この仕事は若い人、いや年配者でも無理なのか?また、2カ月で出社拒否か無断欠勤をして辞めていく。人間関係が難しいからか。私が18年間勤められたのは何だろうか。「仕事が好きになれば仕事が来る。仕事の見返りは仕事だから。」(私)嫌いになると全てが嫌いになってしまう。石の上に3年は昔の言葉か。残りの仕事は皆が手に付けてない書類の整理やら清掃環境整備を依頼されています。まだまだ役にたつことがあることに感謝しています。仕事の報酬
「大和(やまと)は国のまほろば、畳(たた)なづく青垣(あおがき)、山籠(やまこも)れる大和し美(うるわ)し」(日本書紀)大和は国の中で一番良いところである。幾重にも重なりあった青い垣根のような山々に囲まれた大和は本当にうるわしいところであります。「まほろば」とはすぐれた良いところのこと。また、その人にとってかけがえのないこの世でただ一つの気持ちが安らぐ場所や心の中という意味があります。皆様といるこの場所も、まほろばという安らぎの家でありますように。まほろばの家
蛍は遠い故郷を思い出させてくれます。ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。蛍になる
今朝の新聞記事より、日本外科学会定期学術集会の「人にない武器をどう身につけるのか?」というテーマに特別講演を行った元プロ野球選手の松井秀喜さんは元巨人監督の長嶋茂雄さんから誰にも負けない素振りの武器を作ってもらったと披露して、医療関係者1500人を沸かせました。私の武器は誰にも負けない鈍感でドジ。努力しなくて身につけた。皆様の武器はどう身につけましたか。あなたの武器は
「道とは遠くからははっきり見えるけれど近づいたら消えた幻のようなもの。」「晴れた天気に外に出たら急に雨が降る。喜びの歌がまだ終わらない内に悲しみの歌が聞こえて来る。それを道と呼ぶのだ。」(私)退院して来たお年寄りを喜びの拍手で迎えた。その時、心臓が苦しいと、救急車で搬送されたおばあさんが亡くなった。「喜びも悲しみも同時にあるのが道なのだ。」すべてが幻のように去っていく。今の時期を「土(つち)休み」という。春の花が枯れたから、夏の花を植えましょう。土を休めてから。素敵な言葉です。土も生きているのだ。仕事を変える時、迷った時、人も休みましょう。ひと(人)休みひと休み。土やすみ
万葉集に「涙で曇り目も見えぬ」という歌がたくさんあります。空の雲でなく、目の雲を指しているのです。日本人は涙好きな国民と言われています。涙の語源を調べると、「な」は泣く。「み」は水。「だ」は垂れる。泣くと水が垂れてくる。そこから、涙ができたようです。「瞳の中にも空がある澄みきった空がある晴れ渡った空がある時折涙雲になり涙の雨が降るそのあとはまぶしい空がやってくる涙雲のあとは瞳の空が晴れ輝きを取り戻すのだ。」もう少ししたら晴れますから頑張りましょう。泣いてるあなたへの励ましの言葉です。涙雲
仏教の目的は『成仏』。すなわち「仏に成る」ことです。その方法の一つに「行い」「言葉」「考え方」という三つの活動において、仏さまの真似をするというものがあります。「皆が手伝ってくれたから無事に行事ができた」とか、「落ち込んでいた時に掛けてくれた言葉で頑張れた」とか、「上司の冷静な考え方があったから、窮地を乗り越えられた」といった経験ありませんか。「みんなが健(すこ)やかになれる」ような活動を通して、私たちは少しずつ仏さまに成っていきます。「行い」「言葉」「考え方」のどれか一つで結構です。「こんなとき仏さまならこうするんじゃないかな」そんなことを意識してその日を送ることができたならば、その一日はいつもと少し違った一日になるかもしれません。(真言宗・長寿院住職)素敵な説法ですね。このお話の根本にあるのは、思いや...神の子
14日間飲まず食わず。最期に残した言葉。耳元で『良く頑張ったねお疲れ様僕のこと忘れないでね』すると「忘れぬものか」と言って亡くなりました。この言葉を発する力に感動して涙が出ました。「生涯最期の言葉」皆様と共有しましょう。ありがとうの言葉返しで。忘れぬものか
「命は鉛筆さ思い出書き残して減っていくんだ」「体の重さはみんな違うけど命の重さはみんな一緒魂の重さだって一緒なんだ」「母さんがいない里帰りはつまらないふる里って母さんのことなんだ」「人に言えない苦労が本当の苦労さそれがあったから今の自分がいるんだな」「幸せって苦労した分しか来ないんだよ」「泣いた涙は人を思う優しさになるんだね」「死ぬことは誰かの心に生きることなんだ」皆さんもいろんな悩み抱えているでしょうね。みんな一緒ですよ。心配しないでお互い力あわせて生きましょう。私達がそばにいますからね。そばにいるよ
あわてるな、落ち着きなさい。という意味の「且緩々(しゃかんかん)」。若いお坊さんが、師匠に対し、矢継ぎ早に質問攻めにして疑問をすべて解消し、早く悟ろうと思ったら、「且緩々」と言われた。『どの道も、急いで極めることはできません。まずはお茶でも飲んで落ち着きなさい』。という時に使います。人生も同じです、ふと立ち止まって、これで良いのかとゆっくり考える時間が必要ですね。「且緩々」緊張した人を見たらこの言葉を掛けてみましょう。まずは一服
