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blackcatの思索帳と銘打って、国鉄労働組合やその他組合の主張等を参照しながら国鉄とはどんな組織だったのかをしゃかいげく的側面から検証してみるblogです。 内容が内容だけに難しいのですが、私なりに解釈を加えて解説しています。 不定期更新です。

ブログタイトル
日本国有鉄道 労働運動史
ブログURL
https://whitecat-kat.hatenablog.com/
ブログ紹介文
国鉄における労働組合史を底本に、国鉄が解体されて行ったプロセスについて検証していきます。
更新頻度(1年)

11回 / 365日(平均0.2回/週)

ブログ村参加:2016/04/03

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ハンドル名
blackcatさん
ブログタイトル
日本国有鉄道 労働運動史
更新頻度
11回 / 365日(平均0.2回/週)
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日本国有鉄道 労働運動史

blackcatさんの新着記事

1件〜30件

  • 国鉄労働組合史詳細解説 123

    気がつけば1ヶ月以上も更新できていませんでした。 申し訳ありませんでした。 さて、今回は国労の記事からと言うよりも、国鉄部内誌の国有鉄道の記事から引用したいと思います。 国有鉄道は、国鉄の幹部クラスおよび管理局などの要員向けの雑誌で、国鉄線が営業中心の内容であるのに対して、経理とか総務的な内容が多くなります。 監理委員会の答申は、国鉄当局にとっても大きな課題となった 昭和57年5月17日、臨時行政調査会第4部会報告が出され、国鉄の分割民営化の方向が出されたわけで、国鉄当局としてはなんとしても分割は避けたいという事になるわけですが、最初に臨時行政調査会第4部会答申までの流れを今一度振り返ってみた…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 122

    久々に更新させていただきます。 最初から民営化ありきではなかった国鉄改革 国鉄では、昭和55年の「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」により、国鉄は最後の再建計画と言うべき再建計画を策定することとなりました。 それまでは、どちらかというと数字合せに終始していた再建計画ですが、ここに来て、国鉄にこれ以上は待てないからと言うことでいわゆる詰め腹を切らせる、そんな状況であったと言えそうです。この法令により、特定地方交通線と呼ばれたローカル線についてもメスが入れられることとなりました。 組合運動の話に入る前に、法令の条文を一部抜粋しましたのでご覧いただこうと思います。 瀬野八にて 日本国有鉄道経営再建…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 121

    久々に、国労運動史を底本にして解説を加えさせていただこうと思います。 国労が提案する、過員解消策 国労によれば、過員【国鉄当局的には余剰人員】の実態は、草むしり、文鎮づくり、今まで協力会社に回していた業務、自習という名の職場隔離であるとして、過員活用の要求として、下記のような活用方法を提案したとしています。 ①『みどりの窓口』の時間規制廃止、現在閉鎖中の窓口の復活、②縮小・時間閉鎖している全国主要駅の改札ラッチへの要員増配置、③案内用電話の増設、要員配置、駅案内コーナーの充実・新設、④無人駅への職員配置、⑤旅行センターの充実・強化、要員配置、⑥自動券売機での混雑などの解消策として閉鎖窓口の復元…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 120

    国鉄労働組合史詳細解説、今回も国労の記事ではなく他の記事などを参照しながら書かせていただきます。 今回は、国鉄部内紙、昭和60年1月号の記事から書かせていただこうと思います。 職場規律確立が叫ばれる中で再び起こった惨事 昭和59年10月19日 特急「富士」、西明石駅構内で客車がホームに激突と言う事故がありました。 当時は寝台列車などに関しては引き続き2人乗務が行われていました。(これは、EL・DL一人乗務問題まで遡るのですが、蒸気機関車と異なり、機関助士の仕事を殆ど必要としないことから、機関助士を廃止する事を計画しますが、これに強く反発した動労などが、一人乗務反対の闘争を行い、妥協の産物として…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 119

    今回は、国労の資料を参照せずにオリジナルの内容をおとどけします。 国鉄が昭和59年2月の改正などを経て大幅な過員【余剰人員】を発生したわけですが、これは、既述のように今までの合理化が出来ていなかった分の反動とも言えるもので、新規採用を停止しても、それだけに過員【余剰人員】が発生していましたので、国鉄では分割民営化前には、多くの直売売店などが誕生しますが、この頃一番力を入れていたのが営業活動であり、過員解消のための勧奨退職【55歳以上の定期昇給の中止等】も併せて行われていました。 今回は、昭和59年当時の各組合の考え方について、国鉄部内紙国有鉄道を参考にしながら絞殺してみたいと思います。 国鉄の…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 118

