皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
先月、『見守りカメラを導入した!』という記事を書いた。人様から頂いたものだけど。母の様子を出先から見守るのに便利だった。オヤジが危ないことをするのも阻止できた。とにかく安心できるのだ。想像以上に使える!ということが判明したので・・・もう1台
木曜の朝。車で母をデイサービスまで送っていく途中。母の様子がなんか・・・なんか変だ・・・ルームミラー越しに声をかける。・・・おかーさん、大丈夫?「うん、大丈夫よ♪」おかしいというより、可笑しい。・・・シュールだなあ・・・ちょっとフライングし
今年のユニクロのCMを見ると、泣きたくなる。すごく寂しい悲しい気持ちになってしまう。CMのタイトルは「去年とは違う冬」だ。冬が来る。去年とは違う冬。それがどうした。ふれあいを、ぬくもりを手放すな。ほら、幸せはいつもそばにある。(UNIQLO
昨日のホテル宿泊。オヤジを一人にするのが心配で、1部屋に3人で泊まった。それが間違いの元だった・・・オヤジのイビキがうるさい!しかも、止まる!呼吸が止まる!・・・無呼吸症候群である。うとうとしかけたと思ったら、オヤジのイビキがぴたりと止まり
友達に会えない。外食もできない。買い物だってままならない。どこにも遊びに出られない!そんな日々が7か月も続いて・・・お出かけ好きの両親は、もう、限界だ。なんとかならないだろうか、と考えた。コロナは怖い。万が一にも感染してはいけない。でも、こ
私は介護職だけど。家族の健康も守らないと行けないわけで。自粛自粛自粛の日々ももう限界。うちの職場は自己判断に任されているので、考えられる限りの対策をして少しだけ攻めてみることにした。今のところ、スーパーで買い物するよりもさらに安全な感じ。こ
肩が痛い。なんだか知らないけど左上腕から肩にかけてすごく痛い。原因は多分、こいつ。昨夜、一晩中、私の腕の上で寝てたから。肩を寝違えてしまったのかもしれない。でも、違ったら?もし猫のせいじゃなかったら?そういえば10年前にも肩を痛めたことがあ
オヤジに『要支援認定 更新のお知らせ』が届いた。初めての認定調査から1年も経つのか!鬱のせいか小さい脳梗塞が起きていたのか、1年前のオヤジは自分ひとりでは着替えすらできないし喋らないし文字も書けないという有様だった。「要介護2くらいとれそう
自粛、自粛で。もう8か月だろうか。両親は高齢者だし私は介護職だし、緊急事態宣言の頃とあまり変わらない生活を送っている。遠出も友達とのおしゃべりもコンサートも、なーんもなし!もちろんあの頃に比べて緊迫感は薄れたし、いろいろ慣れてきた。それどこ
高齢者施設で職員が利用者を虐待していた。そんな記事がときどき出てくる。難しいなあと思う。怖いなあと思う。施設のことはよく知らないが、在宅介護においても高齢者虐待とみなされる状態はときどき見かける。多いのが利用者さん自身から訴えられるパターン
このあいだの日曜、ひざ掛けを買いにニトリへ行った。普通のひざ掛けで良かったのに、見つけてしまった。私は見つけてしまったのだ・・・「ペットが入れるひざ掛け」を!ちょっと高いから悩んだけれど、誘惑に負けて買ってしまった。だって、にゃんこの入れる
先日、96才の女性の方とお会いした。96才なのに背筋がピンとのびて私よりも姿勢がいいし、私よりも声が出てるし、私よりも語彙が豊富。お顔も髪も普段着までピカピカで、お部屋の中もピカピカに片付けておられる。そしてパワフルにしゃべるしゃべる!昔話
母の部屋にはネットに接続されたデジタル機器がいっぱいある。これはすべて母の介護のために用意したものだ。「機械に頼らなくても介護できるでしょ」「そんなものにお金かけなくても」と思われるかもしれない。たしかに機械がなくても介護はできる。でも私は
訪問の仕事で95才のおばあちゃんのところに行ったら「せめて85才に戻りたいなあ」と嘆いていた。次に85才のおばあちゃんのところに行ったら「せめて75才に戻りたいなあ」と嘆いていた。2人でまったくおんなじこと言ってるなあと思った。うちのオヤジ
朝。起こしに行ったら、母は、布団の中で自分の左手をぎゅうぎゅう握っていた。ぎゅうぎゅうと。右手で左手を引っ張っている。もしかして痛むんだろうか?心配になって「何してるの?」と尋ねたら、「引っ張りあいっこしてるの、ふふふ!」陽気な答えがかえっ
私が勤めるデイサービスに、誰からも慕われる利用者さんがいた。最年長だったし、かつて小学校の先生をしていらしたので周りから「先生」と呼ばれていたけれど、とても謙虚な方だった。晩年は口数も少なくなり、以前のように愉快なおしゃべりはしてくださらな
近頃、母は嘔吐する。原因はよくわからない。吐くのはいつも決まって深夜である。吐き気や噎せなどの前兆はない。寝ている時の嘔吐は危険なので、近頃は私も母のとなりに布団を敷いている。すると昨夜、草木も眠る丑三つ時。ふっと目が覚めた。なにか変だ。母
