最近(ここ一年)唄うようになって、どうも頭の具合が変化したように思えます、だからこんな不可思議な夢を見たのだろうと思う、ぼちぼちやっていきます。
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見聞きしたことが無くとも、心でだけ触れたものを人間は知識として持ち帰ることが可能だ。
こんなにも帰結する誰か、あなたを、僕はずっと探していたんだと、ついにあなたを目の前に実感したその時には…残念なことに、最早、僕の人生の大半が過ぎ去ってしまっていたのだ…。
確実にそこに在るという確証を高めるもの、肉体の在処、魂の在処を強める音…そういうものが真空管特有の音色である。
紅い赤い夕暮れ。しかしこの光は既に無く、これの記事を目にする人にとって…あるいはこれを記している私にとってさえ過去の幻想となる。
人間関係や評価について無関心な人に、人間関係や第三者の評価について平身低頭過去の罪を償えだとか、謝れと言っても逆効果だと思う。当の私もそんなこと言われたら、自分に非のある事について鼻で笑ってしまうと思う。だって、そこに関心が無いのだから罪悪感も無いのだ。
プチトリアノン(薔薇)
ローズポンパドール(薔薇)
ああどうしたらいいのかしらあ』隣の個室から響く見知らぬ老婆の声に私は用を足しながら狼狽えていた。駅ビルの個室トイレ、何の変哲もない2020年代の我が日本国の個室トイレに於ける珍事に私は対処しきれずに居た。ユニバーサルデザインや、見知らぬ人への手助けをすべきかどうか。
男は何かを悟ったかのように丁寧に手を洗い、慎重に口をゆすぐと、ついに安心して無自覚ながらも最後の眠りについた。
朗読 星の王子さま 後編
朗読 星の王子さま 前編
音楽というものが本質的に…愛がそうであるように『本当であればあるほど』、それらはすべからく、音もなく静かなのであった…。
薔薇のサンライトロマンティカについて。
アマガエルセレクション。
漆黒のアイリスと白アイリスの紹介。
庭植物の一員、ルーニーという香草が種をつけました。
分厚い書物を開いて針を刺す、どの位深くページに突き刺さっているかをよく見てから、その針の貫いている箇所の文字を当てる…そんなテストを僕らは選ばれし民の子供として受けていて、でももうすぐ正式な学校に入らなきゃならないからあの子ともお別れだなあと僕は寂しく思っていた。
馬鹿だなあとやっぱり思ってしまいます、俺もそう思ったし両親共々祖母を責めてました。なんでこんなに世間で言われていることにひっかかるんだって…だから詐欺被害に遭ったことが祖母の中で一つの、罪になっていったんだと思います。被害に遭ったこと自体が悪になっていったんだと思います。
誕生日になったら、二桁の自分の年齢を逆さにしてごらんよ。31歳なら13歳、58歳なら85歳、19歳なら91歳…そんな風にしてもう一つの年齢と今の自分とが繋がっている事をきちんと認識した方がいい。
彼の嫌味はその実、子供のころ、若い頃の私の言い分ですらあるのだ…だから何だかそれを聴いてやらねばならないような気がしている。
あけすけに打ち明けると、今現在私は仕事内の特定の人から会うたびに嫌味を言われて過ごしている。 嫌味の原因を端的に言うと逆恨み感情からであろう、しかしこの会社自体が内職業務を軸とした企業であるのでその従業員に内職工がこのような扱いを受ける筋合いは、業務上、そもそも無いのである。 仕事の場でニート扱いされるのでさすがの私も少々参って来ている。
白鷺を埋葬したら起きたふたつの不思議についての話。(以前のブログの再掲載)
『あなたは辛くないけど私は辛い』 これが配慮を知らない人間の書く詩、愛を実践する気の無い人間の書く詩だ
知り合いの知り合いのそのまた知り合いの御母堂が耐えられないほどの無常観を覚え、それが為に命まですり減らしていると伝え聞いた私は、居ても立っても居られなくなり、知り合いに頼んで一冊の本を彼女に手渡すように促した。
便座から立つと、血尿が床に滴るのも構わずにS子は自分の部屋のふすまを思いっきり開け閉めした、白髪が目にかかったが、まるでそれすら他者であるかのように払いのけ、S子は気の狂ったように小さな畳敷きの我が部屋の戸を散々に開け閉めして音を出した。
世界全部がレモンで香りづけされたみたいよ 貴方との恋はいつもこんな風で 集団に個人を合わせるのか個人を尊重するのか 両者の論点はレモンと紅茶のようには混ざり合ってくれない
人が思う以上に 服も 肩書も 振舞い方も 決意も 勿体ない事に、活用されずに路上に捨てられていて、誰も手を伸ばさない だからもしあなたが何かを偶然手にしたら 即座に、何のためらいも無く使った方がいい
歯が溶けている…そう思って男は鏡を見た。わざとにやりと笑って見せたが口角を上げたり口を開けると溶けた部分の歯が暗い穴ぼことなって影を主張しているのがわかり、男は口を閉じた。ほとんどすべての歯が溶けかかっていた。
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最近(ここ一年)唄うようになって、どうも頭の具合が変化したように思えます、だからこんな不可思議な夢を見たのだろうと思う、ぼちぼちやっていきます。
『玉藻の前』のすべての録音編集を終えたとき、登場人物たちが…まるで映画のロケが終わった時のように、内輪で歓声をあげて、それから一人ひとりが素の顔に戻って、そしてどこかへ帰ってしまう…そんな感じがして、今となっては少し寂しいような気もします。
全く個人的に、男の人って挫折した経験のある人特有の色気みたいなものがあるなあと感じたりもする…
色で例えるなら千枝松(主人公)の声は枯草色、みくずの声は珊瑚の明度をさらに上げたような色、陶物のおばあはスグリの実の色みたいな感じ、全員一応、和の色でまとまって一枚の絵になるようなイメージ。
ただ、私は思うのですよ、日本の古来からの『おはなし』というのは、元来かなり音域幅の広いものなのではないか?
