「人と神が出会うのは苦難に耐えている時」(私)神はいつもいるわけではない。困って苦しんでいる時に神は現れるものだ。昨日は神の存在を知った。奇跡のような事をしてくれた。感謝しています。神の存在
「人と神が出会うのは苦難に耐えている時」(私)神はいつもいるわけではない。困って苦しんでいる時に神は現れるものだ。昨日は神の存在を知った。奇跡のような事をしてくれた。感謝しています。神の存在
川面(かわも)の月。ゆったりと大河を流れる川。急流になって谷間を流れる川。月は流されずいつも川面に映っている。月はあなたの心です。流されることのない不動の心あなたはあなたでいいのです。(私)どんな世間の波がたとうとも、自分は流されない不動なのだ。あなたはあなたなのだから。少しの波でも心動揺する私です。こうなりたいと思って日々努力しています。川面の月
「道に迷うことこそ道を知ることだ。」(東アフリカの諺)「人生に迷うことこそ人生を知ることだ。迷わぬ者に悟りはない。」(私)本当に迷ってばかりです。申し訳ない。迷う
日本でつくられた言葉に「躾(しつけ)」があります。身につく美しさと書いて躾。長い間の行いで無意識に身についた姿をいいます。日本人の美意識です。世界に誇れるひとつです。ここもそんな美意識を育てています。躾
一昨日看取りの人が亡くなった。水だけを良く欲しがっていた。イエスも十字架で「私はのどが渇いた」と発言されたことを知りマザーテレサは泣いたといいます。たしか、誰か布にワインを湿らせて唇に付けたと聞いた。そこから浮かんだ言葉です。「渇いた者へ」生きるのに渇いた者はここに来なさい。誰でも心の奥底から生きる水の川が流れ出るようになるから。(私の天使の言葉より)渇いた者へ
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所もまほろばという安らぎの場所です。まほろば
「仏教は二利(自利、利他・じりりた)に尽きます」(空海)唐留学から帰国した際の空海の報告書の言葉です。自分が修行して、悟りを得ること(自利)と、他の人の救済のために尽くすこと(利他)の二つを完全に行うのが理想で、自利と利他は相反するものではなく、大きな輪のようにつながっているのです。自分の幸福も他人の幸福も一つの輪の中にあると述べています。宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と述べています。ボランテイアや介護現場では、人を手助けすることで、実は自分が救われていたと気づくものです。幸せを考えたくなったら自分にできる「利他」の行いからやってみて下さい。空海の言う自利利他は幸福の始まりのキーワードです。幸せのキーワード
あと数日の命。看取りの可愛いおばあさん。神田の生まれと自慢していた。しかし、母親からいつもあんたはぐずだと叱られてばかり。妹はチャキチャキの神田っ子。私はだめだ。何やってもノロマ。今何考えているの?「いい思い出ばかり思い出しているよ。」僕なんかいい思い出なんてないよ。「私もそうだよ少ししかないいい思い出を何度も何度も思い出しているよ。」そうなんだね。だけどね悪い思い出もいい思い出になるんだよ。だからすべて思い出していいんだよ。「そうだね」と笑ってくれました。(もうすぐお別れだね)いい思い出
朝の散歩中に竹やぶからうぐいすの鳴く声がしました。平安時代前期の『古今和歌集』より、『世にふれば言のはしげき呉竹(くれたけ)の憂(う)き節ごとにうぐいすぞ鳴く』憂(う)き節とは辛いこと、悲しいこと。長く生きていると、いろいろと嫌な事が聞こえて来て、そうした、辛い折々を嘆くようにうぐいすが鳴いている。(詠み人知らず)今でも同感する歌です。古代の人も同じように感じて過ごしていたのだと分かると自分だけでないと元気が出ます。私は竹の節を人生の節と呼んでいます。この節が強い竹を作っているのです。人生もそうです。辛い節目があるから強くなっていくのです。異動で明日から職場を離れる人からの相談を受けました。新たなチャンスだと思って前向きにいけば次のステップアップになると励ましました。勇気が出たと帰っていきました。皆様も人...うぐいす