私が勤めるデイはお散歩好き。気候さえよければ毎日だって散歩に出かける。今週もすでに2,3回出かけたそうで、ボスはちょっと疲れてたらしい。「今日はやめとこうよー」と言われちゃったんだけど。私はどうしても出かけたかった。デイの人たちと一緒にコス
口内炎が治らない。治るわけがない。今日も徹夜だったから。母が深夜に嘔吐をはじめてぜんぜん眠れなかったのだ。相変わらず原因はよくわかんない。デイを休ませたから仕事の合間に介護しなくちゃいけないし、おかげで昼ごはんを食べそこねてしまった。そんな
最近、なんだか疲れてる。コロナで閉じ込められた感がどうにもしんどいのだ。両親は気楽なもんで、USJに行きたいとか、温泉に行こうよとか提案してくれるが、まだコロナが治まったわけでもないし、介護する人間がほいほい遠出するわけにはいかない。せめて
今日は火曜日。私は仕事。両親はお留守番の日だ。お留守番のあいだ、両親はほとんど別々に過ごす。オヤジはテレビをぼんやり眺めて。母は本を読んで。2人が一緒に過ごすことはほとんどない。・・・ない、はずなのだが。仕事の合間に見守りカメラを覗いてみる
今日は近所のスーパーで菓子パンが安い日だった。母の好きなクリームパンと。オヤジの好きなアンパンと。それだけ買って、自分のためのチョコパンを買うの忘れたよ!自分の分だけ買い忘れるのって「介護者あるある」だよね!悔しかったからもう一回買いに行っ
昨日、栗ごはんの記事を書いた。生の栗を手に入れたけど「栗ごはんの素」のほうが安かった話。でもせっかくだから作ってみようと、今日はがんばって栗の皮をむいたのだ。ちょっとパサパサになっちゃったけど・・・「おかーさんの大好きな栗ごはんだよ!」「わ
このあいだ、職場のランチに栗ご飯が出た。すごく美味しかった。「これぞ秋の味覚だ!」と感動した。・・・両親にも栗ご飯を食べさせてやりたい。そう思って、栗を買ってきた。が、恥ずかしながら私は料理が苦手である。生の栗なんか調理したことがない。ネッ
私が働くデイサービスで、利用者さんが工作をしていた。新聞紙を丸めて、折り紙を貼って・・・私は入浴介助の係なのでちょっとしか見ていないのだけど、皆さん集中して頑張っている様子だった。お風呂が終わって帰ってくると、「できた!」ちょうど工作が終わ
毎日のように通うディスカウントストアで、店員さんに「お客様・・・」と声をかけられた。店員さんに声をかけられることなんて滅多にない。(私、またなにか落とし物した?)なんだかドキドキしていると「お客様、このあいだの公報に出てましたよね!」・・・
みんな同じなんだけど、我が家も施設で暮らしている妹になかなか会えないでいる。面会は、6月にいったん許可されたが、そのあとすぐに第2波がきて再び禁止になってしまった。「長いなあ」「U子、いい子にしてるかなあ」施設から送られてきた写真を眺めなが
今日は火曜日。母は一日の大半をお留守番をして過ごす日だ。いつもはちょっと不安だけど、今日は安心!だって見守りカメラがあるから!仕事の合間にスマホをのぞけば、母の姿を確認することができる!・・・ただ。仕事をしながら、ふと思った。もしかして、こ
先日、母が深夜に嘔吐したことから、私は再び母の部屋で寝るようになった。おかげで私は寝不足だ。母は夜はよく寝てくれて、トイレもあまり行かないから、そんなに大変ではない。大変ではないのだけれど・・・起こされる。変に起こされる。母の寝言に起こされ
今日は地元で選挙があった。市会議員の選挙である。両親ともに頼りないものの、一応は自分自身で投票できる。朝から両親を投票所へ連れていく。投票所は近所の小学校だ。スロープもあるし低い記入台もあるから車椅子でもぜんぜん問題がない。・・・はずなのだ
昨日、母がえらく吐いてしまって。仕事中も心配だから、ときどき様子を見られるように見守りカメラを買おうと思ったんだけど、店頭ではどこも売り切れていた。・・・そう話したら、天使が降臨した。「うちにあるよ!」と言ってくださったのだ。「もう使わない
朝、「おはよー」と起こしにいくと、母は吐瀉物まみれになっていた。「夜中に吐いちゃったの」またかあ・・・。気がついてあげられなくてごめんな・・・。ちょいちょいあるんだ。寝ているあいだに突然、吐く。これまで医師から「便秘だ」「便秘のせいだ」って
半年ぶりに回転寿司にいった。外食はずっと自粛してたけど、この辺はしばらくコロナも出てなかったし、第3派が来る前に行っとこう!と。もちろん、気をつけて気をつけて、ね。マスクも消毒液も忘れずにね。久しぶりの外食が嬉しすぎて、オヤジは昼間からずっ
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皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------