↑東京都青梅市に所在する青梅市指定史跡、藤橋城跡(藤橋城址公園)を探訪しました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。藤橋城跡 現存する遺構は、東西70メートル × 南北60メートルの曲輪と、付属する腰曲輪(こしぐるわ)、土塁、空堀等であり旧態をとどめている。 『武蔵名勝図会(むさし めいしょう ずえ)』(文政三年・1820)に、次のように記されている。 『平山越前守虎吉という人の居住の地なり。この平...
東京・神奈川・埼玉の史蹟や神社仏閣の訪問記を豊富な写真で紹介しています。
YouTubeでは、ド下手な(笑)ブルースギターの演奏を公開しています。
![]() YouTube |
https://www.youtube.com/c/SRVfan |
---|
↑長元3年(1030)に河内(かわち)源氏の祖、源頼信(みなもと の よりのぶ)公が宇佐八幡宮(大分県)を勧請した、埼玉県川越市に鎮座する川越八幡宮を探訪しました。由緒は長文になりますが、↑現地由緒書きを以下転記させて頂きました。川越八幡宮由緒 ■御祭神ほんだわけのみこと誉田別命(応神天皇 人皇題十五代) ■鎮座地川越市南通町十九番地一(旧脇田町) ■例祭日五月四日(春季例祭)十月十四日(秋季例祭) 由...
地域タグ:川越市
埼玉県川越市に所在する徳川家と所縁が深い天台宗の寺院、川越大師 喜多院を探訪しました。※以下「喜多院」と、院号のみに省略させて頂きました。↑山門前には、家康公の側近として江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した喜多院第27世、南光坊(なんこうぼう)天海大僧正(慈眼大師:じげんだいし)の御尊像が建っていました。沿革は長文になりますが、現地解説板より以下に転記させて頂きました。国指定重要文化財 川越...
地域タグ:川越市
↑長禄元年(1457)太田道真・道灌父子が河越城(川越城)築城の際には既に現在地に鎮座していたと伝わる、道灌公が城の鎮守とした三芳野神社(みよしの・じんじゃ)を探訪しました。↑由緒は、現地解説板を以下に転記させて頂きましたが、御祭神の記載はありませんでした。三芳野神社(市指定史跡) 三芳野神社は、平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の天神曲輪に建てられている。このため「お城の天神さま」として親し...
地域タグ:川越市
川越城富士見櫓跡・虎櫓跡・田郭門跡・南大手門跡(埼玉県川越市)探訪記
埼玉県川越市に所在する、川越城(中世は河越城と表記)の富士見櫓跡・虎櫓跡・田曲輪門跡・南大手門跡を探訪しました。探訪の中心は、富士見櫓跡になります。↑上記写真左側に写っている富士見櫓跡の解説板を、以下に転記させて頂きました。富士見櫓跡所在地:川越市郭町二丁目 御嶽神社が祀られているこの高台は、かつては川越城の富士見櫓が建てられていたところである。 櫓は矢倉とも書いて、合戦の際に物見として、あるいは...
地域タグ:川越市
↑長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子が築き、江戸時代には「知恵伊豆」こと松平伊豆守信綱が拡張した、埼玉県川越市の平地に所在する天守の無い平城(ひらじろ)、川越城を探訪しました。ちなみに、中世には「河越城」と、江戸期以降には「川越城」と表記するようです。↑現地解説板の縄張図です。太田道真・道灌父子によって築城された当時は赤丸の範囲、現在の本丸・二ノ丸を合わせた範囲だったようで、江戸時代に大規模に拡張...
地域タグ:川越市
「ブログリーダー」を活用して、茶虎 太朗さんをフォローしませんか?
↑東京都青梅市に所在する青梅市指定史跡、藤橋城跡(藤橋城址公園)を探訪しました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。藤橋城跡 現存する遺構は、東西70メートル × 南北60メートルの曲輪と、付属する腰曲輪(こしぐるわ)、土塁、空堀等であり旧態をとどめている。 『武蔵名勝図会(むさし めいしょう ずえ)』(文政三年・1820)に、次のように記されている。 『平山越前守虎吉という人の居住の地なり。この平...
