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  • 161 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogかほに塗るものにも黴の来りけり 森川堯水 解説で作者は貧しい境涯と向き合った、とある。顔に塗る化粧品なのだろうが、それを使う作者の妻はおそらく捨てずに使ったのだろうと推測されている。そこまで読むのもおもしろくもあるが、私は化粧品にまで

  • 94 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog卯花も母なき宿ぞ冷じき 芭蕉 貞享四年(1687)年作。其角の母への追善吟とある(小学館『芭蕉全句』)。初夏を彩る卯の花も母を亡くした身には「冷じき」つまり心は冷え冷えとしてさみしく孤独に絶えない。と言ったとことか。そうですねえ、他人の不幸っ

  • 160 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog短夜や盗みて写す書三巻 大須賀乙字 この句の背景として、作者に師にまだ早いと読むことを禁じられていた芸道の秘伝書があったこと。そして師の書架から盗み出し、徹夜覚悟で写そうとしたこと。そしてそれは乙字の直接経験を詠んだものではなく、浪漫

  • 93 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

      Ryo Daimonji Blog夏衣いまだ虱をとりつくさず 芭蕉 小学館『芭蕉全句』の解説によると九か月間もの長旅を終えて草庵に身を休めているが、道中で移された虱もまだそのままだとあるが、九か月の長旅をこの句から読み取ることは難しかろう。また、取り尽くせていない

  • 123 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog木曽に入りて十里は來たり栗の花 虚子 木曽は長野県木曽郡の中央部にある町。そこに入って十里は来た、よく来たもんだと感慨をこめている。上五を入りで切らず、て止め上六の破調にしている。たしかにこれで十里は来たとのたっぷり感がでる。さらに来

  • 159 『名句の所以』(著:小澤實)から

    159 『名句の所以』(著:小澤實)から

  • 92 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog山賎のおとがい閉るむぐらかな 芭蕉(やまがつのおとがいとづるむぐらかな) 山賎(やまがつ:きこりのこと)。おとがい:顎、転じて口のこと。むぐら:葎(蔓性雑草)。甲斐(山梨県)の山は深く、葎がおおい繁り道ばかりか木樵の口までも閉ざしているようで、

  • 122 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog諏訪近し桑の山畑ところどころ 虚子 明治二十七年6/24『小日本』とある。虚子二十歳の作である。諏訪に近づくとところどころに桑畑が山裾に見られるようになった、とその風土を写生して見せている。下五に「ところどころ」と具体的に景を絞らず流

  • 158 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog花こぼるる棕櫚の下掃くさびしさよ 村山たか女 たか女は明治三十七年生まれで大正十五年、わずか二十一歳で逝去している。たか女は女学校を退学して母の看護に勤めてきた。しかし、棕櫚が花を咲かせる六月頃、看護の甲斐もなく母は亡くなってしまった

  • 91 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    91 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

  • 121 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog裏山の紫つゝじ色薄し 虚子 場所は「裏山」、感想は紫つつじの色が薄い、とのみ。このつつじが見えるでなく、そんなツツジもあるやろなあぐらいのインパクト。まあしかし初学であれば写生句はこれぐらいで手練手管な師匠には取ってもらえるかもしれな

  • 157 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog夜的の灯草のはるかに置かれけり 上川井梨葉 この夜的は屋台などにある射的屋の灯のことであろうか。ところで、夜的は季語とされた時代があるようだが今私の歳時記では見当たらない。私は名のある歳時記にあるなしで季語の有効性を決めているが、一体本

  • 90 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog鳥さしも竿や捨てけんほとゝぎす 芭蕉 一読、「鳥さし」とはなにかと思う。鳥を刺す猟師のことのようである。次に竿やの「や」の品詞は何か,係助詞と解して「けん」と連体形で受けているので良いように思うが、係助詞やの疑問、反語のニュアンスでは

  • 120 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog大木の五月雨の谷に横たはる 虚子 この句も前回の《五月雨の和田の古道馬もなし》と同じく明治27年6月24日『小日本』とある。この五月雨の谷も長野県飯田市南信濃和田のいわゆる秋葉古道のことではないか。いわゆる杉などの大木は意外と雨風に弱く

