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  • 230 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogたくさんの吾が生るるしやぼん玉 津川絵里子 しやぼん玉遊びで、可愛く夢がひろがるのは三歳から小学の低学年ぐらいか。いやいや、いくつになっても童心に戻るというか子供が一緒であればなおさら楽しくなる。作者はそのシャボン玉に多くの自分が映る

  • 190 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog天子賢良を招き蛇穴を出る 虚子 天子を国の君主であるとか天皇と解して読む。日本人の常識ほどには天子さまを敬う気持ちはあります。その天子さまが賢良なる者を招き宴などを催される。世は蛇が冬眠から覚め這出づる春である。天子と賢良がなす国政の

  • 229 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog心臓はひかりを知らず雪解川 山口優夢 作者は開成高校卒の俳句甲子園で活躍された俳人であるらしい。この句は作者何歳の時の作かはわからないのだが、心臓を意識する歳でもないようだ。心臓と雪解川を取り合わすとはさすが、素晴らしい感覚と思う。冷

  • 163 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog煤掃は杉の木の間の嵐かな 芭蕉 煤掃きは、新年を迎えるために、一年間の煤を払って家屋の内外を清めることという冬の季語である。この句、その煤払いは自分にとって杉の木の間を吹く嵐である、なんとなれば自分は年中旅の空で出歩いているのだから、

  • 189 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog春潮や巌の上の家二軒 虚子 春になると潮の色が澄んだ藍色に変わり、海面が豊かにふくれてくるような印象を受ける、と歳時記の解説にあった。そういう波がざぶーんと来る大きな岩盤の上に家が二軒あるという。家二軒といえば、私は蕪村のさみだれや

  • 228 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog書を校す朱筆春立つ思あり 柴田宵曲 氏は『分類俳句全集』アルス版など、編集出版の仕事に携わられたらしい。そう言った仕事上も、前に出ることを避け、頑なまでに清貧であろうとする偏屈を感じるお人柄であったようだ。 書を朱筆で校正するとき、

  • 162 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    160-2/9  Ryo Daimonji Blog住みつかぬ旅のこゝろや置炬燵 芭蕉 「旅心」と言う心境を俳句にしている。つまり、ひとつどころに落ち着いて定住しない自分の心はひとつどころに定め置かれる置炬燵に反していることだなあ。あるいは置炬燵を移動式炬燵と解して、その炬燵

  • 188 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog幌馬車は葵の上や春の雨 虚子 春の雨が幌馬車にふっている。六条の御息所(みやすどころ)の嫉妬(しっと)の生霊(いきりょう)が,ライバルの葵上(光源氏の正妻。)の幌馬車に生温かい春の雨となって降っている、とネット情報で読んでみましたが、全く自信

  • 227 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog恙なしや今日立春の鳥獣 北原志満子 恙なしとは、やまいがない、息災である。と辞書にあった。息災とは、仏・菩薩の力などによって厄災を消滅させることとある。この句、鳥獣までも恙無く立春を迎え得たことを喜んでいる。仏縁の深い作者なのかとネ

  • 161 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog節季候の来れば風雅も師走哉 芭蕉 節季候(せきぞろ)とは、江戸時代、歳末に「せきぞろ、めでたいめでたい」と人家を巡っては庭で踊り囃した門付けとよばれる芸人集団のこと、とされ、冬の季語にあった。世間では年の暮であわただしくなり俳諧どころで

  • 187 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog琴棋書晝松の内なる遊びかな 虚子 正月も松の内である、琴囲碁将棋と日本の遊びは奥が深いのであります。昼の日なかから遊び惚けるのも今のうち、そんな気分を「かな」で詠嘆しています。今時に言い直すと、任天堂のゲーム攻略松の内てなところです

  • 226 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog蟲鳥のくるしき春を無為(なにもせず)     高橋睦郎 春は蟲、鳥にとって苦しい季節なのだろうか。行きとし生けるものみな、春夏秋冬苦しいといえば苦しく、楽といえば楽に生きているものではなかろうか。有為。何かを為すと考えてから生きるか、とりあ

