令和5年6月1日(木)休養します。雑用が多くなり、心身の疲弊のためブログを暫く休養させていただきます。皆様の楽しいブログと交流出来ないのが、残念です。遊民ヤギ爺より。暫く、休養します。
俳句と映画のゆうゆう散歩
暫く休養後、久し振りブログに戻って来ました。何だか浦島太郎の気分です。 亦、宜しくご指導願います。
令和4年9月30日(金)九月尽:九月晦日(つごもり)九月の終りの日のこと。元来は、陰暦の九月の晦日のことである。静かな思いの中に、秋の終りを惜しむ景物の季語として存在した。陽暦では、この時期を当てはめると11月初旬にあたり、現在の九月尽にはこの情感はほど遠いようである。したがって、単純に九月が終わったという気持ちを詠むこととして扱われている。古くから「三月尽」と「九月尽」とが並べて用いられて来たのは、春と秋とは色々心に沁む景物が多く、それらを惜しむ気持ちの表れであろう。それ故ただ漫然と、どの月にも「何月尽」として用いることはおかしいと云われる。「尽」という字は、尽す、尽きる、極まる、なくなる、出し切る等から「晦日」(つごもり)、月の終りとなる。日の出(5時50分頃、)マンションの外壁工事が8月初旬から始ま...九月尽
令和4年9月29日(木)虫の声:虫の音秋に鳴く虫を総称して「虫」という。平安時代の殿上人に始まる「虫の声を愛でる」雅びな習わしは、平安貴族たちが虫の音を求め各地の虫の名所を訪れ声を聴き分け、また持ち寄って鳴き声を競いあったようである。鳴く虫を題材にした「歌合せ」も盛んに行われ、この日本独特の文化を育んで来た。きりぎりす、ギースイッチョン、)(邯鄲、ルールールー、)江戸時代には一般庶民の間に広まった。「虫売り」が虫籠にいれた鳴く虫を売り歩き、庶民が買い求めた。(閻魔コオロギ、リーコロコロ、、)虫の音はいずれも雄である。それぞれに風情があり、鳴いている場所、時やその数に依って趣も違う。その声を聞くと秋の淋しさが身に迫って感じられる。この時期になると必ずテレビやラジオから流れ来る、童謡「虫の声」に、「ああ、秋だ...虫の声
令和4年9月28日(水)岡山の葡萄葡萄は蔓をもち巻きひげによって絡まる、ブドウ科落葉低木。棚を作り栽培される。一房に30~100粒程の実が付く。原産地はアジア西部からヨーロッパ南部の地で、中国へは漢代に張騫(ちょうけん)が西域からもたらしたと云われる。唐の時代、長安では既に葡萄酒が飲まれていたという。日本では「柴葛」(えびかずら)や、山葡萄の奬(しょう、果汁を醗酵させたもの)が早くから薬用として飲まれていた事が仏典に記されている。葡萄酒の伝来は、南蛮船により「チンタ」(ポルトガルの葡萄酒)が最初であった。葡萄の表記はギリシャ語「botrus」を中国語で音訳されたものといわれている。寛永13年(1636年)の俳諧作法書「はなひ草」の中に「ぶだう」と在り、正保2年(1645年)の「毛吹草」には「葡萄」とある。...葡萄
令和4年9月27日(火)潮路句会8月例会より、日時:令和4年8月22日(土)場所:大手コミュニテイセンター参加者:7名、欠席2名兼題:踊り、閻魔8月は、会場(大手コミュニテイセンター)が盆休閉館中1週間遅れの8月22日に開催した。会場は閑散とし、この館を使用するのは句会のみである。参加者も7名、2名欠席。それでも猛暑の中、句会のメンバーは意気揚々、、、、。暑さ、コロナなど何のそのである。兼題の踊り、盆踊りは各地で再開されてをり何処も満員盛況の様子がテレビに写し出されていた。我が町内は慎重居士の方が多く、祭り・盆踊り全て中止であったが、、、、、。目札の眼が誘ひ込む踊りの輪玲子潮路抄水引草のてんでに撥ねて紅こぼす玲子閻魔堂出でれば肩の力抜け美保子病み伏せば古里遠き秋思かな魚青三とせぶり人の溢れる盆踊り輝子足竦...潮路句会例会
令和4年9月26日(月)稲刈り:田刈実った稲を刈り取る作業。早場米は7月頃に刈り取るが、普通は9~10月頃がピーク古くは鎌を使って手狩りしていたが、昭和の後期頃から機械化が進み、これほどに変化した農作業は他にはない。コンバインの出現により、刈取りと脱穀が一台で田圃を移動して、収穫・脱穀・選別・乾燥を同時に行ってしまう。その後の稲藁も細かく切って田に撒いてしまうので、昔ながらの鎌で刈って稲架(ハザ)にかけて乾す作業は少ない。米の味は稲架掛けして乾したものの方が旨いと云われるが。山間地や車田、小さな田などにはコンバインが入れないので手押しの稲刈り機や鎌で刈り取り、稲架掛けをする農家も今も残っている。亦、昔に比べ稲刈りの時期が早くなっているが、最近は苗床にビニールを張ったり、機械上の苗は箱の中で栽培するので保温...稲刈り
令和4年9月25日(日)草虱:薮虱セリ科の越年草で、原野・路傍に多く自生する。葉は人参型で、表面に光沢のない2回羽状複葉は厚みがある。茎は30~70cmで直立、分枝し茎の頂に複数の花序が付く。5~7月頃に5弁の白い花が咲き、花弁は内側に曲がる。花の元に、長楕円形の実が付く.果皮にカギ状の硬い毛が密生する。これが衣服につくと中々取ることができない。これを「しらみ」に喩えた。若い実(1ヵ月ほど)は、漢方の薬用となる。実の方が目立つので、「秋の季語」となった。俳人の富安風生さんは、愛知県八名郡金沢村(現、豊川市一宮町)のご出身で、彼が生家に立ち寄った折に秋草の生える道端を歩いている時に、「草虱」がズボンに付いてなかなか取れなかった。子供の頃にそんな経験があり、「これが故郷なんだな、」という想いふける、、、、、。...草しらみ
令和4年9月24(土)秋黴雨:あきついり、秋霖秋といえば、秋晴れ、秋日和等と素晴らしい好天を想う。然し今年の様に、むしろ天気が悪く雨天が多い様である。毎年9月中旬から10月中ば頃までは、「秋の長雨」といわれる一種の雨季に入る。(台風シーズンでもある)秋雨はどこかうそ寒く沈み、浮き立たないようだ。この「秋黴雨」や「秋霖」は、一層淋しい語感を含んでいる言葉。蕭条(しょうじょう)と降る雨は冷たく寂しい雨。細かく、時には梅雨のように降る雨をいう。この「秋黴雨」という季語は芭蕉の発句には見当たらず、芭蕉の没後に用いられ始め、次第に広まっていった様である。ここ2週連続、3連休を直撃するように台風が発生して、連休を利用して旅行に出かけようとする「行楽」の足を止めてしまった。今回の台風(15号)は大型ではないが、大雨が東...秋黴雨
令和4年9月23日(金)秋分の日二十四節気の一つで、現在では9月23日頃にあたる。太陽が秋分点に達し、春分と同じく昼夜の長さがほぼ等しくなる日である。秋の彼岸の中日で、この頃は秋の爽やかな日和が似合う。以前は「秋季皇霊祭」という祭日であったが、昭和23年(1948年)に「秋分の日」として、国民の祝日に定められた。祖先を敬い、亡くなった人を偲ぶ日となって居り、家族連れが先祖の墓に花を手向ける姿が彼方此方に見られる日。今年は雨が多い。秋日和はどこへやら、朝から土砂降りの秋分の日である。熱帯低気圧が、勢力ギリギリの1000ヘクトパスカルの台風15号となった。大型ではないが東海地方には「大雨洪水警報」が各地に発令された。愛知県の東部や三重県南部には「竜巻注意情報」も出た。カミさん買い物に出かけられず不満げである。...秋分の日
令和4年9月22日(木)鳥兜:とりかぶと今日9月22日は「社日」(しゃにち)、雑節の一つ。秋分(亦は春分)に最も近い戊(つちのえ)の日を社日という。春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその収穫に感謝をする日である。各地で収穫祭などが行われる。鳥兜は、中国原産のキンポウゲ科トリカブト属の総称。日本には約30種類が自生している多年草である。山中などの沢に近い湿気の多い場所に自生する。名前の由来は、鶏冠(トサカ、鶏の頭部にある肉質冠状の突起)に似て、烏帽子、鳥兜等という名がついた。トリカブトの塊根を乾燥させたものは漢方薬として用いられる。球根の周りに付いている「附子」(ふす)という部分は非常に致死性の高い強力な毒を持っている。全草にも毒性のある「アコニチン」という物質を含み採取時期や、全草の部分により毒性...トリカブト
