「旅に出よう人生の旅へその道は遠いそして気づくだろう自分自身の心の故郷に向かっていることを誰が風を見ただろう人生の風も見えはしないけれど草や木々が頭を下げるとき風を感じる人生の旅も感じるものだ魂よ故郷に帰れ。」(4年前弟への追悼文)私も死んだら故郷に帰ろう。それまでは旅人でいよう。私の旅は終わりのない旅だから。旅人
「人間は毅然として現実の運命に耐えてゆくべきだ。そこに人生の一切の真理がひそんでいる。」(ゴッホ)奥深い言葉で私は大好きです。いまの与えられた現実を耐えること。それが自分の生きるすべての道の本質があるからです。躰が思うようにならなくなったお年寄りにもそう言って今を耐えて夢をあきらめないで頑張りましょうと励ましています。生きる真理
「難があるのが人生」(私)生きる(Live)の反対のつづりは不運・悪・厄(Evil)。誰の人生にも難や不運が尽きないもの。あなただけが苦しいのではないのです。それを知る事が生きる事なのです。皆様のこれからは「難なく生きますように」。私の兄弟は5人。私は3歳から難病に悩まされ高校まで登校を休み自宅静養していた。小学校留年を自宅試験で何とか進級できてきた。兄弟には何度も世話を掛けて来た。その兄弟は今は脳梗塞で記憶喪失の姉と私だけになってしまった。なぜか父母兄弟の葬式をして送りました。私の役目なのかも知れない。元気な少年時代はなかったから、いま少年時代を生きています。ありがとうございます。いま少年時代
「良い書を書こうとするよりは、悪い書を書かないように自戒する。」(私)自分が納得する神業的な書はそうは書けない。悪い書とは心がこもっていない書のこと。上手下手ではなく、踊りも歌も絵もポエムもあなたがされるすべてを神に捧げるつもりで心を込めてください。それが神との通信になるからです。その作品に神が宿るからです。天国に行くとあなたの美術館があります。あなたの一生の作品が飾られています。神様が選んだすべてがあります。失われた物もあります。神に感謝する瞬間です。どの美術館も神様がご覧になっています。皆様の美術館巡りが楽しみです。気づきになれば。天国の美術館
「苦しみ悩みの砂時計下の腹に落ちれば頭は空っぽ」(私)砂時計
「困った時に幸せの足音を聞くものだ」(私)絶体絶命、そんなときでも思わない幸運の兆しがやってくるものだと最近実感しています。足音
「頭のいい人は車を使う旅人人より先に行き着くが、道ばたやわき道にある尊いものを見落とす。」(私)わき道にあなたの出逢うべき人がいるのです。ここはわき道にあるエデンの園(心の楽園)です。楽園
「どんな人も美しいどんな人も才があるあなたの運命は泥の中にある蓮(はす)のように再び芽を出し花を咲かすだろうだってあなたの種は五千年の時を経てここにいるのだから」(私)五千年の種
【大地の石】私は26歳の時、誰かの声を聞くようになった。お風呂に入っている時、両手に電波のような信号を感じ、それが脳に伝わって言葉になる。私の両手はアンテナのような働きをした。人に言えば気が狂ったと言われるから誰にも話さなかった。28歳の頃から災難に何度もあうが不思議な力や突然現れた人や笛や鈴の音に救われた。29歳の時、聖徳太子ゆかりの奈良の寺で書の修行を1週間していた。その時、お坊さんが走って来て私の前で合掌しお経を唱えた。聞くと私の後ろに後光がさしていたからと。私は神と通じる何かがあるかも知れない。年を重ねるたびに一つ悟りを頂けた。最近感じた事は「聖」という字にひかれていた。語源を調べたら神の声を聞き、口で伝えて大地を歩く姿といいます。それを聖人という。何年後私の耳の中に大きなホクロを見つけました。人...大地の石
「秋うらら夏の痛みを乗せて紙ひこうきが飛んでゆく誰かの足元に降り立ち痛みを癒してくれるだろう。」(私)今年の夏も終わろうとしています。お墓参りも、花火も見れた夏でした。しかし、まだまだいろんな制約がある夏でした。その思いを紙ひこうきに乗せて飛ばしてみました。皆様の思いを乗せた紙ひこうきが私の所に飛んで来ましたよ。希望の光が見えるまでお互い頑張りましょう!紙ひこうき
