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日本国有鉄道 労働運動史 https://whitecat-kat.hatenablog.com/

国鉄における労働組合史を底本に、国鉄が解体されて行ったプロセスについて検証していきます。

blackcatの思索帳と銘打って、国鉄労働組合やその他組合の主張等を参照しながら国鉄とはどんな組織だったのかをしゃかいげく的側面から検証してみるblogです。 内容が内容だけに難しいのですが、私なりに解釈を加えて解説しています。 不定期更新です。

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2016/04/03

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  • 国鉄労働組合史詳細解説 142

    完成したのに消えてしまったので、改めてアップさせていただき 下書きのサムネイルがおかしかったので、それを避けようと思い消したところ下書きまで消えてしまいかなり落ち込んでいます。 再建監理委員会による臨調答申前後の国鉄の現場では 再建監理委員会による国鉄改革は、分割民営化の方向で進むこととなり、民営化を容認していた仁杉総裁は副総裁及び太田職員局長などの説得もあり、徐々にトーンダウンしていくとともに、身内の会社が国鉄から業務を請け負っているとしてマスコミにたたかれるなどして詰め腹を切られされる形で辞任、1985年6月24日には辞任、その際に反対派の幹部の辞表をとりまとめて一緒に退任することで、国鉄…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 141

    気がつけば二ヶ月以上も放置状態になっておりました。 申し訳ございません。 改めて、仁杉総裁更迭の頃からのお話をさせていただこうと思います。 国鉄改革の推進役として古巣の国鉄へ 仁杉総裁は、昭和58(1983)年12月2日、第9代国鉄総裁として就任しましたが、その後中曽根首相[当時]に、国鉄改革に関して積極的で無いとして、電撃的に解任されることとなり、反対派の常務理事の辞表とりまとめて辞任することになるのですが、その前に簡単に、仁杉総裁の経歴を振り返ってみたいと思います。 大正4年5月7日 生誕昭和13年3月 東京帝国大工学学部土木工学科卒業昭和13.4 鉄道省入省 任鉄道技手、建設局昭和27.…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 140

    気がつけば2カ月ほど放置状態となっておりましたので、取り急ぎ更新したいと思います。 今回は、国労の国鉄労働運動史なども参考にしながらアップさせていただきます。 再建監理委員会答申、国鉄を分割民営化することに 1,985年7月26日、国鉄再建監理委員会は、再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」を総理大臣に提出することとなりました。 再建監理委員会の特徴は、旅客会社を6つに分割し、貨物会社は線路を間借りする第②種鉄道事業者として扱うこととしていました。 ま他、圧倒的な収益力を誇る東海道・山陽新幹線を中心にして、新幹線は保有機構が譲渡を受けてJRに貸し付ける 旅客6分割 貨物分離で1社 新幹線は一括…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 139

    久々に、更新させていただきます。 今回は、国労が臨調による分割民営化最終答申に反対して、分割民営化反対の運動を行って頃の話を中心に書かせていただきます。 世論はNTTの民営化の成功で官業の民営化は正しいという判断 今回は、国鉄分割民営化が既定事項として進められていた、昭和60年の8月の話となります。 国労は全動労などとともに最後の抵抗として、ストライキを試みることになります。しかし、全面ストライキを打てる状況ではなく、地上勤務者(駅員など)を中心としての時限ストであり、その影響は軽微なものでした。 ただ、当時の世論は現在と真逆で、世論は分割民営化を容認する言う雰囲気があったのも事実でした。 少…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 138

    本日も、国鉄改革に関する記事として、労働運動史をアップさせていただこうと思います。 国鉄では、分割民営化に難色を示した高木総裁が椅子を追われ、国鉄OBで西武鉄道の副社長を務めた仁杉巌が国鉄総裁として復帰、国鉄民営化を推進するための勢力として送り込まれたが、やがて民営化消極論に方向転換するに及び、その後運輸省事務次官であった杉浦喬也と交代することとなります。 最終答申が出された昭和60年7月には、国鉄当局には杉浦喬也が総裁として就任、国鉄当局は分割民営化中心となり、当時の国鉄部内紙(国有鉄道)の紙面では、組合の動きといった記事が一切姿を消して、分割民営化一色になってしまいました。 国鉄部内紙 国…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 137

    社会党の国鉄民営化案と国労 日本社会党(現在の社民党)は、総評の意向を受けて国鉄の民営化はやむなしとして、国鉄の民営化案をまとめます。(最終的な案は昭和61年1月28日に正式発表されたわけですが、そこで提案された、国鉄改革案は、以下の通りでした。 社会党、国鉄改革案 国鉄分割民営化は既定事項としてやむを得ないとするも、あくまでも政府が株式の70%以上を保有することで実質的な国営事業であることを明記するとともに、民間会社ですので、スト権の関する問題は解決される。雇用の確保については、民営化手法の導入だけですので、問題なくスト権は付与されることとなります。「国鉄問題社会党案(日本鉄道株式会社法案)…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 136

    こんにちは、引き続き国鉄労働組合史をご覧ください。 今回も、国労の資料を参照しながら、独自の解釈を加えていくのですが。再建監理委員会としては、なんとしても分割民営化は不可避であったとして、世論を作っていきたいと思うわけですが、仁杉総裁が更迭され、推進派の杉浦喬也総裁が就任するに及び、国鉄の分割民営化は待ったなしの状況に追い込まれました。 まして、一足先に二公社(電電公社と専売公社)が民営化され、長期債務の問題等で一番困難と言われた国鉄が残るという構図になっていました。(郵政は現業のため今回の再編では対象外) そんな中で、国労・動労・全施労は国鉄分割民営化では反対という点で一致しており、鉄労だけ…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 135

    長らく更新出来ませんでしたが、久々に投稿させていただきます。 今回は、国鉄部内紙、国有鉄道も参照しながら国鉄を取り巻く環境を検証していきたいと思います。 国鉄の分割民営化を容認していたのは鉄労のみ 国労、動労、全施労、全動労が監理委員会の最終答申に対して、 公共交通としての国鉄の位置づけがなく、不採算部門は徹底して切り捨てとなる 分割による全国ネットワーク破壊について、具体策を明らかにしていない。 長期債務については政府、財界、国鉄官僚の責任にふれず、用地売却など土地利権を確保するものとなっている。 『余剰人員』対策は、労働者間に分断. 選別をもたらすと同時に、労働者の雇用不安を助長するもので…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 134