令和4年9月21日(水)螻蛄鳴く:おけら鳴く螻蛄(けら)はバッタ目ケラ科の昆虫。全身は褐色で金色に近い、短い毛がビロードのように密生する。オケラは3cm位の弑さな泥のような色をした、コオロギに似た昆虫で、泥溝などを這いずり廻って土砂を掘ったりする。夜になるとジーッと沈んだ重い声でなく。(音を出している)オケラの雌も幽かに音をだす。季語に「蚯蚓」ミミズ鳴く(秋)があるが、蚯蚓は鳴かない。螻蛄の前胸は卵形に膨れ硬化した前肢は幅広く、脛節に突起が在り、この前肢で土を書分け土中を掘り進む。草原や田畑の土中に巣穴を掘り、その中で棲む。水を含んだ湿地に多く見られる。水分が足りなくなると一晩で死ぬといわれている。螻蛄は雑食性で、植物の種子や他の昆虫、ミミズ等を捕食。天敵は、鳥類(殊にムクドリの好物)、イタチ、狸、もぐら...おけら鳴く
令和4年9月20日(火)芒:薄、萱イネ科の大型多年草。日当たりの良い山野至る所に自生する。屋根を葺くのに使用したため萱(カヤ)ともいう。秋、稈頭(かんとう)に中軸から多数の枝を広げ、黄褐色か紫褐色の花穂を出す。花穂の長さは15~40cm位で,尾花と呼ばれる秋の七草の一つである。山野に一叢或いは野原状に群生する。細長い葉は刃のように鋭くて指が切れる程である。風が吹くと一斉に靡く→枯尾花(獣の尾に似るので尾花)「万葉集」八巻に、山上憶良が秋の七草の一つとして、「秋の野に咲きたる花を、指折りかき数ふれば七草の花」と詠んでいる。尾花は黄褐色・紫褐色から色褪せて、終いには白色となる。秋風になびく薄の景色には日本画的な独特の淋しさの風情があるとされる。秋、月見には団子と伴に欠かせないのは「すすき」である。古来よくいわ...芒:すすき
令和4年9月19日(月)敬老の日:年寄の日1966年(昭和41年)9月15日を国民の祝日の一つ、,「敬老の日」に制定した。「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。老人福祉の充実と敬老精神の啓発のため、それに伴う各種行事が催される。元は「年寄の日」として、1951年(昭和26年)に生まれた。2001年(平成13年)の祝日改正法(いわゆるハッピー・マンデイ制度の実施)に依り、2003年(平成15年)から、9月の第3日曜日となった。敬老の日に政府から100歳以上のお年寄りに、毎年銀杯が贈られて来たが、2015年(平成27年)に経費節約のために、純銀から銀メッキに変更する事になった。因みにこの年の100歳以上の高齢者は3万人余で在った。2,7億円の予算が1,5億円となり、1...敬老の日
令和4年9月18日(日)夜食:夜食喰ふ大正時代以前には、陰暦8月1日の「八朔」や秋彼岸の頃から「夜なべ」(夜、鍋をかけながら仕事をする事)が始まった。夜なべは夜業であり男は主に藁仕事、女は糸紡ぎや繕いなどをしたとある。若者等は「夜なべ小屋」に集まって集団で行動した。この夜なべの後で食べたのが「夜食」の始まりのよう。雑炊やうどん等を食べた様である。母さんのうた(よく流行ったなー、)今では夜なべは廃れて夜食も減り、代わりに学生達が受験勉強で深夜まで机に向い、親達が子のために夜食を作り、部屋へ運んでいる。夜間に食べる軽食の意味合いとなっている。卵雑炊などを、また以前は残業するのが当たり前の時代で在った。私も現役の頃には、毎晩のように残業をし、夜8時を過ぎると夜食を取り、出前などの残業飯が用意された。2時間程で切...夜食
令和4年9月17日(土)杜鵑草:ほととぎす、油点草ユリ科の多年草、山地の半日陰や湿り気の多い地に生える。山地の崖っぷちや林の中などにも自生している。茎は直立し、長さ60~90cm程になる。葉は互生し、笹の葉に似て先が少し曲がっている。9~10月頃、夫々の葉の基部に花が1~3個つく。…中国の漢名では「油点草」という。学名の「Tricyrtis」(トルキルテイス)は、花の外花被の基部が3枚在り、「treis」は数の3を表す。また「kyrtis」は曲がるという意味からこの学名がついた。「杜鵑」の名は、花被片に薄紫色の斑点があり、それが鳥の「時鳥」の胸に在る斑点に似通る事から付いたとされる。本州の九州から東北、北海道の西南部に分布し、沼や池の畔等の陰湿な地に自生している。近頃は家庭などにも植えられるが、乾燥に弱い...杜鵑草
令和4年9月16日(金)露草:蛍草ツユクサ科の一年草、青くさく小さな一日草。茎は30cm以上になるが、柔かい茎は地を横に這い節から斜上し白い根を出す。葉は長卵形で互生する。2枚の緑色の苞葉の間から青色の小さな花を開く。花は月光を浴びて咲くので「月草」、蛍の光を思わせる「蛍草」などと風雅な異名が在る。露に濡れ倒れ伏して、しとどに咲いている姿はとても美しい。昔から愛される草花で、古くはこの「月草」の名前で着物を染めた色が水に流れることから、「友禅染」の下絵描きに使用されている。日本各地の路傍、川端、荒れ地等どこにでも咲いている。若葉は食用にもなるようだ。亦、これを乾燥させて利尿剤としても利用される。昨日、公園の草取りの最中に青い小さな露草を見つけた。春先と違い、雑草の中に花は中々見あたらないがこれを見つけると...蛍草
令和4年9月15日(木)公園の草取り町内に在る公園の草取りを再開。真夏の8月は、熱中症予防のため毎月一度の草取りは中止。この時節、炎天と雨天が交互に続き、雑草たちは我が意を得たりと、確り根付いて伸び放題で膝上まである雑草たちは中々手強い、簡単にあ抜けない。町内公園愛護会(OB会)と町内組長等の有志ボランテア早朝から、悪戦苦闘である。高齢化等で参加者も少なく、草刈器の使用は役所の講習会に出て、許可証が必要(令和2年から)との事。3年前迄は許可申請の必要はなかった。事故多発のと仰るが、他の地域では役所から、草刈り機貸し出しを行っている所もある。我が町は講習会が年一回(4月~6月)今期は終了しましたとの返答。一番雑草が繁茂する季節に使えない。私の役員の頃には、草刈り機を会社から借り使用。草刈り機使用中待機し、後...コウロギを見つけた
令和4年9月14日(水)萩の花:枝垂れ萩秋の七草の一つで、マメ科ハギ属の落葉低木北アメリカ、東アジアに分布するが、花の美しいのは東アジアに分布する種類だという。叢生して枝を分かち、総状花序に淡紅や白色の小さな花を付けるが、楚々として可憐で美しく、細い枝ごとしなやかに揺れさせる様や、仲秋に散り零れる様は、昔から多くの人々に愛されてきた。殊に東北地方に多い「宮城野萩」は、枝が地に垂れる程長く、花弁も他の花より大きく、その枝垂れ咲く様は人を引き付け厭かせない。宮城野萩は開花時期も早く、夏萩とも呼ばれている。晩秋に花が終わる頃になると、自在に伸びた枝を切り取る作業を「括り萩」という。萩の語源は、古株から新芽を出すので「生え萩」(はえぎ)と呼ばれたことに基づくと云われている。愛知県稲沢市矢合に在る「圓光寺」は萩寺と...萩の花
令和4年9月13日(火)栗ご飯:栗強飯(くりおこわ)栗はほぼ日本全国の産地に自生する、ブナ科の落葉高木外側に棘が密生する毬(いが)の中に実が育ち、成熟して毬の裂け目から実がこぼれる。栽培されるものも在り、焼いたり茹でたりして中の胚乳の部分を食べる。外皮や渋皮を剥き、栗ご飯等の料理や菓子の原料となる。栗ご飯新栗の殻や渋皮を取り、塩などを加え炊き込んだご飯。茹でた栗を焚き上がる寸前に加える方法もある。栗ご飯には小粒の栗の方が美味しく出来ると云われる。また、中華風ちまきのように国外産の栗を混ぜた糯米を蒸して作るものは「栗蒸しご飯」という。栗ご飯に使用する日本国内産の栗は表皮が厚く、中の渋皮が非常に取り辛いため、この皮を剝く作業は相当手間がかかるので、外食産業ではあまり見かけられず、栗ご飯は家庭料理といえるようだ...栗ご飯
令和4年9月12日(月)司召って何?:秋の季語宮史には中央政府の役人である京宮と、地方の役人である外宮とが在った(平安中期以降)この宮史を任命する事を「徐目」といった。毎年秋にこれが行われたんで「秋の徐目」といわれた。「如」は新旧交代の意味で、「目」は目録のことをいい要目、要点を箇条書きにした文書の意味である。皇居認証式、先日亡くなられたエリザベス女王最後のお仕事、英新首相の任命、春の徐目は「県召」といい、地方宮の任命のこと。秋の徐目は「司召」といい、中央諸官吏のことをいった。この「召」とは朝廷に召し出すこと、今でいう「補任」で、宮に任ずることをいう。よく判らない季語である。俳人夏井いつきさんの著書「絶滅寸前季語辞典」に「司召し」が載っていたので紹介したい。【司召、秋の徐目のこと。宮職への補任の意。春の徐...司召?