  • 160 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

     Ryo Daimonji Blog雪ちるや穂屋の薄の刈残し 芭蕉 この句のキーワードは「穂屋」、萱や薄で葺いた小屋のことで、諏訪上下両社で行われる御射山祭の宿のことも穂屋と言う。冬の信濃路を行くと薄の刈り残しが見られ、そのお祭りのことが偲ばれます。陰暦で七月の二十六

  • 186 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog牡蠣をむく火に鴨川の嵐かな 虚子 一読、鴨川で牡蠣って取れたっけ、と思いました。産地直送ってのはあるでしょうが、それでは句意がそれてしまうしねえ。そのまま読みます。嵐の日に鴨川で牡蠣をむいています。寒いので焚き火をしてその作業をして

  • 225 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog老人のかたちになつて水洟かむ 八田木枯 私は幼い頃から鼻をよくかむほうだったと思う。蓄膿症ではないかと思うほどだった。タバコを吸うようになって、そのことをあまり意識しなくなったように思う。それにしても鼻をかむ姿に老若を意識したこともな

  • 159 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog霜の後撫子さける火桶哉 芭蕉 霜が降りて寒いので火桶を出した、その火鉢に描かれた撫子がきれいに咲いているよ。という順番で、火桶の見た目にも美しい味わいを句で詠んでいる。俳句の表現技術の芸術性を感じる。

  • 185 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog霜やけの手を集めたる火鉢かな 虚子 擬人化俳句である。火鉢が霜やけの手を集めたと言う、「霜やけの手の集まりし火鉢かな」と擬人化を避ける手もある。しかし、原句の方が物語があって膨らみがある。例えば集まっているのは大人ではなく三つ五つつの

  • 224 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog咳をして死のかうばしさわが身より 山上樹実雄 この句、死の香ばしい匂いが自分の身よりするという。「かうばし」は「かぐわし」の音便でこんがり焦げたようなよいにおい、とある。作者は眼科医でもあり、自分のことであっても病を客観冷静に捉えうる

  • 158 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog初雪や聖小僧の笈の色 芭蕉 聖小僧とは、本来は、成人の僧を指す〈大僧〉の対で、年少の仏道修行者を指すようです。その僧の書物などを入れる背負箱の色を初雪との対比で詠んでいます。 聖は平安時代から官僧に対して、世を捨てて仏道に励む半僧半

  • 184 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog寒潮に河豚の毒を洗ひけり 虚子 塩というのは不思議な食材である。喪の汚れを祓うためと言って身に振りかけたり食の毒消しにも使ったりする。この句は、寒の潮に河豚の毒を洗うと言う。この上なく冷たい塩水で確かに河豚毒も清められそうである。この

  • 223 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog女人咳きわれ咳つれてゆかりなし 下村槐太 講演会や音楽会などで開演前にそれぞれに咳をする。開演後の迷惑を考えると音楽会などは特にする。講演会なども同じような心理ではあろうがする、なんか人につられているようで愉快ではない。この句のせき、

  • 157 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogきりぎりすわすれ音になくこたつ哉 芭蕉 この場合のきりぎりすは蟋蟀(こおろぎ)のことのようだ。音の字以外はひらがなにして哉だけ漢字として視覚的に韻をとる。きりぎりすは秋の季語だがこたつが冬の季語で主たる位置をとる。きりぎりすとこおろぎの

  • 183 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog物狂ひ十夜の寺に這入りけり 虚子 この句の季語は「十夜」で冬の季語とある。浄土宗の念仏法要で今は新暦で真如堂で十一月五日から十五日まで山籠して行うらしい。そこへ「物狂い」すなわち正常な判断力を失った体で這入ったらしい。いつの時代にも

  • 222 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogしづかなるいちにちなりし障子かな 長谷川素逝 この静かな句を読んでこの作者の俳号が気になりネットで調べた。「逝」があるからだ。案の定39歳の結核での早逝である。そのほかには、「京鹿子」「ホトトギス」「京大俳句」が目に止まった。他に〈

  • 156 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

      Ryo Daimonji Blogしぐるゝや田の新株の黒むほど 芭蕉 芭蕉は元禄三年九月二十七日に近江の膳所義仲寺の草庵から京都へ出、二十九日頃、故郷の伊賀へ向かった。その途中吟(小学館 松尾芭蕉集①全発句)とある。稲を刈った後の株を新株というのは初めてだが、その株

