chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
後藤和弘のブログ https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。 反対のご意見やコメントも歓迎しま

後藤和弘のブログ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2014/10/30

arrow_drop_down
  • 「夏の奥多摩の風景」

    夏の奥多摩の風景の写真をお送りいたします。写真の出典は、https://www.town.okutama.tokyo.jp/1/kankosangyoka/kankojoho/2/705.htmlです。「夏の奥多摩の風景」

  • 「夏の奥多摩の風景」

    以前は夏の奥多摩へ小さな旅に行きました。独りで車を駆って奥多摩の鳩ノ巣までよく小さな旅をしました。多摩川上流域の古刹、海禅寺と梅岩寺を散策し、多摩川の地酒、「嘉泉」の田村酒造と、もう一つの地酒、「沢の井」の小澤酒造の写真を何度も撮りました。54年前に婚約中だった家内と初めて行ったのは鳩ノ巣渓谷でした。茫々、アッという間に時が流れ去ったものです。...何度も多摩川名物の「へそ饅頭」を家内へのお土産に買いました。多摩川の上流域は東京より涼しくて新鮮な川風が吹いていました。写真に鳩ノ巣渓谷の写真と御岳駅のそばの玉川屋という蕎麦屋の写真をお送りします。玉川屋の座敷の大きなガラス窓から多摩川の向側の山の緑が見え、眺望の良い蕎麦屋さんです。「夏の奥多摩の風景」

  • 「夏の風物詩は海水浴の光景」

    夏の風物詩は海水浴の光景です。幼少の頃の楽しかった海水浴の光景を懐かしく思い出します。一番懐かしいのは荒浜や菖蒲田や桂島の、そして野蒜海岸や宮戸島での少年の頃の海水浴の思い出です。インターネットで検索して桂島と宮戸島の風景写真を探しました。1番目の写真は現在の桂島の海水浴場の風景です。2番目の写真は海開き後の宮戸島の海水浴場の風景写真です。3番目の写真は海開き前の茅ケ崎の海水浴場の写真です。4番目の写真は昔から有名な大磯の海水浴場です。海開き後は人で溢れる海水浴場です。5番目の写真は海開き前の茅ケ崎の海水浴場の写真です。夏を待ちきれない若者達がサーフィンを楽しんでいる光景です。こんな光景を海水浴の光景を思い出すと不思議に若かった頃の元気が湧き出して来ます。皆様も暑い夏をお元気でお過ごし下さい。それはそれと...「夏の風物詩は海水浴の光景」

  • 「夏の風物詩、霧が流れる美ヶ原高原美術館」

    夏の風物詩をもう一つは霧が流れる高原美術館のロマンです。美ヶ原高原美術館をご紹介したいと思います。この美術館は遥かに遠い天空の上の美術館なのです。標高は2004mです。4万坪の屋外展示場に350点あまりの現代造形作品を常設展示しています。1981年6月に、「箱根・彫刻の森美術館」の姉妹館として開館しました。長野県の上田市にあります。それでは早速、霧が流れる美ヶ原高原美術館を家内が撮った写真でご紹介します。美ヶ原高原美術館の詳細は、https://www.utsukushi-oam.jp/mp/gaiyouに出ています。そして全ての展示作品のリストは、展示作品一覧、https://www.utsukushi-oam.jp/search/にあります。展示作品の説明は、https://www.utsukushi...「夏の風物詩、霧が流れる美ヶ原高原美術館」

  • 「夏の風物詩は七夕飾り」

    夏の風物詩には七夕飾りもあります。夏になると家々では子供たちが七夕飾りを作ります。また各地の町の通りに大規模な七夕飾りをします。そして有名なのは仙台の七夕まつりです。仙台の七夕まつりは、江戸時代に仙台藩祖・伊達政宗公が始めたのが由来とされており、以来仙台の伝統行事になります。仙台の七夕祭りは毎年、8月6日、7日、8日と開催されます。夏の風物詩です。毎年、幼少の頃から七夕飾りを見に行った東一番丁や大町通りの光景を思い出します。結婚して東京に住むようになってからも毎年、家内や子供連れで仙台の七夕飾りを見に帰りました。七夕飾りが夏風に揺れている写真をお送りいたします。1番目の写真の出典は、https://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/35196915.htmlです。2番目の写真の出...「夏の風物詩は七夕飾り」

  • 「夏の風物詩だった蚊帳と蚊取り線香」

    現在、私の身の回りには蚊帳と蚊取り線香はありません。昔は夏の暮らしで大切なものでした。そして夏の風物詩でした。今日は追憶の中の夏の風物詩だった蚊帳と蚊取り線香のことを書いてみたいと思います。蚊帳は平安時代から日本で使われていました。江戸時代には庶民にも広がり、「夏の風物詩」になりました。夏の季語として俳句に登場していました。1965年ごろまで日本中で使われていたのです。一方、蚊取り線香は現在でも野外作業で使われています。しかし懐かしい「除虫菊の煙のにおい」がしないのです。現在は合成した化学製品なので独特の香りがしないのです。蚊取り線香の形は現在でも昔のままの渦巻きの形をしています。色も昔と同じです。しかし懐かしい「除虫菊の煙の匂い」がしないのです。それではまず、蚊帳(かや)の写真3枚と、蚊取り線香の写真と...「夏の風物詩だった蚊帳と蚊取り線香」

