「旅に出よう人生の旅へその道は遠いそして気づくだろう自分自身の心の故郷に向かっていることを誰が風を見ただろう人生の風も見えはしないけれど草や木々が頭を下げるとき風を感じる人生の旅も感じるものだ魂よ故郷に帰れ。」(4年前弟への追悼文)私も死んだら故郷に帰ろう。それまでは旅人でいよう。私の旅は終わりのない旅だから。旅人
心理学の用語にレジリエンスがあります。しなやかな復元力、回復力という意味です。困難や脅威に直面している状況に対して「うまく適応できる能力」「適応していく過程」「適応した結果」を意味する言葉です。あなたにとってこの場がそうなりますように。復元力
ラジオで将軍の平均寿命について話していました。鎌倉時代は38歳。室町時代は38.7歳。江戸時代は29.7歳。江戸時代の庶民の平均寿命は30~40歳でした。それは乳幼児があまりにもあっけなく死んでしまうからだそうです。「7歳までは神のうち」という言葉があったそうです。そこで、七五三を無事に終えたら子どももようやく人間界の仲間入りとしてお祝いするようになったといいます。江戸時代の死因は疱瘡(天然痘)、はしか、梅毒、コレラ、インフルエンザ(はやり風邪)、ビタミンB1不足の脚気(かっけ)が多かったそうです。当時の車椅子の絵がありました。徳川家康は75歳まで生きましたが、ビタミンB1が豊富な豚や鴨が大好きだったそうです。日本人の平均寿命が50歳を超えたのは戦後の1947年になってからだそうです。将軍をはじめ上流階級...将軍の寿命
古代に流行っていた袖があります。現代では別れの時は、さようなら!と手を振りますね。しかし、万葉集を読んでいると、万葉の頃は袖(そで)振りというようです。「白波の寄そる浜辺に別れなばいともすべなみ八度(やたび)袖振る」(大舎人部祢麻呂・おおとねりべのねまろ)白い波が寄せる浜辺で別れてしまったら、もうどうしようもない。だから、何度も、何度も、何度も、何度も袖を振るのです。栃木県足利市の大舎人というひとが、防人(さきもり)として九州に派遣されて旅に出る途中に詠んだ歌。きっと恋しい人と、いつ会えるか分からない別れの歌なのでしょう。万葉の頃の袖は、手よりも長い筒袖でした。「袖を振る」とは、人の魂を鎮(しず)めたり、親しい人に自分の気持ちを伝えることができると信じられていたようです。袖振り合う仲というのでしょうか。愛...万葉の別れ
「20歳のときハンサムでなく。30歳のとき強くなく。40歳のとき財がなく。50歳のとき賢くなけりゃ一生なんでもない。」(イギリスの諺)「60歳で優しさがなく。70歳で素直さがなく。80歳で人を見下す者は一生なんでもない。」(私)反対の生き方になれば新たな出会いの道が開けるものです。なんでもない
『隠れる』の『隠』という字は奥の深い意味があります。どちらかと言うと隠すとか隠密、隠匿とか悪い意味合いに使われています。こざと扁は、神様が登り降りする梯子という意味があります。右側の字は上からの手を意味し、両手で物を隠すように、人から見えなくする様子を表しています。何を隠しているかというと、「心」です。『隠』という字は神様に密かに祈る心を表しているといわれています。神のみぞ知る秘めたる願いを込めた字なのです。『神様お願い』切なる心模様が語源なのです。皆様のご健康、ご活躍を神様にお祈りします。神様に祈りを
京都府舞鶴市の西国第29番、青葉山松尾寺にある人生訓を紹介します。『幸福への道』早起きする人、熟睡できる人感謝して真剣に努力する人仕事を趣味に能率を計る人義務も責任も進んで果す人時間を守る人、礼儀正しい人頼もしい人、融和を計る人人も自分をも尊敬できる人常に反省し素直に改める人何事も善意に解釈する人注意深い人、決断の早い人身心の健康を心掛ける人質素で金を活かして使う人孝心深い人、恩に報いる人親切で人の為によく尽くす人良心と優しい愛情に満ちた人恥を知る人、偽りのない人信念に撤した人、辛抱強い人どんな苦難も悠々と耐える人生き甲斐を求め精進する人夢と希望に笑顔で生きる人『不幸を自分で造る人』心の暗い人、不愉快に暮らす人絶えず不満や愚痴の多い人やる気がなくよくサボル人無責任な人、法規を守らぬ人時間も「物」も無駄にす...極楽と地獄
「チャンスは何度かあるもの。それを生かしたから成功したとは限らない。チャンスに失敗してどん底を知って何かを得た者、それがチャンスを生かした者と神は教えているのだ。」(私)チャンスは失敗から