  • 182 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blog雪にとまる鐵道馬車や日本橋 虚子 日本橋という橋の名前あるいは東京の地名に郷愁を感じる。江戸時代に五街道の起点とされ、その橋は歌川広重により「東海道五拾参次」の巻頭に描かれた名橋でもあった。欄干の中央を飾る青銅の街燈の麒麟像に帝都東

  • 221 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog金屏風何んとすばやくたたむこと 飯島晴子 この句に限らないが、この句は正面から金屏風の美しさを描こうとはしていない。それをたたむ仕事人の手際を詠んでいる。イベントはいかに撤収をはやく済ませるかで殺気立つところがある。そこを見ているのだ

  • 155 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog薦を着て誰人います花のはる 芭蕉 西行の撰集抄に乞食に身を置いた高僧が挙げられている。芭蕉は三十代に自分を「乞食の翁」と呼び乞食に落ちぶれている人の中に賢人がいると信じていた。路通はそのような境遇から引き上げられた弟子であった。 薦

  • 181 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog小日向に借家をさがす年のくれ 虚子 人生で家を、それも借家を探すということはそれほどないと思います。若い時であればその時の勢いで結果として乗り切れることもあるでしょうが、タイミングが狂うとどうしようもないこともあります。 この句、作

  • 220 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog重き書は手近に置いて冬籠 佐藤紅緑 一読、「重き書」の意味に迷った。自分にとってとても意義深く精神的に重い本てある。そういう本のことかと思ったのだ。ところが、解説を読むと重量のこととしてあった。なるほど、そういう生活感て俳句ではある。

  • 154 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog何に此の師走の市にゆくからす 芭蕉 何度も読んでみて、やはりこのカラスは自分のことを詠んでいるのだと思う。自嘲的に「なにをするために」あるいは「なんで」「わしはこの忙しい師走の市場にゆくのだろう」上五の「なににこの」が自身の師走の身の

  • 180 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blog材木に雪積りけり川の中 虚子 この句は11月13日の根岸庵での定例句会の作とある。貯木されているものか流れ来たものか、いずれにしても寒く冷たい冬の川の中の木にさらに雪が降り積もっている。この上ない寒さが描かれているのだが、材木に雪の取り

  • 219 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog牡蠣啜るするりと舌を嘗めにくる 坊城俊樹 牡蠣の食べ方を知っているわけではない。山育ちなので牡蠣はさほど食べた記憶もないのだが、この句から酢の味を感じた。生牡蠣の食感と言ってしまえばそれまでなのだが、あの柔らかい感覚を舌を嘗めにくると

  • 153 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogあられせば網代の氷魚を煮て出さん 芭蕉 網代の氷魚(あじろのひお)とは、鮎の稚魚である氷魚(ひお)を網代で捕まえたものを指します。網代とは、竹や木で川の流れをせき止めるように張られた装置で、魚を捕まえるために使用されました。氷魚は琵

  • 179 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blog妻ごめに八重垣つくる二つ繭 虚子 この句、須佐之男命(スサノオノミコト)が櫛名田比売(クシナダヒメ)を妻とする新婚のうた「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を」を土台にした祝い歌でこの上なくめでたい句である。

  • 218 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog魴鮄に紺青の夢ありにけり 大嶽青児 先ずこの句の季語は魴鮄(ほうぼう)で冬である。その魴鮄という魚に紺青の夢があるという。この魚をネットで見てみると前鰭が団扇のように大きくしかも自身の体とは違う色合いで足のように両方についている。全体は

  • 152 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogこれや世の煤にそまらぬ古合子 芭蕉 この句は、大阪の旅宿に捨て置いたものを七年後に粟津まで届けてくれました。と路通が芭蕉翁に話したことによる(小学館 松尾芭蕉集①全発句)。 合子とは、身と蓋とからなる小さい容器のことで、蓋物とも言われ

  • 178 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog傘棚に古傘多きしぐれかな 虚子 この句明治三十一年五月二十九日とある。この頃は傘立てではなく傘棚であったのかと気にかかった。この頃も忘れ傘が多くあったのか、古傘となって何本もあるのだろう。現代の電車の忘れ物のナンバーワンも傘らしい。最