令和4年9月11日(日)中秋の名月:芋名月昨日(9月10日)は中秋の名月、満月が重なった。名月は見られた?陰暦の8月15日、昨日9月10日は中秋の名月を賞でる行事で、中国から伝わってきたものだが日本ではそれ以前から、月は暦として生活に大きく関わって居り、「十五夜」は農耕上の重要な折り目となっていた。農耕の拘わりを示すものとして、芋や枝豆等を供える事とし、中秋の9月0日は芋を供える「芋名月」ともいわれている。銘菓芋名月、後の月と云われる陰暦9月13日(10月15日)は「豆名月」ともいう。中秋の名月は年中でこの月が最も澄んで美しいとされる。その一つは季節が佳く、秋草や虫の音、夜露や涼風などの風物の佇まいが一層月を明澄にするようである。この名月がかかる夜を「良夜」という。港の上空、少し雲が、、、直ぐに晴れて、ま...中秋の名月
令和4年9月10日(土)めはじき:益母草(やくもさう)シソ科の二年草、草地や路傍に自生する。アジア原産(アジア広域)、日本の本州、四国、九州に自生。夏の終わる頃から初秋にかけ、葉腋に薄紅色の唇型の花が葉の付け根に数輪ずつ段状になって咲く。花先は上下二つに裂け、下の部分は更に3つに裂けている。花の内部は濃い紅紫色となる。茎の断面は四角で、断面は産毛がある。上部にある葉は細長く、下部(枢生葉)の葉は3つに裂けてヨモギの葉に似ている。メハジキは花の後、黒いくさび形の実を4個付ける。花を付けた全草は、「益母草」(やくもそう)とも云われて古くから、婦人病の薬草として産前産後の、女性の血止め、補精薬となった。他には利尿剤、眼病、眩暈などにも効能がある。「メハジキ」の名前の由来は、この草の茎を短く切り瞼の上下を開け「つ...めはじき
令和4年9月9日(金)重陽:菊の節供陰暦の九月九日の節供のこと。元は中国の行事九は陽数で、九を重ねることから「重陽」「重九」という。中国では祖先の墓を訪れ綺麗にし、捧げものを供え一族が揃い霊を敬い、邪気を祓い、長寿を願い菊華を飾る。菊の花びらを浮かべた「菊酒」を酌み交わし長寿を願う。日本では平安時代に中国から伝わり、宮中行事として貴族の間だけで行われていた。江戸時代に武家社会の祝事として行われ、やがて庶民の間にも伝わり、長寿を祝う儀式として広まっていった。日本では、一月一日(元旦)、三月三日(雛祭り)、五月五日(端午の節供)、七月七日(七夕)に九月九日を加え「五節句」として祝う。古くは菊の節供(九月九日)は大変盛んであったが、明治以降は急速に廃れ、現在では地方の一部農村の行事として其の名を留めている。東北...重陽
令和4年9月8日(木)令和4年9月8日(木)白露二十四節気の一つで、太陽の黄経が165度の時。秋分の15日前の今日9月8日が「白露」にあたる。この頃から秋気がようやく加わる。「暦便覧」には、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と説明している。(露が降り、白く輝くように見える頃)日中はまだ残暑が残るが、朝晩はめっきり涼しくなり朝露が降り始めるようになる頃である。日本の文化に関わる中国伝来の「五行説」には、「秋は白とされ、秋のことを「白秋」ともいうと記述。亦、露の美しさは花や宝石に喩えられ「露華」「露珠」「玉露」等といわれる。「月の雫」という詞は、露の異称であるという。このように「露」の表現には美しい詞が用いられている。今朝は、毎週一度行われる「分別ゴミの回収日」「回収可能な紙」「ビン、缶の分別」...白露
令和4年9月7日(水)破芭蕉芭蕉は、バショウ科の大形多年草で中国原産。湿地を好み、地下の塊状の根茎から多数の葉の柄の部分が固まって茎のように立ち上がる。葉は葉脈が多数平行に走り、破れ易い。秋になり風や雨で、芭蕉の瑞々しく大きな葉が裂けて破れた芭蕉のことを「破芭蕉」(やればしょう)という。古文の仮名遣いでは「ばせう」とも「ばせを」とも書かれるが、「古今集」の巻十に「いささめに(かりそめの意)時待つ間にぞ日は経ぬる心ばせをば人にみえつつ」紀乳母と詠まれている。俳人の松尾芭蕉が俳号を「桃青」と名乗って居た頃に、住まいを日本橋から深川へ移し、小さな庵を作った。門人の李下が、庵に芭蕉の木を植えてくれた。桃青はこの芭蕉の木を大層気に入り、この庵を「芭蕉庵」と名づける。やがて自ら俳号を「芭蕉」と名乗った。芭蕉の故郷、伊...破芭蕉
令和4年9月6日(火)落花生:ピーナッツ、南京豆マメ科の一年草、南米の中央高原の原産江戸時代の初期にアメリカから伝わったとあるが、本格的には、18世紀初め中国から渡来した。一般的には「南京豆」「ピーナツ」とも呼ばれる。夏の終わり頃、葉腋に黄色で蝶形の花を付ける。花が終わると、地中へ子房が伸びてその先に莢が出来る。初秋に莢の中に実を結ぶ。これを堀り上げ煎って食べる。落花生は蛋白質や脂肪を多く含む、栄養価の高い食物。取立ての柔らかい豆を塩茹でにしたものは美味しい。以前(歯の丈夫な頃)は、莢如炒った落花生や、バターピーナツをよく食べていた。バターピーナツコーヒー・ピーナツ、豆板、ピーナツ味噌、他にチョコや砂糖に包んだもの、ピーナツせんべい、落花生を飴で包んだ豆板等々。どれも食べ始めると止められない止まらない、、...落花生
令和4年9月5日(月)秋桜:コスモスキク科コスモス属の一年草、メキシコ原産草丈2m程になり、葉はいくつもの羽状に裂ける。頭花は6~10cmほどで、花の周囲の乱状花は白から淡紅色、濃紅色。中央の筒状花は黄色である。葯(ヤク、雄蕊の先にあり中に花粉を生じるムクロ)は、黄褐色をしている。通常は、乱状花は8枚。秋(9~10月)に桃色、白、赤等の花を咲かせるが、(6月頃に咲く早生の品種も在る。)花は本来は一重だが、八重や乱状花の丸まったものも在る。日本へは1879年(明治19年)に渡来した。観賞用として栽培され、日当たりと水捌けが良ければ痩せた土地でもよく生育する。広く栽培され、種が飛んで路傍や川原一面に咲き乱れる。近来、観光用として多く栽培される。河原、休耕田、スキー場等を利用して植えられ観光客の誘致に一役かって...コスモス
令和4年9月4日(日)串の日今日9月4日は、語呂合わせの9月(ク)と4日(シ)で串の日です。香川県三市に本社を置く、冷凍食品の製造販売を手掛ける株式会社「味のちぬや」が、イベントの祭りや運動会等で何処でも気軽に片手で食べられる「串物」をもっと食べて貰いたいとの願いを込め制定した。後に、記念日として、「一般社団法人・日本記念協会」により認定・登録された。2010年には、大阪府の新世界100周年実行委員会が「串の日」を制定した。串カツが大正末期から昭和にかけて、大阪や神戸周辺の大衆的な立ち飲み屋台で出されたのが「串カツ」の発祥とされる。団子や串料理等は具材が一口サイズで、箸を使わず気軽に食べられる事から、一躍ポピュラーな食べ物となった。我が家でも串物はシーズンを問わず、頻繁に食べられている食材である。みたらし...串の日
