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生きる力になれば https://blog.goo.ne.jp/02161234

神様の声に導かれてここまで生きて来ました。

良寛様の生き方に共鳴しています。良寛様と呼ばれています。感謝しています。

良寛(お地蔵)
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2016/03/18

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  • 恋の蛍

    ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。恋の蛍

  • 魂の鎮魂

    昨日川崎の老人施設に書道教師として行きました。一人の女性ベテラン介護士が助けを求めて来ました。仕事場でも自宅でもゴミ箱の蓋が浮いてドラムのように叩いていたり、、不思議なことばがり怒って怖いと。私は成仏できない魂が私に近づくようにしていたと感じて成仏させました。その魂が残した言葉が「私が近づくと怖くて慌てて成仏したくなった」でした。私の守護霊がよほど怖いのでしょうか?よく言われます。私の呪文ですか?「もう充分修行したでしょう。お疲れ様でした。」です。魂の鎮魂

  • 悩みながら生きる

    人はみな悩みながら生きるものです。徳川家康だって、武田信玄にこてんぱんに敗(やぶ)れて、必死で逃げたといいます。その自画像を絵に描かせて、生涯の戒めにしたといいます。忠臣蔵の大石内蔵助も、はやる気持ちを抑えるようにと、寺の住職にさとされたといいます。討ち入り(12月14日)の前日、寺の住職に泣ける礼状を出していました。誰もが悩みながら生きていた証です。だから、あなたも悩むのは当たり前です。「人生は苦痛であり、人生は恐怖である。だから人間は不幸なのだ。だが、人間はいまでは人生を愛している。それは苦痛と恐怖を愛するからだ。」(ドストエフスキー)「七転八倒」つまづいたりころんだりするのが人生。(禅語)悩まぬ人生などない。そう考えれば少し楽になりませんか。人生は1回のみ、1回で充分だ。悩みながら生きる

  • 心の真珠

    「月のしずく、天の露、人魚の涙、月の化身、白玉(しらたま)」と呼ばれてきたのは真珠のことです。今ではあこや貝ですが、万葉のころは鮑(あわび)からとっていたそうで鮑玉とも呼ばれていたようです。砂やゴミなどの異物が入り込むと、それを分泌液を出して異物を包み込むことで真珠が生まれるそうです。苦しみや悲しみを包み込んであなたの心に輝く真珠ができますように。心の真珠

  • 愛ある言葉

    「美しい姿は美しい顔に勝り、美しい品性は美しい姿に勝り、美しい言葉は美しい品性に勝る。」(私)その人の存在によって周囲の人々が生かされるのが愛ある言葉です。まだまだ未熟者だから頑張ろう。愛ある言葉

  • 老年よ大志を抱け

    「少年は老いやすく老年は少年になりやすい。」(私)少年は成長すると、大志を失ってしまう。老年は逆に、少年の志を懐かしくそれに生きようとする。大志は老年から。老年よ大志を抱け

  • 人生の船乗り

    「おだやかな海は上手な船乗りを作らぬ」(西欧の諺)波瀾万丈の人生の荒波を体験するから一人前の人生の船乗りになるのです。皆さんは立派な人生の船乗りです。自信を持って人生航路を航行してください。人生の船乗り

  • 心を伝える船

    3000年前、オリエント地方に1人の若者がいた。ある夜、夢の中に神が現れ「キミの希望を1つかなえてあげよう。何が欲しいかね?」若者は「長命、健康、美しさ、幸福、栄光、成功、富、愛…」「僕はまだ人生で大切なものが何かを知りません」「だから一番欲しいものは知恵、物事を理解する心」と答えたのです。若者の望みがとても気にいった神は、その望みをかなえてあげたのでした。彼の名はイスラエルの皇太子ソロモン王です。私は神にいつもお願いしています。「生きる力になる言葉」を欲しいと。それで、たくさんの言葉を下さっているに違いない。「言葉は心を伝える船」なのだから。心を伝える船

  • 薄い布地

    薄く軽い布地で作った単衣(ひとえ)の着物のことを羅(うすもの)といいます。万葉の時代から「綾羅(りょうら)」「軽羅(けいら)」「綺羅(きら)」「薄衣(うすぎぬ)」という言葉が使われています。軽いので「蝉の羽衣」「蝉の羽」また美しいので「地上の星」と表現もされています。「心にまとった綾羅があなたの言葉で軽くなりさらに透けてしまいそうだ」。皆様の言葉で心軽くなり、勇気を持って旅立つ人がたくさん出ることでしょう。皆様こそ地上の星です。ありがとうございます。薄い布地