↑東京都青梅(おうめ)市に所在する、平安時代末期から鎌倉時代にかけて関東地方で活躍した武士団、武蔵七党(むさし しちとう)児玉党 今井氏の城跡、青梅市指定史跡の今井城跡を探訪しました。↑概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。市史跡 今井城跡(いまいじょう あと) 今井氏代々の居館と伝えるこの今井城跡は、面積およそ八千五百平方メートルの、二郭からなる単純な連郭式の城跡である。 東半分は西北両側...
↑太田道灌(おおた どうかん)が長禄元年(1457)に江戸城築城の際に創建した、東京都杉並区に鎮座する下高井戸八幡神社(しも たかいど はちまんじんじゃ)を探訪しました。「下高井戸浜田山八幡神社」とも称されるようですが、宗教法人名は「八幡神社」のようです。 由緒は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。下高井戸八幡神社 当社は旧下高井戸村の鎮守で、祭神は応神天皇です。 社伝によると、長禄元年(1457)に太...
↑東京都調布市(ちょうふし)に所在する天台宗の別格本山、深大寺(じんだいじ)を探訪しました。以前、深大寺城跡を探訪した際に参拝したのですが、ジックリ見学する為に再訪した次第です。深大寺の概要は、以下にWikipedia情報の一部を引用させて頂きました。深大寺は、東京都調布市深大寺元町にある仏教寺院。天台宗別格本山で、山号は浮岳山。 日本三大だるま市の1つ「深大寺だるま市」で知られている。隣接する東...
↑東京都調布市に所在する、大正4年に創建された美しい山門の「三栄山大正寺」を探訪しました。現地に由緒書きは無く、由緒は「猫の足あと」様より、以下に引用させて頂きました。新義真言宗(しんぎ しんごんしゅう)の大正寺は、三栄山と号します。大正寺は廣福山栄法寺と、紫雲山寶性寺、三栄山不動院の3ヶ寺が大正4年に合併、三栄山大正寺として創建されました。 栄法寺は、当寺境内にもとよりあり、現在は墓域となっていま...
↑東京都の多摩地区東部、調布市(ちょうふし)に鎮座する、布多天神社(ふだ てんじんしゃ)を探訪しました。由緒は、布多天神社公式サイトより、以下に一部を引用・整理させて頂きました。御由緒布多天神社の創建はあまりに古く定かではありませんが、延長五年(927年)に制定された「延喜式」という法典にその名を連ねる多摩地方有数の古社で、社伝によれば第十一代垂仁天皇の御代、約1940年前の創建といわれております。 文明...
↑東京都小金井市に鎮座する、天満宮 小金井神社(てんまんぐう こがねいじんじゃ)を探訪しました。由緒は、天満宮 小金井神社 公式サイトより、以下に引用させて頂きました。創建は元久2年(1205年)武蔵野開拓にあたり、菅原道真公の徳を敬い社殿を造り天満宮としたと伝えられている。 天正11年(1583年)賀茂下出雲入道勝重という人が、小金井の地に住み大いに開拓に努力し、里人と共に資金を集め社殿を修築した。 宝...
↑東京都府中市に鎮座する、人見稲荷神社(ひとみ いなりじんじゃ)を探訪しました。由緒は、現地の石碑に以下のように記載されていました。御祭神は倉稲魂命(うかのみたま の みこと)、天下春命(あめのしたはる の みこと)、瀬織津比咩命(せおりつひめ の みこと)三柱にして、武蔵国造兄武比命の祀られし社なりと傳ふ。 昭和五十六年十一月三日未明、不慮の火災に依り焼失、氏子中恐懼協力し再建す。武蔵国造兄武比命につい...
東京都府中市の浅間山公園(せんげんやま こうえん)の丘陵に所在する、金井原・人見ヶ原の合戦(かないはら・ひとみがはら の かっせん)の史跡、人見ヶ原古戦場(ひとみがはら こせんじょう)と・・・↑東京都小金井(こがねい)市に所在する金井原古戦場の碑を併せて探訪しました。こちらは歩道の一画に石碑と解説板が建っているだけでした。金井原・人見ヶ原の合戦は、南北朝時代の正平7年/文和元年(1352)閏2月から3月に...