「愚かな者と賢い人」THEFOOLISHANDTHEWISE友よ、こんにちは。お変わりなくお過ごしのことと思います。この世がすべてであるかのように生きる人が多いかもしれませんが、私から見ればちょっと可哀想ではないかと思います。心理学者ユング(1875-1961)という人がいましたね。彼は、死後の存在を信じることは精神衛生上では非常に重要な役割を果たしていると言いました。(もちろん、健康的だから信じるのではなく、信じるから健康的だということです。キリスト様が言われた愚かな者は「アホー」とか「馬鹿」という意味ではありません。場合によっては、この「愚か者」は万事に抜け目なく、世の功名を成し遂げた人たちであるかもしれません。ただただ、この世だけに没頭して、死とか死後のことについては問うことも、考えることもあまりし...通り過ぎる風
如在(にょざい)の心とは「在(あ)るが、如(ごと)く」または、「そこにいるが如く」という意味です。常に誰かがそこにいるが如くに、行動をしなさいということです。これは西郷隆盛が座右の銘として『人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし、人をとがめず、我が誠の足らざるを尋(たず)ぬべし』意味は、人を相手に仕事をするから、その人が見ていなければいいやとか、バレなければいいだろうとか、そういう気持ちが出てくるんだ。ゆえに「天を相手に仕事をしろ」と。天は常に見ているから、常に正しいことができると。それが、「如在の心」です。周りの人を責めるな、周りの人のせいにしたくなったら、自分の誠意が足りなかったと考えなさい。と述べています。どの仕事もそうです。見ていないからいいやではなく、天が見ているから、手を抜...如在の心
仏教語に、「不可思議」という言葉があります。サンスクリット語のアチントヤ(考えられない)を訳したものです。キリスト教を「奇蹟の宗教」と呼ぶとすれば、仏教は「不可思議の宗教」あるいは「不思議な宗教」と呼ぶそうです。良寛の詩に『花は無心にして蝶を招き蝶は無心にして花を尋ぬ。花開く時蝶来たり蝶来る時花開く。われもまた人を知らず人もまたわれを知らず。知らずとも帝則(大自然の法)に従う。』知らず知らずのうちに、われわれは自然の大道に従って生きているという意味です。ごくありきたりの光景が美しくもあり不可思議なことである。この不可思議なことを仏教では奇蹟として表現しているのです。仏教語で不可思議という言葉は奇蹟という意味で大自然をさしており、良寛さんの詩がそれを説いています。自然を愛し、死ぬ時はこの自然を形見に残します...奇跡の言葉
死に際の言葉を聞いたことのある人は心響く言葉だと忘れないと思います。(近くの病院に背負っていった父が突然血を吐いて背中で死んだ時、あの時の戦友のようだ…とこうべを垂れた。)2週間飲まず食わずのお年寄りが力を振り絞って言った言葉が僕を「忘れるものか」。どちらも涙が止まらなかった。人間が極限状態に置かれたり、何かに真剣に取り組んでいる時に発した言葉は誰の胸をも打つ。それは偽りがなく真理を含んでいるからです。言葉の大部分は右から左へと流れて忘れられていく。しかし、強い感動を覚えた言葉は希望と勇気、自信、信念となって人生の栄養素になっていく。2000年前の人の思いも今に通じています。心打つ言葉をここで伝えられたらありがたく思います。投稿する皆様に感謝。小さな悩み事でも打ち明けて自信を持ってください。命がけの言葉
毎日毎日悩み事がつきませんね。悩みがない家庭などありませんね。これは先にくる幸せの為の試練と思ってください。長い階段を登り切った景色を想像してください。①自分が今持っている力に気づきなさい。(神は誰にも一つタラント・才能を授けている)②自分を助けてくれる友を大切にする。(友の輪の力を得るから)③自分の使命力を育てる。(人を助ける力)④物事には終わりがある。人生の終わりを常に意識する。(ハッピーエンドを決めて生きる)⑤思うようにならないこが多い。しかし、どんな嵐も長くは続かない。常に勇気でる言葉を発する。(言葉の波動で好転する)そうすれば、人生は変わると信じます。私がいるだけでホットすると言われます。緊張感が無くなり癒しになると。人生を変える
「重い心を棄てると天使のように空を舞うわたしは待つ悩みの風がやみ天の心になる日まで待てば海路の日和(ひより)あり」。皆様に天心が来ますように。天心
「孤独とは自分一人だけで充分満ち足りて充足していること。他の人のお助けには及びませんという毅然とした誇り高い姿なのです」(三輪明宏)私もそう思います。孤独とは自分一人の足だけで充分大地を踏みしめて生きている証拠なのです。よく居酒屋の主人(男女)から一人で静かにのんでる客が一番気になると言われました。つい人生の悩みを相談したくなると。随分いろんな相談されました。東京でや○ざの足を洗い堅気になって始めた居酒屋、昔の女が来て留守中に金を捕って逃げた。その金で男とイタリアレストラン始めていた。「仕返しに行く!」笑ってドジな男だ!手切れ金だと諦めな。立ち直った今があり、それで充分幸せなんだからと…。納得してくれました。数軒の居酒屋ではお酒はただでした。お布施だって。初めてお布施頂いた思い出です。この場は孤独な人の集...満ち足りた孤独