  • 青葉時雨

    『迷い道青葉時雨に胸晴れる』(私)青葉時雨(あおばしぐれ)とは葉っぱの雫が落ちること。心惑いながら、竹藪の下を歩いていたら昨晩の雨の雫がぱらぱらと頭にこぼれて来た。ぱっと気持ちが晴れました。小さなことに心迷わすな!一滴の雫で気持ちが晴れ、感謝の心で手を合わせました。ここも青葉時雨が降り注ぎ気分が晴れますように。青葉時雨

  • 雨にも負けず

    お年寄りに聞いてみた。明日は雨だよ!「え!あめか」「雨なんだ」。何も外に出る予定もないのに、この反応?雨だと帰れない、誰も来てくれない…。逆に、晴れだよと言うと。嬉しそうに反応する。お年寄りへの魔法の言葉かも知れない。心を穏やかにさせる言葉。若い人、エネルギーある人は雨でも変わりはない。私もカッパで雨に打たれるのが好きだから。傘より雨の力を感じて心洗われるから。・「晴れの日は出かけよう。雨の日も出かけよう。」いい日は晴れも雨にも訪れるから。雨にも負けず

  • 幸福とは

    「幸福とは健康ともの忘れの早さである」ですって!わたしが思いつきたかったくらいだわ。だって、それは真実たもの。(オードリー・ヘップバーン)お年寄りはもの忘れが多くなりますね。これは神様からの贈り物かも。幸福とは

  • 女神の花

    ギリシャ神話に、仲良しの姉妹が、祭壇に捧げる花を摘みに野に出ました。蓮華草を見つけ摘むと、折った茎から血が流れました。姉の足元はみな草に変わってしまった。「花はみな女神が姿を変えたもの。もう花は摘まないで」と妹に言い残して蓮華草になってしまったといいます。「花はそれぞれの地で咲くのがよい。人も同じ、風に吹かれ自分にあった地で咲くのがよい。心を癒す花を待つ人がいるからだ。蓮華草の心を悩む人に伝えてください。女神の花

  • 大欲に生きる

    イエスは日々「み心が天に行われるとおり地にも行われますように」と祈りなさいと教えています。何が神のみ心なのでしょうか。それは毎日の自分の務めを果たすことです。これも一日中神に祈っていることと同じといいます。私はクリスチャンですが書家ですので、仏教の経典や漢詩を模写していましたから仏教の教えも紹介します。一休和尚は「小欲を越え、大欲に生きよ」そうすれば貧しくても心豊かに生きることができ、決してみじめになることはないと述べています。これからは地球の平和、世界の平和の為に生きよう。大欲に生きる

  • 人生は童話

    「一人ひとりの人生とは、神様の手が書いた童話。」(アンデルセン)私も童話書いています。(駄作ばかり)題材は人を観察しています。人の一生はそれぞれの童話を背負って生きている。驚いたり、悲しんだり、笑ったり、負けずに元気に生きているあなたは皆に勇気を与えている主人公です。マッチ売りの少女、裸の王様、みにくいアヒルの子、親指姫…。僕の人生はやはり駄作でした。人生は童話

  • 希望に生きる者

    私は76歳。何でそんなに若々しいのかって。それは「希望に生きているからさ」希望は果てしないしかも、逃げたりはしない。逃げるのはいつも自分だから。「希望に生きる者はいつまでも若いのさ。」希望に生きる者

  • 苦難の海

    「君は海(苦難)を航海している。海の他に何も見えない時、陸(幸運)はないと絶望すると永遠に陸を見つけることはできない。」(私)空からドローンで見れば島の陸地が近くにあるのが分かるのに。心を開いてあの鳥(天使の言葉)のように、陸を目指せばいい。諦めないで歩みましょう。苦難の海

  • 神と友の力

    「私に過ぎたるもの二つあり。神の業と友の力。」(私)私は家康のように頼りにならない。しかし、ここまで長生き出来たのは、神の業と友の助言があったからだ。本当に感謝しています。だから恩返しの為に皆様の力になればと思って神に祈っています。神と友の力

