Ryo Daimonji Blog涅槃図にまやぶにんとぞ読まれける 後藤夜半 この句の核は「まやぶにん」。涅槃図に毛筆でそう書いてあるものがあるようだ。「まやぶにん」は「摩耶夫人」である。釈迦の母であって、産後七日目で亡くなってしまわれたとか(『名句の所以』著 小澤實)
Ryo Daimonji Blog 崇徳院しづもる讃岐西行忌 上崎暮潮 崇徳上皇(兄)と後白河天皇(弟)の争いは崇徳上皇の讃岐への遠流で終わる(1156年 保元の乱)。その讃岐で西行忌を修じているのだ。崇徳院の魂をしずめたのは西行であったらしい。
Ryo Daimonji Blog 命二つの中に生たる桜哉 芭蕉 この二つの命とは芭蕉と土芳のことであるらしい。この二人が20年振りに大津水口で再会したのだった。貞享二(1685)年『野ざらし紀行』所載。芭蕉と土芳の別々に生てきた二つの命の中に桜は春になると咲き抜いて今目の
Ryo Daimonji Blog 春山の名もをかしさや鷹ヶ峰 虚子 この句の春山を下五鷹ヶ峰のことだとすると、これは京都市北区の鷹ヶ峰を指すのであろうか、この現在地は北区鷹峯赤坂に始まり北鷹ヶ峰、南鷹ヶ峰など20を越える地域からなり、このことを面白いというのであれば
Ryo Daimonji Blog 生別もいづれ死別や春の水 山本紫黄 この句の中七「いづれ死別や」に「どうせ死ぬんやから」と生を前向きに捉えるきっぱりした勇気と解したい。「生を明らめ死を明きらむるは 仏家一大事の因縁なり」と曹洞宗経典「修証義」は始まる。春の水のよ
Ryo Daimonji Blog 斯く翳す春雨傘か昔人 虚子 この句を読んで「春雨じゃぬれて行こう」という台詞がうかんだ。月形半平太が傘を差し掛ける舞妓に言った台詞とあるが、この句の昔人はどんなふうに翳したものであろうか、ともあれ相合傘にせよ春雨にさす傘には風情が
Ryo Daimonji Blog 大比叡やしの字を引て一霞 芭蕉 比叡山に霞が細く一筋、しの字のようにたなびいている。と言ったことのようだ。これには『一休咄』(寛文八年)の典拠があり、一休さんが比叡山の僧に大文字で、長々と、読み易くと乞われて書いた書が比叡山から麓
Ryo Daimonji Blog ものの芽のあらはれ出でし大事かな 虚子 ものの芽であったり木の芽であったり、春は、芽吹の季節である。言い換えれば春のあたりまえの現象である。北原白秋は薔薇が咲くのをなんの不思議ではないがとその美しさを詩ったが,虚子はそれを大事であ
Ryo Daimonji Blog 火にのせて草のにほひす初諸子 森澄雄 諸子が琵琶湖で有名なことは知っていた。それと子供の頃の雑魚とりでも諸子はいた。大きいのがいないので僕たちの中でのお魚ランクは低かったと思う。この句火で焼いて食べるのか、一人キャンプでやれば一口
Ryo Daimonji Blog うきふしや竹の子となる人の果 芭蕉 憂きことの多い人の世に、人生果てて竹の子となる人もあることよ。と充てておこう。死後竹林に埋められ竹の子になったという小督なるそれは美人の琴の名手を踏まえた一句であった。『平家物語』天皇と小
Ryo Daimonji Blog うなり落つ蜂や大地を怒り這ふ 虚子 私はこの句の蜂にカネ蜂をイメージしているが、正式にはスズメ蜂が正しいようだ。上五うなり落つは、殺虫剤などで落ちる時に見たことがある。そしてまさに怒り狂って這い回るのである。中七のや切りがよく効
Ryo Daimonji Blog 山笑ふ胎動ときにへその裏 仙田洋子 十月十日母は己が腹を痛め、我が子をなす。この句その痛みとは程遠く笑う山に囲まれ,幸せに胎動を見つめている。具体的に己が腹の部位を下五で示したところクールでいいのだ。
Ryo Daimonji Blog 衰や歯に喰あてし海苔の砂 芭蕉 昭和30年代になるが、ご飯に小さな石が混じってガリッとすることが時々あった。この句では海苔を食べた時のようだ。お米や海苔に砂が混じることはよくあることで珍しいことではない。その歯応えに芭蕉翁は自身の
Ryo Daimonji Blog 巣の中に蜂のかぶとの動く見ゆ 虚子 巣の中の蜂を見ての句だが蜂の頭の部分をかぶとと表現した。この表現で蜂の存在感が際立った。刺すという蜂の危険に満ちた顔の動きがまざまざと見えるのだ。
Ryo Daimonji Blog 東山三十六峰みな笑ふ 清水基吉 近代以降、「三十六峰」を具体的に特定しようという試みが度々行われているようですが、京都盆地の東に位置する北は比叡山から南は稲荷山まで、南北12kmにわたって連なる山々の総称のようです。その山々がみな笑う
Ryo Daimonji Blog 山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉 貞享ニ(1685)年の『野ざらし紀行』京都から大津に出る小関越えと言う道での作。「山道を歩いてきて、菫をみつけた。なんとなく心がひかれた」という句意らしい。この句の中七「何やらゆかし」との表現がいつ
Ryo Daimonji Blog 木々の芽のわれに迫るや法の山 虚子 この句の「法の山」が松ヶ崎の妙法の「法」の山をさすのか、一般的にいう山中の修業寺をさしているのか私にはわからない。その山の木々の芽が私に迫ると具体的な印象を言っているので、私は前者と解した。
Ryo Daimonji Blog 目を入るるとき痛からん雛の顔 長谷川 櫂 あの細い絵筆で雛の顔を描くのだ。あの精緻な作業を見ているとよくぞまあ仕事として続けられるもんだと感心する。それを痛いと感じているのだ。いくら人形とはいえ、その目、鼻、口と辿っていくとまるで
