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根来戦記の世界 https://negorosenki.hatenablog.com/

 戦国期の根来衆、そして京都についてのブログ。かなり角度の入った分野の日本史ブログですが、楽しんでいただければ幸甚です。

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2022/07/22

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  • 本願寺を強大化させたカリスマ・蓮如~その⑧ 蓮如の窮地を救った、「桶作りのオッサン」の正体とは

    1465年1月10日、叡山の指揮する暴徒たちに襲撃された本願寺。蓮如たちは迂闊にも全く油断しており、暴徒たちの門内への侵入をあっけなく許してしまったのであった。 ――なぜこんなに状況が細かく分かっているのかというと、この「寛正の法難」については、堅田の本福寺に伝わる「本福寺跡書」などの文書類に、詳細が記されているからなのである。 中世史学者の清水克行氏が「室町は今日もハードボイルド 」という傑作歴史エッセイ集を著している。氏はこれらの分書類を元に事件の詳細を本の中で紹介しており、今回の記事はこの内容に拠るところ大なのである。清水氏の著作を一部引用する形で、どうなったか見てみよう。 境内に侵入し…

  • 本願寺を強大化させたカリスマ・蓮如~その⑦ 蓮如の生涯のライバル・真慧と「寛正の法難」

    蓮如がまだ部屋住みであったころ、真慧(しんね)という僧と出会っている。真慧は蓮如の19歳年下だから親子ほど年が離れているが、互いに信仰について語り合い、意気投合し、親友になったと伝えられている。 この真慧、実は高田専修寺9世・定顕の跡取りであった。蓮如が本願寺第8世になったのが1457年であるが、それとほぼ同時期の1458年に高田派の法脈を継いでいる。 蓮如と親友になるくらいの男だから、真慧もまた只者ではなかった。学識・カリスマ性・行動力など、どれを取っても一流の僧だったのである。関東を本拠とする高田派であったが、そこに甘んずることなく全国を飛び回り、教線を広げている。1460年頃から真慧は特…

  • 本願寺を強大化させたカリスマ・蓮如~その⑥ ひとりでに増殖し拡散していく、蓮如の教え「御文章」とは

    室町期における仏教各派の、布教方法はどのようなものであったのだろうか。室町期ともなると、宗教的な空白地というものは存在しなかったから、信徒を増やすには既存の宗派の信徒に働きかけ、転宗させることで塗り替えていく方法がとられることになる。例外もあるが、概ね下記のような四段階のステップを踏むものである。 ①本寺で布教のための僧侶を養成する ②十分にその資格ができたら、ターゲットとなる地方に送り込む ③布教活動を行い、現地で一定程度の信徒を獲得する ④増えた在家信徒をテコにして、現地における他宗寺院を転宗させる。ないしは新たな寺院を建立し、ここを結節点とし更に教線を広げていく そうなると、ネックはやは…

  • 本願寺を強大化させたカリスマ・蓮如~その⑤ 蓮如が編み出した、本願寺の新しい布教スタイル

    蓮如は一般向けに工夫をこらし、実に効率的な布教方法を編み出している。この記事では、彼の編み出した独特の布教方法について紹介してみよう。特徴としては、主に3点が挙げられる。 まずひとつ目は、前記事で紹介した「名号本尊」である。蓮如はこれを大量に書いて、信徒たちに惜しみなく送った。これを本尊として手を合わせ「南無弥陀仏と唱えよ」と指導したのである。 元々この名号本尊は、浄土真宗の開祖・親鸞が始めたことである。本願成就文の「聞其名号」の考え方に基づいた教えであり、蓮如はそれに倣ったわけであるが、これを採用したことが結果的に教線拡大の役に立ったのだ。 祈りをフォーカスするため、何がしかの対象を必要とす…

  • 本願寺を強大化させたカリスマ・蓮如~その④ 蓮如による本願寺大改革「親鸞に立ち帰る」

    ようやく本願寺第8世の座に就任した蓮如。長く苦しい日々に蓄えていた知見、そして抱いていた理想が本格的に発揮される時が、ついに来たのである。彼の中では弓の弦はすでに限界まで引き絞られていたわけで、あとは矢を放つだけであった。 蓮如がまず行ったことは、これまで本願寺で教えられていた教義の再編成である。 本願寺の土地は、青蓮院の管轄下にあったことは過去の記事で述べた。本願寺が関東の門弟たちの影響下から逃れる際には、この青蓮院の力を借りずしては成らなかったことであり、その結果、本願寺が青蓮院の末寺となってしまったのも仕方のないことであった。またそうした関係であったからこそ、本願寺門主は代々、青蓮院の院…

  • 本願寺を強大化させたカリスマ・蓮如~その③ 本願寺第8世・蓮如の誕生

    大谷廟堂の寺院化に成功した覚如。その法脈は、覚如→善如→綽如(しゃくにょ)→巧如(ぎょうにょ)→存如(ぞんにょ)と続いていく。 その中でも綽如はかなりの傑物で、学問に秀でた人であった。明から届いた難解な国書を見事に解読、返書の草稿を書いた功で、後小松天皇より「周圓上人」の号を賜わっている。これを縁に朝廷より後援を得た彼は、越中において瑞泉寺を建立、ここを拠点とし北陸に教線を伸ばすことに成功している。 しかしながら本願寺の発展は、牛歩のごときのろさであった。浄土真宗が栄えていたのはなんといっても、親鸞が長い間滞在し、布教に成功した関東であった。覚如はその著書「改邪鈔」において「念仏をわざと『坂東…

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