chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
不思議活性 https://blog.goo.ne.jp/fushigikaxtusei/e/9e1b2aad16c5ef22bef0086ebfdd55d3

ちょっとした幸せを感じられたらな

ホームページとして、『太陽とともに・ふしぎかっせい』を作っています。 https://www5d.biglobe.ne.jp/~fushigi/ です。

ふー
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/01/25

arrow_drop_down
  • 『方丈記』と無常

    『方丈記』と無常今年もあとわずかおもむくままに『方丈記』について調べてみました。方丈記に一貫して流れているのは「無常観」といわれる思想です。実際に起こった大火事・地震・飢饉などをなまなましく描写し、人の命や人生・社会のはかなさ、不安定さ、うつろいやすさを説き、その苦悩を訴えています。その苦悩から逃れるために世間から離れるのが隠遁生活であり、彼らは隠者・世捨て人などと呼ばれていました。その、災害に対して無力な人と栖(すみか)の無常を目の当たりにし、俗世を離れて心の安らぎを追求した鴨長明ですが、隠遁生活を通じて心の安らぎを獲得したように見えたものの、最後には、方丈での生活に愛着を抱く自身を顧みて、まだまだと自らを突き放します。以下に紹介するのは、『方丈記』鴨長明・佐藤春夫訳よりの概略です。この辺に美しい立派な...『方丈記』と無常

  • 老子道徳経 54

    第五十四章修観(修道の観)善く建つる者は抜きえず。善く抱く者は脱きえず。子孫以て祭祀して轍(や)まず。之を身に修むれば、其の徳乃ち真なり。之を家に修むれば、其の徳乃ち余り有り。之を郷に修むれば、其の徳乃ち長ず。之を国に修むれば、其の徳乃ち豊かなり。之を天下に修むれば、其の徳乃ち普(あまね)し。故に、身を以て身を観、家を以て家を観、郷を以て郷を観、国を以て国を観、天下を以て天下を観る。吾何を以て天下の然ることを知るや。此を以てなり。善く建てたる徳は、道によって行われる徳であり、それは、長い間に自然の如くに行われてきたことである。従って、深く根を下ろした大木のように、容易に抜けないものとなっているのである。道によるところの徳は、天地自然は万物を平等に愛するものであるという原理に基づいて、総てのものを平等に敬愛...老子道徳経54

  • 老子道徳経 53

    第五十三章益証(道に益となる非道の証)我をして介然として知ること有らしめば、大道を行かん。唯り施すこと、是を畏れん。大道は甚だ夷(たい)らかなれども、而るを民は径を好む。朝は甚だ除まり、田は甚だ蕪(あ)れ、倉は甚だ虚し。文繍(ぶんしゅう)を服(き)、利剣を帯び、飲食に厭きて財貨余り有り。是を盗の夸りと謂う。道に非ざるかな。大道は、平らかなものであって、有るか、無いか、判らないものである。例えば、道が行なわれているときは、政治が行なわれているか、行われていないか判らないものである。朝廷が租税を重くし、また、農繁期も構わず民を利用して立派な建物を建てさせたり、種々の仕事に使役することがあると、農民は農耕に専念できないために田畑は荒れ、収穫は少ないために貯蔵する程の穀物は収穫できないので、倉へ入れる穀物は極めて...老子道徳経53

  • 老子道徳経 52

    第五十二章帰元(根元に復帰する)天下始(みち)有れば以て天下の母為り。既に其の母を知れば又以て其の子を知るべし。既に其の子を知り復た其の母を守れば、身を没して殆(あや)うからず。其の兌(め)を塞ぎ其の門(くち)を閉ざせば、身を終うるまで勤(くる)しまず。其の兌を開き其の事を済(ま)せば、身を終うるまで救われず。小を見るを明と曰う。柔を守れば日に強し。目、其の光を用いれば其の明に復帰して、身に殃(わざわ)いを遺すこと無し。是を習常と謂う。天下の始めに道があり、道から万物が生じたのであるから、道は、万物の母であり、万物は、道の子であるわけである。ところで、道を守る方法であるが、それは、耳、目、鼻、口等の、神経を使う所の五官は、使い過ぎないようにすることが肝要なのである。この事を固く守って行けば、神経が疲れると...老子道徳経52

  • 一冊の本 『歌集 滑走路』と私

    私は先日、ひょんなことから、『歌集滑走路』を手にしました。作者萩原慎一郎さんは、1984年生まれで2017年に自死とあり驚きました。その原因として、いじめを受けてきたことに起因すると・・・・。私は、リタイアして青春時代は遠い昔であるのですが、若者の自死には言葉もありません。私の小学校・中学校・高校のときは、いじめなんかなかったように思います。「いじめ」という言葉を耳にするようになったのはいつ頃からか、調べてみました。<学校でのいじめですが、日本で言う「いじめ」は特に1985年(昭和60年)ごろから陰湿化した校内暴力をさすことが多い。日本では1980年代ごろから教育現場で顕著になっていたが、1990年代になって深刻な社会問題としてとらえられるようになった。また、「いじめ」は何歳頃がピークなのか。実はあまり知...一冊の本『歌集滑走路』と私

