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2019/10/12

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  • 石川・福井100名城(1)―小丸山城、七尾城 - 日本100名城

    早朝7時すぎ、前日午後10時に東京・新宿を出発した夜行バスが富山、金沢を経由して石川県の七尾駅前に到着。6年前に訪れて以来の再訪――今回はここを起点として主に福井の名城を巡る旅になる。この街で目指す城の登城口近くまで行ってくれるバスまで1時間ほどあったので、駅近くのコンビニエンスストアでパンを買って

  • 米子城 - 日本100名城

    米子城 続日本100名城 No.169 鳥取県米子市久米町 15世紀に山名宗之によって米子の中海に近い飯山に築かれた砦が始まりとされる。1591年、豊臣政権下で西伯耆の領主となった吉川広家が中海の良港に隣接した湊山に築城を開始し、四重天守を築く。関ヶ原の戦いの後に広家が岩国に国替えとなった後は中村

  • 松江城 - 日本100名城

    松江城 日本100名城 No.64 島根県松江市殿町 関ヶ原の戦いで東軍に与し戦功のあった堀尾忠氏が、隠岐・出雲を得て松江藩が成立。当初は月山富田城に入城したが、山城で交通の便が良くなかったため、1607年に末次城のあった宍道湖畔の亀田山に松江城を築き始め、1611年に完成。現存する天守もこの時築

  • 山陽・山陰西部100名城(9)―松江城、米子城 - 日本100名城

    今回の名城巡りの旅も最終日。松江駅近くの宿で1泊して、朝一番でこの街の名城を目指す。その途中、この街が誇る城の前に、この街が誇る湖のわきを通る。隣接する日本海から海水が混ざり込む汽水湖・宍道湖だ。ここで育つシジミや白魚などが島根の名物になっている。宍道湖から大橋川に湖水が流れ込む地点に架かる宍道湖大

  • 月山富田城 - 日本100名城

    月山富田城 日本100名城 No.66 島根県安来市広瀬町富田 鎌倉幕府の御家人である佐々木義清が築城し、その子で富田を名乗った義泰ら富田氏が本拠とした、現在の島根県安来市の月山(標高184m)上の山城で、日本五大山城の一つとされることもある。戦国時代には戦国大名・尼子氏の本拠地となり、天然の地形を

  • 浜田城 - 日本100名城

    浜田城 続日本100名城 No.170 島根県浜田市殿町 島根・浜田の標高68mの独立式丘陵に築城された平山城。北部を松原湾、東部を浅井川、南部・西部を浜田川に囲まれ、天然の堀としている。大坂の陣の功績により浜田に入封した古田重治により1620~1623年にかけて築かれ、浜田藩の藩庁が置かれる。古田

  • 山陽・山陰西部100名城(8)―浜田城、月山富田城 - 日本100名城

    島根県浜田氏の浜田駅近くの宿で一夜を明かし、朝一番で徒歩圏内にある名城を訪れる。浜田城(続100名城No.170)は江戸時代、大坂の陣の功績により浜田に入封した古田重治により1620~1623年にかけて築かれた。浜田川と松原浦に囲まれた、標高68mの独立式丘陵・亀山に築城された平山城である。浜田城資

  • 津和野城 - 日本100名城

    津和野城 日本100名城 No.66 島根県鹿足郡津和野町後田 津和野盆地の南西部に横たわる標高367mの霊亀山に築かれた山城。鎌倉時代の元寇の後、沿岸防備のためこの地に赴任した吉見頼行が築いた三本松城が始まり。戦国時代、大寧寺の変で大内義隆を滅ぼした陶晴賢に対して吉見氏が挙兵。三本松城で1554年

  • 山陽・山陰西部100名城(7)―津和野城 - 日本100名城

    萩で迎えた早朝。もう一度城下町を散策した後、萩バスセンターを8時42分に発つ高速バスで新山口駅へ移動する。次は山口県を出てすぐの島根県津和野が目的地だが、事前にスケジュールを組んでいた時、ちょうどいいタイミングでいい列車が出ていることに気づき、予約が取れる初日にすぐ挑んだのだが、ゴールデンウィーク(

  • 萩城 - 日本100名城

    萩城 日本100名城 No.75 山口県萩市堀内 関ヶ原の戦いで西軍の総大将に就いて敗軍の将となり、周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、広島城に代わる居城として1604年に築いた城。指月山の山麓にある平城(本丸・二の丸・三の丸)と指月山山頂にある山城(詰丸)で構成されている。堀に面して望楼型

  • 山陽・山陰西部100名城(6)―萩城 - 日本100名城

    予定より1本早いバスで、山口市から日本海沿岸の萩へ向かう。元の予定のバスで行った場合、次の城へは萩の旧城下町内を歩くかシェアサイクルを使うかだったのだが、萩へのバスが1本早くなったことで次の城まで行ってくれる萩市内のコミュニティバスの時間にちょうどよくなった。小ぶりなバスに身を委ねて悠々と、萩城(1

  • 大内氏館・高嶺城 - 日本100名城

    大内氏館・高嶺城 山口県山口市 続日本100名城 No.174 大内氏館は、室町時代に建造された、周防国・長門国を本拠とした大内氏の居館。領土の拡大とともに増築が繰り返され、空堀と土塁により守りが固められた。高嶺城は毛利軍の進軍に備え、大内義長が大内氏館の詰めの城として1556年、標高338mの鴻ノ