令和4年9月3日(土)彼岸花:曼殊沙華、死人花ヒガンバナ科の多年草。中国原産で日本では帰化植物畑の傍らや墓地等、人里に近い所に群生する。彼岸の頃に地下の鱗茎から、30~50cm程の花茎を伸ばし、赤い炎のような花を幾つも輪状に開く。花被は6片で外側に反り、雄蕊・雌蕊は長く突き出す。花後は細い線状の葉が出て翌年の春には枯れる。鱗茎は多くの澱粉を含むが有毒だが「石蒜」(せきさん)といい、薬用、糊料とする。毎年秋に時を違えず土手や畔、薮等に一斉に群れ咲く。小学校のフェンス沿いに、今年も咲いたこの花は墓地などに咲くので「死人花」「幽霊花」等と地方により、様々な呼び名が在る。カミソリバナ、トウロウバナ、捨て子花、天蓋花、狐花等がある。彼岸花の名は、秋彼岸の頃に突然茎を伸ばし真っ赤な花が開くことから由来するという。他に...彼岸花
令和4年9月2日(金)甘庶:さとうきびイネ科の多年草、原産はインドと云われるが現在はインドブラジル、キューバ、パキスタン、メキシコ、中国等と全世界の熱帯で広く栽培されている。日本へは17世紀に中国から渡来、現在は沖縄が主な生産地であるがそれは需要の一割にも満たず、大半を輸入に依存している。日本での他の生産地は鹿児島県と、四国の4県に集中。只、静岡県の遠州横須賀の地域では江戸時代に藩の役人が四国を訪れた際、砂糖黍の栽培を見聞し、地元に帰り藩の産物とし、以来栽培を続け今では年間20tを栽培する。甘庶は大型の花序を付けるが、自家不稔のため茎を切って植付け、節から発芽・発根させる栽培法を行っている。草丈3~4m程の茎から汁を絞って砂糖を精製する。葉はトウモロコシのように幅広の線形をしている。「サトウキビ」の日本語...甘庶
令和4年9月1日(木)二百十日立春から数えて二百十日目で、今日(9月1日)がその日。ちょうど稲の開花期で、台風の襲来し易い頃にあたる。農家ではこの日を「忌日」として警戒をするという。今年も案の定、今年も超大型の台風11号が沖縄方面に停滞し、Uターンして九州方面へ北上する気配を見せている。稲の花稲の花は二百十日の頃が開花時期の様で、農家が気に止む時。稲には早稲(ワセ)中稲(ナカテ)晩稲(オクテ)と在り、その開花期はマチマチだが、一般的に二百十日といわれる。早稲種は北海道や東北等の高緯度で日照時間が長く、気温が上がり難い地域で栽培し、九州等の比較的低緯度で夏の日照時間があまり長くない、気温の高い地域では晩稲種を栽培。稲は、イネ科イネ属の植物で収穫後は「米」と呼ばれる。トウモロコシ、小麦と共に世界の三大穀物の一...二百十日
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令和5年6月1日(木)休養します。雑用が多くなり、心身の疲弊のためブログを暫く休養させていただきます。皆様の楽しいブログと交流出来ないのが、残念です。遊民ヤギ爺より。暫く、休養します。
令和5年5月30日(火)紫陽花:あぢさい、七変化、四葩(よひら)ユキノシタ科の落葉低木、高さ1.5m~2m日本原産で江戸時代に来日したシーボルトによって西洋に紹介された。平たく清楚な額紫陽花の改良種とされる。葉は広卵形で対生する。初夏に球状の集散花序に4枚の萼片だけが発達した装飾花を多数つける。咲き始めの頃は白色で、次第に色が変化していく。色は青から赤紫色へ変化するところから「七変化」という。また「四葩」(よひら)と呼ばれる。四葩の名は、花びらのように見える四枚の萼の中心から細かい粒のような花をつけることからといわれる。花びらと思う部分が萼、蕊とと思っている部分が花である。「あぢさい」の由来は、「あぢ」は集まるの意の動詞で、「さい」は藍色のことで、藍色が集まるという意味からこの名前が在るとされる。花の色は...紫陽花
令和5年5月29日(月)合歓の花:ねぶの花マメ科の落葉高木、高さ10mにも達する。山中や川原などに自生。里近くの河原などでも見かける。葉は細かい羽状複葉で、小葉は10~20対生する。葉は夜間閉じて垂れ下がり、眠るように見えることからこの名前がある。漢字名のネムノキ「合歓木」((ごうかんと呼ぶ)は、中国に於いてネムノキが夫婦円満の象徴とされる事からと云われる。6~7月頃、雄蕊の長い花を咲かせるが「紅刷毛」に似てとても美しい。枝先に10~20個の花が集まって咲く。莢は篇長楕円形で、樹皮は打撲傷に効能があり、精神安定・不眠解消にも効能があると言われる。また害虫の駆除にも用いられている。木材は胴丸火鉢や木工、下駄の歯などに使用されている。今日5月29日、気象庁は本州の東海地方迄の地域が梅雨入りをしたと宣言した。朝...合歓の花
令和5年5月28日(日)おうちご飯カミさん達が集う「てとてとの会」が毎週3回(火、水、木)ランチサービスを開いている。名古屋港近隣に住むカミさんらのグループ「てとてと」では毎週一回クラフト教室の場で、人形や小物入れ等を作っている。他のグループも様々(古い着物を洋服に仕立て直す)在る様子。これらとは別に古民家を所有されるカミさんが、ご近所に住む独り居の方、中小企業にお勤めの方等向けの古民家カフェを開いてる。当初は一人暮らしの方に昼食を提供、相談事・話相手になっていたのが、誰もが自由に出入りできる交流の場となり、「古民家カフェ」となった。名古屋港に近い住宅地の路地裏に在る普通の古民家で、判り辛い場所、口コミで来られる方以外は、殆どがご近所の顔見知りばかりである。普通の家の玄関に入ると、正面に12畳位の部屋に8...おうちご飯
令和5年5月27日(土)梯梧の花:海紅豆インド原産のマメ科の落葉高木で、高さ10~15m。樹皮は白色を帯び、枝には太い棘がある。初夏、赤色の5~8cmの大きな蝶形の花を多数、密に総状花序につけ、美しく輝く。最盛期には、木全体が赤く見えるほどになる。沖縄県の県花で、九州から本州中部の暖地に咲く。別名の「海紅豆」はアメリカ梯梧ともいい、ブラジル原産。名古屋港の埠頭公園には、例年より早く真っ赤な梯梧の花が見頃を迎えている。埠頭公園の散策コース(北側駐車場から岸壁まで)の散策路沿いに真っ赤な蝶が樹木に叢るように見える。この公園は草花はなく、ユーカリ、ハンノキ、鈴懸などが青々と茂る中、ひと際目立つ紅の色、、、、、。冬場になると植栽の手入れをされる方達が、枝葉を落とし梯梧は裸木となる。それぞれの枝ぶりが違い、まるでポ...梯梧の花
令和5年5月26日(金)日向水桶や盥(たらい)に水を入れて日中、日向に出して置いて温まった水のこと。洗濯にも使うが、一日の務めや畑仕事等から帰った人たちの汗にまみれた身体を拭くのに適した温度になっている。ひと昔前には、少しお湯を足して行水にも使った。その後、自動で操作出来る「太陽温水器」が発達し、一軒家の屋根の上に設置されたのをよく見かけた。この太陽温水器はよく工夫が凝らされて居り、夏場には可成熱い湯が使え、風呂や炊事、洗濯等に使用されていた。最近ではこれに代わり、「ソーラパネル」を日当たりの良い場所に設置する自家発電装置が普及し始めている。太陽光熱をエネルギー源として、冷暖房・給湯・給電などに利用するシステムである。最初に設置費用はかかるが、数年すれば基が取れ、その後は電気代が節約出来るそうだ。当初、日...日向水