昨日緊急出勤のため7:00に家を出た。道路から離れた道をチャリで行くと竹やぶが燃えているのを発見。人がいるようないないような?風が吹く朝、すると消防車がやって来て道路に止まり隊員があたりを走り始めていた。私は掛けより竹やぶが火事と伝えた。わき道の奥だから分からないと思ったから。私はその場を去った。帰りに現場に行ったら竹やぶが綺麗な更地に変わっていた。地面は水の跡が染み込んでいた。きっと誰かがたき火(焼き畑)をして竹やぶに火が回り通報したのだと思った。外車の並ぶ販売店の裏だから大事にならないで良かったです。神のお告げか不思議な火事
「神の国は君たちの中にあるんだよ」(聖書ルカ17-21)神の国はいつ来るのかとパリサイ人に尋ねられた時、イエスは答えて言われた言葉。神の国とは、神の思いが実現するところ。それは、夢のような特別の場所にあるのではなく、私たちの中にもうすでにあるんだよ。苦しむ人、悲しむ人、助けを求める人に自分ができることをしていくこと。お互いのあやまちを許し、受け入れてそれぞれみんな中にいる神の存在に気づくこと。その時そこにもう神の国はあるんだよというメッセージです。空海も同じような事を言ってました。「仏は外にいるのではなく、丹田(たんでん)にいる」と。丹田とはへそ下で気力が集中する所です。神の国はあなたの中にあるのです。神の国
施設のカウンターに飾られている日本人形。彼女が私がケアマネになって戻って来たことに感謝している夢を見ました。「私の頭にかぶせている帽子は可愛いくないから取って欲しい!」翌日行ってとりました。笑ってくれました。髪を撫でると願いが叶うと教えてくれました。足元にそれを書きました。誰かが撫でたのでしょうか?髪が茶色になったり、前髪が数本伸びてきました。気のせいかな?魂が宿っている人形です。不思議なことだと感じて報告しました。みんな導きで今があるのだと納得して受け入れましょう。少しは気が楽になりますように。導きの今がある
今年も桜が咲いて私達を楽しませてくれました。桜の絨毯ができました。川面には花筏(はないかだ)となって桜の花びらが流れて行きました。「散る桜残る桜も散る桜」(良寛)咲こうとも散ろうともどんな桜も愛すべき桜なのです。桜を命に変えると「散る命残る命も散る命」どんな命も愛すべき命なのです。桜は痛み苦しみ乗り越えて精一杯生きよと教えています。残る命を精一杯生きましょう。残る命
再び皆様へ「刃物は物を切る言葉は心を斬る暖房は体を温める言葉は心を温める薬は病を治す言葉は全てを癒す言葉は生きる勇気の道標(みちしるべ)しかし、沈黙と傾聴を忘れてはならない言葉の力信じて共に歩もう。」言葉の力
この時期、樹木希林さんの会話を思い出しました。「死ぬときぐらい好きにさせてよ」「生きるのも日常、死んでいくのも日常」晩年の希林さんがたどり着いた境地に「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」(良寛)「裏から始まるところがすごい。年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。こうありたい」また、良寛の次の句も好んだ。「散る桜残る桜も散る桜」誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。という意味に「そう考えると心強いわね。でも、死ぬことは誰かの心の中で生き続けることなんじゃないかしら」お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。だが釈迦は「役立つ人だけがいいので...生と死
古い言葉の教えに「四体の心」があります。一体の心に「惻隠(そくいん)の情」がある。「惻隠」とは、不幸な人をみて、痛ましい、気の毒だ、可哀想だと思う心のこと。二体の心に「羞悪(しゅうお)」がある。間違った言動を恥ずかしいとする心。三体の心に「辞譲(じじょう)」がある。人にへりくだり、謙虚に振る舞う態度の心。四体の心に「是非」がある。善悪を冷静に判断できる心。この「四体」の心をもたない者は、頭、身体、手、足のないのと同じである。この言葉に自信があると答える人はそうはいない。私はすべてが充分できません。いつも過ちを神に謝罪しています。もっと相手の気持ちにならねばと。そこで、常に「改心の情」を抱きなさいという教えだと思います。自戒の言葉にしています。四体の心
「人は神によって生命を与えられ、あらゆる人の愛を受け育まれる。」しかし、「人間は愚かな生き物。日々誘惑に惑わされ、悪や欲に染まってしまうこともある。そのまま悪の道を行く人もいる。」「弱い人間は日々我を顧み生んでくれた神に喜ばれる生き方をして終わりたいものだ。」(自戒の言葉)誘惑の罠
人生は順風満帆ばかりではない。明日の希望もなく苦難の日々ばかりで、逃げたくなる事もある。「成長とは華やかな地上だけではない。地下にだって根を生やす事も成長というのだ。」足踏みしたって、かかとは減るのだから。いま辛い人は地上に出る前に、強い根を生やしていると思えばいい。私は人生の2/3はそうだった。地下の女神が見守っていますよ。地下の女神