  • 山陽・山陰西部100名城(5)―大内氏館・高嶺城 - 日本100名城

    山口駅から次の城へ700mほど近づいた場所にある宿で一夜を明かし、朝一番で城攻めに出掛ける。今回目指すは、大内氏館・高嶺城(続100名城No.174)。室町時代、周防国・長門国を本拠とした室町幕府の重臣・大内氏の平地と山の拠点である。まずは標高338mの鴻ノ峰に1556年、大内義長により築城が開始さ

  • 岩国城 - 日本100名城

    岩国城 日本100名城 No.74 山口県岩国市横山 山口一帯を支配していた毛利氏は関ヶ原の戦いで西軍に与して敗軍の将となり、徳川家康に内通していた毛利一門の吉川広家は毛利氏の存続に奔走する。広家はその後岩国領の領主に3万石で封ぜられ、領内の横山に岩国城を築く。麓に平時の居館となる「土居」と、標高2

  • 山陽・山陰西部100名城(4)―岩国城 - 日本100名城

    広島城の攻城を終えた私は、昼前にJR山陽本線の普通列車に乗り込んで西へ向かい、広島・山口の県境を超えて2つ目の岩国駅で下車。岩国市内を流れる錦川までバスで移動して、江戸時代に創建された5連の木造アーチ橋・錦帯橋に行き着く。その錦帯橋の背後に聳える、標高216mの横山の山頂に天守閣が見える。あれが今回

  • 山陽・山陰西部100名城(3)―広島城ほか・2 - 日本100名城

    広島駅近くの宿で1夜を明かして、この日も早朝から広島城(100名城No.73)を目指す。前日は北西からアプローチしたが、今回は南東からアプローチ。ここから反時計回りで裏御門跡などを経由して堀(かつての内堀)の周りをぐるりと1周して、この日も表御門から入城して、昨日じっくり見られなかった場所を見て回る

  • 広島城 - 日本100名城

    広島城 日本100名城 No.73 広島県広島市中区基町 戦国時代に広島を支配下に置いた毛利氏は、それまでの山間部の居城・吉田郡山城から瀬戸内海沿岸への移転を決め、1589年、毛利輝元は太田川下流域の五箇村に広島城の築城を開始し、1591年に入城。1592年に天守が建てられ、1599年に完成するが、

  • 山陽・山陰西部100名城(2)―広島城ほか・1 - 日本100名城

    郡山城の攻城を終えて、バスとJRを可部駅で乗り継いで、広島市内に戻る。新白鳥駅で下車して、歩いて15分ほどで、堀に囲まれた広島城(100名城No.73)が見えてきた。広島城は、山城で交通面の不便さがあった郡山城から毛利輝元が移転先として広島の平地に建てた平城だ。しかし輝元は築城後すぐに関ヶ原の戦いで

  • 郡山城 - 日本100名城

    郡山城 広島県安芸高田市吉田町吉田 日本100名城 No.72 安芸の国の戦国大名・毛利氏が拠点とした、吉田盆地北の郡山に築かれた山城。1540~41年の吉田郡山城の戦いでは尼子詮久(後の尼子晴久)率いる3万の大軍を撃退する。その後、毛利元就が勢力を拡大するとともに拡張され、吉田盆地の北に位置する郡

  • 山陽・山陰西部100名城(1)―吉田郡山城 - 日本100名城

    羽田発の早朝便で、広島へ。2025年のゴールデンウィーク(GW)は広島を起点に、山陽から山陰にかけての名城を巡る。広島県東部の福山城、三原城、新高山城は以前、岡山の名城と同じタイミングで訪れていたので、今回は残る広島西部の名城2つを目指した。まずは広島駅からJR可部線とバスを乗り継いで(広島バスセン

  • 山陽・山陰西部100名城―序・この地域の歴史 - 日本100名城

    2025年のゴールデンウィーク(GW)の城巡りの旅は、広島から入って山口、島根と回って最後は鳥取西部の米子で締めくくるというプランで巡ることにした。旅に出る前にこれらの地域の城について、特に戦国時代について予習してみると、驚くほど同じ人物、同じ大名の名前が出てくることに気づく。そこで今回はまず、この

  • 大分100名城(7)―岡城ほか・2 - 日本100名城

    岡城西の丸を30分以上かけて一巡りして、いよいよ核心部である主郭を目指す。大手門から北東へ向けて歩いていくと、石垣組みの主郭の全体図が見えてきた。幅が広いとは言えない山頂の上に、連郭式に郭を並べているのが分かる。そして石垣に最接近したところで左側を覗き込むと――岡城最大の見どころと言っていい、三の丸

  • 岡城 - 日本100名城

    岡城 日本100名城 No.95 大分県竹田市竹田 稲葉川と白滝川に挟まれた舌状台地上に築かれた山城で「難攻不落」と言われた天然の要塞。1185年に緒方惟義が源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したことが始まりとされる。南北朝時代の1334年に後醍醐天皇の指示を受けた大友氏一族の志賀貞朝により