  • 217 『名句の所以』(著:小澤實)から

     Ryo Daimonji Blog鰰に映りてゐたる炎かな 石田勝彦 鰰は居酒屋で酒の当てに何度か食べている。しかし鰰に鱗が無いことや、銀色に褐色の斑紋があることなど、言われてみてそうだったかと思っている。その鰰の調理途中の写生句である。よく見られていると感心する。し

  • 151 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog少将のあまの咄や滋賀の雪 芭蕉 少将のあまとは、昔の女流歌人で滋賀の里に隠棲した「おのが音の少将」のことだそうな。その人のことを風流のたしなみの深い智月老尼と、語り合うことだ。外はしんしんと雪の降り積む様子である(小学館 松尾芭蕉集①

  • 177 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog蓬莱に徐福と申す鼠かな 虚子正月の飾り物を蓬莱というらしい。その蓬莱に寄りきた鼠が、私は東海の三神山に仙薬をもとめたという伝説上の人物である徐福と言いますと言う。つまりそのめでたさを詠んでいると、一応の私の解釈とします。

  • 216 『名句の所以』(著:小澤實)から

     Ryo Daimonji Blog冬の波冬の波止場に来て返す 加藤郁乎 俳句は何を、どう詠むかである。この句、冬の波を波止場での様子で詠んでいる。そして作者にとっての海を詠んでいるのだ。この単調な波の動きを思う時自分の感覚も単調に波を見てしまうのである、波止場の意

  • 150 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog長嘯の墓もめぐるかはち敲き 芭蕉 長嘯(ちょうしょう)とは、江戸前期の歌人木下長嘯子のことであるようだ。はち敲きとは11月13日(陰暦)から、鉦と瓢を敲く在俗僧が京洛を巡る行事のことのようだ。それが、長嘯子の墓(東山)周辺も、歩くのだろうかと詠

  • 176 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog出代の屑籠背負うて來りけり 虚子 出代の屑籠をまず考える。そのまんま解すると、まだ出る余地のある屑籠、でどうか。つまりまだ役にたつ余地を持ってその人は来た、という例えという解釈だ。すごく皮肉な褒め方だが人の才能とはそんなものかもしれな

  • 215 『名句の所以』(著:小澤實)から

     Ryo Daimonji Blog小鳥死に枯野よく透く籠のこる 飴山實 昨日までいた小鳥が死んでしまった。ことさらにいうほどのことでもないのだが、そこにいて可愛くさえずっていたのにいないのだ。この句その心境を「枯野」で表し、その寂しさを「よく透く籠」でよく表している

  • 149 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog山城へ井出の駕籠かるしぐれ哉 芭蕉 伊賀から京へ向う途中、京の井出あたりで時雨にあった。そこで駕籠を借りて山城の京へ向ったことであったなあと。この句貞享四年説があるが、当時芭蕉は「笈の小文」の旅中で、名古屋辺りに滞在していたからこの

  • 175 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog金屏におしつけて生けし櫻かな 虚子 地紙に金箔を置いた屏風を背景に、それもぎりぎりに押し付けて生けられた櫻を詠嘆している。俳句はまず、何を詠むかであると思うのだが、この句、この櫻を美しいと詠嘆しているのか金屏風に重ねる悪趣味を詠嘆して

  • 214 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog冬ざれやものを言ひしは籠の鳥 高橋淡路女 人間というのは色々な感覚・感情で生きているものである。この句は「孤独感」を言っている。下五「籠の鳥」鸚鵡や九官鳥のような鳥であろう。突如ものを言うのだが作者にはその声が際立って聞こえるのだ。そ

  • 148 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog初雪やいつ大仏の柱立 芭蕉 奈良の大仏殿は永禄十年(1567)の兵火で焼けている。この句その跡地に初雪が降っている。この句は元禄二年の1689年とあるので120年も経っているわけだ、芭蕉翁がいつになったら大仏殿は改修されるのだろうと嘆かれるのも無

  • 174 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog温泉の村や家ごとに巣くふ燕 虚子 燕という鳥は春の季語でなにやらめでたく感じる。やたら飛び回り働いて子を育てあわただしくどこか南の方へ帰って行く。何処か人間めいてさえいる。この句、温泉の村であるそうな、ただでさえのどかな家並みなのだが

