欧勝馬はモンゴル及び学生出身である。日本体育大学出身で4年のときに学生横綱になっている。その前に高校に元朝青竜のすすめで留学している。日本の生活は学生時代で7年に及ぶ。 プロでは元琴欧洲の鳴戸部屋に入
入門したとき最初に目指すのが十両である。幕下以下は養成員であるが、十両は資格者であり、給料が支給される。十両に昇進するためには幕下を勝ち抜かなければならない。幕下を突破する力が必要になる。それはどのく
昭和33年から年6場所制が始まった。消耗は激しく、30歳まであるいはそれ以下で引退する横綱が多くなってきた。 6場所制の横綱で最初の休場あけ30歳以上の優勝は北の富士であった。北の富士は28歳で横綱に
落合改め伯桜鵬が入幕を果たした。デビューは今年の一月場所だから4場所目の入幕は驚異のスピード出世である。幕下15枚目格付出とはいえ、7戦全勝優勝で1場所突破は史上初だった。 <幕下時代 明瀬山戦> 御
豪ノ山こと西川は小学校のときから相撲を取る相撲少年であった。水泳など小さいころから始めたほうが身につきやすい。大阪寝屋川出身ながら、高校は相撲の名門埼玉栄高校に進んだ。さらに大学は中央大学に進学した。
七月場所の番付が発表された。霧馬山改め霧島が大関に上がった。しかし、それは8勝7敗の先輩大関貴景勝の風下の地位だった。8勝は大関のあげる成績ではない。大関の成績があげられない大関が霧島より上位にいるの
6月25日、豊山の引退断髪式がおこなわれた。親睦のある大相撲愛好家が見守った。彼が写真を5枚ほど送ってくれた。電話で様子を訊いた。それが以下である。 10時半をすぎると国技館正門前に人が集まってきた。
現役力士の関脇以下の連続勝ち越しで9連続勝ち越し、10連続勝ち越しを紹介してきた。引き続き紹介していこう。 ■12場所連続関脇以下勝ち越し ●阿武咲阿武咲は幕下以下で負け越したことはない。序ノ口から新
昭和28年から初、春、夏、秋の年4場所が始まった。テレビの実験放送が2月に始まった。本放送は夏場所からであった。といっても大卒の初任給が1万円をきる時代に20万円のテレビは高価であった。前年秋場所で関
去る五月場所休場あけの横綱照ノ富士が8回目のを優勝達成した。混迷の時代は12勝優勝が多かったが、久々の14勝1敗の優勝だった。照ノ富士は途中休場、全休3場所と休場あけの場所であった。若いころならともか
引き続き関脇以下の連続勝ち越し場所数をみていこう。横綱・大関時代は責任勝ち星が別にあるので含めていない。 ■10場所連続関脇以下勝ち越し ●翔猿学生出身の翔猿は序ノ口からスタートした。序ノ口・序二段を
戦後は昭和20年秋場から始まった。昭和21年は1場所しか開催できなかった。昭和22年、23年は夏場所、秋場所のみの年2場所であった。昭和24年から27年は初、春、夏の年3場所であった。また、昭和28年
幕内は42人定員である。そのうち学生勢力は13人である。学生出身とは大学の相撲部に籍をおいて卒業した入門者である。約31%である。3人に1人弱である。割合はそれなりに占めている。 <御嶽海> それでい
関脇以下の力士はまず、勝ち越しが目標になる。勝ち越したらそこから勝ち星を積み重ねていくことが大事になる。そこで現役の幕内力士を対象に関脇以下の連続勝ち越し数を調査してみた。大関・横綱時代は責任勝ち星が
引き続き昭和戦前の大関誕生のあき間隔をみていこう。 双葉山・鏡岩から2場所あけて前田山が大関に昇進した。前田山は小結からの大関であった。前田山が張り手旋風で横綱双葉山・大関羽黒山の強豪を撃破し、殺気あ
横綱10大史の10番目に外国人横綱誕生を筆者はかつてあげた。外国人初の大関は小錦だった。重量級のパワーはさらに横綱をうかがう成績をあげていく。小錦は13勝優勝、12勝、13勝優勝というチャンスを見送ら
霧馬山は霧島に改名したが、大部分は霧馬山で成長し、活躍してきた。あらためて霧馬山のあの日あのときを写真でふり返ってみる。 <2015年5月 新序出世披露> <三段目優勝> 三段目時代湘南乃海と対戦して
きたる七月場所霧島が新大関として登場する。これは2022年三月場所の御嶽海以来である。つまり御嶽海から霧島まで1年4カ月ほどの間があいたことになる。場所にすれば7場所あいたことになる。大関誕生の間隔は