今日は禅の言葉を紹介したいと思います。「本来空寂(ほんらいくうじゃく)」人は誰しも一人で生まれ、そして一人で死んでいく。病気を患うことも、老いていくことも代わってあげることはできません。それぞれが自分だけの人生を生きていかなくてはなりません。自分の気持ちを分かってくれる人がいない。そんな時に、寂しさを感じるもの。それが、本来空寂の意味するところです。そこで、出てくる言葉が「把手共行(はしゅきょうこう)」です。自らの清らかな心と共に手を取り合って生きていくという意味です。苦しいときも、悲しいときも、共に分かち合って人生を歩める友人をつくることです。人生には、たくさんの友人はいりません。深くつきあえる友人が必要です。寂しさを忘れさせてくれる友人がいる事に感謝しましょう。人生は一人旅。しかし、一人では生きられな...人生の宝
「涼しさや淡路をめぐる真帆片帆(まほかたほ)」(正岡子規)真帆は順風の時、帆をいっぱいに張り、追い風で走ること。片帆は横風の時、帆を一方に片寄らせて走ること。これらを操作しながら帆走している様子。人生も順風ばかりではありません。逆風の時、風向きの悪い時はまともに受けず、帆を半分にして受け流して行くこともひとつの知恵です。そんな時は真帆片帆と唱えましょう。真帆片帆
気が合う、心が合うということを「あいの風」にかけて、心のあいの風と呼びます。日本海側の各地で知られている風の名で、海岸線と直角に吹く北風のこと。昔、自分は丈夫に暮らしていることを京都にいる親や恋しい人に届けておくれとあいの風に訴えたといいます。私もあいの風に乗せて皆様に真心を届けたいと思います。届きますように。あいの風
『自分の未来が見えてくる!』全て導かれている事に気づくと、未来見えて来るものです。以前、夢に出たおばあさんとの会話。『成功して有名になりたい!』と言ったら『あなたが考えている成功者とは何ですか?成功者とは目標を持って生き、いつも人の事を一番に思っている人だよ。』と仰った。神の声のようでした。その言葉の意味を分かって来たから未来が少し見えて来たのです。歩む道が遠回りしても行けると感じたのです。人それぞれ、与えられた未来は違うかも知れないけれど、死ぬまでいや死んでも歩む道それが、未来の道なのかも知れない。聖書にイエスが亡くなって、偉大なイエスの後をとても継ぐ力がないとローマから逃げ出したペトロが、光りの中から十字架をかついで出て来たイエスと出会った。(私が体験した光りかも知れない)イエスはお前がやらなければも...未来の旅路
残暑お見舞い申し上げます。朝の風が涼しくなって秋が近いことを知らせています。栗の実が青く大きくなって来ました。秋が待ち遠しくなりました。秋の草花が咲き乱れる野原を「花野」といいます。花は春の季語ですが野がつくと秋の季語になります。葛(くず)、撫子(なでしこ)、野菊、桔梗(ききょう)、吾亦紅(われもこう)、女郎花(おみなえし)…。春の花に比べると色もはかなく、もの寂しい風情の花が多くなります。「なにとなく君にまたるるここちして出(いで)し花野の夕月夜かな」(与謝野晶子)恋人の面影を思って胸騒ぐ花野に出る秋の夜の月。年とると花野が恋しいです。花野
「花は黙っています。それなのに花はなぜあんなに快く匂っているのでしょう?思い疲れた夕など、窓辺に薫る一輪の百合の花をじっと抱きしめてやりたいような思いにかられても、百合の花は黙っています。そして、ちっとも変わらぬ清楚な姿でただじっと匂っているのです。」NHK朝ドラ主人公、牧野富太郎(植物学者)こんな生き方が好きです。花は黙っている
私たちは、人生において前向きな意欲がある時と、卑屈になったり、劣等感を持ったりする時があります。自信を持って生きる為の一つの方法として東洋に「気」の呼吸法があります。今日は僧侶や武士が座禅などで鍛練していた気について「ブッダの呼吸法」(幸せを吸い込み、ストレスを吐き出す)の本から紹介したいと思います。意欲を持っている時は、「強気」「気が張る」「気を吐く」と言います。意欲が弱くなると「気が重い」「気が気でない」「気が散る」と表現しています。人間関係でも「気おくれする」「気に食わない」「気高い」「人気者」「気の毒」などの言葉を使っています。気は、心を乗せて働くエネルギーです。「形も重さもない心」と「形も重さもある体」を一つにする力といいます。呼吸をゆっくりさせると、気が充実します。その気を出そうと意識せず、む...自然体