  • 156 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji三枚におろされている薄暑かな 橋閒石 「三枚におろす」とは魚の調理方法のことである。この句、薄暑がおろされているように読めるが、私は、なにがしかの魚が三枚におろされているところを見て詠んでいるのだと、解した。魚によってはあるいは包丁に

  • 89 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉 芭蕉 蜂が牡丹の花蘂のふかくから分け出でて、即飛び立つのではなく一瞬の間をおいて飛び立つのである。そのふかくにより牡丹の大輪が見えるのであり、名残により蜂の動きの微細が見えるのである。

  • 119 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog五月雨の和田の古道馬もなし 虚子 この作品は明治27年6月24日『小日本』とある。この頃虚子さんは木曽路を経て京都に帰り、6月には『木曽路の記』を執筆されている『定本 高浜虚子全集 別巻 虚子研究年表(毎日新聞社)』。この和田の古道は、長野

  • 155 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji葉桜の中の無数の空騒ぐ 篠原 梵 葉桜の葉の間に見える空を無数の空と表現した。葉桜の量感を小さい隙間にの空に託したわけだ。その上に騒ぐ葉桜を空が騒ぐと転化して見せたところ、こういう表現は明喩と言っていいのか。無数の空が騒いで「いるようだ

  • 88 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogおもひ立木曽や四月のさくら狩 芭蕉 貞享ニ(1685)年四月、『野ざらし紀行』の旅をおえ、尾張から木曽路を経て江戸に帰る際、熱田で巻いた連句の立句「明治書院『新芭蕉俳句大成』」。 江戸へ帰る途中であるが、折しも少し遅いが木曽の春も遅いの

  • 118 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog家二軒笠取山の時鳥 芭蕉 笠取山(かさとりやま)は、埼玉県秩父市と山梨県甲州市の境、奥秩父山塊の主脈に位置する標高1,953 mの山。秩父多摩甲斐国立公園に含まれる(ウキペディア)。ネットで見る限り周辺に人家があるような気配はない。山裾へ降りて

  • 154 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog葉ざくらや人に知られぬ昼あそび 永井荷風 いきなりこの句、淫靡な気配を放つ。永井荷風をネットで見てみたが窮乏したり、病気になったりもしておられるが、基本裕福な育ちの人らしい。後年文化勲章も受賞してをられる。若い頃の遊興三昧も芸の肥や

  • 87 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog白げしにはねもぐ蝶の形見哉 芭蕉 この句は隠喩を用いた句である。即ち白げしが杜国、はねもぐ蝶が芭蕉を意味している。その前提として空米取引で罪を問われている杜国との会うに会えない不遇への哀感があると思われる。白げしに潜っていた蝶が飛ぶ

  • 117 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog旅の夜の菖蒲湯ぬるき宿りかな 虚子 菖蒲湯は五月五日の端午の節句にお祓いの意味を込めて菖蒲を入れて焚いた風呂のことである。旅の途中の宿の湯が奇しくも菖蒲湯であったらしい、がその湯がぬるかったと二十歳の虚子は呟いている。六月十九日の発

  • 153 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog五月わが部屋を光の箱にして 細谷喨々 私はこの句を読んで作者のことを考えた。五月といえば夏立つ頃で新緑溢れる光の季節である。作者はこのひかりを部屋全体で感じとっている。まるで中世の宗教画のようにも感じた。それと下五「箱にして」と受身で

  • 86 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog月華の是やまことのあるじ達 芭蕉つきはなの 俳諧の世界において、月とも花とも仰ぐべき真のあるじたちである。そしてそれは、俳諧の祖というべき山崎宗鑑・荒木田守武・松永貞徳のことである。貞享五年以前の作、無季とされる。この一句から山崎宗

  • 116 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog信濃路や蠶飼の檐端菖蒲葺く 虚子 こがいの えんたん しょうぶ ふく 信濃路の蚕を飼っている家の軒先のひさしに菖蒲が挿してあることだなあ。ほどの意味のようです。もとより私にすらすらこの句が読めたわけではなく、

