皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
母は要介護4、父は要介護2、妹は重度障害者。シングル在宅介護をしながらも、私の仕事は介護士で、職場は訪問介護とデイサービス。寝ても覚めても介護な人生。家族と事業所、どっちのキモチも分かってしまう板挟み。なにはともあれ楽しくやるよー!
「在宅介護しながら自分の人生を生きる」を目標にするブログです。 本業は介護士、ときどき作家。2018年、たかはたゆきこの名前で「おでかけは最高のリハビリ! 要介護5の母とウィーンを旅する 」(雷鳥社)を出版。第4回斎藤茂太賞受賞。
Amazonのセールでプロジェクターを買った。スクリーンと合わせても1万円以下の激安商品だ。これにFireTVスティックを突き刺して映画を見てみた。まあ・・・部屋は狭いしスクリーンたるんでるのでアレな感じだが・・・なんとなく雰囲気はでたって
母と私の2人バイオリン。今年からコンサートという目標がなくなったこともあり、すっかり練習をサボっている。近頃ではバイオリンに触れるのは月に1,2回ということろだ。春から練習している『トロイメライ』もあんまりうまくならないまま飽きてきた。これ
花粉症がでた。鼻水と涙が止まらない!まるで玉ねぎを刻んでるみたい。花粉症・・・だと思うんだけど。必死で鼻をかんでいると、「どうしたにゃ?」サンジがひざに乗ってきて・・・そのとたん、涙が滝のようにあふれてきた!「これ、花粉・・・?」もしかして
市内の介護施設でクラスターが発生した。母の通うデイサービスからは遠くない距離だ。いよいよ近づいてきたか、と思う。どんなにマスクしても手袋しても消毒しても慎重に暮らしてても、逃れられるとは限らない。もしも私が感染したら?ここ数ヶ月、ずっと考え
うちの職場のミー先輩は、だっこ嫌いのにゃんこである。「この子は抱かせてくれないよー」とボスも呆れている。だが私はだっこがしたくて仕方がない。モフモフして可愛いんだもん!それでもちょっとずつちょっとずつ、4年がかりで親しくなって。「だっこして
夜0時半。私はぐっすり眠っていたが、夢の中で予感めいたものを感じていた。・・・ああ、来るな。それは地震の前の予兆のような、わずかな気配。隣のベッドから漏れてくるかすかな異音を、寝ながら聞いていたのだろう。母が身動きした瞬間、「きた!」布団を
猫は体内時計が発達しているから、毎朝、同じ時間に「朝だよ!」と起こしてくれる子が多い。今までの子はみんなそうだった。サンジなんて頭にかぶりついてくる。「朝だよ、ご飯の時間だよ!と。だが、近頃のシシィはわりと空気を読んでくれる。「朝だけど、起
ヘルパーの仕事で訪問したら、「まあ、祝日なのに来てくれたの!?」と利用者さんに驚かれた。介護の仕事に祝日とか関係ありませんよ!と私が笑うと、「来てくれてありがとう。家族もいない私には、あなた達しかいないの」と泣かれた。「本当にありがとう、あ
我慢の3連休のうち、今日だけは私もお休みだ。朝から「散歩だー!」と両親を連れ出した。オヤジは今週ほとんど動いていない。だから「今日は中央公園までいくぞー!」いつもより遠くの公園を目指すことにした。歩け、歩け。歩け、歩け。歩け、歩け。「私は車
世の中、3連休。今回は「我慢の3連休」だと言われている。コロナの感染拡大が加速しているからだ。だけどさ。正直、もうね。3連休どころか。うちら春からずっと我慢しっぱなしやん!?みんな我慢に飽きている。ステイホームに飽きている。もちろん私一人な
利用者さんにサヨナラを言って、デイサービスでの一日が終わった。掃除して。記録をつけて。明日の準備をして。最後に「洗濯物を干したら終わりだー」ホッとした気分で洗濯機を開けると!・・・そこには地獄が広がっていた。「うわあああ、新聞紙がーーー!」