  • 213 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogこの枯れに胸の火放ちなば燃えむ 稲垣きくの 恋するのはいいのですが、こういう病気に近い激情はどうも、俳句とかやってそういう感覚をさらに研ぐというのもいかがなものかとジジイらしいことも言ってみる。いやいや恋すれど感覚や肉体も減るもんでも

  • 147 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

     Ryo Daimonji Blogいざ子ども走りありかむ玉霰 芭蕉さあ子どもたち大きな霰も降ってきたよ、このまま雪になるかもしれないけれど元気に走り回って遊びましょう。句は良品亭での連句の会の発句。良品の脇句「をしき(折敷)に寒き椿水仙」で消風・三園・土芳・半残の六吟

  • 173 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog火の残る焼野を踏んで戻りけり 虚子 焼野は野焼後の野原のこととして春の季語と解します。季節の先取りになりますが、構わず読んでいこうと思います。 焼野(野焼)はネズミやモグラが越冬し、病気や虫が畑に入らないように野を焼くことです。最近で

  • 212 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog冬木の枝しだいに細し終になし 正木浩一 この句、冬木の枝を写生している。そして単に写生に終わらず下五「終になし」と、その景に強烈な主観を入れているのだ。冬木の枝の先端が細く終わるのは当たり前のことであるのだが、ガンで50歳の命を俳句で終

  • 146 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog雪の中に兎の皮の髭作れ 芭蕉 この句、子供に言っているというのは解説でも争いなくわかった。しかし、「兎の皮の髭作れ」は諸説あってわからない。私なりの解釈をするほかない。雪降る中で遊び興じている子供たちよ、その雪兎の顔に髭でも作ってやれ

  • 172 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog元日の事皆非なるはじめかな 虚子 元日のタブーにはいろいろとある。例えば風呂に入ったり洗濯をしたり掃除をするのもいけないし、刃物を使う、火を使う、煮焚きをするなどもいけない事なんだそうだ。ということをこの句は言っているようですが、思え

  • 211 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog大空の風を裂きゐる冬木あり 篠原鳳作 冬木を擬人化して、大空の風を裂くとして「ゐ」るとする。この旧仮名遣いに擬人化された冬木の意思のような強い気が出て良いと思った。解説(名句の所以)によると、さらに作者は明治三十八年生まれ昭和十一年三

  • 145 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog冬庭や月もいとなるむしの吟 芭蕉 この句は中七、月もいとなるに意味があった。すなわこの「い」は糸を意味し、月が糸のように細くなる、の意味であるようだ(小学館 『松尾芭蕉集①全発句』)。さらに、「むしの吟」はわびしげな虫の声である。となる

  • 171 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog梨壺の使の童明けの春 虚子 梨壺とは、平安京内裏五舎の一である昭陽舎(しょうようしゃ)の異称で、庭前にナシが植えられていたことに由来しています。梨壺の使いとは村上天皇の命により、天暦5年(951年)に梨壺の和歌所で後撰集を撰集し、万葉集

  • 210 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog一九三六と覚えしこの日二・二六 奈良文夫ひどくさむい この作者は「萬力」の選者を務めた人である。このひどくさむい(昭和十一年)年に自身も生まれたのであった(毎日新聞出版 『名句の所以』)。 こういう意表をついた句は先に作り、発表したも

  • 144 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog人びとをしぐれよやどは寒くとも 芭蕉 人びと「を」、これは格助詞で連用修飾語「しぐれ」をつくり動作の対象、目的、を起点を示す(飯塚書店 『俳句文法入門』)。この「人びと」はこの句会場の参加者をさし、その参加者のためにたとえ寒くなろうとも

  • 170 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog五六騎のかくれし寺や棕櫚の花 虚子 なにがしの史実に根差した句であろうか、であれば自分の不見識を恥じるばかりだが、わからない。五六騎の武装した兵が隠れていた寺だという。誰を襲うためにいつのことで場所はどこなんだろう。戦国時代のことであ