人間関係に『三心』の心得があります。★喜心(きしん)喜びを持って行う心のこと。仕事に対しての感謝のみならず真心こもった料理とか、義務や義理で作ったのではないこと。★老心(ろうしん)父母の心、親心を指します。よその子も我が子と思って愛情持って尽くしましょう。★大心(だいしん)人の賞賛にも有頂天にならず、ののしられても怒らず、事に処して判断を誤ることのない心を指す。以上を三心といいます。この心得を噛みしめて、明日も生きたいと思います。三心
古い時代の人にしか分からないと思いますが。「消さない情熱」という意味にも使われている言葉に、「埋み火(うずみび)」があります。昔の暖房器具に火鉢がありました。火鉢に炭を燃やして、暖をとっていました。そして、夜になっても炭を消さずに、灰をかけて埋めておくのです。灰の下で、静かな暖かさを保ってくれて、冷え冷えとした空気を、ほんのりと和らげてくれていました。灰から出せばまた、燃えてくれました。人は心の中の熱い思いや燃やし続けられない思いもあるでしょう。あきらめなくてはならない思い、どうしても続けられない事情もあるでしょう…。しかし、そんな時、すっかり消さなくてもいいのです。埋み火のように、そっと灰をかぶせておくのです。心はほんのり暖かいはず。そして、いつか赤く燃え盛る日が来るのを待てばいいのです。心の火は消えな...消さない情熱
「幸福は思いがけない時に翼に乗って近づき、不幸は松葉杖をついてやってくる」(ロシアのことわざ)思いがけない時に、想像もしなかったような方向から幸福はやってくる。不幸はコツコツと不気味な音をたてながらゆっくりとやってくる。そんな意味でしょうか。私はある夜中、5メートル位の黒い影をしたサタン(悪魔)が私から抜けていったのを見ました。その時低音で大きな声で「おもしろくない」「苦しみを与えたのにへこたれないやつだ!つまらない」と。苦しみや不幸で悩んでいたらサタンは住みついてしまいます。平常でいたら幸福がやってくるものです。不幸よ去れ!不幸よ去れ
「人生とは食べる事、入浴する事、排泄する事、楽しむ事、人を愛する事の五幕からなっている。」(私)沢山の人々を送って感じた事です。昨日私をじっと見つめて目を閉じました。10年お世話した人のひたいに手を添えて私の愛を伝えました。人生の五幕
「人生に往復切符はない。一度出発したら二度と帰ってこない。」(ロマン・ロラン)昨日の出来事、感動、悲しみは二度と帰ってこない。だから今日を私らしく精一杯生きようと思う。往復切符
誰かの声がする。「湧き出る泉を持ちなさい」と。「山は静かに生を施(ほどこ)し、川は流れて魂を浄める湧き出る泉は幸運を呼ぶ」そんな言葉が浮かびました。湧き出る泉は心の中にある。泉を言葉にすると、その言葉で皆さんに幸運を呼ぶとなります。ここにいる皆様は幸運の泉の中にいるのです。ありがたく感謝しましょう。湧き出る泉
「倒されますが、滅びません。」(聖書コリントⅡ4.9)ノックダウンされてもノックアウトされないという意味。多くの人は失敗を隠したり、引きこもる人もいる。しかし、自分の失敗を笑える人、話せる人は強い。人生倒れる時もある。しかし、立ち上がる力もある。それは勇気が出る言葉によると思っています。私たちは絶対ノックアウトはしないから。滅びない
「絶望のどん底にいて泣き言をいう人と、これ以上恐いものはないと生きる者。」(私)あなたはどちらですか。私はこれで強くなりました。すべては神からの試練だと感じて耐えました。もう少し頑張ってください。あなたを神は見捨てません。元気出して!絶命の淵を知った者は恐いものはなし。困った時の神頼みです。神頼み
