丸っと1年振りに帰って来ました。今年のGWは工作そっちのけで青年期のC62写真を探しまくっていましたが、そういや昨年から放置したままのC62がいたなあと反省… (ー ー;)>1950年代の青年期の広島スタイルを作っていましたが、しかと眺めながら… どこまで作ったか、再開はどこ
日本型蒸気機関車の真鍮工作が中心です。のはずが... 最近はかなり脱線、迷走しています。f^_^;)
1/87 12mmと1/80 13mmの蒸機模型の真鍮工作を中心に楽しんでいます。最近はそれ以外のジャンルにも拡がりつつあります。
そんな光が丘鉄道でしたが、では何故あまり活躍する事もなく廃線に至ったか…?となります。一つは毎回組み立てるのが大変だったこと。最初にリビングルームにある机やら何やらを全て隣の部屋に移し…そして次にダイニングルームの机と椅子をエホエホと運び出す必要があった
光が丘鉄道は一周12.7mのエンドレスで給電はメインストレートの1箇所のみでしたが、特にバックストレートで電圧降下する事も無く周回してくれました。路盤接続部分です。10mmヒノキ棒の突起を差し込んで固定するオーソドックスな方法で、路盤端面とツライチのレールは単純に
丸10年で幕を閉じた13mmゲージフロアレイアウトの光が丘鉄道でしたが、最後に総括をしておこうと思います。まずこのフロアレイアウトは、素人が勢いだけで一応の完成まで作り切ったというのが偽らざる真実であり、かなりザツな作りだったかと思います。でも勢いだけでもよく
少し体調が良くなったので最後のパネル解体に取り掛かりました。貴重な分岐レールは再利用すべく慎重にピンを外していきます。これにて全てのレールの取り外しが完了、やっぱなんだか寂しいもんですな。そしてカーブ路盤ですが、200mmの直線余長をカットして曲線部分のみを残
熱出して寝込み中… 予備ネタがひとつだけありました。TMS 8月号のいのうえ・こーいち氏の記事に感化されて天賞堂の古いEB10機関車がやって来ました。実はやって来るまでプラ車体とは知りませんでした。てっきりゴツいダイキャストの塊りだろうと思い込んでいて慌ててTMSを読
光が丘鉄道解体工事の2日目はメインストレート4枚の解体なのですが、これまでの暑さと疲れが祟ったか… 最後の1枚を残してどうにもならずダウンしてしまい寝込んでしまいました。せっかくの夏休みが… あきさみよ〜!
世間様から1週間遅い盆ホリデーを頂戴して、今年の夏休み課題は13mmゲージフロアレイアウトの光が丘鉄道を解体する事にしました。光が丘鉄道とは、2013年の正月に13mmフロアレイアウトを作ろうと八木に電流が走り、13年5月に材料を買い込み路盤の切り出し。そして13年夏休み
第22回 国際鉄道模型コンベンション 2日目も行ってきました。お目当ては久保田富弘氏とTMS名取編集長の対談会です。始まる直前の緊張気味なお二人。13時からまさか3時間もお付き合いして頂けるとは思いませんでした。久保田氏は今年91歳で私の親父と同い歳ですが大変お元気で
国際鉄道模型コンベンションに行ってきました。4年振りとなります。TMSブースのレイアウト中総鉱業鉄道。そしてめ次郎さんこと本荘氏のクリニックを受けてきました。OJゲージのC51… スゲー!凄いものを拝ませた頂きました。(^o^;)>
珊瑚1/87 C56キット仕掛り品からの工作も60回目で漸く完成となりました。\(^o^)/主台枠等々の基礎部分は既にしっかりと組み上がっていて、そこからの工作だったのでだいぶん楽させてもらいました… (^o^;)>ヘッドライトレンズは最終的にエコーの3.6mmレンズに交換しました
最後に石炭を載せましょう… (^o^;)>いつものようにいつもの手順で厚紙で山付きの台座を作り、上からキッチンペーパーを木工用ボンドで貼り付けます。そして裏側もいつものように下駄を履かせます。下駄を鳴らして奴が来る〜♪トップガードをシュッとひと吹き。石炭山の素が
