下足すくなき寒さかな 高浜虚子 そもそも寄席というところは、晝行くところなのか、夜なのか、そこいら辺からよくわからない。ともかく、客足の少なさに季節の寒さを象徴させた句である。暑い時より寒い時の方が着る物で備えれば落ち着きそう
Ryo Daimonji Blog雪嶺まで信号五つすべて青 小澤實 雪を被った山までに信号が五つあってそれがすべて青だと言う。おそらく作者はその遠景を詠んだのではなくたった今、通り過ぎた時の幸運、きょとんとした不思議を詠んだものと思う。ありそうでなかなかないことである
Ryo Daimonji Blog似あはしや豆の粉めしにさくら狩り 松尾芭蕉 この句、まづ上五の「にあわしや」これは・・・に「似合う」をひらがなじたてに上五に持ってきたもので「・・・に、にあわしや」と決めたもの、では、何に似合うというのか、豪華な花見膳よりも「きな
Ryo Daimonji Blogとり出す納戸のものや蟋蟀が 高浜虚子 何かを取り出そうと納戸を開けたところ蟋蟀が飛び出たよ。と納戸の物ではなく蟋蟀に焦点を当て、季節感を詠んだ。この句この他に、〈とり出す納戸のものや蟋蟀〉〈とり出す納戸のものやきりぎりす〉と改作類句
Ryo Daimonji Blogひとすぢの光は最上鳥渡る 小澤實 最上川は、山形県を流れる一級河川で、流路延長229 kmは、一つの都府県のみを流域とする河川としては日本一であると、ネットにあった。それは素晴らしく大きな川で山国育ちの私には海に次いで憧れる大自然である。
Ryo Daimonji Blogかげろふや柴胡の糸の薄曇 松尾芭蕉 柴胡(サイコ)、ミシマサイコは、セリ科の多年草でさまざまな薬効があるらしい。その芽を柴胡の糸と表現して上五から下五まで繊細な仕立てになっている。ところで、この西胡のことをAIに聞いてみたのだが、それは
Ryo Daimonji Blog蓮臭き佛の飯を茶漬かな 高浜虚子 虚子さんのこういう句を、上手いと思う。上五「線香臭き」を「蓮臭き」と仏気をすらりと例えるあたり。その飯を茶漬で食べる、と日本人の平均的な仏教徒の日常に即して、おそらく沢庵でも添えて食べるのであろう。
Ryo Daimonji Blog秋風や犬の鳴らしたる金の皿 小澤實 犬を飼ったことのある人なら誰でもこの句の音を思い出すのではないだろうか、金であったかは別として、彼の食器の音である。うちはプラスチック製の皿でお決まりのドッグフードであった。時折紐に触れてその皿が
Ryo Daimonji Blog畑打音やあらしのさくら麻 松尾芭蕉 小石まじりの山畑なので、忙しい鍬使いの音が嵐のように聞こえる。春耕の厳しい一面を捉えつつ、さくら麻で「万葉集」「古今集」の情緒で包んだ。伊賀上野の近郊、阿拝郡荒木村白髭神社で詠まれたものらしい。
Ryo Daimonji Blogうめの實を必ずくるる隣あり 高浜虚子 どういう気持ちなのか分かりにくいんですが、そういうおたくってありますね。当然いただく方はありがたいんですが、その返礼(当方ではおためっていいます)も習慣的にあって、そのやりとりにその地域の成熟度が
Ryo Daimonji Blog軽トラック荷台にわれら合歓の花 小澤實 軽トラックの荷台に乗ったことがある人って案外少ないんじゃあないですか、場所にもよるのでしょうが晴れがましくて恥ずかしい気がします。でも反面、この句のように仲間の二、三人で乗せてもらったような場
Ryo Daimonji Blog木のもとに汁も鱠も桜かな 松尾芭蕉 花見料理である。汁、鱠と調えあり、宴たけなわといったところか。私の近辺は花はまだまだだが、こういう花見を久しぶりにしたいものだ。桜の木の下に懐石料理の膳を据えるというような花見は、そうそうないのでは
Ryo Daimonji Blog爐寒の誰まつとしもなき身かな 高浜虚子 爐寒は、ろさむと読むのか、いろりさむ、と読むのか。ともあれ炉、囲炉裏は冬の季語とある。炉の寒い冬、誰を待つということもない(侘しい)身の上であるなあ。ということなのかと読む。中七「まつと(いう
Ryo Daimonji Blog鰻屋の銜へ団扇や串かへす 小澤實 飲食を詠む飲食俳句は写生俳句の基本であると私は思っている。それに加えて、その調理についてもいえるのだと、この句を見て思った。団扇を銜えて串を返して焼く瞬間が見事に捉えられている。飲食俳句で何よ
Ryo Daimonji Blogうぐひすの笠おとしたる椿哉 高浜虚子 この句のポイントは、中七の「笠おとしたる」である。下五に「椿哉」とあるので、椿の笠、つまり椿の花笠のことであった。さほどに難しいところでもないが、一言口添えが欲しいところではあった。下五の「哉」
