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生きる力になれば https://blog.goo.ne.jp/02161234

神様の声に導かれてここまで生きて来ました。

良寛様の生き方に共鳴しています。良寛様と呼ばれています。感謝しています。

良寛(お地蔵)
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2016/03/18

  • 神の子

    仏教の目的は『成仏』。すなわち「仏に成る」ことです。その方法の一つに「行い」「言葉」「考え方」という三つの活動において、仏さまの真似をするというものがあります。「皆が手伝ってくれたから無事に行事ができた」とか、「落ち込んでいた時に掛けてくれた言葉で頑張れた」とか、「上司の冷静な考え方があったから、窮地を乗り越えられた」といった経験ありませんか。「みんなが健(すこ)やかになれる」ような活動を通して、私たちは少しずつ仏さまに成っていきます。「行い」「言葉」「考え方」のどれか一つで結構です。「こんなとき仏さまならこうするんじゃないかな」そんなことを意識してその日を送ることができたならば、その一日はいつもと少し違った一日になるかもしれません。(真言宗・長寿院住職)素敵な説法ですね。このお話の根本にあるのは、思いや...神の子

  • 忘れぬものか

    14日間飲まず食わず。最期に残した言葉。耳元で『良く頑張ったねお疲れ様僕のこと忘れないでね』すると「忘れぬものか」と言って亡くなりました。この言葉を発する力に感動して涙が出ました。「生涯最期の言葉」皆様と共有しましょう。ありがとうの言葉返しで。忘れぬものか

  • そばにいるよ

    「命は鉛筆さ思い出書き残して減っていくんだ」「体の重さはみんな違うけど命の重さはみんな一緒魂の重さだって一緒なんだ」「母さんがいない里帰りはつまらないふる里って母さんのことなんだ」「人に言えない苦労が本当の苦労さそれがあったから今の自分がいるんだな」「幸せって苦労した分しか来ないんだよ」「泣いた涙は人を思う優しさになるんだね」「死ぬことは誰かの心に生きることなんだ」皆さんもいろんな悩み抱えているでしょうね。みんな一緒ですよ。心配しないでお互い力あわせて生きましょう。私達がそばにいますからね。そばにいるよ

  • まずは一服

    あわてるな、落ち着きなさい。という意味の「且緩々(しゃかんかん)」。若いお坊さんが、師匠に対し、矢継ぎ早に質問攻めにして疑問をすべて解消し、早く悟ろうと思ったら、「且緩々」と言われた。『どの道も、急いで極めることはできません。まずはお茶でも飲んで落ち着きなさい』。という時に使います。人生も同じです、ふと立ち止まって、これで良いのかとゆっくり考える時間が必要ですね。「且緩々」緊張した人を見たらこの言葉を掛けてみましょう。まずは一服

  • 不思議な火事

    昨日緊急出勤のため7:00に家を出た。道路から離れた道をチャリで行くと竹やぶが燃えているのを発見。人がいるようないないような?風が吹く朝、すると消防車がやって来て道路に止まり隊員があたりを走り始めていた。私は掛けより竹やぶが火事と伝えた。わき道の奥だから分からないと思ったから。私はその場を去った。帰りに現場に行ったら竹やぶが綺麗な更地に変わっていた。地面は水の跡が染み込んでいた。きっと誰かがたき火(焼き畑)をして竹やぶに火が回り通報したのだと思った。外車の並ぶ販売店の裏だから大事にならないで良かったです。神のお告げか不思議な火事

  • 神の国

    「神の国は君たちの中にあるんだよ」(聖書ルカ17-21)神の国はいつ来るのかとパリサイ人に尋ねられた時、イエスは答えて言われた言葉。神の国とは、神の思いが実現するところ。それは、夢のような特別の場所にあるのではなく、私たちの中にもうすでにあるんだよ。苦しむ人、悲しむ人、助けを求める人に自分ができることをしていくこと。お互いのあやまちを許し、受け入れてそれぞれみんな中にいる神の存在に気づくこと。その時そこにもう神の国はあるんだよというメッセージです。空海も同じような事を言ってました。「仏は外にいるのではなく、丹田(たんでん)にいる」と。丹田とはへそ下で気力が集中する所です。神の国はあなたの中にあるのです。神の国

  • 導きの今がある

    施設のカウンターに飾られている日本人形。彼女が私がケアマネになって戻って来たことに感謝している夢を見ました。「私の頭にかぶせている帽子は可愛いくないから取って欲しい!」翌日行ってとりました。笑ってくれました。髪を撫でると願いが叶うと教えてくれました。足元にそれを書きました。誰かが撫でたのでしょうか?髪が茶色になったり、前髪が数本伸びてきました。気のせいかな?魂が宿っている人形です。不思議なことだと感じて報告しました。みんな導きで今があるのだと納得して受け入れましょう。少しは気が楽になりますように。導きの今がある

  • 残る命

    今年も桜が咲いて私達を楽しませてくれました。桜の絨毯ができました。川面には花筏(はないかだ)となって桜の花びらが流れて行きました。「散る桜残る桜も散る桜」(良寛)咲こうとも散ろうともどんな桜も愛すべき桜なのです。桜を命に変えると「散る命残る命も散る命」どんな命も愛すべき命なのです。桜は痛み苦しみ乗り越えて精一杯生きよと教えています。残る命を精一杯生きましょう。残る命

  • 言葉の力

    再び皆様へ「刃物は物を切る言葉は心を斬る暖房は体を温める言葉は心を温める薬は病を治す言葉は全てを癒す言葉は生きる勇気の道標(みちしるべ)しかし、沈黙と傾聴を忘れてはならない言葉の力信じて共に歩もう。」言葉の力

  • 生と死

    この時期、樹木希林さんの会話を思い出しました。「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「生きるのも日常、死んでいくのも日常」晩年の希林さんがたどり着いた境地に「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」(良寛)「裏から始まるところがすごい。年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」また、良寛の次の句も好んだ。「散る桜残る桜も散る桜」誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。という意味に「そう考えると心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。だが釈迦は「役立つ人だけがいいので...生と死

  • 四体の心

    古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。四体の心

  • 誘惑の罠

    「人は神によって生命を与えられ、あらゆる人の愛を受け育まれる。」しかし、「人間は愚かな生き物。日々誘惑に惑わされ、悪や欲に染まってしまうこともある。そのまま悪の道を行く人もいる。」「弱い人間は日々我を顧み生んでくれた神に喜ばれる生き方をして終わりたいものだ。」(自戒の言葉)誘惑の罠

  • 地下の女神

    人生は順風満帆ばかりではない。明日の希望もなく苦難の日々ばかりで、逃げたくなる事もある。「成長とは華やかな地上だけではない。地下にだって根を生やす事も成長というのだ。」足踏みしたって、かかとは減るのだから。いま辛い人は地上に出る前に、強い根を生やしていると思えばいい。私は人生の2/3はそうだった。地下の女神が見守っていますよ。地下の女神

  • 三毒

    「無事に生きる」という言葉があります。禅語では不要なことに振り回されないこととあります。不要とは「三毒」のことです。1.何でもむさぼるように欲しがる欲望。2.ささいなことで怒ること。3.道徳心や常識にかけた愚かさのこと。この三毒を出せば何事にも振り回されなくて、無事に過ごせると説いています。皆様には関係ない言葉ですね。三毒