どんなものにも、染まったり、汚れたりしないという意味の言葉に不染汚(ふぜんな)があります。道元禅師の言葉です。批判や悪口、誉められたりけなされたり、金に貧乏に染まる。役人も長くすると役人に染まる。国会議員も肩書きに染まり、地位や名誉に染まる。人間はいろいろなものに汚れてしまいます。染まりも汚れもしない心、それが不染汚です。不染汚の階段一歩一歩上りましょう。暑いですね。皆様も熱中症に気をつけてください。不染汚
「草枕旅の丸寝(まるね)の紐(ひも)絶えば我が手と付けろこれの針もし」(万葉集)草を枕とする旅で着たまま寝るその着物の紐が切れたら、この針を私の手と思ってつけなさい。母の言葉に従ったら、裁縫が得意になってしまった。皆様の心の紐が切れたらここで母の手で直しましょう。母の手
今月はお墓参りで京都、奈良へ。姉のお見舞いに東京葛飾柴又に行きました。3年ぶりに会い涙を頂きました。今朝神の声を聴きました。神の階段を登りなさいと。人生の階段と神の階段がある。その時授かったひとつが魔除けの力です。七つの言葉。どれも人生でひとつひとつ修得した言葉が重なりました。これが魔除けの言葉になるのか、サタンに立ち向かう時に試してみます。ありがたい力を頂き感謝しています。皆様にも魔除けの言葉をかけますね。交通事故、病気、怪我あらゆる誘惑に惑わされませんように。手を合わせて祈りましょう。皆様も心に刻んだ言葉を整理してください。それらがあなたのパワーになる魔除けの言葉ですから。魔除けの言葉
勇気が湧く言葉を見つけました。「この世は自分で願ったものではなく、無明(苦の根源)を父として生まれてきたもの。死もまた望みではないが、因業(いんごう)の鬼神がやって来て私を殺すのだ」(空海)過去の悪業が原因となって鬼が我を殺すというなら、いまこの世でともに修業して、それを断ち切ればよいのだ。過去にこだわるな。鬼と戦う自分を作ればよい。いまを生きよ。と述べています。心を奮(ふる)い立たせてくれる言葉です。さて、鬼と戦うにはどうすればよいのだろうか。どんな修業をすればよいのだろうか。ここで、修行と修業の違いを説明します。修行とは神との通信を修めること。(神との文通の技を修めること)修業とは未熟な者が成熟するために修めること。といわれています。まずは未熟な私が修業して、鬼に勝つにはどうしたらよいのだろうか。私な...鬼退治
ここは「心のゴミ」を捨てる場所。心の負担になっていることや悩み事を捨てる所。手を合わせて祈りましょう。乗り切る力を授かりましょう。あなたは神と皆様から守られています。心のゴミ
「人間は努力するがぎり、迷うものである。」(ゲーテ・ファウスト)人生は迷いの連続である。迷いのなかにこそ生命の光明が見いだせるといった意味。私の言葉に「迷わぬものに悟りなしこれ精進あるのみ。」があります。人生とは何かを考え迷った人にはいろんなものが見えてくるものです。アフリカの諺にも「迷った道は二度と忘れない」があります。人生は迷っていいのです。あなたが決めた道が間違っていたら、それもあなたの貴重な肥やしになったのですから。精を出して歩み出しましょう。必ず得るものがあるから。人生の迷いと精進
古い言葉に「明珠(めいしゅ)、掌(てのひら)にあり」があります。明珠とは光を宿す透明な玉のことで、「仏の心」「悟り」をいいます。『自宝(じほう)を知らず、狂迷(きょうめい)を覚と謂(い)えり』(空海)悟りは自分の手にあるから、遠くに求めて迷うなと説いています。分かりやすくいうと、心をちゃんとみなさい、宝をもっている自分を尊重しなさいと述べています。私の大好きな言葉です。悪口や人の噂に心悩む人が多いと感じています。自分を信じてあげてください。自宝
「心の奥底に達してあらゆる病を癒せるのは音楽。あらゆる病を治すのは温かい言葉。心に栄養を届けるへその緒が言葉だから。」(私)音楽は心を癒してくれるが、あらゆる病を治せるのは、その人を思いやる気持ちにあふれた温かい言葉である。母親の栄養を届けるへその緒。皆様の心に栄養を届ける言葉がへその緒なんだ。言葉はへその緒
【沈黙の悲劇】「本当の悲劇は沈黙しているものだ。日々の平安、安心、安全の裏にひそんでいるからだ。」(私)今日を無事に過ごすことの喜びに深く感謝しましょう。すべてを受け入れる。それが悲劇除けになるからだ。沈黙の悲劇
「求めよさらば与えられん!」(イタリアの諺とラジオでイタリア人が述べていた)(待つのでなく、自分から見つけに行くのだ)幸せもきっとそうなのです。探しもとめていたものが手にはいる喜びに感謝しています。人との出会い。本との出会い。神との出会い。宝物と思っている物を手に入れた喜びに感謝しています。私の夢は小さな絵本を作ること。「言葉と絵」・Don'tSweattheSmallStuff!(小さいことにくよくよするな!)・It'sallsmallstuff.(しょせんすべては小さなこと。)・BeHappywhereYouAre!(いまいる場所で幸せになろう。)・LiveThisDayasifItWereYourLast.(今日が人生最後の日だと思って暮らそう。)残りの命があとどのくらいなのか、私たちは誰も知らない...幸運の風