最高位大関の優勝は極めて珍しい。最高位大関で優勝経験のない大関はけっこういる。琴ヶ濱、豊山などである。そんななかで今年(2023年)の一月場所貴景勝が通算3回目の優勝を成し遂げた。そのとき義父の北天祐
昭和40年一月場所といえばこれまでの系統別総当たり制から部屋別総当たり制に変わり、実施された場所である。これによって本家と分家及び分家同士の関係による部屋同士の対戦がおこなわれた。なお、系統は一門とは
2023年は半分の3場所を終えた。年間最多勝は昨年若隆景が57勝33敗で獲得した。今年の年間最多勝レースはどのように展開しているのか。レベルはあがるのか。調査してみた。それが以下である。単なる数字の比
2021年十一月場所、霧馬山は新小結に昇進した。しかし、1横綱、2大関、2関脇に全敗した。トータル6勝9敗で小結転落となった。2021年は45勝45敗となった。横綱戦2敗、大関戦4勝7敗だった。上位は
朝乃山は十両で14勝1敗優勝、13勝2敗で幕内に復帰した。十両では力の違いを見せた。それは幕内下位でも続いた。平幕相手に11勝1敗、三役、横綱相手に1勝2敗であった。トータル12勝3敗はよくやった、と
■霧馬山で慣れ親しんだのになぜ霧島に改名する必要があったのか? 確かに大関になっての改名は違和感を感じる。霧馬山は霧馬山でここまで成長したのだから、その四股名を大事にしてほしかった。霧島は霧島のイメー
2代目霧島こと霧馬山が入幕したのは2020年一月場所である。このとき25歳であった。大関までは20場所を要したことになる。新入幕の場所11勝4敗で敢闘賞を受賞している。 <新入幕で敢闘賞受賞> この年
七月場所のチケットは五月場所中の14日目に発売された。以前は12日目、さらにそれ以前は5日目発売のことがあった。どうも場所中の販売は歓迎しにくい。場所に集中できない。また予定がたちにくいという面がある
休場続きで序二段60枚目まで番付を下げていた石浦が引退した。そして年寄間垣を襲名した。間垣は先代宮城野であった元竹葉山が再雇用されていた時の年寄名である。それを石浦に譲った。これは何を意味するのか。
晴れ渡った日、勢引退春日山襲名披露大相撲にとっては快適な開催となった。鶴竜引退相撲同様、はさみをいれる方は正門から、一般のお客さんは南門からの入場になった。勢、伊勢ノ海(元北勝鬨)親方が迎える対象はは
6月3日、雨やまないなか鶴竜の引退断髪披露大相撲が行われた。各地にもたらした大雨は、東海道新幹線を止め 、深夜バスをの到着を大幅に遅らせた。相撲仲間Aは12時に国技館に着いた。相撲仲間Bはそのころ沼津
霧馬山改め霧島が大関に昇進した。同時に次の大関を狙う動きが始まっている。豊昇龍 8勝-10勝-11勝大栄翔 10勝-12勝-10勝若元春 9勝-11勝-10勝 3場所33勝が目安としたら豊昇龍・若元春
十両は千秋楽を迎え、1敗豪ノ山・落合、2敗熱海富士というハイレベルな優勝争いとなった。3力士が好成績というのはなかなかお目にかからない。十両は横綱のようなとびぬけた存在がいるわけではない。だから激しい
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欧勝馬はモンゴル及び学生出身である。日本体育大学出身で4年のときに学生横綱になっている。その前に高校に元朝青竜のすすめで留学している。日本の生活は学生時代で7年に及ぶ。 プロでは元琴欧洲の鳴戸部屋に入
五月場所の番付が発表された。予定通り琴ノ若が琴櫻に改名した。全体的に成績以上のアップ・ダウンは少ない幕内番付となった。上位は関脇以上がないのでつまり気味ではある。 小結に入幕3場所目の大の里がすわった
昭和は東京大相撲と大阪大相撲の合併場所として始まった。昭和2年から7年まで年4場所で半分は名古屋を含み西日本で開催された。常ノ花は横綱として大正13年夏場所から旧両国国技館の土俵にあがった。大阪横綱の
現在は年6場所制ある。6場所になって給料や退職金が安定した。七月は暑すぎるので年5場所にというわけにはいかなくなっている。場所の名称は、協会は一月場所、三月場所と開催月を名称としている。土俵の目撃者も