「人間は神と悪魔の間に浮遊する。」(パスカル)生きる(live)の反対の綴りは悪.不道徳(evil)だ。時々、悪魔の囁きが聞こえて来ます。大丈夫!分かりゃしないよ。これ位なら大丈夫さ!と悪魔の囁きが聞こえてくる人もいるでしょう。その時、考えよう「人を思う愛はあるのか」と。戦後の国民やコロナ禍の国民は耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶ事を学んでいたのです。日々悪魔の囁きに、誘惑の言葉に負けない気持ちをもちましょう。愛は必ず悪に勝から。愛は勝
「守護霊とは自分の為の守護霊にあらず。人を助ける守護霊である。自分の守護霊とは助けた人達によって守られていると思え。」(私)人を助けて助けて自分の守護霊になっているのだと思いました。夏の海で3人、川で流されている人を2人救助した。夏はその人達のご先祖様の思いを感じています。守護霊
「守護霊とは自分の為の守護霊にあらず。人を助ける守護霊である。自分の守護霊とは助けた人達によって守られていると思え。」(私)人を助けて助けて自分の守護霊になっているのだと思いました。夏の海で3人、川で流されている人を2人救助した。その人達のご先祖様の思いを感じています。守護霊
同僚の女性が駐車場で高級外車にぶつけてしまった。穏便に解決したが彼女は随分落ち込んでいた。そこで掛けた言葉です。「すべての失敗に前を付けなさい。」(私)前に事故した。前に失敗した。すべて過去の事になります。この不思議な言葉の力。気をつけて前に進む力となります。1日過ぎれば過去
「人はね身につけたものをだんだん棄てると可愛くなるんだ赤ん坊のように」(私)私も苦の種になるものひとつ身からはずしました。身を削る
「すべての不幸は未来への踏み台にすぎない。」(ソロー・アメリカの作家)貧乏と、屈辱と、嘲(あざけ)りにあった少年期。胸を患って明日の望みをなくした青年期。私は人生に触れた。どんなに大きな悲しみもいつか忘れてしまう。歓びも悲しみも生きる糧(かて)にして、それを活かすことが大事なんだ。人を生かす事が人生なんだから。あなたの力を人々のために使ってください。どんなことでも素敵です。人を生かす
旧暦では7月から秋です。8月は秋真っ盛り。8月の言葉に「壮月(そうげつ)」があります。草花が盛んな月という意味です。「壮」には活力に満ち溢れている、勇ましいなどの意味があります。厳しい暑さの毎日が続きますが、こんな時こそ、気持ちを壮にして元気に乗り切りましょう。コロナもまだまだ感染続いています。ショートステイご利用のお年寄りが家庭で感染しています。皆様も気を抜きませんように。(現場より)活気に満ちた月
「ミラーリング」という言葉があります。鏡のように、相手の動作をさりげなく真似ることをいいます。これが、好感を抱かせる方法といいます。恋人同士は知らぬ間に、同じ仕草になってしまいます。日本のサラリーマンはゴルフの好きな上司にはゴルフの趣味を、囲碁が好きなら囲碁の趣味を、競馬が好きなら競馬の趣味を、上司の趣味を真似ています。出世の近道として。私は良寛さんと生き方が似ているからいつもそばに良寛さんを感じています。あの世で月を見ながら良寛さんが竹藪で拾った木の器で一杯やるのが楽しみです。皆様もここで誰かの生き方に似てくるかも知れませんね。ミラーリング
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「旅に出よう人生の旅へその道は遠いそして気づくだろう自分自身の心の故郷に向かっていることを誰が風を見ただろう人生の風も見えはしないけれど草や木々が頭を下げるとき風を感じる人生の旅も感じるものだ魂よ故郷に帰れ。」(4年前弟への追悼文)私も死んだら故郷に帰ろう。それまでは旅人でいよう。私の旅は終わりのない旅だから。旅人
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。改心の情
ここにいる人達は生きる力を授かり、命のリンク(絆の輪)を持つのです。悩める人達を救いましょう。(私の天使より)命のリンク