私は武者修行で空海や多くのお坊さんが命がけで渡った中国の唐(今の西安)に50年前に行きました。ロシア人以外の外国人を見るのが初めての人達は日本人の私を見たさに何百人にも囲まれてしまいました。百貨店にもついて来てまったくスターのようでした。その時出会った二人。一人は古くからある書道店の売り子。客がうなるほどの書の達人。私を見てサラサラと書いた詩を私に書けと筆を渡されました。私がサラサラ書くと、火のついたように挑戦的に50センチの筆を使って得意気に書きました。誰も書けないだろうと。私は武者修行です。その筆に棒を継ぎ足して一メートルに、また三メートルの釣り竿に筆をつけて書きました。店員は驚きあなたは空海か!(そんな尊敬表現)私に高価な筆を10本、何十万もする硯を半額で、たくさんのお土産を頂きました。私はその体験...人生を変える
私が20代後半の時、夕方自宅に子ども連れの女性がやって来ました。病院抜け出して来たとのこと。末期癌で命がない、気になる難聴の長女をあなたに預けたい。お母さんはその後すぐに亡くなりました。私は彼女を自宅に呼んで初めて人に教えました。お母さんは県展で私の書に惹かれこの方に娘を預けたいと決心し事務局に私の住所を聞いたとのこと。彼女と私は必死で練習しました。彼女は全国一になり表彰されました。私が書道教師のきっかけになった日でした。私はすべてを「心で聴くんだ」と毎日毎晩、彼女を励ました。彼女は県の書道教師になっていました。お母さんありがとうございました。立派な娘さんになりましたよ。母の願い心で聴く
1.悲しかったら星を見なさい。2.苦しかったら野原を歩きなさたかい。3.疲れたら太陽を浴びなさい。4.悩み事があったら山を登りなさい。5.挫折したら川の流れを見なさい。6.エネルギーが欲しかったら森に行きなさい。7.怒りを覚えたら手を開きなさい。8.夢を抱きたい時は海を眺めなさい。9.幸せ見つけたかったらつま先を見なさい。10.神の救いが欲しいなら手を合わせなさい。(私)生きるアドバイス
「求めよさらば与えられん!」(イタリアの諺とラジオでイタリア人が述べていた)(待つのでなく、自分から見つけに行くのだ)幸せもきっとそうなのです。探しもとめていたものが手にはいる喜びに感謝しています。人との出会い。本との出会い。神との出会い。宝物と思っている物を手に入れた喜びに感謝しています。私の夢は小さな絵本を作ること。「言葉と絵」・Don'tSweattheSmallStuff!(小さいことにくよくよするな!)・It'sallsmallstuff.(しょせんすべては小さなこと。)・BeHappywhereYouAre!(いまいる場所で幸せになろう。)・LiveThisDayasifItWereYourLast.(今日が人生最後の日だと思って暮らそう。)残りの命があとどのくらいなのか、私たちは誰も知らない...幸運の風
私はあるテレビ局に勤務していました。若い頃、報道部にいました。私の行く所で交通事故、火災事故、水難事故、山崩れ事故、地震事故等で亡くなっていく人の一報を報道部デスクに報告すると、どうしていつもその現場にいるんだ!そんなリアルな事をお茶の間に流せない。系列の新聞社に記事を載せることが多かった。「何故!いつもそこにいるのだ!」「お前が怖い!」そのデスクの言葉に誰もがやれることではないと知りました。「みんな何かの役目を負っているのだ。」(私)何故!そこにいる
私はあるテレビ局に勤務していました。若い頃、報道部にいた頃、私の行く所で交通事故、火災事故、水難事故、山崩れ事故、地震事故等で亡くなっていく人の一報を報道部デスクに報告すると、どうしていつもその現場にいるんだ!そんなリアルな事をお茶の間に流せない。系列の新聞社に記事を載せることが多かった。「何故!いつもそこにいるのだ!」デスクの言葉に誰もがやれることではないと知りました。「みんな何かの役目を負っているのだ。」(私)役目を知る
「月の光」の作曲家ドビーシーは言葉から音楽は始まると述べています。今日私は皆様の誰かに届けたい言葉があります。「悲心抜苦(ひしんばっく)」です。自分が体験した悲しみを他人に味わわせたくないという心で手を差し伸べ、苦しみを軽くしてあげることです。この場で皆様の悲しみ苦しみが軽くなりますように。月の光の音楽が流れて来ましたよ。月の光