「無事に生きる」という言葉があります。禅語では不要なことに振り回されないこととあります。不要とは「三毒」のことです。1.何でもむさぼるように欲しがる欲望。2.ささいなことで怒ること。3.道徳心や常識にかけた愚かさのこと。この三毒を出せば何事にも振り回されなくて、無事に過ごせると説いています。皆様には関係ない言葉ですね。三毒
いろんな事情で急に亡くなった方の魂に語ります。「はかなく突然に散ったとしても大切なのはどんな夢見続けたかです。夢は散った後も生き続けると信じるから。決してあなたのこと忘れません。安らかにお眠り下さい。そして、私達を見守って下さい。」近くの小学生の女の子がトラックにはねられ亡くなりました。その子に送ります。夢は続く
今日は月影について述べたいと思います。「水に映る月影は仮のすがた、肉体に宿る自我もまた空(くう)である。如来は人のために真理を説く、その大いなる慈悲を衣としよう」(空海)満月の晩、池や沼の水面には、くっきりと月の姿が映ります。水を張った器を置けば、その器の数だけ月の姿も増えていきます。しかし、それらはあくまで仮の姿で大もとは天空で輝く月そのものです。月は如来であり、その光で自分の心を照らすことが、大いなる慈悲を心に導き入れ、仏と一つになることなのだと述べています。空海は大いなる慈悲の衣になって多くの人の魂を救ったのです。難しい表現ですが、月の明かりは神と仏の光、その力を借りて人々を救おうとしたのです。私も見習いたいと努力しています。皆様も神と仏の明かりに照らされ慈悲の衣でこの場で悩まれている人を救ってくだ...月光
「爾今生涯(じこんしょうがい)」という言葉があります。好日旅立と同義語。思い立った時が、すなわち人生の新たな始まりということ。ゴールデンウィークに旅ができない人は、言葉探しの旅に出ましょう!すべて神の導きに感謝して。いい日旅立ち
「日常の五心」という言葉があります。1.「すみません」という反省の心。2.「はい」という素直な心。3.「おかげさまで」という謙虚な心。4.「私がします」という奉仕の心。5.「ありがとう」という感謝の心。この言葉を大切に日々を過ごす。人は弱い者、きっとあなたは周りの人に影響を与えますよ。今日という日を精一杯生きましょう。五心
「日常の五心」という言葉があります。1.「すみません」という反省の心。2.「はい」という素直な心。3.「おかげさまで」という謙虚な心。4.「私がします」という奉仕の心。5.「ありがとう」という感謝の心。この言葉を大切に日々を過ごす。きっとあなたは周りの人に影響を与えますよ。今日という日を精一杯生きましょう。五心
主(神)の言葉を頂きました。主よ奇跡を起こす力を与えたまえと祈りました。すると、「奇跡とは生きる力なり」と聞こえました。うーん!そうか私は7度も奇跡で命を救われました。奇跡とは「生きる力」なんだ。それを私に与えているというのか。だから私は自然に「生きる力になれば」や「生きる力になる言葉」をタイトルに使っているのかもしれない。皆様にも生きる力がつきますように。奇跡とは
「勝つことが強さじゃない。泣かないことが強さじゃない。本当の強さって、いつも前向きに生きることだ。」本日悩み相談を受けた人に応えた言葉です。次々と悩み事があっても、それでも前向きに生きる人が本当に強い人です。考えられなれない程の困難にあっているのに、まだ夢や希望を語る人に出会って勇気をもらった事がありました。いま困難に直面しているあなた!あきらめない時、道は開けるものです。生きるとは前に進むことだから。前へ前へ
「たれこめて春の行くへも知らぬまに待ちし桜もうつろいにけり」(古今集)部屋に閉じこもっているばかりで、春の移って行くことも知らない間に、花盛りになるのを待っていた桜も散ってしまったことだ。昨日の朝、永くお世話した90代の女性を見送りました。娘さん二人と生前と変わらないお顔を見ていました。人の世話好きでがんばり屋でしたね。二人を見守ってくださいねと言葉を掛けました。窓の外は桜の花が散っています。玄関で見送り致しました。二人の娘さんからお体に気をつけてくださいねと言われてしまいました。「花散りてまた静かなり里の寺」隣接の静な寺と桜散る風情をしみじみと感じていました。人間の一生を。里の寺
孤独とは惨め(みじめ)、気の毒、かわいそう、情けない等のイメージがあります。私はよく味わいました。「孤独とは自分一人だけで充分満ち足りて充足していること。他の人のお助けには及びませんという毅然とした誇り高い姿なのです」(三輪明宏)孤独とは自分一人の足だけで充分大地を踏みしめて生きている証拠なのです。そういう自信ある孤独になって欲しいと思っています。孤独に耐えたから人を思う力を頂けるのです。皆様の投稿やコメントから毎日精一杯生きている事が分かります。日々感謝しています。皆様は聖者の道を歩んでいるのです。耳で神の声を聞き、それを口で伝え、大地を踏みしめ歩んでいるのです。孤独
「絵を文字にするのが小説。絵を絵にするのがイラスト。文字を絵にするのが漫画。文字を文字にするのが評論。」(手塚治虫)私、祈りを文字にするのが霊書。皆様も願いを魂をこめて書いてみてください。厄除けにもなります。霊書
生きる力死ぬ力笑う力声出す力考える力思い出す力歩く力書く力ありがとうという力さようならという力誰もが最期の力を出している。最期の力