照ノ富士の一人横綱が続く大相撲界。その照ノ富士もは2歳になり、休場が目立ってきた。様相は昭和47年七月場所以降に似てきた。 昭和47年七月場所から大鵬は一人横綱になった。この場所から大鵬の晩年は始まっ
3代目若乃花は引退した場所後年寄藤島を襲名したが、短期間で協会を離職している。現在は日刊スポーツに「若乃花の目」を掲載している。貴乃花が協会を離職したときは「相撲界を離れるほうがたいへんなんだよ」とコ
高砂(元朝赤龍)部屋の分家は錦戸(元水戸泉)部屋だけである。その錦戸部屋は弟子が少なく、部屋としては危うい状態である。広い意味では高砂部屋出身の初代西ノ海の流れを組む錣山(元豊真将)部屋、音羽山(元鶴
大相撲の常設館ができたことは画期的なことであった。天候に左右されないで興行ができることは日程の安定にもつながる。それまでは晴天〇日興行であった。なかには天候が回復しないでそのまま中止になった場所がある
大相撲の幕内は夕方中継している。通常なら勤務時間であり、ほとんどの方は休日以外みることはできない。でもブルーレイで留守録設定しておかばみることができる。それだけ便利で大相撲を楽しめる時代になっている。
大関は横綱に次ぐ地位で協会の看板である。昇進が決まると使者が部屋に赴き、新大関は口上を述べるセレモニーがある。最高位大関の優勝はそれほど多くない。ただし、横綱の大関時代を加えると様相は違ってくる。そこ
宮城野部屋の力士が協会首脳の指令により元旭富士の伊勢ヶ濱部屋に移籍した。元白鵬の宮城野は伊勢ヶ濱の指導の下に入る。発端は北青鵬の悪質な暴力事件だった。元旭天鵬の友綱部屋では同じモンゴル出身で最高位関脇
幕内は相撲界の最高クラスである。十両に入ったら次の目標は幕内になる。そこで幕内力士の幕内在位場所数番付を作成してみた。対象は2024年三月場所場所番付の幕内力士である。数字は2024年三月場所までの幕
横綱は相撲界の最高位である。横綱が実質地位となったのは常陸山以降である。しかし、横綱ほど実力差が激しい地位はない。年6場所制でも横綱優勝回数は白鵬の42回から横綱優勝0迄ある。横綱優勝0は横綱失格であ
今物言いはビデオを参考にしている。だから物言いがついても勝負結果を間違うことはなかった。これしか見てこなかった相撲ファンにはこれが当たり前に映る。しかし、ビデオを参考にする以前は違っていた。 <物言い
曙の死去にともなってライバル若貴との対戦成績がクローズアップされた。ただ、優勝決定戦が含まれていなかった。優勝決定戦は番外で通算勝利、幕内勝利に加えられることはない。それはそれでいい。しかし、両力士の
一門はかつて巡業をともにする組合だった。本家分家関係を中心としての寄り合い連合だった。現在の一門は理事、副理事を生むシステムに変貌している。 <八角理事長> 🔶高砂一門八角元横綱北勝
曙の通夜が14日行われた。かつてのライバル若乃花が弔問に伺った。今改めて若貴・曙の時代が懐かしく語られている。昭和三代人気力士は双葉山・初代若乃花・貴ノ花である。その貴ノ花の二人の息子が相撲界入りした
双羽黒は優勝経験がない横綱として記憶されている。双羽黒はそれほど普及していないときに、パソコンを扱うことから「新人類」と呼ばれた。横綱7場所後の昭和62年10月、付け人などが集団脱走したのである。尋常
大谷選手の通訳だった水原一平氏のギャンブル問題が大きな話題になっている。その負け金額たるや24億5千万と庶民からみたら天文学的数字である。それを大谷選出の口座から振込していたのだからひどい話である。今
琴ノ若は新大関の場所10勝5敗でおわった。2ケタ勝利だから及第点である。祖父琴櫻は8勝7敗だった。部屋の先輩琴欧州は新大関の場所10勝5敗だったが、横綱になれなかった。 <琴ノ若> 琴ノ若は一月場所優
風薫る5月。五月場所の番付が発表された。 1横綱1大関の番付は3場所目を迎えた。東前頭筆頭以上は頭打ち状態である。若隆景以外の4関脇2小結は全員勝ち越した。東筆頭阿炎も東2枚目で9勝しながら1枚しか上
横綱の初日の対戦相手は少なくても一人は小結が対戦相手というのが慣例になっている。最近は一人横綱照ノ富士が3場所連続全休で、大関貴景勝が初日小結戦を担っている。それでは横綱の初日対戦相手はどのような変遷