  • 209 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog次の田に畦の影ある冬田かな 倉田紘文 広い田んぼの畦にもそう言えば言える影はあるだろう、しかしこの句の田んぼは棚田のような小さく段をなす田んぼを詠んだものと解した。それは次の田に影がさすほどの段差があるのであり、しかも下五で冬の田と詠

  • 143 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog初しぐれ猿も小蓑をほしげ也 芭蕉 元禄二年(1689)伊賀(三重県)へと向かう途中。初時雨ににあったところたまたまいた猿が、濡れそぼっている。その様子を小蓑をほしがっているようだ、と解した。 ところが、この句は去来・凡兆共撰の『猿蓑』の巻頭に

  • 208 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogわれは粗製濫造世代冬ひばり 高野ムツオ 昭和22年から24年に生まれた者を「団塊の世代」と呼び、作者もその世代に属している。そのことを「粗製濫造世代」と言い換えて俳句としたのである。電化製品などがそうあっては困るのだが、人間の場合となる

  • 142 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog皆拝め二見の七五三をとしの暮 芭蕉 し め 珍しく芭蕉さんが宗匠気分の句を作られたものである。二見浦の注連縄に皆で拝礼しようと号令をかけている図である。新年を前にしての伊勢詣で気分が高揚したものであろう、同じ日本人として

  • 169 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog破魔弓や重藤の弓取りの家 虚子  破魔矢は厄除けのお守りで正月用の贈り物にもなった。重藤は室町時代の文献にもみられる伝統的な作りの弓で大相撲の弓取り式で使用する弓も重藤の弓が使われております(以上歳時記、ネット情報)。と、調べないとわ

  • 207 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogしぐるるや駅に西口東口 安住 敦 この駅は大きく広い。そんな駅には出口とも入口とも言わず、東西南北から人を吸い込み吐き出すパワーがある。外は雨降りだがこの駅にはあまり関係はない。時折聞こえる電車の発着を報らすマイクの声がそれぞれに聞こ

  • 141 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog さしこもる葎の友かふゆなうり 芭蕉 むぐら「葎の友」は、「葎の宿(貧家・草庵)の友」の意。引き籠る庵を訪う者もなく、立ち寄る冬菜売りだけが友というべきであろうか(小学館 芭蕉全句)。 解説のように読めるには、「葎の友」の意

  • 168 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog君をおくつて凍ゆべく戸に彳みつ 虚子 こご 前書に別戀とある。恋人を送ってその別れどき戸口にたたづむのだが、寒さに凍えてゆく。たたづみつつ内心は燃え盛るのだ。凍ゆべくの破調が何とも切ない。これはもう、如何ともなし難いことで

  • 206 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog眉の根に泥乾きゐるラガーかな 三村純也 ラグビーの試合の最中に泥が眉毛の眉間のあたりについて乾いている。その一部分を詠みだすところに俳味が存分に出た。が、下五かな止めだが「かな」の「詠嘆・感動」の終助詞とは質が違うように思うのだが、

  • 140 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog米買に雪の袋や投頭巾 芭蕉 なげずきん 投頭巾は、江戸の飴売りなどが頭に着けた帽子。米を買いに行こうとしたらあいにく雪が降ってきた、米袋を被って行(雪)こうとしゃれたのであるが、それが投頭巾を被っているようでもありお

  • 167 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog隣から寒夜とひ来る裏戸かな 虚子 特段の用事があるわけではない。裏口から隣人が、「寒いねぇ」とか言ってのぞき来る。本当に来たかどうかは疑わしいのだが、虚子さんの人恋しさはこういう作品にさりげなく出る。おそらくそんな気安い近所づきあいの

  • 205 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog冬ぬくしバターは紙に包まれて 中村安伸 バターは洋食和食を問わず調理食材として使われる。同様にマーガリンも使い勝手が良くどこの家庭にも冷蔵庫を開けるとあるのではないだろうか。そういう一般的な食材をそのまんま俳句にしたものである。固形性

  • 139 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

      Ryo Daimonji Blog二人見し雪は今年も降りけるか 芭蕉 いつか二人で見た雪は今年も降っただろうか。降りけるは過去詠嘆の助動詞「けり」、「か」は係助詞「か」で疑問。この二人、なんやかや聞くと何やら怪しく聞こえる。前書に「次のとしならん、越人が方へつかは

