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発達障害な僕たちから https://smilehousejapan.hatenablog.com/

発達障害の2次障害で不登校・ひきこもりになった東大・青木・シンゴ・50代男Aたちが回復に向けての日々の葛藤や支援の内容を書き綴っていきます。

一般社団法人青年生活教育支援センター
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2020/12/31

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  • 話が噛み合わないのです。 青木

    支援している青年AさんはASDと診断されています。 小学校から不登校気味で、高校を中退しています。 それからアルバイトに挑戦しましたが、すぐにやめさせられています。 そしてひきこもってしまいました。 彼は、学校に行きづらくなった理由を「みんなとうまく関わることができなかったから。」と言っています。 みんなから「お前といるとイライラしてくる。」とよく言われたとのことです。 「どうしてみんなはイライラするのかな?」何度も聞きましたが答えはいつも同じです。 「他のみんなと同じ様に面白い話ができないから。」と。 「面白い話っていうのは、どんな話なの?あなたがクラスの同級生から聞いた面白い話ってどんな話…

  • 親を責めないで!!意味がないから。テル

    僕が不登校やひきこもりになったそのことで、親を責めたりすることはないです。 正直にいうと、親に反抗したりはしていました。 「くそババア死ね。」とか「叩き潰すぞ。」というような汚い言葉を親に向けて発したことがありました。 そのことは、ひきこもりから回復して、フィリピンに行く前に親に謝罪しました。 「そんなことはどうでも良い。とにかく死ぬなんていう考えは絶対にやめてくれ。」と母親を泣かしてしまったことをもっと申し訳なく思っています。 僕が不登校やひきこもった原因は親ではありません。 その原因は、僕自身の見方や受け止め方といった僕自身の性格や違いを受け入れることが、とても難しい日本社会のありようだと…

  • 僕の声を苦しんでいる人に届けたい。テル

    僕に対してコメントをくださいました皆様、この場をお借りして感謝申し上げます。 多くの皆さんが、僕がこの団体を助けていると思ってみえますが実際は大したことはやっていません。 青木さんが少しでもリラックスできればとの思いから、青木さんの話を聞いたり、青木さんを笑わせたりと試みています。 僕にできることはそんな程度です。 青木さんには感謝してもしきれないくらいです。 死ぬしかないと思っていた僕に生きる希望を見せてくれた人ですから。 ただ支援を受けた者として、また支援が終わった後に支援をする側のお手伝いという二つの経験をさせてもらったことは、何に置いても自分の自己理解に大変役に立ちました。 支援目的は…

  • フィリピンの食堂(就労支援施設)の進捗状況10/28

    1週間ほど雨が一日中降り続いたことで、発注した建材などの納期が遅れています。 それと、今週末から来週前半までがフィリピンの休日(日本のお盆の様な行事)があります。 そのこともあって完成が当初の予定より3週間ほど遅れることになってしまいました。 今の時点で完成が11月15日頃となっています。 雨よけを設置しました。 床が仕上がりました。 現在、スタッフの仮眠室と従業員トイレ、シャワーの設置に取り掛かっています。 この場所の壁紙をどうするか? また壁のデザインをどうするかを今考え中です。 日本の祭りの写真の壁紙を貼るのが最善かと考えています。 冷蔵庫等の搬入は完成してからになります。 また現在、日…

  • 青木さんがダウンした原因 テル

    青木さんがダウンしたので、急遽ブログを書くことになりました。 まあ働きすぎでダウンしていますので休めば元気になるでしょう。 何が青木さんをダウンさせたのかを、僕なりに考えてみましたのでお付き合いください。 1、発達障害の2次障害でひきこもったり、不登校だったりして困っている人たちへのフィリピンでの支援 2、シャルガオ島での就労支援施設の立ち上げ 3、新しいスタッフの訓練 4、日本からの相談 5、運営費のやりくり まあこんなところではないでしょうか? 青木さんは35年間この支援を続けています。 フィリピンにきてからは16年目を迎えています。 しかし、ここにきて蓄積していた疲労に耐えられなくなった…

  • 小学校の売店で働きます!!30年ひきこもったASDな男エイジ

    6ヶ月前の私です。100m歩いただけで息切れしていました。 2回目のサーフインをしました。 ボードに立って、長い距離を波に乗れるまでになりました。 「あと数回で、短いボードに挑戦しましょう。」とコーチから言われたことを青木さんに報告したら、青木さんが私のコーチと嬉しそうに話していました。 そしてこう言いました。 「毎日のトレーニングの成果が出てきましたね。それでは、就労練習に移りましょう。」と。 「それと、あなたの日々の活動記録の動画を撮っていきますよ。」とも言われました。 とても嬉しかったです。 感動したのです。 自分はやれたんだ!! 再び強い喜びの思いが込み上げてきました。 私の就労練習場…