人は重荷を背負って坂道を行くがごとし。(徳川家康)私は毎日10キロのリュック背負って出掛けてる。墨や絵筆や半紙が結構重いから。50年続けたら120トン。「私の人生120トン雨の日も長靴はいて120トン雪の日も足跡残して120トン風の日も帽子飛ばされ120トン心の重さだ120トン泣いて笑って120トンソーレソレソレ120トン」120トン
古典の中に、「静中の静、楽処の楽は真実ではない」という言葉があります。静かな環境の中での、静かな心は本当の静かさではない。騒がしい環境の中で、心を静かにすることができて始めて本当の心境という。また、楽しい環境の中での楽しい心は本当の楽しさとは言えず、苦しい中で心を楽しくすることができて、本当の心境だと言えようという意味の言葉です。皆様も今までの自粛生活の苦難の中でも小さな楽しみを見つけて来ましたね。私は物を補修する楽しみを見つけました。苦しい、悲しい、体中痛い毎日の中で楽しみを見つけた時、この言葉が浮かんで来ました。苦中の楽
「人間は死を約束された動物である。人は死んでもその人の影響は消えない。自分は何を残せるだろうか。」聖路加病院故日野原先生生きる力になる言葉をたくさん残した!と自信もっていいましょう。何を残すか
明智光秀の三女細川ガラシャ夫人の辞世の句。キリスト教徒のため自害できなかったので、家臣に槍で胸を突かせ落命した。「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」花は散る季節を知っているからこそ、花として美しい。私もそうありたい。胸を打つ辞世の句です。人も散る時が分かれば、もっと美しく生きようとするのに。心に刻みました。美しく生きる
『あなたは素晴らしい。あなたの心は誰の持ち主でもないだから美しい!』。(私)「難題に打ち勝ち、復活する国民が素晴らしい!その勇気を世界に見せる使命があるのでしょう。」生前来日した時、広島、長崎の悲しい原爆から復活した事を述べたマザー・テレサの言葉。「あなたは素晴らしい!」たくさん使いたい言葉です。素晴らしい!
仏教によく「33」という数字が出てきます。これは何故でしょうか。33という数字は観音経にあります。無尽意(むじんに)菩薩が、お釈迦様に尋ねます。「お釈迦さま、観音さまは一体どうやって私たちの世界で、説法し人々を悟りへ導いているのですか」お釈迦さまは答えます。「それはね、仏さまの姿がいい場合は仏さまの姿になるし、修行者の姿が最適だと思えばその姿で説法するんだ。仏さまに準ずる姿が3種。帝釈天などの神さまが6種。王さまやお坊さん、子どもなど人間が15種。龍などの仏教を守る生き物が8種。そして、仁王さまの姿が1種。合計33種の姿に変身して人々を救ってくれるんだよ」という内容があります。2桁の数字で最初の素数は11(2.3.5.7.11.13.17…)。そして、1桁の中で最初の物事が安定する数が3(3大名所、3大〇...33
仏教によく「33」という数字が出てきます。これは何故でしょうか。33という数字は観音経にあります。無尽意(むじんに)菩薩が、お釈迦様に尋ねます。「お釈迦さま、観音さまは一体どうやって私たちの世界で、説法し人々を悟りへ導いているのですか」お釈迦さまは答えます。「それはね、仏さまの姿がいい場合は仏さまの姿になるし、修行者の姿が最適だと思えばその姿で説法するんだ。仏さまに準ずる姿が3種。帝釈天などの神さまが6種。王さまやお坊さん、子どもなど人間が15種。龍などの仏教を守る生き物が8種。そして、仁王さまの姿が1種。合計33種の姿に変身して人々を救ってくれるんだよ」という内容があります。2桁の数字で最初の素数は11(2.3.5.7.11.13.17…)。そして、1桁の中で最初の物事が安定する数が3(3大名所、3大〇...33