Ryo Daimonji Blog寒食や壺の底なるししびしほ 高浜虚子 「ししびしほ」とは、辞書によると、干肉を刻み、麹または塩に浸しならして製するという。「しおから」の類。とあった。こういう辛い食べ物は飯によく合うのだが、寒食にもよく合うのだ。
Ryo Daimonji Blog牛小屋の二階ものおき桃の花 小澤實 昭和40年代の頃には農家には一頭ずつ牛が農耕用に飼われていて、その牛小屋もそれぞれに個性があったように思う。この句の牛小屋にはその2階に物置用のスペースがあったようだ。我が家の牛小屋は牛が売り払われて
Ryo Daimonji Blog獺の祭見て来よ瀬田のおく 松尾芭蕉 この句は上五の獺の祭がいいのであります。瀬田の奥に行ったならば、それを見てきてくださいよ、酒堂への餞別句との前書きがあるようですが、酒堂は膳所住まいなのでこの前書は疑問と、解説にあります(芭蕉全句)。
Ryo Daimonji Blog寒食や竈の中の薪二本 高浜虚子 寒食(かんしょく)とは、中国の風習で、冬至から一〇五日目を寒食節といって火を断ち用意しておいた冷たいものを食べたようである。春秋時代に晋の文公が忠臣の死を悲しみ三月五日を命日とし、火気を禁じた故事によるら
Ryo Daimonji Blogつばくらや朝刊の昼とどく島 小澤實 昼に朝刊とは、意味をなさないではないか。いやいや、その悠長なリズムこそがよいのだよ。それに比し、つばめはこんな島にも律儀に来ている。〈買はんかな山桜咲く島ひとつ 小澤實〉あながち冗談ではないのだ。
Ryo Daimonji Blogくさまくらまことの華見しても来よ 松尾芭蕉 路通への師芭蕉翁の説教句らしい。「くさまくら」旅をするならその道中に本当の花見をしてきなさいよ、とでも言う意味か。なんでも路通は素行が悪く師芭蕉の勘気を蒙ったことがあるらしい。その後その勘気
Ryo Daimonji Blog凧籬の中より上りけり 高浜虚子 ひと口に籬(まがき)といっても、竹、柴などを粗く編んで作った垣(辞書)。ということで、その形態にもいろいろあるようです。それでも垣には人を遮る意思が感ぜられこの句でも作者に遠慮の気が感じられます。しかしな
Ryo Daimonji Blog木の家の窓も木の枠きりぎりす 小澤實 ひところ田舎暮らしが流行の兆しを見せた頃、木製の喫茶店や小屋なども目につくようになり今ではひとつの趣味として定着した感がする。この句、そういった木製の家を木製の窓と詠み重ねることによってその風味を
Ryo Daimonji Blogとしどしや桜をこやす花のちり 松尾芭蕉 この句は「花は根に」という謡曲によるらしい。謡曲とは、能の詞章のこと。 演劇における脚本に相当する部分のことだそうな。咲き終えた花が根元に散り積もって肥やしとなる、と寓話じみるがこの句、そんなこ
Ryo Daimonji Blog塊に菫さきたり鍬の上 高浜虚子 春耕の一シーン、上五の「塊に」がうまいと思う。鍬使いの一瞬に鍬に乗せた土くれにすみれの花もまじり乗ったのを見逃さず一句にした、と言うところか。忙しなくかじいていく母の鍬使いをこの句で思い出した。虚子翁
Ryo Daimonji Blog夕桜自転車のベル澄みにけり 小澤實 よく咲いた桜の元へ自転車で来てみた。昼間とはまた違って静かな美しさであった。ベルを鳴らしてみるといい音がした。それは、桜の声とも思われる澄んだ響きなのだ。
Ryo Daimonji Blogのミあけて花生にせん二升樽 松尾芭蕉 薦被りの樽に詰められた酒を薦被りと言って慶事に振舞われる。この樽が四斗(四十升)入りだそうで、この句は二升樽と手頃である。そもそも薦被りの酒を煽り飲む様なことは一般ではまずないことなのでニ升樽で十分
Ryo Daimonji Blog藤棚や二軒竝んで煮賣茶屋 高浜虚子 「煮売」とは、飯および魚・野菜・豆などを煮て売ること、とある。さらに「茶屋」を見ると路傍で客に飲食、遊興させることを業とする家。つまり、路傍に二軒続いて飲み食い屋さんがあって、美しく藤棚がありますよ
Ryo Daimonji Blog湯を捨てて屋台しまひや梅の花 小澤實 その日の労働のしまいかたにもいろいろあるが、屋台の場合、湯を捨ててしまうというのは最も言い得て妙と思う。そのしまう時のやれやれ感や客足のまばらとなった通りの侘しさなどをしみじみと感じる。京都の伏見
Ryo Daimonji Blog山吹や笠に指べき枝の形り 松尾芭蕉 私が山間地に暮らしているせいか、山吹という花には常に郷愁を感じてしまう。しかし、枝の形りと言われてもそこまで細かく正確に思い出せない、即ネットで調べた。なるほど細長く笠に指すのに程よいかたちだった。