Ryo Daimonji Blog 奈良七重七堂伽藍八重ざくら 芭蕉 奈良七重と柔らかく「な」の音で起こし、さらにしちどう伽藍と七で繋ぐ。そして八重ざくらと八でまとめる。土地柄の柔らかな都の風が漂う中さらに重厚な寺院の七堂伽藍を見せる。そして、その景はピンク濃く咲く
Ryo Daimonji Blog 踏青や古き石階あるばかり 虚子 「踏青」春芽生えた青草を踏みながら、野山を散策すること、野遊びと歳時記である。「古き石階あるばかり」と言われてもそう言うところってどこにでもあるわけで、ただ、上五をトウセイと音読みするところ緊張す
Ryo Daimonji Blog 下萌えぬ人間それに従ひぬ 星野立子 春になると野にも庭にも草々が芽を出す。そういった春の息吹に人間も我知らず従っている。作者は中七で人間と広く構えるが、私は「私は」と己の中に強く下萌の感覚が高揚することを詠んでいるのだと解した
Ryo Daimonji Blog 春なれや名もなき山の薄霞 芭蕉 「名もなき山」「名もなき花」「名もなき俳人」と思いつくままあげてみた。名もないけれど、美しい、素晴らしい、と逆説的に褒める常套表現である。春だからであろうか、名もなき山に薄霞が立ち込めているよ。貞享
Ryo Daimonji Blog うち笑める老を助けて青き踏む 虚子 一読して老いた親を助けて為す例えば麦踏みのような農作業を思った。しかし、青き踏むとは春の野を遊び野草を踏む行楽のことを言うらしい。とすると、老いの手などを引き歩みを助けて青きを踏んでいたところ
Ryo Daimonji Blog 梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太 ようやく梅が咲いて春立つ庭にいきなり青鮫が登場する。しかも庭中にうようよと回遊しているのだ。この庭のピンクがかった梅の色に安心していると今度は青味がかった鮫の群れが来る。この色合いの錯綜はそ
Ryo Daimonji Blog どむみりとあふちや雨の花曇 芭蕉 「どむみり」どんよりと咲く楝の花が浮かばなかった。調べてみると、楝の花は比較的花弁が小さくたくさん花をつけるようで、確かに一輪咲の花の迫力には遠いようである。雨の花曇は雨降りは曇りではないので気象表
Ryo Daimonji Blog 春宵や柱のかげの小納言 虚子 701(大宝元)年大宝律令が完成し、行政組織・官吏の勤務規定や人民の租税・労役などが定められた。小納言というのは政務を分担する役職名であるらしい。この句、具体的に誰かを想定したものではなく、大納言、中納
Ryo Daimonji Blog 星の香の少しく混り蕗の薹 渡邊千枝子 長野の日本アルプスの麓あたりで採れた蕗の薹を連想した。降るように煌めく星の里に蕗の薹が出た。春遅い午後の日差しを浴びて摘んだ蕗の薹を夕餉あげて食べた。夜空の星を思いながら食べていると何やら星の香
Ryo Daimonji Blog 山吹や宇治の焙炉の匂ふ時 芭蕉 宇治と言えば、お茶である。その宇治のお茶を焙炉で炙ると香ばしい匂いがするのである。宇治の大橋の袂に並ぶ土産物売り場の娘が朗らかにお茶を売っていたことを思い出す。元禄四(1991)年春『猿簑』所載の句である
Ryo Daimonji Blog 草を摘む子の野を渡る巨人かな 虚子 この句、中七で「の」で繋ぐ、しかも下五をかなで止めさらに上五まで詠嘆を循環させるところが、難しい。この草摘む子の野に出て草摘む時に不意に忍び寄る怖さ、獣の気配か、まさかダイダラボッチの気配を詠
Ryo Daimonji Blog 大風やはうれん草が落ちてゐる 千葉皓史 この句、作者の視線は落ちているほうれん草に釘付けである。してみると野菜が落ちているのが珍しい所であるようだ。唐突にほうれん草に出会い、作者は春を知ることになった。春一番かあるいは春二番と呼
Ryo Daimonji Blog桜より松はニ木を三月越シ 芭蕉 この句は『芭蕉の風景』の句意を引用して読むことにする。上五の「桜より」桜のころより、中七「松は二木を」見たいと待ち望んできた武隈の松は、みごとに二つに幹が分かれた松でした。下五「三月越し」この松を観た
Ryo Daimonji Blog 草摘に出し萬葉の男かな 虚子 虚子も、萬葉集最初の巻頭歌作者雄略天皇のように蓬や芹、嫁菜などを摘むいわゆる草摘に出たいと、そして野に菜を摘む娘に求婚するこの高貴な男にあやかりたいものだと春を詠嘆しているのではないだろうか。
Ryo Daimonji Blog我山に我れ木の実植う他を知らず 西山泊雲 歳時記によると、春先に様々な木の実を苗床や山に直植えすることを「植う」と言うとある。この句、そのことに集中していることだけを特筆して下五で「他を知らず」と止め切りする。日常の業として為す山
Ryo Daimonji Blog行春や鳥啼き魚の目は涙 芭蕉 元禄二(1689)年旧暦三月二十七日、芭蕉『おくの細道』出立。掲出句は同紀行文に所載。句意は「春が行こうとしている、鳥は鳴き、魚の目には涙が浮かんでいる」とある。この旅から芭蕉自身生きて戻れるとは思っていな
Ryo Daimonji Blog 春寒のよりそひ行けば人目ある 虚子 虚子五十一歳の春、寄り添い行く人は奥様であろうか、それとも。いずれにしても男女が大っぴらにあることが憚られる時代、人目を意識しながらもその心地を俳句にしあげた。