令和5年5月25日(木)玉簾の花:玉すだれヒガンバナ科の多年草。南米ペルー原産で日本へは、明治時代の初期に渡来した。葉は細長く30cm程の濃緑色をしている。夏に高さ30cm程の花茎を出し、その先端に六弁の純白の花を上向きに一つ開く。観賞用草花として庭園に栽培され、地下に鱗茎を付ける。日中に開花して、夜になると閉じる。玉簾の名は、白い小さな花を「玉」、叢生する葉を「簾」に見立てて「玉簾」と名付けられた。別名の「レイン・リリー」(雨百合)がある。まとまった雨の後に一斉に花茎を伸ばし開花することに由来する。葉は細長く濃緑色の棒状で、土の中から直接葉が出る。夏に一本の花茎に対して、花は一つだけ開花する。この花の仲間に桃色の花の咲く「サフランモドキ」が在る。また、「玉すだれ」の名で神戸売られる乾菓子が在るという。粉...玉すだれ
令和5年5月24日(水)未央柳:ビヨウヤナギ、美容柳中国原産、オダギリソウ科の半落葉広葉樹の小低木。日本へは凡そ300年前に渡来した。中国では「金糸桃」と呼ばれている。葉は対生し長楕円形で、一見柳の葉に似る。葉は冬の間でも落葉せずに残り、新葉が出ると同時に古い葉が落ちる。夏、茎頂に大型(5cm程)五弁の深緑色の花を数個開く。よく枝分かれして株立ち状になる。長く伸びた多数の雄蕊は金糸のように美しく、梅雨時に咲く花は人気がある。古くから庭木や公園樹として植えられ、花材としてよく用いられている。花弁はくさび形で、特に長い雄蕊が多数付きよく目立ち、雄蕊の基部は五つの束になっている。果実は円錐形で先端に萼片を残す。今年も地下鉄名古屋港駅前大通りにある花壇に未央柳の黄色の花が咲いていた。五弁の花の中央には、金色に輝く...未央柳
令和5年5月23日(火)未だ五月なぜ暑い夏が暑いのは、昔も今も変わりのないところで「暑さ」は三夏の季語となっているが、暑さを殊に覚えるのは梅雨が明けてからである。ところが、爽やかな五月のはずが暑い、、、、、。中日新聞朝刊より、二十二日、名古屋市や岐阜市などで30度を超える真夏日となった。十七日には岐阜県揖斐川町で35.1度、三重県松阪市で34.5度に達した。共に五月の観測史上で最高記録となった。梅雨入り前、なぜこれほど季節外れの暑さが続くのか、、或る気象学者は「地球温暖化の影響で偏西風の流れが蛇行し、日本列島の北方上では高気圧が押し上がり、偏西風が滞り暖気が居座り暑さが押し寄せた。南の暖気と北の寒気の堺目を吹き流れる偏西風は、暖気と寒気の温度差が大きいとまっすぐに流れるが、最近地球温暖化が進み、北方の寒気...地球温暖化
令和5年5月22日(月)フクシア:ツリウキソウアカバナ科フクシア属の植物、原産地は熱帯アメリカ。部メキシコ、中央アメリカ、アンデス山脈、ブラジル南東などの海岸、山地などに自生する。高さ1m以下で、葉はやや厚く夏に葉腋から長柄を出して、花は下垂して咲く。花の色は白、桃、紅紫など、八重のものも在る。名古屋の東山動植物園では、温室栽培される「フクシア」が見ごろを迎へその花の色、形は多種多様で40種ある。今朝(5月22日)の中日新聞に、「フクシア」の記事が掲載されていたので、引用紹介します。「まるで踊るバレリーナのようだ。衣装のチュチュの如く横に広がるのは萼(ガク)と、花びら色の組み合わせは白とピンク、赤と白、赤と紫とさまざま。そこから雌蕊と雄蕊がスラリとした脚のように伸びている。花の大きさは5~8cmほどで、下...フクシア
令和5年5月21日(日)石楠花:シャクナゲツツジ科の常緑低木、高さ2~4m葉は革質の長楕円形で表面は深緑色で光沢がある。裏面は淡褐色または白色の密毛を生じる。初夏にツツジに似た5~7弁の鐘形の合弁花を多数(10数個)つける。淡紅色の花は大ぶりで群がって美しく咲く。花の色は様々あり、やや紅茶がかった花、濃い紅色、白、紅白のまだら、薄ピンク等と豊富である。花冠は七裂するが、東日本には五裂の「アズマシャクナゲ」が自生する。シャクナゲは庭園などにも多く植えられているが、山中に自生して咲く花は美しく殊に魅力的である。今年は開花が例年より1~10日程早く、既に盛りを過ぎた所も多いようだ。この地域の鶴舞公園、徳川園、白鳥庭園等に多くのシャクナゲがツツジの様に咲き盛る。徳川園、白鳥庭園、東山植物園内に「しゃくなげの森」が...石楠花
令和5年5月20日(土)新緑の中村公園名古屋市の西部に中村公園がある。(現名古屋市中村区)名古屋駅から地下鉄東山線に乗り凡そ15分、「中村公園駅」で下車。地上に出ると右手に巨大で真っ赤な鳥居が出迎えてくれる。鳥居を潜り北へ10分程歩くと、公園入口に石の鳥居を潜ると木陰も多く、都会の喧騒を忘れさせてくれる空間がある。新緑の中村公園。左手の池の畔に秀吉の少年時代、日吉丸とその仲間の像が立ち並ぶ。この地(中村)在住の貧農の子と生まれ育った。幼少期の記録は定かではないが、数多くの伝説、逸話が残されている。瓢箪型の絵馬、像の前を左手(北)奥に進むと豊国神社がある。(明治11年建立)大正10年、この地(中村)が名古屋市に編入されたのを記念して、昭和4年に、真っ赤な大鳥居が作られた。(京都平安神宮の鳥居よりやや高いそう...中村公園
令和5年5月19日(金)病葉:わくらば青葉の季節に、病害虫や風通しの悪さなどから赤や黄色に変色して朽ち落ちる木の葉。病気に侵された葉、色づきすがれた葉をいう。夏、万緑の中で蝕まれて黄色に色づいたり、赤く色づいたりして落下する葉は健全な葉に比べ、確かに病に取り付かれてしまった葉なのだろう。天文11年(1542年)の連歌書「宗養書とめ」の中に見られる発句に、わくら葉をさそひて落ちぬ秋の月とあるがこの句は例外的な作であり、江戸時代に夏の季語として定着した。(俳書には「わくらは」という訓みがある)夏の青々とした葉の中に虫食い等で変色した葉を夏の季語とした。病葉と書いて「わくらば」と読むのかはよく判らない。病葉の「病」を「わくら」とは読まないが、「葉」の字は「ば」と読む。二文字合わせて「わくらば」と読む。1961年...病葉
令和5年5月18日(木)汗拭い:ハンカチーフ、手拭い4汗を拭うための布で昔は手拭いを用いたが、今ではハンカチーフを使用する。手拭い、手拭い、ハンカチ、ハンカチーフは木綿、麻、絹、ガーゼなどの素材が在り、派手な柄や美しい紋様を染め抜いたものや、縫い取りをしたもの等多様である。暑い季節には汗を拭くものが手放せぬが、「汗ふき」はともかく「汗ぬぐい」という言葉は死語に近いものである。汗を拭くのにハンカチは最も一般的なものだが、ハンカチ自体は一年中で使われるもので「季節感」はやや乏しいようである。甲子園で活躍した「ハンカチ王子」は一世を風靡した、、、、。以前、大ヒットを飛ばした「木綿のハンカチーフ」等々、、、ハンカチに纏わる、「流行語」は数多く存在し話題に事欠かない。今年の季節の移り変わりは異常なほど早く、、、、、...汗拭い
令和5年5月17日(水)忍冬の花:スイカズラ、金銀花スイカズラ科の半落葉の蔓性木本、高さ2~3m山野に自生し時に観賞用に栽培され、前株に褐色の細軟毛を密生する。初夏(5,6月頃)、葉腋に細い筒形の芳香のある合弁花、白色又は淡紅色の厚唇形の花を開き、のちに黄色に変わる。花は二裂し、甘い香りを放つ。葉を内側に巻いて冬を過ごす。枝葉が冬も萎れず枯れないので「忍冬」(にんどう)と呼ばれている。10月頃、栗色の腋果(実)を結ぶ。茎や葉を乾したものは漢方生薬の「忍冬」とし、利尿剤や解毒・解熱剤となる。花を乾したものは、吹き出物の洗浄用として利用される。和名の「スイカズラ」は「吸い葛」の意で、細長い花筒の奥に蜜が在り、古くは子供が好んで花の茎の細い方を口に含んで甘い蜜を吸って遊び、この名が付いたといわれる。砂糖の無い頃...忍冬の花
