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後藤和弘のブログ https://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。 反対のご意見やコメントも歓迎しま

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2014/10/30

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  • 「私の身近にあったお寺の写真」

    父の実家は兵庫県の田舎のお寺でした。そんな関係で私の身近にはいつもお寺があったのです。今日は私の身近にあったお寺の写真をお送りしたいと思います。1番目の写真は父の実家の正林寺です。兵庫県の田舎のお寺で曹洞宗でした。2番目の写真は兵庫県の篠山市にある叔父が住職をしていた法福寺です。ここにも私は何日も泊りました。3番目の写真はよく行った宮戸島の大高森にある薬師堂です。松島湾が一望できる所です。4番目の写真は仙台の瑞宝寺です。幼少の頃にこのお寺の幼稚園に通っていました。5番目の写真は現在住んでいる小金井市にある真蔵院です。よく散歩に行く道そいにあるお寺です。6番目の写真は真蔵院の境内です。兵庫県のお寺が懐かしく境内に入って散歩します。この他によく行くお寺は小金井の金蔵院や海岸禅寺があります。今日は私の身近にあっ...「私の身近にあったお寺の写真」

  • 「宗教的義式に馴れる、お寺での施餓鬼供養」

    宗教には宗教的義式が必ずあります。例えばお寺ではお盆の時期に施餓鬼供養があります。施餓鬼供養の時は檀家の人々は本堂の両脇にある客間に座って見ます。住職さんに頼んでその席に入れて貰えば良いのです。お寺に行って施餓鬼供養に参加し、一緒に祈るとご先祖様の供養になるのです。この施餓鬼供養は日本のほとんどの宗派の寺で行われています。お寺によって開催日時が違います。さてその一例として愛知県の臨済宗妙心寺派の寺院の永正寺の施餓鬼供養の様子を、そのHPから以下にご紹介いたします。HPは、http://eishojikengaku.blog33.fc2.com/blog-entry-171.htmlです。永正寺では、お施餓鬼を毎年8月17日と9月23日の2日におつとめします。お施餓鬼とは「餓鬼道にいるものに施しをすると、ご...「宗教的義式に馴れる、お寺での施餓鬼供養」

  • 「日本人と仏教、欧米人とキリスト教」

    佛教とキリスト教は私の好きなものです。私の考え方に大きな影響を与えています。今日はに日本人と仏教の関係と欧米人とキリスト教の関係を書いてみたいと思います。そして宗教と関係の無い人間性の共通性、同一性を強調したいと思います。さて日本人は無意識のうちに仏教や神道の影響を受けています。日本人の考えかたや感じ方は仏教の無常の教えの影響を下敷きにしています。日本に仏教が伝来したのは日本書記によると552年、欽明天皇の時、百済から伝わったということになっています。それ以来、仏教は日本人の考え方や感性に深い影響を与えてきました。室町時代に明文化され形造られた日本人特有の『侘び寂び』の感じ方は仏教の無常感とつながっています。お釈迦様のすべては空(くう)ですという教えにつながっています。このような感性は欧米人にはありません...「日本人と仏教、欧米人とキリスト教」

  • 「ヨットと山林の小屋の趣味を教えてくれたのはスウェーデンのエケトルプ先生」

    ヨットと山林の小屋の趣味を私に教えてくれたのはスウェーデンのエケトルプ先生でした。エケトルプ教授は1974年に私を招待してくれたのです。エケトルプ教授はヨットの趣味と古民家を復元する趣味を持っていたのです。古民家を復元する趣味として中世のスウェーデンの古民家の構造を詳しく調べ、忠実に復元していました。ストックホルムの郊外に、藁葺と白壁の中世風の農家を復元して住んでいたのです。建坪50坪ぐらいで、大きな室内は、寝室、食堂、炊事場、風呂場、トイレを北欧の材木で区切り、ドアもすべて同じ板材です。木製の蝶番(ちょうつがい)と閂(かんぬき)が付いています。窓の外には白夜の牧草地が薄暗く広がっていて、遠くに馬の親子が立っているのがぼんやり見えます。当時はデジカメがありませんでした。写真も撮りませんでした。そこで似てい...「ヨットと山林の小屋の趣味を教えてくれたのはスウェーデンのエケトルプ先生」

