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  • 215 『名句の所以』(著:小澤實)から

     Ryo Daimonji Blog小鳥死に枯野よく透く籠のこる 飴山實 昨日までいた小鳥が死んでしまった。ことさらにいうほどのことでもないのだが、そこにいて可愛くさえずっていたのにいないのだ。この句その心境を「枯野」で表し、その寂しさを「よく透く籠」でよく表している

  • 149 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog山城へ井出の駕籠かるしぐれ哉 芭蕉 伊賀から京へ向う途中、京の井出あたりで時雨にあった。そこで駕籠を借りて山城の京へ向ったことであったなあと。この句貞享四年説があるが、当時芭蕉は「笈の小文」の旅中で、名古屋辺りに滞在していたからこの

  • 175 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog金屏におしつけて生けし櫻かな 虚子 地紙に金箔を置いた屏風を背景に、それもぎりぎりに押し付けて生けられた櫻を詠嘆している。俳句はまず、何を詠むかであると思うのだが、この句、この櫻を美しいと詠嘆しているのか金屏風に重ねる悪趣味を詠嘆して

  • 214 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog冬ざれやものを言ひしは籠の鳥 高橋淡路女 人間というのは色々な感覚・感情で生きているものである。この句は「孤独感」を言っている。下五「籠の鳥」鸚鵡や九官鳥のような鳥であろう。突如ものを言うのだが作者にはその声が際立って聞こえるのだ。そ

  • 148 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog初雪やいつ大仏の柱立 芭蕉 奈良の大仏殿は永禄十年(1567)の兵火で焼けている。この句その跡地に初雪が降っている。この句は元禄二年の1689年とあるので120年も経っているわけだ、芭蕉翁がいつになったら大仏殿は改修されるのだろうと嘆かれるのも無

  • 174 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog温泉の村や家ごとに巣くふ燕 虚子 燕という鳥は春の季語でなにやらめでたく感じる。やたら飛び回り働いて子を育てあわただしくどこか南の方へ帰って行く。何処か人間めいてさえいる。この句、温泉の村であるそうな、ただでさえのどかな家並みなのだが

  • 213 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogこの枯れに胸の火放ちなば燃えむ 稲垣きくの 恋するのはいいのですが、こういう病気に近い激情はどうも、俳句とかやってそういう感覚をさらに研ぐというのもいかがなものかとジジイらしいことも言ってみる。いやいや恋すれど感覚や肉体も減るもんでも

  • 147 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

     Ryo Daimonji Blogいざ子ども走りありかむ玉霰 芭蕉さあ子どもたち大きな霰も降ってきたよ、このまま雪になるかもしれないけれど元気に走り回って遊びましょう。句は良品亭での連句の会の発句。良品の脇句「をしき(折敷)に寒き椿水仙」で消風・三園・土芳・半残の六吟

  • 173 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog火の残る焼野を踏んで戻りけり 虚子 焼野は野焼後の野原のこととして春の季語と解します。季節の先取りになりますが、構わず読んでいこうと思います。 焼野(野焼)はネズミやモグラが越冬し、病気や虫が畑に入らないように野を焼くことです。最近で

  • 212 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog冬木の枝しだいに細し終になし 正木浩一 この句、冬木の枝を写生している。そして単に写生に終わらず下五「終になし」と、その景に強烈な主観を入れているのだ。冬木の枝の先端が細く終わるのは当たり前のことであるのだが、ガンで50歳の命を俳句で終

  • 146 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog雪の中に兎の皮の髭作れ 芭蕉 この句、子供に言っているというのは解説でも争いなくわかった。しかし、「兎の皮の髭作れ」は諸説あってわからない。私なりの解釈をするほかない。雪降る中で遊び興じている子供たちよ、その雪兎の顔に髭でも作ってやれ

  • 172 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog元日の事皆非なるはじめかな 虚子 元日のタブーにはいろいろとある。例えば風呂に入ったり洗濯をしたり掃除をするのもいけないし、刃物を使う、火を使う、煮焚きをするなどもいけない事なんだそうだ。ということをこの句は言っているようですが、思え

  • 211 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog大空の風を裂きゐる冬木あり 篠原鳳作 冬木を擬人化して、大空の風を裂くとして「ゐ」るとする。この旧仮名遣いに擬人化された冬木の意思のような強い気が出て良いと思った。解説(名句の所以)によると、さらに作者は明治三十八年生まれ昭和十一年三