  • 大分100名城(6)―岡城ほか・1 - 日本100名城

    大分の城巡りの旅最終日。この日は大分市から南西35km程の場所にある豊後竹田を目指し、朝から青春18きっぷ利用の鈍行列車に1時間半ほど乗る。竹田市は日本を代表する作曲家・滝廉太郎ゆかりの地である。街中には廉太郎がが12歳から14歳までを過ごした居宅跡に記念館(城巡りの後に訪問)が建てられ、今回目指す

  • 臼杵城 - 日本100名城

    臼杵城 続日本100名城 No.192 大分県臼杵市臼杵丹生島 戦国時代、豊後の王と称されたキリシタン大名・大友宗麟により、北、南、東を海に囲まれ、西は干潮時に現れる干潟で繋がるのみという天然の要害・丹生島(にうじま)に築かれた「丹生島城」が始まり。大友氏は毛利氏との戦いに敗れて1562年に府内大友

  • 大分100名城(5)―臼杵城、大友氏館跡 - 日本100名城

    佐伯城の攻城を終えて、来た道を大分方面へ戻るが、その途中にも未訪の名城がある。途中で下車して臼杵市の海の程近くにある臼杵城(続100名城No.193)を訪れた。臼杵城は大分駅に銅像も立っている、戦国時代にこの地に一大勢力を築いた「豊後の王」大友宗麟が拠点とした城だ。今は埋め立てが行われて海から少し離

  • 佐伯城 - 日本100名城

    佐伯城 続日本100名城 No.194 大分県佐伯市字城山 江戸時代初期、関ヶ原の戦いで徳川方(東軍)に与し海部郡に2万石を与えられた毛利高政により、標高144mの八幡山山頂一体に築かれた連郭式山城。山頂部に石垣造りの本丸、本丸外曲輪、二の丸、西出丸、北出丸を配置。6年の歳月をかけて1606年にほぼ

  • 大分100名城(4)―佐伯城 - 日本100名城

    この日は朝から大分駅から青春18きっぷでJR日豊線を南下して、1時間20分ほどで大分県南部の佐伯駅に到着。当初は駅前の観光案内所で自転車を借りるつもりだったが、営業開始まで30分ほどあり、ここから目指す城の麓までは歩いても30分。それなら歩こうかということになって、河童伝説の残る川や、武家屋敷通りの

  • 中津城 - 日本100名城

    中津城 続日本100名城 No.191 大分県中津市二ノ丁本丸 豊臣秀吉より豊前国を与えられた黒田孝高(官兵衛、如水)が1588年に築城を開始した平城。周防灘に臨む中津川河口の地に位置し、石垣は近世城郭のものとしては九州最古のものであり、堀には海水が引き込まれ、今治城・高松城とともに日本三大水城の

  • 大分100名城(1)―中津城 - 日本100名城

    福岡県と県境を接する佐賀県の鳥栖駅を11時すぎに出発。青春18きっぷを利用してJR鹿児島本線で西小倉へ、更に日豊線に乗り継いで福岡県を一気に飛び越えて、こちらも福岡と県境を接する、大分県の中津市で下車。予約していた駅前の宿に荷物を預けて中津の街巡りへ。寺町と呼ばれる、その名の通り寺院が建ち並ぶ通りを

  • 九州北部古代城再訪(2)―基肄城 - 日本100名城

    佐賀県鳥栖市の鳥栖駅前の宿で夜を明かし、早朝からもう1つ、前回の九州北部の城巡りで「忘れ物」をした城を目指す。鳥栖駅からJR鹿児島本線で北へ2駅の基山駅で下車し、目指したのは佐賀県基山町の基山に鎮座する山城・基肄城(続100名城No.184)。これもまた、昨日訪れた大野城や水城同様、7世紀の白村江の

  • 九州北部古代城再訪(1)―大野城、水城 - 日本100名城

    午前9時20分頃、羽田からの全日空便が福岡空港に到着。STAR★WARSの黄色いラッピングを施した機体だった。今回の城巡りのメーンは大分だったが、にもかかわらず旅の始めの地に福岡を選んだのは、前回福岡の城巡りをした時にやり残しがあり、その時の「忘れ物」をまず回収しようと考えたためだった。なお、大分の

  • 伏見城 - 日本100名城

    ちょっと用事があって、神奈川からほぼ日帰りで京都・伏見へ。時間が余ったので、せっかくだから近くにある城へ、2025年初の城巡り。近鉄丹波橋から坂を15分ほど上って訪れたのが、<strong class=

  • 赤木城 - 日本100名城

    赤木城 続日本100名城 No.155 三重県熊野市紀和町赤木 安土桃山時代、豊臣秀吉による紀州攻めの後、熊野地方の木材の確保と、奥熊野の地侍が蜂起した「北山一揆」への対応のため、当時の紀伊国主・豊臣秀長の家臣だった築城の名手・藤堂高虎が築いた初めての城。現在城山と呼ばれる山の尾根沿いに郭が設けられ

  • 南紀続100名城(2)―赤木城ほか - 日本100名城

    三重県のJR紀勢本線阿田和駅近くからバスに乗車して、海辺から山間部へと向かう。45分ほど経ったところで、道の駅熊野・板屋九郎兵衛の里に到着。ここが次に目指す城のスタンプ設置場所なのだが、ここでは下車せずに、バスに身を委ねて更に山奥へと進む。というのも、目指す城最寄へ行くバスは1日2本しか無かったから