↑東京都府中市に鎮座する、武蔵国府八幡宮(むさしのこくふ はちまんぐう)を探訪しました。武蔵国府八幡宮は「国府八幡宮」「府中八幡宮」「六所八幡神社」とも呼ばれ、宮司・神主等の神職は不在で、大國魂神社(おおくにたま じんじゃ)により管理されていました。概要は、大國魂神社公式サイトより、以下に引用させて頂きました。国府八幡宮(こくふ はちまんぐう) 祭 神:応神天皇(おうじんてんのう)例 祭:8月15日 第...
↑東京都府中市に所在する、高倉塚古墳を探訪しました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。府中市指定文化財(市史跡)高倉塚古墳 平成13年10月30日指定 府中崖線(がいせん:ハケ)の斜面上に広がるこの周辺には、これまで確認されている古墳が25基あり、これらは高倉古墳群と呼ばれています。 このうち墳丘が残っているものは4基あり、この高倉塚古墳は古墳群の中心に位置しています。 古来より「高倉塚」と...
↑東京都府中市に所在する国指定史跡、武蔵府中熊野神社古墳(むさしふちゅう くまのじんじゃ こふん)を探訪しました。石で覆われた古墳は大きくて迫力があり、とても綺麗でした。名称に「熊野神社」があるのは・・・↑古墳と熊野神社が隣接しているからです。この形態、珍しいのではないでしょうか。Wikipedia情報によりますと、熊野神社は府中市内の別の場所(その場所は不明)に鎮座していたそうですが、安永6年(1777)に現在...
↑東京都あきる野市網代(あじろ)に所在する「重忠の駒つなぎ石」を探訪しました。概要は↑上記写真右側の木に懸かっている解説文を、以下に転記させて頂きました。重忠の駒つなぎ石 行政上は、あきる野市です。八王子市上川町(かみかわまち)では、ここを御前石(ごぜーし)と呼んでいます。 昔、鎌倉時代の武将 畠山重忠(1164〜1205)は、鎌倉幕府への行き帰りには、いつもこの道を使っていました(鎌倉道の一つで、北関東方...
↑東京都八王子市明神町に鎮座する八王子最古の神社、子安神社(こやす じんじゃ)を探訪しました。由緒は子安神社公式サイトより、以下に引用・整理させて頂きました。 ■子安神社は天平宝字三年(759年)に橘右京少輔という者が、時の天皇のお后さまの安産祈願のために創建したと伝えられています。 ■御祭神は木花開耶姫命(このはな の さくやひめのみこと)であり、神話において、自ら火を放った産屋で無事に出産し...
↑東京都八王子市の元八王子町(もとはちおうじまち)に鎮座する、御嶽神社(みたけじんじゃ)を探訪しました。由緒は、社殿前に建つ石碑を以下に転記させて頂きました。※筆者の判断で、句読点と振り仮名を追加させて頂いております。御嶽神社 御祭神:蔵王権現(日本武尊) 今より四百年ほど前の天正年間(1573〜1592)北条氏照が滝山城を慈根寺山(じごじやま)に移城し、城下の横山・八日市・八幡の三宿がこの地に移るに至って...
↑東京都八王子市元八王子(もとはちおうじ)町に鎮座する、日枝山王社(ひえ さんのうしゃ)を探訪しました。公式サイトは存在せず、現地に由緒書きも無く、ネットでも情報は得られず(汗)この日枝山王社は、全国に約3,800社あると言われる日吉・日枝・山王神社の総本社、滋賀県大津市に鎮座する日吉大社(ひよし たいしゃ)を勧請した社だと思われます。↑日枝山王社の所在地は「東京都八王子市元八王子町1丁目」です。境内は、...
↑東京都八王子市小比企町(こびきまち)の湯殿川(ゆどのがわ)沿いに鎮座する、小比企稲荷神社(こびき いなりじんじゃ)を探訪しました。由緒は、現地由緒書きを以下に転記させて頂きました。稲荷神社略史御祭神 宇賀御魂命 稲荷神社は、建久元年(一一九〇)に当地に鎮座されたと伝えられ、古文書によれば、承応二年(一六五二)本殿再建、貞享三年(一六八六)に拝殿再建とある。 寛政八年(一七九六)には、神祇伯京都吉田...