私達の体はボディ、スピリット、マインドの三つからできています。ボディとは肉体、スピリットとは魂、マインドとは心。肉体と魂が活動するときに味わう感情、思い、感覚などを感じる機能をマインドといいます。心が穏やかな気持ちでいるとき、心は大きく開いています。これを心理学では「オープン・ハート」と呼ぶそうです。心を開くと物事に対して、優しい気持ちで接し、たくさんの事を受け入れる事ができるといいます。反対に憎しみや、恐怖を感じているときは心を閉じてしまいます。心を閉ざすと益々憎しみが増大してしまいます。オープン・ハートに一番大切なことは愛の注入といいます。愛は無限の力がある。愛されてる貴方はオープン・ハート!愛の注入
毎日お別れする人が続いています。なぜでしょうか?「桜咲き花散る里に帰ろうか」そんな気がしました。皆さん全身の病と戦っていたのですね。最後まで書道を楽しみにしていた顔が忘れられません。書道教師と介護士と言葉の伝道師をしていて良かったです。お別れ
ここは良い言葉が満ちています。「良い地(心)に落ちた言葉は実を結びます。しかし、悪い地に落ちた言葉は根も実もつきません。」(天使からの声)良い言葉からすぐ身をひかせる悪魔の天使が来てしまうと地ではなく岩に落ちてしまうのです。どうか良い地に落ちますように。実を結ぶ
ここは良い言葉が満ちています。「良い地(心)に落ちた言葉は実を結びます。しかし、悪い地に落ちた言葉は根も実もつきません。」(天使からの声)良い言葉からすぐ身をひかせる悪魔の天使が来てしまうと地ではなく岩に落ちてしまうのです。どうか良い地に落ちますように。実を結ぶ
「万法帰一(ばんぼういちにきす)」苦しみや悲しみは絶対に続かない。という意味です。本当に辛くても辛抱していると周りが助けてくれるものですね。不思議と実感しています。苦しみ悲しみ
「人と神が出会うのは苦難に耐えている時」(私)神はいつもいるわけではない。困って苦しんでいる時に神は現れるものだ。昨日は神の存在を知った。奇跡のような事をしてくれた。感謝しています。神の存在
川面(かわも)の月。ゆったりと大河を流れる川。急流になって谷間を流れる川。月は流されずいつも川面に映っている。月はあなたの心です。流されることのない不動の心あなたはあなたでいいのです。(私)どんな世間の波がたとうとも、自分は流されない不動なのだ。あなたはあなたなのだから。少しの波でも心動揺する私です。こうなりたいと思って日々努力しています。川面の月
「道に迷うことこそ道を知ることだ。」(東アフリカの諺)「人生に迷うことこそ人生を知ることだ。迷わぬ者に悟りはない。」(私)本当に迷ってばかりです。申し訳ない。迷う
日本でつくられた言葉に「躾(しつけ)」があります。身につく美しさと書いて躾。長い間の行いで無意識に身についた姿をいいます。日本人の美意識です。世界に誇れるひとつです。ここもそんな美意識を育てています。躾
一昨日看取りの人が亡くなった。水だけを良く欲しがっていた。イエスも十字架で「私はのどが渇いた」と発言されたことを知りマザーテレサは泣いたといいます。たしか、誰か布にワインを湿らせて唇に付けたと聞いた。そこから浮かんだ言葉です。「渇いた者へ」生きるのに渇いた者はここに来なさい。誰でも心の奥底から生きる水の川が流れ出るようになるから。(私の天使の言葉より)渇いた者へ
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所もまほろばという安らぎの場所です。まほろば
「仏教は二利(自利、利他・じりりた)に尽きます」(空海)唐留学から帰国した際の空海の報告書の言葉です。自分が修行して、悟りを得ること(自利)と、他の人の救済のために尽くすこと(利他)の二つを完全に行うのが理想で、自利と利他は相反するものではなく、大きな輪のようにつながっているのです。自分の幸福も他人の幸福も一つの輪の中にあると述べています。宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と述べています。ボランテイアや介護現場では、人を手助けすることで、実は自分が救われていたと気づくものです。幸せを考えたくなったら自分にできる「利他」の行いからやってみて下さい。空海の言う自利利他は幸福の始まりのキーワードです。幸せのキーワード