    今回も国労の資料を底本として、解説を加えさせていただこうと思います。 国鉄の分割民営化論議を考えていく中で、国鉄当局は当然のことながら解体には反対であり、労働組合も国鉄という組織の解体には反対の立場を取っているわけで、自民党も必ずしも分割民営化を当初から容認していたわけではありませんでした。 むしろ、規制としがらみに縛り付けられた国鉄を少しでも動きやすくしたいという思いが改革三人組の方向性であったと思われますし、実際に自民党も当初は出口論【結果としての分割民営化はやむなし】という考え方であり、分割民営化を推進した鉄労も、当初は分割民営化には反対しています。 鉄労は、分割民営化を容認と報道される…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 133

    長らく更新できませんでしたが、久々に更新させて頂きます。 国労の記事では世界情勢を中心とした内容でしたので、今回は割愛し、国鉄の昭和60年国鉄線9月号からの記事を参照しながら解説を加えさせて頂こうと思います。 国鉄は、昭和59年度で収支均衡を達成した? 国鉄は昭和39年以降赤字決算だったという言うことで、それ故に民営化が行われたと言うことになっていますが。 実は、国鉄監査報告書を参照しますと、国鉄の収支は幹線系に限れば、昭和59年には黒字を達成していました。 これは、昭和60年における幹線系の収支均衡を図るという目的からすれば、1年早く達成した目標でした。 以下は、国鉄部内紙、国有鉄道1985…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 132

    監査委員会が提出した最終答申と国鉄 昭和60年7月26日、国鉄再建監理委員会は、最終答申を総理大臣に提出、国鉄の分割民営化への方向性がきまることとなりましたが、以下に書かれているようにその大方針としては、旅客会社の6分割と貨物会社の単独分離、更に新幹線に関しては旅客会社の保有ではなく、保有機構が持つと言う点が注目される点でした、1~3は、組織のあり方であり、4番は人の流れと言うことで、労働運動的には、当然のことながら余剰人員対策に注目するわけですが、 弊サイト国鉄があった時代には下記のように記述されています。 再建監理委員会「国鉄改革に関する意見」を総理大臣に提出 7/26 旅客6分割 貨物分…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 131

    今回は、鉄労が提唱した地域本社制に関しての国労の見解です。 なお、公正を期するために、鉄労自らの、地域本社制に関する話を合わせて参照しながらお話を進めたいと思います。 国労視点では、鉄労の地域本社制導入は、分割民営化を容認したと認識 最初にお断りしておかないといけないのは、鉄労は、「再建監理委員会の緊急提言に対する我々の意見と任務」並びに「国鉄の分割・民営化から職場を守るために・業務の外注化より労働生産性を高めよう」という別冊資料を提案し、国鉄再建に対する考え方を明らかにしたとしていますが、これは国鉄の分割民営化を容認する、もしくは、推進するものではありませんでした。 国労の資料では、以下のよ…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 130-2

    総評にしてみれば、国労・動労であり、全逓(郵政)共々、総評の左派を占める一角であり、いわば総評にしてみればお得意様ということになります。そう言ったわけですから、総評としては国労の意向に沿うような提案がなされることになりました。 その中で、総評としては> ①今の国鉄の経営危機をどう解決するか、②日本の将来の( 公共) 交通システムをどう設定するのかの2点から見る必要があるとし、監理委員会の再建 案は①の対応だけで、②の視点が欠落していると批判した。 とあるように、確かに国鉄の改革と言いながら、経営危機の解決だけがクローズアップされており、将来的に高速道路には税金による整備がなされるのに対して、国…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 130

    久々に更新させていただきます。今回は大原社会問題研究所の記事などを参考に個人的な見解を加えていきたいとおもいます。 国鉄のあり方を大学の教授に委任するが・・・ 鉄労は、民営・分割を容認する立場を比較的早い時期から示しており。 動労も、昭和61年夏、鉄労の京都大会に松崎委員長が出席する歴史的演出の中、組織の生き残りをかけて労使協調路線に踏み出すことを決定していく中で、国労は分割・民営化共に拒否するという方針を堅持していました。 国労は、国鉄のあり方を問うために昭和58(1983)年1月に「国鉄研究会(座長・高梨昌信州大学教授)」を書記長とした諮問機関を設置し国鉄のあるべき姿を諮問し。昭和59(1…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 129-2

    長らく更新出来ていませんでした、今回は国鉄分割民営化反対への国労の対応と言うことで見ていきたいと思います。 国労は一貫して、民営化反対を唱えていましたが、以下の国労独自の国鉄再建案を策定するにあたり、当時の大会の様子などが、国鉄部内紙【国有鉄道】に掲載されておりましたので、一部抜粋しながらご覧いただこうと思います。 今回参照した、国有鉄道10月号 表紙 国鉄分割民営化への反撃、国労の対応 国労は、定期大会での分割民営化反対と余剰人員対策の撤回案を決めたと書かれていますが、具体的にどのようなものであったのかを見ていきたいと思います。 以下は、国有鉄道昭和59年10月号 視点論点という記事から引用…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 129

    久々に更新させていただきます。 今回は、国鉄労働組合40年史も参照しながら、お話を続けさせていただこうと思います。 第46回定期全国大会での決定事項 国労のこの大会では、「余剰人員調整3項目」を当局が提案してきた背景には、以下のような目的があるとしていました。 なお、余剰人員調整3項目とは、当局が提示した人事案で下記のような内容です。 改めて、ここに示しておきます。 年齢56歳以上のものの特別昇給の停止 退職前提休職制度の導入 全職員を対象とする派遣制度の導入 でした、当時の国鉄には明確な定年がなく、概ね55歳前後で勇退する人が多かったのですが、55歳を超えて働く人も居たようです。 そこで、5…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 128

    今回は、国労の国鉄再建提言と言うことで、国労の資料では、国鉄研究会の国鉄再建「提言」が行われたと、書かれているのですが、実は国鉄労働組合40年史を参照したのですが、詳細が書かれていないため、補足しての説明が難しいのですが、個人的見解を中心に書かせていただこうと思います。 また、国労がこの国鉄研究会をいつ発足させたのか具体的な日程が出ていないのですが、恐らく国鉄当局の事前協議資料が出る前であったと思われます。 国労による国鉄再建提言 国労が「国鉄研究会」( 座長∴局梨昌信州大学教授) を書記長とする、研究会を設置した背景には、国鉄当局がヤード系輸送の廃止などを発表したことによる危機感によるものと…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 127