  • 166 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog繕うて古き紙衣を愛すかな 虚子 紙衣(かみこ)は、和紙を糊でつなぎ、柿渋を塗り、天日で乾した後、揉んで柔らかくして衣服に仕立てたもので、冬の季語とある(角川俳句大歳時記)。この句が明治30年12月3日とあるので、ずいぶん昔からあったもののよう

  • 204 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog冬麗の微塵となりて去らんとす 相馬遷子 よく晴れた暖かい穏やかな日に、極めて小さい塵となって逝こうとしていると、辞世の句であるようだ。自分の身体は微塵となって消えてゆくのだが魂は暖かい穏やかな空気に包まれ、高みへと去ってゆく。作者の状

  • 138 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog埋火もきゆやなみだの烹る音 芭蕉 こぼす涙で埋火(うづみび)火鉢の炭火、も消えることだ。その涙の烹る(にゆる)音、炭火に涙が煮える音。炭火にあたりながら亡き人を偲んでいる。曠野(笈日記・伯船集・蕉翁句集)前書「ある人の追善に」とある。ある人

  • 165 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blog南縁に湯婆をあける日午なり 虚子 ジブリ映画でユバアバと思い込んでしまっているが、この場合たんぽと読み冬の季語であった。日午はにちごと読み正午のことらしい。つまり家の南側のえんに正午どきに湯たんぽの湯を捨てたというほどの意味のようだ

  • 203 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ 寺田京子 解説には上五「日の鷹」を「日を背負って飛んでいる鷹」とあるが、私には少し強引な表現に感じられた。ともあれ、この句は鷹の雄々しさ美しさを言おうとしていることはよくわかる。その表現として骨片となる

  • 137 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog被き伏す蒲団や寒き夜やすごき 芭蕉かづ愛妻を喪い、悲嘆の中でかぶって寝る蒲団はどんなにか寒く冷たいことであろう、と門下を思い慰めようとした追悼吟である。前書き「李下が妻の悼」がなければとてもこのような解釈はできない。上五中七の「や」

  • 164 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog妾宅や雪掃かで門を鎖したる 虚子 この句は明治30年1月とある。この時代の「妾」という身分がどのようなことであったのか、いまいちよくわからないのだが、この句によれば堂々と妾宅と表記されている。まさか虚子翁の、とは思わないが相当のお宅であ

  • 202 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog天空は生者に深し青鷹 宇多喜代子 【青鷹・蒼鷹】=あおたか、大鷹(おおたか)の古名、もろがえり。青鷹舞う天空は生者には深い、とおっしゃる。では死者にはどうなのか。私は広いのだと解した。この対句で仰りたいのは青鷹のように生命力あふれる

  • 136 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog五つむつ茶の子にならぶ囲炉裏かな 芭蕉 この句はとても難しかった。上五「五つむつ」も中七「茶の子」が特に、わからなかったからだ。下五の「囲炉裏」はいつかどこかで見て知っていた。つまり囲炉裏に置かれたおやつに五、六人の子供が集まった様子

  • 163 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog窓の灯に慕ひよりつ払ふ下駄の雪 虚子 この句は、氏の客観写生というより花鳥諷詠句であると思った。ともあれ中七の破調には賛成できない。「よりつ払ふや」として、「慕ひよりつ」の詩情を控えることこそ、花鳥諷詠と客観写生の調和点であると、今の

  • 201 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog飛鳥仏けふも面長大根干す 斎藤夏風 一読、奈良中宮寺の菩薩半跏思惟像を連想した、名前や場所はネットで確かめた。で、上五中7でそのお姿はすぐにわかったのだが、下五「太鼓干す」なる季語に迷った。夏風氏はネット情報では東京とあるので、この像

  • 135 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog冬籠りまたよりそはん此はしら 芭蕉 なじんだというより飽き飽きするほど暮らしているこのはしら、此庵。冬籠りの季節となった。俳句を作り尽くしてふと身近なところを見てさらに作る。解説に『源氏物語』真木柱、白楽天『閑居の賦』をかすめ、先の冬