  • 夢は続く

    いろんな事情で急に亡くなった方の魂に語ります。「はかなく突然に散ったとしても大切なのはどんな夢見続けたかです。夢は散った後も生き続けると信じるから。決してあなたのこと忘れません。安らかにお眠り下さい。そして、私達を見守って下さい。」近くの小学生の女の子がトラックにはねられ亡くなりました。その子に送ります。夢は続く

  • 月光

    今日は月影について述べたいと思います。「水に映る月影は仮のすがた、肉体に宿る自我もまた空(くう)である。如来は人のために真理を説く、その大いなる慈悲を衣としよう」(空海)満月の晩、池や沼の水面には、くっきりと月の姿が映ります。水を張った器を置けば、その器の数だけ月の姿も増えていきます。しかし、それらはあくまで仮の姿で大もとは天空で輝く月そのものです。月は如来であり、その光で自分の心を照らすことが、大いなる慈悲を心に導き入れ、仏と一つになることなのだと述べています。空海は大いなる慈悲の衣になって多くの人の魂を救ったのです。難しい表現ですが、月の明かりは神と仏の光、その力を借りて人々を救おうとしたのです。私も見習いたいと努力しています。皆様も神と仏の明かりに照らされ慈悲の衣でこの場で悩まれている人を救ってくだ...月光

  • いい日旅立ち

    「爾今生涯(じこんしょうがい)」という言葉があります。好日旅立と同義語。思い立った時が、すなわち人生の新たな始まりということ。ゴールデンウィークに旅ができない人は、言葉探しの旅に出ましょう!すべて神の導きに感謝して。いい日旅立ち

  • 五心

    「日常の五心」という言葉があります。1.「すみません」という反省の心。2.「はい」という素直な心。3.「おかげさまで」という謙虚な心。4.「私がします」という奉仕の心。5.「ありがとう」という感謝の心。この言葉を大切に日々を過ごす。きっとあなたは周りの人に影響を与えますよ。今日という日を精一杯生きましょう。五心

  • 五心

    「日常の五心」という言葉があります。1.「すみません」という反省の心。2.「はい」という素直な心。3.「おかげさまで」という謙虚な心。4.「私がします」という奉仕の心。5.「ありがとう」という感謝の心。この言葉を大切に日々を過ごす。人は弱い者、きっとあなたは周りの人に影響を与えますよ。今日という日を精一杯生きましょう。五心

  • 奇跡とは

    主(神)の言葉を頂きました。主よ奇跡を起こす力を与えたまえと祈りました。すると、「奇跡とは生きる力なり」と聞こえました。うーん!そうか私は7度も奇跡で命を救われました。奇跡とは「生きる力」なんだ。それを私に与えているというのか。だから私は自然に「生きる力になれば」や「生きる力になる言葉」をタイトルに使っているのかもしれない。皆様にも生きる力がつきますように。奇跡とは

  • 前へ前へ

    「勝つことが強さじゃない。泣かないことが強さじゃない。本当の強さって、いつも前向きに生きることだ。」本日悩み相談を受けた人に応えた言葉です。次々と悩み事があっても、それでも前向きに生きる人が本当に強い人です。考えられなれない程の困難にあっているのに、まだ夢や希望を語る人に出会って勇気をもらった事がありました。いま困難に直面しているあなた!あきらめない時、道は開けるものです。生きるとは前に進むことだから。前へ前へ

  • 里の寺

    「たれこめて春の行くへも知らぬまに待ちし桜もうつろいにけり」(古今集)部屋に閉じこもっているばかりで、春の移って行くことも知らない間に、花盛りになるのを待っていた桜も散ってしまったことだ。昨日の朝、永くお世話した90代の女性を見送りました。娘さん二人と生前と変わらないお顔を見ていました。人の世話好きでがんばり屋でしたね。二人を見守ってくださいねと言葉を掛けました。窓の外は桜の花が散っています。玄関で見送り致しました。二人の娘さんからお体に気をつけてくださいねと言われてしまいました。「花散りてまた静かなり里の寺」隣接の静な寺と桜散る風情をしみじみと感じていました。人間の一生を。里の寺

  • 孤独

    孤独とは惨め(みじめ)、気の毒、かわいそう、情けない等のイメージがあります。私はよく味わいました。「孤独とは自分一人だけで充分満ち足りて充足していること。他の人のお助けには及びませんという毅然とした誇り高い姿なのです」(三輪明宏)孤独とは自分一人の足だけで充分大地を踏みしめて生きている証拠なのです。そういう自信ある孤独になって欲しいと思っています。孤独に耐えたから人を思う力を頂けるのです。皆様の投稿やコメントから毎日精一杯生きている事が分かります。日々感謝しています。皆様は聖者の道を歩んでいるのです。耳で神の声を聞き、それを口で伝え、大地を踏みしめ歩んでいるのです。孤独

  • 霊書

    「絵を文字にするのが小説。絵を絵にするのがイラスト。文字を絵にするのが漫画。文字を文字にするのが評論。」(手塚治虫)私、祈りを文字にするのが霊書。皆様も願いを魂をこめて書いてみてください。厄除けにもなります。霊書

  • 最期の力

    生きる力死ぬ力笑う力声出す力考える力思い出す力歩く力書く力ありがとうという力さようならという力誰もが最期の力を出している。最期の力

  • 心に忍を持つ

    【張り付いて生きる】東京の障害者施設にいる重度の脳性マヒで寝たきり、体は動かず、言葉も話せない20歳の女性の記事を見ました。彼女はわずかに動く手をボランティアの添える手を借りて詩を書いています。その数1200点。『せかいのなかで』このひろいせかいのなかでわたしはたったひとりたくさんの人のなかでわたしとおなじ人はひとりもいないわたしはわたしだけそれがどんなにふじゆうだとしてもわたしのかわりはだれもいないのだからわたしはわたしのじんせいをどうどうといきる。『いきていてこそ』いまのつらさもかんどうもすべてはいきていてこそどんなにつらいげんじつでもはりついていきる。『こえをだせないわたしたちにもことばやいしがあることをしってほしい。そんざいをみとめて』このような人々がたくさんいると思います。また、このような子を持...心に忍を持つ

  • 張り付いて生きる

    東京の障害者施設にいる重度の脳性マヒで寝たきり、体は動かず、言葉も話せない20歳の女性の記事を見ました。彼女はわずかに動く手をボランティアの添える手を借りて詩を書いています。その数1200点。『せかいのなかで』このひろいせかいのなかでわたしはたったひとりたくさんの人のなかでわたしとおなじ人はひとりもいないわたしはわたしだけそれがどんなにふじゆうだとしてもわたしのかわりはだれもいないのだからわたしはわたしのじんせいをどうどうといきる。『いきていてこそ』いまのつらさもかんどうもすべてはいきていてこそどんなにつらいげんじつでもはりついていきる。『こえをだせないわたしたちにもことばやいしがあることをしってほしい。そんざいをみとめて』このような人々がたくさんいると思います。また、このような子を持つおとうさん、お母さ...張り付いて生きる

  • 桜散る

    「花誘ふ比良(ひら)の山風吹きにけりこぎ行く舟のあと見ゆるまで」(新古今集)桜の花を誘って吹き散らす比良の山風が吹いたことだ。琵琶湖を漕いで行く舟の通り過ぎた跡が見えるほどに湖面に花が散っている。「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」(古今集小野小町)花の美しさはむなしくあせってしまったことだなあ。長雨が降り続き、私がこの世で暮らし、もの思いにふけっている間に。桜の花が葉桜になってきましたね。そんなに急いで散らさなくてもいいのにね。今年もありがとう。桜散る