  • 152 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog数多なる岬・崎・鼻けぶる夏 澤好摩 岬、崎は海中に突き出ている陸地のことで、この鼻も辞書にはないが、薩摩半島の先端を「長崎鼻」ということからも同様の意、と小澤實先生はおっしゃる『名句の所以』毎日新聞出版115頁。海中に突き出た陸地はこ

  • 85 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog団扇もてあふがん人のうしろむき 芭蕉うちは この句は団扇を煽ぐ、敬意を込めて仰ぐ、ということらしい。解説書によるとこの人とは盤斎法師といって後ろ向きの画像もあるようで、生きざまも世に背を向けて山里に隠遁した聖人であったようだ。熱田の

  • 115 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog子規鳴く傾寒し浅間山 虚子ほととぎすなく かたむきさむし(と私は読んだ)  あさまやま 浅間山は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋村との境にある安山岩質の標高2,568メートルの成層火山。山体は円錐形でカルデラも形成され

  • 151 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogみづうみのみなとのなつのみじかけれ 田中裕明 この句は第五句集『夜の客人』に収められている。平成十七年一月ふらんす堂よりとあるので、平成十六年十二月白血病による死後のことである。この句の「なつのみじかけれ」は裕明そのものであった。付箋

  • 84 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog梅こひて卯の花拝む涙哉 芭蕉うめこひて うのはなおがム なみだかな 貞享二(1685)年四月の作。季語は「卯花」で夏。『野ざらし紀行』の旅の途中、其角参禅の師である大顚和尚が亡くなったことを知り、其角に送った追悼句。もはや見ることのできな

  • 114 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog短夜の闇に聳ゆる碓氷かな 虚子 碓氷峠は群馬県と長野県の県境にあって御地の交通の要衝のようだ。確かに山岳地帯であるが、私は不見識もあって聳えるという表現にはネット情報での峠のアーチ型煉瓦橋が印象に残るばかりであった。「短夜の闇に聳ゆる

  • 150 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog春雨といふ音のしてきたるかな 鷲谷七菜子 七菜子は大正十二年生まれ。山口草堂門。草堂の指名で「南風」を継承した、とある『名句の所以』53頁。 雨の音というのも、四季折々で趣にちがいはあるのだと思う。春雨といえば冷たさがちがう、そこに同

  • 83 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogいざともに穂麦喰はん草枕 芭蕉 貞享二(1685)年四月の作。『野ざらし紀行』途次の作。この句何やら檄を飛ばしているようでもあるが、「野ざらし」の同行者路通へのものとは思えない、おそらくは自分自身を鼓舞するような気持ちではないかと思う。「さ

  • 113 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog夏山の小村の夕静かなり 虚子 明治二十七年虚子二十歳の作。中七下五はまさに私の住む村そのものである。少子高齢化が進み、もはや小村の昼静かなりといったところである。上五「夏山の」には虚子二十歳の勢いにつられ、3000メートル級の日本アルプ

  • 149 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog春の家裏から押せば倒れけり 和田悟朗 和田悟朗氏は大正十二年生まれ。「白燕」同人代表。私は、自分の家を解体した経験がある。大きなユンボで四方から潰してゆくのを見ているのは辛いことであった。ユンボの舳先がくるり回り裏側から引き寄せるよ

  • 82 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog杜若われに発句のおもひあり 芭蕉 この句は貞享二(1685)年四月四日、鳴海の知足亭で巻いた連句の発句であるとか、庭の美しい杜若を見ていると、昔、在原業平が「唐衣着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」(『古今集』『伊勢物語』)と

  • 112 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

       Ryo Daimonji Blog大紅蓮大白蓮の夜明けかな 虚子 蓮は澤の彦根大会の吟行で初めてしげしげ見たのが初めてだった。白であった。紅は見たことがない。この句その上に大がついている。そういうたっぷりした蓮を見ればそれは満足できるというもんだ。その上に夜明け

  • 148 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogあたゝかや挨拶長き京言葉 田畑三千女 三千女は明治二十八年生まれ。高浜虚子門。「ホトトギス」同人。三千女は十二歳の舞妓の時に虚子に会い、虚子の小説『風流懺法』のモデルになった女性、とある(『名句の所以51頁』)。上五で京言葉を褒めているの