    国鉄の過員状態について、国労の実態が語られています。この当時は、国鉄の余剰人員(国労的には過員)は、出向なども行われており、鉄労・動労は出向に応じていたのですが、国労の方針は、出向「しない・させない・(話を)きかない」と言う3ない運動を始めており、国労の見解をそのまま鵜呑みにするわけにも行かない部分があります。 59.2の合理化は不可避な合理化だったのか? 国労は、「59.2ダイヤ改正によって大量の過員がでた」として、その現状を書いていますが。 すでに、昭和57年の大幅なダイヤ改正で、貨物列車の大幅削減が行われており、この時点で、動労は大幅にその運動方針を転換。 それまで鬼の動労と言われるほど…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 117-2

    1ヶ月以上更新できず申し訳ございませんでした。 今回も、国労の記事を底本として、解説を加えさせていただこうと思います。 生産性運動以降の国鉄では職場の荒廃が進む結果に 職場規律の確立とワッペン闘争について書かれていますが、昭和48年の動労新聞などを参照しますと、職場でワッペンをするのが民主化であるとする記述が見られます。 特に、学園でもワッペンを導入することで民主化が行われた・・・組合の意向が通る職場になったという意味だと思いますが。 利用者不在の考え方が、当たり前になってしまっている辺りに国鉄の病巣があったと言えそうです。 逆に言えば、そうした病巣を取り除こうとしたことに対し、国労は大きく反…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 117-1

    久々に更新させていただきます、 今回も国労の労働運動史を底本として、国鉄当局の動きを見ていきたいと思います。 国労との労使強路線と決別した当局 国労との労使協調と書くと違和感しか残りませんが、当時の国鉄当局は、国労幹部と職員局、動労と運転局が癒着と言えるような状況であり、車両に関しては動労の意見がかなり反映された車両が製造されていましたし、国労の幹部と職員局の幹部の癒着もありました。 この辺は、大野氏の国鉄を売った官僚たちにも出てきます。 そんな、国鉄の方向が大きく変わった潮目は、ブルトレ闇手当問題であり、昭和57年のブルトレ事故【いわゆる名古屋駅で、勤務前に飲酒し酩酊した状態の運転士がDD5…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 116

    今回も、国鉄労働組合の記事を底本に解説を加えていく形で進めさせていただきます。 国労の記述によりますと、国鉄債権管理委員会が昭和58年8月2日に、第一次緊急提言を行い、その提言では、職員管理の強化等が提言されたと書いています。 再建監理委員会の緊急提言と国労 そこで、第一次緊急提言の全容を知らないことには、どの様な内容であったのか検討のしようもないかと思いますので、少し調べて見たところ、幸い、国鉄の部内紙「国有鉄道の記事がありました。 提言の骨子は以下の通りでした。 経営管理の適正化 事業分野の整理 営業収支の改善及び債務増大の抑制 であり、国労が注視したのは、経営管理の適正化と、これに関連す…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 115

    本日も、国有鉄道労働運動史として、国労の資料を底本として、昭和58(1983)年当時の国鉄の様子をご覧いただこうと思います。 元資料が国労の運動史ですので、国鉄労組寄りの内容ではありますが。出来るだけ中立的な立場で記していきます。 職場規律の是正に取り組む国鉄当局 さて、国鉄当局は、6月16日に、職場規律の改善の一環として、組合側の既得権益を撤回する動きを出してきました。 下記国労の資料を見ますと、「当局から新しい協定案を提示された。提案された内容は、マル生闘争収拾時に「紛争対策委員会」でとりかわした労使確認を否定したもの」としています。 83年6月16日に当局から新しい協定案を提示された。提…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 114

    久々に更新させていただきます。 二公社が民営化された初めての、'85年春闘 昭和60年の春闘は、4月1日からで「電電公社」「専売公社」がそれぞれ民営化されたことから、一公社四現業による賃金交渉となりました。ここで、国労は、85春闘の要求として2万8000円、12.9%を掲げ、国鉄当局との交渉に臨んだ。 と国労は書いていますが。 この辺について、国鉄当局側の資料がありますので、そちらからも引用してみたいいと思います。 国有鉄道という国鉄部内紙から引用してみたいと思います。 公労委(公共企業体等労働委員会、掘秀夫会長〉は、さる5月30日、国鉄及び4現業職員の本年度の賃金引き上げについて仲裁裁定を提…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 113