この『玉藻の前』を制作するにあたって一番感じたのは…プロの声優の方とかも確かに凄いが、沢山の声をひとつの作品に仕上げているプロの編集の方って、本当に凄腕!という事です。
以上、春先の怪談?でした。
まりもちゃん(キラキラネーム庶民)→みくずさん(中産階級へ)→玉藻さん(クズと付くので改名、上流階級)→玉藻女史(玉藻の前、特権階級)
恋と暴力だけは無くならないような気がしますね。
それにしても人間って色んな声が出るもんだな~と、我ながら面白く思って編集してます。
妲己についても、これ見よがしな悪女なところが却って、ビミョーな良妻賢母キャラよりも好感を抱いてしまう。
この朗読音源はデジタル呪物に該当するのではないか?と危ぶまれる気持ちもあるが…
唄を歌うという行為自体が40年生きてて人生初。
手術中は七転八倒した
有り余るほどの時間を悩んで過ごして、よくよく考えると自分の保身(善悪、善人でありたい、被害者気質)の為如きにしか時間を使ってこなかった
となるとひと針ひと針の重要性は否応にも増す…ので、そのひと針の間に、職人の胸中に種々の想いが逡巡する場合も多々あろう…。
次の一着は、私を何処へ連れて行ってくれるのだろうか…。
この歳で言うのもなんだけど、時間が長い!
地図でいうと若洲、駅名で言えば新木場近辺である。
無論、袖や裾は小さめになるけど横幅は同じであるので、いわゆるSサイズ…ではない。
「宇宙は試してくるなあ」とぼやいたら、『誰でもいつでも試されているよ』と知人に言われてなんとなくハッとする。
ホントは世界の全部の聖典読みたいんですけどね、言語的にもさすがにそれは無理というものなので、和訳されている聖典に着手しているわけです。
ミシンをかけている時なんかも独特の疾走感があって心地よい、国道でも突っ走っているみたいだ。(まだ高速には乗れない感覚が洋裁にはある)
これほど美しいものが漫然と存在していることにただ感動する。
たまに、首都高が見たくてその近辺に連れて行ってもらう
1984年生まれの(しかも足の弱い)39歳でこの作品を朗読出来て、とても嬉しく思う。
『青少年反セックス連盟』の緋色の帯は、みんな身に着けているのです。
帰りの小型飛行機で本土、もとい我が関東平野が見えたとき、江の島が見えたとき、横浜が見えたとき、首都高やら都内のビル群が見えたとき、遠く千葉までもが手の上に収まるように見えたとき、私は思いましたよ。
『1984年』の第二部を処理していたらPCがぶっ壊れた。
つまり私は、ある程度、この作品を本当の事として読んだわけです。
1984年生まれの日本人に宛てた皮肉とも応援ともつかないメッセージを感じずにはいられないのですよ。
つまり、個人が幸福になるには、全体が各々幸福で居た方がいいのだ。
だから声劇の雰囲気もちょっと付け加えて、これは一人芝居なのだという感覚で聴いていただければ幸いです。
やりたいことの優先順位を…難易度が高くても…『自分が感動する要素の大きい順』(他人ではなく自分が感動するかどうか)でやっていかないとならないわけです。
当時の柳田國男と同年代のうちに朗読出来て、良い経験になった。
『パッケージや表題=真実』と仮定(妄信)することへの疑問を強く感じる。