横綱は力が衰えても地位が降格することはない。残された道は引退しかない。そこで横綱は最後の優勝から横綱引退まで何場所で引退したか調査してみた。 横綱は実質地位化した常陸山以降の東京横綱とした。大阪横綱宮
大関若乃花(初代)が無類の強さを発揮していたときの話である。明日は鏡里と対戦することになった。ある記者が鏡里に取材した。「明日は若乃花ですがいかかがですか」と訊いた。ぶしつけな質問に周囲は、はっとした
さる三月場所は検温や飲食制限がなくなり、通常開催に戻ったように思えた。しかし、戻っていないモノがあった。前相撲である。昨年もなかった。理由は卒業シーズンである。新弟子のなかにいったん学校に戻る者がいて
4代目朝潮新入幕 昭和26年春場所引退 昭和37年一月場所前幕内在位51場所最高位 横綱大関在位11場所横綱在位16場所 今も昔も期待される力士はいる。だが、戦後最大限期待された力士が朝潮である。1
大相撲の土俵は15尺である。出たら負けになるという格闘技はほかにない。ほとんどの格闘技は組むか離れて戦うかのどちらかである。ところが相撲は土俵があるからどちらも兼ねる珍しい特徴をもつ。 15尺土俵に変
これまで四股名あれこれは漢字が中心だった。一から十まで頭につく四股名1文字漢字四股名色の字がはいった四股名東西南北がはいった四股名~花~の(ノ、乃)山などを扱ってきた。 今回は趣向をかえて四股名をひら
引き続き3人の朝潮(汐)をみていこう。 3代目朝潮(男女ノ川)新入幕 昭和3年春場所引退 昭和17年春場所幕内在位35場所最高位 横綱大関在位4場所横綱在位12場所 <男女ノ川のブロマイド> 昭和3
コロナ禍では控えていた巡業も徐々に復活してきている。巡業は協会主催ではなく、勧進元が主催者である。相撲仲間が春巡業の藤沢巡業、靖国巡業にいってきたということを聞いた。 巡業は勧進元次第だが、ずっと実現
三月場所、炎鵬は十両5枚目で9勝6敗と勝ち越した。五月場所、幕内を狙える位置まで番付を上げてくることが予想される。炎鵬が幕内を落ちてから久しい。すでに2年2場所たった。炎鵬は果たして幕内に復帰できるの
高砂部屋には伝統ある四股名がある。朝潮(朝汐)もそのひとつである。現役に朝志雄がいるが、これはあさしゆうと読む。 初代朝汐新入幕 明治23年夏場所引退 明治41年春場所幕内在位36場所最高位 大関大
出羽海の系統で変わった点は2つある。1つが元隆三杉の千賀ノ浦部屋が常盤部屋に変更したこと。千賀ノ浦部屋は元舛田山が春日野(元栃ノ海)部屋から独立しておこした部屋だった。部屋及び出羽一門に後継者がいなく
これからの話は人から聞かされたものであくまで噂の域を出ないものである。まず、そのことをお断りしておく。 ●松鳳山が協会に残れなかったわけ 表面的には年寄株がなかったからである。あるいは長い間元若嶋津の
空中戦というとプロレスのイメージが大きい。サマーソルトキックのエドワード・カーペンテア。連続ドロップキックの名手、フラインクロスチョップのミル・マスカラス。しかし、多彩な空中技で最も強烈な印象を残した
幕下には20歳以下の力士が14人ほどいる。若さは成長につながる。そして幕下を突破するには当然幕下の成績がよくなくてはできない。そこで20歳以下で幕下の成績がいい6人を選んでみた。それが以下である。 向
きたる五月場所、高安は幕内上位に戻ってくる。三月場所は途中まで全勝だったが、優勝争いには加われなかった。これまで優勝争いをしてもことごとく逃してきた。だから、いまだに高安優勝待望は絶えない。 <高安>
三月場所は思いがけず、15日間満員御礼だった。協会のホームページには完売御礼が表示された。去年当日売りがあったが、今回はなかった。見た目は札止めまでいっていないように映ったが、大相撲人気はコロナ緩和と
豊昇龍は現在7場所連続小結・関脇在位中である。きたる五月場所も関脇だから8場所に記録は伸びることになる。この7場所はすべて勝ち越している。 それでいて大関は見えてこない。ここ1年間の成績は54勝36敗
現在8場所連続優勝者の顔ぶれが異なる状態が続いている。場所前の優勝予想がまったくできない。誰が優勝するのかやってみないとわからない日々が続く。 優勝の内訳は横綱1、大関1、関脇3、前頭上位2、前頭中位