Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほとゝぎす 松尾芭蕉 曼珠沙華抱くほどとれど母恋し 中村汀女の句を連想してしまう。郷愁を誘う母のイメージと現実の母とは全く違うということがある。郷愁を誘う京のイメージと現実の京とは全く違うということ
Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほとゝぎす 松尾芭蕉 曼珠沙華抱くほどとれど母恋し 中村汀女の句を連想してしまう。郷愁を誘う母のイメージと現実の母とは全く違うということがある。郷愁を誘う京のイメージと現実の京とは全く違うということ
Ryo Daimonji Blog古家にもの新らしき団扇かな 高浜虚子 俳句は物に即して詠まないと感覚が実を結ばない。下五のかなは上五へと循環するように置く。古びた家に団扇の新しさが己が存在を妙にくっきりと示している。つかの間目を止めた瞬間の感覚である。この句、
Ryo Daimonji Blog雨に出す蝸牛の肉龍太無し 小澤實 梅雨どきの激しく降る雨に蝸牛が這っている。その季節は夏の勢いに満ちているのだ。蝸牛もまた活き活きと角を出しあたりを伺う様子で元気に満ちている。同時に作者は敬愛した飯田龍太の不在を感じる。思い出
Ryo Daimonji Blog己が火を木々の蛍や花の宿 松尾芭蕉この句の「木々」が気になった。大きな木ではないと思う、柳やそういった低雑木だろうと思う。その中に紛れて点滅している。己が「火」も気になるのだが他に表現する字も思いつかない。「花の宿」がきれいすぎてこれ
Ryo Daimonji Blog草むらや蟷螂蝶を捕らへたり 高浜虚子 草むらに蟷螂が蝶を捕らえているよ。と秋の一風景を切り取っている。なんでもないことのようだが、蟷螂が蝶を捕らえた瞬間ということを見た人は少ないのではないだろうか、丹波住まいの私にしてもありそうでない
Ryo Daimonji Blogセイタカアワダチサウ秋草に入るや否や 小澤實 小澤實先生の〈翁に問ふプルトニウムは花なるやと〉にしても私は理屈がすぎて俳句と認め難い。ところが先生の素朴にピュアな感覚を思うとコクンと諾う何かがある。背高泡立草はいわゆる秋の七草には入
Ryo Daimonji Blog日の道や葵傾くさ月雨 松尾芭蕉 日の道とは、地球から見て太陽の移動経路のことで、葵の花の傾きがこの道に沿っていると、俳句の観察美を詠んでいる。立葵が先まで咲くと梅雨が明けるのだと、何度も聞いてきたが、今年もことのほか暑い。
Ryo Daimonji Blog嵐山の闇に對する蛍かな 高浜虚子 嵐山には自転車で行けるほどのところに下宿していて、時々出かけた記憶がある。桂川、保津川を挟んで嵐山の山は近い。夕暮れると一体は闇となり、人を寄せ付けない迫り方ををする。そこに蛍が飛んでいる。幻想的とか
Ryo Daimonji Blog蟻地獄雨一滴のひびきけり 小澤實 この句の上五「蟻地獄」が夏の季語である。冬場であっても死に絶えているわけではなく静かに生き耐えているらしい。ともあれ蟻地獄にとって雨の一滴といえども落ち入れば大事で、あたふたとより奥へ幼虫は逃げること
Ryo Daimonji Blog蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉 一匹のとんぼが、草の葉に止まろうとするのだがその芒のような葉のしなりに止まりかねている様を写生している。それはとてもよく理解できるのだが、この句元禄三年1690年の作とある。つまり335年前の光景なのだ
Ryo Daimonji Blog藺の花の上漕ぐ船や五月雨 高浜虚子 藺の花はイグサ科の多年草で山野、湿地に自生するが水田でも栽培されるそうである。そういう川か湿地を、船で巡るところがあってそこで詠まれたようである。完全に水没している藺の花ということでなく、藺の
Ryo Daimonji Blog島の教会かとりせんかう置くあはれ 小澤實 前書に長崎とある一連の一句である。多勢の人がお参りされていたのかどうか、定かではないが蚊取り線香が置かれている。下五「あはれ」喜び、悲しみ、同情など心にジーンとくる情感とある。お参りする人への
Ryo Daimonji Blog玉祭りけふも焼場のけぶり哉 松尾芭蕉 玉祭りと、一気に秋へ飛んでしまう。盆の義仲寺内の無名庵の竜が丘墓地での一句のようだ。こういう場面で思い出すのはネット動画のガンジス川の河畔での荼毘のシーンだ。河畔であっても荼毘に付されるのはまだ
Ryo Daimonji Blog三味弾いて銭乞ふ船や涼み舟 高浜虚子 例えば川下りの屋形舟なぞに三味線弾きが乗り込み掲句のような巡りになったのかもしれない。わずかな銭、とは言えプロの技には憧れてしまうものである。私ごとで言えば、京都三条木屋町の高瀬川あたりで長渕剛を
Ryo Daimonji Blog花冷えや都電と都電すれちがふ 小澤實 都電は1972年(昭和47年)末までに、荒川線以外の全路線が廃止されたそうですが、その都電が花冷えの頃すれちがった、という俳句です。私の京都でも昭和五十三年に廃止されたようですが、北大路を市電で移動する
Ryo Daimonji Blog我に似るなふたつにわれし真桑瓜 松尾芭蕉 この一句、まづは上五「我に似るな」で俳句を志す若者に「私に似るな」と言っている、とわかるか。次に中七下五「ふたつにわれし真桑瓜」を「瓜を二つに割りたる如し」つまりうり二つにによく似ているとの俚
