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金生遺跡は天文台 縄文人は太陽暦も太陰暦も作っていた https://blog.goo.ne.jp/johmonkinseistar

金生遺跡は縄文時代の天文台 縄紋土器の突起は太陽暦と太陰暦の完成を示す 金生遺跡では朔旦立春を観測して二十四節気の暦を作成していた

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2021/11/13

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  • 立夏の日の出を待つ会 案内

    立夏の日の出を待つ会と信玄棒道散歩案内今年は5月5日が立夏となっています5月7日には笠無山ピークからの日の出です観測会は5月5、6、7日と行います朝の5時頃から6時までです 日の出観測後に続いて遺跡の近くにある信玄棒道の木もれ日のベンチを散策したいと思います。日の出後1時間ほどです。時間のある方はどうぞご参加ください。 笠無山と石棒は、縄文時代は立秋観測点でしたこの日の日の出が石棒の観測点に当たることで観測していました。日の出を待ち、日の出を見てオウ体験をしてみましょう。立夏の日の出を待つ会案内

  • 現代のカレンダーは太陽暦ではない

    現代のカレンダーは太陽暦ではないことが縄文時代の暦から証明されるそれは立春と立秋の日付が年により変動している縄文時代の太陽暦観測施設である金生遺跡ではこの二カ所の日の出位置は、それぞれ山のピークに設定されていて、縄文時代以来変化していない。石棒と配石により観測する日の出も、変化していない。今までの天文学でも、縄文時代と現在とで、その変化は0.5度程度で1日にもなるような変化はしていないとしている。現代のカレンダーは、太陽の運動を再現していない。これは表現が間違いで、正確には地球の公転を再現していないことになる。また曜日とは、月例を示すはずなのに、月の朔望周期を再現していない。最優先してベースとすべき地球の公転も月齢も無視して、地球のカレンダーを使い続けている現代文明は、おかしいのでは無いか。シュメール文明...現代のカレンダーは太陽暦ではない

  • 逸見山台地ルネサンス妄想

    逸見山台地とは八ヶ岳山体崩壊の大地形、それから伸びる七里岩の台地、そのずうっと先に見える富士山富士山手前の山の麓にシミのように見えているのが曽根丘陵、これは山体崩壊の岩屑流が到達した最先端の形成した丘だという。5個くらいの低い丘陵になって微かに見えている、ここまで岩石が流れていったものだという。この丘陵上には後に古墳が作られた。写真は原図をお借りしましたこのような大景観が一目で見えるのは、世界の何処にも無いと思うので、世界遺産になるのでは。   最近の山体崩壊で有名なものはセントへレンズ山の崩壊です、 でも逸見山台地のこのような景観は形成されていないでしょう。写真はお借りしました上が八ヶ岳逸見山台地下は七里岩の楔形 右から富士に向かう緑のうねるような山逸見山から七里岩の楔形うねうねと見えている緑の山脈の台...逸見山台地ルネサンス妄想

  • 360度と24時間の起源

    360度と24時間の起源については、まだ明確にされていないと思う。そこからこの起源に関してこれまでの研究から想像してみることにした。縄文時代早期にには定住が安定したとする想定がされているようである。日の出位置は、以前から知られていたと思う、それまでの冬至と夏至のように止まるもので無いことが知られたことだろう。朝一番に住居の入り口から差し込む日の光は、定住してみると、毎日少しずつ方向が変わることを知って、不思議だったのではないか。毎年同じように移動することを見て、またそれは季節と共に変わることを知り興味を持ったものでは無いか。そのような移動する日の出を、石棒により観測したことから一年の日数が分ったものと考える。一年廻ってほぼ365日であると知ったものと思う石ころでその日数を数えたとすれば、一年の日数を知るこ...360度と24時間の起源

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