  • 「岩手県の夏の三陸海岸の風景」

    岩手県のリアス式海岸は、三陸海岸の南部に見られる特徴的な地形です。リアス式海岸は、川が山地を浸食し、形成された入り江が連続する地形です。岩手県では、この地形が漁業や観光業に大きく貢献しています。夏の三陸海岸の風景の写真をお送り致します。「岩手県の夏の三陸海岸の風景」

  • 「北上川と石川啄木と宮沢賢治」

    北上川の水源は岩手県岩手町御堂にある「弓弭(ゆはず)の泉」とする説が一般的です。そこから岩手県の中央を南下して宮城県に入り石巻湾の太平洋へ流れ出ています。北上川のように北から南へ流れる川は全国でも珍しい川です。北上山地と奥羽山脈の間を流れているため、それぞれの山地からいくつもの支流が流れ込み、その数は大小合わせて200以上もあります。1番目の写真はライトアップされた北上川沿いの桜並木です。JR北上駅から徒歩7分ほどの距離にある北上川沿いの桜並木です。さて次は宮沢賢治ゆかりの場所を訪れてみましょう。賢治は1896年(明治29年)花巻に生まれ1933年(昭和8年)に亡くなりました。盛岡への旅では賢治の作品を初めて出版した盛岡市の光原社を訪問しました。その後、小岩井牧場に行き、そして花巻市の羅須地人協会や賢治の...「北上川と石川啄木と宮沢賢治」

  • 「岩手の南部藩の歴史と写真」

    南部藩は岩手県中部と青森県東部から秋田県北東部にかけての地域を治めた藩でした。藩主が南部氏でした。盛岡藩とも呼ばれます。この地域には独特な文化があります。魅力ある地域です。甲斐国にいた南部氏の始祖の南部光行が、平泉の奥州藤原氏征討の功で現在の青森県八戸市に来て現在の南部町(青森県)に宿をとったのが始まりです。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで覇権を確立した徳川家康から南部藩は所領が安堵されました。10万石の大名として認められたのです。明治維新では奥羽越列藩同盟への参加します。そして南部藩は新政府側へ屈服しました。南部藩は終わったのです。なお遠野南部家は藩の新政府側につき、八戸藩は藩主・南部信順が薩摩藩主・島津重豪からの養子であり新政府側へついたのです。この地域の独特な文化や魅力を写真で示します。1番目...「岩手の南部藩の歴史と写真」

  • 「26歳で夭折した石川啄木の詩の世界」

    石川啄木は1886年(明治19年)岩手県日戸村で住職の長男に生まれ、翌年渋民村へ移った。1912年(明治45年)に結核で没した。享年26歳。まず彼が作ったを短歌を読んでみよう。短歌を三行書きにするという新しい形を産み出した。歌われたのは孤独・望郷・貧困など自己の内面を描き出したものが多い。東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむるたはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまずはたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆくかにかくに渋民村は恋しかりおもひでの山おもひでの川やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくにふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの...「26歳で夭折した石川啄木の詩の世界」

  • 「岩手県と北上川、そして小岩井牧場、石川啄木と宮沢賢治」」

    岩手は文学者の故郷です。彼等の関連のある盛岡を何度も訪問しました。小岩井牧場にも行きました。盛岡城跡の高い石垣を登ると広い草原になっています。青草の上にあおむけに寝て大空を見ていたら石川啄木の短歌を思い出しました。「不来方のお城の草に寝転びて空に吸はれし十五の心」盛岡では「石割桜」の巨大な石に手をついて何故か感慨に耽りました。滔々と水量豊かに流れる北上川の岸辺にたたずみ口ずさみました。「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに(石川啄木の短歌です。)岩手は宮沢賢治の故郷です。そこで今日は宮沢賢がよく散歩した盛岡城や石割桜や小岩井農場や北上川などの写真をお送り致します。写真の出典は、https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_2396/です。1番目の写真は「盛岡城跡公園」で...「岩手県と北上川、そして小岩井牧場、石川啄木と宮沢賢治」」