Ryo Daimonji Blog梅三株漁村を守る社かな 高浜虚子 この句、言い足らず、言い過ぎず漁村を素朴に詠み切っていて素晴らしいかな句であると思います。この村が慎ましく誠実にあることを社が真中にあり、それを美しく梅が守ると、しかもたった三株で、とするところに遺憾
Ryo Daimonji Blog不精さやかき起されし春の雨 松尾芭蕉 不精とは、面倒くさがってなまけがちなことと辞書にあった。この句の場合、朝さっと起きず床の中にぐずぐずすることを言っているようだ。そうこうしているうちに「手で引き起こされる」と言ったことになったよう
Ryo Daimonji Blog竹青き詩人の家や梅もなし 高浜虚子 この句に、この詩人が誰なのか、どういう人なのか、虚子さんとの関係は、といろいろ考えてしまう。上五に竹青きとあるので、若く青臭い人と思ってしまう。しかも春だというのにその庭には梅のひとつもないと、くさ
Ryo Daimonji Blog我山に我れ木の実植う他を知らず 西山泊雲 自分の山に自分の木の実を植えた。そういう生き方のほかは知らないと、愚直に生きた自分の人生を詠んでいる。さて、この人は弟野村泊月とともに丹波二泊と言われた、ホトトギスの俳人であった。私んとこと、
Ryo Daimonji Blog月待や梅かたげ行く小山伏 松尾芭蕉 上五の「月待」とは、中世・近世に三夜・十七夜・二十三夜・二十六夜に月を拝む習俗があって、以上のいずれかの夜に人を呼び酒宴を行ったらしい。私が月待で、卓袋さんの家に呼ばれて行く途中、小山伏が大きな梅の
Ryo Daimonji Blog梅林や轟然として夕列車 高浜虚子 梅林と夕列車との取り合せ、それに轟然という形容動詞でその様を表しています。美しい梅林にいて大音響を立てて列車がとおりすぎて行きます。その不穏な空気が伝わります。しかも、夕暮れ時に、作者はどうしてそこに
Ryo Daimonji Blog白魚をすすりそこねて死ぬことなし 齋藤 玄 白魚をすすりそこねて、当然死ぬことなどあり得ないのである。それを俳句にするという特別をこの句にはまづ感じなければならなかった。果たして、作者は1980年に直腸癌により死去、66歳であったとある(ネ
Ryo Daimonji Blogやまざとはまんざい遅し梅花 松尾芭蕉 この句には「伊陽山中初春」と前書がある。「伊陽」は伊賀国上野(三重県上野市)あたりであるらしい。その山中では正月に来るまんざいが、梅の花が咲く頃に来る、なんとも遅いことである。と詠んでいる。「やまざ
Ryo Daimonji Blog恋猫や鮑の貝の片思ひ 内藤鳴雪 恋猫、鮑とくるとなにやら連想してしまうのだが、「鮑の貝の片思ひ」は鮑が二枚目の片方の貝のみのように見えるところからそう言われてきたようだ。それと「万葉集」巻十一の「伊勢の海女の朝な夕なに潜くといふ鮑の貝
/24 Ryo Daimonji Blog梅若菜まりこの宿のとろゝ汁 松尾芭蕉 この句には前書に「餞乙州東武行(おとくにがとうぶのこうにはなむけす)」とある。つまりは、乙州が江戸へ出立する餞別句である。その句意は、あなたの道中には梅が美しく咲き、畑には若菜が目に入ることで
Ryo Daimonji Blog雨戸たてて遠くなりたる蛙かな 高浜虚子 まづ、上五「雨戸たて」ではなく「雨戸たてて」と上六にして三段切れを避けた気配りに感心する。さらに現代風に雨戸を「閉める、閉づ」ではなく「たてて」とあるあたりに時代考証の細やかさを感じる。遠くなっ
Ryo Daimonji Blog恋猫の颯とたてがみのやうなもの いのうえかつこ この恋猫という季語には雌雄はなくどちらも恋をして発情するようですが、この句は雄猫を詠んでいるようです。格好いい場合「颯爽」と書きますが、この句の場合瞬間の猫の毛を捉えて「颯」と表現された
Ryo Daimonji Blog木曾の情雪や生ぬく春の草 芭蕉 芭蕉翁が木曾義仲贔屓であることは知っていた。しかし、芭蕉は生前は義仲の墓所木曾塚に並んで庵を結び、死後はなきがらを木曾塚の横に葬らせた、ほどであるとは知らなかった。この句、上五の「木曾の情」がどれほどわ
Ryo Daimonji Blog蠶飼ふ麓の村や托鉢す 虚子 托鉢(たくはつ)とは、僧侶が修行の一環として、経を唱えながら家々を回り、食物や金銭を鉢に受けて回ることで乞食(こつじき)や行乞(ぎょうこつ)とも呼ばれる、とある(ネット情報)。俳諧師は乞食ほどに欲から遠く身
Ryo Daimonji Blog春寒のケシゴム一行の字をそげり 鷲巣繁男 まだ春に到達していない寒い日である。書き始めては見たものの今ひとつしっくりこないのである。一行を消し、書き改めることにした。一行を消し削ぐ役割をケシゴムは果たす。次を書くのは自分の仕事だ、束の