    久々に更新させていただきます。 国鉄労働運動、改めて鉄労視点というブログも立ち上げさせていただいたのですが、実は本家のこちらよりも人気になりそうな雰囲気です。苦笑 国労からの視点でのblogなり書籍は多いので、鉄労的視点からみた場合はそれはそれで面白いかなと思っています。 さて、こちらでは再び国労の労働運動史を底本として、綴らせていただきます。 昭和59年の春闘に関しては 国労の記事では、下記のように書かれていますが。前年昭和58年の名目賃金の上昇率は、大原社会問題研究所、日本労働年鑑第55集 にある、賃金と労働時間の項によりますと、調査対象の産業全体で3.5%製造業でも3.9%dいずれも前年…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 112

    久々に更新させていただきます、今回も国労の資料を底本として、解説を加えさせていただくこととします。 昭和58(1983)年の世相とは 昭和58年春闘における賃金闘争に関してのお話になっていますが、昭和58年当時の景気は、徐々に回復傾向にあったとされており、 昭和58年の春闘について、大原社会問題研究所労働年鑑、昭和59年版の中から引用させていただきますが、当時の労働運動全般の動きを見ていますと、下記のような動きがありました。 中曽根新内閣が発足し、日本の軍事大国の強化が懸念され。行政改革の断行も公約とされた 連合の前身、全民労協(全日本民間労働組合協議会)が発足、労働戦線に新たな流れが起こった…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 111

    皆様久々に更新させていただきます。 今回は、再び国労の労働運動史を底本にして説明を加えさせていただきます。 経済不況と春闘相場 昭和58年、国鉄の財政は厳しさをましていましたが、それ以上に経済の悪化は大きく、実質経済成長率は、当初見通しを大きく下回り、5.2%から3.1%に下方修正されたといわれています、当然のことながら、春闘における、相場も厳しいものとなりました。 労働四団体は統一要求として、7%の賃上げを要求 八三年春闘にあたって、82年12月3日、労働組合としては7%の要求基準が決められました。これは、82年12月3日、労働四団体の事務局長・書記長会議決定されたものでした。*1 国労の労…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 110

    今回も、オリジナルの記事として、前回に引き続き、昭和55年頃の、国鉄の事情等を、国鉄の部内誌、国有鉄道の1980年6月号(今次春闘を振り返って)を参照しながら、総括していこうと思います。 国鉄を含めた、現業公務員や公社職員は、経営側が自らの判断で賃金を決定できず、もちろん、運賃値上げなども国会の承認がいりますので、当局には実質的な当事者能力はありませんでした。 このストライキは、総括すると国労・動労にとってはあまり実入りが無いストライキでした、労働側4委員が揃って辞表を提出、結果的に賃金問題は未解決のまま、ストライキは中止されることとなりました。 その当時の時系列を抜き出してみますと下記のよう…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 109

    今回は、オリジナルの記事としてアップさせていただきます。 昭和55年頃の、国鉄の事情等を再び、国鉄の部内誌、国有鉄道の1980年6月号(今次春闘を振り返って)を参照しながら総括して見たいと思います。 不協和音が見られた公労協、独自路線を歩む全電通 昭和54年、官公労は、私鉄総連などと組んで公労協統一闘争を行っていましたが、ここに来て、全電通(現:NTT労組)が自主交渉、個別調停を行うことを提唱し、官公労の統一闘争から一足早く離脱するなど、全電通の独自性が見える春闘でした。 全電通自体が、全電通が、1970年代後半から、賃金闘争と物価闘争を重視する運動を進める独自性を発揮して、官公労からの距離を…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 108

    久々に更新させていただきます。 今回も国労の労働運動誌を底本に、労働運動の変遷を別途調査した資料等を参照しながらアップしたいと思います。 過熱気味の公定歩合と賃上げ闘争 国労の資料によりますと、80年代春闘の話をここで行うとされていますので、こちらノーページでも、春闘を中心に国労、そして他の組合の動きを80年~82年までを3回に分けてアップさせていただこうと思います。 1980年当時の公定歩合は、昭和55年2月19日に改訂され、年7.25%(1.0%引上げ)されています。 www.boj.or.jp 参考:日本銀行公表資料 昭和55年2月19日公定歩合改定 今では考えられないくらいの好景気です…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 107