  • どん底からの回復。青木

    素晴らしい光景も日常に組み込んでしまうと感動が薄れていきます 満員電車に平気で乗れることが、私が感じる私の回復でした。 アメリカにボランティア旅行に行った程度では、私の中にある不安は残念ながら解消されませんでした。 アメリカに初めて行った時に、ここでならやり直せると感じた私は、すぐにグリーンカードの申請をしたりして、なんとかしてアメリカに残る方法を探していました。 しかし、結局2週間程度の滞在で、日本に帰国することになりました。 日本に帰国して、お世話になった支援団体で色々な支援方法を試してもらいましたが、自分が感じる不安や恐怖が減ることはありませんでした。 最終的に、今私が働いているこの団体…

  • ひきこもりだった私、サンフランシスコの地下鉄に乗る 青木

    ひきこもっている人たちに共通していることがいくつかあります。 1番多いのは〈自信がない。〉ということです。 もし自信満々にひきこもっている人がいるならば、それはそれで問題はないのではと思います。 今問題になっているのは、ひきこもりたくないのにひきこもざるをえない人たちです。 なぜひきこもるのか? 他人の存在が怖いので、社会と距離を置くためにひきこもるのです。 人と関わることが苦手。 学校の勉強が全くわからなかった。 集団行動についていけなかった。 アレルギーで顔が変色してしまう。 これは私がひきこもった理由です。 周りのみんなは普通にできることが、僕にはできなかった。 その不安はやがて恐怖を感…

  • みんなと違う僕でも社会復帰ができた。青木

    僕はみんなと同じことができませんでした。 そのことで、みんなから『変な奴』って思われて、嫌われていました。 いじめられていても、なんとか学校に行き続けたいと思っていました。 しかし、学年が上がるにつれて、みんなと自分の違いがはっきりとしてきました。 そのことで、(また失敗してクラスのみんなや担任の先生から怒られるんだろうな。)という不安がいつも出てくるようになりました。 不安な気持ちは、恐怖へと変わっていきました。 教室にいると手が震えたり、朝の集団登校でみんなと並んで行くことがとても怖くなっていきました。 そのうち、クラスの子からひどくいじめられて入院となったのです。 心配した親が、違う街に…

  • みんなと違う僕は学校に行けなくなった。青木

    いいぞ!! 僕はアレルギーで顔が変色したり、体が浮腫んだりするのです。 マヨネーズや鯖、卵を食べるとそうなっていました。 今なら配慮してもらえますが、50年前の小学校では配慮をしてもらえませんでした。 僕は集団行動が苦手です。 「全体止まれ、1、2、3。」がどうしてもできなくて、1人だけ目立ってしまっていました。 それを見た先生は、「青木、何をしてるんだ。前に出てこい。」と言って、全校生徒の前で、「足を広げろ、歯を食いしばれ。」と言われて殴られました。 いつもいつも殴られていました。 クラスメイトとうまく関われませんでした。 クラスのあちらこちらで、仲良しグループができます。 僕もその輪の中に…

  • 自信をつける場としての食堂 in シャルガオ島 青木

    真正面から見た店 今までコーヒーショップと言っていましたが、正直食堂の方がイメージには近いので、これからは食堂にします。 食堂建設の工程は、10月10日現在8割程度まで進みました。 これからは仕上げの段階に入っていきます。 建物の完成はあと2週間程度だと思います。 そこから空調設備や調理器具などを設置していきます。 全てが終わるまでにはあと3週間程度かかる予定です。 これから可愛らいしい感じに仕上げていきます。 その一方でビジネスの許可を申請していますが、島外の私たちには簡単には出してくれないのです。 色々と注文をつけられています。 ビジネス許可書はあと2週間程度でおりる予定です。 10月15…

  • お母さん、療育ですよ!!30年間ひきこもったASDな男 エイジ

    最近は義務ではなく楽しくやれていますよ。 私には兄弟がおります。 その兄弟はとても優秀な人です。 誰もが知っている大学を出て、有名な会社に入社し、今は良いポジションにいるみたいです。 母親がそう言っていました。 私は、兄弟に合わせる顔がなくて避けていました。 でも、いつか兄弟と顔を合わせてこう言いたいのです。 「今まで迷惑をかけてすみませんでした。」 「おかけざまで、こんな歳ですが自立することができました。また、彼女もできて今はとても幸せです。」って言いたいのです。 青木さんも「そんなことが言える日が来るように、毎日やるべきことをやっていきましょう。」って励ましてくれています。 ありがたいこと…

  • 発達障害ですからご理解ください?30年間ひきこもったASDエイジ

    これでも笑っているつもりですが? 私は何もできないんだな。 そんなことを日々感じています。 常識が欠如しているというんですかね。 支援を受けてきて、あまりにも自分が何も知らなさすぎて涙が出ますよ。 フィリピン人から見てどう思われているのか? 日本人ほど見方は厳しくないけれど、それでもだらしない人とかあまり近づきたくない人と思えるらしいですよ。 フイリピン人の支援スタッフからそう言われました。 日本では私という存在は、ほとんど無視されているようなものです。 時々は、唾を吐かれたり足で蹴られたりもします。 その原因はわかっていますよ。 まあ、そんなことをするのは中学生くらいで不良じみた人たちですけ…