  • 命の再生

    「病は気から。励ましや深い思いやりの声かけで人は再生する。」(私)悩める患者さんやスポーツ選手や芸術家は感銘共感する言葉に出会うと見違える程の成長をします。私は言葉は命の再生と思っています。読者からお礼のメールが来ています。『どん底から救われた。じ殺を踏み止まった。悪口言われても気にしなくなった。悔し涙は成長の涙になった。』救われた人がたくさん出ています。良かったですね。皆様に感謝。命の再生

  • ヨイトマケの唄

    「ヨイトマケの唄」美輪さんは、ある日手違いで炭鉱町で唄うことになります。顔を真っ黒にした炭鉱労働者は、安い賃金の中からチケットを買って、聴きに来てくれたことに感動すると同時に、キラキラの衣裳を着た自分自身が恥ずかしく思い、「炭鉱で汗を流す労働者を励ます歌を作ろう!」そう考えたそうです。曲の発想は、美輪明宏さんの小学生時代の記憶。小学生の低学年の頃、父兄会で着飾った服を着ている母親の中に、野良着にモンペ姿、頭に手ぬぐいをかぶって1人遅れてきた母親がいました。背が小さくて痩せて顔が黒く足が不自由な女性でした。その母親は、学校で一番出来の悪い男の子の母親でした。鼻を垂らしている息子を見た母親は、鼻を自分の口ですすって、窓からペッとはきます。それを見た他の母子が、汚いものを見るような目で見ていた中、感性の豊かな少...ヨイトマケの唄

  • 生き抜くおみくじ

    机の整理をしていたら5年前にある神社から依頼されたおみくじの原案が出てきたので紹介します。皆様の考えで変えても継ぎ足しても構いません。☆おみくじを引いてください。目を閉じてあなたの思いが浮かんだ番号をひとつ選んでください。『①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪』では開きます。①幸せとは安らぎの心です。何もないあなたですが、あなたのいまできることを分け与えること。それが一番の幸せです。②生きるとは試練を与えられながら生きる知恵を授けられることです。③希望とは夕陽のように明日の生きる力を持つことです。「風と共に去りぬ」映画のように。④運命とはあなたの胸の中にある。あなただけの道を胸を張って歩いてください。⑤奇跡とはそれを信じる人にだけ訪れます。神様からのご褒美です。⑥笑顔とは人々が生きやすくなることです。⑦諦めないとき幸運...生き抜くおみくじ

  • 天使の船

    「Idreamforaliving.私は夢に生かされている。」(スティーブン・スピルバーグ監督)何年たっても変わらない思い。それが夢を叶えてくれる。私の夢は「皆様の夢を運ぶ天使の船になること」。あなたの夢を運びます。天使の船

  • 思いの風

    私たちは常に心の波風とともに生きています。ときには嵐のように吹き荒れることもあるでしょう。世の中には思い通りにならないことがたくさんあります。意見や考え方が違うこともあるでしょう。自分の考えを押しつけるのではなく、みんな認めてそんな考えもあるのだなあと勉強になりました。と受けとめてください。思い通りにならないことがあるときこそ、他者を思いやり、これまでに受けたご恩を思い出して、周りの人や社会にお返しする気持ちを持ってみましょう。思いやる気持ちは心に平和をもたらします。人のために生きるという言葉に「無心風来吹(むしんにかぜきたりふく)」という言葉があります。夏の暑い日に、そよそよと風が吹く。一時の涼をもらうことができます。しかし、風は私たちを涼しくさせようとして吹いているわけではありません。ただ無心に吹いて...思いの風

  • 貝寄風(かいよせ)

    昨日文房具を購入のため百円ショップに行きました。すると入り口に潮干狩りの道具が一杯飾られていました。海辺に貝を吹き寄せる春の風(西寄りの風)のことを「貝寄風(かいよせ)」といいました。大阪府四天王寺の聖霊会(しょうりょうえ)に備える造花の材料に使う貝を龍神が難波の浜に吹き寄せ捧げるという言い伝えから生まれた言葉と聞いています。聖霊会とは聖徳太子の忌日に行われる法会(ほうえ)。現在は4月12日。楽しい潮干狩り。日本人の細やかな季節感を伝える素敵な言葉だと思います。天気予報に使って欲しい言葉です。貝寄風(かいよせ)

  • 和草(にこぐさ)

    「葦垣(あしがき)の中の和草(にこぐさ)にこやかに我と笑(え)まして人に知らゆな」(万葉集・読み人知らず)和草のように、にこやかに私に微笑みかけたりして、二人の仲がほかの人にばれないようにね。今の時期。「にこにこ」「にっこり」の語源のようです。青春の匂いがしてとても好きな言葉です。和草(にこぐさ)

  • 堪忍袋 家康

    「堪忍(かんにん)の袋は常に胸にかけ、破れたら縫え、破れたら縫え」(徳川家康)家康の一生は苦難の連続。そんな忍耐強い家康の堪忍袋でさえ何度も破れていたのでしょう。4/17は家康の命日。皆様も小さな堪忍袋を胸にぶら下げ、破れたら縫え!破れたら縫え!と唱えましょう。堪忍袋家康

  • 自由と平和

    日本の故事に「籠鳥(ろうちょう)雲を恋う」があります。籠(かご)の中の鳥が自由の大空を恋い慕うという意味です。自由を謳歌している人に、自由を失った苦しさは理解できないだろう。という意味が込められているといいます。欧米では自由の考え方は周囲の人々の自由を尊重することから生まれるもので、気まま、わがまま、好き勝手な自由は自由の敵という考えがあるといいます。「自由の敵は自由」「自由の敵は戦争」です。自由の大切さを再確認しています。世界が自由で平和でありますように。自由と平和

  • 最期の晩餐人は弱い者

    聖書の中でも暗い話しです。ペトロとユダはイエスの弟子です。この二人は対照的な生き方をしました。最後の晩餐の時に、イエスは言います。この中に私を裏切った者がいます。小銭を貰って、私を売った者がいる。それが、ユダでした。彼はそこにいられなくなり、役人にあの人は無実の罪ですと小銭を返しに行くのですが、知ったことではない、それはお前の問題だと言われてユダはじさつしてしまいます。ペトロは私はイエスを裏切りませんと言いましたが、あなたは朝の鳥が鳴く前に三回私を知らないと言いますといわれた。役人が朝イエスを探しに来ました。役人にイエスなんか知らないと答ました。ある男がイエスと一緒にいたと指差しました。また私は知らないといいました。別の女が確かにイエスといつも歩いていたと発言しました。また、人違いだイエスなど知らないとい...最期の晩餐人は弱い者

  • 幸福の輪

    「仏教は二利(自利、利他・じりりた)に尽きます」(空海)唐留学から帰国した際の空海の報告書の言葉です。自分が修行して、悟りを得ること(自利)と、他の人の救済のために尽くすこと(利他)の二つを完全に行うのが理想で、自利と利他は相反するものではなく、大きな輪のようにつながっているのです。自分の幸福も他人の幸福も一つの輪の中にあると述べています。宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と述べています。ボランテイアや介護現場では、人を手助けすることで、実は自分が救われていたと気づくものです。幸せを考えたくなったら自分にできる「利他」の行いからやってみて下さい。お年寄りに席をゆずること、手をとって道を渡ることでも良いのです。ウクライナ市民を救うこともそうです。空海の言う自利利他は幸福の始...幸福の輪