令和5年5月16日(火)旅の日旅を愛する作家や芸術家等に依って結成された「日本旅ペンクラブ」(旅ペン)が1988年(昭和63年)に制定した)旅の日」。1689年(元禄2年)の5月16日(旧暦3月27日)に俳人の松尾芭蕉が江戸を立ち、「奥の細道」へ旅立った日に因んだもの。芭蕉は日光街道を北へ進み、陸奥・出羽・越後・加賀・越後などを彼(芭蕉)にとって未知の国を巡る旅であった。全行程約600里(≒2400km)に及ぶ旅であった。記念日は、忙しい現代社会に於いて忘れがちな「旅心」を大切にし「旅人」とは何かと、あらためて問いなおす事を目的とされる。日本旅のペンクラブは、全国あらゆるジャンルから「旅の大賞」と、「川柳」の入選作品を表彰している。日本旅のペンクラブは昭和37年(1962年)に設立し、作家やジャーナリスト...旅の日
令和5年5月15日(月)潮路句会5月例会日時:令和5年5月13日(土)13時~場所:大手コミュニテイセンター参加者:7名(うち1名、不在投句)兼題:1)聖五月、2)五月富士、3)当季雑詠、聖五月は、晴天の日が多く芍薬が開き、河鹿が鳴き、行楽やピクニック等の好季節となる。薫風に泳ぐ鯉幟も見られ、蠅や蚊でくるようになると、いよいよ夏らしい季節、、、。五月富士は、この頃になると富士山の雪も遠目には見えなくなり、夏めいてくる。然し現在では残雪と岩肌とが対照的である富士山を指す場合もある。知ってはいても、普段は中々使い慣れない季語に戸惑う。さざ波の光りの先に皐月富士玲子潮路抄ひとひらも白を濁さず牡丹散る玲子牧牛の黒光りせる聖五月魚青雲一朶日の出に染まる五月富士魚青紅を引きはにかむ少女聖五月美保子ほったらかしの庭に紫...潮路句会
令和5年5月13日(土)羊蹄の花:ぎしぎしのはなタデ科の多年草で、野原や畔等の湿地や道端などにも群生。茎の高さは、50~100cm程になり、上方で分岐する。葉は20cm前後の長楕円形で幅5~10cmの大型。5~6月頃に節々から淡緑色の小花が多数輪生し、全体で細い円錐状の花穂を出す。花が終わる頃に三綾の瘦果(果実)を結ぶ。茎や葉は蓚酸(しゅうさん)を含み、この強い酸味を除き食用とする。若い芽は水草の「じゅんさい」のように粘りを持ち「丘じゅんさい」とと呼ばれ食用となす。お浸し、和え物や漬物として利用される。根の部分は「しのね」といい、「大黄」に代用品となり、緩下剤として便秘に効能があるといわれる。また生の根を擂り潰して塗ると、皮膚病、オデキ、腫物に効能があるといわれている。公園の雑草が伸び放題ととなり、そろそ...ぎしぎし
令和5年5月12日(金)そら豆:蚕豆、はじき豆マメ科の二年生蔓性の作物。原産地は不詳とされるが、古来より西アジアで栽培、今では世界各地で栽培されている。2~3月頃、直径3cm程の紫色の蝶型の花を咲かせる。その後、長さ」10~30cmもある大きな莢を付け、中に3cm程の平たく親指の先くらい、薄緑色の実が3~4個の豆(種子)が含まれる。莢が空を向くので「天豆」と言い、莢の中にあるソラマメの実が、蚕(カイコ)の繭に似ていることから「蚕豆」という字が充てられた。(酒処では「天豆」表示する所もある。)近年、ハウス栽培など技術が発展して秋の一時期を除いて、一年中食べられるようになった。生のそら豆は「野菜」として扱われるが、豆が莢から出て空気に触れると直ぐに固くなり、「そら豆が美味しいのは3日間だけ」といわれるように、...蚕豆
令和5年5月11日(木)アマリリス:ジャガタラ水仙ヒガンバナ科の多年生球根植物で、地中に鱗茎を形成する。原産は中南米・西インド諸島とされ、18世紀初頭にヨーロッパにもたらされた。日本へは江戸の嘉永年間(1848~1854年)に渡来して、「ジャガタラ水仙」と呼ばれた。長大な線形の葉を叢生し、60~70cmの太い花径の頂部に散形花序をつける。百合に似た大型6弁の花を数個付ける。交配した品種は多く、花の色は赤、白、橙、紅白の絞りなどの様々に在る。温室栽培で冬場にも、鉢植えなどを楽しむことができる。ベランダのアマリリスが、今年も大輪の花を咲かせた。早や10年、当初は冬場になると球根を土に戻して鉢を室内へ移していた。ここ数年は、殆ど手入れもせず冬の間もベランダに放置した儘。それでも毎年、綺麗な大輪の花を咲かせ、我々...アマリリス
令和5年5月24日(水)未央柳:ビヨウヤナギ、美容柳中国原産、オダギリソウ科の半落葉広葉樹の小低木。日本へは凡そ300年前に渡来した。中国では「金糸桃」と呼ばれている。葉は対生し長楕円形で、一見柳の葉に似る。葉は冬の間でも落葉せずに残り、新葉が出ると同時に古い葉が落ちる。夏、茎頂に大型(5cm程)五弁の深緑色の花を数個開く。よく枝分かれして株立ち状になる。長く伸びた多数の雄蕊は金糸のように美しく、梅雨時に咲く花は人気がある。古くから庭木や公園樹として植えられ、花材としてよく用いられている。花弁はくさび形で、特に長い雄蕊が多数付きよく目立ち、雄蕊の基部は五つの束になっている。果実は円錐形で先端に萼片を残す。今年も地下鉄名古屋港駅前大通りにある花壇に未央柳の黄色の花が咲いていた。五弁の花の中央には、金色に輝く...未央柳
令和5年5月23日(火)未だ五月なぜ暑い夏が暑いのは、昔も今も変わりのないところで「暑さ」は三夏の季語となっているが、暑さを殊に覚えるのは梅雨が明けてからである。ところが、爽やかな五月のはずが暑い、、、、、。中日新聞朝刊より、二十二日、名古屋市や岐阜市などで30度を超える真夏日となった。十七日には岐阜県揖斐川町で35.1度、三重県松阪市で34.5度に達した。共に五月の観測史上で最高記録となった。梅雨入り前、なぜこれほど季節外れの暑さが続くのか、、或る気象学者は「地球温暖化の影響で偏西風の流れが蛇行し、日本列島の北方上では高気圧が押し上がり、偏西風が滞り暖気が居座り暑さが押し寄せた。南の暖気と北の寒気の堺目を吹き流れる偏西風は、暖気と寒気の温度差が大きいとまっすぐに流れるが、最近地球温暖化が進み、北方の寒気...地球温暖化
令和5年5月22日(月)フクシア:ツリウキソウアカバナ科フクシア属の植物、原産地は熱帯アメリカ。部メキシコ、中央アメリカ、アンデス山脈、ブラジル南東などの海岸、山地などに自生する。高さ1m以下で、葉はやや厚く夏に葉腋から長柄を出して、花は下垂して咲く。花の色は白、桃、紅紫など、八重のものも在る。名古屋の東山動植物園では、温室栽培される「フクシア」が見ごろを迎へその花の色、形は多種多様で40種ある。今朝(5月22日)の中日新聞に、「フクシア」の記事が掲載されていたので、引用紹介します。「まるで踊るバレリーナのようだ。衣装のチュチュの如く横に広がるのは萼(ガク)と、花びら色の組み合わせは白とピンク、赤と白、赤と紫とさまざま。そこから雌蕊と雄蕊がスラリとした脚のように伸びている。花の大きさは5~8cmほどで、下...フクシア