  • 諦めるのにはまだ早い!!30年間ひきこもったASDな男

    まずは陸上での練習です。 私、とても興奮しています。 なぜかというと、サーフィンでボードの上に立てたんです。 と言っても、ものの10秒くらいです。 でも私にとっては、初めての経験で、ボードの上に立てたということが、とても嬉しかったのです。 私がボードの上に立てたとき、周りのコーチや観光客たちが一斉に歓声をあげてくれたのです。 それも嬉しかった。 みんなの仲間入りをしたんだ。 そんな気持ちでした。 日本ではコンビニにたむろしている中学生たちから、〈ゾンビみたいな奴〉とバカにされていました。 蹴られたり、唾を吐かれたり・・・・。 まあ、私が醜い姿をしているから仕方がないんですけれどね。 でも、日本…

  • まだやれることはあるんだよ。東大卒30年ひきこもったASDな僕

    ご本人の最後の書き込みです。 今朝Twitterでこの書き込みを発見しました。偶然見つけた書き込みです。 1人の青年が自ら命を絶ったのです。 右側の写真は診断書です。 そこには〈注意欠陥多動性障害〉という診断名が書かれています。 「もう苦しみたくも無いし悩みたくも無い。」 何を苦しんでいたのか? 何を悩んでいたのか? それを知ることはもうできません。 ただ、わかることは、全てに希望を失ってこの世から存在を消すことを選んだということ。 「あなたの辛さがわかるよ。」なんて僕には言えません。 自分の過去と比べてあなたはまだ・・・・。 そんなことも言えないです。 他人の悲しみはその人しかわからないから…

  • 東大さんの支援が終わって。青木

    東大卒業後、大学院に進んだ東大さん。 ここまでは順風満帆でした。 つまづいたきっかけは、研究室で人間関係がうまくできないことで居づらくなったからです。 それ以降、30年近く自宅にひきこもってしまいました。 8年前に親戚の方から私たちに支援の依頼がありました。 私たちが以前に出たテレビ番組を見て、支援の依頼をされたのです。 支援につながるまでには6ヶ月がかかりました。 初めてお会いした時に、ボランティア活動をフィリピンでやるので、手伝って欲しいと依頼しました。 30年ひきこもっていた彼の反応は、「やってみたい。」でした。 それから8年間、東大さんはフィリピンに滞在しています。 支援をしてから3年…

  • フィリピンの小さな島で小さな食堂を作ります。青木

    小さな食堂です。でも目の前がサーフインをする海岸です。 ひきこっもていた人たちが自信をつけて、再び学校にそして社会に戻っていけるように。 その自信をつけてもらう場所としての小さな食堂をフィリピンの小さな島に準備しています。 私たちは飲食業に関わった経験がほとんどありません。 それでも小さいとはいえ、食堂を作ろうとしているのです。 「無謀だ。」そんなふうに思われるかもしれません。 でもやりたいのです。 食堂を運営して、ひきこもりから回復したいと思っている人たちを応援したいのです。 7年前、2年ほどマニラで小さな食堂を運営していました。 15席程度の小さな食堂でしたが、そこそこ繁盛していました。 …

  • 古着や文房具をありがとうございます。エイジ

    30年間ひきこもった私だからこそ、誰かの役にたちたいんです。古着を送ってくださり感謝です。 私は30年間ひきこもりました。 ひきこもっていた時に、私は「生まれてきた意味がない。」と自問自答していました。 「生まれてこなければ良かった。」 「せめて献体でもして、他の誰かの役に立ちたい。」 「早くこの世からおさらばしたい。」 30年間、毎日そんな気持ちで過ごしてきました。 でも、今は違います。 こんな私でも誰かの役にたてるということがわかったからです。 昔から定期的に小学校を訪問して、小さなお手伝いをしてきました。 皆さんから送っていただいた古着やおもちゃを貧困地区の小学校の子どもたちに渡すのです…

  • ひきこもりから回復した僕に最も必要だったこと。青木

    シャルガオ島で小さな食堂を準備中です。 小学校でいじめられて入院。 環境を変えるために転校したにもかかわらず、またいじめられて入院。 中学では不登校。 高校ではもっとひどく暴力を受け、身の危険を感じて自主退学。 1年遅れて希望に満ち溢れた進学校に再入学したにもかかわらず、不安が強くなり不登校。 大学に入学したけれど、夏休み前に不安が強くなって通学できなくなりました。 何度も何度も気を取り直して、挑戦したのですがうまくいきません。 とうとうひきこもってしまいます。 自分は周りと比べて著しく劣っていると感じて怖くなったからです。 周囲の人は普通にできることが、自分にはできない。 できないことが多く…

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