  • ヒーロー

    「平凡な毎日を生きることを非凡と呼ぶ。」(私)何もない日々を生きてこそヒーローと呼べるのだ。父も母もあなたも。ヒーロー

  • 月光

    「知ってるだろうか泥水だって月光は映るんだ」(私)泥水=困難な時。諦めないでください。月光は泥水だって照らしてます。(苦境の体験より)月光

  • 冠は心にある

    私の心に響いた言葉『若い女は美しい、しかし老いた女はもっと美しい。』(ホイットマン・草の葉の美女の一節より)『冠は心に在る。頭にはない。ダイヤモンドやインド石で飾ってもなければ目に見えもしない。わたしのは「満足」という冠だ!』(シェクースピア・ヘンリー四世より)『君の路を行きつくとよき満足がある。しかし初めに満足する者は先へ進まない。』(リュッケルト・ドイツの詩人)冠は心にあるいい言葉ですね。皆様の心に冠が見えます。冠は心にある

  • 心のよりどころ

    私は老人施設の特養、有料、ディサービスなどを17年書道と小話をして回っています。昨日も急病で搬送されるご利用者様が玄関で不安な顔されます。手を握り大丈夫だよ。安心してね。というと「先生!」と見つめてくれます。いつもそばにいる医師、看護師、介護士、管理栄養士、社会福祉士、リハビリの先生等の声掛けが不安をなくしているのです。生きる力になる言葉本当に大事だと思いました。心のよりどころ

  • 神に抱かれて

    「どんな人も美しい誰でも美力があるどんな人も才能があるあなたの才能は泥の中にある蓮(はす)のように芽を出し花を咲かすだろう。あなたの種は5,000年の時を経てここにいるのだ。」(神の目)私は聞こえた言葉を伝えただけです。神はあなたの信じているご先祖様、手を合わせている神様仏様です。あなたの事を見捨てませんよ。神に抱かれて

  • 輝くもの

    何年かかっただろうか。ここの友が一万人を越えました。思い出せば都内のガード下で始めた徒然日記。生きる力になる言葉。皆様の力で一万の仲間ができました。ありがとうごさいました。『輝くもの』「胸のどこか奥で夢を見た。悲しみは数えきれないけど人は青空の青さを知り大空を抱く果てしなく道は続いていてもこの手に光を浴びるだろう生きる夢を描こう悲しみは口に出すより心に植えよう星のかなたに輝くものはいつもここにある見えなくても心の中に見つけるから友よありがとう」輝くもの

  • 負けるものか

    「畑の中に木があった。その木に蝉がとまっていた。蝉は声高く鳴き、木のつゆを飲もうとしていた。自分の後ろにかまきりがいるのを知らなかった。かまきりはその蝉をとろうとして身構えていたが、自分のかたわらに雀(すずめ)がいるのに気づかなかった。雀は首を伸ばして、かまきりをついばもうとして、自分が猟師に狙われているのを知らなかった」アフリカの大草原にも似たような話があります。人生も同じ。苦境というサタンに襲われ、もうダメかも知れない時、手を差しのべてくれる神様がいるものです。大逆転だってあるのが人生です。何とかなるさ!という気持ちで前向きに生きれば道はひらけるもの。今日を負けずに生きましょう。必ず神様ご先祖様が護って下さいます。「諦めないで良かった」という日が必ず来ます。あなたのその言葉を私は待っています。負けるものか

  • 運をつかめ

    「あなたの心が弱気になって明日の勝負のために落ち着いた心が必要ならここで言葉を見つけて明日の運(自信)をつかんでください。」(私)明日は決済の時関ヶ原の戦いの時面接の時試験の時試合の時開演の時オーディションの時一世一代の時人の心は乱れて眠れないものです。ここで実力以上の力を得て自分を信じて明日を迎えてください。ここには魔法の力が宿っているから。運をつかめ

  • 和気

    中国の古典に「暴風雨の日には、鳥や獣でさえも、悲しそうである。ところが、天気晴朗の日には、草木さえも嬉しそうである。天地に一日も和気(わき)がなくてはならず、人の心に一日も喜びの精神がなくてはならないことがわかる」(菜根譚)「和気」とは天地のことで、晴れやかでのどかな気象という意味で使われます。天地の和気は「喜びの心」を表し、なごやかな気分をもたらしてくれます。皆様の心に和気が訪れますように。和気

  • 奇跡の瞬間

    私は感じました。神にお願いする時、神は何でも聞いてはくれない。そして、雨の中人が困っている事を手助けしました。とても喜ばれました。すると私が苦しんでいる悩み事をひとつ解決してくれました。帰り道、自動車修理工の店先に奇跡の値段という看板を見ました。神は私に奇跡の願い事を叶えてくれたのでした。今あなたの出来る事で誰かの力になればそれが神の力を与えたことになります。神はお礼にあなたの願い事をひとつ叶えてくれるでしょう。私の願い事はいつも皆様の悩み事を癒す奇跡の力を授けてくださいと念じています。神と一体の喜びを感じる瞬間(とき)です。奇跡の瞬間