Ryo Daimonji Blog大津絵の筆のはじめは何仏 芭蕉 そもそも大津絵があって、そしてそれは、始めから順番に仏事を書くものなのであろうか、そういった大津絵にまつわる何某かの前提を蕉翁は仰りたく、その思いをこの俳句にされたものと思う。ところが、私にはそこのとこ
Ryo Daimonji Blog宿借さぬ蠶の村や行きすぎし 虚子 昭和三十五年ごろ私の村でも養蚕業をされているお宅があった。くず蚕が家の隅に桑の葉と共に捨てられていてそれをもらって帰り、成虫に孵して遊んだことがある。養蚕も忙しそうで、人様に宿をかすなどの余裕はあるま
Ryo Daimonji Blogたくさんの吾が生るるしやぼん玉 津川絵里子 しやぼん玉遊びで、可愛く夢がひろがるのは三歳から小学の低学年ぐらいか。いやいや、いくつになっても童心に戻るというか子供が一緒であればなおさら楽しくなる。作者はそのシャボン玉に多くの自分が映る
Ryo Daimonji Blog天子賢良を招き蛇穴を出る 虚子 天子を国の君主であるとか天皇と解して読む。日本人の常識ほどには天子さまを敬う気持ちはあります。その天子さまが賢良なる者を招き宴などを催される。世は蛇が冬眠から覚め這出づる春である。天子と賢良がなす国政の
Ryo Daimonji Blog心臓はひかりを知らず雪解川 山口優夢 作者は開成高校卒の俳句甲子園で活躍された俳人であるらしい。この句は作者何歳の時の作かはわからないのだが、心臓を意識する歳でもないようだ。心臓と雪解川を取り合わすとはさすが、素晴らしい感覚と思う。冷
Ryo Daimonji Blog煤掃は杉の木の間の嵐かな 芭蕉 煤掃きは、新年を迎えるために、一年間の煤を払って家屋の内外を清めることという冬の季語である。この句、その煤払いは自分にとって杉の木の間を吹く嵐である、なんとなれば自分は年中旅の空で出歩いているのだから、
Ryo Daimonji Blog春潮や巌の上の家二軒 虚子 春になると潮の色が澄んだ藍色に変わり、海面が豊かにふくれてくるような印象を受ける、と歳時記の解説にあった。そういう波がざぶーんと来る大きな岩盤の上に家が二軒あるという。家二軒といえば、私は蕪村のさみだれや
Ryo Daimonji Blog書を校す朱筆春立つ思あり 柴田宵曲 氏は『分類俳句全集』アルス版など、編集出版の仕事に携わられたらしい。そう言った仕事上も、前に出ることを避け、頑なまでに清貧であろうとする偏屈を感じるお人柄であったようだ。 書を朱筆で校正するとき、
160-2/9 Ryo Daimonji Blog住みつかぬ旅のこゝろや置炬燵 芭蕉 「旅心」と言う心境を俳句にしている。つまり、ひとつどころに落ち着いて定住しない自分の心はひとつどころに定め置かれる置炬燵に反していることだなあ。あるいは置炬燵を移動式炬燵と解して、その炬燵
Ryo Daimonji Blog幌馬車は葵の上や春の雨 虚子 春の雨が幌馬車にふっている。六条の御息所(みやすどころ)の嫉妬(しっと)の生霊(いきりょう)が,ライバルの葵上(光源氏の正妻。)の幌馬車に生温かい春の雨となって降っている、とネット情報で読んでみましたが、全く自信
Ryo Daimonji Blog恙なしや今日立春の鳥獣 北原志満子 恙なしとは、やまいがない、息災である。と辞書にあった。息災とは、仏・菩薩の力などによって厄災を消滅させることとある。この句、鳥獣までも恙無く立春を迎え得たことを喜んでいる。仏縁の深い作者なのかとネ
Ryo Daimonji Blog節季候の来れば風雅も師走哉 芭蕉 節季候(せきぞろ)とは、江戸時代、歳末に「せきぞろ、めでたいめでたい」と人家を巡っては庭で踊り囃した門付けとよばれる芸人集団のこと、とされ、冬の季語にあった。世間では年の暮であわただしくなり俳諧どころで
Ryo Daimonji Blog琴棋書晝松の内なる遊びかな 虚子 正月も松の内である、琴囲碁将棋と日本の遊びは奥が深いのであります。昼の日なかから遊び惚けるのも今のうち、そんな気分を「かな」で詠嘆しています。今時に言い直すと、任天堂のゲーム攻略松の内てなところです
Ryo Daimonji Blog蟲鳥のくるしき春を無為(なにもせず) 高橋睦郎 春は蟲、鳥にとって苦しい季節なのだろうか。行きとし生けるものみな、春夏秋冬苦しいといえば苦しく、楽といえば楽に生きているものではなかろうか。有為。何かを為すと考えてから生きるか、とりあ
Ryo Daimonji Blog雪ちるや穂屋の薄の刈残し 芭蕉 この句のキーワードは「穂屋」、萱や薄で葺いた小屋のことで、諏訪上下両社で行われる御射山祭の宿のことも穂屋と言う。冬の信濃路を行くと薄の刈り残しが見られ、そのお祭りのことが偲ばれます。陰暦で七月の二十六