令和5年5月21日(日)石楠花:シャクナゲツツジ科の常緑低木、高さ2~4m葉は革質の長楕円形で表面は深緑色で光沢がある。裏面は淡褐色または白色の密毛を生じる。初夏にツツジに似た5~7弁の鐘形の合弁花を多数(10数個)つける。淡紅色の花は大ぶりで群がって美しく咲く。花の色は様々あり、やや紅茶がかった花、濃い紅色、白、紅白のまだら、薄ピンク等と豊富である。花冠は七裂するが、東日本には五裂の「アズマシャクナゲ」が自生する。シャクナゲは庭園などにも多く植えられているが、山中に自生して咲く花は美しく殊に魅力的である。今年は開花が例年より1~10日程早く、既に盛りを過ぎた所も多いようだ。この地域の鶴舞公園、徳川園、白鳥庭園等に多くのシャクナゲがツツジの様に咲き盛る。徳川園、白鳥庭園、東山植物園内に「しゃくなげの森」が...石楠花
令和5年5月20日(土)新緑の中村公園名古屋市の西部に中村公園がある。(現名古屋市中村区)名古屋駅から地下鉄東山線に乗り凡そ15分、「中村公園駅」で下車。地上に出ると右手に巨大で真っ赤な鳥居が出迎えてくれる。鳥居を潜り北へ10分程歩くと、公園入口に石の鳥居を潜ると木陰も多く、都会の喧騒を忘れさせてくれる空間がある。新緑の中村公園。左手の池の畔に秀吉の少年時代、日吉丸とその仲間の像が立ち並ぶ。この地(中村)在住の貧農の子と生まれ育った。幼少期の記録は定かではないが、数多くの伝説、逸話が残されている。瓢箪型の絵馬、像の前を左手(北)奥に進むと豊国神社がある。(明治11年建立)大正10年、この地(中村)が名古屋市に編入されたのを記念して、昭和4年に、真っ赤な大鳥居が作られた。(京都平安神宮の鳥居よりやや高いそう...中村公園
令和5年5月19日(金)病葉:わくらば青葉の季節に、病害虫や風通しの悪さなどから赤や黄色に変色して朽ち落ちる木の葉。病気に侵された葉、色づきすがれた葉をいう。夏、万緑の中で蝕まれて黄色に色づいたり、赤く色づいたりして落下する葉は健全な葉に比べ、確かに病に取り付かれてしまった葉なのだろう。天文11年(1542年)の連歌書「宗養書とめ」の中に見られる発句に、わくら葉をさそひて落ちぬ秋の月とあるがこの句は例外的な作であり、江戸時代に夏の季語として定着した。(俳書には「わくらは」という訓みがある)夏の青々とした葉の中に虫食い等で変色した葉を夏の季語とした。病葉と書いて「わくらば」と読むのかはよく判らない。病葉の「病」を「わくら」とは読まないが、「葉」の字は「ば」と読む。二文字合わせて「わくらば」と読む。1961年...病葉
令和5年5月18日(木)汗拭い:ハンカチーフ、手拭い4汗を拭うための布で昔は手拭いを用いたが、今ではハンカチーフを使用する。手拭い、手拭い、ハンカチ、ハンカチーフは木綿、麻、絹、ガーゼなどの素材が在り、派手な柄や美しい紋様を染め抜いたものや、縫い取りをしたもの等多様である。暑い季節には汗を拭くものが手放せぬが、「汗ふき」はともかく「汗ぬぐい」という言葉は死語に近いものである。汗を拭くのにハンカチは最も一般的なものだが、ハンカチ自体は一年中で使われるもので「季節感」はやや乏しいようである。甲子園で活躍した「ハンカチ王子」は一世を風靡した、、、、。以前、大ヒットを飛ばした「木綿のハンカチーフ」等々、、、ハンカチに纏わる、「流行語」は数多く存在し話題に事欠かない。今年の季節の移り変わりは異常なほど早く、、、、、...汗拭い
令和5年5月17日(水)忍冬の花:スイカズラ、金銀花スイカズラ科の半落葉の蔓性木本、高さ2~3m山野に自生し時に観賞用に栽培され、前株に褐色の細軟毛を密生する。初夏(5,6月頃)、葉腋に細い筒形の芳香のある合弁花、白色又は淡紅色の厚唇形の花を開き、のちに黄色に変わる。花は二裂し、甘い香りを放つ。葉を内側に巻いて冬を過ごす。枝葉が冬も萎れず枯れないので「忍冬」(にんどう)と呼ばれている。10月頃、栗色の腋果(実)を結ぶ。茎や葉を乾したものは漢方生薬の「忍冬」とし、利尿剤や解毒・解熱剤となる。花を乾したものは、吹き出物の洗浄用として利用される。和名の「スイカズラ」は「吸い葛」の意で、細長い花筒の奥に蜜が在り、古くは子供が好んで花の茎の細い方を口に含んで甘い蜜を吸って遊び、この名が付いたといわれる。砂糖の無い頃...忍冬の花
令和5年5月16日(火)旅の日旅を愛する作家や芸術家等に依って結成された「日本旅ペンクラブ」(旅ペン)が1988年(昭和63年)に制定した)旅の日」。1689年(元禄2年)の5月16日(旧暦3月27日)に俳人の松尾芭蕉が江戸を立ち、「奥の細道」へ旅立った日に因んだもの。芭蕉は日光街道を北へ進み、陸奥・出羽・越後・加賀・越後などを彼(芭蕉)にとって未知の国を巡る旅であった。全行程約600里(≒2400km)に及ぶ旅であった。記念日は、忙しい現代社会に於いて忘れがちな「旅心」を大切にし「旅人」とは何かと、あらためて問いなおす事を目的とされる。日本旅のペンクラブは、全国あらゆるジャンルから「旅の大賞」と、「川柳」の入選作品を表彰している。日本旅のペンクラブは昭和37年(1962年)に設立し、作家やジャーナリスト...旅の日
令和5年5月15日(月)潮路句会5月例会日時:令和5年5月13日(土)13時~場所:大手コミュニテイセンター参加者:7名(うち1名、不在投句)兼題:1)聖五月、2)五月富士、3)当季雑詠、聖五月は、晴天の日が多く芍薬が開き、河鹿が鳴き、行楽やピクニック等の好季節となる。薫風に泳ぐ鯉幟も見られ、蠅や蚊でくるようになると、いよいよ夏らしい季節、、、。五月富士は、この頃になると富士山の雪も遠目には見えなくなり、夏めいてくる。然し現在では残雪と岩肌とが対照的である富士山を指す場合もある。知ってはいても、普段は中々使い慣れない季語に戸惑う。さざ波の光りの先に皐月富士玲子潮路抄ひとひらも白を濁さず牡丹散る玲子牧牛の黒光りせる聖五月魚青雲一朶日の出に染まる五月富士魚青紅を引きはにかむ少女聖五月美保子ほったらかしの庭に紫...潮路句会
令和5年5月13日(土)羊蹄の花:ぎしぎしのはなタデ科の多年草で、野原や畔等の湿地や道端などにも群生。茎の高さは、50~100cm程になり、上方で分岐する。葉は20cm前後の長楕円形で幅5~10cmの大型。5~6月頃に節々から淡緑色の小花が多数輪生し、全体で細い円錐状の花穂を出す。花が終わる頃に三綾の瘦果(果実)を結ぶ。茎や葉は蓚酸(しゅうさん)を含み、この強い酸味を除き食用とする。若い芽は水草の「じゅんさい」のように粘りを持ち「丘じゅんさい」とと呼ばれ食用となす。お浸し、和え物や漬物として利用される。根の部分は「しのね」といい、「大黄」に代用品となり、緩下剤として便秘に効能があるといわれる。また生の根を擂り潰して塗ると、皮膚病、オデキ、腫物に効能があるといわれている。公園の雑草が伸び放題ととなり、そろそ...ぎしぎし
令和5年5月12日(金)そら豆:蚕豆、はじき豆マメ科の二年生蔓性の作物。原産地は不詳とされるが、古来より西アジアで栽培、今では世界各地で栽培されている。2~3月頃、直径3cm程の紫色の蝶型の花を咲かせる。その後、長さ」10~30cmもある大きな莢を付け、中に3cm程の平たく親指の先くらい、薄緑色の実が3~4個の豆(種子)が含まれる。莢が空を向くので「天豆」と言い、莢の中にあるソラマメの実が、蚕(カイコ)の繭に似ていることから「蚕豆」という字が充てられた。(酒処では「天豆」表示する所もある。)近年、ハウス栽培など技術が発展して秋の一時期を除いて、一年中食べられるようになった。生のそら豆は「野菜」として扱われるが、豆が莢から出て空気に触れると直ぐに固くなり、「そら豆が美味しいのは3日間だけ」といわれるように、...蚕豆