  • 「もう一つの趣味は山林の中に建てた小屋」

    もう一つの私の趣味は山林の中に小屋に建て泊りに行くことでした。建てた年から泊って楽しんできました。小屋は山梨県にあります。甲斐駒岳や八ヶ岳が見えます。今日は山林を安く買って小屋を建て心豊かに暮らす方法を書きたいと思います。山林は驚くほど安いのです。まず小屋の近辺の山林の様子を3枚の写真で示します。山梨県北杜市の山林です。写真で示しような山林100坪を、80万円で1974年に買いました。早速、6畳と5畳の小屋を鉄筋コンクリートで建てました。それ以来、毎月2,3回は家内と泊りに行っていたのです。小屋の窓から庭の小川や焚火の煙が林の中を流れる様子が見え楽しいのです。そんな様子の写真をお送り致します。小屋は標高900mの寒冷地にあります。そこで北海道から簡素な薪ストーブを買って来て入れました。7番目の写真のような...「もう一つの趣味は山林の中に建てた小屋」

  • 「25年間のヨットの趣味を振り返って」

    私は50歳で江の島の小型ヨットスクールへ通い、53歳の時、琵琶湖へ行ってヤマハ19という中古のクルーザーを初めて購入しました。長さが5m90cmの小さなクルーザーで操船が簡単そうでした。そのヨットを水郷汽船(株)経営の霞ヶ浦マリーナへ陸送しました。ヨットをクレーンで吊って水に入れてくれたのがマリーナの佐藤敏郎さんです。それ以来、23年間、2012年の秋にヨットを止めるまで佐藤さんにお世話になったのです。佐藤さんは優しい性格でいつも笑顔を絶やさずヨットの修理の仕方や扱い方を根気よく教えてくれました。ヨットをあけび号と命名し、家内とよくセイリングしたものです。1番目の写真はその時の様子です。1番目の写真は家内と一緒に帆走中のあけび号です。霞ヶ浦で10年間乗った「あけび号」を群馬県のカヤシマさんという方へ売りま...「25年間のヨットの趣味を振り返って」

  • 「銀座にあるヨットの港と海上から見た東京の夜景」

    老境は思い出を楽しむためにあるようです。我が人生には悲しいこともありましたが楽しいことも沢山ありました。特にヨットの趣味で東京湾、相模湾、駿河湾を帆走したことは実に楽しい思い出です。ヨットの趣味は49歳から75歳まででした。今日は東京の真ん中の銀座にあるヨットマリーナをご紹介して海上から見た東京の夜景の写真を掲載しようと思います。さて銀座にあるヨットマリーナは銀座7丁目にあります。銀座7丁目に隣接した運河にあります。そこは浜離宮と築地魚市場の間にある運河で、その端はJR新橋駅の方向に入り込んでいます。築地川という運河です。そこが昔からヨットやモーターボートの静かなマリーナになっていたのです。1番目の写真は銀座7丁目にあるヨットやモーターボートのマリーナの写真です。暗い森は浜離宮の森です。左の奥の方へ出て行...「銀座にあるヨットの港と海上から見た東京の夜景」

  • 「ドイツの冬景色」

    ドイツの冬は日本より寒く暗く厳しい季節です。懐かしいです。ドイツの冬の写真をお送り致します。出典は、https://note.com/haribo_germany/n/n0599c2c7befdなどです。「ドイツの冬景色」

  • 「心に残る東山魁夷の「『馬車よ、ゆっくり走れ』」

    1971年に出版された東山魁夷のドイツ旅行記の「馬車よ、ゆっくり走れ」を読むと彼の若き日のドイツへ対する強い想いが書いてあります。私の心に焼き付いている旅の随筆集です。昔、スケッチをした街角に立って風景を描いているときの気持ちを思い出しているのです。1970年前後に何度か行ったドイツや北欧で馬車に乗ったようです。ゆっくり石畳を走る蹄鉄や車輪の音が若い時のベルリン留学の回想を誘ったのです。ベルリンの冬は毎日雲が低くたれこんで暗く寒いのです。その風景が、そしてそこで学んだ宗教学や哲学が東山魁夷の絵画の精神性を深くしています。1番目の写真は「緑のハイデルベルグ」、1971年です。ライン河の支流ネッカー河のほとりに位置するハイデルベルク。初夏の緑に覆われた山腹の古城はドイツ・ルネサンスの重厚な面影と典雅な趣をあわ...「心に残る東山魁夷の「『馬車よ、ゆっくり走れ』」

  • 「寒く暗い冬のドイツの思い出」

    旧懐の情とは不思議なもので若い頃留学したドイツの暗い寒い冬のことが人生の折々に思い出されます。そしてドイツの中世の「遍歴徒弟の文化」を想像します。留学は遍歴しながら学問を身につける旅なのです。ドイツ語でシュティデーエン・ライゼと言いますが、その言葉はロマンと修行の厳しさ、そしてドイツの暗い冬の寒さを連想させます。ドイツは独特な文化を持っています。伝統を大事にし静かな思考を大切にします。街を歩くドイツ人は決してイタリア人のように陽気でありません。フランス人のようにお洒落をしません。何時も真面目で堅い雰囲気を持っています。50年前に留学したドイツにはそのような雰囲気が残っていたのです。当時、住んでいたたシュツットガルトやローテンブルグやクラウルシュタールの名前を思い出しただけで旧懐の情で胸が熱くなります。そし...「寒く暗い冬のドイツの思い出」