    本日も、国鉄労働運動史をご覧いただこうと思います。 今回は色々と資料を探してみたのですが、鉄労の資料を『国鉄民主化への道』を参考に書かせていただくのが一番詳しく時期列ありましたので、この記事を参考に解説を加えさせていただきます。 国労とのパイプを絶つことに成功した、仁杉総裁の辞任 国鉄民営化に投書は賛成の意向であった、仁杉総裁は、本社内の民営化反対の勢力に押される形で、民営化を容認から、反対に転じることとなりましたが。この辺は、もう少し複数の資料を探していく必要はありそうですが、6月21日に、仁杉総裁は辞表を提出、翌22日は土曜日でしたが緊急役員会が開催され、縄田国武副総裁と半谷哲夫技師長が辞…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 106

    ここ最近更新が出来ずに申し訳ありません、昭和60年の公企労レポートが手元にないのですが、出来るだけ資料を集めながら書かせていただこうと思います。 55歳以上の労働者脱退を阻止するための抗議行動を行う国労 年が明けて以降、多くの地方、職場で「五五歳以上の者は一人も残さない」と、人権無視の退職の強制・強要・差別など、目にあまる不当な行為が続けられていた。そうした状況にたいし、全組合員で五五歳以上の労働者を防衛しようと立ち上がった。3月25日から、国鉄の分割・民営化反対、緊急課題の要求の前進、職場での人権侵害抗議の全国統一行動が展開された。3月26、27、28の3日間、連日1,000人が国鉄本社前に…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 105

    国鉄当局の基本方策を監理委員会に提出 国鉄は、1985年(昭和60年)1月10日に、国鉄の経営形態のあり方について、下記のような経営改革のための基本方策として発表しました。 本文は非常に長文ですので、後ほど弊サイト【国鉄があった時代】で全文アップする予定ですが、一先ず新しい経営形態のあり方について言及した部分について書かせていただきます。 ポイントは以下のとおり 公共企業体→民営化を行う 民営化に際して徹底した分権化を前提としたに全国一体の特殊会社 地方交通線については、全額出資の株式会社として分離運営 下記のようなイメージになります。 上の図でも出ていますが、北海道と四国も基本的には場合によ…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 104

    久々に更新をさせていただきます。 本日は、国鉄当局が提案した、依願者休職に対する動きについて、国労・当局の双方から見ていきたいと思います。国労史では、撤回のみを強力に推し進めた点しか記述されておらず、国鉄部内誌や千葉動労など他の組合の資料等を参照しながら補強していきました。 今後は、動労の運動史なども購入するなどして他の組合史と比較しながら中立的視点から記述できるようにすべくしていく所存です。 依願休職募集に対する動き 国鉄の施策の一つであった、「依願休職」に関しては、本社は10月10日からの実施を予定していました。 国鉄当局が、この制度に踏み切った背景については、太田職員局長は、国鉄部内誌【…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 103

    待ったなしの再建委員会 再建監理委員会は、8月10日に第2次緊急提言を中曽根首相に提出することになりますが、再建監理委員会の中では情報を小出しし、活方針を早めの示すことで、野党などの反発を抑えようとする動きがあったと言う記述もあります。 以下、大原社会問題研究所の労働年鑑 第57集 1987年版から引用させていただきます。 監理委員会は、その後も国鉄予算など具体的な国鉄改革の意見を発表しながらも、国鉄の分割・民営化のための検討をつづけた。八四年六月四日には第二次提言のなかに分割・民営化の基本方針を盛り込むことを決めた。このことは、分割・民営化反対論が国鉄内部や自民党の一部および野党のなかにまだ…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 102

    高木総裁に代わり、仁杉総裁就任 仁杉総裁は、1983(昭和58)年11月25日に高木文雄国鉄総裁が辞意表明した異を受け、その後任として、29日に仁杉巌総裁が閣議決定されました。 高木総裁の辞任は、1兆4,000億近い赤字を出した責任をとらされたと言うよりも、臨調や監理委員会にたいして批判的であった事から、更迭されたと考えるべきかも知れません。高木総裁は、組合との関係も決して悪いとは言えず、むしろ再建監理委員会の方針には反対の立場を取っており、分割民営化は反対というスタンスを取っていました。 今回白羽の矢が立った仁杉総裁は、元国鉄の技師長で、西武鉄道の社長を歴任、国鉄総裁就任前は、日本鉄道公団総…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 101

    一か月以上も更新しないまま、過ぎてしまいました。本日も、国労運動史を参考に当時の国鉄の様子を見ていきたいと思います。 いままで、国鉄部内誌からの引用が多かったのですが、今回は大原社会問題研究所、労働年鑑を参照しつつアップさせていただこうと思います。 高齢者の退職を促進するため、定期昇給等の停止を実施 日本労働年鑑 第56集 1986年版 第一部 労働者状態 II 産業合理化と経営・労務 から、引用させていただきます、ここでは国鉄の退職前提の休職に関して比較的詳しく書かれていました、まず最初にお断りしなければいけないのは、国鉄には定年制度がなく、勧奨退職年齢と言う言葉を使っていたということです。…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 100