Ryo Daimonji Blog薮入のすこし覚えし京言葉 高浜虚子 私のような田舎に暮らす者は異文化にはとても敏感である。特に関東圏に暮らす人がペラペラと東京弁で仰ると殺される前の猫のようにじっと目をみはり聞いてしまうのである。薮入ですこし身についた京言葉で挨拶
Ryo Daimonji Blog即死以外は死者に数へず御柱 小澤實 私を必要と思われるなら生かし、不必要と思われるなら殺してください。と、行に仕立てた人為がある。それが「行」なのだから致し方ないのである。こういう境地で人は死への恐怖を超えるのかもしれない。しかし、人
Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほととぎす 松尾芭蕉 ふるさとの原風景ってどこだろう、母なのか、父なのか竹馬の友なのか、というふうに自分の心の中の核心というものは、はっきりと掴めないものだ。この句にしても京にいるのに京が懐かしいとはなんぞ。そこに
Ryo Daimonji Blog薔薇剪つて短き詩をぞ作りける 高浜虚子 存分に薔薇を見て、さらには剪りとっても見て俳句にされたのであろう。俳句と言わず短き詩と遠回しに言って美しすぎる語感をおさえられたのであろう、「をぞ」と意図してリズムに不調を入れるあたりさすがであ
Ryo Daimonji Blog鳥海に田水張ればやはやさざなみ 小澤實 鳥海という姓の方が色々な分野に活躍されていることをネットで知った。なんとも素敵な姓名で羨ましく思う。が、この句の場合は地名のことと解する。山形県と秋田県を跨ぐ山に鳥海山があるが、秋田県南部に旧町
Ryo Daimonji Blog橘やいつの野中の郭公 松尾芭蕉 こういう俳句は今日的にはどうなのだろうか。つまり、花橘も郭公もいつの野中のことであったことであろうか、と記憶をただ詠嘆して見せている。つまりはっきりしないのである。このはっきりしないところが、句会などで
Ryo Daimonji Blog夕歩き宿の団扇を背にして 高浜虚子 俳人というものはとにかく見なければいけない。上から下へ下から上へ、さらには背ろ、斜めといった具合である。この句は己の背景を気にしている。正確には「腰にして」であろうが背にしたごとくに詠んでいる。
Ryo Daimonji Blog眠るなり囲炉裏に太き薪よこたへ 小澤實 冬の季語囲炉裏は知っているがこの句のように生活に根ざして使ったことはない。囲炉裏のそばに横たわったものか、座って居眠っているのかいずれにしてもこんな安息はなかなか得難い。その囲炉裏の中にふとい薪
Ryo Daimonji Blog日の道や葵傾くさ月あめ 松尾芭蕉 上五、日の道とは、地球を中心に描く大円状の太陽の位置のことだそうな。その方向に葵の花が傾いている不思議。五月雨降る初夏のことである。
Ryo Daimonji Blog蚤や蚊やわれ貧にして且つやめり 高浜虚子 明治に入ってホトトギスも順調でこの句にあるほど氏が貧していたとは思えないのだが、実際のところはわからない。どの程度に病んでいたのかも略年譜ではわからないのだが、貧乏の病気ぐらしに蚤や蚊が堪えた
Ryo Daimonji Blog箱眼鏡流れに押すやすべてみどり 小澤實 腰から腹に水が来る渓流である。鮎、山女などを採るために箱眼鏡を覗き続けている。そこそこの深さがあるので箱眼鏡を押し続けなければ流されてしまう。箱眼鏡は流れを切っているので覗くと時折水泡が見えるが
Ryo Daimonji Blog猪もともに吹るゝ野分かな 松尾芭蕉 老年期とは言え家族とともにいるわたにしても、秋も台風に直撃されると心細く気弱になってしまうものである。一人暮らしの芭蕉翁にしてみればその侘しさも一入であるのであろう。ついつい強風に煽られているであ
Ryo Daimonji Blog宮柱太しく立ちて神無月 高浜虚子 ときは神無月、出雲へ行かれて神様はいらっしゃらない。そんな社の柱は変わらず太く堂々と立っている。静寂が逆に神の存在を感じさせることもある。清い世界である。
Ryo Daimonji Blog雨後の道まだら乾きや燕 小澤實 燕が飛来する頃の雨後である。何気ない景に燕を認め句とした。梅雨前の初夏のひと日。まだら乾きの道を行くにあてもない。
Ryo Daimonji Blog夏艸に富貴を飾れ蛇の衣 松尾芭蕉 夏草が貧乏くさく生い茂ることだが、せめて蛇の衣なと富貴をまして飾って欲しいものだ。芭蕉翁も蛇は嫌いであったようだが、その皮には富貴を認めていたようである。酒堂との書簡での愚痴のやりとりの一句であったよ
Ryo Daimonji Blog昼過ぎの炬燵ある間を煤払 高浜虚子 この句十一月二十五日の句会での作、とある。二十三人の名の記録がある。家の中で冬場炬燵のある間といえば、家族がくつろぐ大きい間を想像する。昼過ぎとあるので家族もそれぞれに、その間も空いていることなのだ
Ryo Daimonji Blog菜の花に坐せば対岸さらに濃し 小澤實 菜の花の黄につつまれてあるいは背にして坐り、対岸を見ていると一層その色が濃く見える。私はその色を緑と解した。黄色と緑の対比、そしてその間には春の川が流れている。この豊かな自然を私は作者とともに見て
Ryo Daimonji Blog四方より花吹入てにほの波 松尾芭蕉 琵琶湖は別称で「鳰の海」というらしい。その琵琶湖に花吹雪が吹き入っている。膳所・洒落堂からの大観とある。しほうよりはなふきいれてにほのなみと、ルビがあった。こういう大きく静かな句はいちごんも読み間
Ryo Daimonji Blog灯明るき大路に出たる夜寒かな 高浜虚子 句会の後、小路を入る居酒屋で飲んだ。ひととおりの別れの挨拶の後、一人で飲み直す店を探した。そうこうしているうちに西大路通りに出た。さほどに明るくはないが京都の西大路は大きな通りで北向きにどんどん