あと数日の命。看取りの可愛いおばあさん。神田の生まれと自慢していた。しかし、母親からいつもあんたはぐずだと叱られてばかり。妹はチャキチャキの神田っ子。私はだめだ。何やってもノロマ。今何考えているの?「いい思い出ばかり思い出しているよ。」僕なんかいい思い出なんてないよ。「私もそうだよ少ししかないいい思い出を何度も何度も思い出しているよ。」そうなんだね。だけどね悪い思い出もいい思い出になるんだよ。だからすべて思い出していいんだよ。「そうだね」と笑ってくれました。(もうすぐお別れだね)いい思い出
朝の散歩中に竹やぶからうぐいすの鳴く声がしました。平安時代前期の『古今和歌集』より、『世にふれば言のはしげき呉竹(くれたけ)の憂(う)き節ごとにうぐいすぞ鳴く』憂(う)き節とは辛いこと、悲しいこと。長く生きていると、いろいろと嫌な事が聞こえて来て、そうした、辛い折々を嘆くようにうぐいすが鳴いている。(詠み人知らず)今でも同感する歌です。古代の人も同じように感じて過ごしていたのだと分かると自分だけでないと元気が出ます。私は竹の節を人生の節と呼んでいます。この節が強い竹を作っているのです。人生もそうです。辛い節目があるから強くなっていくのです。異動で明日から職場を離れる人からの相談を受けました。新たなチャンスだと思って前向きにいけば次のステップアップになると励ましました。勇気が出たと帰っていきました。皆様も人...うぐいす
人は重荷を背負って坂道を行くがごとし。(徳川家康)私は毎日10キロのリュック背負って出掛けてる。墨や絵筆や半紙が結構重いから。50年続けたら120トン。「私の人生120トン雨の日も長靴はいて120トン雪の日も足跡残して120トン風の日も帽子飛ばされ120トン心の重さだ120トン泣いて笑って120トンソーレソレソレ120トン」120トン
古典の中に、「静中の静、楽処の楽は真実ではない」という言葉があります。静かな環境の中での、静かな心は本当の静かさではない。騒がしい環境の中で、心を静かにすることができて始めて本当の心境という。また、楽しい環境の中での楽しい心は本当の楽しさとは言えず、苦しい中で心を楽しくすることができて、本当の心境だと言えようという意味の言葉です。皆様も今までの自粛生活の苦難の中でも小さな楽しみを見つけて来ましたね。私は物を補修する楽しみを見つけました。苦しい、悲しい、体中痛い毎日の中で楽しみを見つけた時、この言葉が浮かんで来ました。苦中の楽
「人間は死を約束された動物である。人は死んでもその人の影響は消えない。自分は何を残せるだろうか。」聖路加病院故日野原先生生きる力になる言葉をたくさん残した!と自信もっていいましょう。何を残すか
私の作った言葉です。「不幸無感」Idon'tfeelittobeunhappy.(自分を不幸だと思わないこと。)幸福や不幸は心のもちようで変わるもの。不幸にならないためには不幸と感じないことです。不幸無感(ふこうむかん)皆様に届きますように。不幸にならない
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所も、まほろばという安らぎの家でありますように。まほろばの家
蛍は遠い故郷を思い出させてくれます。ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。蛍になる
今朝の新聞記事より、日本外科学会定期学術集会の「人にない武器をどう身につけるのか?」というテーマに特別講演を行った元プロ野球選手の松井秀喜さんは元巨人監督の長嶋茂雄さんから誰にも負けない素振りの武器を作ってもらったと披露して、医療関係者1500人を沸かせました。私の武器は誰にも負けない鈍感でドジ。努力しなくて身につけた。皆様の武器はどう身につけましたか。あなたの武器は