  • 81 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

      Ryo Daimonji Blog蝶の飛ばかり野中の日かげ哉 芭蕉 貞享二年(1685)笈日記とある。野には蝶ばかり、つまり蝶だけが飛んでいると逆説に強調しているものと解する。そして、その飛ぶ蝶が野中の影をなしていると解するか、日陰へと飛んでいると詠嘆しているとも解せら

  • 111 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog蝸牛葉裏に雨の三日ほど 虚子 三日ほど雨の続く日である、葉裏に蝸牛が居ると蝸牛に雨がちな初夏を代弁させている。その上この蝸牛もまだ小さいのであろう、葉裏にいると遠慮気味に出すあたり、虚子先生のさすがと言える渋さである。反面今日的には

  • 147 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog腹這へば乳房あふれてあたたかし 土肥あき子 あき子氏は昭和三十八年静岡県生まれとある。女性にとって乳房は年代にもよるだろうが、結構なテーマであろうと思う。あふれてあたたかい、とは多くの同性の羨望ともなろう。その響きに自己への肯定感がい

  • 80 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog船足も休む時あり浜の桃 芭蕉 歳時記に梅の花が終わってまだ桜には早い頃の花。とあるが、私は近くで桃の花をしっかりと見るということがない。梅が咲いたと思うとすぐに桜が満開となる。そして早くも葉桜である。 貞享ニ(1685)年作。東海道の宿駅

  • 110 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog爐塞いで此夕ぐれをいかん僧 虚子 爐塞、ようやく寒さも遠のいてきたので、冬のうち親しんできた囲炉裏や茶炉を塞ぐのであるが火がないと何やら広々とするこの夕ぐれが、手持ち無沙汰である、と嘆く僧であった。この「僧」自分のことと読んだが、他を

  • 146 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog涅槃図にまやぶにんとぞ読まれける 後藤夜半 この句の核は「まやぶにん」。涅槃図に毛筆でそう書いてあるものがあるようだ。「まやぶにん」は「摩耶夫人」である。釈迦の母であって、産後七日目で亡くなってしまわれたとか(『名句の所以』著 小澤實)

  • 79 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog命二ツの中に生たる桜哉 芭蕉 貞享ニ(1685)年の作『野ざらし紀行』。前書きに「水口にてニ十年を経て故人に逢ふ」とある。「命二ツ」とは芭蕉と土芳のことである。その再会の感激を水口の桜に託しているのだ。この時代に二十年を超えて逢うということ

  • 109 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog夕暮の汐干淋しやうつせ貝 虚子 明治27年3月20日「小日本」とある。この頃虚子は碧梧桐と行動を共にしていたようだ。虚子二十歳の作品である。夕暮のしおひ狩り(と解する)に空の貝があつた淋しいことだと、虚子若き日のノスタルジーと読んだ。

  • 145 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogはりつけにあらず寝釈迦は寝給へり 及川貞 キリスト教の尊師キリストは磔で死んだ、多方仏教の尊師釈迦は寝るように死んだ。いずれがという評価を言っているのではない、その違いを俳句に詠んだのだ。そしてその穏やかな寝姿にお釈迦さまへの敬愛の念

  • 78 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog菜畠に花見皃なる雀哉 芭蕉 菜の花畑で、人が花見をしているような顔で飛び回っている雀だよ、ほどの意味であろうか。菜の花の美しさ、可愛さを俳句にするのは意外と難しい。その上に鳥類の中でも可愛い雀を擬人化で付け加えるのも可愛さのつきすぎの

  • 108 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog行春や心もとなき京便 虚子 この句の中七「こころもとな・し」は①待ち遠しくて心がいらいらしている。が一番ピッタリくる。下五、京からの便りと、もじどおり読む。しかし誰からの、どういう便りなのかさっぱりわからない、京からのということでその

  • 144 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog崇徳院しづもる讃岐西行忌 上﨑暮潮 崇徳上皇(兄)と後白河天皇(弟)の争いは崇徳上皇の讃岐への遠流で終わる(1156年 保元の乱)。この時の崇徳院の恨みは日本三大怨霊の一人として知られるげな。この霊をしづめたのが西行とも言われ、西行の陰徳が偲ば

