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根来戦記の世界 https://negorosenki.hatenablog.com/

 戦国期の根来衆、そして京都についてのブログ。かなり角度の入った分野の日本史ブログですが、楽しんでいただければ幸甚です。

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2022/07/22

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  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その⑤ 法然の専修念仏(上) コペルニクス的発想転回「ただひたすらに念仏を唱える」

    法然は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した僧である。齢13にして比叡山に登り、その優秀さから将来を嘱望されていたが、18歳の時に比叡山黒谷別所に居を移してしまう。 叡山内には隠者的生活を営むコミュニティがいくつかあり(かつて源信がいた横川もそうである)、この黒谷もそうした性質を持つ場所であった。つまり山内の出世レースから下りて、真摯に求道を志すことにしたのである。この時点で彼は、叡山の主流の考え方であった天台本覚思想と決別していることが分かる。 以来、法然はひたすら学問に励む。万巻の経典を読んで、読んで、読みまくった。そして43歳のときに「観無量寿経」を読み、これまで蓄えた知見を基礎…

  • 中世以降の新仏教~その④ 浄土思想と本覚思想・対立しあう2つの教義

    ここまでの流れをまとめよう。 世に無常を感じ、そこからの解脱を目指す。物質や欲に囚われてはいけない。このように本来の仏教の教えは、厭世的側面が強かった。例えば出家。これは本来、持てるもの全てを捨てて解脱に挑む、という行為であったわけだ。 密教がそれを変えた。解脱を宇宙的存在との一体化と捉え、スーパーマンに成ることを目指す。このように密教の教えは、とことん現世利益を追求したものであり、底抜けに明るいものであった。 誤解を恐れず、今風に言えばこうなる――「解脱は素晴らしいことであると同時に、超楽しいことでもあるんだぜ。だって、スーパーマンになれちゃうんだぜ!その力を以て加持祈祷して衆生を救い、世界…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その③ 日本人が自然に手を合わせるのは何故か?「本覚思想」について

    これまでの記事で、鎌倉新仏教を構成する重要な3つのピースのうち2つ、「浄土思想」と「称名念仏」を紹介した。この記事では、最後のピースである「本覚思想」を紹介したいと思う。 この本覚思想、実は現代の日本人の精神性にも深く影響を与えている、極めて重要な考え方なのである。 さて大乗仏教は、衆生を救う教えである。基本的に、すべての衆生には悟りの可能性がある、というスタンスに立つものだ。 人がその内に有している「悟りに至る可能性」、これを「仏性」と呼ぶが、院政期頃よりこの「仏性」という言葉の代わりに、「本覚」という言葉が使われるようになる。同時に言葉の示す意味も変わっていく。 どう変わったのかというと、…

  • 中世に出現した、新しい仏教のカタチ~その② 観想から称名へ(下) 称名の地位向上と、その流行

    称名はこの時点ではまだ、観想ができない人が浄土に往きやすくするための、次善の手段に過ぎない。しかしこの考え方が変わる契機となった書が院政期に出現する。その書の名を「観心略要集」という。 さて、そもそも天台宗の根本教義は「空・仮・中」の三つの真理で表わすことができる。この世の事物はすべて実体ではないとする「空諦」、すべて縁起によって生じた現象であるとする「仮諦」、すべては空・仮を超えた絶対的真実であるとする「中諦」、これらを総称して「三諦」と呼ぶ。そしてこの「空・仮・中」であるが、これはそれぞれ「阿・弥・陀」の三字に相当するのだ、旨を記したのがこの「観心略要集」なのである。 「阿・弥・陀」=「空…

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