  • 在原業平辞世の句

    「つひに行く道とはかねて聞きしかときのふけふとは思はざりしを」(伊勢物語・在原業平)死というものは誰でも最後に行かねばならない道であるとは前から聞いていたが、昨日今日にさしせまっていたこととは思いもしなかったなあ。私は駿河路にある高草山(1000m)の麓に住んでいた時に、雪が降る前にと登山道ではない道なき道を登ってしまった。昼なお暗く完全に道に迷ってしまった。その時、雅楽の笛の音が聞こえてきました。その人に道を聞こうと歩きましたがいっこうに縮まらない。美しい笛の音は急坂なのに乱れない?すると山道に出たのでした。そこにあった碑が在原業平の句でした。江戸に赴任となり残した妻に京都に行く知り合いの僧に出会った場所。僧に妻への手紙を託したのでした。あの笛の人は在原業平に違いないと手を合わせてお礼しました。在原業平辞世の句

  • 不思議な現象

    5年前に鎌倉の画廊で見かけたこの絵に感銘して写真を撮りました。その時はなかった手元の明かりが灯っているのです。不思議な現象

  • 神の音

    私は「神の音」で何度も救われたことがありました。そこで、今日は音の不思議な力について話したいと思います。「訪れ」の語源は衣(きぬ)の音擦れから来ています。靴の音や衣の擦れる音を聞いて、あの人がやって来た!と昔の人は気付いたからといいます。また、音信不通の事を便りがないと使ったりしました。この音信を「おとずれ」とも読んでいるようです。私は山や道に迷った時、笛や鈴の音が聞こえて来て道先案内されて助かったことがありました。先日ラジオで雅楽の演奏を聴いていたのです。すると狂言や能楽師の方たちの座談会があり、音について話していました。雅楽の楽器の中に高い音が出る多種類の笛などは、音ずれ(音信・訪れ)といい神様がその音を聴いて降りてくると言ってました。舞台で演じている時に、神様が来てくださったと感じて緊張すると話して...神の音

  • 花の雪

    「またや見む交野(かたの)のみ野の桜狩り花の雪散る春のあけぼの」(新古今集・藤原俊成82歳の作)また見ることがあろうか、交野(大阪府北東部)の桜狩り(桜の花見)、雪のように花が散る、春のあけぼの(夜明け)のこの美しいひとときを。昨日一人歩き、農協の野球グランドの廻りに咲く桜を見て来ました。雨の桜狩りを堪能して来ました。花の雪

  • 六根清浄

    山登りや険しい坂道をのぼる時に口に出る『六根清浄』(ろっこんしょうじょう)という言葉があります。これは、人生道で迷いを生じさせる目、鼻、舌、耳、身(触覚)の五感と、第六感と言われる意(意識)を浄めることを六根清浄といいます。険しい人生を山道にたとえ、登りながら、六根を浄める。頂上に到達すると何となく身体中が軽くスッキリとする気がします。季節がよくなったら山登りもいいかも知れませんね。六根を浄めれば次なる景色が見えて来るかもしれません。ある程度の苦しみストレスを乗り越えなければ喜びを感じないものだから。山登りができなくても、ビルの階段、坂道、神社仏閣の階段登る時に六根清浄と口にしましょう。皆様の身も心も清らかになりますように。六根清浄

  • 苦中の楽

    古典の中に、「静中の静、楽処の楽は真実ではない」という言葉があります。静かな環境の中での、静かな心は本当の静かさではない。騒がしい環境の中で、心を静かにすることができて始めて本当の心境という。また、楽しい環境の中での楽しい心は本当の楽しさとは言えず、苦しい中で心を楽しくすることができて、本当の心境だと言えようという意味の言葉です。静かな所にいけば、心落ち着くが、人生そんな環境など寝ている時にしかない。楽しい時は誰しも楽しいに決まっている。悲しく、苦しい時に楽しみを感じてこそ真実の楽しみなんだ。これを「苦中の楽」という。古代の人は意味深いことをいいますね。今までの自粛生活の苦労を自分を成長させる試練だと思って楽しさを見つけましょう。ここでも心癒され勇気が湧いてくれますように。苦中の楽

  • お墓参り

    ◇亡くなった人との交信です。・あなたはお墓にいますか?いません。なぜならそこは懐かしさもないからです。私のふる里や生まれた地でもないからです。・ではどこにいるのですか?あなたの心にいます。お墓のない人、御仏壇のない人、無縁仏になった人も私を思い出した時にあなたの心にいます。・お墓参りは意味ないですか?お墓参りにはわたしも一緒に行きます。ここがお墓と知るのです。だから行けない人も思い出した時にいるのです。「お墓はあなたの心にあるからです。」「お墓参りはあなたの心を元気にする旅なのです。」ありがとうございました。参考になれば。お墓参り

  • 神の声

    今日は旧約聖書から人生を変える方法を取り上げてみました。「主はアブラムに言われた。あなたは生まれ故郷を、父の家を離れて私が示す地に行きなさい。アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発した時、75歳であった。」(創世記12章1節~4節)このあと長い物語が続いています。アブラムは誰も知らない土地、言葉も文化も分からない土地に行くのです。言い訳をせずに。「チャンスは前髪しかつかまないから」と思ったから。この言葉を使ったと思われる映画の台詞が「スタンド・バイミー」の主人公リバー・フェニックスの『誰も自分のことを知らないところに行きたいんだ』と言う言葉に衝撃を受け、高校卒業後に一人東京にやって来たのが、福山雅治さんです。皆ある言葉に影響されるものですね。私はアブラムの75歳と...神の声

  • 春なれや

    「春なれや(春だなあ)名もなき山の薄霞(うすがすみ)」(野ざらし紀行・芭蕉)朝や夕方に雲に日が当たって赤く見える現象を霞(かすみ)といいます。冷え冷えとした「霧」は秋であり、やさしくたなびく「霞」は春そのもの。「霧」は深く立ち込め「霞」は夕方遠くに淡く見える。夜になると「朧(おぼろ)」と表現が変わります。桜も咲き始めました。身も心も温かくなる春がやって来たなあ。WBCの野球に感激しました。日本に生まれて良かった瞬間です。勇気をたくさんもらいました。私達のチームも世界一です。春なれや

  • 契り

    江戸時代「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と信じられていました。親子は一世(この世かぎりのもの)。夫婦は二世(生まれ変わった時、もう一度同じ人と一緒になる)。主従は三世(前世、現世、来世と3回続く)。私は恋人、友人、同士は何度も巡り会う運命と思っています。これからもよろしくお願いします。契り

  • 傾命

    「傾命(けいめい)」とは年老いて残り少ない命のこと。「傾命をわづかに継(つな)げらく耳(のみ)」(万葉集・大伴旅人)年老いて残り少ない命をようやく生き永らえているばかりだ。不幸が重なり悪い知らせが重なってくる。心が崩れるような辛い思いを長くして、ここ太宰府で独り腸が切れるような苦しみの涙を流している。ただお二人の大なる助けによって傾いた寿命をわずかに継(つな)ぐばかりだ。このように永く生きるとたくさんの心が折れるような知らせを聞くことになる。そこで残りの命をつなげる力になることがいかに大事なことと知るのです。皆様の力で私もあなたも生きる勇気を与えられますように。傾命