Ryo Daimonji Blog堅香子にまみえむ膝をつきにけり 石田郷子 堅香子は片栗の古名であるらしい。物知らずの私でも田舎住まいのおかげで、片栗の花も見たことがある。何度もね。これを堅香子と上五に明記するだけで俳句が俄然引き立つではないか、そこへ郷子さんが跪
Ryo Daimonji Blog 行春を近江の人とをしみける 芭蕉 元禄三(1690)年旧暦三月末頃、近江の膳所にて、『猿蓑』所載。「去り行こうとしている春という佳き季節を、近江の人々とともに惜しんでいることだなあ」。と言うことになる。私は同じ近江での同窓会で、友達
Ryo Daimonji Blog 麦踏んで若き我あり人や知る 虚子 麦踏のリズムのことであろうか、ともに踏む家族や近隣の人達の中で自分は早く踏んでいることに気づいた。周りの人もそのことに気づいている。農業はスピードではない。根気なのだよ。微笑ましく見ているが周り
Ryo Daimonji Blog薄氷の吹かれて端の重なれる 深見けん二 薄氷のはる水溜まりであろうか、それとも小池かもしれない。その薄氷が風に吹かれて端に寄せられ重なった、と言う。薄氷は透き通り冷たくもあるが、本格的な冬
Ryo Daimonji Blog 中にもせいの高き山伏 芭蕉 元禄三(1690)年旧3月2日故郷の伊賀で発句を受ける。即ち「木のもとに汁も膾も桜かな」である。さらに近江の膳所にて珍碩=酒堂と曲水=曲翠と連句を巻く。 「入込に諏訪の涌湯の夕ま暮 曲水」そして「中にもせいの
Ryo Daimonji Blog 梅を探りて病める老尼に二三言 虚子 虚子さんが、何気ない日常を句にされる天才的な呼吸を、その後の多くの俳人は影響を受け学んでいると思う。この句も然りで、探梅の途中病める老尼と交わした瞬間をとらえた。外出中意外なことにでくわす、そう
Ryo Daimonji Blog心臓は光を知らず雪解川 山口優夢 心臓を擬人化して別人格として描く。あれほど懸命に私を生かすために働いてくれているのに日の光を知らないのだ。あんなにも雪解川は光輝いているのに、ありがとう心臓、と若々しく自分に気づき、俳句にした。
Ryo Daimonji Blog 四方より花吹入て鳰の海 芭蕉 この句を一読して、高屋窓秋の「ちるさくら海あをければ海へちる」を思った。この句に比して芭蕉の句には風を感じた。鳰の海は、藤原家隆「鳰の海や 月の光の うつろへば 波の花にも 秋は見えけり」新古今集が有名
Ryo Daimonji Blog 鞦韆に抱き乗せて沓に接吻す 虚子 現代俳句の世界(朝日文庫)『高濱虚子集』略年譜によるとこの句、虚子四十四歳とある。大人の女性のことであると大変優雅な恋の挨拶となるが、ここは幼い女の子と読むのが適当と思う。2~3歳の女の子、思わず沓
Ryo Daimonji Blog書を校す朱筆春立つ思あり 柴田宵曲 宵曲は生涯にわたって、編集出版の仕事にたずさわっており、校正に従事することもあったらしい。この句、朱筆をもってする校正の一瞬を捉え、春立つ思いがすると詠んだのである。その仕事ならではの昂揚感が静か
Ryo Daimonji Blog 薦を着て誰人います花の春 芭蕉 元禄2(1689)年近江膳所義仲寺。掲出句は元禄3年の新年詠。「歳旦帖」去来等出版に所載。この句は解釈によるが芭蕉の深い思いに根ざすと思われ、難しい句である。即ち、桜咲く春の中、みすぼらしい薦を着て(そこに
Ryo Daimonji Blog 山吹に来り去りし鳥や青かつし 虚子 山吹に鳥が来たのである。そしてその鳥は去って行ったのだが、その色は青みがかった色であった。と言ういわゆる写生句である。山吹の黄色と鳥の青を言われてもなんとも言いようがない。せめて鳥がもう少し特定
Ryo Daimonji Blog 恙なしや今日立春の鳥獣 北原志満子 恙ないとは、やまいがない、息災であること、異常がない、無事であること。と辞書にある。この句、上五「恙なしや」と定型の王道「や」切れで始まる。しかもその今日が立春で鳥獣を心配して終わる一物仕立てで
Ryo Daimonji Blog 鮎の子のしら魚送る別哉 芭蕉 元禄ニ(1689)年旧暦三月二十七日、芭蕉と曽良が奥の細道への旅立つ日である。その旅立ちに際して見送る門人達に芭蕉が送った句である。鮎の子が芭蕉たちを送る若き門人であり、しら魚が芭蕉たちの例えである。老若の違
Ryo Daimonji Blog 野を焼いて帰れば燈火母やさし 春耕に備えて田の畦や畑を焼いて害虫を駆除するとともに土に施肥することにもなる。今は家庭用の火炎放射器もあるが一昔前は灯油、松明で焼いたのであろうか。広
Ryo Daimonji Blog 虫鳥の苦しき春を無為(なにもせず) 高橋睦朗 虫、鳥にとって春は苦しい季節と断じる。地中の虫がみな動き始めることを啓蟄と言うし、鷹化して鳩と為るとの言葉があるように虫鳥にとって苦しいほどに変化に富む季節といえよう。ただ、それが苦しい
Ryo Daimonji Blog 糸遊に結びつきたる煙哉 芭蕉 元禄二年(1689)旧暦三月『おくのほそ道』『俳諧書留』(曾良) 所載。 糸遊は陽炎のことで春の季語である。その陽炎に煙が絡みついているいかにも春らしい景を詠んでいる。ところがこの「煙」は歌枕「室の八嶋」と
Ryo Daimonji Blog 2/27 創作活動が苦しいのは当たり前だ。これまでほとんど苦痛なくこれたことが幸いであったのだ。足場を広げてここから自分の俳句を続けていきます。
『芭蕉の風景ならびに名句の所以』(著:小澤實)ここまで読ませていただきました。あとは皆様のご意見をお待ちしたいと思います。暖かいご支援ありがとうございました。