  • 77 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogつゝじいけて其陰に干鱈さく女 芭蕉 この句上六中五下八の破調句である。この言葉の流れに「女」の無骨な性格をいいとめている『高柳芭蕉』。との解釈もあるとする。貞享ニ(1685)年『野ざらし紀行』である。「旅店に腰を懸けて」。の前書きがあるよ

  • 107 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog湯婆の都の夢のほのぼのと 虚子 上五「たんぽ」で冬の季語であるが、ここは「ゆたんぽ」と読んで良いと解する。このゆたんぽから、みやこの夢をほのぼのと思う。との俳意とするならいくら虚子さんとはいえあまりに甘い一句であると思う。出典は俳句全

  • 143 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog火に乗せて草のにほひす初諸子 森澄雄 諸子のおいしい食べ方は、炭火でこんがり焼き上げ酢味噌、生姜醤油でいただくのがいいらしい。ところがこの句その時に草の匂いがする、という。水中にすむ諸子が焼き始めると草の匂いがするげな、こんどそんな機

  • 76 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog辛崎の松は花より朧にて 芭蕉 辛崎は滋賀県大津市、唐崎あたりのことのようだ。琵琶湖に向かって立つ松が詠まれている。曖昧さをよしとする美感で、花よりもぼやけて見える夜の松の情趣を繊細に捉えている。琵琶湖に向かう松もさることながら、私は丹

  • 106 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog花吹雪狂女の袖に亂れけり 虚子 和装の女性が桜吹雪の中を袖を振って舞っている。そしてその女性は狂女だという。桜の根元には死体を埋めたり、狂う女性を踊らせたり、さまざまにその美の表現がこころみられる。美しさに怪しさが漂うとき、狂い踊る女

  • 142 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog生別もいづれ死別や春の水 山本紫黄 この作者、生別死別といった大変重い事を俳句でさらりと詠まれた。他の句にも〈来ぬ女こそわが女冬日の浜〉とか、〈てめえの靴はてめえで探せ忘年会〉とかあった。 生き死にを俳句にすることはいいのだが、その

  • 75 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉 この句の命は中七の「ゆかし」であった。辞書をみると、①何となく知りたい、見たい、聞きたい。と好奇心をさす。②何となくなつかしい。何となくしたわしい。心がひかれる。③上品ですぐれている。とある。貞享

  • 105 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog朝櫻一度に露をこぼしけり 虚子 俳句で一瞬を詠むのは常套である。風が吹いたのか鳥が飛び立ったものか、ともあれ一度に葉についた露が落ちたのであるしかも朝のことである。「こぼしたことだよ」と軽く一瞬の過去を詠嘆して見せる、これもまた19歳の

  • 141 『名句の所以』(著:小澤實)から

     Ryo Daimonji Blog山笑ふ胎動ときにへその裏 仙田洋子 まるで中学生に戻ったかのように女性の身体図を見てみた。「へその裏」と言えば当然子宮のあたりだ、妊娠中の胎動の感覚を具体的に自分の体で詠んだ。そしてそれが俳句になっている。「胎動」の具象化に成功して

  • 74 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog我がきぬにふしみの桃の雫せよ 芭蕉 貞享二年(1685)『野ざらし紀行』。京都市伏見西岸寺の盛りの桃の花を任口の高徳になぞらえて、私が着ている衣に桃花の雫を滴らせて欲しい(高徳に浴したい)と当時八十歳の老僧任口上人への挨拶句としたもの。(『新

  • 104 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog更けゆくや花に降りこむ雨の音 虚子 1893(明治26)年虚子19歳作とある。この花はわが邦にあり、そこへ雨が降り込むという。がしかし、降り込んでいるのは音だという。この表現になるほど虚子19歳の非凡な感覚表現の若さを感じる。

  • 140 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog東山三十六峰みな笑ふ 清水基吉 清水 基吉は、俳人、小説家で東京都渋谷区に1918(大正7)年に生まれている。1931年(昭和6年)東京市立第一中学校(現:九段高校)に進むが胸を病んで中退し、1938年(昭和13年)から4年近く、各地に転地療養し、その間