  • 「貧乏でも趣味を楽しむ、すると人生が輝き出す」

    自分が貧乏だから持っているお金だけで出来る趣味を楽しむ。これが引退後の人生を輝かしい日々に変える為の鉄則と確信する境地に至りました。創意工夫を重ねて、あるお金だけで賢い生活をすることです。この時、一つや二つの趣味を持ち、その為の最小の出費を惜しんではいけません。別荘地と山林地とは値段も違う上、不動産税が雲泥の差です。しかし豊かな想像力と自然へ対する憧憬が強ければ同じように楽しめます。ロマンチシズムを持っていると、より一層豊かに趣味を楽しめます。1番目の写真は私の山林の中の小屋です。電気釜という文明の利器を山へ持って行って美味しいご飯を炊くのです。友人の鬼家さんを招んで、青空の下で家内と3人で昼食を楽しむ。それだけが楽しいのです。2番目の写真は山林の中の小屋の庭で使った電気釜です。3番目の写真は炊き上がった...「貧乏でも趣味を楽しむ、すると人生が輝き出す」

  • 「山林の中の小屋の趣味を教えてくれたのもスエーデンの エケトルプ先生」

    スエーデンのエケトルプ先生は海岸に質素な別荘を持っていました。それを真似して私も1975年に山梨県の山林に小屋を建てました。小屋を建てた場所を写真で示します。山梨県の甲斐駒岳の麓です。1番目の写真は山梨県の北杜市から見上げた甲斐駒岳連峰の写真です。晩秋に撮った写真です。この山の麓に小屋を建てたのです。場所は山林の中です。2番目の写真は甲斐駒岳の麓の森の奥にある私の山小屋です。晩秋に撮ったので木々が紅葉しています。電気、ガス、水道の無い小屋でした。スウェーデンの学生さん達も来ました。楽しい思い出がたくさんある小屋です。3番目の写真は小屋に登って行く雪道です。こんな森の中の道を2Kmほど登ると小屋があります。写真にポツンと小さく写っている人間はよく一緒に行った家内です。4番目の写真は小屋の窓から見た光景です。...「山林の中の小屋の趣味を教えてくれたのもスエーデンのエケトルプ先生」

  • 「ヨットの趣味を教えてくれたスエーデンの エケトルプ先生の思い出」

    ヨットの趣味を教えてくれたスエーデンのエケトルプ先生でした。1974年に旅したスエーデンへの旅の思い出を書きたいと思います。私を招待してくれたエケトルプ教授の思い出も書きたいと思います。1番目の写真はスエーデンの首都ストックホルムの夜景です。2番目の写真は農村地帯の風景です。森林が多いので木造の農家が多いのです。私は1974年にストックホルムに4ケ月滞在しました。私を招待してくれたのはエケトルプ教授でした。エケトルプ教授が私へヨットの趣味を教えてくれたのです。3番目の写真はスウェーデンの古民家です。4番目の写真は馬を放牧している牧場の風景です。エケトルプ先生の家の裏の風景と似ています。写真の出典は、http://ameblo.jp/rv9084/entry-10717580893.htmlです。エケトルプ...「ヨットの趣味を教えてくれたスエーデンのエケトルプ先生の思い出」

  • 「私のヨットの写真」

    私は50歳で小型ヨットスクールへ通い、53歳の時、琵琶湖へ行ってヤマハ19という中古のクルーザーを初めて購入しました。長さが5m90cmの小さなクルーザーで操船が簡単そうでした。そのヨットを水郷汽船(株)経営の霞ヶ浦マリーナへ陸送しました。ヨットをクレーンで吊って水に入れてくれたのがマリーナの佐藤敏郎さんです。それ以来、23年間、2012年の秋にヨットを止めるまで佐藤さんにお世話になったのです。はじめてのヨットをあけび号と命名しました。家内とよくセイリングしたものです。1番目の写真は家内と一緒に帆走中のあけび号です。霞ヶ浦で元気に活躍していました。2番目の写真も「あけび号」です。「あけび号」を手放してから今度は大きな「ルナ3世」号を買いました。3番目の写真は「ルナ3世」号です。長さ26フィートです。後方に...「私のヨットの写真」

  • 「美しい帆船、シナーラ号の思い出」

    もう体力が無くなって趣味のヨットは75歳の時に止めました。止めてから14年になりますがヨットのことは鮮明に覚えておます。心の中でまだヨットを楽しんでいます。今日は帆船のシナーラ号の思い出を書きたいと思います。私はこの帆船に2度乗ったことがあります。一度はその重い舵輪を握った経験もありました。2000年前後のことでした。しかしその後シナーラ号は消えてしまったのです。ところが”MALU”さんという方のブログにシナーラ号のその後の物語が詳しく書いてあったのです。シナーラ号はヨットの好きな人の憧れのまとだったのです。感心なことに”MALU”さんは憧れるだけでなくシナーラ号のその後を詳しく調べていたのです。その写真を下に示します。1番目の写真はかつてのシナーラ号です。写真の出典は、”MALU”さんのブログ(http...「美しい帆船、シナーラ号の思い出」

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、後藤和弘のブログさんをフォローしませんか?

ハンドル名
後藤和弘のブログさん
ブログタイトル
後藤和弘のブログ
フォロー
後藤和弘のブログ

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用