「情熱は目に出る。生活は顔に出る。年齢は足に出る。哀愁は背中に出る。性格は運転に出る。教養は声に出る。個性は字に出る。優しさは言葉に出る。恋心は夢に出る。希望は指先に出る。祈願は合掌に出る。悟りは心に出る。平和は笑顔に出る。善行は魂に出る。」(私)ゆえに出る力を意識して生きようと思う。出る力
七月の言葉にこだま(木魂)があります。昔の人は木に魂が宿っていると思っていました。山で声が帰ってくるとそれは木の魂のしわざだと思っていたのです。木魂は山彦(山の神)とも呼んでいました。皆様の地でも同じですか。英語ではEcho(エコー)と呼んでいます。心からの怒りや願いをしたければ山で又はカラオケで叫んでみては。「木魂は人生のカウンセラー」(私)導いてくれますよ。カウンセラー
人生の学んだすべては三語にまとめられる。それは「何があっても人生には続きがある(itgoeson)」ということだ。(ロバート・フロストアメリカの詩人)そうです、あきらめないで捲土重来、リベンジの機会があるから。人生に終わりはない。諦めた時が終りだから。今からでも挑戦だ!人生に終わりなし
「今日悲しくて泣いた人。自分が情け無けなく感じた人。将来に不安を抱いている人。それは変化のしるし。」(私)今のあなたに節目の嵐が吹いているのです。明日から目覚めて新たな一歩を踏み出して下さい。今までのあなたの殻を破ってみて下さい。強く成長する機会だと分かるはずです。「敗北からの転身」より(私)変化の嵐
若い時は老人と交わり、老いては若者と交わる。これを「忘年の交わり」といいます。若い時は年輩者と接しその経験を学び、年輩者は青年と接して現代の流れを学ぶ。これが成長しつづける秘訣です。鈍感な私が今日再確認したことがあります。「人間は一生のうちに逢うべき人に必ず逢える。」ことを知りました。早すぎず、遅すぎない時に。この縁の意味を知ることが大切だよ!そんなメッセージを感じた日でした。出逢いの意味
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「旅に出よう人生の旅へその道は遠いそして気づくだろう自分自身の心の故郷に向かっていることを誰が風を見ただろう人生の風も見えはしないけれど草や木々が頭を下げるとき風を感じる人生の旅も感じるものだ魂よ故郷に帰れ。」(4年前弟への追悼文)私も死んだら故郷に帰ろう。それまでは旅人でいよう。私の旅は終わりのない旅だから。旅人
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。改心の情
ここにいる人達は生きる力を授かり、命のリンク(絆の輪)を持つのです。悩める人達を救いましょう。(私の天使より)命のリンク
私達の体はボディ、スピリット、マインドの三つからできています。ボディとは肉体、スピリットとは魂、マインドとは心。肉体と魂が活動するときに味わう感情、思い、感覚などを感じる機能をマインドといいます。心が穏やかな気持ちでいるとき、心は大きく開いています。これを心理学では「オープン・ハート」と呼ぶそうです。心を開くと物事に対して、優しい気持ちで接し、たくさんの事を受け入れる事ができるといいます。反対に憎しみや、恐怖を感じているときは心を閉じてしまいます。心を閉ざすと益々憎しみが増大してしまいます。オープン・ハートに一番大切なことは愛の注入といいます。愛は無限の力がある。愛されてる貴方はオープン・ハート!愛の注入
毎日お別れする人が続いています。なぜでしょうか?「桜咲き花散る里に帰ろうか」そんな気がしました。皆さん全身の病と戦っていたのですね。最後まで書道を楽しみにしていた顔が忘れられません。書道教師と介護士と言葉の伝道師をしていて良かったです。お別れ
ここは良い言葉が満ちています。「良い地(心)に落ちた言葉は実を結びます。しかし、悪い地に落ちた言葉は根も実もつきません。」(天使からの声)良い言葉からすぐ身をひかせる悪魔の天使が来てしまうと地ではなく岩に落ちてしまうのです。どうか良い地に落ちますように。実を結ぶ
ここは良い言葉が満ちています。「良い地(心)に落ちた言葉は実を結びます。しかし、悪い地に落ちた言葉は根も実もつきません。」(天使からの声)良い言葉からすぐ身をひかせる悪魔の天使が来てしまうと地ではなく岩に落ちてしまうのです。どうか良い地に落ちますように。実を結ぶ
「万法帰一(ばんぼういちにきす)」苦しみや悲しみは絶対に続かない。という意味です。本当に辛くても辛抱していると周りが助けてくれるものですね。不思議と実感しています。苦しみ悲しみ
「人と神が出会うのは苦難に耐えている時」(私)神はいつもいるわけではない。困って苦しんでいる時に神は現れるものだ。昨日は神の存在を知った。奇跡のような事をしてくれた。感謝しています。神の存在