日本の諺に「以心伝心」がある。「心をもって心に伝う」という意味。心の力で相手の心に直接伝えること。「短い言葉でも心がこもっていれば、重く感じるものだ。」(私)言葉の重み
「星の王子さま」のフランス人著者サン・テグジュペリは本の中で「かんじんなことは目に見えない」という有名な言葉を残しました。彼は戦場に行く時、妻に残した言葉が「泣かないで。未知のものは発見しようとすると美しいものだ。僕は国のために戦うつもりだ。僕の目を見ないで。だって僕は君の涙を見る悲しみと義務を果す喜びで泣いているのだから」「置いていかなければならない宝物を持っていることを、天に感謝したいくらいだ」現実を嘆くのではなく、妻と出会えたことに感謝しているのでした。そして、実際にこれが本当に永遠の別れになってしまいました。誰にも必ず別れは来ます。それを悲しむのではなく、出会えたことに感謝する気持ちに感動しました。皆様に出会えたことに感謝です。出会いに感謝
ひさかたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ。(紀友則)こんなにのどかな春の日に、桜の花だけは落ち着きなく散るのだろう。春は華やかで、心落ち着かないところがあるが、ふと哀愁がよみがえるときがありますね。春秋とか春かなし、という時期のようです。一時的に過ぎ去るもので、花や木、遠い雲などを眺めては何かに想いをはせるのでしょうか。お年寄りに現われる精神的情緒不安定な時期とも言われます。寝付かれない、不安、食欲減退、生きる気力喪失、絶望、恐怖、徘徊など。できる限り傾聴してあげましょう。いずれ通る道ですから。桜舞い散る
「肉体は消えても、言葉は決して消え去ることはありません。」(私)『かりそめの事と思ひそこの言は(葉)言の葉(は)のみと思ほすな君』(良寛)言葉が軽いかりそめの事と思えても、言の葉のみとは思わないように、言葉は大きな力を持ち、世や人々を左右するとの意味です。確かに、その音の一つ一つに、言葉の意味だけでなく、その音の持つ力が伝わって来ます。温かい言葉をかけたら、受けた人が、次の人にまた温かい言葉をかける。誤った言葉を使うと辞任される知事もいる。言葉は時をかけ、旅をする。今日の善き日に言葉は旅する
「命は鉛筆さ思い出書き残して減っていくんだ」「体の重さはみんな違うけど命の重さはみんな一緒魂の重さだって一緒なんだ」「母さんがいない里帰りはつまらないふる里って母さんのことなんだ」「人に言えない苦労が本当の苦労さそれがあったから今の自分がいるんだな」「幸せって苦労した分しか来ないんだよ」「泣いた涙は人を思う優しさになるんだね」「死ぬことは誰かの心に生きることなんだ」皆さんもいろんな悩み抱えているでしょうね。みんな一緒ですよ。心配しないでお互い力あわせて生きましょう。私達がそばにいますからね。そばにいるよ
あわてるな、落ち着きなさい。という意味の「且緩々(しゃかんかん)」。若いお坊さんが、師匠に対し、矢継ぎ早に質問攻めにして疑問をすべて解消し、早く悟ろうと思ったら、「且緩々」と言われた。『どの道も、急いで極めることはできません。まずはお茶でも飲んで落ち着きなさい』。という時に使います。人生も同じです、ふと立ち止まって、これで良いのかとゆっくり考える時間が必要ですね。「且緩々」緊張した人を見たらこの言葉を掛けてみましょう。まずは一服
昨日緊急出勤のため7:00に家を出た。道路から離れた道をチャリで行くと竹やぶが燃えているのを発見。人がいるようないないような?風が吹く朝、すると消防車がやって来て道路に止まり隊員があたりを走り始めていた。私は掛けより竹やぶが火事と伝えた。わき道の奥だから分からないと思ったから。私はその場を去った。帰りに現場に行ったら竹やぶが綺麗な更地に変わっていた。地面は水の跡が染み込んでいた。きっと誰かがたき火(焼き畑)をして竹やぶに火が回り通報したのだと思った。外車の並ぶ販売店の裏だから大事にならないで良かったです。神のお告げか不思議な火事