  • 神の愛

    愛について「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているものは愛です。」(聖書コリント13.4-13)「愛」を神の愛、仏の愛にしてみると良く分かりやすくなりました。ここも神の愛で一杯になりますように。神の愛

  • 牡丹

    雨に打たれて帰ってきました。夏の季語である牡丹。腰痛、頭痛、止血、婦人薬に効果があり平安時代は観賞用に栽培され江戸時代に400以上の品種が栽培されました。中国では「百花の王」と賞賛されています。「立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹(ぼたん)歩く姿は百合(ゆり)の花」。昔から美しい女性の姿をたとえたものでした。しかし、「丹」という字は「赤」を表し、「牡」という字は「おす」を意味しています。そのため、牡丹は男性かも知れませんが、百獣の王(獅子)と百花の王(牡丹)を表しているのかも知れません。獅子は牡丹を食べて生きているとか。そこから猪の肉をボタンというのかも知れません。別名「花王」「花神」と呼び、比べようがない美しさと表現されています。あらためて楽しみたいと思います。牡丹

  • 心の衣

    「春過ぎて夏来るらし白妙(しろたえ)の衣ほしたり天の香久山」(万葉集・持統天皇)春過ぎて、夏がやって来たようだ。真っ白な衣が干してある天の香久山に。冬枯れの樹木もいつまでも枯れてはいない。春になれば花も咲く。厚い氷で凍った川も夏になれば溶けて流れていく。いつも順風満帆の人生などはない。いつか花開くこともある。だからあきらめずに頑張ろう。天の香久山に心の衣を干して。心の衣

  • 星のあなた

    「人は痛みを知って、生きているありがたみを知るのだ」歯の痛み、膝腰の痛み、躰の節々の痛み、心の痛みを感じる時に自分のあわれを感じるかも知れない。しかし、それが人生を生きて来た痛みなのだから私は愛しく思っている。すべて痛みを治したらどうだろう?人の苦しみ悲しみを自分の事のように感じるだろうか。一病息災、十病息災。私はいつまでも傷だらけを受け入れてこれからも生きようと思う。星になったあの人達が見ているから。星のあなた

  • 稽古と無心

    「稽古とは、一より習い、十を知り、十よりかえる、もとのその一」(千利休)再び基本に戻り、心技体も初心を忘れてはならないということでしょうか。あらゆるスポーツや習い事も初めて教えて頂いた事をつい忘れてしまい自己流になってスランプになってしまう。人に教えたり、アドバイスされて気づくものです。人生も同じ、生まれて来た時は裸。無心に遊んだ子どもの心をいつまでも忘れてはならないと思います。「無心とは、一より習い、十を知り、十よりかえる、もとのその無心」(私)稽古と無心

  • 幸せが戻る

    鈴蘭(すずらん)、英国では「谷間の姫百合」、フランスでは「聖母マリアの涙」、ドイツでは「五月の小さな鐘」といいます。花言葉は「幸福が戻ってくる」。鈴蘭の心、皆様に送ります。幸せが戻る

  • それぞれのゴール

    昨日出勤すると早朝に息を引き取ったおばあさんがいました。最期のお別れに行きました。優しい寝顔でした。まぶたが動いた気がしました。人の一生は表札や名前の数だけ生き方があるのですね。色々の人生お疲れ様でした。生き抜くこと立派なゴールでしたよ…。「常世(とこよ)いでて旅の空なる雁(かり)がねもつらにおくれぬほどぞ慰む」(源氏物語・須磨)故郷の常世(理想郷・Heven,Eden)の国を出て、旅の空を渡る雁も、仲間に遅れないで一緒にいる間は心が慰んでいる。私達もここの仲間と一緒にいる間は心が慰められている事でしょう。それぞれのゴール目指して生き抜きましょう。それぞれのゴール

  • 不幸にならない

    私の作った言葉です。「不幸無感」Idon'tfeelittobeunhappy.(自分を不幸だと思わないこと。)幸福や不幸は心のもちようで変わるもの。不幸にならないためには不幸と感じないことです。不幸無感(ふこうむかん)皆様に届きますように。不幸にならない

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