【張り付いて生きる】東京の障害者施設にいる重度の脳性マヒで寝たきり、体は動かず、言葉も話せない20歳の女性の記事を見ました。彼女はわずかに動く手をボランティアの添える手を借りて詩を書いています。その数1200点。『せかいのなかで』このひろいせかいのなかでわたしはたったひとりたくさんの人のなかでわたしとおなじ人はひとりもいないわたしはわたしだけそれがどんなにふじゆうだとしてもわたしのかわりはだれもいないのだからわたしはわたしのじんせいをどうどうといきる。『いきていてこそ』いまのつらさもかんどうもすべてはいきていてこそどんなにつらいげんじつでもはりついていきる。『こえをだせないわたしたちにもことばやいしがあることをしってほしい。そんざいをみとめて』このような人々がたくさんいると思います。また、このような子を持...心に忍を持つ
東京の障害者施設にいる重度の脳性マヒで寝たきり、体は動かず、言葉も話せない20歳の女性の記事を見ました。彼女はわずかに動く手をボランティアの添える手を借りて詩を書いています。その数1200点。『せかいのなかで』このひろいせかいのなかでわたしはたったひとりたくさんの人のなかでわたしとおなじ人はひとりもいないわたしはわたしだけそれがどんなにふじゆうだとしてもわたしのかわりはだれもいないのだからわたしはわたしのじんせいをどうどうといきる。『いきていてこそ』いまのつらさもかんどうもすべてはいきていてこそどんなにつらいげんじつでもはりついていきる。『こえをだせないわたしたちにもことばやいしがあることをしってほしい。そんざいをみとめて』このような人々がたくさんいると思います。また、このような子を持つおとうさん、お母さ...張り付いて生きる
「花誘ふ比良(ひら)の山風吹きにけりこぎ行く舟のあと見ゆるまで」(新古今集)桜の花を誘って吹き散らす比良の山風が吹いたことだ。琵琶湖を漕いで行く舟の通り過ぎた跡が見えるほどに湖面に花が散っている。「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」(古今集小野小町)花の美しさはむなしくあせってしまったことだなあ。長雨が降り続き、私がこの世で暮らし、もの思いにふけっている間に。桜の花が葉桜になってきましたね。そんなに急いで散らさなくてもいいのにね。今年もありがとう。桜散る
「病は気から。励ましや深い思いやりの声かけで人は再生する。」(私)悩める患者さんやスポーツ選手や芸術家は感銘共感する言葉に出会うと見違える程の成長をします。私は言葉は命の再生と思っています。読者からお礼のメールが来ています。『どん底から救われた。じ殺を踏み止まった。悪口言われても気にしなくなった。悔し涙は成長の涙になった。』救われた人がたくさん出ています。良かったですね。皆様に感謝。命の再生
「ヨイトマケの唄」美輪さんは、ある日手違いで炭鉱町で唄うことになります。顔を真っ黒にした炭鉱労働者は、安い賃金の中からチケットを買って、聴きに来てくれたことに感動すると同時に、キラキラの衣裳を着た自分自身が恥ずかしく思い、「炭鉱で汗を流す労働者を励ます歌を作ろう!」そう考えたそうです。曲の発想は、美輪明宏さんの小学生時代の記憶。小学生の低学年の頃、父兄会で着飾った服を着ている母親の中に、野良着にモンペ姿、頭に手ぬぐいをかぶって1人遅れてきた母親がいました。背が小さくて痩せて顔が黒く足が不自由な女性でした。その母親は、学校で一番出来の悪い男の子の母親でした。鼻を垂らしている息子を見た母親は、鼻を自分の口ですすって、窓からペッとはきます。それを見た他の母子が、汚いものを見るような目で見ていた中、感性の豊かな少...ヨイトマケの唄
机の整理をしていたら5年前にある神社から依頼されたおみくじの原案が出てきたので紹介します。皆様の考えで変えても継ぎ足しても構いません。☆おみくじを引いてください。目を閉じてあなたの思いが浮かんだ番号をひとつ選んでください。『①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑪』では開きます。①幸せとは安らぎの心です。何もないあなたですが、あなたのいまできることを分け与えること。それが一番の幸せです。②生きるとは試練を与えられながら生きる知恵を授けられることです。③希望とは夕陽のように明日の生きる力を持つことです。「風と共に去りぬ」映画のように。④運命とはあなたの胸の中にある。あなただけの道を胸を張って歩いてください。⑤奇跡とはそれを信じる人にだけ訪れます。神様からのご褒美です。⑥笑顔とは人々が生きやすくなることです。⑦諦めないとき幸運...生き抜くおみくじ
「Idreamforaliving.私は夢に生かされている。」(スティーブン・スピルバーグ監督)何年たっても変わらない思い。それが夢を叶えてくれる。私の夢は「皆様の夢を運ぶ天使の船になること」。あなたの夢を運びます。天使の船
