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2020/12/16

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  • 4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(6/6)~意外だったよ。吉野ヶ里

    吉野ヶ里遺跡公園に行って、想像を超える物がたくさんありました。甕棺とか甕棺とか甕棺とか。 もちろん、住居などの復元規模も、遺跡の保存方法も想像以上だったのですが、それ以外にも・・・。 ∞吉野ヶ里遺跡公園、博多から佐賀方面へ向かうJRから見える。ずっと、アンコールワットのように忘れられた密林の中から発見されたと思い込んでいたけど(佐賀に密林は無い?)、びっくりするぐらい市街地に近い。 つまりは住むのに不便な場所では無いと言うことだよね? でも、そうなったら、やはり「何故人々はこのムラからいなくなった?」という疑問に行き着く。 ∞∞ゲートをくぐって園内地図を見ていたら、係のお姉さんが「バスで回りま…

  • 4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(5/6)~甕棺最大の謎はこれだ! ※R6.3.21追加文あり

    甕棺の完成度を見ると、専門の職人がいたんじゃないかと感じます。 素人が、「今日は、雨で外の作業できんけん。中で甕棺でも作ったい(方言は想像です)」って作れるレベルとは思えない。 甕棺は時代だけでは無く、地域によっても特色があります。ですが、ある地域の甕棺が別の地域で発見されたこともあるそうです。そこから、「商品として」輸出された・・・つまり商品を作る「職業集団」がいたんじゃないか。という見解があります。(参考資料:国立民俗博物館「九州の甕棺」) が、なんということでしょう。その甕棺のプロ集団が作業していた痕跡、甕棺工房が見つかってないということなのです! 前回の話で述べたように、焼き物を作ると…

  • 4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(4/6)~甕棺ってどうやって作ったの?(下)

    粘土の塊をどんっと置いて、中を凹ませて、ぐぐぐっと手びねりで縁を立ち上げて、粘土を伸ばしながら形を整えていく・・・という作り方を想像していたねこさんです。↓ usayusadosa.hatenablog.com ですが、よくよく尋ねていくと、どうも違ったようです。 当時の一般的な作り方は、輪積み・・・粘土を紐状にして積み上げていく方法です。 甕棺も、土台を作り、生乾きの状態になるまで待ってから改めて粘土を積み上げ、境目を馴染ませ、整え、また乾かし・・・というように何日もかけて作ったのではないかと想像されているようです。 お話を聞いて想像したのが4コマ目です。こんな感じ? あってる? すごい手間…

  • 4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(3/6)~甕棺ってどうやって作ったの(上)

    2コマ目以下はお話を聞いて想像したものです さて、3回にわたって「甕棺の秘密」をお送り致します。 とにかくね、甕棺がでかいのよ。 支えの上に乗っているとはいえ、ねこさんが中を覗くのが容易でない大きさのもずらり。 尋ねてみたら、北墳丘墓というところで発見された「高さ139cm、口の直径101.8cm」が今のところの最大だって。 このでかい甕棺、どうやって作ったのか気になるよね? だって、すっごい整った形してるんだよ。 「ろくろ」を使った? けど、ろくろは古墳時代だか飛鳥時代だかに朝鮮から伝わったとか聞いたとこあるし。(飛鳥時代は古墳時代の後半)だとすると、弥生時代にろくろってないんじゃない? 無…

  • 4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(2/6)~甕棺墓列

    ∞「甕棺概略」 甕棺とは、素焼きの棺桶です。二つの甕を合わせ、粘土で合わせ目を塞ぐ「合わせ口甕棺」と、平たい石などで口を塞いだ「単棺」があります。 子ども用の甕棺や、大人の骨だけを改めて甕に収める再葬という形での甕棺利用は他の地域でも見られるようです。しかし、大人が余裕で入るような巨大な甕棺は、北部九州独特のとのことです。海外でも、大人用は韓国と中国の一部だけでしか発見されていないようですね。 このような話を聞くと、九州は独自の文化が発展していたんだなって思います。 吉野ヶ里遺跡では、既に三千を超える甕棺が発見されています。この丘陵全体では、一万五千を越える数の甕棺が埋まっているのではないかと…

  • 4コマ「吉野ヶ里遺跡公園」(1/6)~古代のロマン埋まってた! ▶蘇らせる? ▶封印する?

    ∞ 日本最大の弥生時代の遺跡がある「吉野ヶ里遺跡」。紀元前5世紀~紀元3世紀(2500年前~1700年前)の、ムラからクニへ発展していく過程が明らかになったすごい遺跡です。 この辺りの段丘には、他にもいくつかムラが集まっており、吉野ヶ里はその中心、ミヤコだったと考えられています。弥生時代後半には国内最大規模の環濠集落へと発展したそうです。 そんな吉野ヶ里ですが、やがて終焉の時を迎えます。3世紀後半になるとクニとしての機能が失われ、人が住む集落から、埋葬の地へと変化していくのです。 なぜ、人々がこの地から離れていったのかははっきりしていないようです。 ただ、他の地域でも、弥生時代後半に、台地から…

  • 4コマ「クイズ どこへいったでしょうか?」

    捕捉 ∞ 2コマ目は高速道路から眺めた景色。この県全体が平野じゃないし、この平野全体がこの県でもないのですが、広い平野がある県です。 なお、ねこさん的に言うと、平野ってずーーーーーと向こうまで平らで、山は地平線のこちらにはない場所。または地平線そのものが見える場所ですね。建物は少ない方が平野感上がる。 平らだけど、山など障害物が近いところはただの平地って感覚。 ∞あえて2位を強調するあたり、「絶対2位の座は渡さん!」という気迫を感じます。 ちなみに3位は淡路島がある兵庫県。 ∞羊羹 この県の別の街に行ったことあるんですけど、そこにも羊羹コーナーありました。 羊羹愛を感じる県です。 さて、そんな…

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