令和5年5月11日(木)アマリリス:ジャガタラ水仙ヒガンバナ科の多年生球根植物で、地中に鱗茎を形成する。原産は中南米・西インド諸島とされ、18世紀初頭にヨーロッパにもたらされた。日本へは江戸の嘉永年間(1848~1854年)に渡来して、「ジャガタラ水仙」と呼ばれた。長大な線形の葉を叢生し、60~70cmの太い花径の頂部に散形花序をつける。百合に似た大型6弁の花を数個付ける。交配した品種は多く、花の色は赤、白、橙、紅白の絞りなどの様々に在る。温室栽培で冬場にも、鉢植えなどを楽しむことができる。ベランダのアマリリスが、今年も大輪の花を咲かせた。早や10年、当初は冬場になると球根を土に戻して鉢を室内へ移していた。ここ数年は、殆ど手入れもせず冬の間もベランダに放置した儘。それでも毎年、綺麗な大輪の花を咲かせ、我々...アマリリス
令和5年5月10日(水)雨蛙アマガエル科の一種で体調4cmくらい。雌はやや大きい。四股(前肢4本、後肢5本)の各指端に吸盤を持ち、樹上に登る。木の葉や草の上に棲み、雨模様の折りや夕立の前などに「キャクキャクキャク」鳴くので「雨蛙」といわれる。体は緑色または茶褐色で、保護色で周囲の状態に溶け込んで葉の上などでゃ緑色、木の幹や地上に移ると忽ち色を変える。鼻から目・耳にかけてと、体側とに黒色の斑紋がある。日本各地に棲息し、広くはアマガエル科・南アマガエル科の蛙の総称で、多くは熱帯産。大形で美しいものもある。春から秋まで活動し、冬は温度差の少ない地中で冬眠する。最近の都市化の中でもヒキガエルの数は夥しいが、アマガエルの方は減少傾向みられる。アマガエルは肉食性で、小さな昆虫やクモ類を捕食する。動く物に反応し、死んだ...雨蛙
令和5年5月9日(火)葛まんじゅう葛粉を水で溶き火にかけて練り、半透明に固まったものを皮にして、中に餡を包んだ饅頭。桜の葉で包んだものもあり、東京では「葛桜」の名前で呼ばれている。つるりとした食感、冷たい口当たり、葛の透明度は夏の菓子として欠かせぬものの一つである。葛はマメ科の大型蔓性の多年草で、茎の長さは6~10m、それ以上にも伸びる。茎の太さは直径10cm以上に達し、根は太く大きく澱粉を取り出して薬用や食用にする。葛粉を使った食べ物には他に、葛餅、葛練、葛切等がある。葛餅は、葛粉を熱湯で練ったものを型に流し入れて冷して固めた菓子。三角等に切り、きな粉と蜜をかけて食する。元々は正麩(小麦粉)を練り、長期に発酵させ蒸したもの。岐阜県大垣市に「水まんじゅう」という和菓子がある。俳人芭蕉が、「奥の細道むすびの...葛まんじゅう
令和5年5月8日(月)世界赤十字デー今日(5月8日)は、「世界赤十字デー」です。1828年(文政11年)5月8日生まれのスイスの実業家アンリ・デユナンは、1859年のイタリア統一戦争の際に、4万人の死傷者を目撃し、村人らと協力して負傷者の救護にあたった。「傷ついた兵士はもはや兵士ではない、人間である。人間同士その尊い命は救わなければならない」との信念がこの時に生れた。1862年に彼が執筆・出版した著書「ソルフェリーノの思い出」は、ヨーロッパ各地に訴え共感を得た。「赤十字思想」の誕生である。後に「第一回ノーベル平和賞」を受賞したアンリ・デュナンの功績を讃え、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)、彼の誕生日である5月8日を「世界赤十字デー」(WorldredCrossday)とすることが決定された。こ...世界赤十字デー
令和5年5月7日(日)卯の花:空木の花ユキノシタ科の落葉低木。高さは1~2.5m、分岐する。和名はウツギ(空木)、幹(茎)が中空で在る事から命名。「ウノハナ」は、大豆の殻(豆腐のオカラ)が卯の花に似ているから、また花は卯月(旧暦の4月)に咲くことから卯の花とも呼ばれる。豆腐のオカラは、卯の花に似ているからと、日本と中国に分布し、日本では北海道の南部から九州地方迄幅広く分布している。山野の路傍や崖地、林などの日当たりの良い場所に自生する。畑の生け垣・庭等の土地の境界線の目印として植えられる。5月頃に白色五弁の直径10~20mmほどの小花が密生し垂れ下がるように咲く。樹皮は新しいうちは赤褐色で、灰褐色で古くなると剥がれる。葉は長さ5~15cmの卵状長楕円形、卵状被針などで葉柄を持ち互生する。慣用句の「卯の花腐...卯の花
令和5年5月6日(土)立夏:夏はきぬ今日5月6日は「立夏」、二十四節気の一つで夏の始めをいう。「夏に入る」「夏来る」とも使われるが、南北に長い日本列島では、気候の推移に差が在り、東北地方ではこの頃桜が満開を迎える。ところが今年は地球温暖化の所為も在り、何もかもが速く、、花の咲く季節も相当早くなっている。既に東北は基より北海道でも桜の散る頃である。とは言え、春とは違う清々しさ、若葉のそよぎ、陽光や風の動きにも夏が来たことを実感させられることが多い。立夏でその思いを綴る「万葉集・二巻」に在る御歌、「春過ぎて夏来たるらししろたへの衣干したり天の香久山」(中国の歴法から学びたての四季の移行を取入れた歌)またこの頃よく耳にし、口ずさむ歌に「夏は来ぬ」がある。歌碑:小田作之助の出身、(新潟県上越市の大潟中学校内)19...立夏
令和5年5月5日(金)家族の食事会木々の緑、その緑を渡る風に太陽のきらめき、、、、、はやくも初夏のここち佳さがただよう季節となり、道行く人の姿はもはや半袖姿が目立ちはじめた。ゴールデンウイークも半ばを過ぎ、はや折返し、終盤へと、。相変わらず渋滞の車列が続き、行楽地へ向かう人、帰る人。昨夜、我が家は娘家族、息子家族が孫(大学2年男子、高3年女子、中2年男子、小5年女子)を連れやって来た。私達老夫婦と合わせ家族10人が揃って食事会(外食)となる。孫達それぞれに部活等が忙しく、又一人受験(大学)を控える。ここ数年、受験・入学・部活などで家族揃う事はなかった。双方の家族、「久しぶりだねー、、随分大きくなったわねー、」まだまだ、この生活が続きそうである。そんな中での家族揃って食事会、さぞかし話が弾むと思いきや、何だ...食事会
令和5年5月4日(木)みどりの日1989年(平成元年)、昭和天皇の崩御に伴い「天皇誕生日」が12月23日(年号が平成となった。)へと移行された。それまでの天皇誕生日(4月29日)は、自然に親しまれた昭和天皇の恩恵に感謝し、豊かな心を育む「みどりの日」と改称。その後の2005年(平成17年)に祝日改正法が施行される。2007年(平成19年)に、国民の休日であった5月4日を「みどりの日」とし、そして4月29日は「昭和の日」とした。(みどりの日は目まぐるしく、二転三転している)ゴールデンウィークの真っただ中の「みどりの日には、各地で様々なイベントが催され、東京都等では子供の日も含め入場料を無料にする施設(公園)は多いようである。新宿御苑、小石川後楽園、上野動物園、井の頭公園、多摩動物公園などがある。残念ながら名...みどりの日