川面(かわも)の月。ゆったりと大河を流れる川。急流になって谷間を流れる川。月は流されずいつも川面に映っている。月はあなたの心です。流されることのない不動の心あなたはあなたでいいのです。(私)どんな世間の波がたとうとも、自分は流されない不動なのだ。あなたはあなたなのだから。少しの波でも心動揺する私です。こうなりたいと思って日々努力しています。川面の月
「道に迷うことこそ道を知ることだ。」(東アフリカの諺)「人生に迷うことこそ人生を知ることだ。迷わぬ者に悟りはない。」(私)本当に迷ってばかりです。申し訳ない。迷う
日本でつくられた言葉に「躾(しつけ)」があります。身につく美しさと書いて躾。長い間の行いで無意識に身についた姿をいいます。日本人の美意識です。世界に誇れるひとつです。ここもそんな美意識を育てています。躾
一昨日看取りの人が亡くなった。水だけを良く欲しがっていた。イエスも十字架で「私はのどが渇いた」と発言されたことを知りマザーテレサは泣いたといいます。たしか、誰か布にワインを湿らせて唇に付けたと聞いた。そこから浮かんだ言葉です。「渇いた者へ」生きるのに渇いた者はここに来なさい。誰でも心の奥底から生きる水の川が流れ出るようになるから。(私の天使の言葉より)渇いた者へ
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所もまほろばという安らぎの場所です。まほろば
「仏教は二利(自利、利他・じりりた)に尽きます」(空海)唐留学から帰国した際の空海の報告書の言葉です。自分が修行して、悟りを得ること(自利)と、他の人の救済のために尽くすこと(利他)の二つを完全に行うのが理想で、自利と利他は相反するものではなく、大きな輪のようにつながっているのです。自分の幸福も他人の幸福も一つの輪の中にあると述べています。宮沢賢治は「世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と述べています。ボランテイアや介護現場では、人を手助けすることで、実は自分が救われていたと気づくものです。幸せを考えたくなったら自分にできる「利他」の行いからやってみて下さい。空海の言う自利利他は幸福の始まりのキーワードです。幸せのキーワード
あと数日の命。看取りの可愛いおばあさん。神田の生まれと自慢していた。しかし、母親からいつもあんたはぐずだと叱られてばかり。妹はチャキチャキの神田っ子。私はだめだ。何やってもノロマ。今何考えているの?「いい思い出ばかり思い出しているよ。」僕なんかいい思い出なんてないよ。「私もそうだよ少ししかないいい思い出を何度も何度も思い出しているよ。」そうなんだね。だけどね悪い思い出もいい思い出になるんだよ。だからすべて思い出していいんだよ。「そうだね」と笑ってくれました。(もうすぐお別れだね)いい思い出
朝の散歩中に竹やぶからうぐいすの鳴く声がしました。平安時代前期の『古今和歌集』より、『世にふれば言のはしげき呉竹(くれたけ)の憂(う)き節ごとにうぐいすぞ鳴く』憂(う)き節とは辛いこと、悲しいこと。長く生きていると、いろいろと嫌な事が聞こえて来て、そうした、辛い折々を嘆くようにうぐいすが鳴いている。(詠み人知らず)今でも同感する歌です。古代の人も同じように感じて過ごしていたのだと分かると自分だけでないと元気が出ます。私は竹の節を人生の節と呼んでいます。この節が強い竹を作っているのです。人生もそうです。辛い節目があるから強くなっていくのです。異動で明日から職場を離れる人からの相談を受けました。新たなチャンスだと思って前向きにいけば次のステップアップになると励ましました。勇気が出たと帰っていきました。皆様も人...うぐいす
人は重荷を背負って坂道を行くがごとし。(徳川家康)私は毎日10キロのリュック背負って出掛けてる。墨や絵筆や半紙が結構重いから。50年続けたら120トン。「私の人生120トン雨の日も長靴はいて120トン雪の日も足跡残して120トン風の日も帽子飛ばされ120トン心の重さだ120トン泣いて笑って120トンソーレソレソレ120トン」120トン
古典の中に、「静中の静、楽処の楽は真実ではない」という言葉があります。静かな環境の中での、静かな心は本当の静かさではない。騒がしい環境の中で、心を静かにすることができて始めて本当の心境という。また、楽しい環境の中での楽しい心は本当の楽しさとは言えず、苦しい中で心を楽しくすることができて、本当の心境だと言えようという意味の言葉です。皆様も今までの自粛生活の苦難の中でも小さな楽しみを見つけて来ましたね。私は物を補修する楽しみを見つけました。苦しい、悲しい、体中痛い毎日の中で楽しみを見つけた時、この言葉が浮かんで来ました。苦中の楽
「人間は死を約束された動物である。人は死んでもその人の影響は消えない。自分は何を残せるだろうか。」聖路加病院故日野原先生生きる力になる言葉をたくさん残した!と自信もっていいましょう。何を残すか