    引き続き、国鉄労働運動史からアップさせていただきます。 国鉄は、運賃改定に辺り三種類の運賃を準備した 前回も書きましたが、昭和59年4月20日の運賃改定は、国鉄は政府当局の意向も受けて、鉄道運賃を三種類に分けて、割増運賃導入した地方ローカル線、一般幹線、特定区間運賃の三種類に分けて申請されました。 この運賃値上げでは、競争力の高いところは、できるだけ運賃を抑えるとともに、ローカル線などでは運賃を上げる、擬制キロを採用することで、実質的に高くなる事を狙ったものであり、これに対して、国労は反対運動を始めることとなります。 ただ、こうした動きに対して国労は、反対を示していますが、実は国鉄当局自身が、…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 126-2

    昭和59年の運賃改定は、再建監理委員会の提言もあり、地方交通線に有っては、割高な運賃を、都市部の路線では運賃の値上げを抑制する(いわゆる特定運賃)を導入することを決定して行くこととなりました。

  • 国鉄労働組合史詳細解説 126

    久々に更新させていただきます。 今回は、昭和59年に実施される運賃改正に関連する項目について述べさせていただこうと思います。 今回の運賃改正で、線区別運賃制度が導入されることに 国鉄では、再日本国有鉄道再建監理委員会、昭和58年8月2日に、政府に対して 「全国一律運賃制度について早急に是正することとし、例えば、大都市圏,新幹線、その他の幹線、地方といった分野にわけ大都市圏は厳しく抑制し、地方は割増を行うなど、原価を十分配慮して格差をつけるべきである」 と言う提言がなされ、全国一律運賃制度について早急に是正する機運が高まりました。 国鉄の運賃は、鉄道省(運輸省)直営時代から法令で定められており、…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 125

    久々に更新させていただきます。 本日から久々に、国労の資料を底本として、解説を加えさせていただこうと思います。 はじめに 今回は、国労がローカル線廃止を唱える中で、国鉄当局は幹線鉄道以外のローカル線(輸送密度4000人未満の路線)を全て、国鉄が出資する株式会社に移管して地域毎の運営を図るとして、臨調に対する対案として示してきました。特定地方交通線にみられた、第三セクターにより近いものになっていたかもしれませんが、各路線毎に運賃も異なる路線が生まれていたりしていたかもしれません、さすがにその案に対して、再建監理委員会も、極論すぎるとして拒否しています。 国鉄と言う組織を考えるとき、常に極端から極…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 124-2

    引き続き、職場規律の確立などに踏み込んだ、小委員会の第2部をアップしたいと思います。 当時の様子をご覧いただければと思います。 ここで注目すべきは、当時の自民党の考え方は、必ずしも分割民営化が答えだと思っていない点だと言えます。 「分割、民営論は出口論であるべき、最初に分割民営ありきという臨調側の議論は入口論だ。」 この発言は大いに注目すべきだといえますね。 「国鉄再建に関する小委員会」の開催日とその内容 第20回 4月13日(火)委員長から審議に基づく私案が提示され、若干の字句修正の上で承認。 4月16日(金)「管理経営権及び職場規律確立に関する報告」との標題を冠し、交通部会・国鉄基本問題調…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 124

    今回も、国労の資料ではなく、国有鉄道(国鉄の部内誌)から「自民党「国鉄再建に関する小委員会」の設置について」昭和57年10月号から当時の国鉄並びに自民党の動きをご覧いただこうと思います。 臨調と国鉄の経営計画 国鉄の改善計画は、昭和56年5月に策定され10ヶ月ほどしか経ていないにもかかわらず、新たに「国鉄再建に関する小委員会」という小委員会を開催する事になったのでしょうか?その経緯は?ということで書かせていただきました。それは、前年の大蔵省に対する助成金を減額する動きに対する牽制として、国鉄が本気で改革を進めていることを示さなくてはならないとして、設けられたもので、「国鉄の労使関係の改善は最大…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 123

    気がつけば1ヶ月以上も更新できていませんでした。 申し訳ありませんでした。 さて、今回は国労の記事からと言うよりも、国鉄部内誌の国有鉄道の記事から引用したいと思います。 国有鉄道は、国鉄の幹部クラスおよび管理局などの要員向けの雑誌で、国鉄線が営業中心の内容であるのに対して、経理とか総務的な内容が多くなります。 監理委員会の答申は、国鉄当局にとっても大きな課題となった 昭和57年5月17日、臨時行政調査会第4部会報告が出され、国鉄の分割民営化の方向が出されたわけで、国鉄当局としてはなんとしても分割は避けたいという事になるわけですが、最初に臨時行政調査会第4部会答申までの流れを今一度振り返ってみた…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 122

    久々に更新させていただきます。 最初から民営化ありきではなかった国鉄改革 国鉄では、昭和55年の「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」により、国鉄は最後の再建計画と言うべき再建計画を策定することとなりました。 それまでは、どちらかというと数字合せに終始していた再建計画ですが、ここに来て、国鉄にこれ以上は待てないからと言うことでいわゆる詰め腹を切らせる、そんな状況であったと言えそうです。この法令により、特定地方交通線と呼ばれたローカル線についてもメスが入れられることとなりました。 組合運動の話に入る前に、法令の条文を一部抜粋しましたのでご覧いただこうと思います。 瀬野八にて 日本国有鉄道経営再建…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 121

    久々に、国労運動史を底本にして解説を加えさせていただこうと思います。 国労が提案する、過員解消策 国労によれば、過員【国鉄当局的には余剰人員】の実態は、草むしり、文鎮づくり、今まで協力会社に回していた業務、自習という名の職場隔離であるとして、過員活用の要求として、下記のような活用方法を提案したとしています。 ①『みどりの窓口』の時間規制廃止、現在閉鎖中の窓口の復活、②縮小・時間閉鎖している全国主要駅の改札ラッチへの要員増配置、③案内用電話の増設、要員配置、駅案内コーナーの充実・新設、④無人駅への職員配置、⑤旅行センターの充実・強化、要員配置、⑥自動券売機での混雑などの解消策として閉鎖窓口の復元…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 120