Ryo Daimonji Blog身の澄めり野沢菜漬に酒酌めば 小澤實 野沢菜は長野県下の特産とされる。この句の作者小澤實さんの故郷である。その野沢菜の漬物をあてに酒を飲むと身の澄むような心地がするという。いや、身が澄む、というのだ。故郷の酒はただ単に美味いだけではな
Ryo Daimonji Blog君やてふ我や荘子が夢心 松尾芭蕉 当時の俳人は多かれ少なかれ荘子に心を引かれていて、芭蕉も同様であったらしい。荘子が夢に蝶になる話は有名で、当時の俳人の常識でもあったらしい。そこで、君が蝶であるのか、このわたしが蝶を夢見ている荘子なの
Ryo Daimonji Blog五月雨に郵便遅し山の宿 高浜虚子 山中の宿に逗留している作者に五月雨がふる。見ていると昼前に郵便夫が来ている。五月雨のせいとも言えないだろうが、ちと遅いのではないか。なあに私は急くこともない身である。昼飯までをのんびりしようではないか
Ryo Daimonji Blog種馬の尻照る秋となりにけり 小澤實 稔りの秋、馬に限らず生殖行為にはめでたい気がある。よく世話された種馬の堂々たる尻のてかりには、親を継ぐ仔馬への期待と、おりからの秋という季節の豊かな締めくくりが感じられる。その全ての感慨を「秋とな
Ryo Daimonji Blogてふの羽の幾度越る塀の屋根 松尾芭蕉 この句「てふの羽」で蝶々が飛んでいる様を言いつくす。さらに「幾度越る」で何度も行き来する蝶々特有の飛び方が目に写る。全体としては古い言い回しと思うが、元禄三年(1690)作といえば、蝶々の原風景句と言っ
Ryo Daimonji Blog温泉に入るや昼寝さめたる顔許り 高浜虚子 明治三十二年七月、伊豆修善寺滞在記「浴泉雑記」を書くとある。その時に仲間内で昼寝ついでに温泉に入った時の、もの憂い自堕落な気分を詠んだものと思われる。そのような瞬間をも句にする俳人の性を感じる
Ryo Daimonji Blog般若心経二百六十二字涼し 小澤實 般若心経は朝夕できるだけあげるようにしています。二百六十二字でしたか。母は行として毎朝早く起きて写経をしていました。僕たち家族の世話をしながら、仕事もある中で100日の行をやりとげ、立派でした。意味も解
Ryo Daimonji Blogひばりなく中の拍子や雉子の声 松尾芭蕉 ひばりの鳴き声の中、雉子が拍子をとるように鳴いていることだなあ。ふと耳にした雲雀と雉子の声を句にしたものである。雲雀、雉子ともに春の季語である。こういう場合、いわゆる季重なりにはならないと理解
Ryo Daimonji Blog物売りの翁の髷や壬生念仏 高浜虚子 壬生念仏は、晩春 四月二十一日から二十九日まで、京都壬生寺で行われる花鎮法会の行事。 俗に、壬生狂言ともいう。円覚上人が鎌倉時代に布教のため唱えた珍しい仏教無言劇とされる。その時には当然多くの見物客が
Ryo Daimonji Blog 富士浅間二日灸の煙かな 高浜虚子 富士山が休火山であることは、幼い頃に学び知った。その富士山に見立てて二日灸を詠んだのだ。通常ならばこの描写はつきすぎの嫌味を感じるところであるが、この句そうは感じない。おそらく富士の祭神、木花咲耶姫
Ryo Daimonji Blog春の田は枯色畦はうすみどり 小澤實 確かに春の田は枯れている。しかしあちこちに春の息吹が見えている。それが、うすみどりである。ほらほら軽トラックが来るよ、トラックターも農道で順番待ちしてる。春耕はいつの日も活気に溢れる。山桜はまだまだ
Ryo Daimonji Blog此たねとおもひこなさじとうがらし 松尾芭蕉 吹けば飛ぶような種子、とあなどってはならない。こんな見栄えのしない唐辛子の種子でも、蒔けば秋にはぴりりと辛い実になるのである(小学館『芭蕉全句』)。あったあった広辞苑「こな・す」⑦見くだす。軽
Ryo Daimonji Blog晝寄席の下足すくなき寒さかな 高浜虚子 そもそも寄席というところは、晝行くところなのか、夜なのか、そこいら辺からよくわからない。ともかく、客足の少なさに季節の寒さを象徴させた句である。暑い時より寒い時の方が着る物で備えれば落ち着きそう
Ryo Daimonji Blog雪嶺まで信号五つすべて青 小澤實 雪を被った山までに信号が五つあってそれがすべて青だと言う。おそらく作者はその遠景を詠んだのではなくたった今、通り過ぎた時の幸運、きょとんとした不思議を詠んだものと思う。ありそうでなかなかないことである
Ryo Daimonji Blog似あはしや豆の粉めしにさくら狩り 松尾芭蕉 この句、まづ上五の「にあわしや」これは・・・に「似合う」をひらがなじたてに上五に持ってきたもので「・・・に、にあわしや」と決めたもの、では、何に似合うというのか、豪華な花見膳よりも「きな
Ryo Daimonji Blogとり出す納戸のものや蟋蟀が 高浜虚子 何かを取り出そうと納戸を開けたところ蟋蟀が飛び出たよ。と納戸の物ではなく蟋蟀に焦点を当て、季節感を詠んだ。この句この他に、〈とり出す納戸のものや蟋蟀〉〈とり出す納戸のものやきりぎりす〉と改作類句
Ryo Daimonji Blogひとすぢの光は最上鳥渡る 小澤實 最上川は、山形県を流れる一級河川で、流路延長229 kmは、一つの都府県のみを流域とする河川としては日本一であると、ネットにあった。それは素晴らしく大きな川で山国育ちの私には海に次いで憧れる大自然である。
