皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
猫のことをあまりよく知らない人たちは、猫はツンツンしているとか、冷たいなどというけれど。全然そんなことはない。少なくとも我が家の猫たちは感情表現が豊かだ。そのうえよくしゃべる。サンジもシシィも、うちのオヤジなんかよりずっと多弁。朝はちゃんと
介護が終わったという方からリハパンを頂いた。「まだ1枚しか使ってないから、もったいなくて!」ありがたい。本当にありがたい。うちは2人ともリハパン使用なので紙パンツ代が途方もないのだ。こういうことはちょくちょくある。介護って、突然始まるけど、
昼ごはんにレトルトカレーを食べようと思った。それでオヤジをスーパーへ連れていき、「どれにする?」と選んでもらおうとしたら、オヤジは絶句した。レトルトカレーも種類がめちゃくちゃ増えたので困ってしまったようだ。そこで私はオヤジが好みそうなものを
オヤジは努力することが苦手だ。必要に迫られるから仕事はなんとかやってたみたいだけど、向上心をもって学んだり、コツコツ頑張ることができない。昔からそういう性格なのだそうだ。だから「健康のために」「体のために」といわれてもピンとこない。「このま
昨日、前職の先輩にお会いした。なんと10年ぶりの再会!お互いこの10年は介護に追われて、いろんなことがありすぎて、会うチャンスがなかったのだ。とっても嬉しくて、調子にのっていっぱい話した。ぺらぺらしゃべった。普段は話さないようなことまで話し
今日は「いい夫婦の日」だそうで。世間的には「会話の多い夫婦ほど円満である」といわれているが、なんとか離婚をまぬがれている我が両親にはおよそ会話というものはない。高次脳の母はとぼけた話ばかりしているし、オヤジはまるで口をきかない。「おとうさん
先日はじめた両親の日記はなんとかまだ続いている。日記がめんどうくさくなる理由の一つは「何を書けばいいのかわからない」ということだ。母などは「だって今日は何もしてないもん。『退屈な一日だった』終わり!」という。オヤジは黙ってノートを見つめてい
職場のデイサービスで紅葉をみにいった。ご近所のただの並木道が、秋の日ざしに照り輝いていた。赤や黄色やオレンジや・・・目もくらむほどに美しかった。「わあ、すごい色!あれみて!」「きれいやなあ」「なんときれいな!」利用者さんたちは口々に感嘆した
健康診断にひっかかった。生まれて初めてのことだから「おっ!」と驚いた。「いよいよ私もそんなトシになったか!」といってもコレステロール値とかじゃなくて。『肺のレントゲンで影が写ったので再検査を受けてください』とのこと。再検査のために仕事を休ま
母がどうしても見たいというので行ってきた。映画館にいってきた!以前はよく見に来てたんだけど、コロナ渦だったのとつい面倒になってたのとで足が遠のいていたのだ。前にきたときは、車いす席と介助者席とが通路をはさんで離れていたが、今日は「車椅子の隣
急速に衰えていくオヤジをなんとか留めておこうと、朝の散歩を始めた。そしてもう一つ、始めたことがある。日記を書くことだ。オヤジはもともと言語能力が低い。話すことも書くことも極端に苦手である。そのうえに左脳の脳梗塞をやらかしたもんだから、言語野
日曜に冷たい雨が降った。朝からどんよりとして起きにくい。前の晩から眠れなくて変な夢ばかりみて。今日は何もしたくない。ちょっと体調が悪いのかな。寒さのせいか。気圧のせいか。雨のせいか。一日中ぼーっとしていた。一夜明けてもまだぼんやりが抜けなく
母は毎日猫をだっこして眠るが、実は犬派である。子供の頃からずっと犬がいる生活を送ってきた。「死ぬまでにもう一度犬と一緒に暮らしたい」私も犬は大好きで、一緒に暮らしたいという母の希望を叶えてあげたい。毎朝、犬と散歩にいくことにちょっとあこがれ
職場のデイの利用者さんたちが待ち焦がれていた「明日」。おでかけイベントの日だ。皆さんちょっとおしゃれをして。いつもよりちょっといい服を着て。イヤリングなんかつけてきて。みんなで車にのってカフェへ行き、ランチを食べた。そしてコーヒーとケーキも
「Kさん、明日のこと、すごく楽しみにしてるんだって。娘さんがそう言ってた」同僚が弾んだ声で教えてくれた。「えっ、Kさんが?」「そうよ、口では『あんまり行きとうない』とか、嫌々つきあってるふうに言うくせにね。内心すっごく嬉しいみたいで、家では
掃除をしていたら引き出しの奥から古いメモを見つけた。カレンダーの裏書、メモというよりもただの走り書きだ。日付は・・・2015年1月29日。「ああ!あれか!」思わず声がでた。・母が左手でバイオリンをつかんだ!・母の肘があがった!・私はサードポ
「今夜は皆既月食ですよ」とお知らせすると、心を病んで部屋に引きこもっている利用者さんが、ふっと顔をあげて「うちのベランダからはお月さんがよう見えるんや」とつぶやいた。そして「どや、晴れとるか」と、久しく締め切っていた掃き出し窓を開けたんだ。
朝はなかなか戦争です。オヤジの黄色い池がなかったとしても、必ず毎日、なんかある。まず母が起きない。ぜんぜん起きない。どうしても起きない。今日はデイのある日だから起きて!って言ったら「行きたくない」と返ってくる。「ずーっとお布団で寝ていたい」
いい天気だ。絶好の秋晴れ。こんな陽気はきっと今だけ。そう思って、両親を散歩に連れていった。いつもは渋るオヤジも珍しくついてきた。「いつもの公園へ行こう」途中でお昼を買って、公園で食べよう。歩きだした散歩道。黄金色の並木道。家から公園まで、私
先日、利用者さんに「怠惰です」と言われてしまったとおり。私はさぼっていた。手を抜きまくっていた。家の介護も。介護ブログを書くことも。最低限にしておこうと、逃げていた。なんだかちょっと疲れてしまっていたのだ、介護というものに。本格的に追い詰め
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皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------