私たちは常に心の波風とともに生きています。ときには嵐のように吹き荒れることもあるでしょう。世の中には思い通りにならないことがたくさんあります。意見や考え方が違うこともあるでしょう。自分の考えを押しつけるのではなく、みんな認めてそんな考えもあるのだなあと勉強になりました。と受けとめてください。思い通りにならないことがあるときこそ、他者を思いやり、これまでに受けたご恩を思い出して、周りの人や社会にお返しする気持ちを持ってみましょう。思いやる気持ちは心に平和をもたらします。人のために生きるという言葉に「無心風来吹(むしんにかぜきたりふく)」という言葉があります。夏の暑い日に、そよそよと風が吹く。一時の涼をもらうことができます。しかし、風は私たちを涼しくさせようとして吹いているわけではありません。ただ無心に吹いて...思いの風
昨日文房具を購入のため百円ショップに行きました。すると入り口に潮干狩りの道具が一杯飾られていました。海辺に貝を吹き寄せる春の風(西寄りの風)のことを「貝寄風(かいよせ)」といいました。大阪府四天王寺の聖霊会(しょうりょうえ)に備える造花の材料に使う貝を龍神が難波の浜に吹き寄せ捧げるという言い伝えから生まれた言葉と聞いています。聖霊会とは聖徳太子の忌日に行われる法会(ほうえ)。現在は4月12日。楽しい潮干狩り。日本人の細やかな季節感を伝える素敵な言葉だと思います。天気予報に使って欲しい言葉です。貝寄風(かいよせ)
「葦垣(あしがき)の中の和草(にこぐさ)にこやかに我と笑(え)まして人に知らゆな」(万葉集・読み人知らず)和草のように、にこやかに私に微笑みかけたりして、二人の仲がほかの人にばれないようにね。今の時期。「にこにこ」「にっこり」の語源のようです。青春の匂いがしてとても好きな言葉です。和草(にこぐさ)
「堪忍(かんにん)の袋は常に胸にかけ、破れたら縫え、破れたら縫え」(徳川家康)家康の一生は苦難の連続。そんな忍耐強い家康の堪忍袋でさえ何度も破れていたのでしょう。4/17は家康の命日。皆様も小さな堪忍袋を胸にぶら下げ、破れたら縫え!破れたら縫え!と唱えましょう。堪忍袋家康
日本の故事に「籠鳥(ろうちょう)雲を恋う」があります。籠(かご)の中の鳥が自由の大空を恋い慕うという意味です。自由を謳歌している人に、自由を失った苦しさは理解できないだろう。という意味が込められているといいます。欧米では自由の考え方は周囲の人々の自由を尊重することから生まれるもので、気まま、わがまま、好き勝手な自由は自由の敵という考えがあるといいます。「自由の敵は自由」「自由の敵は戦争」です。自由の大切さを再確認しています。世界が自由で平和でありますように。自由と平和
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この仕事は若い人、いや年配者でも無理なのか?また、2カ月で出社拒否か無断欠勤をして辞めていく。人間関係が難しいからか。私が18年間勤められたのは何だろうか。「仕事が好きになれば仕事が来る。仕事の見返りは仕事だから。」(私)嫌いになると全てが嫌いになってしまう。石の上に3年は昔の言葉か。残りの仕事は皆が手に付けてない書類の整理やら清掃環境整備を依頼されています。まだまだ役にたつことがあることに感謝しています。仕事の報酬
イギリスの神学者ジョン・ウェズリーの言葉が好きなので紹介します。私は英文の方が好きです。アメリカのオバマ大統領が就任した時の有名な「youcan.」はこの言葉を引用したのではないかなと感ずるのですが。『Doallthegoodyoucan.君ができるすべての善を行え、Byallthemeansyoucan.君ができるすべての手段で、Inallthewaysyoucan.君ができるすべての方法で、Inalltheplacesyoucan.君ができるすべての場所で、Atallthetimesyoucan.君ができるすべての時に、Toallthepeopleyoucan.君ができるすべての人に、Aslongaseveryoucan.君ができる限り』この言葉はいろんな所で、いろんな人が自分の能力に応じ精一杯生きた...君ができること
鎌倉建長寺の開山大覚禅師は「建長寺はすべて松関をとじず、無限の清風来たりて未だやまず」と述べています。修業者にも一般の人々にも、老若男女、あらゆる人に対して、いつでも門戸を開いているという意味です。建長寺がお地蔵さんを祀っているお寺だと知ってますか?私は自分の寺だと学生時代から通っていました。また、臨済宗建長寺派住職は「無限の清風」は偶然の出会いや出来事に姿を変えて訪れる。心の窓を閉じていると、風は入らず大事なご縁も気づかずに通りすぎてしまうと述べています。現在は、学業や仕事、介護に日々追われ、心の窓は閉ざされてしまいがちです。この場もあらゆる神様が通る無限の清風が吹いていますよ。無限の清風
3000年前、オリエント地方に1人の若者がいた。ある夜、夢の中に神が現れ「キミの希望を1つかなえてあげよう。何が欲しいかね?」若者は「長命、健康、美しさ、幸福、栄光、成功、富、愛…」「僕はまだ人生で大切なものが何かを知りません」だから一番欲しいものは「知恵、物事を理解する心」と答えたのです。若者の望みがとても気にいった神は、その望みをかなえてあげたのでした。彼の名はイスラエルの皇太子ソロモン王です。私も神にいつもお願いしています。「生きる力になる言葉」を欲しいと。それで、たくさんの言葉を下さっているに違いない。「言葉は心を伝える舟」なのだから。心を伝える舟
銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(万葉集・山上憶良)銀も金も宝石も何になろうか。すぐれた宝も子に及ぼうか、いや及びはしない。母の日にたくさんの花束が届きました。皆さん大喜びされましたよ。親心
あかあかと燃える茜色ためてためてゆったりゆっくりと沈んでいくあの悠久なる流れの中に自分を沈めていく明日の力を信じて。もうすぐ退職します。1212too夕陽夕陽
わが道の先にいい事がある。だから努力するのです。道の先
ある古典の中から素敵な言葉を思い出しました。《恋の蛍》です。「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えてはてぬべし」(平祐挙・たいらのすけたか)「恋にこがれて鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身をこがす」鳴かない蛍は光ることで想いを表し、まるで身を焦がしているようだ。なんと素敵でロマンチックな言葉でしょう。私なら「燃え尽きて夜空をこがす遠(とお)花火鳴かぬ蛍も身をこがす」遠くに見える花火は音は聞こえないが夜空を焦がしている。暗闇を音もなく1匹の小さな蛍がほんのり照らす姿は秘めた思いで身を焦がし、みんなの願いを叶える光明蛍のようだ。私もそんな蛍になろう。光明蛍
「幸せな人間とは困難な時、神の導きを知った人間である」(私)振り返ると、あんなに絶体絶命の時に、能力以上の事が出来たのは神の仕業に違いないと感謝している。神の導き
神は人に「創造力」という才能を授けてくれました。しかし、人は自分たちを破壊するものを創ってしまった。人は言葉に限らず「分かり易いもの」に飛びつきがちです。本当に思っていることは、簡単には言葉になりません。あらゆる苦汁の体験から出ているからです。私は弱い人、貧しい人、見捨てられた人、病に苦しむ人、生きる力を失っている人に言葉を発信して来ました。しかし、朝に夕に見えない人の声を聴く事が多くなりました。その人達にも勇気を与える言葉を意識して発信しなくてはと思っています。何故なら、そのような人達もこの場を見ているからです。死んでも生きると。復活しているのです。皆様にもその気持ちを持って頂けたらと思います。復活
「人生にハイウェイはない。自らの轍を作るのだ。」(私)轍(わだち)
「人生に七色の虹を望むなら、スコールを耐えねばならない」(私)突然の雨に濡れる事だってあるだろう。しかし、私は七色なんて望まない、大好きな二色があればいい。人生の虹
「声援は力なり」大谷選手も復帰戦活躍した筒香選手もだ。声援
辛い時を経験してきた人には、共鳴できる和歌があります。『ながらへばまたこの頃やしのばれむ憂(う)しと見し世ぞ今は恋しき』(新古今集藤原清輔)「ながらへば」とはこの世に生き永らえたらということ。「憂し」とは嫌なこと。嫌で、つらくて、どうしようもないこの頃だけれども、このまま生き永らえていたら、いつか懐かしく思う日が来るだろうな。辛かった昔のあの頃が、今は恋しく感じられるように。確かに、そう感じます。古代の人も同じなんだと親しみを感じます。さあ、今日も辛いことあるかもしれませんが、懐かしく、恋しくなる思いでだと気楽に行きましょう!『ながらへばまた懐かしく思い出すことだろう令和の嫌なことを』ながらへば
ニューヨークのプレタポルテの女王と言われた、エレナ・ランバート。彼女の豪華な部屋の中に一段ときらびやかな部屋があるという。訪れた人は圧倒されるという。部屋の敷物は日本の帯をつなぎ合わせたきらびやかな敷物だからという。パッチワークの手法で様々な帯地がつながれているという。「このはぎれを見るたびに、私は自分の毎日の生き方を考えるのです。一枚のはぎれが私の今日の一日の生き方だと思っています。そして、完成した敷物が私の人生だと思っています。」と述べています。発想がすごい。帯地の敷物!豪華で歩けない。そこで思い出したのが、大昔のインドのお坊さん達が托鉢で頂いたのが貴重な布切れだった。それを継ぎ足した袈裟(けさ・法衣)を着たことから「お布施」になったという。布切れ一枚一枚に思いがあるのです。ここも「言葉の布地」なんで...言葉の布地
アメリカのフロリダを舞台にしているテレビドラマにマイアミの綺麗な海に惹かれて観光スポットなどを調べていました。すると、素敵な話を見つけて感動しています。ユダヤ人でナチスの収容所にいたヘンリー・ランドさんは、戦後体一つでアメリカに渡った移民でした。人一倍働いて、カリフォルニアにいくつかのホテルを所有していました。カリフォルニアのディズニーランドに行くことを楽しみにランドさんのホテルに予約をしていた難病の少年が、その夢をかなえる直前に亡くなったという知らせが入りました。両親は「早く連れて行きたかったが、闘病費用などでお金をためるのに時間がかかってと」泣き崩れたのでした。それを聞いたランドさんは、ホテルや私財を投じて、難病の子どもがお金がなくてもテーマパークで遊べる施設をフロリダ州のディズニーランドのそばに作っ...夢と魔法の国
「たしかに私の顔にしわも増えました。ただ、それは私が多くの愛を知ったということなのです。だから私は今の顔の方が好きです。」(オードリー・ヘップバーン)私もしわが増えました。心のしわも。多くの悲しみとそれを越える愛を知ったからです。心のしわ