  • 「上高地の夢幻の美」

    何度も訪れた上高地です。上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、大正池と梓川が夢幻のように美し盆地を作っているのです。家内が撮った写真で上高地をご紹介しましょう。1番目の写真は上高地の梓川と河童橋から見た穂高岳です。この河童橋は上高地の中心付近にあります。2番目の写真は上高地の入り口にある大正池です。奥に見えるのは穂高岳です。この写真の左側には焼岳があります。学生の頃の1959年に行ったときは立ち枯れの木が林立していましたがその木々も朽ち果てて、ほんの数本が残っている状態になりました。風景も年を取って変わって行くのです。3番目の写真は田代橋から河童橋の中間にある中の瀬から見た穂高と明神岳です。明神岳は右の色の暗い山です。真...「上高地の夢幻の美」

  • 「白馬東急ホテルと周囲の美しい風景」

    山梨の甲斐駒の麓に小さな山の家を作りました。1974年に作りました。その小屋を中心としたて上高地や軽井沢や白馬などへ旅行を楽しみました。今日は白馬山麓の白馬東急ホテルと周囲の美しい風景をご紹介いたしたいと思います。我が家の子供達がまだ小さかった頃、信濃大町の奥、木崎湖や青木湖のさらに奥の白馬東急ホテルに数回泊りました。そのホテルはスイスの山岳ホテルのような三角屋根の木造でした。部屋は2階で、縦型の窓がついていました。バルコニーの椅子に座って眺めると、芝生に覆われた広い庭の向こうは森になっています。ヨーロッパの古いホテルのような雰囲気でした。そのホテルから暗い森の中を歩き、崖の道を下るとゴンドラの駅があり八方池まで登れたのです。そ八方池まで登る道からは、八方尾根の向うに広がる白馬鑓ケ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮...「白馬東急ホテルと周囲の美しい風景」

  • 「四季おりおりの甲斐駒岳の風景」

    山梨県と長野県の境にある山林の中に小屋を作ったので斐駒岳の写真を長い間撮ってきました。1974年にささやかな小屋を作って以来、そこに行く度に撮り続けています。こんなに長い間写真を撮っていても一向に飽きないのです。それは写真を撮る度に山の様子が違うからなのです。太陽の光の加減、雲の様子、山肌の色合い、周囲の森のたたずまいと、色彩の変化などなどが微妙に違い、毎回写真の様子が異なってくるのです。ここで山の写真を示します。上の写真は大武川をまたいでいる国道20号線の鉄橋の向こう聳える甲斐駒岳です。山の大きさを鉄橋の小ささで強調したつもりです。その上、垂直に見える山の絶壁が麓の建物や鉄橋を押し潰すように立っています。人間の営みの小ささと儚さを感じます。2番目の写真は甲斐駒岳の山頂をズームで撮りました。人間を寄せ付け...「四季おりおりの甲斐駒岳の風景」

  • 「山林の中の友人たちの思い出」

    山梨の甲斐駒の麓に小さな山の家を作りました。1974年に作りました。もう50余年通った小屋です。色々な出来事が走馬灯のように蘇ります。山小屋のおかげで知り合った人を思い出します。多くの知り合った人が旅立ってしまいました。残ったのは残雪が輝く甲斐駒岳だけです。自然の風景は変わらないのです。今日は山小屋のおかげで出来た友人たちの思い出を少し書いてみたいと思います。山梨県の雑木林の中で一緒に遊んだ人々の思い出です。その雑木林の中で「柳沢清流園管理組合」というものを作りました。、25人くらいのメンバーでした。毎年、夏に懇親会をしていたのです。1番目の写真は甲斐駒岳の写真です。「柳沢清流園管理組合」のある場所は麓の深い森の中です。森が少し平らになっている場所です。木を伐採して別荘地にしたのです。この山林の中ではいろ...「山林の中の友人たちの思い出」