Ryo Daimonji Blog 獺の祭見て来よ瀬田の奥 芭蕉 獺魚を祭るが春の季語。僕にとって初めての季語だった。獺はとった魚を岸に並べてから食べるようだ、それを獺の祭りと言ったそうな。なんとも良い例えではないか。なお、子規が獺祭書屋主人と号したのはこの季語にち
Ryo Daimonji Blog蒟蒻のさしみもすこし梅の花 芭蕉 この句は芭蕉の弟子呂丸への追悼句だそうだ。露丸は元禄6年(1693年)旧暦2月2日に去来宅で急死したそうな。史邦編の俳諧撰集「芭蕉庵小文庫」所載とある。句意は比較的わりやすいのだが、下五梅の花が角川俳句大歳
Ryo Daimonji Blog 雨の中に立春大吉の光あり 虚子 天気は雨であるが、立春の喜びが溢れた句である。我が家の周りはまだ雪で覆われている。ひどく寒い日が続いているので春立つ今日という日が余計に光り輝いて見える。大吉の光と言い切ると裏を感じるので慎みたい。
Ryo Daimonji Blog老人のかたちになつて水洟かむ 八田木枯 老人が老人の形になって水洟をかむ場合と老人ではない人が老人の形にになってする場合がある。私はこの場合前者、すなわち老人が、の場合だと解する。自分が水洟をかんでいかにも老人として振る舞っているな
Ryo Daimonji Blog 作りなす庭をいさむるしぐれかな 芭蕉 庭を作っているという。そこには新たに土を入れあるいは、石、岩を置いたり花などの植物を置いたりしているかもしれない。そこへ時雨が来た、この時雨を擬人化して意図解釈する。すなわち、作庭の良くないと
Ryo Daimonji Blog老衲火燵にあり立春の禽獣裏山に 虚子 老衲、年をとった僧の自称と辞書にあるが、虚子自身のことではないかと思う。寒を過ぎ火燵に入っているだけの自分なのだが、立春を迎えみなぎるものを覚える。裏山から生命力溢れる禽獣の音もする。この破調に作
Ryo Daimonji Blog 咳をして死のかうばしさわが身より 山上樹実雄 「かうばしさ」こんがりこげたような、よいにおいである。とある。多くの人は火葬で死を終える。が、それは死んで後のことである、生きている間に咳によってこうばしさを感じることが果たしてあるだ
Ryo Daimonji Blog梅若菜まりこの宿のとろろ汁 芭蕉 歳時記によると梅は春で若菜が新年、とろろ汁が秋ということになる。もっともとろろ汁は芭蕉の頃は季語と認められていなかったらしい。ともあれ新春気分満杯でうきうきする上に大好物のとろろ汁で止められては参る
Ryo Daimonji Blog 今朝も亦焚火に耶蘇の話かな 虚子 外仕事の衆が朝のミーティングがわりに火を焚きしばし話を交わすことはよくするところだ。どこからが仕事なのかわからないような話なのだが、確かに気の流れがあって大将が仕切っている。そんな話にここんとこ
Ryo Daimonji Blog 女人咳きわれ咳つれてゆかりなし 下村槐太 講演会やコンサート会場で開演前に人につられるように咳が続くことがある。状況はわからないがこの句、女人の咳につられて咳をした自分を詠んでいる。しかもその女人とは縁もゆかりもないのだ。声を交わ
Ryo Daimonji Blog 大津絵の筆のはじめは何仏 芭蕉 この句は、元禄三年(1690年)大津で乙州宅にて。『俳諧勧進帳』路通編(元禄4年・1691年刊)所載。大津絵をググッてみるが仏様の絵より鬼の楽しい絵が多かった。中に鬼の絵がティーシャツにプリントされたものがあった
Ryo Daimonji Blog 闇汁の杓子を逃げしものや何 虚子 闇汁は何かで聞いたことがある、電気を消して鍋のものをわからなくして一度箸にかけた物は口に入れなければならない。ふんどしやカエルなどオエーとなるようなものを持ち寄り食べる遊びとか。もちろん肉野菜と
Ryo Daimonji Blog せきをしてもひとり 尾崎放哉 京都府須知高校で口語自由律俳句サークル「みずぐるま」に入いっていたことがある。有季定型句も自由律俳句もよく知らぬまま俳句に親しんでいった。尾崎放哉はシンガー尾崎豊の少年性と通じるものを感じる。みずぐる
Ryo Daimonji Blog 比良みかみ雪指しわたせ鷺の橋 芭蕉 この句は、元禄三年(1690年)大津で乙州宅にて。初出は『翁草』里圃編(元禄8年・1695年刊)芭蕉一周忌追善集。 上五の比良みかみは比良山と三上山のことで、山を二つ続けることは珍しいということだ。鷺の橋は
Ryo Daimonji Blog我を迎ふ舊山河雪を装へり 虚子 後書きに大正三年一月松山に帰省とある。故郷の山をありがたいと言ったのは石川啄木であるが虚子はこの句で故郷の山河が自分を雪で装って迎えてくれるとあたかも丁重に人に対するように詠んでいる。しかもただの山
Ryo Daimonji Blogしづかなるいちにちなりし障子かな 長谷川素逝 最近では障子はサッシに代わり一般ではあまり使われなくなっているのかもしれない。我が家ではそれなりに使っているがこの句のような落ち着きがあるかは疑問だ。つまりこれといった困りごともないが
Ryo Daimonji Blog薦を着て誰人います花の春 芭蕉 花たけなわの春の日に薦を着て、しょぼくれて座している人は誰でしょうか。私です。と解してみた。はたして、花の昼は「華やかな新春」新年のことであった。「薦をかぶってどなたがいらっしゃるのでしょうか」と解説が