Ryo Daimonji Blogかげろふや柴胡の糸の薄曇 松尾芭蕉 柴胡(サイコ)、ミシマサイコは、セリ科の多年草でさまざまな薬効があるらしい。その芽を柴胡の糸と表現して上五から下五まで繊細な仕立てになっている。ところで、この西胡のことをAIに聞いてみたのだが、それは
Ryo Daimonji Blog蓮臭き佛の飯を茶漬かな 高浜虚子 虚子さんのこういう句を、上手いと思う。上五「線香臭き」を「蓮臭き」と仏気をすらりと例えるあたり。その飯を茶漬で食べる、と日本人の平均的な仏教徒の日常に即して、おそらく沢庵でも添えて食べるのであろう。
Ryo Daimonji Blog秋風や犬の鳴らしたる金の皿 小澤實 犬を飼ったことのある人なら誰でもこの句の音を思い出すのではないだろうか、金であったかは別として、彼の食器の音である。うちはプラスチック製の皿でお決まりのドッグフードであった。時折紐に触れてその皿が
Ryo Daimonji Blog畑打音やあらしのさくら麻 松尾芭蕉 小石まじりの山畑なので、忙しい鍬使いの音が嵐のように聞こえる。春耕の厳しい一面を捉えつつ、さくら麻で「万葉集」「古今集」の情緒で包んだ。伊賀上野の近郊、阿拝郡荒木村白髭神社で詠まれたものらしい。
Ryo Daimonji Blogうめの實を必ずくるる隣あり 高浜虚子 どういう気持ちなのか分かりにくいんですが、そういうおたくってありますね。当然いただく方はありがたいんですが、その返礼(当方ではおためっていいます)も習慣的にあって、そのやりとりにその地域の成熟度が
Ryo Daimonji Blog軽トラック荷台にわれら合歓の花 小澤實 軽トラックの荷台に乗ったことがある人って案外少ないんじゃあないですか、場所にもよるのでしょうが晴れがましくて恥ずかしい気がします。でも反面、この句のように仲間の二、三人で乗せてもらったような場
Ryo Daimonji Blog木のもとに汁も鱠も桜かな 松尾芭蕉 花見料理である。汁、鱠と調えあり、宴たけなわといったところか。私の近辺は花はまだまだだが、こういう花見を久しぶりにしたいものだ。桜の木の下に懐石料理の膳を据えるというような花見は、そうそうないのでは
Ryo Daimonji Blog爐寒の誰まつとしもなき身かな 高浜虚子 爐寒は、ろさむと読むのか、いろりさむ、と読むのか。ともあれ炉、囲炉裏は冬の季語とある。炉の寒い冬、誰を待つということもない(侘しい)身の上であるなあ。ということなのかと読む。中七「まつと(いう
Ryo Daimonji Blog鰻屋の銜へ団扇や串かへす 小澤實 飲食を詠む飲食俳句は写生俳句の基本であると私は思っている。それに加えて、その調理についてもいえるのだと、この句を見て思った。団扇を銜えて串を返して焼く瞬間が見事に捉えられている。飲食俳句で何よ
Ryo Daimonji Blogうぐひすの笠おとしたる椿哉 高浜虚子 この句のポイントは、中七の「笠おとしたる」である。下五に「椿哉」とあるので、椿の笠、つまり椿の花笠のことであった。さほどに難しいところでもないが、一言口添えが欲しいところではあった。下五の「哉」
Ryo Daimonji Blog寒食や壺の底なるししびしほ 高浜虚子 「ししびしほ」とは、辞書によると、干肉を刻み、麹または塩に浸しならして製するという。「しおから」の類。とあった。こういう辛い食べ物は飯によく合うのだが、寒食にもよく合うのだ。
Ryo Daimonji Blog牛小屋の二階ものおき桃の花 小澤實 昭和40年代の頃には農家には一頭ずつ牛が農耕用に飼われていて、その牛小屋もそれぞれに個性があったように思う。この句の牛小屋にはその2階に物置用のスペースがあったようだ。我が家の牛小屋は牛が売り払われて
Ryo Daimonji Blog獺の祭見て来よ瀬田のおく 松尾芭蕉 この句は上五の獺の祭がいいのであります。瀬田の奥に行ったならば、それを見てきてくださいよ、酒堂への餞別句との前書きがあるようですが、酒堂は膳所住まいなのでこの前書は疑問と、解説にあります(芭蕉全句)。
Ryo Daimonji Blog寒食や竈の中の薪二本 高浜虚子 寒食(かんしょく)とは、中国の風習で、冬至から一〇五日目を寒食節といって火を断ち用意しておいた冷たいものを食べたようである。春秋時代に晋の文公が忠臣の死を悲しみ三月五日を命日とし、火気を禁じた故事によるら
Ryo Daimonji Blogつばくらや朝刊の昼とどく島 小澤實 昼に朝刊とは、意味をなさないではないか。いやいや、その悠長なリズムこそがよいのだよ。それに比し、つばめはこんな島にも律儀に来ている。〈買はんかな山桜咲く島ひとつ 小澤實〉あながち冗談ではないのだ。
Ryo Daimonji Blogくさまくらまことの華見しても来よ 松尾芭蕉 路通への師芭蕉翁の説教句らしい。「くさまくら」旅をするならその道中に本当の花見をしてきなさいよ、とでも言う意味か。なんでも路通は素行が悪く師芭蕉の勘気を蒙ったことがあるらしい。その後その勘気
Ryo Daimonji Blog凧籬の中より上りけり 高浜虚子 ひと口に籬(まがき)といっても、竹、柴などを粗く編んで作った垣(辞書)。ということで、その形態にもいろいろあるようです。それでも垣には人を遮る意思が感ぜられこの句でも作者に遠慮の気が感じられます。しかしな
Ryo Daimonji Blog木の家の窓も木の枠きりぎりす 小澤實 ひところ田舎暮らしが流行の兆しを見せた頃、木製の喫茶店や小屋なども目につくようになり今ではひとつの趣味として定着した感がする。この句、そういった木製の家を木製の窓と詠み重ねることによってその風味を