「道とは遠くからははっきり見えるけれど近づいたら消えた幻のようなもの。」「晴れた天気に外に出たら急に雨が降る。喜びの歌がまだ終わらない内に悲しみの歌が聞こえて来る。それを道と呼ぶのだ。」(私)退院して来たお年寄りを喜びの拍手で迎えた。その時、心臓が苦しいと、救急車で搬送されたおばあさんが亡くなった。「喜びも悲しみも同時にあるのが道なのだ。」すべてが幻のように去っていく。今の時期を「土(つち)休み」という。春の花が枯れたから、夏の花を植えましょう。土を休めてから。素敵な言葉です。土も生きているのだ。仕事を変える時、迷った時、人も休みましょう。ひと(人)休みひと休み。土やすみ
万葉集に「涙で曇り目も見えぬ」という歌がたくさんあります。空の雲でなく、目の雲を指しているのです。日本人は涙好きな国民と言われています。涙の語源を調べると、「な」は泣く。「み」は水。「だ」は垂れる。泣くと水が垂れてくる。そこから、涙ができたようです。「瞳の中にも空がある澄みきった空がある晴れ渡った空がある時折涙雲になり涙の雨が降るそのあとはまぶしい空がやってくる涙雲のあとは瞳の空が晴れ輝きを取り戻すのだ。」もう少ししたら晴れますから頑張りましょう。泣いてるあなたへの励ましの言葉です。涙雲
仏教の目的は『成仏』。すなわち「仏に成る」ことです。その方法の一つに「行い」「言葉」「考え方」という三つの活動において、仏さまの真似をするというものがあります。「皆が手伝ってくれたから無事に行事ができた」とか、「落ち込んでいた時に掛けてくれた言葉で頑張れた」とか、「上司の冷静な考え方があったから、窮地を乗り越えられた」といった経験ありませんか。「みんなが健(すこ)やかになれる」ような活動を通して、私たちは少しずつ仏さまに成っていきます。「行い」「言葉」「考え方」のどれか一つで結構です。「こんなとき仏さまならこうするんじゃないかな」そんなことを意識してその日を送ることができたならば、その一日はいつもと少し違った一日になるかもしれません。(真言宗・長寿院住職)素敵な説法ですね。このお話の根本にあるのは、思いや...神の子
14日間飲まず食わず。最期に残した言葉。耳元で『良く頑張ったねお疲れ様僕のこと忘れないでね』すると「忘れぬものか」と言って亡くなりました。この言葉を発する力に感動して涙が出ました。「生涯最期の言葉」皆様と共有しましょう。ありがとうの言葉返しで。忘れぬものか
「命は鉛筆さ思い出書き残して減っていくんだ」「体の重さはみんな違うけど命の重さはみんな一緒魂の重さだって一緒なんだ」「母さんがいない里帰りはつまらないふる里って母さんのことなんだ」「人に言えない苦労が本当の苦労さそれがあったから今の自分がいるんだな」「幸せって苦労した分しか来ないんだよ」「泣いた涙は人を思う優しさになるんだね」「死ぬことは誰かの心に生きることなんだ」皆さんもいろんな悩み抱えているでしょうね。みんな一緒ですよ。心配しないでお互い力あわせて生きましょう。私達がそばにいますからね。そばにいるよ
あわてるな、落ち着きなさい。という意味の「且緩々(しゃかんかん)」。若いお坊さんが、師匠に対し、矢継ぎ早に質問攻めにして疑問をすべて解消し、早く悟ろうと思ったら、「且緩々」と言われた。『どの道も、急いで極めることはできません。まずはお茶でも飲んで落ち着きなさい』。という時に使います。人生も同じです、ふと立ち止まって、これで良いのかとゆっくり考える時間が必要ですね。「且緩々」緊張した人を見たらこの言葉を掛けてみましょう。まずは一服
昨日緊急出勤のため7:00に家を出た。道路から離れた道をチャリで行くと竹やぶが燃えているのを発見。人がいるようないないような?風が吹く朝、すると消防車がやって来て道路に止まり隊員があたりを走り始めていた。私は掛けより竹やぶが火事と伝えた。わき道の奥だから分からないと思ったから。私はその場を去った。帰りに現場に行ったら竹やぶが綺麗な更地に変わっていた。地面は水の跡が染み込んでいた。きっと誰かがたき火(焼き畑)をして竹やぶに火が回り通報したのだと思った。外車の並ぶ販売店の裏だから大事にならないで良かったです。神のお告げか不思議な火事