Ryo Daimonji Blogその日その日死ぬる此身と蒲團かな 虚子 大正2年虚子39歳の時の作品とある。「ホトトギス」200号となり虚子盛んなりし頃である。この頃に病を負っていたかは、勉強不足でよくわからないが、朝日文庫の略年表で見る限りそんな気配はない。人間は誰
Ryo Daimonji Blog 金屏風何んとすばやくたたむこと 飯島晴子 会場撤収の作業の瞬間を捉えられた。イベントというのは会場を仕舞うまでが勝負。設営と異なり係は一点に集中し、動く「はやく」。あの優雅に会場を気品で演出した金屏風が、たたまれる瞬間にこの句でも
Ryo Daimonji Blog76 少将のあまの咄や滋賀の雪 芭蕉 大津に弟子の智月を訪ねてこの一句。この「少将のあま」とは鎌倉初期の女性歌人、藻壁門院少将のことであるらしい。「雪の降る滋賀で藻壁門院少将の咄など智月さんとしたことだよ。」ほどの句意のようだ。 下五の
Ryo Daimonji Blog 死神を蹶る力無き蒲團かな 虚子 冬場防寒のため蒲團や毛布を重ねることはよくするところだ、それが重く寝苦しくなることも然りである。作者、それ以上に懊悩することもあり眠られぬ床となったようだ。えいくそ!布団を蹴り飛ばして起きてみた。頼
Ryo Daimonji Blog 重き書は手近に置いて冬籠 佐藤紅緑 「重き書」重量で言うなら僕の書では大のつく歳時記、それに美術の歴史書も重い。内容の重さで言うのなら生きてきた時期による。まさかこの句、いずれにしても持ち運びの労の故に手近に置いてゆっくり籠ろうと
Ryo Daimonji Blog 長嘯の墓もめぐるかはち敲 芭蕉 句の意味だけをつなぐと、空也念仏衆よ歌人、木下長嘯子の墓にも巡るのですか。と言うことになるのだろうか。 ネットによると、空也僧が空也上人の命日の 旧暦11月13日から大晦日までの48日間、鉦を鳴らしたり、竹
Ryo Daimonji Blog 初雪やいつ大仏の柱立 芭蕉. 大仏が建立されるということで世間はとても喧しいのだが、住宅で言うところの棟上に当たるのだろうか、大仏の柱立てはいつになるのか、もう初雪も降ったと言うのに気が気ではない。と解釈してみたのだが。大仏殿は
Ryo Daimonji Blog 牡蠣啜るするりと舌を嘗めにくる 坊城俊樹 ずばり生牡蠣を食べたときの食感が詠まれた。「海のミルク」とも言われるほどに滑らかな食感をするりと舌を嘗めにくるとは、なんともセクシーな表現ではないか。私は、昔の養殖法を聞いてから牡蠣が苦手
Ryo Daimonji Blog 霜降れば霜を楯とす法の城 虚子 法の城、私は仏法で固められた気高い寺院と解した。その寺に霜が降り、かかっている様を霜が楯のように守っているのだと詠まれたものと解する。自然の霜が守ると言えば、なんとも堅牢な美しさではないか。
Ryo Daimonji Blog 初時雨猿も小蓑を欲しげなり 芭蕉 猿の一風景が写されている。猿という人に似た動物はいつもキョロキョロと辺りを伺い物欲しげにしているものである。季語初時雨が初冬の寒々とした季節を捉えており、なおさらこの猿の表情をありありと伝えるの
Ryo Daimonji Blog 魴鮄に紺青の夢ありにけり 大嶽青児 魴鮄という魚いわゆる流線型の美しい魚とは言えない。深海魚とは言わないにせよ相当深いところにいて胸鰭が二つあって捕食のために歩く魚と評されている。この魚に夢があると言われれば何やら応援したくなる、
Ryo Daimonji Blog 三世の佛皆座にあれば寒からず 虚子 三世の佛とは、前世、現世、来世とおわすべき佛、すなわち仏教で言えば釈迦牟尼仏とでも言えば良いのだろうか。その時代に尊師が皆それぞれの座にあれば、つまり衆常の護持する寺にあれば、世が寒にあろう
Ryo Daimonji Blog 丈六にかげろふ高し石の上 芭蕉 「丈六」とは仏身の一丈六尺の大きさを言ったらしいが、その仏像が結跏趺坐されているところから、「あぐら」のことを「じょろく」その座り方を「じょろくをかく」と言ったりするようだ。してみるとこの句は
Ryo Daimonji Blog 鰰に映りてゐたる炎かな 石田勝彦 居酒屋などで酒のあてに鰰を頼むと目の前で焼いてくれたりする。それを眺めながらまずはちびり、日本酒をひやでコップ飲みする。炎の勢いが過ぎ、おいおい燃えているではないか、百も承知の兄さんが頃合いを
Ryo Daimonji Blog 垣間見る好色者に草芳しき 虚子 垣間見る、物の隙間からこっそりと覗き見ることなのだそうだが、好色者の草を見るとは陰毛を見ると言うことで、しかもそれが香ばしく結構である。と言うことなのか。とまれ辞書に従い直訳してみたが、ググってもヒッ
Ryo Daimonji Blog 春立てまだ九日の野山哉 芭蕉 この句の九日が正月一月の九日であることに大方の異論はないようだ。それにしても正月の日の経つ感覚は不思議だ。今日も実際三日なのだが今年は日が経つのが遅く感じられて仕方がない。それが五日を過ぎると急
Ryo Daimonji Blog 冬の波冬の波止場に来て返す 加藤郁乎 「冬の」のリフレイン、冬の波が冬の波止場に来るのは当たり前ではないのか。波止場と一口にいってもその用途によって幅が広い。まずは漁港、客船ターミナル、それにコンテナ埠頭など。この句は活気あふれ
Ryo Daimonji Blog 座を挙げて戀ほのめくや歌かるた 虚子 晴れ着に身を包んだ男女が知り合いのお宅の奥座敷に会することとなった。気分は既に新年会、お節の昼食会もひと段落、お茶の後みんなでかるたをすることとなった。年末の句会あたりで二人の間を飛び交って