  • 新宮城 - 日本100名城

    新宮城 続日本100名城 No.167 和歌山県新宮市丹鶴 和歌山県新宮市の、熊野川河口近くの丘の上に築かれた総石垣の城。関ヶ原の合戦後、紀州藩主となった浅野幸長の重臣・浅野忠吉が築城を開始したのが始まり。一国一城令で一度廃城になるも忠吉が再築し、大・小の天守や二ノ丸(鐘ノ丸)が設けられる。浅野氏が

  • 南紀続100名城(1)―新宮城 - 日本100名城

    午前7時半、前日午後11時に横浜を出発した夜行バスが和歌山県東南の新宮市に到着。この日はここを拠点に南紀の続100名城の2城を目指す。新宮駅前のコンビニエンスストアで朝食を頂き、この日泊まる宿に荷物を預けて早速、1つ目の名城・新宮城(続100名城 No.167)へ歩いて向かう。新宮城は、関ヶ原の合戦

  • 一宮城 - 日本100名城

    一宮城 続日本100名城 No.176 徳島県徳島市一宮町西丁 徳島の東竜王山の北東枝尾根に築かれた、北は鮎喰川、東は船戸川、園瀬川を天然の濠とし、背後に四国山脈をひかえる天険を利用した山城。南北朝時代、阿波国守護である小笠原長房(南朝方)の四男小笠原長宗が一宮宗成を滅ぼし、1338年にこの地に築城

  • 四国100名城(6)―一宮城、徳島城ほか - 日本100名城

    まだ夜も明けやらぬ早朝、徳島市で取った宿のすぐ近くにある徳島城の城山周囲を3周ほど回る形で6㎞のジョギング。走っている間に夜が明け、朝の陽光に照らし出される城も風情があっていい。宿の朝食を頂いた後、徳島市南部にある名城を目指し、徳島駅からバスに乗車する。一の宮札所前バス停で下車してすぐの場所に登城口

  • 引田城 - 日本100名城

    引田城 続日本100名城 No.177 香川県東かがわ市引田 瀬戸内海に面した「城山」と言われる山に築かれた平山城。築城主は定かではないが、室町時代末期、四宮右近の居城になり、1570年、三好氏に攻められてその支配下となる。その後三好氏一族の十河氏と長宗我部元親が争う中、1583年、羽柴秀吉の命で仙

  • 四国100名城(5)―引田城ほか - 日本100名城

    勝瑞城を探訪した後、次の城へ向かう鈍行列車まで空き時間ができたので、勝瑞駅から1つ先の板東駅から歩いて回ることができる、鳴門市の第1番札所・霊山寺と第2番札所・極楽寺をお遍路。特に霊山寺は最初の札所であり、折しも日曜日だったこともあって、参詣客で大いに賑わっていた。霊山寺から最寄りの阿波川端駅に到着

  • 勝瑞城 - 日本100名城

    勝瑞城 続日本100名城 No.175 徳島県板野郡藍住町勝瑞 旧吉野川南岸の自然堤防上に築かれた三好氏の平城及び居館。初めて築城された年代については承久の乱(1221年)の後、阿波守護になった小笠原長清が守護所を設置したという説がある。室町時代後半、阿波守護細川氏は、はじめ阿波市秋月に守護所を置い

  • 徳島城 - 日本100名城

    徳島城 日本100名城 No.76 徳島県徳島市徳島町城内 吉野川河口付近の、新野川と助任川に囲まれた中洲に築かれた、標高61mの城山上の山城と城山の周囲の平城からなる、連郭式の平山城。元は阿波の国の支配者であった三好氏の拠点で、三好長慶が城主としてその地位を築くが、戦国時代に入ると阿波の国は群雄

  • 四国100名城(4)―徳島城、勝瑞城 - 日本100名城

    徳島市で迎えた朝。宿は徳島城(100名城 No.76)のすぐ近く。宿の朝食を頂いた後、早速、24時間開放されている城址公園を探訪する。徳島城は、元は阿波の国の支配者であった三好氏の拠点で、戦国時代の群雄割拠・土佐の長宗我部氏の支配の後、1585年の豊臣秀吉による四国平定で阿波の国を賜った蜂須賀家政が

  • 高松城 - 日本100名城

    高松城 日本100名城 No.77 香川県高松市玉藻町 豊臣秀吉の四国制圧の後、1587年に讃岐国に封ぜられた生駒親正が、引田城、聖通寺城に居した後、1588~90年にかけて藻浦の港町に築いた城。瀬戸内海の海水を堀に引き込んだ海城で、愛媛県の今治城や大分県の中津城と並び「日本三大海城」と呼ばれる。

  • 丸亀城 - 日本100名城

    丸亀城 日本100名城 No.78 香川県丸亀市一番丁 日本海から至近距離の亀山(標高66m)に室町時代初期、管領・細川頼之重臣の奈良元安によって築かれた砦を起源とし、豊臣政権時代、讃岐17万石を与えられた生駒親正が高松城の支城として1597~1602年にかけて築いた平山城。亀山の上に3重・4重の石

  • 四国100名城(3)―丸亀城、高松城 - 日本100名城

    土佐(高知県)の高知市から乗車した南風10号は、正午に讃岐(香川)の丸亀市に到着。しかし、この日の朝土佐では曇り空ではあったものの雨はそれ程強くなかったのが、この時間の丸亀市の天気予報は1時間の降水量15㎜越え。厳しい城巡りになりそうだ。丸亀駅から城への途中まではアーケード街を東へ南へと歩いて雨を避

  • 四国100名城(2)―浦戸城ほか - 日本100名城

    2024年11月1日 この日の城巡りは高知城と岡豊城で終了だったが、今回の四国旅...

