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日本国有鉄道 労働運動史 https://whitecat-kat.hatenablog.com/

国鉄における労働組合史を底本に、国鉄が解体されて行ったプロセスについて検証していきます。

blackcatの思索帳と銘打って、国鉄労働組合やその他組合の主張等を参照しながら国鉄とはどんな組織だったのかをしゃかいげく的側面から検証してみるblogです。 内容が内容だけに難しいのですが、私なりに解釈を加えて解説しています。 不定期更新です。

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2016/04/03

  • 国鉄労働組合史詳細解説 153 国労闘争と労使共同宣言

    約一ヶ月ほど経ましたが、改めてアップさせていただきます。 労使共同宣言までの一連の流れ 昭和61年になると、国鉄分割民営化は既定事項となり、鉄労・動労・全施労は「労使共同宣言」を締結し、国労は更に孤立を余儀なくされることとなりました。 改めて国鉄改革関連の時系列を、弊サイト国鉄があった時代から引用しますと下記のようになります。 三塚運輸大臣が、組合幹部に要請したことを受けて、1月13日に杉浦総裁と国労以下組合幹部が会談、鉄労・動労・全施労の三組合は、「 案文については、 若干の主張はある」としながらも、基本的には同意できるとして、労使共同宣言を受諾、国労は 「 提案の方法が唐突だ」として、議論…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 152

    今回も国鉄動労運動史として、国労の記事を底本として当時の国鉄の様子を見ていきたいと思います。 国労は、当局が示した労使協調宣言を従来の慣例を破った方法であり、かつその内容は受け入れられないと書かれていますが、当局側の部内紙(国有鉄道)の記事にその辺の様子が書かれていましたので、引用してみたいと思います。 国労は内容を一瞥して退出 当局側の記述によりますと、1月13日に国労・動労・鉄労・全施労の組合幹部と個別に面談したとなっています。 その席上、国労は労使協調宣言の文書を一瞥して、「提案の方法が唐突だ」として退席したとされており、他の組合が多少の相違はあるものの概ね了承したという話と大きく食い違…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 151

    国鉄改革報成立前夜の動き 昭和61(1986)年9月、国鉄を取り巻く環境を弊サイト国鉄があった時代から抜粋してみます。 全て記述すると膨大な量になるので多少端折らせていただきます。 政府,国鉄余剰人員対策の基本方針〈国鉄等職員再就職計画〉正式決定 9/12「明日の国鉄を創る会」主催による「国鉄改革関西フォーラム」を大阪で開催 9/12京都府は、国鉄職員95人(府警分85人を除く)の受け入れを決定 9/12神戸市が国鉄職員100人の受け入れを決定 9/1215日現在の希望退職募集状況によると、退職希望職員認定申請を提出した職員は7、193人(そのうち2、945人が既に退職 9/15滋賀県は国鉄職…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 150

    久々に更新させていただきます。 今回から、弊サイト「国鉄があった時代」の記事を参照しながら、自身の記憶を絡めながらお話を勧めさせていただきます。 最初に1985年7月以降の国鉄に関する動きを見ていきたいと思います。 1985年後半(国鉄があった時代) 大畑線【路線廃止】下北~大畑間 下北交通に転換 7/1岩内線【路線廃止】全線(-14.9km)。ニセコバスに転換 7/1 興浜北線【路線廃止】浜頓別~北見枝幸(-30.4km)。宗谷バスにバス転換 7/1 この内、大畑線は、鉄道経営の経験を持たない民間パス会社に移管した全国初のケースとなる 第1次線40線区のうち29線区の転換が完了 JNRカード…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 149

    ランキング参加中鉄道 ランキング参加中歴史 ランキング参加中社会ランキング参加中相互で読者登録しませんか? 久々に更新させていただきます。 国鉄分割民営化が、既定の路線として進みつつある中では、市民レベルによる反対運動が提起されるようになってきました。 こうした取り組みの結果、「国民会議の結成」に繋がったと書かれていますが。こうした動きはあるものの、当時の国労は分割民営化絶対反対が基本方針であり、階級闘争という形で当局と対立してきた経緯がある国労からすれば、動労や鉄労のように労使協調路線は出したくても出せないカードでした。 昭和60年頃までは、国労は国鉄内では最大の組織力を誇り、ストライキを行…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 148

    今回も、引き続き国鉄分割民営化前後の記事をアップさせていただきます。 本格化する財政再建論議 国鉄の財政悪化を受けて、国鉄の財政再建が本格的に議論が行われていました。 4年前の昭和50年に行われたスト権スト、更には昭和51年の大幅値上げ(初乗り旅客運賃が30円→60円)平均50.4%が行われ、この頃から本格的な国鉄離れが始まりました。 その結果、旅客以上に貨物のトラックへの移行が進むなど徐々に国鉄の貨物輸送はジリ貧の状況に追いやられていきます。昭和52年には、国鉄運賃は法定制から運輸大臣の認可制に変更されることとなり、昭和53年5月には運賃改訂を申請、その後毎年のように運賃は改定されていきまし…

  • 国鉄労働組合史詳細解説 147

    今回も、国労の資料を中心に当時の国鉄分割民営化の頃の様子をご覧いただこうと思います。 国鉄では、昭和60年7月29日から8月2日にかけて行われた、国労の定期大会で決定した、5000万署名運動を展開して来たわけですが、既にこの時期には分割民営化ありきの方向に世論は誘導されていました。 当局は雇用安定協約を当局側が交わさず、揺さぶりをかけるものの、国労の構成員は未だ20万人近くを維持しており、国労とすれば、まだまだ逆転は可能であると考えていたようです。 この辺は、これからは「公企労レポート」なども参照しながら、お話を進めさせていただきます。 国労の的大会の前後のお話をさせていただくと、国鉄総裁が元…

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