  • 老子道徳経 51

    第五十一章養徳(徳を養う)道は之を生じ、徳は之を蓄う。物は之を形し、勢は之を成す。是を以て、万物は道を尊びて徳を貴ばずということ莫し。道の尊きは徳の貴きなり。夫れ、之に命ずること莫(な)くして、常に自ずから然り。故に、道は之を生じ、徳は之を畜(やしな)う。之を長じ、之を育す。之を成し、之を熟す。之を養い、之を覆う。生じて有(たも)たず、為して恃(たの)まず、長じて宰せず。是を玄徳と謂う。万物は、道によって生じたものであり、徳によって生育せしめられたものである。万物が成長を遂げるには、種々の物質が加わらなければならないし、また、四囲の情勢によって、種々の影響を受けるものである。風の吹くことも、雲の動くことも、河水の流れることも、日が照り、雨や、雪の降ることがあるのも、鳥や、虫の飛ぶことも、獣類の走ることも、...老子道徳経51

  • 老子道徳教 50

    第五十章貴生(生を貴ぶ)出ずれば生き、入れば死す。生の徒(ともがら)は十有三、死の徒は十有三。人の生きんとして動かば、皆死地の十有三に之(ゆ)く。夫れ何の故ぞや。其の生を生くるの厚きを以てなり。蓋し聞く、善く生を摂(やしな)う者は、陸を行くも兕虎(じこ)に遇わず軍に入るも甲兵を被(き)ず。兕も其の角を投(い)るる所無く、虎も其の爪を措(お)く所無く、兵も其の刃を容るる所無し。夫れ何の故ぞや。其の死地無きを以てなり。人間は、種々の私欲から死因を作ってるものであるが、死因の外へ出れば、生きていることができるが、死因の中へ入れば、死ぬものである。ややもすれば死因に近づいて行くものが十人の中に三人位の割合でいるのである。栄養があるからといって美味のものを食べ過ぎたり、元気をつけようと思って酒のようなものを飲み過ぎ...老子道徳教50

  • 『銀河鉄道の夜と私』について

    『銀河鉄道の夜と私』について私が宮沢賢治作『銀河鉄道の夜』に、自分なりの解釈で挿絵としてペン画を描いたのが1978年(昭和53年)24歳の時でした。これは非売品として百部ほど自費出版したのでした。その後、事情があり、その本の表紙など破棄して、改めて『スケッチ集銀河鉄道の夜と私』として、製本し直したのが、30歳の頃でしょうか。その本も、今は押入れに眠っているのですが。2020年(令和2年)でじたる書房より電子書籍にしてみました。そして、2022年にグーブログを始めて、その2月から、『スケッチ集銀河鉄道の夜と私』として、五回にわたって紹介しました。その時の紹介文として、(私が賢治作『銀河鉄道の夜』を自分なりに心象スケッチとしてペン画で描いたのは24歳の時でした。それから、40年は過ぎました。そう、改めて『銀河...『銀河鉄道の夜と私』について

  • 老子道徳教 49

    第四十九章任徳(聖徳に任ねる)聖人は常の心無し。百姓の心を以て心と為す。善なる者は吾亦之を善とす。善ならざる者は吾亦之を善とす。徳あって善とす。信ある者は吾亦之を信とす信ならざる者は吾亦之を信とす。徳あって信とす。故に聖人の天下に在るや怵怵(じゅつじゅつ)たり。天下を為むるに其の心を渾(こん)ず。百姓は皆其の耳目を注いる。聖人は皆之を孩(やしな)う。この章は、百姓が、どの苗にも差別をつけないで育てておる心と同じ心をもって、聖人は、民にのぞむものであることを説く。信なるものはもとより信頼するが、不信なる者は、生来記憶力が弱いために、或は、身体の発育がおくれて能力が足りないために、忘れたり、思うようにものごとができなくて、やむを得ず不信の者となる場合が多いのであるから、信ある者と同じように認めるのである。信な...老子道徳教49

  • 老子道徳教 48

    第四十八章亡知(知を亡くす)学を為せば日に益す。道を為せば日に損ず。之を損じて又之を損じ、以て無為に至る。無為にして為さざること無し。天下を取むるには常に無事を以てす。其の事有るに及んでは以て天下を取むるに足らず。この章は、道を修めている者は、目立ったことをなして、人に示したいという心がなくなるものであるが、そのようになれば、できないということは、ないようになるということを説く。第四十三章に、不言の教、無為の益は、天下之に及ぶこと希なりとあるように、道を行う者は、自らの手柄となるようなこと、自らの利益となるようなことは、なさないのであるから、自らを利することを先に考える世俗の人から見れば、道を行う者は、損をした上にも損をしているようである。このように、自らを利することをなさないようになれば、自我を離れた域...老子道徳教48