    国鉄労働組合史詳細解説、今回も国労の記事ではなく他の記事などを参照しながら書かせていただきます。 今回は、国鉄部内紙、昭和60年1月号の記事から書かせていただこうと思います。 職場規律確立が叫ばれる中で再び起こった惨事 昭和59年10月19日 特急「富士」、西明石駅構内で客車がホームに激突と言う事故がありました。 当時は寝台列車などに関しては引き続き2人乗務が行われていました。(これは、EL・DL一人乗務問題まで遡るのですが、蒸気機関車と異なり、機関助士の仕事を殆ど必要としないことから、機関助士を廃止する事を計画しますが、これに強く反発した動労などが、一人乗務反対の闘争を行い、妥協の産物として…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 119

    今回は、国労の資料を参照せずにオリジナルの内容をおとどけします。 国鉄が昭和59年2月の改正などを経て大幅な過員【余剰人員】を発生したわけですが、これは、既述のように今までの合理化が出来ていなかった分の反動とも言えるもので、新規採用を停止しても、それだけに過員【余剰人員】が発生していましたので、国鉄では分割民営化前には、多くの直売売店などが誕生しますが、この頃一番力を入れていたのが営業活動であり、過員解消のための勧奨退職【55歳以上の定期昇給の中止等】も併せて行われていました。 今回は、昭和59年当時の各組合の考え方について、国鉄部内紙国有鉄道を参考にしながら絞殺してみたいと思います。 国鉄の…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 118

    国鉄の過員状態について、国労の実態が語られています。この当時は、国鉄の余剰人員(国労的には過員)は、出向なども行われており、鉄労・動労は出向に応じていたのですが、国労の方針は、出向「しない・させない・(話を)きかない」と言う3ない運動を始めており、国労の見解をそのまま鵜呑みにするわけにも行かない部分があります。 59.2の合理化は不可避な合理化だったのか? 国労は、「59.2ダイヤ改正によって大量の過員がでた」として、その現状を書いていますが。 すでに、昭和57年の大幅なダイヤ改正で、貨物列車の大幅削減が行われており、この時点で、動労は大幅にその運動方針を転換。 それまで鬼の動労と言われるほど…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 117-2

    1ヶ月以上更新できず申し訳ございませんでした。 今回も、国労の記事を底本として、解説を加えさせていただこうと思います。 生産性運動以降の国鉄では職場の荒廃が進む結果に 職場規律の確立とワッペン闘争について書かれていますが、昭和48年の動労新聞などを参照しますと、職場でワッペンをするのが民主化であるとする記述が見られます。 特に、学園でもワッペンを導入することで民主化が行われた・・・組合の意向が通る職場になったという意味だと思いますが。 利用者不在の考え方が、当たり前になってしまっている辺りに国鉄の病巣があったと言えそうです。 逆に言えば、そうした病巣を取り除こうとしたことに対し、国労は大きく反…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 117-1

    久々に更新させていただきます、 今回も国労の労働運動史を底本として、国鉄当局の動きを見ていきたいと思います。 国労との労使強路線と決別した当局 国労との労使協調と書くと違和感しか残りませんが、当時の国鉄当局は、国労幹部と職員局、動労と運転局が癒着と言えるような状況であり、車両に関しては動労の意見がかなり反映された車両が製造されていましたし、国労の幹部と職員局の幹部の癒着もありました。 この辺は、大野氏の国鉄を売った官僚たちにも出てきます。 そんな、国鉄の方向が大きく変わった潮目は、ブルトレ闇手当問題であり、昭和57年のブルトレ事故【いわゆる名古屋駅で、勤務前に飲酒し酩酊した状態の運転士がDD5…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 116

    今回も、国鉄労働組合の記事を底本に解説を加えていく形で進めさせていただきます。 国労の記述によりますと、国鉄債権管理委員会が昭和58年8月2日に、第一次緊急提言を行い、その提言では、職員管理の強化等が提言されたと書いています。 再建監理委員会の緊急提言と国労 そこで、第一次緊急提言の全容を知らないことには、どの様な内容であったのか検討のしようもないかと思いますので、少し調べて見たところ、幸い、国鉄の部内紙「国有鉄道の記事がありました。 提言の骨子は以下の通りでした。 経営管理の適正化 事業分野の整理 営業収支の改善及び債務増大の抑制 であり、国労が注視したのは、経営管理の適正化と、これに関連す…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 115

    本日も、国有鉄道労働運動史として、国労の資料を底本として、昭和58(1983)年当時の国鉄の様子をご覧いただこうと思います。 元資料が国労の運動史ですので、国鉄労組寄りの内容ではありますが。出来るだけ中立的な立場で記していきます。 職場規律の是正に取り組む国鉄当局 さて、国鉄当局は、6月16日に、職場規律の改善の一環として、組合側の既得権益を撤回する動きを出してきました。 下記国労の資料を見ますと、「当局から新しい協定案を提示された。提案された内容は、マル生闘争収拾時に「紛争対策委員会」でとりかわした労使確認を否定したもの」としています。 83年6月16日に当局から新しい協定案を提示された。提…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 114

    久々に更新させていただきます。 二公社が民営化された初めての、'85年春闘 昭和60年の春闘は、4月1日からで「電電公社」「専売公社」がそれぞれ民営化されたことから、一公社四現業による賃金交渉となりました。ここで、国労は、85春闘の要求として2万8000円、12.9%を掲げ、国鉄当局との交渉に臨んだ。 と国労は書いていますが。 この辺について、国鉄当局側の資料がありますので、そちらからも引用してみたいいと思います。 国有鉄道という国鉄部内紙から引用してみたいと思います。 公労委(公共企業体等労働委員会、掘秀夫会長〉は、さる5月30日、国鉄及び4現業職員の本年度の賃金引き上げについて仲裁裁定を提…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 113

    久々に更新させていただきます。 国鉄労働運動、改めて鉄労視点というブログも立ち上げさせていただいたのですが、実は本家のこちらよりも人気になりそうな雰囲気です。苦笑 国労からの視点でのblogなり書籍は多いので、鉄労的視点からみた場合はそれはそれで面白いかなと思っています。 さて、こちらでは再び国労の労働運動史を底本として、綴らせていただきます。 昭和59年の春闘に関しては 国労の記事では、下記のように書かれていますが。前年昭和58年の名目賃金の上昇率は、大原社会問題研究所、日本労働年鑑第55集 にある、賃金と労働時間の項によりますと、調査対象の産業全体で3.5%製造業でも3.9%dいずれも前年…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 112