  • 岡豊城 - 日本100名城

    岡豊城 続日本100名城 No.180 高知県南国市岡豊町 信濃から土佐へ移住した長宗我部氏が13~14世紀に、国分川畔の岡豊山(標高97m)の上に築いた山城。戦国時代、長宗我部氏を含む「土佐七雄」が抗争を繰り返し、岡豊城は一度落城するが、1518年に長宗我部国親が復帰する。国親の子・元親の時代に長

  • 高知城 - 日本100名城

    高知城 日本100名城 No.84 高知県高知市丸ノ内 高知平野中心の大高坂山に築かれた平山城。南北朝時代に築かれた大高坂山城が基とされ、戦国時代には岡豊城の長曾我部氏が本拠をここに移そうと計画したこともあった。長宗我部氏が関ヶ原の戦いで敗軍の将となって改易され、代わって土佐に入って土佐藩を立てた山

  • 四国100名城(1)―高知城、岡豊城 - 日本100名城

    3連休に有給休暇1日をプラスして4連休にして、四国へ。四国は伊予(愛媛)の100名城・続100名城は2021年に制覇していたが、その他の3県の名城はまだスタンプを1つも頂けていない。今回はその3件の名城制覇が目標だ。ただ、随分前から予定していた旅だったが、直前になって台風が日本をかすめる気配となり、

  • 多気北畠氏城館 - 日本100名城

    多気北畠氏城館 続日本100名城 No.153 三重県津市美杉町上多気 南北朝時代、南朝方だった伊勢国司の北畠顕能(田丸城を築いた北畠親房の三男)によって築かれた居館(多気御所)。西背後の霧山の上に築かれた詰城・霧山城と併せて「多気城」を構成する。跡地の北畠神社には国の名勝に指定されている庭園や「中

  • 三重100名城・2024年―多気北畠氏城館、田丸城 - 日本100名城

    前日東京から乗車した夜行バスで朝の6時半頃、三重県・松阪駅に到着。松阪には前年12月に松阪城などの城巡りとみえ松阪マラソン出場のため既に訪れていたが、その時はマラソンの前後に訪れるには厳しい山城への登城を見送っていたので、今回はその時の「忘れ物」を回収しに来た格好だ。駅近くで朝食後、7時32分、JR

  • 唐沢山城 - 日本100名城

    唐沢山城 続日本100名城 No.114 栃木県佐野市富士町 平安時代の927年、のちに平将門の乱を鎮撫する藤原秀郷が下野国押領使を叙任し関東に下向して唐沢山に城を築いたのが始まりとされる。その後一時廃城となるが、1180年、秀郷より数えて9代の俊綱の弟・成俊が再びここに城を再興し、城は鎌倉時代に亘

  • 北関東100名城(5)―佐野城、唐沢山城 - 日本100名城

    栃木の名城もあと1つ。13時43分、JR両毛線に乗車して足利を出発。13分で佐野駅に到着し、下車。次の目的駅にコインロッカーが無いため、ここでコインロッカーに荷物を預ける。そのまま乗り換えようと東武線の改札に向かうと、「城山公園口」と書かれた案内板が目に入った。「城山」ということは、ここにも城があっ

  • 金山城 - 日本100名城

    金山城 日本100名城 No.17 群馬県太田市金山町 1469年、新田一族であった岩松家純により築城された山城。四方に延びる尾根を中心に金山を利用して曲輪とし、これを堀切・土塁・石垣や石敷きなどで固く守る難攻不落の名城だった。1528年頃に横瀬泰繁・成繁(のち由良に改姓)親子が城主の岩松昌純を殺害

  • 足利氏館 - 日本100名城

    足利氏館 日本100名城 No.15 栃木県足利市家富町 平安時代末期に、後の足利尊氏ら足利氏の祖・源義康が築いた居館。鎌倉時代初期、足利義兼が持仏堂、堀内御堂を建立して以降、真言宗大日派の本山であり、足利氏の氏寺である鑁阿寺(ばんなじ)として整備される。現在も館の名残である土塁や水堀が巡らされてい

  • 北関東100名城(4)―足利氏館、金山城 - 日本100名城

    群馬の名城を巡って前夜、県境を少し越えて栃木・足利駅前の宿で一泊。今回の名城巡り最終日は、栃木と、群馬で昨日行き切れなかった名城を巡る。早朝。まずは足利市内にある足利氏館(日本100名城 No.15)を訪れる。足利氏館は平安時代末期に、後の足利尊氏に始まり室町幕府の将軍を歴任した足利氏の祖・源義康が