↑こちらは東京都八王子市丹木町(たんぎまち)に所在する北条氏照(ほうじょう うじてる)の居城、滝山城に鎮座する「吉田久稲荷神社」です。滝山城には何度も登城しており稲荷神社が鎮座していることは知っていましたが、その由緒は全く知らず(汗)最近「吉田久稲荷神社」という社号だった事も知り(恥)久々に探訪したわけです。社号と由緒を知ったのは「猫の足あと」様のページです。以下に引用させて頂きました。江戸時代末期...
↑東京都八王子市大和田町に鎮座する、関根神社・日枝神社を探訪しました。現地に由緒書きは無く公式サイトも存在せず、由緒は、猫の足あと様のページの情報の一部を以下に引用させて頂きました。関根神社の創建年代等は不詳ながら、多摩郡粟ノ須(現小宮町)の領主 関根氏の祖霊を祀る氏神として祀られてきたといい、下大和田村の鎮守社となっていたといいます。 東京都神社名鑑による関根神社の由緒鎮守府将軍 平貞盛(たい...
↑東京都羽村(はむら)市に鎮座する、武蔵阿蘇神社(阿蘇神社とも)を探訪しました。創建は推古天皇9年(601年)とされ、遷座1,400年を超える古社です。承平3年(933年)には、日本三大怨霊(菅原道真・平将門・崇徳上皇)の中でも「日本最恐の怨霊」と言われる平将門が社殿を造営。そして天慶3年(940年)には、大ムカデ退治の伝説で知られる、平将門を討った藤原秀郷(俵藤太:たわら の とうた)が、平将門の霊を鎮めるため社...
↑長禄元年(1457)太田道真・道灌父子が河越城(川越城)築城の際には既に現在地に鎮座していたと伝わる、道灌公が城の鎮守とした三芳野神社(みよしの・じんじゃ)を探訪しました。↑由緒は、現地解説板を以下に転記させて頂きましたが、御祭神の記載はありませんでした。三芳野神社(市指定史跡) 三芳野神社は、平安時代の初期に成立したと伝えられ、川越城内の天神曲輪に建てられている。このため「お城の天神さま」として親し...
埼玉県川越市に所在する、川越城(中世は河越城と表記)の富士見櫓跡・虎櫓跡・田曲輪門跡・南大手門跡を探訪しました。探訪の中心は、富士見櫓跡になります。↑上記写真左側に写っている富士見櫓跡の解説板を、以下に転記させて頂きました。富士見櫓跡所在地:川越市郭町二丁目 御嶽神社が祀られているこの高台は、かつては川越城の富士見櫓が建てられていたところである。 櫓は矢倉とも書いて、合戦の際に物見として、あるいは...
↑長禄元年(1457)に太田道真・道灌父子が築き、江戸時代には「知恵伊豆」こと松平伊豆守信綱が拡張した、埼玉県川越市の平地に所在する天守の無い平城(ひらじろ)、川越城を探訪しました。ちなみに、中世には「河越城」と、江戸期以降には「川越城」と表記するようです。↑現地解説板の縄張図です。太田道真・道灌父子によって築城された当時は赤丸の範囲、現在の本丸・二ノ丸を合わせた範囲だったようで、江戸時代に大規模に拡張...
↑東京都八王子市の甲州街道沿い、八木町に鎮座する笠間稲荷神社(かさま・いなりじんじゃ)を探訪しました。↑笠間稲荷神社が鎮座する「八木町」の町名は、天正10年(1582)3月の武田氏滅亡の際、八王子へ落ち延びて来た武田勝頼の家臣、八木源左衛門が隠れ住んでいたことに由来。八木町はその後、八王子十五宿の一つ「八木宿」として発展し、笠間稲荷神社は八木宿の鎮守として祀られたそうです。※八王子十五宿とは、新町・横山・...
吉田松陰先生をお祀りした、東京都世田谷区に鎮座する松陰神社を探訪しました。↑写真は、松陰先生の墓塔です。由緒は、現地由緒書きを以下に引用させて頂きました。松陰神社 御祭神:吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰先生)(よしだとらじろう・ふじわらののりかたのみこと) 松陰先生は、幕末の思想家、教育者で私塾松下村塾を主宰し、明治維新を成し遂げた多くの若者を教育しました。 しかし、安政の大獄に連座し江戸の伝馬町...