「神の国は君たちの中にあるんだよ」(聖書ルカ17-21)神の国はいつ来るのかとパリサイ人に尋ねられた時、イエスは答えて言われた言葉。神の国とは、神の思いが実現するところ。それは、夢のような特別の場所にあるのではなく、私たちの中にもうすでにあるんだよ。苦しむ人、悲しむ人、助けを求める人に自分ができることをしていくこと。お互いのあやまちを許し、受け入れてそれぞれみんな中にいる神の存在に気づくこと。その時そこにもう神の国はあるんだよというメッセージです。空海も同じような事を言ってました。「仏は外にいるのではなく、丹田(たんでん)にいる」と。丹田とはへそ下で気力が集中する所です。神の国はあなたの中にあるのです。神の国
施設のカウンターに飾られている日本人形。彼女が私がケアマネになって戻って来たことに感謝している夢を見ました。「私の頭にかぶせている帽子は可愛いくないから取って欲しい!」翌日行ってとりました。笑ってくれました。髪を撫でると願いが叶うと教えてくれました。足元にそれを書きました。誰かが撫でたのでしょうか?髪が茶色になったり、前髪が数本伸びてきました。気のせいかな?魂が宿っている人形です。不思議なことだと感じて報告しました。みんな導きで今があるのだと納得して受け入れましょう。少しは気が楽になりますように。導きの今がある
今年も桜が咲いて私達を楽しませてくれました。桜の絨毯ができました。川面には花筏(はないかだ)となって桜の花びらが流れて行きました。「散る桜残る桜も散る桜」(良寛)咲こうとも散ろうともどんな桜も愛すべき桜なのです。桜を命に変えると「散る命残る命も散る命」どんな命も愛すべき命なのです。桜は痛み苦しみ乗り越えて精一杯生きよと教えています。残る命を精一杯生きましょう。残る命
再び皆様へ「刃物は物を切る言葉は心を斬る暖房は体を温める言葉は心を温める薬は病を治す言葉は全てを癒す言葉は生きる勇気の道標(みちしるべ)しかし、沈黙と傾聴を忘れてはならない言葉の力信じて共に歩もう。」言葉の力
この時期、樹木希林さんの会話を思い出しました。「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「生きるのも日常、死んでいくのも日常」晩年の希林さんがたどり着いた境地に「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」(良寛)「裏から始まるところがすごい。年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」また、良寛の次の句も好んだ。「散る桜残る桜も散る桜」誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。という意味に「そう考えると心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。だが釈迦は「役立つ人だけがいいので...生と死
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。四体の心
「人は神によって生命を与えられ、あらゆる人の愛を受け育まれる。」しかし、「人間は愚かな生き物。日々誘惑に惑わされ、悪や欲に染まってしまうこともある。そのまま悪の道を行く人もいる。」「弱い人間は日々我を顧み生んでくれた神に喜ばれる生き方をして終わりたいものだ。」(自戒の言葉)誘惑の罠
人生は順風満帆ばかりではない。明日の希望もなく苦難の日々ばかりで、逃げたくなる事もある。「成長とは華やかな地上だけではない。地下にだって根を生やす事も成長というのだ。」足踏みしたって、かかとは減るのだから。いま辛い人は地上に出る前に、強い根を生やしていると思えばいい。私は人生の2/3はそうだった。地下の女神が見守っていますよ。地下の女神
「無事に生きる」という言葉があります。禅語では不要なことに振り回されないこととあります。不要とは「三毒」のことです。1.何でもむさぼるように欲しがる欲望。2.ささいなことで怒ること。3.道徳心や常識にかけた愚かさのこと。この三毒を出せば何事にも振り回されなくて、無事に過ごせると説いています。皆様には関係ない言葉ですね。三毒