  • 人生の節目

    人生の節目に立っている貴方に贈る言葉です。古代も現代も変わらないものだと感じた和歌を紹介します。平安時代前期の『古今和歌集』より、『世にふれば言のはしげき呉竹(くれたけ)の憂(う)き節ごとにうぐいすぞ鳴く』憂(う)き節とは辛いこと、悲しいこと。長く生きていると、いろいろと嫌な事が聞こえて来て、そうした、辛い折々を嘆くようにうぐいすが鳴いている。(詠み人知らず)今でも同感する歌です。古代の人も同じように感じて過ごしていたのだと分かると自分だけでないと元気が出ます。私は竹の節を人生の節と呼んでいます。この節が強い竹を作っているのです。人生もそうです。辛い節目があるから強くなっていくのです。異動で明日から職場を離れる人からの相談を受けました。新たなチャンスだと思って前向きにいけば次のステップアップになると励まし...人生の節目

  • 人生はタンゴ

    「タンゴはダンスを間違えた所からでもタンゴになる。」(タンゴの精神より)人生も間違えた所からでも人生が始まるのだと思います。人生はタンゴだ。人生はタンゴ

  • まほろば

    「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所も、まほろばという安らぎの家です。まほろば

  • 最期の言葉

    死に際の言葉を聞いたことのある人は心響く言葉だと忘れないと思います。人間が極限状態に置かれたり、何かに真剣に取り組んでいる時に発した言葉は誰の胸をも打ちました。それは偽りがなく真理を含んでいるからです。言葉の大部分は右から左へと流れて忘れられていく。しかし、強い感動を覚えた言葉は希望と勇気、自信、信念となって人生の栄養素になっていきます。2000年前の人の思いも今に通じています。一昨日長年お世話した92歳のおばあさんが亡くなりました。私に頂いた言葉があなたの後ろに観音様がいる。息子さんにはありがとう!と言って永眠されました。昨年亡くなった人にはあなたとお地蔵さんが一緒に入って来たでした。私はクリスチャンですが、その人にあった神様が来てくださるのだと感謝しています。ここで皆様に心打つ言葉を伝えられたらありが...最期の言葉

  • 花曇り

    前のブログのタイトルです。花曇り

  • しのび草

    織田信長が好んだ歌の一つに「死のうは一定しのび草には何をしよぞ一定語り起こすよの~」(必ず死ぬのだからしのび草には何をしようか。みんなきっと思い出して、話の種にしてくれるだろうよ)是非もなし(仕方ない)という言葉を残したといいます。偲び草とは香典返しのことのようです。信長の偲び草は400年以上たっても枯れないで生き続けています。私も生きる力になる導きの言葉を偲び草にしたいと思っています。「しのび草言霊のせた桜かな」舞い散る桜に、思いをのせた言の葉で香典返しとします。「咲く桜残る桜も散る桜」(良寛)しのび草

  • 【花曇り】桜の花のころの、暖かい曇り空のことを「花曇り(はなぐもり)」といいます。天気が変わりやすい時期でもあります。春の嵐でも吹いたら、一夜にして散ってしまう。「花曇り」はそんな桜の花を美しく咲き続けさせてくれる優しい空模様です。「満たされているはずなのに、不安になるのは何故でしょうか。花曇りの日に浮かぶおぼろ月のように幸福がぼやけている」そんな心の内を心の花曇りと呼ぶのかもしれない。「盃かわす色香漂う桜顔」そんな光景が浮かぶ花見酒、月見酒がなつかしい。は

  • 辛いときが来たら

    辛い時を経験してきた人には、共鳴できる和歌があります。『ながらへばまたこの頃やしのばれむ憂(う)しと見し世ぞ今は恋しき』(新古今集・藤原清輔)「ながらへば」とはこの世に生き永らえたらということ。「憂し」とは嫌なこと。嫌で、つらくて、どうしようもないこの頃だけれども、このまま生き永らえていたら、いつか懐かしく思う日が来るだろうな。辛かった昔のあの頃が、今は恋しく感じられるように。確かに、そう感じます。古代の人も同じなんだと親しみを感じます。さあ、今日も辛いことあるかもしれませんが、懐かしく、恋しくなる思いでだと気楽に行きましょう!『ながらへばまた懐かしく思い出すことだろう嫌なことを』。辛いときが来たら

  • そばにいるよ

    私の言葉より「命は鉛筆さ思い出書き残して減っていくんだ」「体の重さはみんな違うけど命の重さはみんな一緒魂の重さだって一緒なんだ」「母さんがいない里帰りはつまらないふる里って母さんのことなんだ」「人に言えない苦労が本当の苦労さそれがあったから今の自分がいるんだな」「幸せって苦労した分しか来ないんだよ」「泣いた涙は人を思う優しさになるんだね」「誕生日は神様の贈り物」「生かされるのは誰かの思いがあるからさ」皆さんもいろんな悩み抱えてるでしょうね。みんな一緒ですよ。心配しないでお互い力あわせて生きましょう。私もそばにいるよ。そばにいるよ

  • 心を元気にする

    鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝(弟・義経)の妻に北条政子がいます。頼朝51歳で亡くなった時に髪をおろし、尼さんになりました。彼女が法然(ほうねん)に浄土宗の教えを分かりやすく説いていただいたものが「浄土宗略抄」です。北条政子は祈れば、病気や命が永らえるのか聞いたのかも知れません。その返事のようなものがあります。『加持祈祷(かじきとう)など、祈ることによって病気が治り、生きる人の生命が延びることがあるならば、この世で病気をしたり、死んだりする人は、誰一人としていないはずです。祈ることによって救われるのは、一人ひとりの心です。』(法然)仏教には「体の病気を治す」という教えはありません。ただし、「心を元気」にする教えは数多くあります。心を元気にすれば『生きる力』になるというのが仏教の教えと彼女に説いたのだと思います...心を元気にする

  • 五種類の人間

    人間は次の五種類にわかれる。1.いなくてはいけない人。2.いたほうがいい人。3.いても、いなくてもいい人。4.いないほうがいい人。5.死んだほうがいい人。(お釈迦様)私はまだまだ3から下の方ですがそろそろ神様に喜ばれる人間にならなくては。皆様よろしくご指導お願い致します。今日から介護支援専門員(ケアマネ)に異動します。緊張しますが嬉しいです。神から与えられた仕事と感じています。皆様の期待に添うよう頑張ります。五種類の人間

  • 人生一番

    「20歳のときハンサムでなく。30歳のとき強くなく。40歳のとき財がなく。50歳のとき賢くなけりゃ一生なんでもない。」(イギリスの諺)自分の事のようで耳が痛く感じました。この真意は分かりませんが私なりに解釈すると、「一生なんでもない」生き方をするのは一番大変な事だと思います。人様に迷惑ばかり掛けて生きて来た自分ですから。それもなんでもない人生と言うのなら素晴らしい言葉だと思います。父、母、兄弟、子ども達に合格点をあげられます。「なんでもない平凡な人生が一番」と思います人生一番

  • 人間をとる漁師

    「イエスは、わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。(聖書マタイ福音書)自分のしたいことをするのは子ども。自分のすべきことをするのが大人。魚の欲しい人に魚をあげる事ではない。魚の欲しい人に「魚の釣り方」を教えることだ。自立を目指すそのことが大事だからと説いています。私達は心に刻もう!Thelordshepherdsme.人のために生きていこうと。人間をとる漁師