↑東京都世田谷区に所在する東京都指定史跡、世田谷代官屋敷を探訪しました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。東京都指定史跡世田谷代官屋敷(せたがや・だいかんやしき) 所在地:世田谷区世田谷1-29-18指 定:昭和27年11月3日 旧史跡指定 昭和34年2月21日 史跡指定 江戸時代のはじめ、大場氏は彦根藩井伊家世田谷領(二千三百石)の代官職を務め、明治維新に至るまで世襲していました。 こ...
東京都世田谷区に所在する、中世の世田谷領主 吉良氏の菩提寺、延命山 勝光院(えんめいざん・しょうこういん)を探訪しました。※以下「勝光院」と院号のみに省略させて頂きました。↑写真は勝光院の吉良氏墓所です。縁起は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。延命山勝光院(曹洞宗) 勝光院は中世の世田谷領主吉良氏の菩提寺で、その創建は、建武2年(1335)と伝える。 初め山号を金𧮾山(きんけいざん)、ある...
↑東京都世田谷区に鎮座する、寛治5年(1091)に八幡太郎こと源義家公が創建した、世田谷八幡宮を探訪しました。約930年前の創建、凄いですね。由緒は、現地由緒書きを以下に転記させて頂きました。世田谷八幡宮 御祭神応神天皇(おうじん・てんのう)誉田別命仲哀天皇(ちゅうあい・てんのう)神功皇后(じんぐう・こうごう) 鎮座地東京都世田谷区宮坂1丁目26番3号 御由緒と歴史世田谷八幡宮の御鎮座は、今から約九百数十年...
↑桜田門外で暗殺された井伊直弼の墓がある、東京都世田谷区に所在する彦根藩井伊家の菩提寺、大谿山豪徳寺(だいけいざん・ごうとくじ)を探訪しました。※以下「豪徳寺」と寺号のみに省略させて頂きました。縁起は、現地解説板より以下に転記させて頂きました。大谿山 豪徳寺(曹洞宗) 豪徳寺は、世田谷城主 吉良政忠(きら・まさただ)が文明12年(1480)に亡くなった叔母の菩提のために建立したと伝えられる弘徳院(こうとくい...
↑室町幕府将軍足利家の支族、吉良(きら)氏の居城、東京都世田谷(せたがや)区に所在する世田谷城跡(東京都指定旧跡)を探訪しました。吉良氏で最も有名なのは、何と言っても吉良義央(忠臣蔵の吉良上野介)でしょうか。概要は、現地解説板の一部を以下に転記させて頂きました。世田谷城跡 ■吉良氏と世田谷城世田谷城は、清和源氏・足利氏の一族である吉良氏の居城として知られています。 貞治5年(1366)吉良治家(はるいえ...
↑東京都青梅(おうめ)市に所在する、中世の豪族 三田氏の居城跡、勝沼城跡(師岡城とも)を探訪しました。概要は、現地解説板を以下に転記させて頂きました。東京都指定史跡勝沼城跡 所在地:青梅市東青梅六丁目五八番外指 定:大正14年5月標識 昭和27年4月1日史蹟 昭和30年3月28日旧跡 平成5年3月22日史跡 勝沼城は、霞川上流部を南に臨む丘陵に位置し、主郭標高215メートルを測る平山城です。三...
埼玉県狭山(さやま)市入間川(いるまがわ)の河岸段丘(かがん・だんきゅう)上に所在する、城山砦跡を探訪しました。※概要は↑現地解説板を以下に転記させて頂きましたので、御参照くださいませ。狭山市指定文化財城山砦跡 所 在 地:埼玉県狭山市柏原2346番地ほか指定年月日:昭和48年(1973)3月1日 城山砦跡は江戸時代後期の地誌『新編武蔵風土記稿』によると、天文年間に山内上杉憲政(やまのうち・うえすぎ・のりま...