Ryo Daimonji Blog牡蠣をむく火に鴨川の嵐かな 虚子 一読、鴨川で牡蠣って取れたっけ、と思いました。産地直送ってのはあるでしょうが、それでは句意がそれてしまうしねえ。そのまま読みます。嵐の日に鴨川で牡蠣をむいています。寒いので焚き火をしてその作業をして
Ryo Daimonji Blog老人のかたちになつて水洟かむ 八田木枯 私は幼い頃から鼻をよくかむほうだったと思う。蓄膿症ではないかと思うほどだった。タバコを吸うようになって、そのことをあまり意識しなくなったように思う。それにしても鼻をかむ姿に老若を意識したこともな
Ryo Daimonji Blog霜の後撫子さける火桶哉 芭蕉 霜が降りて寒いので火桶を出した、その火鉢に描かれた撫子がきれいに咲いているよ。という順番で、火桶の見た目にも美しい味わいを句で詠んでいる。俳句の表現技術の芸術性を感じる。
Ryo Daimonji Blog霜やけの手を集めたる火鉢かな 虚子 擬人化俳句である。火鉢が霜やけの手を集めたと言う、「霜やけの手の集まりし火鉢かな」と擬人化を避ける手もある。しかし、原句の方が物語があって膨らみがある。例えば集まっているのは大人ではなく三つ五つつの
Ryo Daimonji Blog咳をして死のかうばしさわが身より 山上樹実雄 この句、死の香ばしい匂いが自分の身よりするという。「かうばし」は「かぐわし」の音便でこんがり焦げたようなよいにおい、とある。作者は眼科医でもあり、自分のことであっても病を客観冷静に捉えうる
Ryo Daimonji Blog初雪や聖小僧の笈の色 芭蕉 聖小僧とは、本来は、成人の僧を指す〈大僧〉の対で、年少の仏道修行者を指すようです。その僧の書物などを入れる背負箱の色を初雪との対比で詠んでいます。 聖は平安時代から官僧に対して、世を捨てて仏道に励む半僧半
Ryo Daimonji Blog寒潮に河豚の毒を洗ひけり 虚子 塩というのは不思議な食材である。喪の汚れを祓うためと言って身に振りかけたり食の毒消しにも使ったりする。この句は、寒の潮に河豚の毒を洗うと言う。この上なく冷たい塩水で確かに河豚毒も清められそうである。この
Ryo Daimonji Blog女人咳きわれ咳つれてゆかりなし 下村槐太 講演会や音楽会などで開演前にそれぞれに咳をする。開演後の迷惑を考えると音楽会などは特にする。講演会なども同じような心理ではあろうがする、なんか人につられているようで愉快ではない。この句のせき、
Ryo Daimonji Blogきりぎりすわすれ音になくこたつ哉 芭蕉 この場合のきりぎりすは蟋蟀(こおろぎ)のことのようだ。音の字以外はひらがなにして哉だけ漢字として視覚的に韻をとる。きりぎりすは秋の季語だがこたつが冬の季語で主たる位置をとる。きりぎりすとこおろぎの
Ryo Daimonji Blog物狂ひ十夜の寺に這入りけり 虚子 この句の季語は「十夜」で冬の季語とある。浄土宗の念仏法要で今は新暦で真如堂で十一月五日から十五日まで山籠して行うらしい。そこへ「物狂い」すなわち正常な判断力を失った体で這入ったらしい。いつの時代にも
Ryo Daimonji Blogしづかなるいちにちなりし障子かな 長谷川素逝 この静かな句を読んでこの作者の俳号が気になりネットで調べた。「逝」があるからだ。案の定39歳の結核での早逝である。そのほかには、「京鹿子」「ホトトギス」「京大俳句」が目に止まった。他に〈
Ryo Daimonji Blogしぐるゝや田の新株の黒むほど 芭蕉 芭蕉は元禄三年九月二十七日に近江の膳所義仲寺の草庵から京都へ出、二十九日頃、故郷の伊賀へ向かった。その途中吟(小学館 松尾芭蕉集①全発句)とある。稲を刈った後の株を新株というのは初めてだが、その株
Ryo Daimonji Blog雪にとまる鐵道馬車や日本橋 虚子 日本橋という橋の名前あるいは東京の地名に郷愁を感じる。江戸時代に五街道の起点とされ、その橋は歌川広重により「東海道五拾参次」の巻頭に描かれた名橋でもあった。欄干の中央を飾る青銅の街燈の麒麟像に帝都東
Ryo Daimonji Blog金屏風何んとすばやくたたむこと 飯島晴子 この句に限らないが、この句は正面から金屏風の美しさを描こうとはしていない。それをたたむ仕事人の手際を詠んでいる。イベントはいかに撤収をはやく済ませるかで殺気立つところがある。そこを見ているのだ
Ryo Daimonji Blog薦を着て誰人います花のはる 芭蕉 西行の撰集抄に乞食に身を置いた高僧が挙げられている。芭蕉は三十代に自分を「乞食の翁」と呼び乞食に落ちぶれている人の中に賢人がいると信じていた。路通はそのような境遇から引き上げられた弟子であった。 薦