  • 春風

    漢詩に『一樹春風有両般南枝向暖北枝寒』(いちじゅのしゅんぷうりょうはんありなんしはだんにむかいほくしはかん)一本の樹に春風が吹いた。南の枝には暖かく感じても、北の枝には届かなくて寒い。まったく違う二つの枝。要約すると、予想外の結果が起きるものという意味です。春風吹いて花が咲き誇るが、一方では地震や戦争があって心が寒い。そんな感じをいっているのでしょう。どこにも穏やかな春風が吹きますように。春風

  • 魂の言葉

    言葉には魂があります。生きる力があります。今日の言葉が貴方に響けば嬉しく思います。「優しい言葉一つで冬中暖かい」(日本の諺)「幸福になりたければ、やれ恩を返せだのと言わないで、人に尽くす喜びだけを生き甲斐にしようではないか」。「人間嫌いを直す簡単な方法は一つしかない。相手の長所をみつけることだ。長所は必ずみつかるものだ」(カーネギー)「真心をもって人を助ければ、必ず自分も人から助けられる。これは人生のもっとも美しい補償の一つである」(エマーソン)「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」(聖書)「本当に幸福になれる者は、人に奉仕する道を探し求め、ついにそれを見出だした者である。これが、私の確信である」(シュヴァイツァー)「愛はいつまでも絶えることがない。いつまでも存続するものは、...魂の言葉

  • 花明かり

    『花明かり』満開の桜のまわりは、夜でもほのかに明るく感じられます。花びらの色が白っぽいから、という理由だけではなく、人をひきつけるオーラのようなものが漂っているからでしょうか。世阿弥が使いだした「あの人には、花がある」という言葉には不思議なオーラがあり、心の中に見事な花が咲いている人を指すのでしょうか。真っ暗な闇の中でも、そこだけが明るく感じられる。それを指す「花明かり」には人々を魅了するオーラを感じます。そんな人になりますように。花明かり

  • 厄払い

    日本の諺に「熱火(あつび)を子に払う」があります。子供と二人で並んでたき火にあたっている。火の中の木がパチパチはねたはずみに火の粉が飛んで来て、親の体の胸のあたりにくっつきました。慌てた母親は火の粉を手で払う。その火の粉が隣にいた子供にあたり火傷をおってしまうという意味です。我が身にふりかかった災難を慌てて振り払い自分が守ってやらなければならない者に移してしまう事。熱火(あつび)は払うのではなく自らの手で消す事が大事です。災難や厄もそうです。「厄払い」するというよりも「厄を浄化」することが大事と私は考えています。自らの力で厄を消す。そんな力を持って頂きたいと思います。自然の力や神仏の力を借りたり、ここで生きる力が湧く言葉を身につけることが厄払いになるからです。厄払い

  • 皆さんが先生

    「負うた(背負った)子に教えられて浅瀬を渡る」(日本の諺)謙虚な気持ちになってどんな人からでもいつも学ぶ態度を持てば、あらゆる人から学ぶことができるという意味です。「三人で旅をすると必ず先生になる人がいる」といいます。旅先のさまざまな場面でなるほどと感心することがあります。本当に回りの人はすべてが先生です。今日も謙虚な気持ちで学びましょう。皆さんが先生

  • 天真爛漫

    明日から三月です。心新たに過ごしたいと思います。さて、論語は紀元前600年に孔子が説いた言葉で厳格な道徳心を述べています。日本人は孔子より前の老子の思想の方が合っているのではと思えてなりませんでした。すると、嬉しい言葉を見つけました。偉い学者さんが、孔子と老子の比較をしていました。孔子は二宮金次郎の生き方。生真面目な努力型。老子は天真爛漫に生きた良寛型。この批評を見て納得しました。うまいこと言う!と拍手しました。そこで、老子の言葉を幾つか紹介します。「気にしない」悪口を気にするのは、自意識が強いからだよ。誰もそんなに注目しているもんか。要するに、うぬぼれやさんなんだ。だから人の悪口など、気にしない、気にしない。「愚か者」満杯のコップにいくら水を注いでも、こぼれるばかりだ。これは愚か者のやること。新しい水が...天真爛漫

  • 歓びの涙

    「知恩報恩(ちおんほうおん)」昔の人は生命は恩によるもの。衆生(生きているすべてのもの)や親により積もり積もって今日に至ったものなので恩を知り、それに報いることは人の本分であるという意味の言葉です。この気持ちが神仏に向けられた時、宗教心となります。宗教心とは感謝と相手を大切にすることです。特に日本人の宗教心を表現したと言われている歌があります。「なにごとおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」(西行法師)ここにどのような神がいらっしゃるのかは存じ上げないが、身にしみるようなありがたさがこみ上げてきて、思わず涙がこぼれてしまった。松尾芭蕉が尊敬した西行法師が伊勢神宮に参詣した際に詠んだとされる歌です。私も教会で突然躰が震え涙が止まらなくなったことがあり思わず床に膝まずきました。歓びの涙

  • 極楽と地獄の別れ道

    (2016年の投稿より)京都府舞鶴市の西国第29番、青葉山松尾寺にある人生訓を紹介します。『幸福への道』早起きする人、熟睡できる人感謝して真剣に努力する人仕事を趣味に能率を計る人義務も責任も進んで果す人時間を守る人、礼儀正しい人頼もしい人、融和を計る人人も自分をも尊敬できる人常に反省し素直に改める人何事も善意に解釈する人注意深い人、決断の早い人身心の健康を心掛ける人質素で金を活かして使う人孝心深い人、恩に報いる人親切で人の為によく尽くす人良心と優しい愛情に満ちた人恥を知る人、偽りのない人信念に撤した人、辛抱強い人どんな苦難も悠々と耐える人生き甲斐を求め精進する人夢と希望に笑顔で生きる人『不幸を自分で造る人』心の暗い人、不愉快に暮らす人絶えず不満や愚痴の多い人やる気がなくよくサボル人無責任な人、法規を守らぬ...極楽と地獄の別れ道

  • 恋から愛へ

    「愛は真心。恋は下心。」(日本の格言)「恋が着せ、愛が脱がせる。」(伊勢丹のポスター)恋すると着飾って美しく見せようとする。愛に発展すると、ありのままの姿になる。愛とは大切にするという意味が日本にはある。着飾らないあなたを愛しています。恋から愛へ

  • ご報告

    3月で特別養護老人施設(特養)を退職することになりましたと前にご報告しました。17年よく勤めたものだと再就職活動して、2ヵ所決まりました。定年は自分で決めてください。それまで昇給します。とても良い条件でした。すると、今月ケアマネが妊娠して産休で来月から休みになり究極ケアマネ依頼されました。産休だけケアマネする人はいません。前回も新館の100人を担当しました。今回は本館100人の担当です。いま本館勤務していますので、スタッフも利用者も懐かしい人ばかりです。そういう訳で新しい就職先は丁重にお断りしました。1年後機会あればお願いします。これも奇跡でしょうか?神の導きははかりしれません。何が起きるか神のみぞ知る。まずはご報告まで。ご報告

  • よける力

    武道では飛んでくる矢は「打ち落とす」のではなく「よける」のが鉄則とされています。仏道にも同じ話があります。お釈迦様が弟子たちと托鉢して歩いているときのこと、ある町民から文句を言われました。「お前達は托鉢といいながら、人に物をもらって生きているではないか。俺達は額に汗して働いているのに」と町民の延々とつづく文句を黙って聞いていました。やがて、町民が疲れて黙ると、お釈迦様はやおら口を開きました。「言いたいのはそれだけですか?」「そうだ」「じゃさようなら」と言ってその場を去りました。弟子達は納得ができません。お釈迦様に詰めよりました。「お前達は毒蛇を渡されたら受けとるか」「まさか、受け取りません」「受け取らなければ、その毒蛇は誰のものになる」「持って来た人がそのまま持ち帰るしかないでしょう」「そうだろう、だから...よける力