「花誘ふ比良(ひら)の山風吹きにけりこぎ行く舟のあと見ゆるまで」(新古今集)桜の花を誘って吹き散らす比良の山風が吹いたことだ。琵琶湖を漕いで行く舟の通り過ぎた跡が見えるほどに湖面に花が散っている。「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」(古今集小野小町)花の美しさはむなしくあせってしまったことだなあ。長雨が降り続き、私がこの世で暮らし、もの思いにふけっている間に。桜の花が葉桜になりましたね。そんなに急いで散らさなくてもいいのにね。今年もありがとう。桜舞い散る道
「袖振りあうも他生の縁」(日本の諺)この言葉には暗示する意味があります。「他生」とは、仏教では「前世、来世」のこと。道ですれ違うまったく関係ない人でも前世からの因縁があると教えている言葉です。「袖」を「魂」に変えてください。「魂すりあうも前世、来世の縁」となります。声掛け合う人は前世、来世でも深く触れ合う人です。私は相談事、悩み事を受けて知らない人と接する事が良くあります。その方よりも背後霊の方に親しみを感じる事もあります。お互いの前世のご縁があるからでしょう。皆様とお話ししているのも前世からのご縁があるからだと思います。私の前世は皆様の前世に救われていたのだと感じています。そのご恩返しで生かされているのです。ありがとうございます。前世の縁
「旅に出よう人生の旅へその道は遠いそして気づくだろう自分自身の心の故郷に向かっていることを誰が風を見ただろう人生の風も見えはしないけれど草や木々が頭を下げるとき風を感じる人生の旅も感じるものだ魂よ故郷に帰れ。」(4年前弟への追悼文)私も死んだら故郷に帰ろう。それまでは旅人でいよう。私の旅は終わりのない旅だから。旅人
「幸福とは健康ともの忘れの早さである」ですって!わたしが思いつきたかったくらいだわ。だって、それは真実たもの。(オードリー・ヘップバーン)お年寄りはもの忘れが多くなりますね。これは神様からの贈り物かも。幸福とは
ギリシャ神話に、仲良しの姉妹が、祭壇に捧げる花を摘みに野に出ました。蓮華草を見つけ摘むと、折った茎から血が流れました。姉の足元はみな草に変わってしまった。「花はみな女神が姿を変えたもの。もう花は摘まないで」と妹に言い残して蓮華草になってしまったといいます。「花はそれぞれの地で咲くのがよい。人も同じ、風に吹かれ自分にあった地で咲くのがよい。心を癒す花を待つ人がいるからだ。蓮華草の心を悩む人に伝えてください。女神の花
イエスは日々「み心が天に行われるとおり地にも行われますように」と祈りなさいと教えています。何が神のみ心なのでしょうか。それは毎日の自分の務めを果たすことです。これも一日中神に祈っていることと同じといいます。私はクリスチャンですが書家ですので、仏教の経典や漢詩を模写していましたから仏教の教えも紹介します。一休和尚は「小欲を越え、大欲に生きよ」そうすれば貧しくても心豊かに生きることができ、決してみじめになることはないと述べています。これからは地球の平和、世界の平和の為に生きよう。大欲に生きる
「一人ひとりの人生とは、神様の手が書いた童話。」(アンデルセン)私も童話書いています。(駄作ばかり)題材は人を観察しています。人の一生はそれぞれの童話を背負って生きている。驚いたり、悲しんだり、笑ったり、負けずに元気に生きているあなたは皆に勇気を与えている主人公です。マッチ売りの少女、裸の王様、みにくいアヒルの子、親指姫…。僕の人生はやはり駄作でした。人生は童話
私は76歳。何でそんなに若々しいのかって。それは「希望に生きているからさ」希望は果てしないしかも、逃げたりはしない。逃げるのはいつも自分だから。「希望に生きる者はいつまでも若いのさ。」希望に生きる者
「君は海(苦難)を航海している。海の他に何も見えない時、陸(幸運)はないと絶望すると永遠に陸を見つけることはできない。」(私)空からドローンで見れば島の陸地が近くにあるのが分かるのに。心を開いてあの鳥(天使の言葉)のように、陸を目指せばいい。諦めないで歩みましょう。苦難の海
「私に過ぎたるもの二つあり。神の業と友の力。」(私)私は家康のように頼りにならない。しかし、ここまで長生き出来たのは、神の業と友の助言があったからだ。本当に感謝しています。だから恩返しの為に皆様の力になればと思って神に祈っています。神と友の力
「平凡な毎日を生きることを非凡と呼ぶ。」(私)何もない日々を生きてこそヒーローと呼べるのだ。父も母もあなたも。ヒーロー
「知ってるだろうか泥水だって月光は映るんだ」(私)泥水=困難な時。諦めないでください。月光は泥水だって照らしてます。(苦境の体験より)月光
私の心に響いた言葉『若い女は美しい、しかし老いた女はもっと美しい。』(ホイットマン・草の葉の美女の一節より)『冠は心に在る。頭にはない。ダイヤモンドやインド石で飾ってもなければ目に見えもしない。わたしのは「満足」という冠だ!』(シェクースピア・ヘンリー四世より)『君の路を行きつくとよき満足がある。しかし初めに満足する者は先へ進まない。』(リュッケルト・ドイツの詩人)冠は心にあるいい言葉ですね。皆様の心に冠が見えます。冠は心にある