  • 沼田城 - 日本100名城

    沼田城 続日本100名城 No.116 群馬県沼田市西倉内町 利根川と薄根川の合流点東の台地上に1532年、沼田顕泰により沼田氏の拠点として築城された丘城。1560年、長尾景虎(上杉謙信)に落とされ、以後軍事上の重要拠点として上杉氏・後北条氏・武田氏の間で争奪戦が行われる。1580年、沼田城は武田方

  • 名胡桃城 - 日本100名城

    名胡桃城 続日本100名城 No.115 群馬県利根郡みなかみ町下津 利根川と赤谷川の合流近くの断崖部に築かれた山城。1492年に沼田城の支城として上野沼田氏によって名胡桃館が築かれたのが最初とされる。1579年、武田勝頼が家臣の真田昌幸に命じて、後北条氏から沼田領を奪取するための前線基地として、昌

  • 北関東100名城(3)―名胡桃城、沼田城 - 日本100名城

    群馬・渋川から西方向の岩櫃城探訪を終えてJR吾妻線で、一旦渋川に帰還。渋川駅前の店で昼食を頂いた後、今度は上越線に乗車して北へと向かう。午後から目指したのは、名胡桃城(続100名城No.115)と沼田城(続100名城No.116)。いずれも岩櫃城同様、真田氏ゆかりの城で、後北条氏などの度重なる侵攻に

  • 岩櫃城 - 日本100名城

    岩櫃城 続日本100名城 No.117 群馬県吾妻郡東吾妻町原町 群馬県吾妻川北岸の岩櫃山中腹に築かれた山城。伝説では、この地を鎌倉時代に治めた吾妻太郎助亮が築城したと伝わる。戦国時代に吾妻氏の子孫と称する斉藤憲次が岩櫃城を奪い、その子である斉藤憲広は上杉氏に属し、岩櫃城を拠点として吾妻郡一帯の地侍

  • 北関東100名城(2)―岩櫃城 - 日本100名城

    群馬・渋川駅に隣接している宿で朝を迎える。予定の列車は6時50分発だが、宿の朝食は6時30分から。カレーライスに玉子焼き2切れを大急ぎで書き込んで駅へと向かう。 乗った路線は、西へ向かう吾妻線。40分ほどで到着した郷原駅で下車すると、北の空の下に奇岩をむき出しにした岩櫃山が屹立している。今回目指す名

  • 箕輪城 - 日本100名城

    箕輪城 日本100名城 No.16 群馬県高崎市箕郷町東明屋 戦国時代中期の16世紀前半、上野国西部を支配していた長野氏により榛名白川河畔の丘陵地に築かれた平山城。東西約500m、南北約1100m、面積約47haに及ぶ。長野氏は上杉氏(謙信)の後ろ盾を得て箕輪衆と呼ばれる在郷武士団を束ね、度々繰り返

  • 忍城 - 日本100名城

    忍城 続日本100名城 No.118 埼玉県行田市本丸 1478年ごろ、地元の豪族・成田正等・顕泰父子がこの地を支配していた扇谷上杉家に属する忍一族を滅ぼし、築城したといわれる。広大な沼地に島や自然堤防を巧みに利用して建造され、難攻不落の名城と呼ばれる。1479年、扇谷上杉家に忍城を攻められるも同家

  • 北関東100名城(1)―忍城、箕輪城 - 日本100名城

    夏。特に2024年の夏は「観測史上最高の暑さ」と言われた。そんな夏真っ盛りのこの日、私が下り立った駅はよりによって「日本一暑い街」ともいわれる埼玉の熊谷駅だった。なぜ一番暑い夏の一番暑い街に来てしまったのか...それは、これから始めようとしている北関東の群馬・栃木の城巡りはJRの在来線を多用すること

  • 下山 - 富士山

    9時41分、御殿場ルート頂上から下山開始。吉田ルートしか下ったことが無ければ「下りは楽」と考えてしまうだろうが、それ以外のルートでは「下りだから楽」ということは無い。確かに息は楽だが、岩がち且つ砂がちで勾配のある御殿場ルートでは、下りで足を踏み外したり滑らせたりしてしまうリスクがある。下りだからこそ

  • 御殿場ルート7合5勺―富士山頂 - 富士山

    富士山登山道の山小屋で迎える早朝。山頂での御来光にこだわる人々は午前3時前に出発するが、私はもうこだわっていないので、4時半ごろにゆっくりと起床する。ここ七合五勺でも御来光は問題なく見ることができる。4時50分、眼下に広がる雲海の「雲平線」の東に小さな赤い点が現れたかと思うと、みるみる大きくなり、見

  • 宝永山―御殿場ルート7合5勺 - 富士山

    2024年8月2日 すっかり雲も晴れた宝永山頂上から暫く、宝永火口や富士山頂の景色を楽しむ――いや、この景色に「楽しむ」という言葉は相応しくない。自然の力強さ、と言うよりは「凶暴さ」と言ってしまっても...