  • 162 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog走るやうに枯野を通る灯かな 虚子 こういう遭遇した一場面を句にした場合、読者はその五七五文字で読む他ない。灯が走るように、相応の速度のようなのだか車なのか電車かあるいは人間なのか、私は、灯をあかりと読んで人間と解した。枯野の闇を恐れて

  • 200 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog酒なくば無口の波郷忌も近し 伊藤白潮 ある俳句誌に「無口な波郷は、この座談会で文字にすれば二十行ほど話しただけでした」とある。人間探究派とも言われて久しいが、私はこの俳人は俳号が特にいいと思っている。長年病気に苦しみながら多くを成した

  • 134 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog菊鶏頭きり尽しけり御命講 芭蕉 御命講は、法華宗の開祖日蓮上人の忌日をいう。この日のお供えとして庭の菊や鶏頭が切り尽くされてしまった。この御命講を境に鋭く季節の推移を感じ取った句といえる。こういう句は、御命講の意味を知っているとともに

  • 161 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog茶の花に黄檗山を立ち出でし 虚子 黄檗山は京都府宇治市にある黄檗宗大本山万福寺の山号で、隠元というお坊さんが礎を築かれたと仄聞してきた。宇治といえばお茶の名所でもあるのだが、虚子翁が万福寺でいかように過ごされたかまではこの句だけでは

  • 199 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogことごとく未踏なりけり冬の星 高柳克弘 ほとんどがまだ足を踏み入れたことのないところばかりだ、まるで冬の星のように。とも読めるが、冬の星のことごとく人類はまだ、あしを踏み入れたことがない。とも読める。私は後者の冬の星の一物俳句であると

  • 133 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog其かたち見ばや枯木の杖の長 芭蕉そのかたちみばやかれきのつえのたけ『泊船集』『芭蕉句集』一周忌などの前書。『幽蘭集』には「大通庵道円追善」と前書あり。そこで、「其かたち」道円居士のお姿を「見ばや」見ようとするならば「枯木の枝の長」日

  • 160 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blogうかうかと風邪ひく秋の夕かな 虚子 今年は10月の後半から発熱することがあった。最初はコロナかな、とか思い大事をとったりしたが1週間足らずで治ったのでさほど心配もせずにきた。ところがまた、38度と体温計が出るのでうつらうつら居眠り療養をし

  • 198 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog秋の暮大魚の骨を海が引く 西東三鬼 秋の暮といえば、夏や秋の盛んなる季節がおわりゆく気配を感じる。そんな中大魚の骨を海が引くというのだが、そういう擬人化で海の意思を表現しても感覚の域を出ずアニミズムに達するとは言えないと僕は思う。たと

  • 132 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog叡慮にて賑ふ民の庭竈 芭蕉 この句の季語は庭竈で春。仁徳天皇の民の窮乏を憂え、三年間貢を免除した叡慮で民の竈がにぎはいを取り戻したという謡曲「難波」による。私は我が家の土間に竈があって母がそれは綺麗に掃除していたことを思い出して、それ

  • 159 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog芒より顔つき出せば路ありし 虚子 ひろおい芒原のようなところに入り込まれたのであろうか、挙句の果てに顔を突き出すようなところまで来て分け出たところにこみちが通っていた。まるでジブリアニメの一場面のような映像感覚である。

  • 197 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog秋の暮通天閣に跨がれて 内田美沙 一読後作者の性に気が行った。なんとなく女性の句であろうと思った。通天閣は大阪市浪速区区の歓楽街にあって秋の暮だと言う。私は、大坂へも行ったことは少ないのだがあの溢れる赤提灯にひなが入り浸りたい欲求があ

  • 131 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog木曽の痩もまだなをらぬに後の月 芭蕉 秋の季語後の月に意味が込められる。そのまえに木曽の痩がある。これは木曽を旅してその疲れもとれず、その痩ももとにもどっていないのにという意味で、それなのに後の月を賞することとなった、風雅に忙しいこと

  • 158 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog秋草の名もなきをわが墓に植ゑよ 虚子 秋の花、たとえば萩であるとか菊、はたまたかれんな竜胆など。虚子翁に似合う花はいくらでもあるでしょうに、名もなきをと言う。煩わしき現生を終えたなら静かに名もなき秋草とともに眠りたいとおっしゃるのか。

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