  • 73 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog樫の木の花にかまはぬ姿かな 芭蕉 難しい句である。まづ場所は京都市鳴滝とある(「芭蕉全句」小学館)。次に「かまはぬ」かかわるとの意味に従う、つまり桜の花にかかわらない、枝ぶりである。先の林和靖に例えた山荘主を樫の木に類えている、らしい。

  • 103 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

      Ryo Daimonji Blog月の夜に笠きて出たり鉢叩 虚子 この場合の笠は、被りもんを意味するんだろう。月の夜なんで雨避けではなく帽子みたいなファッションなのであろう。鉢叩なる季語では、十一月初旬から大晦日までの寒い夜である。空也念仏が聞こえてきそうな年末の通

  • 139 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog下燃えぬ人間それに従ひぬ 星野立子 季語「下燃」は、早春、大地から草の芽が萌え出ること、またはその芽をいうとある。また、古来ひそかに思い焦がれる意味に使われた言葉であるとも歳時記にあった。 つまりはそういう早春の季節のうごめきに人間

  • 72 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog梅白し昨日ふや鶴を盗まれし 芭蕉 貞享二(1685)年春の作。「京にのぼりて三井秋風が鳴滝の山家をとふ」と前書。広大な別荘にすむ秋風へ、秋風を林和靖になぞらえての挨拶句。つまり「宗の高士、林和靖は西湖の孤山に住み、ただ梅と鶴を愛した」秋風

  • 102 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog餅もすき酒もすきなりけさの春 虚子 餅に酒。いずれも好きと改めて言う。何やらめでたくあるのは、新年のことほぎだからなのだろう。「けさの春」「今朝の春」で歳時記に新年の季語とある。なるほどである。

  • 138 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太 庭に梅が咲き春の訪れに満ちている。その庭にあの凶暴な青鮫が来ているという。これはどういうことで、どこからこんな発想が生まれるのか、つまり何を言いたいのか、とか真面目な人ほどあれやこれや考えてしま

  • 71 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog水とりや氷の僧の沓の音 芭蕉 お水取りとは、東大寺の二月堂で行われる修二会のことであるが、3月12日の「後夜」の中で6人の練行衆が閼伽井屋に向かって香水(二月堂の下の岩から湧き出る神聖なる清水)をくみ、これを須弥壇下の香水壺に蓄えて本尊

  • 101 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog燕のしば鳴き飛ぶや大堰川 虚子 はて、燕って飛びながら鳴いてんだっけ。たしかに目の前を反転しながら鳴いていたと思う。大堰川は、嵐山に保津川から桂川になるまでをそう言うんだと思う。ともあれ妻の里を流れる大きな川で桜どき、夏の花火で賑わ

  • 137 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog星の香の少しく混り蕗の薹 渡邊千枝子 蕗の薹に星の香がすると言う。どこのなんという星かなどは愚問である。ともかくも遠くはるかな香であり味である。当然、具体的になんとも言えないところを「すこしく」とおさえて表現している。辞書に副詞。参

  • 70 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog世にゝほへ梅花一枝のみそさゞい 芭蕉 どうやら、一枝は玄髄という医者の号のことで、この人はみそさざいが梅のひと枝に満足しているように、分相応の暮らしを営む徳人であるようだ。そういった玄随の徳が梅の香りのようにひろまれよ、と挨拶している

  • 100 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog奈良茶飯できるに間あり藤の花 虚子 米に栗、大豆、小豆、アワなどを入れ、お茶で炊いた炊き込みご飯。江戸時代、東海道五十三次の宿場町であった川崎宿の茶屋「万年屋」でシジミのみそ汁や奈良漬けとともに提供され、旅人に大変な好評を博し、全国各

  • 136 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog大風やはうれん草が落ちてゐる 千葉皓史 いつもの路にほうれん草が落ちている。はて、なぜだろう。大風が吹いているのだが、まさか畑から市場から大風に乗って飛んでくるはずもないのだが、妙にくっきりとあるのだ。そのありようが春という季節と相

  • 69 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog初春先酒に梅売にほひかな 芭蕉 酒はともかく、私は梅にしても花の匂いの認識がないのだ。慢性の鼻炎をかこち来たせいだと思う。この句は春になってまづ、酒の匂いを言い、ついで梅の匂いに詠嘆する。芳醇な酒の匂い、ついで「梅」の匂いとするところ