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所も、まほろばという安らぎの家でありますように。まほろばの家
蛍は遠い故郷を思い出させてくれます。ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。蛍になる
今朝の新聞記事より、日本外科学会定期学術集会の「人にない武器をどう身につけるのか?」というテーマに特別講演を行った元プロ野球選手の松井秀喜さんは元巨人監督の長嶋茂雄さんから誰にも負けない素振りの武器を作ってもらったと披露して、医療関係者1500人を沸かせました。私の武器は誰にも負けない鈍感でドジ。努力しなくて身につけた。皆様の武器はどう身につけましたか。あなたの武器は
「道とは遠くからははっきり見えるけれど近づいたら消えた幻のようなもの。」「晴れた天気に外に出たら急に雨が降る。喜びの歌がまだ終わらない内に悲しみの歌が聞こえて来る。それを道と呼ぶのだ。」(私)退院して来たお年寄りを喜びの拍手で迎えた。その時、心臓が苦しいと、救急車で搬送されたおばあさんが亡くなった。「喜びも悲しみも同時にあるのが道なのだ。」すべてが幻のように去っていく。今の時期を「土(つち)休み」という。春の花が枯れたから、夏の花を植えましょう。土を休めてから。素敵な言葉です。土も生きているのだ。仕事を変える時、迷った時、人も休みましょう。ひと(人)休みひと休み。土やすみ
万葉集に「涙で曇り目も見えぬ」という歌がたくさんあります。空の雲でなく、目の雲を指しているのです。日本人は涙好きな国民と言われています。涙の語源を調べると、「な」は泣く。「み」は水。「だ」は垂れる。泣くと水が垂れてくる。そこから、涙ができたようです。「瞳の中にも空がある澄みきった空がある晴れ渡った空がある時折涙雲になり涙の雨が降るそのあとはまぶしい空がやってくる涙雲のあとは瞳の空が晴れ輝きを取り戻すのだ。」もう少ししたら晴れますから頑張りましょう。泣いてるあなたへの励ましの言葉です。涙雲
仏教の目的は『成仏』。すなわち「仏に成る」ことです。その方法の一つに「行い」「言葉」「考え方」という三つの活動において、仏さまの真似をするというものがあります。「皆が手伝ってくれたから無事に行事ができた」とか、「落ち込んでいた時に掛けてくれた言葉で頑張れた」とか、「上司の冷静な考え方があったから、窮地を乗り越えられた」といった経験ありませんか。「みんなが健(すこ)やかになれる」ような活動を通して、私たちは少しずつ仏さまに成っていきます。「行い」「言葉」「考え方」のどれか一つで結構です。「こんなとき仏さまならこうするんじゃないかな」そんなことを意識してその日を送ることができたならば、その一日はいつもと少し違った一日になるかもしれません。(真言宗・長寿院住職)素敵な説法ですね。このお話の根本にあるのは、思いや...神の子
14日間飲まず食わず。最期に残した言葉。耳元で『良く頑張ったねお疲れ様僕のこと忘れないでね』すると「忘れぬものか」と言って亡くなりました。この言葉を発する力に感動して涙が出ました。「生涯最期の言葉」皆様と共有しましょう。ありがとうの言葉返しで。忘れぬものか
「命は鉛筆さ思い出書き残して減っていくんだ」「体の重さはみんな違うけど命の重さはみんな一緒魂の重さだって一緒なんだ」「母さんがいない里帰りはつまらないふる里って母さんのことなんだ」「人に言えない苦労が本当の苦労さそれがあったから今の自分がいるんだな」「幸せって苦労した分しか来ないんだよ」「泣いた涙は人を思う優しさになるんだね」「死ぬことは誰かの心に生きることなんだ」皆さんもいろんな悩み抱えているでしょうね。みんな一緒ですよ。心配しないでお互い力あわせて生きましょう。私達がそばにいますからね。そばにいるよ
あわてるな、落ち着きなさい。という意味の「且緩々(しゃかんかん)」。若いお坊さんが、師匠に対し、矢継ぎ早に質問攻めにして疑問をすべて解消し、早く悟ろうと思ったら、「且緩々」と言われた。『どの道も、急いで極めることはできません。まずはお茶でも飲んで落ち着きなさい』。という時に使います。人生も同じです、ふと立ち止まって、これで良いのかとゆっくり考える時間が必要ですね。「且緩々」緊張した人を見たらこの言葉を掛けてみましょう。まずは一服
昨日緊急出勤のため7:00に家を出た。道路から離れた道をチャリで行くと竹やぶが燃えているのを発見。人がいるようないないような?風が吹く朝、すると消防車がやって来て道路に止まり隊員があたりを走り始めていた。私は掛けより竹やぶが火事と伝えた。わき道の奥だから分からないと思ったから。私はその場を去った。帰りに現場に行ったら竹やぶが綺麗な更地に変わっていた。地面は水の跡が染み込んでいた。きっと誰かがたき火(焼き畑)をして竹やぶに火が回り通報したのだと思った。外車の並ぶ販売店の裏だから大事にならないで良かったです。神のお告げか不思議な火事