  • 花咲く時が来る

    『野火焼けども尽きず春風吹いてまた生ず』(白楽天)野火に焼かれても草の根は残り、春風が吹くと、また草の根は芽生えてくる。この歌の意味には、人生の逆境に遭って苦しみ悩む時もあるだろう、しかし、野焼きが一杯肥料を蓄えてくれるのと同じように、それを克服すると、いずれ芽生えて、花咲く時が来るよ。とのエールの心が込められています。皆様の今の苦しみが乗り越えられて、花咲く時が来ますようにと祈念して送る言葉とします。花咲く時が来る

  • 愛とは大切に

    昔のキリシタンはイエスの言う「愛」というラテン語の「カリタス」を訳す時に、「御大切」にという言葉を使いました。愛を恋愛とかに間違われるからだと思います。イエスの「隣人を愛しなさい」という言葉は「隣人を大切にしなさい」という意味なのです。神様を愛そうと思ったら、人を大切にしなければならないと述べているのです。仏教は愛(love)というのは欲望の内だからと否定されていますが、愛を「大切に、親切に」と訳せば仏教も否定はしないと思います。愛とは大切に

  • マリアの微笑み

    人はそれぞれ役目を持って生きています。自分の為に生きているという人は次の段階を知る事でしょう。あなたの役目を自覚してください。旅人の足を洗うこと。髪を結うこと。着物をつくること。国を守ること。感動を与えること。すべての人は何らかの役目を持って生まれて来たのです。その役目に差は無いのです。人の為に自分ができること。神様が与えてくれたこと。あきらめないで見つけると神様からご褒美を頂けます。聖母マリアの微笑みを。マリアの微笑み

  • 青き踏む

    青草が芽ぐむころ野遊びや野山のそぞろ歩きをすることを古代「踏青(とうせい)」と呼びました。踏むには麦踏み、異国の土を踏む、お百度を踏むのように足に渾身の力を加える精神的な意味合いもあります。幼子と何時までも青春の志を抱いて私達も青き大地を踏みましょう。青き踏む

  • 浮世船

    『浮』とは辛く、悲しく、はかないという意味があります。そんなはかない世の中なら「浮かれて生きよう」と享楽の世になり男女間の色恋がもてはやされ、それが『浮世絵』になったという。『この世は多くの人が乗っている船』といいます。船は常に川の流れの中にいます。景色も変わります。中にいる人が自分の気の合った同志で、好きな景色の岸に船を固定しようとしたり勝手に操縦したりしたがります。浮世の船は停まりません。常に流れているのです。嫌な景色も観るでしょう。流れていることを受け入れていればつぎにやって来るいい景色が見えてきます。桜が満開の景色があなたを待っています。川の流れと浮世船。この先、いい景色が貴方を待っていますよ。浮世船

  • 言葉は生涯

    「生命は力なり。力は声なり。声は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり。」(島崎藤村)皆様の投稿される熱い言葉で生きる力が湧いて来るでしょう。言葉掛けは明日を生きる力となります。昨日は私の誕生日にたくさんのお祝いのお言葉を頂き感謝しています。生きる力を感じています。御礼に私の力を皆様にお返し致します。皆様のおでこ(ひたい)に熱いエネルギーを送ります。元気に活躍できますようにと祈って。言葉は生涯

  • 宇宙の声

    今日は私の76歳の誕生日です。それを祝うかのごとく心にメッセージが来ました。まだまだ才能が埋もれたままだ。「宇宙の声」を聴きなさいでしたA~Eまでの項目が浮かびました。皆様の力も必要ですのでこれからもよろしくお願いします。宇宙の声

  • 必死

    【必死とは心にタスキを掛けて死ぬ気で頑張る!それが必死や】(岡村隆史)必死に生きているあなた、必ず道が拓けますよ。必死

  • 神様お願い

    『隠れる』の『隠』という字は奥の深い意味があります。どちらかと言うと隠すとか隠密、隠匿とか悪い意味合いに使われています。こざと扁は、神様が登り降りする梯子という意味があります。右側の字は上からの手を意味し、両手で物を隠すように、人から見えなくする様子を表しています。何を隠しているかというと、「心」です。『隠』という字は神様に密かに祈る心を表しているといわれています。神のみぞ知る秘めたる願いを込めた字なのです。『神様お願い』切なる心模様が語源なのです。コロナウイルス解除や皆様のご健康、ご活躍をお祈りします。神様お願い

  • 控えめに生きる

    老子の言葉に「和光同塵(わこうどうじん)」があります。輝く才能を見せびらかすよりも、それを隠し、世間の中に同化して交じり合うという意味です。一人だけ脚光を浴びるよりも、どこにでもいる凡人として生きることを和光同塵といいます。老子は「人望のある人」とは、「俺が俺が」と自己主張などしない。常に控えめな態度でいる。未熟者だと思って謙虚に振る舞うので、かえって信頼されるのだ。そんな人は功績を自慢しないし、他人を見下すこともしないので、いつしか人望が集まり、尊敬されて知らないうちに上に立つ人になっていると述べています。自慢ばかりするお年寄りがいますが、年をとったなら、このようになりたいものだと思いました。控えめに生きる

  • 心の苔

    エイジング(加齢)は歴史を重ねた、とても魅力あるものと思っています。庭師が庭石に選ぶ石は苔が生えやすい石を選び古びたイメージを出しています。建築もそうです。五重の塔、お寺、古民家の町並みも年代を感じて落ち着きます。人も同じです。死を身近に感じると、生が輝いて見えます。「心のしわが歴史となって人の魅力となる。心の苔が時代と共に美しさを増す。」エイジングとは『千年の古都』と訳したい。皆様も味わいのある人になっていますよ。心の苔

  • 私達はバラモン

    『山かげの岩間を伝う苔水(こけみず)のかすかに我はすみわたるかも』(良寛)山かげにある岩の間を伝わって、苔の下をかすかに水が流れるように、ひっそりと私は山かげにある庵(いおり)に住み続けよう。仏教最古の経典の法句経に「清らかに澄む月のように生きていく」独り森の中で瞑想している人。わけもない罵倒や暴力、拘束にも怒ることなく堪え忍耐力と勇猛な心を持つ人。彼をわれはバラモン(最高の僧侶)と呼ぶがあります。長い人生には浮き沈みが交互にやって来る。得意のときもあれば、思わぬ逆境に見舞われ、ひそかに涙を流すときもある。それを、どう乗り越えたらよいか。私はまだまだ助言できるには力不足ですが少しでも役にたてればと言霊(ことだま)を綴って行きたいと思っています。皆様と共にバラモン目指して。私達はバラモン

  • あなたと生きる

    「人間は他の人間のためにこの地上に存在する。楽しみや幸福を共にしている親しい人々はもちろん、また同情という絆で結ばれている無数の未知の人々のために。」(アインシュタイン)この言葉が100%私の言葉です。私の生き方でもあります。ここで皆さんと出会った絆も私の生きる道だと思い感謝しています。あなたと生きる

  • 人生砂漠

    「人生砂漠に迷った時、私は生きる力を失わなかった。なぜなら月と水は私を見捨てなかった。言葉は熱き血潮となって流れたから。月は宇宙の神水は大地の泉言葉は復活の血潮となった。」人生砂漠