)Ryo Daimonji Blog春立てまだ九日の野山哉 芭蕉 この句の九日が正月一月の九日であることに大方の異論はないようだ。それにしても正月の日の経つ感覚は不思議だ。今日も実際三日なのだが今年は日が経つのが遅く感じられて仕方がない。それが五日を過ぎると急に早く過ぎ
Ryo Daimonji Blog 小鳥死に枯野よく透く籠のこる 飴山 實 鳥であれ犬であれ飼っていたペットが死に、その籠や小屋が残っているのを見るのはとても辛いことだ。その寂しさ、空虚さを「枯野よく透く」と選ばれた言葉に、暗くもなく重くもない小鳥の死の認識がある
Ryo Daimonji Blog耳とほき浮世の事や冬籠 虚子 歳をとって耳の遠くなった自分にとって世俗の損得や人のことなんぞはどうでもいいことだ。この調子で冬籠と決め込もう。耳が遠くなると言う高齢の特徴を活かして冬籠と決め込む余裕のことを俳句にされた。季語がややつき
Daimonji Blog 歩行ならば杖つき坂を落馬哉 芭蕉 杖をつかわないと行けないほどの坂である。世に杖つき坂とも言われている。そこを馬で行こうものなら落馬するのは必定、それほどに厳しい坂である。歩行で行って落馬すると言うのはおかしいが、自分の落馬にまつわる思
Ryo Daimonji Blog 冬ざれやものを言ひしは籠の鳥 高橋淡路女 あたり一面が冬の寒さの景色になった。そんな中、籠の鳥がしきりに同じ言葉を繰り返す。おうむか九官鳥かそういった鳥だ。籠の鳥との下五であるが、通常籠の鳥は不自由の象徴として用いられる。身辺不自
Ryo Daimonji Blog 柴漬に見るもかなしき小魚かな 虚子 俳句の勉強が一生もんだと言うことは誰よりも知っているつもりだった。「柴漬」僕の持っている「角川俳句大歳時記」にも「講談社新日本大歳時記」にもな・い。その後ネットで「ふしづけ」と読むのであり、各々
Daimonji Blog いざさらば雪見にころぶ所迄 芭蕉 なんとも楽しい俳句である。親しい友と興じた後で、名残惜しいがさあお別れだ、雪見を兼ねて見送るとしましょう。ただし雪に足を取られてころぶところまでとしましょうね。いざ。
Ryo Daimonji Blog この枯れに胸の火放ちなば燃えむ 稲垣きくの 草や木が枯れ果てたこの冬の野や山に私の胸の内に燃える火を放てば燃えるに違いない。「業火」と言う言葉が浮かんだ。作者は何にこれほどの火を燃やしているのか。恋焦がれる火ならば浅ましくはある
Ryo Daimonji Blog 蒲団かたぐ人も乗せたり渡舟 虚子 日本中の大きな川には渡し舟があって多くは舟で、あるものは人が担いだりして渡したものであろう。この句は渡し舟を詠んでいる。しかもこの舟は蒲団を肩に担ぐひとを乗せたらしい。今で言う引っ越しで家財一式を
Ryo Daimonji Blog 磨きなほす鏡も清し雪の花 芭蕉 鏡に己が姿を写ししばし見入るということは、単に着衣をチェックするということにとどまらず誰しもするところであろう。時に鏡の曇りや汚れといったことには特に気になるところである。朝から始めた鏡磨きで
Ryo Daimonji Blog 冬木の枝しだいに細し終に無し 正木浩一 先日この稿で自然、動物、植物の内に上がってくるが名句の句材として「木」は難しいとやったところだ。この句も誰しもが見る冬木の枝を丁寧に詠まれた。「しだいに」「終に」と副詞と「細し」「無し」の
Ryo Daimonji Blog 大根の花紫野大徳寺 虚子 京都市北区紫野の大徳寺。懐かしい、大学浪人時代に友人がこの辺りに下宿していて時折ほっつき歩いた。端正な壁に沿って路地があり寺にたどり着いた記憶がある。この句、上五を庶民的な大根に委ね突如中七で花紫野と
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Ryo Daimonji Blog涅槃図にまやぶにんとぞ読まれける 後藤夜半 この句の核は「まやぶにん」。涅槃図に毛筆でそう書いてあるものがあるようだ。「まやぶにん」は「摩耶夫人」である。釈迦の母であって、産後七日目で亡くなってしまわれたとか(『名句の所以』著 小澤實)
Ryo Daimonji Blog命二ツの中に生たる桜哉 芭蕉 貞享ニ(1685)年の作『野ざらし紀行』。前書きに「水口にてニ十年を経て故人に逢ふ」とある。「命二ツ」とは芭蕉と土芳のことである。その再会の感激を水口の桜に託しているのだ。この時代に二十年を超えて逢うということ
Ryo Daimonji Blog夕暮の汐干淋しやうつせ貝 虚子 明治27年3月20日「小日本」とある。この頃虚子は碧梧桐と行動を共にしていたようだ。虚子二十歳の作品である。夕暮のしおひ狩り(と解する)に空の貝があつた淋しいことだと、虚子若き日のノスタルジーと読んだ。
Ryo Daimonji Blogはりつけにあらず寝釈迦は寝給へり 及川貞 キリスト教の尊師キリストは磔で死んだ、多方仏教の尊師釈迦は寝るように死んだ。いずれがという評価を言っているのではない、その違いを俳句に詠んだのだ。そしてその穏やかな寝姿にお釈迦さまへの敬愛の念
Ryo Daimonji Blog菜畠に花見皃なる雀哉 芭蕉 菜の花畑で、人が花見をしているような顔で飛び回っている雀だよ、ほどの意味であろうか。菜の花の美しさ、可愛さを俳句にするのは意外と難しい。その上に鳥類の中でも可愛い雀を擬人化で付け加えるのも可愛さのつきすぎの