いろんな事情で急に亡くなった方の魂に語ります。「はかなく突然に散ったとしても大切なのはどんな夢見続けたかです。夢は散った後も生き続けると信じるから。決してあなたのこと忘れません。安らかにお眠り下さい。そして、私達を見守って下さい。」近くの小学生の女の子がトラックにはねられ亡くなりました。その子に送ります。夢は続く
今日は月影について述べたいと思います。「水に映る月影は仮のすがた、肉体に宿る自我もまた空(くう)である。如来は人のために真理を説く、その大いなる慈悲を衣としよう」(空海)満月の晩、池や沼の水面には、くっきりと月の姿が映ります。水を張った器を置けば、その器の数だけ月の姿も増えていきます。しかし、それらはあくまで仮の姿で大もとは天空で輝く月そのものです。月は如来であり、その光で自分の心を照らすことが、大いなる慈悲を心に導き入れ、仏と一つになることなのだと述べています。空海は大いなる慈悲の衣になって多くの人の魂を救ったのです。難しい表現ですが、月の明かりは神と仏の光、その力を借りて人々を救おうとしたのです。私も見習いたいと努力しています。皆様も神と仏の明かりに照らされ慈悲の衣でこの場で悩まれている人を救ってくだ...月光
「爾今生涯(じこんしょうがい)」という言葉があります。好日旅立と同義語。思い立った時が、すなわち人生の新たな始まりということ。ゴールデンウィークに旅ができない人は、言葉探しの旅に出ましょう!すべて神の導きに感謝して。いい日旅立ち
「日常の五心」という言葉があります。1.「すみません」という反省の心。2.「はい」という素直な心。3.「おかげさまで」という謙虚な心。4.「私がします」という奉仕の心。5.「ありがとう」という感謝の心。この言葉を大切に日々を過ごす。きっとあなたは周りの人に影響を与えますよ。今日という日を精一杯生きましょう。五心
「日常の五心」という言葉があります。1.「すみません」という反省の心。2.「はい」という素直な心。3.「おかげさまで」という謙虚な心。4.「私がします」という奉仕の心。5.「ありがとう」という感謝の心。この言葉を大切に日々を過ごす。人は弱い者、きっとあなたは周りの人に影響を与えますよ。今日という日を精一杯生きましょう。五心
主(神)の言葉を頂きました。主よ奇跡を起こす力を与えたまえと祈りました。すると、「奇跡とは生きる力なり」と聞こえました。うーん!そうか私は7度も奇跡で命を救われました。奇跡とは「生きる力」なんだ。それを私に与えているというのか。だから私は自然に「生きる力になれば」や「生きる力になる言葉」をタイトルに使っているのかもしれない。皆様にも生きる力がつきますように。奇跡とは
「勝つことが強さじゃない。泣かないことが強さじゃない。本当の強さって、いつも前向きに生きることだ。」本日悩み相談を受けた人に応えた言葉です。次々と悩み事があっても、それでも前向きに生きる人が本当に強い人です。考えられなれない程の困難にあっているのに、まだ夢や希望を語る人に出会って勇気をもらった事がありました。いま困難に直面しているあなた!あきらめない時、道は開けるものです。生きるとは前に進むことだから。前へ前へ
「たれこめて春の行くへも知らぬまに待ちし桜もうつろいにけり」(古今集)部屋に閉じこもっているばかりで、春の移って行くことも知らない間に、花盛りになるのを待っていた桜も散ってしまったことだ。昨日の朝、永くお世話した90代の女性を見送りました。娘さん二人と生前と変わらないお顔を見ていました。人の世話好きでがんばり屋でしたね。二人を見守ってくださいねと言葉を掛けました。窓の外は桜の花が散っています。玄関で見送り致しました。二人の娘さんからお体に気をつけてくださいねと言われてしまいました。「花散りてまた静かなり里の寺」隣接の静な寺と桜散る風情をしみじみと感じていました。人間の一生を。里の寺