  • 「湘南の海の写真」

    以前に明るい陽光に誘われ湘南の海の写真を撮って来ました。小金井から中央高速で八王子ジャンクションで圏央道に入り茅ケ崎海岸まで約80Kmです。撮って来た茅ケ崎海岸の波の写真をお送りします。湘南海岸は1950年代後半から太陽族が集まって賑わっていました。70歳代、80歳代の人々はご記憶のことと存じます。この太陽族という言葉は石原慎太郎の小説の『太陽の季節』に由来します。この小説に出て来る若者達は葉山で遊びましたが、鎌倉、茅ケ崎、大磯、小田原にかけた湘南海岸を太陽族の海と呼ぶのが普通です。そして湘南海岸は太陽族の海として人気が高まりました。『太陽の季節』は1956年(昭和31年)に、第34回(1955年下半期)芥川賞を受賞しました。この作品は石原の出世作です。ストーリーが倫理性に欠けることで、発表されるや文壇の...「湘南の海の写真」

  • 「写真で見る鎌倉の風景」

    写真で見る鎌倉の風景をお送り致します。鎌倉は妻が生まれ育った町です。そこで鎌倉の風景を写真でお送り致します。「写真で見る鎌倉の風景」

  • 「写真で見る我が故郷、仙台の戦前、戦後の風景」

    誰でも自分が生まれた頃の故郷の風景が懐かしいと思います。幼いながら心に焼き付いている光景も沢山あるのが普通です。皆様はそのような昔の故郷の風景をご覧になりたいとお思いではありませんか?幸い最近はインターネットが発達して昔の日本各地の風景が数多く記録されています。ですから根気よく検索して行くと自分が幼少だった昔の風景が見つかるのです。私は昭和11年、1936年に仙台で生まれました。今日は仙台を例にして仙台の戦前、戦後の風景を写真で見たいと思います。昭和という時代は大きな戦争に明け暮れました。そして徹底的な敗戦、続いてアメリカ軍による占領がありました。外国軍による日本全土の占領は歴史上はじめての一大事件です。故郷の仙台に私は昭和11年から昭和35年にアメリカへ留学するまで24年間住んでいました。ですから仙台は...「写真で見る我が故郷、仙台の戦前、戦後の風景」

  • 「写真で比較する130年前と現在の東京、箱根、江の島、そして農村の風景」

    130年前の東京、箱根、江の島、そして農村の風景を写真で比較しました。130年前の写真はエドワード・モースが撮影したものです。彼は大森貝塚の発見で有名ですが、それ以上に日本の陶磁器の収集と民具や風景写真の収集でも偉大な功績を上げました。ボストンの近くのセイラムという港町に終生住んでいて、その町にあるピーボディー博物館に収集品を保存し、展示しました。彼の収集品には約130年前の日本の風景写真が数多く含まれています。その風景写真を編集して出版したのが小学館です。それは、「百年前の日本」(1983年11月25日初版発行)という写真集です。撮影時期は1980年(明治13年)から1990年(明治23年)頃と考えられています。1番目の写真は明治時代の都心の遠景です。2番目の写真は現在の都心の遠景です。3番目の写真は芦...「写真で比較する130年前と現在の東京、箱根、江の島、そして農村の風景」

  • 「今日のミサの風景の写真」

    今日のミサの風景の写真です。聖イグナチオ教会のミサの写真をお送り致します。「今日のミサの風景の写真」

  • 「今日のミサの動画配信」

    聖イグナチオ教会の今日のミサの動画配信は下記にあります。https://ignatius.gr.jp/news/streaming.html〒102-0083東京都千代田区麹町6-5-1中央線(麹町出口)/東京メトロ丸の内線・南北線(赤坂出口)四ツ谷駅下車(徒歩1分上智大学手前)写真は福江島を代表する教会の水ノ浦教会です。鉄川与助による、最大規模の木造教会です。小高い丘の上に建つ荘厳な白亜の聖堂です。「今日のミサの動画配信」

  • 「アジアで唯一のカトリック教国のフィリピン」

    アジア唯一のカトリック教国で、国民の約93%がキリスト教徒であるフィリピンには、スペイン植民地時代に建てられたカトリック教会や大聖堂などが点在しています。1番目の写真はサンアグスチン教会です。マニラで唯一の世界遺産に登録されている歴史的建造物です。1599~1606年に建てられたフィリピン初のスペイン建築様式の教会で、石造りの教会としてはフィリピン最古です2番目の写真はサント・ニーニョ教会です。1565年にスペインの植民者レガスピとウルダネタによって建てられたフィリピン最古の教会です。3番目写真はモロ教会です。モロ教会は、1831年スペイン統治時代に建てられたゴシック様式の美しい教会で、イロイロ市で最も賑わうモロ広場に隣接しています。ピラミッド型をした二つの赤い尖塔がシンボルで、セメントがなかった時代に造...「アジアで唯一のカトリック教国のフィリピン」

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