Ryo Daimonji Blog小日向に借家をさがす年のくれ 虚子 人生で家を、それも借家を探すということはそれほどないと思います。若い時であればその時の勢いで結果として乗り切れることもあるでしょうが、タイミングが狂うとどうしようもないこともあります。 この句、作
Ryo Daimonji Blog重き書は手近に置いて冬籠 佐藤紅緑 一読、「重き書」の意味に迷った。自分にとってとても意義深く精神的に重い本てある。そういう本のことかと思ったのだ。ところが、解説を読むと重量のこととしてあった。なるほど、そういう生活感て俳句ではある。
Ryo Daimonji Blog何に此の師走の市にゆくからす 芭蕉 何度も読んでみて、やはりこのカラスは自分のことを詠んでいるのだと思う。自嘲的に「なにをするために」あるいは「なんで」「わしはこの忙しい師走の市場にゆくのだろう」上五の「なににこの」が自身の師走の身の
Ryo Daimonji Blog材木に雪積りけり川の中 虚子 この句は11月13日の根岸庵での定例句会の作とある。貯木されているものか流れ来たものか、いずれにしても寒く冷たい冬の川の中の木にさらに雪が降り積もっている。この上ない寒さが描かれているのだが、材木に雪の取り
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Ryo Daimonji Blog箱眼鏡流れに押すやすべてみどり 小澤實 腰から腹に水が来る渓流である。鮎、山女などを採るために箱眼鏡を覗き続けている。そこそこの深さがあるので箱眼鏡を押し続けなければ流されてしまう。箱眼鏡は流れを切っているので覗くと時折水泡が見えるが
Ryo Daimonji Blog猪もともに吹るゝ野分かな 松尾芭蕉 老年期とは言え家族とともにいるわたにしても、秋も台風に直撃されると心細く気弱になってしまうものである。一人暮らしの芭蕉翁にしてみればその侘しさも一入であるのであろう。ついつい強風に煽られているであ
Ryo Daimonji Blog宮柱太しく立ちて神無月 高浜虚子 ときは神無月、出雲へ行かれて神様はいらっしゃらない。そんな社の柱は変わらず太く堂々と立っている。静寂が逆に神の存在を感じさせることもある。清い世界である。
Ryo Daimonji Blog雨後の道まだら乾きや燕 小澤實 燕が飛来する頃の雨後である。何気ない景に燕を認め句とした。梅雨前の初夏のひと日。まだら乾きの道を行くにあてもない。
Ryo Daimonji Blog夏艸に富貴を飾れ蛇の衣 松尾芭蕉 夏草が貧乏くさく生い茂ることだが、せめて蛇の衣なと富貴をまして飾って欲しいものだ。芭蕉翁も蛇は嫌いであったようだが、その皮には富貴を認めていたようである。酒堂との書簡での愚痴のやりとりの一句であったよ
Ryo Daimonji Blog昼過ぎの炬燵ある間を煤払 高浜虚子 この句十一月二十五日の句会での作、とある。二十三人の名の記録がある。家の中で冬場炬燵のある間といえば、家族がくつろぐ大きい間を想像する。昼過ぎとあるので家族もそれぞれに、その間も空いていることなのだ
Ryo Daimonji Blog菜の花に坐せば対岸さらに濃し 小澤實 菜の花の黄につつまれてあるいは背にして坐り、対岸を見ていると一層その色が濃く見える。私はその色を緑と解した。黄色と緑の対比、そしてその間には春の川が流れている。この豊かな自然を私は作者とともに見て
Ryo Daimonji Blog四方より花吹入てにほの波 松尾芭蕉 琵琶湖は別称で「鳰の海」というらしい。その琵琶湖に花吹雪が吹き入っている。膳所・洒落堂からの大観とある。しほうよりはなふきいれてにほのなみと、ルビがあった。こういう大きく静かな句はいちごんも読み間
Ryo Daimonji Blog灯明るき大路に出たる夜寒かな 高浜虚子 句会の後、小路を入る居酒屋で飲んだ。ひととおりの別れの挨拶の後、一人で飲み直す店を探した。そうこうしているうちに西大路通りに出た。さほどに明るくはないが京都の西大路は大きな通りで北向きにどんどん
Ryo Daimonji Blog身の澄めり野沢菜漬に酒酌めば 小澤實 野沢菜は長野県下の特産とされる。この句の作者小澤實さんの故郷である。その野沢菜の漬物をあてに酒を飲むと身の澄むような心地がするという。いや、身が澄む、というのだ。故郷の酒はただ単に美味いだけではな
Ryo Daimonji Blog君やてふ我や荘子が夢心 松尾芭蕉 当時の俳人は多かれ少なかれ荘子に心を引かれていて、芭蕉も同様であったらしい。荘子が夢に蝶になる話は有名で、当時の俳人の常識でもあったらしい。そこで、君が蝶であるのか、このわたしが蝶を夢見ている荘子なの