ナンバープレートの取り付け作業に進みます。特定号機として作っていないので選びたい放題?なのですが… 初号機は144号を、2番機には125号を既に使用済みなので残りは3択です。本当は特定号機でなくとも関西に在籍していた機番があれば嬉しいのだが… でもまあこの3択で選ぶ
ウェイトは鉛板をひと巻き追加して少しでも重さを稼ぎます。そしてシリンダーにも鉛板を詰め込みました。さて、何号機にしようかな… (^ω^;)>
ヘッドライトにLEDを仕込みます。最初に奥にメタリックシルバーを塗装し、LEDを差し込んでウレタン系接着剤で固定固着します。集電は0.1mmリン青銅でヒゲを作りプラ台座に貼り付けてモーターの上にくっ付けます。本体側には接点受け側の真鍮板を貼り付け。パーツオリジナルの
機関士側のランボードフチ白ラインの少し乱れた部分を補修します。マスキングをしてエナメル塗料をチョンチョンとタッチアップで補修…暫し乾燥… 何とか誤魔化せました… (^o^;)>
色挿しと窓セル貼りまでを終えたところでいよいよランボードフチ白ラインのマスキング開封の儀に進みます。吉と出るか凶と出るか…おおぉ!助手席側は特に問題なく一発合格でした。よかったー (^o^;)>機関士側の白ラインも… まずまず。少し荒れがありましたが、何とかタッチ
思わぬハプニングのヘッドライト補修でトップガードをぶっ掛けたので、乾燥中の暫しの間に走り調整をする事にしました。何故かギクシャクと絶不調。塗装後に調子が悪くなるいつものパターンに陥ってしまいました。動輪の位相を調整したり… あーでもない、こーでもない、何で
続いて本体ボディの仕上げに進みます。テンダーと同じくコスメブラシでタミヤウェザリングマスターを擦り込んでいきます。そしてチマチマと空気作用管を磨き出し。途中、ヘッドライトの根元のハンダが外れてポロリと取れてしまうハプニング発生、ガビーン!ヘッドライトを強
トップガードエアブラシ吹きの上廻りも塗装後1週間が経ちました。百均で調達したコスメブラシでタミヤウェザリングマスターを擦り込んで…ひと足お先にテンダーが完了しました。上廻りの仕上がり具合は… 今回はミッチャクロン+マッハつや消し黒+トップガードエアブラシとな
トップガードスプレー吹きの下廻りから組み立てていきます。動輪も黒染め処理をしました。下廻りの組み立てが完了。走行調整はまだこれからで、後でじっくり調整する予定… (^_^;)>
ボディの塗装乾燥中にいさみや常温黒染め液で車輪タイヤの黒染め処理を行いました。最近は蒸機の車輪タイヤはあえてニッケルメッキのままにして "模型的美しさ" を表現していたので、今回は久し振りの黒染めとなりました。f^_^;)
愛犬クマのブログ更新2500回記念の続きです。魔改造と言えばやはりこのカツミC55流線型が自選No.1ですな。2020年の作品です。巨大フライホイールを搭載してみたでござる。果てしない程の惰行を期待したもののそうでもなく、またフライホイールの回転音がボディの中で共鳴して
当ブログ「愛犬クマの鉄道模型製作備忘録」の更新回数がおかげさまで2500回目となりました。2015年4月から始め、駄作と駄文をダラダラと綴りながら既に8年が経ちました。おそらくこれからも駄作と駄文がダラダラと続くことでしょう… f^_^;)そんな駄作ブログ2500回の中から魔
マッハカラーつや消し黒の上からトップガードを塗料を瓶に移し替えてエアブラシで吹きました。本当はマッハカラーをしっかりと塗り込んでトップガードは薄くさっと吹いて仕上げるつもりでしたが、マッハカラーが途中で塗料が中途半端に切れてしまったのでトップガード主体と
白ラインの上にマスキングをします。このマスキングの良し悪しで出来栄えが大きく変わるのですが… いつも自信がありません。σ(ー ー;)マッハカラーのつや消し黒を塗装。しっかりと塗装したかったのですが途中で塗料が無くなってしまい不完全な塗装で終わってしまいました… (
本体は先にランボードフチの白ラインを塗装します。これまでの経験から可能な限りマスキングをして塗装する箇所以外は隠してしまいます。いつもはミッチャクロンの後に直接白を塗装していましたが、今回は下地のサーフェーサーを塗装してみました。1000番の缶スプレーです。
