chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
風の記憶 https://blog.goo.ne.jp/yo88yo

風のように吹きすぎてゆく日常を、言葉に残せるものなら残したい…… ささやかな試みの詩集です。

風のyo-yo
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2014/10/31

arrow_drop_down
  • 陽は沈み、陽はまた昇る

    いつだったかの年末に、明石の魚の棚商店街という所に立ち寄ったことがある。地元では「うおんたな」と呼ばれていて、アーケードがたくさんの大漁旗で賑わっていた。近くの漁港から水揚げされたタコやシャコ、タチウオをはじめ、魚介類が生きたまま売られていた。本州と淡路島がいちばん接近している明石海峡は、潮の流れが速く魚の身がよくしまっていて美味しいという。とくに明石のタコは、関西ではブランドものになっている。せっかく明石にまで来たのだから、タコ焼き、いや明石焼きのタコぐらいは味わって帰りたかった。明石では、明石焼きとかタマゴ焼きとか言われて、大阪のタコ焼きとはすこしちがう。私も本場の明石焼きは初めて食べる。明石焼き専門の店が70店ほどもあるそうで、いたるところタコの看板があがっている。焼き方や食べ方も店によって多少ちが...陽は沈み、陽はまた昇る

  • 木にやどる神

    クリスチャンではないので、教会にはあまり縁がないが、旧軽井沢の聖パウロカトリック教会のことは、強く旅の印象に残っている。その素朴な建物に魅せられたのだった。引き寄せられるように教会の中に入ったが、居心地が良くて、しばらくは出ることができなかった。周りの木々に調和した木造の建物は、柱や椅子、十字架にいたるまで、木が素材のままで生かされており、親しみのある木の温もりの中に、優しく癒されるものが宿っているようだった。正面の十字架の周辺には四角い窓があり、眩い外光が、頭上のⅩ字型に組まれた木の柱や椅子に、やわらかい影をつくり、山小屋や農家の納屋にいるような、厳粛さなどとはちがった、もっと和やかで穏やかな空気を漂わせている。やはり木は優しいのだ。木は建物の一部になっても生きつづける。その木肌に折々に触れた人々の汗や...木にやどる神

  • 神の造られた宇宙(石の教会)

    神はどこにいるのか。神から離れ、神に見捨てられたときから、私たちは神を探し始めるのかもしれない。何かを捨てたとき、その存在に気付くように。かつて、神は風の中にいたようだ。風は鳥が運んできたという。鳥は神の使いだと信じられていた。風は目に見えるものではなかった。ひとは神をただ感じた。神は山にも川にも、木にも草にも、存在した。森羅万象、あらゆるものの中で、古代のひとは神の恩恵を享受することができたようだ。「天然の中に神の意思がある」と説いた思想家・内村鑑三は、「神の霊がときに教会の形をして現われても不思議ではない」とも言った。その理念を受けて造られたのが、軽井沢・星野の地に建てられた「石の教会」だった。建築家ケンドリック・ケロッグが自然と対話しながら創りあげた、きわめて独創的な教会である。その天井は蒼穹であり...神の造られた宇宙(石の教会)

  • 白い道

    スマホなどない頃だった。パン屋でパンを買う。そのとき口にだす短い言葉が、その日に喋った唯一の言葉だという日もあった。地方から東京に出てひとりで暮らすには、ときには孤独な生活に耐えなければならなかった。ひとと繋がることが、現代よりもずっと厳しい環境だったといえる。学生の頃、友人のひとりが心を病んだことがある。下宿を訪ねたがドアを開けてくれない。激しくノックして呼びかけても、室内で妙なことばかり口走っていて、まともに応答してくれない。仕方ないので無理やり開けようとしたら、入れ替わるように、すばやく彼は部屋から飛びだしていった。いつもと違う態度と異常な表情に危ういものを感じた。急いで追いかけたが、路地の多い街中では見つけることが容易ではない。近くの交番に助けを求めたが、そのようなことで警察は動けないといって拒絶...白い道

  • 栗のイガは痛いのだ

    その頃は道路(国道)が子供の遊び場でもあった。子供がいっぱい居た。わが家は5人、裏に住んでいた母の姉の一家も5人、隣りの母の弟の一家が3人、向かいの家では子供の名前もごっちゃになるほど沢山いた。どの家にも飼い犬がいて、当時は放し飼いだったから、タローもジローもチョンもチビも、子供も犬も区別なく混じって遊んでいた。瓦けりや縄跳び、地雷や水雷、ビー玉やケンケンパー、竹のバットとずいきのボールで野球など、誰かが始めるとすぐに、男女の区別もなく集まった。珍しくある日、女のいとこと二人きりになったことがある。いつものような何気ない会話が途切れてしまい、話の続け方がわからなくなったことがある。普段は大勢で居ることばかりだったので、慣れ親しんだ日常から、未知の場所に迷い込んだような戸惑い。とっさに言葉が見つからず、そこ...栗のイガは痛いのだ

  • 杉の葉ひろいをした頃

    晩秋の風は、さまざまな記憶の匂いがする。それは乾いた枯葉の匂いかもしれないけれど、郷里の黴くさい古家から吹き帰ってくる風のようでもある。赤く色づいた庭の柿や山の木の実や、夕焼けに染まった空の雲や、記憶の向こうに置き去りにされた諸々を、季節の風が遠くから運んできてくれる。田舎で育ったから、田舎の記憶がいっぱいある。風が強く吹いた翌朝、杉林の道を歩いていくと、杉の葉が幾重にも重なって落ちている。いまでも、杉の枯葉をただ踏んで歩くのを躊躇してしまう。大きな炭俵にいっぱいに詰め込んで家に持って帰れば、それだけで母親を喜ばすことができたのだった。ガスやプロパンのある生活ではなかった。かまどで薪を燃やして煮炊きをしていた頃、杉の枯葉は火付きがよくて、焚き付けとして重宝された。燃える時のぱちぱちと爆ぜる音、鼻につんとく...杉の葉ひろいをした頃

  • 虫たちとの小さなサヨナラ

    コオロギを飼ったりする、私はすこし変わった子供だったかもしれない。畑の隅に積まれた枯草の山を崩すと、コオロギはなん匹でも跳び出してくる。それを手で捕まえた。尾が2本なのはオス、1本なのはメスだとした。いい声で鳴くのはオスの方だが、かまわずにごっちゃに飼った。大きめの虫かごを自分で作り、枯草を敷き、キュウリなどの餌を与えた。家の壁や雨戸などを突き抜けて聞こえてくる、コオロギの透きとおった鳴き声が好きだった。初めのうちは暗くならないと鳴かなかったが、慣れてくると昼間でも鳴いた。小さな体の翅をいっぱいに立てて鳴くのを飽かずにじっと観察した。鳴き声にも微妙な違いがあり、虫にも言葉があるような気がしたが、それを聞き分けることはできなかった。子供の私には、そんなにたっぷりと暇な時間があったのだろうか。食欲旺盛な蚕も飼...虫たちとの小さなサヨナラ

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、風のyo-yoさんをフォローしませんか?

ハンドル名
風のyo-yoさん
ブログタイトル
風の記憶
フォロー
風の記憶

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用