折込みチラシを眺めていた93才の利用者さんが、ふと呟いた。「ほーう、どこもかしこも『鬼滅の刃』ばっかりですね」・・・ご存知なのですか?「そりゃあ知ってますよ」世の中「キメハラ」なんて言葉が生まれるほどである。この手の流行は、お年寄りにはワイ
私は一応介護職なので、緊急事態宣言の頃と変わらない生活を送っている。外食しない、人と会わない、電車に乗らない、人の集まるところに行かない、飲み会なんかとんでもない。『鬼滅の刃』もめっちゃ見に行きたいけど我慢ガマン!だが家に籠もってばかりでは
うちの両親は2人とも脳卒中の後遺障害があり、2人ともいい感じにボケている。2人とも記憶がまだらで曖昧だ。母はニュースなどをちゃんと覚えていることもあるけれど、高次脳が炸裂して、突拍子もないボケをかましてきたりする。オヤジは一日中ボーーーーー
今年も残すところ1か月半。母と「年末年始はどうする?」という話になった。母はギリギリ30日までデイがある。私の仕事納めはいつだったかなあ…。例年ならこの時期、オーストラリアに住む妹一家が里帰りする。子供たちと一緒にクリスマスケーキを食べて、
今日は日曜。予定のない日。仕事もない日。病院も銀行もお休みだから、用事だって一つもない。今日は布団でも干して、一日ゆっくりしよう・・・と、言いたいところだが! 家事がやたらと忙しいのが在宅介護というものだ。朝ご飯だけ済ませると、急いで「買い
うちのデイサービスはコーラスが得意だ。コロナ渦なので、寒いくらい換気をしながら、マスクやフェイスシールドをつけながら、毎日歌っている。このあいだ、新しい曲を練習することになり、歌詞が配られたのだが、利用者さんも職員も一様に首をひねった。タイ
深夜、母がまた吐いた。近頃は月1くらいで吐いている。いつも夜中で12時から夜明けまでの間に何度も吐く。前兆もほとんどなく、子供の嘔吐みたいに突然なのだ。原因もはっきりしない。私ができることはただ、隣に布団を敷いて、突然の吐き気に対応するだけ
80代の利用者さんが「すまほ、買ってん!」と見せてくださった。ピカピカ光る新しいスマホ。「スマホくらい持っとけ、ってみんなが言うもんやから」おお、すごいですね。使えたら便利ですもんね。「ほんで、楽天ポイントカードを持ってるんだけど、どうやっ
オヤジは注射が嫌いである。それはもう大ッ嫌いである。私が子供の頃にも、「ぎゃー!注射いやだー!」というオヤジの悲鳴を聞いた覚えがあるし、付き添っていた母が「恥ずかしい・・・」とうなだれていた記憶もある。もちろん、今まで予防接種なんか受けたこ
去年から思ってるんだけど。家には、常にオヤジがいる。母がデイサービスに行っている間も、ショートに泊まっているときも、オヤジはずっと家にいる。もちろんオヤジだって出かけることはある。だが平日の昼間のことで、そのとき私は仕事中だ。つまり。私が「
ちょっと前に流行った「ていねいに暮らす」という言葉に憧れた。ていねいに暮らす。見た目は質素でも質の高いもの。自然で体にいいものを選ぶ。手間を惜しまず家事をする。シンプルでちょっとオシャレ。・・・よくわかんないけど、そんなイメージ。ここの所、
身体障害者施設で暮らす妹に会いにいく。コロナ渦での面会はようやく3回めだ。先月は妹が発作を起こしてややこしかったが、今回は大丈夫だった。施設の玄関先に面会スペースが設けられていた。本来は屋外だったが、寒くなってきたので、開いたり閉まったりし
土曜日。やっと1週間の仕事が終わった。よし、おやつタイムにしよう。コーヒーのんでお菓子食べながらドラマを見よう。そう言うと、「やったーー!」母がとっても喜んだ。「お菓子は何?」お母さんの好物だよ。「そうなの? 好きな物いっぱいあるからなあ」