  • 145 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog冬庭や月もいとなるむしの吟 芭蕉 この句は中七、月もいとなるに意味があった。すなわこの「い」は糸を意味し、月が糸のように細くなる、の意味であるようだ(小学館 『松尾芭蕉集①全発句』)。さらに、「むしの吟」はわびしげな虫の声である。となる

  • 171 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog梨壺の使の童明けの春 虚子 梨壺とは、平安京内裏五舎の一である昭陽舎(しょうようしゃ)の異称で、庭前にナシが植えられていたことに由来しています。梨壺の使いとは村上天皇の命により、天暦5年(951年)に梨壺の和歌所で後撰集を撰集し、万葉集

  • 210 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog一九三六と覚えしこの日二・二六 奈良文夫ひどくさむい この作者は「萬力」の選者を務めた人である。このひどくさむい(昭和十一年)年に自身も生まれたのであった(毎日新聞出版 『名句の所以』)。 こういう意表をついた句は先に作り、発表したも

  • 144 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog人びとをしぐれよやどは寒くとも 芭蕉 人びと「を」、これは格助詞で連用修飾語「しぐれ」をつくり動作の対象、目的、を起点を示す(飯塚書店 『俳句文法入門』)。この「人びと」はこの句会場の参加者をさし、その参加者のためにたとえ寒くなろうとも

  • 170 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog五六騎のかくれし寺や棕櫚の花 虚子 なにがしの史実に根差した句であろうか、であれば自分の不見識を恥じるばかりだが、わからない。五六騎の武装した兵が隠れていた寺だという。誰を襲うためにいつのことで場所はどこなんだろう。戦国時代のことであ

  • 209 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog次の田に畦の影ある冬田かな 倉田紘文 広い田んぼの畦にもそう言えば言える影はあるだろう、しかしこの句の田んぼは棚田のような小さく段をなす田んぼを詠んだものと解した。それは次の田に影がさすほどの段差があるのであり、しかも下五で冬の田と詠

  • 143 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 芭蕉 元禄二年(1689)伊賀(三重県)へと向かう途中。初時雨ににあったところたまたまいた猿が、濡れそぼっている。その様子を小蓑をほしがっているようだ、と解した。 ところが、この句は去来・凡兆共撰の『猿蓑』の巻頭に

  • 208 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogわれは粗製濫造世代冬ひばり 高野ムツオ 昭和22年から24年に生まれた者を「団塊の世代」と呼び、作者もその世代に属している。そのことを「粗製濫造世代」と言い換えて俳句としたのである。電化製品などがそうあっては困るのだが、人間の場合となる

  • 142 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog皆拝め二見の七五三をとしの暮 芭蕉 し め 珍しく芭蕉さんが宗匠気分の句を作られたものである。二見浦の注連縄に皆で拝礼しようと号令をかけている図である。新年を前にしての伊勢詣で気分が高揚したものであろう、同じ日本人として

  • 169 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog破魔弓や重藤の弓取りの家 虚子  破魔矢は厄除けのお守りで正月用の贈り物にもなった。重藤は室町時代の文献にもみられる伝統的な作りの弓で大相撲の弓取り式で使用する弓も重藤の弓が使われております(以上歳時記、ネット情報)。と、調べないとわ

  • 207 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogしぐるるや駅に西口東口 安住 敦 この駅は大きく広い。そんな駅には出口とも入口とも言わず、東西南北から人を吸い込み吐き出すパワーがある。外は雨降りだがこの駅にはあまり関係はない。時折聞こえる電車の発着を報らすマイクの声がそれぞれに聞こ

  • 141 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog さしこもる葎の友かふゆなうり 芭蕉 むぐら「葎の友」は、「葎の宿(貧家・草庵)の友」の意。引き籠る庵を訪う者もなく、立ち寄る冬菜売りだけが友というべきであろうか(小学館 芭蕉全句)。 解説のように読めるには、「葎の友」の意

  • 168 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog君をおくつて凍ゆべく戸に彳みつ 虚子 こご 前書に別戀とある。恋人を送ってその別れどき戸口にたたづむのだが、寒さに凍えてゆく。たたづみつつ内心は燃え盛るのだ。凍ゆべくの破調が何とも切ない。これはもう、如何ともなし難いことで

  • 206 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog眉の根に泥乾きゐるラガーかな 三村純也 ラグビーの試合の最中に泥が眉毛の眉間のあたりについて乾いている。その一部分を詠みだすところに俳味が存分に出た。が、下五かな止めだが「かな」の「詠嘆・感動」の終助詞とは質が違うように思うのだが、

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