  • 千日修行

    「穢土(えど)の一日の修行は、深山の千日の修行に勝る」という言葉があります。穢土はこの世をいい、醜い汚れた中で生きていく苦労は、一人きりで深い山の中に入って、千日間の修行をするよりももっと大変な事だという意味です。この世は修行の場なのです。気づきましょう。神の力を頂いていることを。千日修行

  • 神秘な日々

    「私たちが体験できる最も美しいものは、神秘的なものである。このことを知らず、不思議に思ったり、驚きを感じたりできなくなっている者は、死んだも同然だ。」(アインシュタイン)神秘は私たちを現実的な考え方から連れ出して、もっと大きな世界へと導いてくれるからだと述べています。何だかんだと理屈をつけて現実だけしか、分かろうとしない人がいますが、アインシュタインもそのような人に言った言葉なのでしょうね。宇宙の神秘。宇宙の子である私たちこそ神秘なはずです。全く同じ人がいないのですから。人生も何と神秘にあふれているのだろう出会いもそうです。神秘を受け入れれば違う世界が見えて来ます。世界中の人と知り合うなんて本当に不思議です。ありがとう。神秘な日々

  • 時は心の鏡

    「時は金なり」の西欧の言葉の意味を私達は漠然と、時は大切なものという意味でしか理解していません。古代ギリシャでは、月の始めに借りた利息を払う日のことを「カレンダー」と呼んでいました。1日遅れると、利息が高くなることから「時は金なり」と言うようになったといいます。ローマに入り、カレンダーは時の尺度を表す暦の言葉になったといいます。西欧の話にある町の商店でのこと。一人の客が店に来て、1ドルの商品を手にして、80セントに負けてくれといいました。しかし、店主はそれは負けられませんとずっと断っていました。とうとう客はあきらめて、1ドルで買いますといった。すると、店主は「あなたは私の貴重な時間を浪費したから1ドルで売ったら損します。1ドル20セントなら売りましょう!」といった。西欧の文化にはこのような考えが根づいてい...時は心の鏡

  • 危機

    「危機」という言葉は二つの文字から成り立っている。一つは危険を意味し、一つは機会(チャンス)を意味している。危険や嫌な事があっても、それをチャンスととらえて生きる事。危機

  • こどもの国

    マザー・テレサは敬愛していた、リジューのテレーズにちなんだ修道名をつけたといいます。テレーズは1890年代に24歳で亡くなり、わずか数10年で聖人になった奇跡の人です。その本「空(から)の手」「小さい道」の聖テレーズのメッセージ「あなたたちが悔い改めて子どものようにならないなら、天の国には入れないだろう。」(マタイ18.3)この言葉を引用して、姉に向かって「臨終のとき、ひどく苦しんで心が平和だと見えなくても、心配しないでください。主も愛の犠牲としてお亡くなりになり、あれほどお苦しみになったのですから。」「ああ、私は主を愛します。私の神様あなたを愛します」と言い息を引き取ったといいます。聖書も彼女も残した言葉が幼子のようにならなければ天の国に入ることはできないといっています。何となく分かる気がしませんか。良...こどもの国

  • 消えゆくもの

    虹は消えゆくもの流れ星も消えゆくもの花も消えゆくもの幸せも消えゆくもの時も消えゆくもの命も消えゆくもの消えゆくものは愛しく思うだから心に刻もうありがとうの言葉を添えて。消えゆくもの

  • ソウルメイト

    電話やメールをしようとした人から、電話やメールが来たことがあると思います。偶然の一致を「シンクロ二シティ」と呼びます。これは宇宙からのメッセージと言われています。私はこのようなことがよくある人は、ソウルメイト(魂の伴侶)の仲間と感じています。ソウルメイトとは愛によって永遠に結ばれている人達のことで、幾つもの人生で何回も出会いを繰り返している仲間のことをいいます。ソウルメイトはいつも一緒に地上に生まれて来ては、さまざまな人間関係を作り出し、お互いの学びを助け合っています。大好きな人も、大嫌いな人も、どちらもきっとソウルメイトなのだと思います。すべての人を大切にすることができたとき、私達の地球での学びは終わりとなり、ソウルメイトに感謝しながら肉体を脱ぎ捨てて、次の学びのステージに進むのです。この世は魂を磨く場...ソウルメイト

  • 花信風

    春から初夏にかけて花の咲くことを知らせてくれる風のことを「花信風(かしんふう)」といいます。初めは梅、椿、水仙、沈丁花(じんちょうげ)、桜桃(おうとう)、こぶし、菜の花、杏、桃、山吹、バラ、梨、もくれん、桐、麦、柳、牡丹など。風が吹けばどこかで花が咲いているのです。あなたの心にも花を咲かせる花信風が吹きますように。花信風

  • 命のコップ

    「コップのお酒やジュースを飲む時、減って行く量を惜しむかのように飲む。しかし、命のコップは永遠にあるものと飲んでいる」。貴方のコップはどれ位残っていますか?私は気づきました。底の底しかないと。だからありがたく飲んでいます。すると神の滴(しずく)が一滴落ちた気がした…。命のコップ

  • 不幸にならない

    「心外無別法(しんげむべっぽう)」という言葉があります。幸福や不幸というものは、何かの形で現れるものではありません。それは、心のもようで変わるもの。つまりは感じるということ。不幸になるというのではなく、不幸だと感じる。すべての現象や存在は、自らの心によって起こるもの。それを「心外無別法」といいます。不幸にならないためには、それを不幸と感じないことと説いています。「すべて、あなたの心が決めているのです」人は苦悩をとおして、真の歓(よろこ)びを知るようになる。苦難を乗り越えた人には人の痛みが分かり、人の喜びが分かる。強さの中に優しさができる。辛い哀しいことがあったから、幸せのありがたみが分かる。どん底を知ると怖いものがなくなる。いろんな人生を送った人は、すべてが幸せに通じるものと感じるものです。不幸だと思わな...不幸にならない

  • 恩送り

    『神様は私たちの「願ったもの」よりも幸せを増すのに「必要なもの」を与えてくださいます。それは、必ずしも自分の欲しくないものかもしれません。すべて必要なものだと感謝して、謙虚に受け入れることが大切です。人生には思いがけない悲しみ、苦しみの「穴」があったからこそ、見えるものがあるのです。』(マザー・テレサ来日の時、通訳していた渡辺かずこシスターの言葉)辛いこと、悔しいこと、理不尽なこと、悲しいことなどあまり欲しくないことです。しかし、これらもきっと幸せになる為に「必要なもの」かもしれません。そう思って謙虚に受け入れて乗り越えてください。今日を生きる力になりますように。投稿してくれている皆様に感謝しています。読者の皆様にも幸せのパワーを送っています。心に響いた言葉がありましたら、今のあなたに必要な言霊(ことだま...恩送り

  • 寄り添う神

    寂寞(じゃくまく)という言葉があります。生きることのもの寂しくひっそりとしていることです。人は誰しも賑やかばかりでなく、寂しさも感じるものです。人に暗いところがあるのは人間としてまともに生きている証拠です。人の世は一人では生きていけません。寂しさと孤独は必要なものだと思います。毎日の不安な事、健康の事、仕事の事、悩み事は本当に尽きないものです。困った時の神頼み。その時、神の声や救いの力を感じるのです。神様は静けさと寂しさを持った人に寄り添うからです。感謝を忘れずに元気に行きましょう。寄り添う神

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