職場であるデイサービスで、利用者さんに工作をしてもらった。ゴム風船をふくらませ。その上に接着剤でトイレットペーパーを貼っていく。ぺたぺた。ぺたぺた。何重にも貼っていく。ぺたぺた。ぺたぺた。根気よく。ぺたぺた。ぺたぺた。接着剤が乾くと、中の風
深夜、オヤジの様子をみにいくと・・・起きている。布団からでてベッドに座っている。驚いたことに、パジャマをぬいで下半身ほぼ裸である。買ったばかりのセラミックヒーターも消えている。「こんな寒いのに何をしてるの?」「・・・」オヤジは答えない。ぼや
冬がやってきた。まだ11月頭だけど、お布団から出られなくなったら、気分は冬だ。そこでオヤジの寝室の暖房器具を見直すことにした。去年までは私が目を配りながらファンヒーターを使っていたが、今年はもう駄目だ。私がいない間に自分でつけて、つけっぱな
訪問介護の仕事で一日何軒かのお宅をまわるんだけど、ちょっと早めに着いてしまうことがある。そういうときは車を安全な場所に停めて時間をつぶす。ほんの数分。2~3分から、せいぜい5分。皆さんなら何をしますか?スマホをいじるか、音楽を聴くか・・・?
母がショートステイから帰ってきた。1年ぶりのショートはどうだった?「お昼ごはんがごちそうだったの!おいしかった!」揚げたての天ぷらを食べるイベントがあったらしい。母はいたくゴキゲンである。ただし夜は眠れなかったという。個室といっても施設の夜
母がショートステイに行ってくれた。去年の11月に私が台湾弾丸旅行をしたとき以来だから、実に1年ぶりである。久しぶりすぎて、何を持って行けばいいんだかったかちょっと思い出せないくらいだったし、施設への道順も間違えて渋滞に巻き込まれてしまった。
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皆様、お久しぶりです。だだでございます。なんかとか生きて暮らしています。いろんなことがあって。いろんな気持ちになって。私は文章を書くことをやめてしまいました。今はなんとか、なんとか文字をつないでいるけれど、ともするとこんな短い言葉たちえでさ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------
退院から20日。母は元気だ。絶好調といっても良い。薬こそ続けているものの、喘息なんて本当にあったのかと思うくらい元気。「酸素ボンベつけて帰宅」とか言われていたのが夢だったのかなくらいに元気。毎日のようにCMに乗せられて「ほら、『人生にもっと
「筋力低下で立位がとれません。在宅介護は厳しいでしょう」と言われたのに「私ならできます!」と言い切って母を退院させることに決めたけれど。私はちょとドキドキしていた。先週、病院ではちゃんと介助できたけど、あれはきっと、すごく調子がよかったから
「在宅介護は厳しいでしょう」気管支炎で入院した母。転院をくりかえし「あと1、2週間で退院できそう」というところまできた。呼吸も落ち着き、酸素ボンベももう要らない。いよいよ退院して元の生活に戻れる!と、思いきや。「正直、厳しいと思います」と言
7月に脳梗塞を起こすも「風邪じゃないですか」と処置されず、救急でようやく入院させてもらったオヤジ。8月に気管支炎となるも入院させてもらえず、悪化してようやく入院できた母。・・・やれやれ。私は過労で熱なんか出してしまった。それでも入院させたら
母は風邪をこじらせて気管支炎となり、紆余曲折の末ようやく入院することができた。そこは7月からオヤジが入院している市民病院。「夫婦2人で同じ病院だ!」と私は喜んだ。「通う手間が省ける!」入院したって放ったらかしにはできない。オムツなどの消耗品
療養型病院(1回目)在宅医の紹介をもって救急にいったのに「これくらいじゃ入院させられない」と帰宅させられた母。翌朝になっても状態は芳しくなかった。まったく飲み食いできないし、息も苦しそうだ。血中酸素飽和濃度は90を切っている。・・・本当はも