Ryo Daimonji Blog行春や心もとなき京便 虚子 この句の中七「こころもとな・し」は①待ち遠しくて心がいらいらしている。が一番ピッタリくる。下五、京からの便りと、もじどおり読む。しかし誰からの、どういう便りなのかさっぱりわからない、京からのということでその
Ryo Daimonji Blog崇徳院しづもる讃岐西行忌 上﨑暮潮 崇徳上皇(兄)と後白河天皇(弟)の争いは崇徳上皇の讃岐への遠流で終わる(1156年 保元の乱)。この時の崇徳院の恨みは日本三大怨霊の一人として知られるげな。この霊をしづめたのが西行とも言われ、西行の陰徳が偲ば
Ryo Daimonji Blogつゝじいけて其陰に干鱈さく女 芭蕉 この句上六中五下八の破調句である。この言葉の流れに「女」の無骨な性格をいいとめている『高柳芭蕉』。との解釈もあるとする。貞享ニ(1685)年『野ざらし紀行』である。「旅店に腰を懸けて」。の前書きがあるよ
Ryo Daimonji Blog湯婆の都の夢のほのぼのと 虚子 上五「たんぽ」で冬の季語であるが、ここは「ゆたんぽ」と読んで良いと解する。このゆたんぽから、みやこの夢をほのぼのと思う。との俳意とするならいくら虚子さんとはいえあまりに甘い一句であると思う。出典は俳句全
Ryo Daimonji Blog火に乗せて草のにほひす初諸子 森澄雄 諸子のおいしい食べ方は、炭火でこんがり焼き上げ酢味噌、生姜醤油でいただくのがいいらしい。ところがこの句その時に草の匂いがする、という。水中にすむ諸子が焼き始めると草の匂いがするげな、こんどそんな機
Ryo Daimonji Blog辛崎の松は花より朧にて 芭蕉 辛崎は滋賀県大津市、唐崎あたりのことのようだ。琵琶湖に向かって立つ松が詠まれている。曖昧さをよしとする美感で、花よりもぼやけて見える夜の松の情趣を繊細に捉えている。琵琶湖に向かう松もさることながら、私は丹
Ryo Daimonji Blog花吹雪狂女の袖に亂れけり 虚子 和装の女性が桜吹雪の中を袖を振って舞っている。そしてその女性は狂女だという。桜の根元には死体を埋めたり、狂う女性を踊らせたり、さまざまにその美の表現がこころみられる。美しさに怪しさが漂うとき、狂い踊る女
Ryo Daimonji Blog生別もいづれ死別や春の水 山本紫黄 この作者、生別死別といった大変重い事を俳句でさらりと詠まれた。他の句にも〈来ぬ女こそわが女冬日の浜〉とか、〈てめえの靴はてめえで探せ忘年会〉とかあった。 生き死にを俳句にすることはいいのだが、その
Ryo Daimonji Blog山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉 この句の命は中七の「ゆかし」であった。辞書をみると、①何となく知りたい、見たい、聞きたい。と好奇心をさす。②何となくなつかしい。何となくしたわしい。心がひかれる。③上品ですぐれている。とある。貞享
Ryo Daimonji Blog朝櫻一度に露をこぼしけり 虚子 俳句で一瞬を詠むのは常套である。風が吹いたのか鳥が飛び立ったものか、ともあれ一度に葉についた露が落ちたのであるしかも朝のことである。「こぼしたことだよ」と軽く一瞬の過去を詠嘆して見せる、これもまた19歳の
Ryo Daimonji Blog山笑ふ胎動ときにへその裏 仙田洋子 まるで中学生に戻ったかのように女性の身体図を見てみた。「へその裏」と言えば当然子宮のあたりだ、妊娠中の胎動の感覚を具体的に自分の体で詠んだ。そしてそれが俳句になっている。「胎動」の具象化に成功して
Ryo Daimonji Blog我がきぬにふしみの桃の雫せよ 芭蕉 貞享二年(1685)『野ざらし紀行』。京都市伏見西岸寺の盛りの桃の花を任口の高徳になぞらえて、私が着ている衣に桃花の雫を滴らせて欲しい(高徳に浴したい)と当時八十歳の老僧任口上人への挨拶句としたもの。(『新
Ryo Daimonji Blog更けゆくや花に降りこむ雨の音 虚子 1893(明治26)年虚子19歳作とある。この花はわが邦にあり、そこへ雨が降り込むという。がしかし、降り込んでいるのは音だという。この表現になるほど虚子19歳の非凡な感覚表現の若さを感じる。
Ryo Daimonji Blog東山三十六峰みな笑ふ 清水基吉 清水 基吉は、俳人、小説家で東京都渋谷区に1918(大正7)年に生まれている。1931年(昭和6年)東京市立第一中学校(現:九段高校)に進むが胸を病んで中退し、1938年(昭和13年)から4年近く、各地に転地療養し、その間
Ryo Daimonji Blog樫の木の花にかまはぬ姿かな 芭蕉 難しい句である。まづ場所は京都市鳴滝とある(「芭蕉全句」小学館)。次に「かまはぬ」かかわるとの意味に従う、つまり桜の花にかかわらない、枝ぶりである。先の林和靖に例えた山荘主を樫の木に類えている、らしい。
Ryo Daimonji Blog 崇徳院しづもる讃岐西行忌 上崎暮潮 崇徳上皇(兄)と後白河天皇(弟)の争いは崇徳上皇の讃岐への遠流で終わる(1156年 保元の乱)。その讃岐で西行忌を修じているのだ。崇徳院の魂をしずめたのは西行であったらしい。
Ryo Daimonji Blog 命二つの中に生たる桜哉 芭蕉 この二つの命とは芭蕉と土芳のことであるらしい。この二人が20年振りに大津水口で再会したのだった。貞享二(1685)年『野ざらし紀行』所載。芭蕉と土芳の別々に生てきた二つの命の中に桜は春になると咲き抜いて今目の