私は老人施設の特養、有料、ディサービスなどを17年書道と小話をして回っています。昨日も急病で搬送されるご利用者様が玄関で不安な顔されます。手を握り大丈夫だよ。安心してね。というと「先生!」と見つめてくれます。いつもそばにいる医師、看護師、介護士、管理栄養士、社会福祉士、リハビリの先生等の声掛けが不安をなくしているのです。生きる力になる言葉本当に大事だと思いました。心のよりどころ
「どんな人も美しい誰でも美力があるどんな人も才能があるあなたの才能は泥の中にある蓮(はす)のように芽を出し花を咲かすだろう。あなたの種は5,000年の時を経てここにいるのだ。」(神の目)私は聞こえた言葉を伝えただけです。神はあなたの信じているご先祖様、手を合わせている神様仏様です。あなたの事を見捨てませんよ。神に抱かれて
何年かかっただろうか。ここの友が一万人を越えました。思い出せば都内のガード下で始めた徒然日記。生きる力になる言葉。皆様の力で一万の仲間ができました。ありがとうごさいました。『輝くもの』「胸のどこか奥で夢を見た。悲しみは数えきれないけど人は青空の青さを知り大空を抱く果てしなく道は続いていてもこの手に光を浴びるだろう生きる夢を描こう悲しみは口に出すより心に植えよう星のかなたに輝くものはいつもここにある見えなくても心の中に見つけるから友よありがとう」輝くもの
「畑の中に木があった。その木に蝉がとまっていた。蝉は声高く鳴き、木のつゆを飲もうとしていた。自分の後ろにかまきりがいるのを知らなかった。かまきりはその蝉をとろうとして身構えていたが、自分のかたわらに雀(すずめ)がいるのに気づかなかった。雀は首を伸ばして、かまきりをついばもうとして、自分が猟師に狙われているのを知らなかった」アフリカの大草原にも似たような話があります。人生も同じ。苦境というサタンに襲われ、もうダメかも知れない時、手を差しのべてくれる神様がいるものです。大逆転だってあるのが人生です。何とかなるさ!という気持ちで前向きに生きれば道はひらけるもの。今日を負けずに生きましょう。必ず神様ご先祖様が護って下さいます。「諦めないで良かった」という日が必ず来ます。あなたのその言葉を私は待っています。負けるものか
「あなたの心が弱気になって明日の勝負のために落ち着いた心が必要ならここで言葉を見つけて明日の運(自信)をつかんでください。」(私)明日は決済の時関ヶ原の戦いの時面接の時試験の時試合の時開演の時オーディションの時一世一代の時人の心は乱れて眠れないものです。ここで実力以上の力を得て自分を信じて明日を迎えてください。ここには魔法の力が宿っているから。運をつかめ
中国の古典に「暴風雨の日には、鳥や獣でさえも、悲しそうである。ところが、天気晴朗の日には、草木さえも嬉しそうである。天地に一日も和気(わき)がなくてはならず、人の心に一日も喜びの精神がなくてはならないことがわかる」(菜根譚)「和気」とは天地のことで、晴れやかでのどかな気象という意味で使われます。天地の和気は「喜びの心」を表し、なごやかな気分をもたらしてくれます。皆様の心に和気が訪れますように。和気
私は感じました。神にお願いする時、神は何でも聞いてはくれない。そして、雨の中人が困っている事を手助けしました。とても喜ばれました。すると私が苦しんでいる悩み事をひとつ解決してくれました。帰り道、自動車修理工の店先に奇跡の値段という看板を見ました。神は私に奇跡の願い事を叶えてくれたのでした。今あなたの出来る事で誰かの力になればそれが神の力を与えたことになります。神はお礼にあなたの願い事をひとつ叶えてくれるでしょう。私の願い事はいつも皆様の悩み事を癒す奇跡の力を授けてくださいと念じています。神と一体の喜びを感じる瞬間(とき)です。奇跡の瞬間
愛について「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているものは愛です。」(聖書コリント13.4-13)「愛」を神の愛、仏の愛にしてみると良く分かりやすくなりました。ここも神の愛で一杯になりますように。神の愛
雨に打たれて帰ってきました。夏の季語である牡丹。腰痛、頭痛、止血、婦人薬に効果があり平安時代は観賞用に栽培され江戸時代に400以上の品種が栽培されました。中国では「百花の王」と賞賛されています。「立てば芍薬(しゃくやく)座れば牡丹(ぼたん)歩く姿は百合(ゆり)の花」。昔から美しい女性の姿をたとえたものでした。しかし、「丹」という字は「赤」を表し、「牡」という字は「おす」を意味しています。そのため、牡丹は男性かも知れませんが、百獣の王(獅子)と百花の王(牡丹)を表しているのかも知れません。獅子は牡丹を食べて生きているとか。そこから猪の肉をボタンというのかも知れません。別名「花王」「花神」と呼び、比べようがない美しさと表現されています。あらためて楽しみたいと思います。牡丹
「春過ぎて夏来るらし白妙(しろたえ)の衣ほしたり天の香久山」(万葉集・持統天皇)春過ぎて、夏がやって来たようだ。真っ白な衣が干してある天の香久山に。冬枯れの樹木もいつまでも枯れてはいない。春になれば花も咲く。厚い氷で凍った川も夏になれば溶けて流れていく。いつも順風満帆の人生などはない。いつか花開くこともある。だからあきらめずに頑張ろう。天の香久山に心の衣を干して。心の衣