  • 99 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog秋篠はげんげの畦に佛かな 虚子 秋篠(あきしの)は、奈良県奈良市にある地名。現行行政地名は秋篠町、秋篠新町。かつては大和国添下郡に属しており、平城京の北西端にあった西大寺の北側に広がる地域にあたる。現在の皇室の秋篠宮の宮号の由来の土地

  • 135 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog堅香子にまみえむ膝をつきにけり 石田郷子 堅香子の花は片栗の花のことで春の季語である。この花は私は随分前に近所の山で見たのだと思う。誰に教えてもらったものかおそらくは若かりし頃の妻であったと思う。子供の頃片栗粉のスープをこれは母に飲ま

  • 68 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    毎日新聞社 小澤實氏の『名句の所以』・小学館『芭蕉全句』・毎日新聞社『定本 高浜虚子全集』を読んでいます。ひまな時にでもお立ち寄りください。

  • 98 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog旅荷物しまひ終りて花にひま 虚子 この月二十六日から神戸に立子ともども吟行している。その旅のことか二十九日にいたり舞子、万亀楼にて旅を終えたようである。旅荷物を仕舞、花にいとまを告げている。芭蕉の旅とは異なり、余裕に満ちた空気が伝わ

  • 134 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog我山に我木の実植う他を知らず 西山泊雲 近頃の風潮を「今だけ、金だけ、自分だけ」と言う。この句の下五もそう言う気持ちを言っているのだろうか。「我山」「我木の実」と「我」が続くのでそう言うふうな気もする。自分の山に自分の木の実を植える

  • 67 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog旅がらす古巣はむめに成りにけり 芭蕉 『千載集』崇徳院歌「花は根に鳥は古巣に帰るなり春のとまりをしる人ぞなき」を踏まえたものとする。漂白の生活を送る旅鴉のような自分だが、故郷は梅の盛りとなっていると、美しい故郷に自分を自嘲的に対比して

  • 97 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog 藤垂れて今宵の船も波なけれ 虚子  昭和十年(1935)四月立子と神戸に遊ぶと(朝日文庫 虚子集年譜にある、六十一歳)。二十六日、石手寺、涌ケ淵吟行。豊阪町亀の井、この夜神戸吟行とあるのは毎日新聞社 定本虚子集第一巻。藤の垂れる神戸の港を

  • 133 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog白魚をすすりそこねて死ぬことなし 斎藤 玄 斎藤玄は1914(大正3年)北海道出身の俳人。 「何とかをしても死にはせん」と他愛ないことを大袈裟に死にかこつけて言って強がる常套句である。この句は白魚の踊り食いを言っている。一読これもまた、他愛

  • 66 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog子の日しに都へ行ん友もがな 芭蕉 王朝宮廷の遊びに初子の日に、野に出て小松を引き若菜を摘んでする遊びがあったそうな。そんな優雅な遊びをともにするような友がほしいなぁ。と言ったところのようである。現代に置き換えてそのような遊びが浮かんで

  • 96 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog道のべに阿波の遍路の墓あはれ 虚子 弘法大師さまの御跡である八十八ヶ所霊場を巡礼することが遍路だと言われています。今でも多くの人たちがお参りしておられます。人生のお礼に参られる人、今まさに人生に願をかけお参りする人もあるのでしょう。第

  • 132 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog恋猫や鮑の貝の片思ひ 内藤鳴雪 内藤鳴雪は、幕末の伊予松山藩の武士、明治期の官吏、明治・大正期の俳人とある。「鮑の貝の片思い」は万葉集にも見られる古い成句である。故に鳴雪が俳句に引用したことは成句の引用ということだけをもってする批判は

  • 65 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog我ためか靏はみのこす芹の飯 芭蕉 この句は、山店子なる人がわざわざ芹飯を持つてきてくれたことへの謝意を句にしたものであった。その芹を鶴が食べ残したものと鶴を配することによって高尚な趣で謝意を表そうとしている。前書きの「金泥坊底の芹」は