Ryo Daimonji Blogとしどしや桜をこやす花のちり 松尾芭蕉 この句は「花は根に」という謡曲によるらしい。謡曲とは、能の詞章のこと。 演劇における脚本に相当する部分のことだそうな。咲き終えた花が根元に散り積もって肥やしとなる、と寓話じみるがこの句、そんなこ
Ryo Daimonji Blog塊に菫さきたり鍬の上 高浜虚子 春耕の一シーン、上五の「塊に」がうまいと思う。鍬使いの一瞬に鍬に乗せた土くれにすみれの花もまじり乗ったのを見逃さず一句にした、と言うところか。忙しなくかじいていく母の鍬使いをこの句で思い出した。虚子翁
Ryo Daimonji Blog夕桜自転車のベル澄みにけり 小澤實 よく咲いた桜の元へ自転車で来てみた。昼間とはまた違って静かな美しさであった。ベルを鳴らしてみるといい音がした。それは、桜の声とも思われる澄んだ響きなのだ。
Ryo Daimonji Blogのミあけて花生にせん二升樽 松尾芭蕉 薦被りの樽に詰められた酒を薦被りと言って慶事に振舞われる。この樽が四斗(四十升)入りだそうで、この句は二升樽と手頃である。そもそも薦被りの酒を煽り飲む様なことは一般ではまずないことなのでニ升樽で十分
Ryo Daimonji Blog藤棚や二軒竝んで煮賣茶屋 高浜虚子 「煮売」とは、飯および魚・野菜・豆などを煮て売ること、とある。さらに「茶屋」を見ると路傍で客に飲食、遊興させることを業とする家。つまり、路傍に二軒続いて飲み食い屋さんがあって、美しく藤棚がありますよ
Ryo Daimonji Blog湯を捨てて屋台しまひや梅の花 小澤實 その日の労働のしまいかたにもいろいろあるが、屋台の場合、湯を捨ててしまうというのは最も言い得て妙と思う。そのしまう時のやれやれ感や客足のまばらとなった通りの侘しさなどをしみじみと感じる。京都の伏見
Ryo Daimonji Blog山吹や笠に指べき枝の形り 松尾芭蕉 私が山間地に暮らしているせいか、山吹という花には常に郷愁を感じてしまう。しかし、枝の形りと言われてもそこまで細かく正確に思い出せない、即ネットで調べた。なるほど細長く笠に指すのに程よいかたちだった。
Ryo Daimonji Blog梅三株漁村を守る社かな 高浜虚子 この句、言い足らず、言い過ぎず漁村を素朴に詠み切っていて素晴らしいかな句であると思います。この村が慎ましく誠実にあることを社が真中にあり、それを美しく梅が守ると、しかもたった三株で、とするところに遺憾
Ryo Daimonji Blog不精さやかき起されし春の雨 松尾芭蕉 不精とは、面倒くさがってなまけがちなことと辞書にあった。この句の場合、朝さっと起きず床の中にぐずぐずすることを言っているようだ。そうこうしているうちに「手で引き起こされる」と言ったことになったよう
Ryo Daimonji Blog竹青き詩人の家や梅もなし 高浜虚子 この句に、この詩人が誰なのか、どういう人なのか、虚子さんとの関係は、といろいろ考えてしまう。上五に竹青きとあるので、若く青臭い人と思ってしまう。しかも春だというのにその庭には梅のひとつもないと、くさ
Ryo Daimonji Blog我山に我れ木の実植う他を知らず 西山泊雲 自分の山に自分の木の実を植えた。そういう生き方のほかは知らないと、愚直に生きた自分の人生を詠んでいる。さて、この人は弟野村泊月とともに丹波二泊と言われた、ホトトギスの俳人であった。私んとこと、
Ryo Daimonji Blog月待や梅かたげ行く小山伏 松尾芭蕉 上五の「月待」とは、中世・近世に三夜・十七夜・二十三夜・二十六夜に月を拝む習俗があって、以上のいずれかの夜に人を呼び酒宴を行ったらしい。私が月待で、卓袋さんの家に呼ばれて行く途中、小山伏が大きな梅の
Ryo Daimonji Blog梅林や轟然として夕列車 高浜虚子 梅林と夕列車との取り合せ、それに轟然という形容動詞でその様を表しています。美しい梅林にいて大音響を立てて列車がとおりすぎて行きます。その不穏な空気が伝わります。しかも、夕暮れ時に、作者はどうしてそこに
Ryo Daimonji Blog白魚をすすりそこねて死ぬことなし 齋藤 玄 白魚をすすりそこねて、当然死ぬことなどあり得ないのである。それを俳句にするという特別をこの句にはまづ感じなければならなかった。果たして、作者は1980年に直腸癌により死去、66歳であったとある(ネ
Ryo Daimonji Blogやまざとはまんざい遅し梅花 松尾芭蕉 この句には「伊陽山中初春」と前書がある。「伊陽」は伊賀国上野(三重県上野市)あたりであるらしい。その山中では正月に来るまんざいが、梅の花が咲く頃に来る、なんとも遅いことである。と詠んでいる。「やまざ
Ryo Daimonji Blog恋猫や鮑の貝の片思ひ 内藤鳴雪 恋猫、鮑とくるとなにやら連想してしまうのだが、「鮑の貝の片思ひ」は鮑が二枚目の片方の貝のみのように見えるところからそう言われてきたようだ。それと「万葉集」巻十一の「伊勢の海女の朝な夕なに潜くといふ鮑の貝
/24 Ryo Daimonji Blog梅若菜まりこの宿のとろゝ汁 松尾芭蕉 この句には前書に「餞乙州東武行(おとくにがとうぶのこうにはなむけす)」とある。つまりは、乙州が江戸へ出立する餞別句である。その句意は、あなたの道中には梅が美しく咲き、畑には若菜が目に入ることで
Ryo Daimonji Blog雨戸たてて遠くなりたる蛙かな 高浜虚子 まづ、上五「雨戸たて」ではなく「雨戸たてて」と上六にして三段切れを避けた気配りに感心する。さらに現代風に雨戸を「閉める、閉づ」ではなく「たてて」とあるあたりに時代考証の細やかさを感じる。遠くなっ