    久々に更新させていただきます、今回も国労の資料を底本として、解説を加えさせていただくこととします。 昭和58(1983)年の世相とは 昭和58年春闘における賃金闘争に関してのお話になっていますが、昭和58年当時の景気は、徐々に回復傾向にあったとされており、 昭和58年の春闘について、大原社会問題研究所労働年鑑、昭和59年版の中から引用させていただきますが、当時の労働運動全般の動きを見ていますと、下記のような動きがありました。 中曽根新内閣が発足し、日本の軍事大国の強化が懸念され。行政改革の断行も公約とされた 連合の前身、全民労協(全日本民間労働組合協議会)が発足、労働戦線に新たな流れが起こった…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 111

    皆様久々に更新させていただきます。 今回は、再び国労の労働運動史を底本にして説明を加えさせていただきます。 経済不況と春闘相場 昭和58年、国鉄の財政は厳しさをましていましたが、それ以上に経済の悪化は大きく、実質経済成長率は、当初見通しを大きく下回り、5.2%から3.1%に下方修正されたといわれています、当然のことながら、春闘における、相場も厳しいものとなりました。 労働四団体は統一要求として、7%の賃上げを要求 八三年春闘にあたって、82年12月3日、労働組合としては7%の要求基準が決められました。これは、82年12月3日、労働四団体の事務局長・書記長会議決定されたものでした。*1 国労の労…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 110

    今回も、オリジナルの記事として、前回に引き続き、昭和55年頃の、国鉄の事情等を、国鉄の部内誌、国有鉄道の1980年6月号(今次春闘を振り返って)を参照しながら、総括していこうと思います。 国鉄を含めた、現業公務員や公社職員は、経営側が自らの判断で賃金を決定できず、もちろん、運賃値上げなども国会の承認がいりますので、当局には実質的な当事者能力はありませんでした。 このストライキは、総括すると国労・動労にとってはあまり実入りが無いストライキでした、労働側4委員が揃って辞表を提出、結果的に賃金問題は未解決のまま、ストライキは中止されることとなりました。 その当時の時系列を抜き出してみますと下記のよう…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 109

    今回は、オリジナルの記事としてアップさせていただきます。 昭和55年頃の、国鉄の事情等を再び、国鉄の部内誌、国有鉄道の1980年6月号(今次春闘を振り返って)を参照しながら総括して見たいと思います。 不協和音が見られた公労協、独自路線を歩む全電通 昭和54年、官公労は、私鉄総連などと組んで公労協統一闘争を行っていましたが、ここに来て、全電通(現:NTT労組)が自主交渉、個別調停を行うことを提唱し、官公労の統一闘争から一足早く離脱するなど、全電通の独自性が見える春闘でした。 全電通自体が、全電通が、1970年代後半から、賃金闘争と物価闘争を重視する運動を進める独自性を発揮して、官公労からの距離を…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 108

    久々に更新させていただきます。 今回も国労の労働運動誌を底本に、労働運動の変遷を別途調査した資料等を参照しながらアップしたいと思います。 過熱気味の公定歩合と賃上げ闘争 国労の資料によりますと、80年代春闘の話をここで行うとされていますので、こちらノーページでも、春闘を中心に国労、そして他の組合の動きを80年~82年までを3回に分けてアップさせていただこうと思います。 1980年当時の公定歩合は、昭和55年2月19日に改訂され、年7.25%(1.0%引上げ)されています。 www.boj.or.jp 参考:日本銀行公表資料 昭和55年2月19日公定歩合改定 今では考えられないくらいの好景気です…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 107

    本日も、国鉄労働運動史をご覧いただこうと思います。 今回は色々と資料を探してみたのですが、鉄労の資料を『国鉄民主化への道』を参考に書かせていただくのが一番詳しく時期列ありましたので、この記事を参考に解説を加えさせていただきます。 国労とのパイプを絶つことに成功した、仁杉総裁の辞任 国鉄民営化に投書は賛成の意向であった、仁杉総裁は、本社内の民営化反対の勢力に押される形で、民営化を容認から、反対に転じることとなりましたが。この辺は、もう少し複数の資料を探していく必要はありそうですが、6月21日に、仁杉総裁は辞表を提出、翌22日は土曜日でしたが緊急役員会が開催され、縄田国武副総裁と半谷哲夫技師長が辞…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 106

    ここ最近更新が出来ずに申し訳ありません、昭和60年の公企労レポートが手元にないのですが、出来るだけ資料を集めながら書かせていただこうと思います。 55歳以上の労働者脱退を阻止するための抗議行動を行う国労 年が明けて以降、多くの地方、職場で「五五歳以上の者は一人も残さない」と、人権無視の退職の強制・強要・差別など、目にあまる不当な行為が続けられていた。そうした状況にたいし、全組合員で五五歳以上の労働者を防衛しようと立ち上がった。3月25日から、国鉄の分割・民営化反対、緊急課題の要求の前進、職場での人権侵害抗議の全国統一行動が展開された。3月26、27、28の3日間、連日1,000人が国鉄本社前に…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 105

    国鉄当局の基本方策を監理委員会に提出 国鉄は、1985年(昭和60年)1月10日に、国鉄の経営形態のあり方について、下記のような経営改革のための基本方策として発表しました。 本文は非常に長文ですので、後ほど弊サイト【国鉄があった時代】で全文アップする予定ですが、一先ず新しい経営形態のあり方について言及した部分について書かせていただきます。 ポイントは以下のとおり 公共企業体→民営化を行う 民営化に際して徹底した分権化を前提としたに全国一体の特殊会社 地方交通線については、全額出資の株式会社として分離運営 下記のようなイメージになります。 上の図でも出ていますが、北海道と四国も基本的には場合によ…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 104

    久々に更新をさせていただきます。 本日は、国鉄当局が提案した、依願者休職に対する動きについて、国労・当局の双方から見ていきたいと思います。国労史では、撤回のみを強力に推し進めた点しか記述されておらず、国鉄部内誌や千葉動労など他の組合の資料等を参照しながら補強していきました。 今後は、動労の運動史なども購入するなどして他の組合史と比較しながら中立的視点から記述できるようにすべくしていく所存です。 依願休職募集に対する動き 国鉄の施策の一つであった、「依願休職」に関しては、本社は10月10日からの実施を予定していました。 国鉄当局が、この制度に踏み切った背景については、太田職員局長は、国鉄部内誌【…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 103