  • 富士宮登山口―宝永山 - 富士山

    ここ数年で、8月の第1金~土曜日は私にとってすっかり富士登山の日となってしまっていた。登りを平日に当てることで混雑を回避できるし、あとこれは偶然ではあるのだが、不思議と天気に恵まれるのである。ということで、今年も8月の第1金曜日のこの日、富士登山に出掛けることにした。JR東海道線で静岡・三島駅まで行

  • 長野100名城・2024年(2)―松本城、小諸城 - 日本100名城

    長野・松本駅前の宿で朝を迎え、6時前から早朝ジョギング。無論、国宝・松本城を絡めて4㎞走る。しかしこの時間はまだ100名城のスタンプが頂けない。宿に戻って朝食・チェックアウトの後、もう一度松本城を目指す。その前に、松本城の北にある旧開智学校を訪れる。明治時代に築かれた小学校の校舎で、現在では教育博物

  • 松本城 - 日本100名城

    松本城 日本100名城 No.29 長野県松本市丸の内 戦国時代、信濃守護家の小笠原貞朝が林城の支城の一つとして深志城が築城されたのが始まりといわれる。小笠原氏は武田氏の侵攻により一時失地するが、武田氏の滅亡で再び奪還。深志城を松本城と改名する。豊臣秀吉の天下統一後、小笠原氏は徳川家康と共に関東に移

  • 高遠城 - 日本100名城

    高遠城 日本100名城 No.30 長野県伊那市高遠町東高遠 長野県伊那市の三峰川と藤沢川が合流する間に建てられた平山城。戦国時代、諏訪氏一門の高遠頼継が居城とし、諏訪氏当主の頼重と反目し武田晴信(信玄)の諏訪攻略に協力するが、諏訪の領有を巡り武田氏と対立し1545年、武田氏に攻め落とされる。以後高

  • 高島城 - 日本100名城

    高島城 続日本100名城 No.130 長野県諏訪市高島 長野県諏訪湖の南岸に、豊臣秀吉家臣の日根野高吉によって1592~1598年にかけて築かれた「織豊系城郭」。総石垣造りで望楼型3重5階の天守も築かれる。1601年以降は諏訪氏が封ぜられ、以後明治維新まで諏訪氏が城主を務める。当時は諏訪湖に突き出

  • 長野100名城・2024年(1)―高島城、春日城、高遠城、松本城 - 日本100名城

    2024年7月20日 今年も青春18きっぷの夏が来た。 18きっぷ期間最初の土日...

  • 延岡城 - 日本100名城

    延岡城 続日本100名城 No.195 宮崎県延岡市東本小路 天下を統一した豊臣秀吉の命で延岡の地に赴任した高橋元種が1603年、 五ヶ瀬川と大瀬川の中州にある延岡山に築城した平山城。元種が改易された後は有馬氏、三浦氏、牧野氏が城主を務める。有馬氏の代の改修で1655年、天守代用の三階櫓が築かれるが

  • 鹿児島・宮崎100名城(6)―延岡城 - 日本100名城

    宮崎・延岡駅前で一夜を明かし、今回の城巡りの旅の最終日を迎える。最後に巡る城は、延岡城(続100名城 No.195)。天下を統一した豊臣秀吉の命で延岡の地に赴任した高橋元種が1603年に築城し、その後有馬氏、三浦氏、牧野氏、内藤氏の居城となった城だ。延岡駅から延岡城へは、歩いても20分強。朝の8時前

  • 佐土原城 - 日本100名城

    佐土原城 続日本100名城 No.196 宮崎県宮崎市佐土原町上田島 14世紀半ば頃、伊東氏の一族田島休助により田島城として建てられる。戦国時代、本家筋の伊東氏が田島氏を滅ぼして入城する。1536年、田島城は焼失し、1543年、跡地に新しく鶴松城として建てられる。その当時の城主・伊東義祐は飫肥の島津

  • 鹿児島・宮崎100名城(5)―佐土原城 - 日本100名城

    宮崎県日南市飫肥からの列車で12時16分、宮崎駅に到着。次の城へのアクセス方法は幾つかあったが、天気が朝の飫肥から続く比較的強い雨だったことがあって、私は大きなボストンバッグを抱えてウロウロしないで済むよう、宮崎駅のコインロッカーに荷物を預けて宮崎駅⇔城をバスで往復する方法を採った。宮崎駅西口から2

  • 飫肥城 - 日本100名城

    飫肥城 日本100名城 No.96 宮崎県日南市飫肥 南北朝時代に土持氏が築城したのが始まりとされる。戦国時代、島津氏と伊東氏との間で飫肥を巡り80年にわたる争奪戦が繰り広げられ、1567年、伊東義祐が一度は飫肥城を手に入れて子の伊東祐兵に飫肥の地を与えるが、1572年、伊東氏は木崎原の戦いに敗れて

  • 鹿児島・宮崎100名城(4)―飫肥城 - 日本100名城

    夕方6時前、鹿児島・志布志から乗車したJR日南線の列車が宮崎・日南市の飫肥駅に到着。駅から歩いて街中に向かうと、川の手前で「是より飫肥城城下町」という石碑が出迎えた。そう。この街で目指す城は飫肥城(100名城 No.96)だ。ここ飫肥の地は戦国時代、島津氏と伊東氏との間で争奪戦が繰り広げられ、一時は

  • 志布志城 - 日本100名城

    志布志城 続日本100名城 No.197 鹿児島県志布志市志布志町帖 鹿児島県東部の志布志湾に面した志布志の山に築かれた内城・松尾城・高城・新城の4つの城郭の総称。築城年代は不明だが、南北朝時代には内城と松尾城が存在していた。12世紀から救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝付氏が入れ代わり立ち代わり