↑東京都国分寺市に鎮座する、元町八幡神社(本村八幡神社とも)を探訪しました。現地由緒書きを以下に転記させて頂きましたが、創建年代などは掲載されていませんでした。当所鎮守本村八幡神社 御祭神:応神天皇 年中行事歳旦祭:1月1日春季大祭:5月第3日曜日秋季大祭:9月18日七五三:11月中旬大祓式:12月29日↑補足として、武蔵国分寺囃子連様のサイトより、以下に一部を引用させて頂きました。東京都国分寺市西元町に鎮...
↑東京都府中市に所在する、足利尊氏公が開基の龍門山 髙安護国禅寺を探訪しました。※以下「高安寺」と、寺号のみに省略させて頂きました。概要は、府中観光協会様のサイトより、以下に引用させて頂きました。室町幕府の将軍足利尊氏(1305〜1358)が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされ、尊氏が改名する前の高氏から名づけられたとされています。 それ以前の寺は、平将門を...
↑日本三大怨霊(菅原道真・平将門・崇徳上皇)の一つとして知られる平将門公が、御祭神としてお祀りされている江戸総鎮守、東京都千代田区外神田に鎮座する神田明神(正式社号は神田神社)を探訪しました。↑自分は神田明神を探訪する前に、東京都千代田区大手町に所在する将門塚(探訪記は、このリンクから御覧いただけます)を探訪しました。その理由は・・・↑山口敏太郎「怨霊と呪いの日本史」に、以下の記述があったからです。■...
日本三大怨霊(菅原道真・崇徳上皇・平将門)の一つ、平将門公の怨霊伝説が残る、東京都千代田区に所在する東京都指定旧跡、将門塚(しょうもんづか/まさかどづか)を探訪しました。↑板石塔婆(いた・せきとうば)右側の「蓮阿弥陀佛」は、将門公の法号。左側に徳治二年(1307)とありますが、この板石塔婆は昭和45年(1970)に設置された物だとか。ちなみに「徳治」は嘉元の後、延慶の前。1306年から1308年までの期間。この時代...
↑東京都青梅市に所在する、旧稲葉家住宅(東京都指定有形民俗文化財)を探訪しました。概要は、青梅市郷土博物館の解説を以下に引用させて頂きました。旧稲葉家住宅は江戸時代に青梅宿の町年寄を勤めた稲葉家の旧宅です。稲葉家は青梅でも有数の豪商で、材木商や青梅縞の仲買問屋を営んでいました。 「店蔵」と呼ばれる土蔵造りの母屋は、建築様式から江戸時代後期(18世紀後半~19世紀初め頃)に建てられたと考えられています。...
東京都青梅(おうめ)市に所在する真言宗豊山派の寺院、青梅山 無量寿院 金剛寺を探訪しました。※以下、寺号のみの「金剛寺」と省略させて頂きました。↑写真は平将門(たいら・の・まさかど)が植えたと伝わる、将門誓いの青梅(あおうめ)です。自分が金剛寺を知ったのは・・・↑山口敏太郎「怨霊と呪いの日本史」の「平将門」の章の、以下の記載です。『新編武蔵風土記稿」には、平将門が植えた梅の木が残されているという記述が...
↑徳川幕府の命で、私財を投じてまで武州西多摩郡羽村(はむら)から江戸の四谷まで続く玉川上水を開削した玉川兄弟、兄・庄右衛門(不明〜1695) 弟・清右衛門(不明〜1696)の銅像が建つ、東京都羽村市の羽村取水堰(はむら・しゅすいぜき)周辺を探訪しました。概要は、国土交通省 関東地方整備局のpdfより、以下に整理・引用させて頂きました。■多摩川の水を羽村(現在の羽村市羽東)から取水し、武蔵野台地を横切り四谷大木戸...
↑東京都羽村(はむら)市に所在する臨済宗建長寺派の寺院、東谷山禅林寺(とうこくざん・ぜんりんじ:以下、禅林寺と省略させて頂きました)を探訪しました。由来は、現地解説板を以下に転記させていただきました。東谷山禅林寺 文禄2(1593)年に創建されました。開基は当初島田氏の祖、島田九郎右衛門(しまだ・くろうえもん)、開山は鎌倉円覚寺の三伯禅師(さんはく・ぜんじ)の弟子、春覚禅師(しゅんがく・ぜんじ)です。...