母が入院しました。経過とご報告です。長くなるんで分けます。風邪前回、私が風邪をひいて熱を出した話を書いた。39度くらいの熱が1週間ほど続き、ようやく引いてきたと思ったら・・・母に風邪がうつった。まあ、そりゃ、うつるよね。移乗も排泄も食事介助
熱が出た。火曜の夜のことだ。ちょっと喉が痛いな、程度だったのが夜遅くなって突然、関節が痛くなって、気が付いたら高熱だった。「これは、アカンやつや!」とうとうコロナが来てしまったのか。もちろんこういう仕事をしているので5類だろうが酷暑だろうが
水頭症の手術から2週間近くがたつ。手術によってオヤジはどうなったのか?少しでもよくなったのか?気になるところだが全然わからない。だって、ぜんぜん面会できていないからだ。術後すぐに「病棟でコロナがでました。面会は完全禁止です」となり、私はただ
オヤジが手術を受けることに決めたはいいが、さあ、大変だ。なにしろ手術は「明後日です」ときたもんだ。「ご家族さん、明日と明後日は病院に詰めてください」2日間、体をあけなくてはいけない!申し訳ないけど仕事は休む。母はデイサービス・ヘルパーさん・
脳梗塞で入院したら、なんと水頭症が発覚したオヤジ。根性なしのオヤジがリハビリをするとは思えなかったため「手術は受けない」と決めたのだが…。●オヤジの決意担当医と話した翌日。私は仕事でイベントに出席していたが、自分の講演だけ終わらせるとそのま
●手術をするかどうか「さて本題ですが」病院食をさんざんディスったあと、担当医はMRIの画像を見せながら話を切り替えた。「お父さんの脳の隙間、異常に大きいんですよ。これ水痘症ですね」・・・あ。水痘症。「脳に髄液がたまる水痘症で、失禁、歩行障害
オヤジが脳梗塞を発症して約1ヶ月がたつ。入院先の病院からは何の連絡もなくちょっとやきもきしていたところ、入院3週間でようやく進展があった。長いので分けて投稿していく。病院の待ち時間にポメラで書いて投稿しているため読みにくかったらすみません。
脳梗塞で入院したオヤジ。面会は午後2時~4時の2時間だけと制限されているから、仕事のある日は行けないが、休日には顔を見ることができる。いつもベッドで横になっていて、体位変換用のクッションが当てられ、自力で起き上がることもできないのは見てとれ
退院してきたオヤジがある日突然、覚醒し、しゃべり始めたのは1月半ばのことだった。あう、うう、とうなるばかりで言葉がでてこなかったのに、ある朝「今夜はハリーポッターを見よう」とか言うんだから驚いた。いつも喋れるわけではないし、すらすらとはいか
オヤジがそこらへんにオシッコをまき散らすようになり「話が違うー!無理ー!」とケアマネさんに泣きついたその夜。オヤジはまた転倒をした。ケガはなかったが、とっさに縋った手すりが壊れるありさまだった。そのあと、私はまじめに話てきかせた。周囲からは
退院に際し、病院からの報告では「柔らかいものしか食べられない」「ほぼ歩けない」「活力、気力の低下がみられる」と言われていたオヤジ。退院してからの3日間で・・・大方の予想どおり、めちゃくちゃ元気になっていった。だって、家には孫たちがいるんだも
病院からは「もう少し入院されたほうが」「このまま施設入所はどうか」とすすめられたが、ぜんぶ断って帰宅した。理由は、孫に会わせてやりたかったから。小学4年生の龍と、高校生になった梅(もう一人の椿は今回来日しなかった)。オーストラリアで暮らす孫
前回の記事からまた数か月あいてしまった。現在、オヤジは退院して両親ともに在宅介護となった。相変わらずいろんなことがある。相変わらずバタバタしている。気が向いたときに少しずつ書いていこうと思う。------------------------