Ryo Daimonji Blog 春山の名もをかしさや鷹ヶ峰 虚子 この句の春山を下五鷹ヶ峰のことだとすると、これは京都市北区の鷹ヶ峰を指すのであろうか、この現在地は北区鷹峯赤坂に始まり北鷹ヶ峰、南鷹ヶ峰など20を越える地域からなり、このことを面白いというのであれば
Ryo Daimonji Blog 生別もいづれ死別や春の水 山本紫黄 この句の中七「いづれ死別や」に「どうせ死ぬんやから」と生を前向きに捉えるきっぱりした勇気と解したい。「生を明らめ死を明きらむるは 仏家一大事の因縁なり」と曹洞宗経典「修証義」は始まる。春の水のよ
Ryo Daimonji Blog 斯く翳す春雨傘か昔人 虚子 この句を読んで「春雨じゃぬれて行こう」という台詞がうかんだ。月形半平太が傘を差し掛ける舞妓に言った台詞とあるが、この句の昔人はどんなふうに翳したものであろうか、ともあれ相合傘にせよ春雨にさす傘には風情が
Ryo Daimonji Blog 大比叡やしの字を引て一霞 芭蕉 比叡山に霞が細く一筋、しの字のようにたなびいている。と言ったことのようだ。これには『一休咄』(寛文八年)の典拠があり、一休さんが比叡山の僧に大文字で、長々と、読み易くと乞われて書いた書が比叡山から麓
Ryo Daimonji Blog ものの芽のあらはれ出でし大事かな 虚子 ものの芽であったり木の芽であったり、春は、芽吹の季節である。言い換えれば春のあたりまえの現象である。北原白秋は薔薇が咲くのをなんの不思議ではないがとその美しさを詩ったが,虚子はそれを大事であ
Ryo Daimonji Blog 火にのせて草のにほひす初諸子 森澄雄 諸子が琵琶湖で有名なことは知っていた。それと子供の頃の雑魚とりでも諸子はいた。大きいのがいないので僕たちの中でのお魚ランクは低かったと思う。この句火で焼いて食べるのか、一人キャンプでやれば一口
Ryo Daimonji Blog うきふしや竹の子となる人の果 芭蕉 憂きことの多い人の世に、人生果てて竹の子となる人もあることよ。と充てておこう。死後竹林に埋められ竹の子になったという小督なるそれは美人の琴の名手を踏まえた一句であった。『平家物語』天皇と小
Ryo Daimonji Blog うなり落つ蜂や大地を怒り這ふ 虚子 私はこの句の蜂にカネ蜂をイメージしているが、正式にはスズメ蜂が正しいようだ。上五うなり落つは、殺虫剤などで落ちる時に見たことがある。そしてまさに怒り狂って這い回るのである。中七のや切りがよく効
Ryo Daimonji Blog 山笑ふ胎動ときにへその裏 仙田洋子 十月十日母は己が腹を痛め、我が子をなす。この句その痛みとは程遠く笑う山に囲まれ,幸せに胎動を見つめている。具体的に己が腹の部位を下五で示したところクールでいいのだ。
Ryo Daimonji Blog 衰や歯に喰あてし海苔の砂 芭蕉 昭和30年代になるが、ご飯に小さな石が混じってガリッとすることが時々あった。この句では海苔を食べた時のようだ。お米や海苔に砂が混じることはよくあることで珍しいことではない。その歯応えに芭蕉翁は自身の
Ryo Daimonji Blog 巣の中に蜂のかぶとの動く見ゆ 虚子 巣の中の蜂を見ての句だが蜂の頭の部分をかぶとと表現した。この表現で蜂の存在感が際立った。刺すという蜂の危険に満ちた顔の動きがまざまざと見えるのだ。
Ryo Daimonji Blog 東山三十六峰みな笑ふ 清水基吉 近代以降、「三十六峰」を具体的に特定しようという試みが度々行われているようですが、京都盆地の東に位置する北は比叡山から南は稲荷山まで、南北12kmにわたって連なる山々の総称のようです。その山々がみな笑う
Ryo Daimonji Blog 山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉 貞享ニ(1685)年の『野ざらし紀行』京都から大津に出る小関越えと言う道での作。「山道を歩いてきて、菫をみつけた。なんとなく心がひかれた」という句意らしい。この句の中七「何やらゆかし」との表現がいつ
Ryo Daimonji Blog 木々の芽のわれに迫るや法の山 虚子 この句の「法の山」が松ヶ崎の妙法の「法」の山をさすのか、一般的にいう山中の修業寺をさしているのか私にはわからない。その山の木々の芽が私に迫ると具体的な印象を言っているので、私は前者と解した。
Ryo Daimonji Blog 目を入るるとき痛からん雛の顔 長谷川 櫂 あの細い絵筆で雛の顔を描くのだ。あの精緻な作業を見ているとよくぞまあ仕事として続けられるもんだと感心する。それを痛いと感じているのだ。いくら人形とはいえ、その目、鼻、口と辿っていくとまるで
Ryo Daimonji Blog 奈良七重七堂伽藍八重ざくら 芭蕉 奈良七重と柔らかく「な」の音で起こし、さらにしちどう伽藍と七で繋ぐ。そして八重ざくらと八でまとめる。土地柄の柔らかな都の風が漂う中さらに重厚な寺院の七堂伽藍を見せる。そして、その景はピンク濃く咲く
Ryo Daimonji Blog 踏青や古き石階あるばかり 虚子 「踏青」春芽生えた青草を踏みながら、野山を散策すること、野遊びと歳時記である。「古き石階あるばかり」と言われてもそう言うところってどこにでもあるわけで、ただ、上五をトウセイと音読みするところ緊張す
Ryo Daimonji Blog 下萌えぬ人間それに従ひぬ 星野立子 春になると野にも庭にも草々が芽を出す。そういった春の息吹に人間も我知らず従っている。作者は中七で人間と広く構えるが、私は「私は」と己の中に強く下萌の感覚が高揚することを詠んでいるのだと解した