  • 賢治童話と私 北守将軍と三人兄弟の医者 4

    4、馬医リンブー先生ソン将軍が、お医者の弟子と、けしの畑をふみつけて向ふの方へ歩いて行くと、もうあつちからもこつちからも、ぶるるるふうといふやうな、馬の仲間の声がする。そして二人が正面の、巨きな棟にはひつて行くと、もう四方から馬どもが、二十疋もかけて来て、蹄をことこと鳴らしたり、頭をぶらぶらしたりして、将軍の馬に挨拶する。向ふでリンプー先生は、首のまがつた茶いろの馬に、白い薬を塗つている。さつきの弟子が進んで行つて、ちよつと何かをさゝやくと、馬医のリンプー先生は、わらつてこつちをふりむいた。巨きな鉄のむなあてを、がつしりはめていることは、ちやうどやつぱり鎧のやうだ。馬にけられぬためらしい。将軍はすぐその前へ、じぶんの馬を乗りつけた。「あなたがリンプー先生か。わしは将軍ソンバーユーぢや。何分ひとつたのみたい...賢治童話と私北守将軍と三人兄弟の医者4

  • 賢治童話と私 北守将軍と三人兄弟の医者 3

    3、リンパー先生さてソンバーユー将軍は、いまやリンパー先生の、大玄関を乗り切って、どしどし廊下へ入つて行く。さすがはリンパー病院だ、どの天井も室の扉も、高さが二丈ぐらいある。「医者はどこかね。診てもらいたい。」ソン将軍は号令した。「あなたは一体何ですか。馬のまんまで入るとは、あんまり乱暴すぎませう。」萌黄の長い服を着て、頭をそった一人の弟子が、馬のくつわをつかまへた。「おまへが医者のリンパーか、早くわが輩の病気を診ろ。」「いゝえ、リンパー先生は、向ふの室に居られます。けれどもご用がおありなら、馬から下りていたゞきたい。」「いゝや、そいつができんのぢや。馬からすぐに下りれたら、今ごろはもう王様の、前へ行つてた筈なんぢや。」「ははあ、馬から降りられない。そいつは脚の硬直だ。そんならいゝです。おいでなさい。」弟...賢治童話と私北守将軍と三人兄弟の医者3

  • 賢治童話と私 19 北守将軍と三人兄弟の医者 1

    『北守将軍と三人兄弟の医者』1、三人兄弟の医者むかしラユーといふ首都に、兄弟三人の医者がいた。いちばん上のリンパーは、普通の人の医者だった。その弟のリンプーは、馬や羊の医者だった。いちばん末のリンポーは、草だの木だのの医者だった。そして兄弟三人は、町のいちばん南にあたる、黄いろな崖のとっぱなへ、青い瓦の病院を、三つならべて建てていて、てんでに白や朱の旗を、風にぱたぱた云わせていた。坂のふもとで見ていると、漆にかぶれた坊さんや、少しびっこをひく馬や、しおれかかった牡丹の鉢を、車につけて引く園丁や、いんこを入れた鳥かごや、次から次とのぼって行つて、さて坂上に行き着くと、病気の人は、左のリンパー先生へ、馬や羊や鳥類は、中のリンプー先生へ、草木をもった人たちは、右のリンポー先生へ、三つにわかれてはいるのだった。さ...賢治童話と私19北守将軍と三人兄弟の医者1

  • 老子道徳教 47

    第四十七章鑑遠(行くことなく遠くを鑑知する)戸を出でずして以て天下を知り、牖(まど)を闚(うかが)わずして以て天道を見る。其の出ずること弥いよ遠ければ、其の知ること弥いよ少な是を以て聖人は、行かずして知り、見ずして名づけ、為さずして成す。天下の形勢も、世の中の事情も、平等において聞くことを怠らぬようにしておれば、わざわざ家から外へ出ていかなくとも、大抵のことは分るのである。天下の形勢のように、広い範囲に亘ることは、調査のために遠くまで出て行けば、その地方の、局部的のことは知ることができても、元の位置から遠くへ離れては、精力を浪費し、頭脳の働きを低下させ、大局の事は却って分り難くなるのである。この章の文章は、普通の人には、できそうに思われないようなことばかりが書いてあるので、聖人は、不思議な力をもっているも...老子道徳教47

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ふーさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ふーさん
ブログタイトル
不思議活性
フォロー
不思議活性

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用