Ryo Daimonji Blog恋猫の颯とたてがみのやうなもの いのうえかつこ この恋猫という季語には雌雄はなくどちらも恋をして発情するようですが、この句は雄猫を詠んでいるようです。格好いい場合「颯爽」と書きますが、この句の場合瞬間の猫の毛を捉えて「颯」と表現された
Ryo Daimonji Blog木曾の情雪や生ぬく春の草 芭蕉 芭蕉翁が木曾義仲贔屓であることは知っていた。しかし、芭蕉は生前は義仲の墓所木曾塚に並んで庵を結び、死後はなきがらを木曾塚の横に葬らせた、ほどであるとは知らなかった。この句、上五の「木曾の情」がどれほどわ
Ryo Daimonji Blog蠶飼ふ麓の村や托鉢す 虚子 托鉢(たくはつ)とは、僧侶が修行の一環として、経を唱えながら家々を回り、食物や金銭を鉢に受けて回ることで乞食(こつじき)や行乞(ぎょうこつ)とも呼ばれる、とある(ネット情報)。俳諧師は乞食ほどに欲から遠く身
Ryo Daimonji Blog春寒のケシゴム一行の字をそげり 鷲巣繁男 まだ春に到達していない寒い日である。書き始めては見たものの今ひとつしっくりこないのである。一行を消し、書き改めることにした。一行を消し削ぐ役割をケシゴムは果たす。次を書くのは自分の仕事だ、束の
Ryo Daimonji Blog大津絵の筆のはじめは何仏 芭蕉 そもそも大津絵があって、そしてそれは、始めから順番に仏事を書くものなのであろうか、そういった大津絵にまつわる何某かの前提を蕉翁は仰りたく、その思いをこの俳句にされたものと思う。ところが、私にはそこのとこ
Ryo Daimonji Blog宿借さぬ蠶の村や行きすぎし 虚子 昭和三十五年ごろ私の村でも養蚕業をされているお宅があった。くず蚕が家の隅に桑の葉と共に捨てられていてそれをもらって帰り、成虫に孵して遊んだことがある。養蚕も忙しそうで、人様に宿をかすなどの余裕はあるま
Ryo Daimonji Blogたくさんの吾が生るるしやぼん玉 津川絵里子 しやぼん玉遊びで、可愛く夢がひろがるのは三歳から小学の低学年ぐらいか。いやいや、いくつになっても童心に戻るというか子供が一緒であればなおさら楽しくなる。作者はそのシャボン玉に多くの自分が映る
Ryo Daimonji Blog天子賢良を招き蛇穴を出る 虚子 天子を国の君主であるとか天皇と解して読む。日本人の常識ほどには天子さまを敬う気持ちはあります。その天子さまが賢良なる者を招き宴などを催される。世は蛇が冬眠から覚め這出づる春である。天子と賢良がなす国政の
Ryo Daimonji Blog心臓はひかりを知らず雪解川 山口優夢 作者は開成高校卒の俳句甲子園で活躍された俳人であるらしい。この句は作者何歳の時の作かはわからないのだが、心臓を意識する歳でもないようだ。心臓と雪解川を取り合わすとはさすが、素晴らしい感覚と思う。冷
Ryo Daimonji Blog煤掃は杉の木の間の嵐かな 芭蕉 煤掃きは、新年を迎えるために、一年間の煤を払って家屋の内外を清めることという冬の季語である。この句、その煤払いは自分にとって杉の木の間を吹く嵐である、なんとなれば自分は年中旅の空で出歩いているのだから、
Ryo Daimonji Blog春潮や巌の上の家二軒 虚子 春になると潮の色が澄んだ藍色に変わり、海面が豊かにふくれてくるような印象を受ける、と歳時記の解説にあった。そういう波がざぶーんと来る大きな岩盤の上に家が二軒あるという。家二軒といえば、私は蕪村のさみだれや
Ryo Daimonji Blog書を校す朱筆春立つ思あり 柴田宵曲 氏は『分類俳句全集』アルス版など、編集出版の仕事に携わられたらしい。そう言った仕事上も、前に出ることを避け、頑なまでに清貧であろうとする偏屈を感じるお人柄であったようだ。 書を朱筆で校正するとき、
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Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほとゝぎす 松尾芭蕉 曼珠沙華抱くほどとれど母恋し 中村汀女の句を連想してしまう。郷愁を誘う母のイメージと現実の母とは全く違うということがある。郷愁を誘う京のイメージと現実の京とは全く違うということ
Ryo Daimonji Blog古家にもの新らしき団扇かな 高浜虚子 俳句は物に即して詠まないと感覚が実を結ばない。下五のかなは上五へと循環するように置く。古びた家に団扇の新しさが己が存在を妙にくっきりと示している。つかの間目を止めた瞬間の感覚である。この句、
Ryo Daimonji Blog雨に出す蝸牛の肉龍太無し 小澤實 梅雨どきの激しく降る雨に蝸牛が這っている。その季節は夏の勢いに満ちているのだ。蝸牛もまた活き活きと角を出しあたりを伺う様子で元気に満ちている。同時に作者は敬愛した飯田龍太の不在を感じる。思い出
Ryo Daimonji Blog己が火を木々の蛍や花の宿 松尾芭蕉この句の「木々」が気になった。大きな木ではないと思う、柳やそういった低雑木だろうと思う。その中に紛れて点滅している。己が「火」も気になるのだが他に表現する字も思いつかない。「花の宿」がきれいすぎてこれ
Ryo Daimonji Blog草むらや蟷螂蝶を捕らへたり 高浜虚子 草むらに蟷螂が蝶を捕らえているよ。と秋の一風景を切り取っている。なんでもないことのようだが、蟷螂が蝶を捕らえた瞬間ということを見た人は少ないのではないだろうか、丹波住まいの私にしてもありそうでない