  • 鹿児島・宮崎100名城(3)―志布志城 - 日本100名城

    鹿児島市から次の名城がある志布志へ。同じ鹿児島県とはいえ、鹿児島は薩摩半島、志布志は大隅半島の太平洋側と結構離れている。しかもこの区間は1987年に国鉄志布志線が廃線となって以降、鉄道でアクセスしようとすると宮崎県南部の都城、宮崎、日南を経由とかなりの遠回りになってしまう。従ってバスでの移動というこ

  • 鹿児島・宮崎100名城(2)―鹿児島城(城山) - 日本100名城

    前日に鹿児島城を滑り込みセーフで訪れてスタンプを頂き、下の城は一応巡ったが、上の城、即ち城山は訪れていない。鹿児島中央駅前の宿で一夜を明かし、この日の朝一番で巡ることにした。城山は、元は上山氏の居城であった上山城が建てられていた山だ。上山城は上山氏が島津氏に押されて退去すると廃城となるが、島津氏によ

  • 鹿児島城 - 日本100名城

    鹿児島城 日本100名城 No.97 鹿児島県鹿児島市城山町 元は上山氏の居城であった上山城跡である、鹿児島湾と桜島を望む城山の麓に、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康の脅威に対抗する手段として、それまでの居城だった内城に代えて、1601年より島津忠恒(家久)により築城される。以後明治の廃藩置県まで、島

  • 知覧城 - 日本100名城

    知覧城 続日本100名城 No.198 鹿児島県南九州市知覧町永里 平安時代末にこの地の郡司・知覧忠信が城を構えたのが始まりとされる。室町時代、足利尊氏の下文により島津忠宗の三男・佐多忠光が領主となり、伊集院氏の配下となった一時期を除き佐多氏が代々治める。標高170mのシラス台地上に築かれた広大な山

  • 鹿児島・宮崎100名城(1)―知覧城、鹿児島城 - 日本100名城

    午前10時少し前、羽田からの日本航空便が鹿児島空港に到着。今回は鹿児島と宮崎の100名城・続100名城を巡る。空港から鹿児島中央駅に移動してこの日の宿に荷物を預け、バスで薩摩半島南部にある南九州市知覧へ向かう。これから向かう城へは中郡バス停で下りるのが最短だが、せっかくなので1つ手前の武家屋敷入口バ

  • 川越城 - 日本100名城

    川越城 日本100名城 No.19 埼玉県川越市郭町 室町時代、関東管領・上杉氏と古河公方の対立の中、1457年に扇谷上杉氏の上杉持朝が家宰の太田道真、太田道灌父子に築かせた城。「道灌がかり」と呼ばれる連郭式縄張りで築かれた。16世紀には後北条氏に攻められ、1537年、後北条氏に奪取される。その後は

  • 鉢形城 - 日本100名城

    鉢形城 日本100名城 No.18 埼玉県大里郡寄居町鉢形 荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁上の天然の要害に1476年、関東管領・山内上杉氏の家臣・長尾景春によって築かれた城。1564年、小田原の後北条氏の北条氏邦が入城。氏邦により整備拡張され、後北条氏の上野国支配の拠点となる。その強固さゆえに武田信

  • 埼玉100名城(2)―鉢形城、川越城 - 日本100名城

    埼玉・嵐山町の菅谷館、杉山城を訪れた後、東武東上線で更に北上。寄居駅で下車して少し歩く。やがて大きな川に行き着く。荒川だ。南岸は切り立った断崖になっている。この断崖の上に建つのが鉢形城(100名城 No.18)だ。鉢形城は戦国時代に山内上杉氏の家臣・長尾景春によって築かれ、のちに入城した小田原の後北

  • 杉山城 - 日本100名城

    杉山城 続日本100名城 No.119 埼玉県比企郡嵐山町杉山 鎌倉街道を見下ろす丘陵の尾根上に10の郭を配置して築かれた城。郭とそれに伴う堀や土塁のほか井戸跡などの遺構が残る。城主や築城年代についての記録は無く、後北条氏の時代のものと推測されてきたが、21世紀に入ってからの発掘調査により、戦国時代

  • 菅谷館 - 日本100名城

    菅谷館 続日本100名城 No.120 埼玉県比企郡嵐山町菅谷 比企丘陵中央の都幾川の畔に築かれた、鎌倉幕府の有力御家人・畠山重忠の館だったとされる城址。その後15世紀後半に至るまでの変遷は記録に無く、戦国時代に入り1488年、菅谷原で山内上杉家と扇谷上杉家が争い(須賀谷原合戦)、その前後に山内上杉

  • 埼玉100名城(1)―菅谷館、杉山城 - 日本100名城

    2024年ゴールデンウィークの前半最終日。終日自由に使えたので、日帰りで埼玉の名城を巡りに出かけた。埼玉は戦国時代に山内上杉・扇谷上杉・古河公方が三つ巴の争いを行うが、最終的には小田原の北条氏(後北条氏)が関東を平定した――という歴史背景を予め知っておくと、この後が分かり易い。東京・池袋駅から東武東

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