Ryo Daimonji Blog五月雨に郵便遅し山の宿 高浜虚子 山中の宿に逗留している作者に五月雨がふる。見ていると昼前に郵便夫が来ている。五月雨のせいとも言えないだろうが、ちと遅いのではないか。なあに私は急くこともない身である。昼飯までをのんびりしようではないか
Ryo Daimonji Blog種馬の尻照る秋となりにけり 小澤實 稔りの秋、馬に限らず生殖行為にはめでたい気がある。よく世話された種馬の堂々たる尻のてかりには、親を継ぐ仔馬への期待と、おりからの秋という季節の豊かな締めくくりが感じられる。その全ての感慨を「秋とな
Ryo Daimonji Blogてふの羽の幾度越る塀の屋根 松尾芭蕉 この句「てふの羽」で蝶々が飛んでいる様を言いつくす。さらに「幾度越る」で何度も行き来する蝶々特有の飛び方が目に写る。全体としては古い言い回しと思うが、元禄三年(1690)作といえば、蝶々の原風景句と言っ
Ryo Daimonji Blog温泉に入るや昼寝さめたる顔許り 高浜虚子 明治三十二年七月、伊豆修善寺滞在記「浴泉雑記」を書くとある。その時に仲間内で昼寝ついでに温泉に入った時の、もの憂い自堕落な気分を詠んだものと思われる。そのような瞬間をも句にする俳人の性を感じる
Ryo Daimonji Blog般若心経二百六十二字涼し 小澤實 般若心経は朝夕できるだけあげるようにしています。二百六十二字でしたか。母は行として毎朝早く起きて写経をしていました。僕たち家族の世話をしながら、仕事もある中で100日の行をやりとげ、立派でした。意味も解
Ryo Daimonji Blogひばりなく中の拍子や雉子の声 松尾芭蕉 ひばりの鳴き声の中、雉子が拍子をとるように鳴いていることだなあ。ふと耳にした雲雀と雉子の声を句にしたものである。雲雀、雉子ともに春の季語である。こういう場合、いわゆる季重なりにはならないと理解
Ryo Daimonji Blog物売りの翁の髷や壬生念仏 高浜虚子 壬生念仏は、晩春 四月二十一日から二十九日まで、京都壬生寺で行われる花鎮法会の行事。 俗に、壬生狂言ともいう。円覚上人が鎌倉時代に布教のため唱えた珍しい仏教無言劇とされる。その時には当然多くの見物客が
Ryo Daimonji Blog 富士浅間二日灸の煙かな 高浜虚子 富士山が休火山であることは、幼い頃に学び知った。その富士山に見立てて二日灸を詠んだのだ。通常ならばこの描写はつきすぎの嫌味を感じるところであるが、この句そうは感じない。おそらく富士の祭神、木花咲耶姫
Ryo Daimonji Blog春の田は枯色畦はうすみどり 小澤實 確かに春の田は枯れている。しかしあちこちに春の息吹が見えている。それが、うすみどりである。ほらほら軽トラックが来るよ、トラックターも農道で順番待ちしてる。春耕はいつの日も活気に溢れる。山桜はまだまだ
Ryo Daimonji Blogみづうみのみなとのなつのみじかけれ 田中裕明 この句は第五句集『夜の客人』に収められている。平成十七年一月ふらんす堂よりとあるので、平成十六年十二月白血病による死後のことである。この句の「なつのみじかけれ」は裕明そのものであった。付箋
Ryo Daimonji Blog梅こひて卯の花拝む涙哉 芭蕉うめこひて うのはなおがム なみだかな 貞享二(1685)年四月の作。季語は「卯花」で夏。『野ざらし紀行』の旅の途中、其角参禅の師である大顚和尚が亡くなったことを知り、其角に送った追悼句。もはや見ることのできな
Ryo Daimonji Blog短夜の闇に聳ゆる碓氷かな 虚子 碓氷峠は群馬県と長野県の県境にあって御地の交通の要衝のようだ。確かに山岳地帯であるが、私は不見識もあって聳えるという表現にはネット情報での峠のアーチ型煉瓦橋が印象に残るばかりであった。「短夜の闇に聳ゆる
Ryo Daimonji Blog春雨といふ音のしてきたるかな 鷲谷七菜子 七菜子は大正十二年生まれ。山口草堂門。草堂の指名で「南風」を継承した、とある『名句の所以』53頁。 雨の音というのも、四季折々で趣にちがいはあるのだと思う。春雨といえば冷たさがちがう、そこに同
Ryo Daimonji Blogいざともに穂麦喰はん草枕 芭蕉 貞享二(1685)年四月の作。『野ざらし紀行』途次の作。この句何やら檄を飛ばしているようでもあるが、「野ざらし」の同行者路通へのものとは思えない、おそらくは自分自身を鼓舞するような気持ちではないかと思う。「さ