    皆様、久々に更新させていただきます。色々と資料を探してみるのですが、この辺の資料であれば、公企労レポートが一番適当かと思うのですが、あいにく持ち合わせておりませんので、今回は深掘りした意話ができないことを最初にお断りしておきます。 国労による「三ない運動」 国労は、分割民営化反対を当初から掲げており、「三ない運動」と呼ばれる戦略行動でした。 辞めない・・・勧奨退職に応じない 休まない・・・一時帰休 出向しない・・出向 国鉄当局が進めていた施策でしたが、国労はこれを「首切り三項目」として、徹底的に反対するようにしていました。 特に、これ以外に、「こうした話を聞かない」を含めた行動としていた場合も…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 99

    本日も、国労の労働運動史を底本にして、昭和59年当時の国労の動きを中心にして、国鉄改革の歩みを見ていこうと思います。 そこで、当時の国労だけでなく、動労の動きにも注目してみたいと思います。国有鉄道という国鉄部内誌を参照しますと、昭和59年7月~8月にかけて開催された国労・動労、鉄労などの組合大会の様子が書かれており、詳細は不明なるも概要を知ることは出来そうです。 そこで、少しずつその辺を抜き書きしながら、当時の各組合の考え方を見ていきたいと思います。 人員削減・貨物輸送削減・ローカル線廃止のいわゆる三項目には動労も反対 昭和59年10月号の国有鉄道を参照しますと、7月17日から20日まで秋田市…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 98-2

    今回も、国労は56歳以上の者の退職条件を切り下げることで退職を促進することを目的とする当局の方針に異議をとなることとなります、しかしそういった申し出に対しても、当局側はなかなか応じようとはしませんでした。 さて、実際にはどのような経緯となるのでしょうか、以下お読み下さいませ。 現在、労働組合視点の資料を探しているのですが、中々見つけられませんので、当局資料などを中心にして類推しながら書かせていただくことを了承いただきたいと思います。 合理化は国鉄改革の原点と位置づけた当局 国鉄の場合、組合問題に論点がいきがちですが、何故合理化を強力に推し進めなくてならなかったのか、その一つには、確かに組合との…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 98

    さて、本日は59・2ダイヤ改正に伴い発生するであろう過員に対し、国鉄当局は退職前提の特別休職を中心に休職を者の募集を開始したが、それに対して国労は、強く反発する反面、組織温存を図りたい、動労、鉄労、全施労は当局の要求を早々と受け入れ、さらに早期に募集開始を迫る構図となり、国労側にプレッシャーをかけることになります。 そうした中で、一定の整理がはかれたとして国労も改革三労組(動労・鉄労・全施労)とほぼ足並みを揃える形で休職者募集が開始されることになります。 現在、この辺に関して当局視点だけではなく、国労なり動労の視点での資料を集めようとしているのですが、適切な資料が中々適切な資料がありませんので…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 97

    長らく開けてしまいましたが、再開したいと思います。 今回も、国労の資料を底本に展開させて頂きます。 国労が過員センター【国鉄当局の名称は、人材活用センター】ですが、その実体ということで、営業補助【特別改札などの他、今まで協力会社が行っていた下請け作業の直営化等が行われたと記録されています。 また、直営売店などへの転出なども行われ、一部の組合員は、正規の名札を着用せず、元所属の名称を書いた名札を着用するなどの行為が見られました。 なお、国労の記述では 国労本部は「過員」問題についての職場実態調査を4月と7月に実施したが、それによると過員発令が属人的であったり、入れられた「過員センター」の環境が劣…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 96-2

    長らく更新しておりませんでしたが、改めて更新させていただこうと思います。 国鉄当局の退職前提の休職に対する、国労の闘争を、国労の資料から見ていくものですが、国鉄のこうした大量の過員【余剰人員】は、どのような契機で発生したのかを考えないとみえにくいものがあります。 合理化しても人を減らせない職場 本来であれば、機械化することなどで合理化するのが本来なのですが、合理化=人減らしに繋がるとして、「合理化しても人を減らさない」もしくは、合理化させないといった行動を取ってきた時代がありました。 昭和53年鉄道ジャーナル10月号では、架線下DCの特集をしていますが、そのパターンとして 非電化線区への直通が…

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