Ryo Daimonji Blogセイタカアワダチサウ秋草に入るや否や 小澤實 小澤實先生の〈翁に問ふプルトニウムは花なるやと〉にしても私は理屈がすぎて俳句と認め難い。ところが先生の素朴にピュアな感覚を思うとコクンと諾う何かがある。背高泡立草はいわゆる秋の七草には入
Ryo Daimonji Blog日の道や葵傾くさ月雨 松尾芭蕉 日の道とは、地球から見て太陽の移動経路のことで、葵の花の傾きがこの道に沿っていると、俳句の観察美を詠んでいる。立葵が先まで咲くと梅雨が明けるのだと、何度も聞いてきたが、今年もことのほか暑い。
Ryo Daimonji Blog嵐山の闇に對する蛍かな 高浜虚子 嵐山には自転車で行けるほどのところに下宿していて、時々出かけた記憶がある。桂川、保津川を挟んで嵐山の山は近い。夕暮れると一体は闇となり、人を寄せ付けない迫り方ををする。そこに蛍が飛んでいる。幻想的とか
Ryo Daimonji Blog蟻地獄雨一滴のひびきけり 小澤實 この句の上五「蟻地獄」が夏の季語である。冬場であっても死に絶えているわけではなく静かに生き耐えているらしい。ともあれ蟻地獄にとって雨の一滴といえども落ち入れば大事で、あたふたとより奥へ幼虫は逃げること
Ryo Daimonji Blog蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉 一匹のとんぼが、草の葉に止まろうとするのだがその芒のような葉のしなりに止まりかねている様を写生している。それはとてもよく理解できるのだが、この句元禄三年1690年の作とある。つまり335年前の光景なのだ
Ryo Daimonji Blog藺の花の上漕ぐ船や五月雨 高浜虚子 藺の花はイグサ科の多年草で山野、湿地に自生するが水田でも栽培されるそうである。そういう川か湿地を、船で巡るところがあってそこで詠まれたようである。完全に水没している藺の花ということでなく、藺の
Ryo Daimonji Blog島の教会かとりせんかう置くあはれ 小澤實 前書に長崎とある一連の一句である。多勢の人がお参りされていたのかどうか、定かではないが蚊取り線香が置かれている。下五「あはれ」喜び、悲しみ、同情など心にジーンとくる情感とある。お参りする人への
Ryo Daimonji Blog玉祭りけふも焼場のけぶり哉 松尾芭蕉 玉祭りと、一気に秋へ飛んでしまう。盆の義仲寺内の無名庵の竜が丘墓地での一句のようだ。こういう場面で思い出すのはネット動画のガンジス川の河畔での荼毘のシーンだ。河畔であっても荼毘に付されるのはまだ
Ryo Daimonji Blog三味弾いて銭乞ふ船や涼み舟 高浜虚子 例えば川下りの屋形舟なぞに三味線弾きが乗り込み掲句のような巡りになったのかもしれない。わずかな銭、とは言えプロの技には憧れてしまうものである。私ごとで言えば、京都三条木屋町の高瀬川あたりで長渕剛を
Ryo Daimonji Blog花冷えや都電と都電すれちがふ 小澤實 都電は1972年(昭和47年)末までに、荒川線以外の全路線が廃止されたそうですが、その都電が花冷えの頃すれちがった、という俳句です。私の京都でも昭和五十三年に廃止されたようですが、北大路を市電で移動する
Ryo Daimonji Blog我に似るなふたつにわれし真桑瓜 松尾芭蕉 この一句、まづは上五「我に似るな」で俳句を志す若者に「私に似るな」と言っている、とわかるか。次に中七下五「ふたつにわれし真桑瓜」を「瓜を二つに割りたる如し」つまりうり二つにによく似ているとの俚
Ryo Daimonji Blog薮入のすこし覚えし京言葉 高浜虚子 私のような田舎に暮らす者は異文化にはとても敏感である。特に関東圏に暮らす人がペラペラと東京弁で仰ると殺される前の猫のようにじっと目をみはり聞いてしまうのである。薮入ですこし身についた京言葉で挨拶
Ryo Daimonji Blog即死以外は死者に数へず御柱 小澤實 私を必要と思われるなら生かし、不必要と思われるなら殺してください。と、行に仕立てた人為がある。それが「行」なのだから致し方ないのである。こういう境地で人は死への恐怖を超えるのかもしれない。しかし、人
Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほととぎす 松尾芭蕉 ふるさとの原風景ってどこだろう、母なのか、父なのか竹馬の友なのか、というふうに自分の心の中の核心というものは、はっきりと掴めないものだ。この句にしても京にいるのに京が懐かしいとはなんぞ。そこに
Ryo Daimonji Blog薔薇剪つて短き詩をぞ作りける 高浜虚子 存分に薔薇を見て、さらには剪りとっても見て俳句にされたのであろう。俳句と言わず短き詩と遠回しに言って美しすぎる語感をおさえられたのであろう、「をぞ」と意図してリズムに不調を入れるあたりさすがであ
Ryo Daimonji Blog鉄階にいる蜘蛛智慧をかゞやかす 赤尾兜子 鉄の階段に住んでいる蜘蛛はそこでも美しく輝く巣を張って生きている。その蜘蛛の巣の輝きがすなわち蜘蛛の智慧と言えるのである。と句意を解して見た。 私にとって問題は、(毎日新聞社版『名句の所以』著
Ryo Daimonji Blog酔て寝むなでしこ咲る石の上 芭蕉 なでしこの咲いているそばの石の上で、ほろ酔いで寝ようではないか。と一応の解釈をしてみるのだが、解説(小学館『芭蕉全句』)に小野小町・僧正遍昭の贈答歌「岩の上に旅寝…」による。とある。その意味合いにこそ真