「神の国は君たちの中にあるんだよ」(聖書ルカ17-21)神の国はいつ来るのかとパリサイ人に尋ねられた時、イエスは答えて言われた言葉。神の国とは、神の思いが実現するところ。それは、夢のような特別の場所にあるのではなく、私たちの中にもうすでにあるんだよ。苦しむ人、悲しむ人、助けを求める人に自分ができることをしていくこと。お互いのあやまちを許し、受け入れてそれぞれみんな中にいる神の存在に気づくこと。その時そこにもう神の国はあるんだよというメッセージです。空海も同じような事を言ってました。「仏は外にいるのではなく、丹田(たんでん)にいる」と。丹田とはへそ下で気力が集中する所です。神の国はあなたの中にあるのです。神の国
施設のカウンターに飾られている日本人形。彼女が私がケアマネになって戻って来たことに感謝している夢を見ました。「私の頭にかぶせている帽子は可愛いくないから取って欲しい!」翌日行ってとりました。笑ってくれました。髪を撫でると願いが叶うと教えてくれました。足元にそれを書きました。誰かが撫でたのでしょうか?髪が茶色になったり、前髪が数本伸びてきました。気のせいかな?魂が宿っている人形です。不思議なことだと感じて報告しました。みんな導きで今があるのだと納得して受け入れましょう。少しは気が楽になりますように。導きの今がある
今年も桜が咲いて私達を楽しませてくれました。桜の絨毯ができました。川面には花筏(はないかだ)となって桜の花びらが流れて行きました。「散る桜残る桜も散る桜」(良寛)咲こうとも散ろうともどんな桜も愛すべき桜なのです。桜を命に変えると「散る命残る命も散る命」どんな命も愛すべき命なのです。桜は痛み苦しみ乗り越えて精一杯生きよと教えています。残る命を精一杯生きましょう。残る命
再び皆様へ「刃物は物を切る言葉は心を斬る暖房は体を温める言葉は心を温める薬は病を治す言葉は全てを癒す言葉は生きる勇気の道標(みちしるべ)しかし、沈黙と傾聴を忘れてはならない言葉の力信じて共に歩もう。」言葉の力
この時期、樹木希林さんの会話を思い出しました。「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「生きるのも日常、死んでいくのも日常」晩年の希林さんがたどり着いた境地に「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」(良寛)「裏から始まるところがすごい。年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」また、良寛の次の句も好んだ。「散る桜残る桜も散る桜」誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。という意味に「そう考えると心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。だが釈迦は「役立つ人だけがいいので...生と死
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。四体の心
「人は神によって生命を与えられ、あらゆる人の愛を受け育まれる。」しかし、「人間は愚かな生き物。日々誘惑に惑わされ、悪や欲に染まってしまうこともある。そのまま悪の道を行く人もいる。」「弱い人間は日々我を顧み生んでくれた神に喜ばれる生き方をして終わりたいものだ。」(自戒の言葉)誘惑の罠
人生は順風満帆ばかりではない。明日の希望もなく苦難の日々ばかりで、逃げたくなる事もある。「成長とは華やかな地上だけではない。地下にだって根を生やす事も成長というのだ。」足踏みしたって、かかとは減るのだから。いま辛い人は地上に出る前に、強い根を生やしていると思えばいい。私は人生の2/3はそうだった。地下の女神が見守っていますよ。地下の女神
「無事に生きる」という言葉があります。禅語では不要なことに振り回されないこととあります。不要とは「三毒」のことです。1.何でもむさぼるように欲しがる欲望。2.ささいなことで怒ること。3.道徳心や常識にかけた愚かさのこと。この三毒を出せば何事にも振り回されなくて、無事に過ごせると説いています。皆様には関係ない言葉ですね。三毒
いろんな事情で急に亡くなった方の魂に語ります。「はかなく突然に散ったとしても大切なのはどんな夢見続けたかです。夢は散った後も生き続けると信じるから。決してあなたのこと忘れません。安らかにお眠り下さい。そして、私達を見守って下さい。」近くの小学生の女の子がトラックにはねられ亡くなりました。その子に送ります。夢は続く