いつもは塗装前完成まで済ませてからいざ塗装に突入するまで間が空くことがしばしばなのですが、今回は一気呵成に塗装まで進める事にします。暑さとの戦い!分解します。超音波風呂で汚れを落とします。風呂上がりはドライヤーで乾燥させます。先ずは下廻りをトップガードの
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丸っと1年振りに帰って来ました。今年のGWは工作そっちのけで青年期のC62写真を探しまくっていましたが、そういや昨年から放置したままのC62がいたなあと反省… (ー ー;)>1950年代の青年期の広島スタイルを作っていましたが、しかと眺めながら… どこまで作ったか、再開はどこ
今回のD50&D60まとめて改軌工作では、イコライザーの機構を作り分けてその効果の違い等々を確認する事になっていました。まだまともに走るところまで至っていませんが、まあ、当方なりの大方の結論は出たので報告しようと思います。オーソドックスな3点支持イコライザーとロ
2両まとめての改軌工作ですが、ロッドの引っ掛かりが激しくまともに走りません。まだまだ調整が必要な状態です。そして下廻りを完成させるだけでもまだまだやる事いっぱい… σ(ー ー;) 上廻りも… 元が宮沢模型なので、かなりの部分に手を加えないととてもじゃないが見るに耐
タバコをやめて?中断して?やっと2ヶ月が経ちました。取り敢えず一本も吸わずに我慢出来ています。正直まだ "我慢" の気持ちが結構ありますが。そして吸わずのタバコはカラーボックスの上に置いたまま、手を上げれば直ぐに取れる所に置いたままにしてあります。特に深い意味
もう一台の方も同様に作りました。なんとやる気のない感じですが…とりあえず2台目も完了という事で。
ギヤボックスとモーターホルダーを板を渡して合体させた状態…モーターとウォームギヤを装着。モーターシャフトには内2.0mm×外2.4mmの真鍮パイプをハンダで固定しました。これにて一台完了!あっ、シャフトをシリコンチューブで繋がないと… 忘れていました。(ー ー;)>
ギヤボックスとモーターホルダーを板を渡して合体させました。有り合わせの端材を現物合わせで強引に…スッポリ収まったのでまあ良かろう… (^ω^;)>
1ヶ月振りに進めました。もう適当なところで一旦お預けにしようと思っています。モーターホルダーをこさえます。厚さは1.0mmです。高さ位置調整を行います。さて、次はここからギヤボックスとモーターホルダーを一体化しなければならないのですが、どうやって合体させよう…
高橋弘氏の超有名な写真 "瀬田川を渡るC622号機特急つばめ号"(1954年3月7日撮影)。恐れながら当方ブログにも何度となく載せさせて頂いていますが、おそらく商業誌でもこの時代のC62や特急列車をイメージさせるシーンの代表として、鉄道専門誌に限らず一般誌でもこれからも末
ヘッドライトがLP42時代のC62写真を探し出すの続きです。いろいろ調査のC62研究ですが、機番が特定出来なかった写真が38カットあり、また撮影者または写真所蔵者が特定出来なかった写真が11カットでした。では、機番も撮影者も両方とも特定出来なかった写真は?というと、結
ヘッドライトがLP42時代のC62写真を探し出すの続きです。あくまでも当方が所有する書籍493冊の範囲においてですが、一枚の写真がいかに多くの誌面を飾ったか?を調査した結果を発表します。結果は… まずは同率2位で3カットありました。まずは機番の若い順に、高橋弘氏が1954
ヘッドライトがLP42時代のC62写真を探し出すの続きです。総写真枚数1,083枚を機番ごとに分類して、そこから重複している写真を集約して正味のカット数638枚に分類し、今度は更にそれらを撮影者もくしは写真所蔵者ごとに分類していきました。<高橋弘氏撮影 1956-11-2 京都駅に
ヘッドライトがLP42時代のC62写真を探し出すの続きです。<山口益夫氏撮影 1955.12.3 プレスアイゼンバーン刊 C62より >のべ1,083カットの青年期C62写真を第1分類として機番別に分けましたが、第2分類ではいよいよ重複している写真を集約していきます。機番不明を合わせて計50