    待ったなしの再建委員会 再建監理委員会は、8月10日に第2次緊急提言を中曽根首相に提出することになりますが、再建監理委員会の中では情報を小出しし、活方針を早めの示すことで、野党などの反発を抑えようとする動きがあったと言う記述もあります。 以下、大原社会問題研究所の労働年鑑 第57集 1987年版から引用させていただきます。 監理委員会は、その後も国鉄予算など具体的な国鉄改革の意見を発表しながらも、国鉄の分割・民営化のための検討をつづけた。八四年六月四日には第二次提言のなかに分割・民営化の基本方針を盛り込むことを決めた。このことは、分割・民営化反対論が国鉄内部や自民党の一部および野党のなかにまだ…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 102

    高木総裁に代わり、仁杉総裁就任 仁杉総裁は、1983(昭和58)年11月25日に高木文雄国鉄総裁が辞意表明した異を受け、その後任として、29日に仁杉巌総裁が閣議決定されました。 高木総裁の辞任は、1兆4,000億近い赤字を出した責任をとらされたと言うよりも、臨調や監理委員会にたいして批判的であった事から、更迭されたと考えるべきかも知れません。高木総裁は、組合との関係も決して悪いとは言えず、むしろ再建監理委員会の方針には反対の立場を取っており、分割民営化は反対というスタンスを取っていました。 今回白羽の矢が立った仁杉総裁は、元国鉄の技師長で、西武鉄道の社長を歴任、国鉄総裁就任前は、日本鉄道公団総…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 101

    一か月以上も更新しないまま、過ぎてしまいました。本日も、国労運動史を参考に当時の国鉄の様子を見ていきたいと思います。 いままで、国鉄部内誌からの引用が多かったのですが、今回は大原社会問題研究所、労働年鑑を参照しつつアップさせていただこうと思います。 高齢者の退職を促進するため、定期昇給等の停止を実施 日本労働年鑑 第56集 1986年版 第一部 労働者状態 II 産業合理化と経営・労務 から、引用させていただきます、ここでは国鉄の退職前提の休職に関して比較的詳しく書かれていました、まず最初にお断りしなければいけないのは、国鉄には定年制度がなく、勧奨退職年齢と言う言葉を使っていたということです。…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 100

    皆様、久々に更新させていただきます。色々と資料を探してみるのですが、この辺の資料であれば、公企労レポートが一番適当かと思うのですが、あいにく持ち合わせておりませんので、今回は深掘りした意話ができないことを最初にお断りしておきます。 国労による「三ない運動」 国労は、分割民営化反対を当初から掲げており、「三ない運動」と呼ばれる戦略行動でした。 辞めない・・・勧奨退職に応じない 休まない・・・一時帰休 出向しない・・出向 国鉄当局が進めていた施策でしたが、国労はこれを「首切り三項目」として、徹底的に反対するようにしていました。 特に、これ以外に、「こうした話を聞かない」を含めた行動としていた場合も…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 99

    本日も、国労の労働運動史を底本にして、昭和59年当時の国労の動きを中心にして、国鉄改革の歩みを見ていこうと思います。 そこで、当時の国労だけでなく、動労の動きにも注目してみたいと思います。国有鉄道という国鉄部内誌を参照しますと、昭和59年7月~8月にかけて開催された国労・動労、鉄労などの組合大会の様子が書かれており、詳細は不明なるも概要を知ることは出来そうです。 そこで、少しずつその辺を抜き書きしながら、当時の各組合の考え方を見ていきたいと思います。 人員削減・貨物輸送削減・ローカル線廃止のいわゆる三項目には動労も反対 昭和59年10月号の国有鉄道を参照しますと、7月17日から20日まで秋田市…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 98-2

    今回も、国労は56歳以上の者の退職条件を切り下げることで退職を促進することを目的とする当局の方針に異議をとなることとなります、しかしそういった申し出に対しても、当局側はなかなか応じようとはしませんでした。 さて、実際にはどのような経緯となるのでしょうか、以下お読み下さいませ。 現在、労働組合視点の資料を探しているのですが、中々見つけられませんので、当局資料などを中心にして類推しながら書かせていただくことを了承いただきたいと思います。 合理化は国鉄改革の原点と位置づけた当局 国鉄の場合、組合問題に論点がいきがちですが、何故合理化を強力に推し進めなくてならなかったのか、その一つには、確かに組合との…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 98

    さて、本日は59・2ダイヤ改正に伴い発生するであろう過員に対し、国鉄当局は退職前提の特別休職を中心に休職を者の募集を開始したが、それに対して国労は、強く反発する反面、組織温存を図りたい、動労、鉄労、全施労は当局の要求を早々と受け入れ、さらに早期に募集開始を迫る構図となり、国労側にプレッシャーをかけることになります。 そうした中で、一定の整理がはかれたとして国労も改革三労組(動労・鉄労・全施労)とほぼ足並みを揃える形で休職者募集が開始されることになります。 現在、この辺に関して当局視点だけではなく、国労なり動労の視点での資料を集めようとしているのですが、適切な資料が中々適切な資料がありませんので…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 97

    長らく開けてしまいましたが、再開したいと思います。 今回も、国労の資料を底本に展開させて頂きます。 国労が過員センター【国鉄当局の名称は、人材活用センター】ですが、その実体ということで、営業補助【特別改札などの他、今まで協力会社が行っていた下請け作業の直営化等が行われたと記録されています。 また、直営売店などへの転出なども行われ、一部の組合員は、正規の名札を着用せず、元所属の名称を書いた名札を着用するなどの行為が見られました。 なお、国労の記述では 国労本部は「過員」問題についての職場実態調査を4月と7月に実施したが、それによると過員発令が属人的であったり、入れられた「過員センター」の環境が劣…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 96-2

    長らく更新しておりませんでしたが、改めて更新させていただこうと思います。 国鉄当局の退職前提の休職に対する、国労の闘争を、国労の資料から見ていくものですが、国鉄のこうした大量の過員【余剰人員】は、どのような契機で発生したのかを考えないとみえにくいものがあります。 合理化しても人を減らせない職場 本来であれば、機械化することなどで合理化するのが本来なのですが、合理化=人減らしに繋がるとして、「合理化しても人を減らさない」もしくは、合理化させないといった行動を取ってきた時代がありました。 昭和53年鉄道ジャーナル10月号では、架線下DCの特集をしていますが、そのパターンとして 非電化線区への直通が…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 96