Ryo Daimonji Blog鶏の築地をくづす日永かな 虚子 この句のポイントは、「築地」小さな山を鶏が崩す、と読んでみたが「つきじ」は海や沼の埋立地、で「ついじ」は土塀のこととあった (ネット)。地名の意味もあるが、俳句の意味、風情としては「土塀」と解するのがまず
Ryo Daimonji Blog阿修羅の鵜女体とききしあはれさよ 渡辺桂子 阿修羅は六道のひとつ。人と地獄、餓鬼、畜生との間にある境地とある。人に縄で縛られ懸命に鮎を取りそれを横取りされる鵜に己と同じ雌と聞きあはれと思うとともに、ある種の共感を俳句にした。
Ryo Daimonji Blogいでや我よきぬのきたりせみごろも 芭蕉 まづ上五「いでや」を理解したい。「いでや」で感動詞で「さあ!」ほどに解した。さあ!我に、良き布が来たぞ、良い服とでも訳すのか、蝉のころも、つまりせみの羽のように涼しいころもだ。と贈られた服を喜
Ryo Daimonji Blog住みなれし宿なれば蚊もおもしろや 虚子 芭蕉一門に内藤丈草という俳人がいて「血を分けし身とは思はず蚊のにくさ」と言うのがあった。確かに蚊は自分の血を吸っておりそこを血を分けた、と言えばなんとも身内の如き、感は出る。しかし虚子さんの句の
Ryo Daimonji Blog人殺ろす我かも知らず飛ぶ蛍 前田普羅 前田普羅は1884年(明治17年)東京生まれ、早稲田大学英文科中退、横浜裁判所勤務とある (ウキペディア)。人を殺すかもしれない、という不安は令和を生きる私たちにとっては普通に抱く不安と言えるのではない
Ryo Daimonji Blog鰹売いかなる人を酔すらん 芭蕉 貞享四年(1687)頃では鰹という魚はさほど高級魚ではなかったらしい。そして、その鰹を売ろうと人を口車に乗せる輩もいたようだ。利のために人を騙す、今も昔も欲に取り憑かれた人間は徒然草あたりに絶好の教材として
Ryo Daimonji Blog人行かぬ舊道せまし茨の花 虚子 田舎の道には新旧があって旧道を少し外して立派な国道や県道があったりする。久しぶりに旧道に入ってみると、雑草や雑木に狭められた懐かしい道が数十年昔のまんまあったりする。特に狭くなったわけではないのだがひど
Ryo Daimonji Blog恋を得て蛍は草に沈みけり 鈴木真砂女 蛍に託して満ち足りた己の恋を草に沈むと表現した。蛍に託すことで人間の愛欲の儚さを自覚するのであり、草に沈むとすることでささやかではあるが、私たちのしとねの美しさを官能的に表現し切った。奇しくも今
Ryo Daimonji Blog五月雨に鳰の浮巣を見に行む 芭蕉 梅雨の雨どきに、田んぼの水加減を見に行ったり川からの取り込み口を見に行ったり気忙しいことである。時にそういう作業の途中増水に足を取られたりの高齢者がいて注意喚起に躍起である。この句は鳰の浮巣を見に行
Ryo Daimonji Blog短夜の星が飛ぶなり顔の上 虚子 この句を読んで、流れ星が作者にとても近くに感じられた。それもそのはず、前書に野宿とある。夏の短い夜を野宿しているのである。野宿という非日常に夜空も流星も身近に生き生きと迫ってくるのだ。〈短夜の山の
Ryo Daimonji Blog亀の子のすつかり浮いてから泳ぐ 高田正子 いわゆる銭亀といった小さな亀は重量がなくその浮力だけで十分に浮くのである。そしてともかく手足を動かすのでそれが泳いでいるように見える。この句、すつかり浮いてからとそのさまを切り取るが、どの
Ryo Daimonji Blog髪はえて容顔蒼し五月雨 芭蕉 貞享四年(1867)『続虚栗』。五月雨つづきのこのごろ、髪もはえ、顔も青白く精彩を欠いている。貞享四年と言えば芭蕉、数え44歳とある。身を構わぬこともあろうがこのような自分を俳句にすることも珍しく興味深いことで
Ryo Daimonji Blogほとゝぎす月上弦の美濃路行く 虚子 美濃の街道を行く頃には空には上弦の月がかかってをり、ほととぎすの声が聞こえた。さて、この場合のほとゝぎす、月上弦の二重季語はどう解すべきか、私はこの句の主季語を上弦の月と解し、ほとゝぎすを従たる季語と
Ryo Daimonji Blog黴の書に占魚不換酒の印存す 上村占魚 解説を読むと(小澤實著『名句の所以』)すぐにああそうかと合点がいく。最初「占魚不換酒」がわからなかった、なあんだ本を売って酒代に換えないこと、その決意表明の印が古くなった自書にあるってことだ。 今
Ryo Daimonji Blog五月雨や桶の輪きるる夜の声 芭蕉 五月雨が降って湿度が増したのであろうか、どれかの桶のたがが切れたようである。そういう音がした。そしてその音は人の悲鳴のような声にきこえるのだ。解説によると、竹製のたがには湿気が大敵だという(小学館『芭
Ryo Daimonji Blog子規鳴き過ぐ雲や瀧の上 虚子 子規が鳴きながら飛び過ぎて行く、その雲が瀧の上を過ぎて行く。この過ぐが双方にかかっているのだ。むしろそれより問題は、子規、瀧は双方共に夏の季語だ、こういう二重季語はいかがなものか。いわゆる異種の二重季語は
Ryo Daimonji Blogかほに塗るものにも黴の来りけり 森川堯水 解説で作者は貧しい境涯と向き合った、とある。顔に塗る化粧品なのだろうが、それを使う作者の妻はおそらく捨てずに使ったのだろうと推測されている。そこまで読むのもおもしろくもあるが、私は化粧品にまで
Ryo Daimonji Blog卯花も母なき宿ぞ冷じき 芭蕉 貞享四年(1687)年作。其角の母への追善吟とある(小学館『芭蕉全句』)。初夏を彩る卯の花も母を亡くした身には「冷じき」つまり心は冷え冷えとしてさみしく孤独に絶えない。と言ったとことか。そうですねえ、他人の不幸っ