  • 95 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog船の出るまで花隈の朧月 虚子 花隈は、神戸市中央区の、花隈城のあった辺りで神戸港の発展に伴い高級料亭が立ち並ぶ商業地域。昭和十年四月二十四日、播水 (五十嵐)の招きによる宴席で詠まれたものであるようだ。私は花隈町なるところに土地勘はまっ

  • 131 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog恋猫に颯とたてがみのやうなもの いのうえかつこ 恋猫に颯爽とした馬の立髪のような毛が生えているという。猫にさかりがつくと、どの猫でもそうなるのであろうか。いやそうではあるまい作者の猫がそう見えるのである。恋をする私の猫はかっこいい雄猫

  • 64 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog誰が婿ぞ歯朶に餅おふうしの年 芭蕉 どこの婿さんであろうか、餅に正月飾りの歯朶をつけて背負って行く丑年であることよ。そして、その牛には嫁さんを乗せているとの説もある。芭蕉ががこういう昔ながらの習慣を故郷に見て懐かしんでの歳旦吟であるら

  • 94 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog椿先づ揺れて見せたる春の風 虚子 この句、椿が春の風を揺れて見せた、との擬人法であります。一般的に俳句の擬人法は避けた方がよいとされます。その理由はいろいろ言われますが、つまりは嘘であるからでしょう。鳥は歌わないし、花も微笑みはしませ

  • 130 『名句の所以』(著:小澤實)から

     Ryo Daimonji Blog春寒のケシゴム一行の字をそげり 鷲巣繁男 暦の上では春なのだが冬へ戻ったような寒い日、作者は一行の字を消した。この一行の字とは俳句のことであろう。「消す」ことを「削ぐ」と表すところに作者の苛立ちを感じる。単に表現技術に苛立っているの

  • 63 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog火を焚て今宵は屋根の霜消さん 芭蕉 門人・濁子の細君から冬籠もりの料(薪炭)が寄せらたので、と「芭蕉全句(小学館)」に説明がある。火を焚いて屋根の霜を消そう、という句意だが、霜を消すには家を温かくしてということが省略されている。この省略に

  • 93 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog 園丁の指に従ふ春の土 虚子園丁とは造園を職業とする人、庭師のことを言うらしい。春の土という季語も幅があって俳句に用いにくい。そこを園丁の指に従うと土いじりの作業に細かく絞り込んでみせたのである。あえて春の土を擬人化したところに園

  • 129 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog心臓はひかりを知らず雪解川 山口優夢 心臓に持病を持つ私は、ひかりを知らずなどと人ごとのように詠嘆する余裕はない。穏やかに正確に鼓動を打ってくれるのを願うばかりである。夜寝落ちするまでの心臓にさまざまに向き合うことになる。季語雪解川に

  • 62 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

     Ryo Daimonji Blog蝶よ蝶よ唐土のはいかい問む 芭蕉 これは難しい。この句の句意自体はわかるのだが、芭蕉翁の俳句としてその価値に感応する能力が私にないことで難しくなるのだ。まづこの蝶は『荘子』の「荘周の夢の蝶」を意味するようだ、次に唐土のはいかいとは

  • 92 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blog 一を知つて二を知らぬなり卒業す 虚子 「一を聞いて十を知る」と言う言葉が論語にある。孔子の弟子子貢の言葉であるそうな。ともあれこの句、この言葉をもじって一を知って二を知らぬほどの愚かなまま卒業したことだと自嘲、謙遜している。自

  • 61 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blogおきよおきよわが友にせむぬるこてふ 芭蕉 天和年間(1681〜1684)の作。『荘子』「昔ハ荘周、夢ニ胡蝶ト為レリ」(小学館 芭蕉全句)による。胡蝶を愛しみ強く呼びかけている。その心持ちは寂しさではなく、友愛に満ちた春に寄せる弾むこころである。

  • 128 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog書を校す朱筆春立つ思いあり 柴田宵曲 宵曲は生涯にわたって、編集出版の仕事にたずさわったと、「名句の所以」(小澤實著 毎日新聞出版)にある。その校正を朱筆で行なっているのだ。文を正すと言う行為には何がしかの緊張が伴うと思われるが、この

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