ヘッドライトがLP42時代のC62写真を探し出すの続きです。当方が所有する鉄道関連本493冊から166冊、のべ1,083カットの青年期C62写真を確認出来ましたが、次はこの1,083カットを第1分類として機番ごとに分けていきました。<細川延夫氏撮影 1955年7月23日 広島駅に到着した13号
久し振りのブログ更新となりました。当ブログは趣味の鉄道模型製作の工作過程を備忘録として日々綴るという地味でじみ〜なカテゴリーなので、その模型製作を怠けてしまうと途端にネタが続かないのは当然のことでして… まあしゃあない、お許しください… f^_^;)で、今年のGW
2024年のGWも終わってしまいました。今年のGWは全く模型工作をしませんでした。5月の連休で全く工作をしなかったのは実は初めてもしれません。で、何をやっていたかと言うと、シロクニ研究に没頭しておりました。まだもう暫く続きそうです。まあ、こんな年があっても良かろう
とても小粋でお洒落なブックカバーは今日のブログのちょっとほっこりなお話しでしたが…実は当方も豪華本に値する一冊にブックカバーをしているのですが… 新聞紙です。見返り写真は… これです。はいそうです、小寺康正氏の名著 "国鉄蒸気機関車の角度" です。当方は1988年4
かつてプレスアイゼンバーンから発行された豪華本シリーズの "大阪の省電vol.1,2" です。昨年2023年にヤフオクで意外な程のお手頃価格で落札したのですが、今や紙媒体の古い書籍なんてもう値が付かなくなるのでしょうかね?この豪華な外函から中身の書籍を取り出すと… ピノ
今日は東京もとてもお天気が良く、午前中に新宿御苑を散歩して来ました。新宿御苑は初めての訪問でしたが、大都会のど真ん中にこんな豊かな緑があるとは… みどりの日にもってこいの一日でした。鳥さんがいたり…ヘビさんもいたり… ところで新宿御苑ってどこが所轄管理して
雑誌"鉄道ファン"から"青年期のC62"を探し出すの第4回目となります。<鉄道ファンNo.512より 高橋弘氏撮影C6230号機>1968年10月号から2018年1月号までの約50年間に正味202カットの写真が確認されましたが、次に1号機から49号機までを機番ごとに集計してみました。主な号機を書
パシフィックの主台枠後端バリがうぎゃ〜っとなってしまい… またまたプレーリーに戻ることにします。今回こそプレーリーの方は完成まで持ち込みたいところですが… これまた難儀しておりまして、ギヤボックスを奢ってやったのですが走らせるとどうにもこうにも絶不調です…
下廻りを組んでいきます。ロッドを装着。転がり確認をします。オイルを挿していないので少々硬さが感じられますが、まあ引っ掛かりは無いので合格としましょう。… 駄菓子菓子!台枠後部の端バリがポロリと取れてしまいました。うぎゃ〜って感じです… (´Д`;)>
先にテンダーから仕上げる事にします。グリーンを吹いてマスキングしてツヤ消し黒を吹いて…乾燥後に面荒れした部分を#2000のサンドペーパーで面を均してから仕上げにツヤ消しクリアーを吹いて塗装が完了。標識灯と思しきところに紅挿し。石炭はオリジナルの物にもげた部分を
本体のボイラー廻りをマスキングして屋根とランボード淵を塗装しました。屋根はかなり以前に調合した赤+茶色の謎の塗料を吹き付けました。そしてランボード淵にはツヤ消し白を塗装。この後、屋根とランボード淵をマスキングしてツヤ消し黒を吹き付ける予定… あっ!火室下を
塗装を進めました。下塗りにトップガードを吹き、日光モデルの緑を吹きました。緑の色名は… 言ってしまうとその色にしか見えなくなるので内緒という事で… (^ω^;)>そしてテンダーはマスキングの後にMrカラーのツヤ消し黒を塗装しました。下廻りも同じくツヤ消し黒を塗装し
メッキをかけたところで…動輪スポーク部分と先従輪の輪芯部分をエナメル塗料で筆挿ししました。一方プレーリーの方はといいますと… ギヤボックスを奢ってやったにもかかわらず走りが安定しません。何でやねん… (´Д`;)>
