皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
脳出血の後遺症にはいろいろあるが、疼痛もその一つ。とくに麻痺側が痛むようだ。皮膚感覚もないくせに筋肉が痛いと母はいう。冷やしても温めても治らない。薬だって飲んでいるのに。もっとたくさんリハビリやマッサージをしてほぐしてあげたらいいのだろうが
介護職だから仕方がないんだけど。高齢者だから仕方がないんだけど。訃報って、いつまでも慣れるもんじゃない。仲のよかった利用者さんが亡くなった。とてもしっかりした方で、独身を貫いた「シングルの先生」だった。「人間はね、いくつになっても変われるん
職場のおじさんが病気になった。奥さんを介護しながら働いてる人だ。私はなんとなく同志のように感じていたから、正月前などは「しばらくデイサービスがお休みで大変ですよね。お互い頑張りましょう」とか声をかけたりしたものだ。おじさんは「あんたもな」と
『となりのチカラ』を見た。お人好しの主人公が、困っているご近所さんを助けようとするドラマだ。第2話のテーマはヤングケアラーだった。ネタバレになるので嫌な人はUターンで。近所に住む高校生の男の子はおばあさんと2人暮らし。両親はなく、おばあさん
母がデイサービスのバスで帰宅したとき、職員さんが「フィギュア見れましたよ」と教えてくださった。北京オリンピックのフィギュアスケート・男子シングルのフリー。4回転半に挑む羽生結弦選手の出番を母は待ち焦がれていたのだ。朝、今日はデイサービスに行
冬季オリンピックが真っ盛りである。お祭り好きの母は1人で大盛りあがり。一日中でもオリンピック中継を眺めている。しかも今日からフィギュアスケートの男子シングルが始まった。母の大好きな羽生結弦選手の登場である。母がどれくらい羽生ファンかというと
母が通っているデイサービスがコロナのため休業になった。入所施設のほうで感染が広まり、職員が足りなくなったのだそうだ。お見舞いの言葉を述べるしかできることがない・・・。母がデイに行ってくれないと私の仕事が困ってしまう。だが幸い、母はデイをいく
朝、体が動かなかった。目が覚めて布団から出ようとしているのに、まったく体が動かない!疲労でとか寝ぼけててとか、そんなレベルじゃない。ビクとも動かないのだ。これは!もしや!金縛り!!!!そういえば胸が重たい。肩のあたりもズッシリとした重苦しさ
「もう死にたいわ」と利用者さんが言った。介護をの仕事をしていると、こういう言葉を受け取るのは珍しくない。とくに訪問介護はお家の中だから本音が出るし弱音も吐きやすい。体の痛み、病気の不安、経済的な苦しさ、人生がうまく運ばないもどかしさ、そして
ホームヘルパーの資格をとるための講義で「紙パンツを履いて過ごし、感想を書く」という課題が出た。「利用者さんがどれだけ不快な思いをされているか体感してみましょう」と先生は言った。言われたとおり、紙パンツは本当に不快だし恥ずかしいしつらいと思っ
オヤジの体調には波がある。調子のいいときは顔つきがシャンとしてるし、受け答えもクリアだ。着替えも1人でだいたいできる。要支援でいいんじゃないかと思うくらい。ところが悪いときは全然ダメ。何を言われてもぼーっとしている。しりとりをやらせたら一つ
近頃、母の疼痛が強くなった。脳卒中の後遺症であちこちが痛むが、とくに麻痺のある左足がきついらしい。トイレに立つたびに「いたたたた!」長い時間座っていても「いたたたた!」薬を増やしたらマシにはなったが、それも一時的だった。これ以上どうしたらい
昔、わりとブラックな職場にいて毎日悲壮なくらいしんどかったとき、先輩が貴重な休み時間をつぶして勉強をしていた。「試験を受けるのよ」といって。「一応、国家試験なの」仕事だけでも大変なのによくやりますね、しんどくないですか?「まあ、気分転換にな
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皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------