「神の国は君たちの中にあるんだよ」(聖書ルカ17-21)神の国はいつ来るのかとパリサイ人に尋ねられた時、イエスは答えて言われた言葉。神の国とは、神の思いが実現するところ。それは、夢のような特別の場所にあるのではなく、私たちの中にもうすでにあるんだよ。苦しむ人、悲しむ人、助けを求める人に自分ができることをしていくこと。お互いのあやまちを許し、受け入れてそれぞれみんな中にいる神の存在に気づくこと。その時そこにもう神の国はあるんだよというメッセージです。空海も同じような事を言ってました。「仏は外にいるのではなく、丹田(たんでん)にいる」と。丹田とはへそ下で気力が集中する所です。神の国はあなたの中にあるのです。神の国
施設のカウンターに飾られている日本人形。彼女が私がケアマネになって戻って来たことに感謝している夢を見ました。「私の頭にかぶせている帽子は可愛いくないから取って欲しい!」翌日行ってとりました。笑ってくれました。髪を撫でると願いが叶うと教えてくれました。足元にそれを書きました。誰かが撫でたのでしょうか?髪が茶色になったり、前髪が数本伸びてきました。気のせいかな?魂が宿っている人形です。不思議なことだと感じて報告しました。みんな導きで今があるのだと納得して受け入れましょう。少しは気が楽になりますように。導きの今がある
今年も桜が咲いて私達を楽しませてくれました。桜の絨毯ができました。川面には花筏(はないかだ)となって桜の花びらが流れて行きました。「散る桜残る桜も散る桜」(良寛)咲こうとも散ろうともどんな桜も愛すべき桜なのです。桜を命に変えると「散る命残る命も散る命」どんな命も愛すべき命なのです。桜は痛み苦しみ乗り越えて精一杯生きよと教えています。残る命を精一杯生きましょう。残る命
再び皆様へ「刃物は物を切る言葉は心を斬る暖房は体を温める言葉は心を温める薬は病を治す言葉は全てを癒す言葉は生きる勇気の道標(みちしるべ)しかし、沈黙と傾聴を忘れてはならない言葉の力信じて共に歩もう。」言葉の力
この時期、樹木希林さんの会話を思い出しました。「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「生きるのも日常、死んでいくのも日常」晩年の希林さんがたどり着いた境地に「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」(良寛)「裏から始まるところがすごい。年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」また、良寛の次の句も好んだ。「散る桜残る桜も散る桜」誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。という意味に「そう考えると心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。だが釈迦は「役立つ人だけがいいので...生と死
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。四体の心
「人は神によって生命を与えられ、あらゆる人の愛を受け育まれる。」しかし、「人間は愚かな生き物。日々誘惑に惑わされ、悪や欲に染まってしまうこともある。そのまま悪の道を行く人もいる。」「弱い人間は日々我を顧み生んでくれた神に喜ばれる生き方をして終わりたいものだ。」(自戒の言葉)誘惑の罠
人生は順風満帆ばかりではない。明日の希望もなく苦難の日々ばかりで、逃げたくなる事もある。「成長とは華やかな地上だけではない。地下にだって根を生やす事も成長というのだ。」足踏みしたって、かかとは減るのだから。いま辛い人は地上に出る前に、強い根を生やしていると思えばいい。私は人生の2/3はそうだった。地下の女神が見守っていますよ。地下の女神
「無事に生きる」という言葉があります。禅語では不要なことに振り回されないこととあります。不要とは「三毒」のことです。1.何でもむさぼるように欲しがる欲望。2.ささいなことで怒ること。3.道徳心や常識にかけた愚かさのこと。この三毒を出せば何事にも振り回されなくて、無事に過ごせると説いています。皆様には関係ない言葉ですね。三毒