    久々に更新させていただきます。 今回は、昭和59年2月以降の国鉄の動きについて、国鉄の部内誌などを参考に書かせていただこうと思います。 なお、組合視点の記事については、次回、組合史詳細解説 96-2として書かせていただきます。 ご了承ください。 約2万5千人の余剰人員 昭和59年の輸送システム改廃で国鉄では数多くの過剰人員が発生しました。 国鉄側の資料などによりますと、 計画 29,800人 実行 43,500人(+14,300)と当初計画よりも合理化が進んでしまいました。 退職予定者 22,000人 退職予定者が、当初の見込みを下回った原因は、年金支給開始年齢が55歳から56歳に延伸された為…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 95

    当局の人員削減対策 国鉄の余剰人員は、昭和57年に退職のピーク以降は緩やかな減少を辿り、国鉄の監査報告書によると、59年度期首に於ける余剰人員(過員)は、24,500人となったと報告されています。 今後も合理化で、更に余剰人員(過員)が発生するため、その対策として、当局は、一時帰休制度や退職前提の休職制度などを提案してきます。 昭和58年監査報告書 134ページを抜粋 退職前提の休職や、派遣制度の導入 退職制度の見直し ① 退職条件=56歳以上の者の特別昇給は行わない。 ② 在職条件=55歳以上のものの定期昇給、ベア、昇職・昇格は行わない。 職員の申し出による休職退職前提の休職の適用条件として…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 94

    本日も国鉄労働運動史を底本として、昭和59年2月以降の労働運動について見ていきたいと思います。 構造的な余剰人員【過員】問題 過員の問題は、昭和58年頃から顕著になってきたようで、運転職場などでは一足先に昭和57年頃から、発生していたと思われますが、国鉄部内誌、国鉄線 昭和60年1月号の記事によりますと、天王寺鉄道管理局では昭和58年12月21日に実施された、CTCの使用開始に伴い、余剰人員が発生したと記述されています。 国鉄があった時代を参照しますと、下記の記述を見ることが出来ます。 紀勢本線 亀山~新宮間、参宮線 多気~鳥羽間CTC使用開始 12/21 国鉄大阪電気工事局と天王寺鉄道管埋局…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 93

    過員の発生と組合運動 国労の資料だけで見ていると見えてこない部分も多いのですが、「職務内容は地方で交渉して決めるよう要求したのに対し、国鉄当局は過員の運用は管理運営権の問題だとして、交渉に進展はなかった。」 と書かれていますが、大原社会問題研究所の「日本労働年鑑 第55集 1985年版」を参照しますと、国労主流派であった民同左派が、昭和58年8月19日から23日まで開催された、定期大会では下記のような発言をしたと記録されています。 大合理化、分割・民営化にたいして、「労働者に犠牲をもたらさないかぎり、効率化を一面的には否定しない」との独自の「効率化」を模索し、前年の方針を踏襲した「長期抵抗路線…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 92

    本日も、国労運動史を底本として、検証を深めたいと思います。 任期途中で交代した高木総裁 仁杉総裁は、第8代高木総裁の後任として昭和58年12月2日に就任しています。 その背景には、高木総裁が、臨調の分割民営化に対して、批判的であったこともその要員と言われています。 当時の高木総裁の考え方では、国鉄は公共財であると言う考え方が根底にあり、国鉄を処分することに対して非常に批判的でした。 その辺が当時の中曽根首相には面白くなかったというところでしょうか。中曽根首相の中には、そうした意味では、「総評を潰すのが目的であった」と言う発言も理解できるような気がします。 中曽根首相としては、元国鉄常務理事で前…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 91-2

    今回は、労働運動視点というよりも、国鉄の再建計画と臨調と言う視点に立って考えていきたいと思います。 第2臨調が始まったのは昭和56年3月であり、財政再建を旗印に掲げたものでした。 当時は3k赤字(国鉄・米・国民健康保険)と呼ばれる赤字補?が問題視されていました。 特に、国鉄の赤字額は増大で、利子を払うために新たな借金をすると言う自転車操業に追われている状況となっていましたが、その多くは本来であれば国が整備すべき若しくは税金で補填すべき部分に対しても過剰な国鉄への依存や短期鉄道債券による資金調達などの問題(新線建設などの場合30年40年と長期にわたり費用の償還等が発生するため資金調達もそれに合わ…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 91

    当局に押しきられる形となった国労 国労は、貨物輸送の縮小に反対するとして、積極的に反対運動を行ったと書かれています。国労としては、全日本交通運輸労働組合との連携を図ったと書かれています。 また、国労は、下記のように総括していますが、施策自体は、臨調の後ろ盾というも、分割民営化を阻止したい当局側の組織防衛であったと考える方が素直であり、「臨調の後ろ盾」と言うよりも、「国鉄当局自体が背水の陣を敷かざるを得なかった状況であった」と考える方がより素直なような気がします。 全日本交通運輸産業労働組合協議会(公式ホームページ) 国労は全交運とともに全国各地で、宣伝・オルグ活動を強化し、荷主、関係団体、自治…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 90-2

    貨物事業縮小の陳情に対する当局の態度 再び当時の国鉄の資料を参照しますと、国鉄としては陳情に対して、下記のような対応策で応じていきたいと回答しています。 少し長いですが、全文引用させていただきます 四、陳情と対応策 陳情内容をいろいろな角度から述べましたが、陳情に対して私どもがどう対応しているか述べてみたいと思います。 貨物取扱駅存続460駅体制は、物流のまとまりを考えて組んだものであり、この駅体制と直行システム化は、言わば車の両輪であり、貨物取扱駅の存続はできない。 輸送ルート確保の車扱については、一定のまとまりのある区聞に限定して直行列車を設定しているので、輸送量の少ない区間には送れないこ…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 90

    当局の輸送改変の不当性を訴え、荷主の要望を集約する運動に出た国労 国鉄が、昭和59年2月の改正に向けて行った輸送改変に対して、組合としては、「国鉄問題を赤字や黒字という財政面からだけとらえるのではなく、公共交通・総合交通体系の視点から社会的に論議できるようになるか否かが、この闘いの重要なポイントとなる」として、「荷主訪問運動を全国的に展開し、当局計画の不当性を訴え国鉄貨物輸送に対する要望・意見を集約する。」とした運動方針を打ち立てるのですが、元々国鉄労働者の度重なるストライキにより、荷主が離れていった現状にあって、これはどうなんだろうかと思ってしまうのは私だけでしょうか。 「国鉄貨物輸送の問題…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 89