マッハのニッケルメッキセットでなかなか上手くメッキが掛からず… ふと息抜きにサンポールメッキで実験してみました。ネットであちこち検索しながら… ニッケルメッキの場合は4倍希釈との事のようなので、サンポール1:水3で電解液を作ります。検体は真鍮材とし、メッキ無し
車輪はメッキが剥がれた状態、ロッド類は真鍮自作の物だったのでニッケルメッキを施しました。マッハのニッケルメッキセットを使っての施工ですが、うーん、なかなか上手くメッキが乗らん。えらく時間が掛かってしまいました… (ー ー;)>
プレーリーの走行調整に難儀してなかなか進まないので、もう一台のパシフィックの塗装&仕上げも同時に進めていきます。シリンダーブロックの底に開いた四つの穴… 実はこれまで見て見ぬ振りをしていたのですが、今回もまた目がいってしまい…仕方がないのでドレンコックを付
あっちこっち削ったりカットしたり調整したりして何とか台枠にスッポリと収まりました。結局はモーターシャフト軸直結とほぼ同じ位置高さなのですが、5mmほどモーターが前によった事になります。走行は… まあまあかな… (ー ー;)>動画です… f^_^;)
モーターシャフトからダイレクトに動輪ホイールギヤ直結の構造。塗装前まではギヤ音はともかく特にストレスなくスムーズに走り出していたのですが、塗装後再組み立てしてからは何故か走り出しもギヤ音も絶不調です… σ(ー ー;)この状態だと実にスムーズなのですが…ギヤボック
保護に半ツヤクリアを吹きました。実は蒸機に半ツヤを吹くのは初めてです。差し詰め保存機関車といったところでしょうか。さて、再び走り調整に取り組まなければ… (ー ー;)>
文字間隔が少し詰まり過ぎた感じの公式側…MSゴシックにすべくやり直す事にします。文字を慎重に剥がして…エナメル溶剤でサッと一拭き。高さ位置を揃えるテープを貼って…やり直し完了。うーん、あまり変わり映えしないかも… (ー ー;)>
やって来た時の姿です。キャブの "510" とテンダーの "SANTA.FE.R" の文字はどのように復元しましょう?… どうするイエヤス?オリジナルの文字をそのまま使うことにします。はい、そぉ〜っと外して保管してあります… f^_^;)ケサゲの先でコジコジして塗膜のカケラをコソギ落
直線往復での走行調整なのですが… うーん、塗装前よりも調子が悪いです。走り出しでビミョーに引っ掛かりがあり、ギヤ音も前より少し大きくなってしまった感じ。いくら調整しても埒があかないので走りは一旦ペンディングとしました。やって来た時の姿…という事でボイラー帯
HOプレーリーレストアの続きです。下廻りは保護の半ツヤクリアを吹いてから組み立てを始めます。転がり確認…モーターをセット…そしてウェイトを積んだボディをセット。走行調整に入ります。
中村精密EF51レストアが完了したので次はHOプレーリーの塗装をしましょう… (^ω^;)>先ずはテンダー台車はトップガードを吹き付けて車輪輪芯はエナメル塗料を筆塗りします。いっちょ上がり。動輪スポークもエナメル塗料の筆塗りです。そしてドンガラはトップガード吹きの後に
中村精密EF51のフルレストアが完了しました。途中の仕上げ工程は写真を撮り忘れてしまったのですが、あーだこーだと結構手こずりました。が、出来てしまえばこっちのもんです… (^ω^;)>それにしても下廻りはホワイトメタルパーツのエポキシ接着剤組み立てという… 強度面で
EF51の製造銘板に取り敢えずナンチャッテ銘板を取り付けているのですが…実際はどうな銘板かと言いますと、EF51と兄弟機ED53の改造機ED19の保存機に見られる… こんな感じの銘板と思われます。では、このナンチャッテ銘板は何処のメーカーでしょう?ご察しの如く中日本重工業
クリア仕上げ塗装が完了。クリアは半ツヤではなくグロスで仕上げて整備工場から出場直後の姿としました… (^ω^;)>ワックスも塗っておきました。ナンチャッテ銘板も輝いています… f^_^;)