Ryo Daimonji Blog夏山の小村の夕静かなり 虚子 明治二十七年虚子二十歳の作。中七下五はまさに私の住む村そのものである。少子高齢化が進み、もはや小村の昼静かなりといったところである。上五「夏山の」には虚子二十歳の勢いにつられ、3000メートル級の日本アルプ
Ryo Daimonji Blog春の家裏から押せば倒れけり 和田悟朗 和田悟朗氏は大正十二年生まれ。「白燕」同人代表。私は、自分の家を解体した経験がある。大きなユンボで四方から潰してゆくのを見ているのは辛いことであった。ユンボの舳先がくるり回り裏側から引き寄せるよ
Ryo Daimonji Blog杜若われに発句のおもひあり 芭蕉 この句は貞享二(1685)年四月四日、鳴海の知足亭で巻いた連句の発句であるとか、庭の美しい杜若を見ていると、昔、在原業平が「唐衣着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」(『古今集』『伊勢物語』)と
Ryo Daimonji Blog大紅蓮大白蓮の夜明けかな 虚子 蓮は澤の彦根大会の吟行で初めてしげしげ見たのが初めてだった。白であった。紅は見たことがない。この句その上に大がついている。そういうたっぷりした蓮を見ればそれは満足できるというもんだ。その上に夜明け
Ryo Daimonji Blogあたゝかや挨拶長き京言葉 田畑三千女 三千女は明治二十八年生まれ。高浜虚子門。「ホトトギス」同人。三千女は十二歳の舞妓の時に虚子に会い、虚子の小説『風流懺法』のモデルになった女性、とある(『名句の所以51頁』)。上五で京言葉を褒めているの
Ryo Daimonji Blog蝶の飛ばかり野中の日かげ哉 芭蕉 貞享二年(1685)笈日記とある。野には蝶ばかり、つまり蝶だけが飛んでいると逆説に強調しているものと解する。そして、その飛ぶ蝶が野中の影をなしていると解するか、日陰へと飛んでいると詠嘆しているとも解せら
Ryo Daimonji Blog蝸牛葉裏に雨の三日ほど 虚子 三日ほど雨の続く日である、葉裏に蝸牛が居ると蝸牛に雨がちな初夏を代弁させている。その上この蝸牛もまだ小さいのであろう、葉裏にいると遠慮気味に出すあたり、虚子先生のさすがと言える渋さである。反面今日的には
Ryo Daimonji Blog腹這へば乳房あふれてあたたかし 土肥あき子 あき子氏は昭和三十八年静岡県生まれとある。女性にとって乳房は年代にもよるだろうが、結構なテーマであろうと思う。あふれてあたたかい、とは多くの同性の羨望ともなろう。その響きに自己への肯定感がい
Ryo Daimonji Blog船足も休む時あり浜の桃 芭蕉 歳時記に梅の花が終わってまだ桜には早い頃の花。とあるが、私は近くで桃の花をしっかりと見るということがない。梅が咲いたと思うとすぐに桜が満開となる。そして早くも葉桜である。 貞享ニ(1685)年作。東海道の宿駅
Ryo Daimonji Blog爐塞いで此夕ぐれをいかん僧 虚子 爐塞、ようやく寒さも遠のいてきたので、冬のうち親しんできた囲炉裏や茶炉を塞ぐのであるが火がないと何やら広々とするこの夕ぐれが、手持ち無沙汰である、と嘆く僧であった。この「僧」自分のことと読んだが、他を
Ryo Daimonji Blog涅槃図にまやぶにんとぞ読まれける 後藤夜半 この句の核は「まやぶにん」。涅槃図に毛筆でそう書いてあるものがあるようだ。「まやぶにん」は「摩耶夫人」である。釈迦の母であって、産後七日目で亡くなってしまわれたとか(『名句の所以』著 小澤實)
Ryo Daimonji Blog命二ツの中に生たる桜哉 芭蕉 貞享ニ(1685)年の作『野ざらし紀行』。前書きに「水口にてニ十年を経て故人に逢ふ」とある。「命二ツ」とは芭蕉と土芳のことである。その再会の感激を水口の桜に託しているのだ。この時代に二十年を超えて逢うということ
Ryo Daimonji Blog夕暮の汐干淋しやうつせ貝 虚子 明治27年3月20日「小日本」とある。この頃虚子は碧梧桐と行動を共にしていたようだ。虚子二十歳の作品である。夕暮のしおひ狩り(と解する)に空の貝があつた淋しいことだと、虚子若き日のノスタルジーと読んだ。
Ryo Daimonji Blogはりつけにあらず寝釈迦は寝給へり 及川貞 キリスト教の尊師キリストは磔で死んだ、多方仏教の尊師釈迦は寝るように死んだ。いずれがという評価を言っているのではない、その違いを俳句に詠んだのだ。そしてその穏やかな寝姿にお釈迦さまへの敬愛の念
Ryo Daimonji Blog菜畠に花見皃なる雀哉 芭蕉 菜の花畑で、人が花見をしているような顔で飛び回っている雀だよ、ほどの意味であろうか。菜の花の美しさ、可愛さを俳句にするのは意外と難しい。その上に鳥類の中でも可愛い雀を擬人化で付け加えるのも可愛さのつきすぎの