    地方都市圏で導入された「都市型ダイヤ」 国鉄は、昭和59年の大幅な輸送改善、【システムチェンジ】を提案してきましたが、最も大きな点は地方都市に於ける都市型ダイヤの導入でした。 59年2月の改正で、ヤード系輸送の廃止ばかりが目立ちますが、昭和57年11月の改正で広島地区のダイヤを列車形ダイヤから都市型ダイヤに変更して試行した結果顕著な結果でがでたことから、全国的に地方都市圏でも広島方式が検討されることになりました。 国鉄線 昭和58(1983)年12月 主要中核都市圏の輸送改善例から引用 この結果を受けて国鉄では下表のように、広島形の都市間輸送を行うこととなりました。【61年11月改正は省略】 …

  • 国鉄労働組合史詳細解説 88

    貨物合理化で職場を奪われる組合員 今回は、「新しい鉄道貨物営業について」と題する貨物合理化が計画について、国鉄当局側に資料などを参照しながらお話を進めたいと思います。 今回の貨物輸送合理化により、機関区、貨車区等の保守基地の再編成を行う」ことで2万人強の要員減となるころから、動労としては既に、労使対決から協調路線にその軸足を移していましたのでさほど大きな反対運動にはならなかったのでは無いかと推測していますが、国労にとっては保守基地の再編成による要員縮減は、直接組合員の減少に繋がるため、強く反対せざるを得ませんでした。 国鉄貨物の衰退は、どこにあったのか? 貨物輸送は、昭和45年から減少に転じ、…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 87

    今回は少し視点を変えて 今回は、労働組合視点ではなく国鉄当局視点で、国鉄改革をどのように受け止めていたのか見ていきたいと思います。 国鉄改革に関しては、急進派もいれば慎重派【守旧派】もいたわけで、国鉄の中でもその辺りは微妙な温度差はあったと思われます。 国鉄と言う組織が政治の介入を受けやすく、かつ民業圧迫の名の下関連事業などを制限された状況の中で、道路整備は特別会計による国策で整備され、国有鉄道は国鉄自らの資金調達で行わねばならないという矛盾についても国鉄が実質破綻する昭和45年頃までは何も特段の措置を政府は講じることはありませんでした。 その後の再建計画も言わば、数字あわせの再建計画のための…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 86

    久々に更新させていただこうと思います。 今回も、国労の資料を底本として、他の資料等を参照しながら見ていきます。 国鉄主導では無く、自民党主導で進められる国鉄改革 国鉄改革は、自民党ベースで進められることとなり、それは国鉄当局にとっても、内心忸怩たる思いもあったかと思います。 特に、今回の再建監理委員会の権限は単なる諮問機関では無く実行力を伴うということで、その拘束力は大きなものがありました。 民営化反対を明確にする国労 国労は、監理員会設の設置に反対し、社会党【現・社民党】や共産党と連携を図りながら、法案成立阻止を目指しましたが、法案は82年11月30日に臨時国会へ提出されて以後、国労としては…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 85

    久々に更新させていただきます。 今回は、国労の記事と言うよりも、当局の話を中心にさせていただきます。 再建監理員会の発足と緊急提言に関するお話の続きとなります。 国鉄当局としても、臨調の答申は、当初予想していた以上に厳しいものでした。 国鉄に対する国民の評価が決め手 電電公社【現・NTT】が積極的に真藤総裁以下民営化に進んだのとは対照的であり、電電公社は積極的に民営化に動くことで実質的に分割を免れ組織温存出来たのに対し、国鉄は結局地域分割並びに労働者の解雇と新会社による再雇用という形で行われました。これにより、結果的に多くの国鉄職員が職場を去ることになりました。 私の父親は管理職をしていたので…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 84

    皆様長らく更新できませんでしたが、久々に更新させていただきます。 本日も国鉄改革について書かせていただきます。 強大な権限を持つ再建監理委員会 第九八国会で審議に入り、八三年五月一三日に可決・成立した。国鉄再建監理委員会(以下、監理委員会と略す)は、単なる研究報告的な委員会では無く、行政委員会という位置づけがなされ、再建のための諸政策の執行機関としての性格が打ち出されていました、運輸省としては運輸省組織の改編にまで切り込まれるのでは無いかという危惧があったようです、それよりも衝撃を受けたのは当局であったと思われます。 臨調第4部会の中間報告に対して、国鉄の意見として、昭和57(1982)年6月…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 83

    本当に久々の更新でございます、本日は、鈴木・中曽根両首相により進められた、臨時行財政改革【略称、第2臨調】に関するお話をさせていただこうと思います。 鈴木首相の政策の目玉にしたかった臨時行政調査会 鈴木首相誕生の背景は、言葉は悪いが棚ぼた的なものであり、大平首相急逝に伴う自民党内の派閥の軋轢から生まれたと言ってもよく、目玉になる政策などもありませんでした。 最終的には、中曽根内閣が鈴木首相が取り組んだ臨調を受け継ぐ形で、国鉄や電電公社の民営化を進めることになったのでした。第二臨調と言われてますが、実は「第一臨調」と呼ばれるものも有ったのです。 昭和36年に実施された。臨時行政調査会【通称第一次…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 82

    またしばらく間が空いてしまいましたが、更新させていただきます。 今回も、国鉄労働運動史を底本として、解説を加えさせていただきます。 入浴に関する国労の主張と当局の見解 昭和57年3月から始まったの職場総点検では、今までの慣行がいよいよ明らかにされたことは既に述べてきたことですが、是正は強力に進められ、昭和57年12月の総点検では、入浴問題は概ね是正され、3月の点検で時間内入浴が行われていた職場が1677か所、12月の点検では583か所に減少したとはいえ1/3の職場では依然時間内入浴が行われているとして、より強力な方策がとられたようです、これについては国労は、勤務時間内入浴は、既得権益であるとし…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 81

    本日も、国鉄労働組合運動史から抜粋した内容に解説を加えながらアップさせていただきます。 法令から見る勤務時間内入浴についての可否について 今回は、昭和57年のブルトレヤミ手当事件を端緒とした、職場規律総点検(特別監査)により、多くの悪慣行が存在したとして、「勤務時間内入浴」が大きくクローズアップされることになりました。 国労の見解とに対する当局の行動とそれに対抗する国労の闘いが描かれています。 この点について何か根拠法令は無いかと探してみたところ、 下記の通り労働安全衛生規則 の中に、勤務時間中に身体や被服を汚染する恐れがある場合と規定しており、鉄道以外の職種では危険物(化学薬品等を扱う職種等…

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日本国有鉄道 労働運動史
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