社会のせいとか、自分のせいとか。本当は、社会のせいにしたがる自分のせいとか、自分のせいにさせたがる社会のせいとか。本当は、対置していない社会と自分を正対させようとする、社会のせいとか、自分のせいとか。 ―― グロテスク/平井堅、安室奈美恵 ―― 平井堅 作詞、Matthew Tishler、Daniel J.Plante 作曲、2014、Ariola Japan >アイツの幸せ喜べますか? >あのコのもの欲しがってませ...
哲学-思想-政治-戦略-戦術、の並びで、思想より上の概念によれば、不起訴や無罪が選ばれたのかもしれないが、京アニの事件は、政治より下の概念によって、起訴と責任能力と死刑が選択された。控訴は、思想的には妥当の可能性もあり、しかし、政治的には不当になりそうだ。...
運不運は、誰の所為にもできないこと。努力ではどうしようもない事象。加えて、不運は、誰かの所為にできること。悪口を言い募っても、そんな努力は無駄になる。加えて、運は、自分の所為にできること。努力が報われる事象はこの領域にあって、幸運は、つまり、運と努力の積集合。...
運が悪いということは、好転が望めない、つまり、自分では変えられないことの多さである。自分は変えられる、他人は変えられない、とするのなら、運が悪いということは、誰かの所為にしていることと同義になる。対して、運がいいということは、好転が期待できる、つまり、自分の所為にできることの多さである。...
例えば、なりたくてなった病気ではない、例えば、なりたくてなった性格ではない。ひいては、生きたくて生きているのではない。選んで生まれて来た社会でもないし、そもそも、生まれたくて生まれて来たのではない、たいして時間もかけずにそんな思考に行き着く。しかし、それだけでは今日一日は長いから、誰の所為にもできないことの次は、誰かの所為にできることを挙げてみる。同時に、自分の所為にできることを挙げてみる。誰かの...
もしかして、自分が、将来、青葉被告のような事件を起こしたときには、自分に死刑を言い渡すのがフェア。もしかして、自分が、不運にも、精神疾患になったときでもトレードオフ。そのあたりについては、今のところ、かろうじて、僕は運がよかっただけ。...
1月25日、京アニの事件の判決公判で、青葉被告に死刑が言い渡された。被害が大きすぎて、取り返しがつかなくて、極刑でも、まるで釣り合いが取れた気がしない。どんな判決でも、きっと虚しさしか残らない。見当違いの誰かの所為にして、何も解決するわけがないのに加害する。ときに、そんな愚かな心性は、僕たち一人ひとりの正体でもあると思う。歪んだ認知を、行動にリンクさせないと決めて、自らの、この虚しさを埋めて行こう。...
勝った者が、運がよかっただけ、って言うのは聞き流せても、誰かが、あいつは運がよかっただけ、って言うのはウザい。負けた者が、おれは運が悪かっただけ、って言うのはダサい。どうやら、真に受けてはいけないフレーズではあるらしい。...
運がよかっただけ、というのは、おおよそは、勝った、得をした、成功した者のフレーズに違いない。成功したけれど、自らの努力という成分を、敢えて無化するように誘っている。裏を返せば、成功したのは、努力を重ねて、能力を身につけた結果であり、それは報いられるべき、って価値観が、あまねく伏在していることにほかならない。その裏を返せば、不運にも成功できなかった人たちを、努力をしない、それゆえに無能である、って、...
自分を変えた、変わった、変えられた、変わった自分を見つけた、そんな経験がある人は、自分とはまったく違う感性や、価値判断で生きている人たちがいることを、当たりまえのこととして知っている。...
答なんかない、それは正しい。問われているのは、試験の問題ぢゃないから。どこかに答がある、それも正しい。そう思わなきゃ問い続けられないから。大事なのは答ではなくて、正解がない問いを、いくつも立てることなのかもしれない。問い続けることへの耐性は、正解がない問いの多さに比例するだろう。願わくば、答のない問いに耐える力を。...
やってみて、できなかったことなら、できなかったという結果は出ている。後悔するのではなく、あきらめをつけられる。やらなかったことの結果は誰も知らない。やる前からあきらめをつけるから、行き場を失くした後悔がいつまでも終わらない。やらなかったことは、できるわけがないのに。...
吉野弘の詩に、 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいいってのがある。 互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで 疑わしくなるほうがいいとも書いてある。ウザいな、って思う。正しくて、立派すぎて、説教くさい、って思う。吉野弘は正しいことを言っているから、時として、僕は、彼の詩に傷つけられる。...
もしも、あの時、籤(くじ)を引いていたら、大吉が出ていたかもしれない。そこから思い描く可能性の振幅は広い。その日以降の人生を変えていた気がする。でも、あの時、籤を引かなかったことを悔やむ者は、昨日も今日も明日も、籤を引かない。...
運がよかった、だけでは幸せにはなれない、そう思っているけれど、運が悪かった、だけではもっと幸せにはなれない、そうも思っている。自分ではどうしようもできないこと、それを運不運と呼ぶのなら、どうしようもできないことに任せて生きるだけでは、幸不幸が成り立たなくなる、そんなふうにも思っている。...
自分が知ることができた出来事や、自分が経験したことは、世の中のごく一部に過ぎない、と考えるだけで、他人を無知とも、愚鈍とも思えなくなる。自分は博識で、繊細であるとも。自分はとても正しくて、正しいことを他人に教えてやろうとも。他人の正しさを否定して、他人を自分のように正しく変えてやろうとも。...
運がいい、悪い、それを回避するためには、行動を起こさなければいい。籤(くじ)を引かなければ、凶は出ない。必ず、確実に、一生に一度も出ない。...
親の年収と子どもの進学には有意な相関がある。当然、例外はあるが、例外という時点で相関を認めている。ひいては、親の学歴と子どもの学歴にも、つまりは、親の年収と子どもの年収にも。格差は連鎖され、固定化される傾向がある。それが抗い難いほどの傾向なら社会問題といえる。いわゆる、親ガチャ、ってやつだ。しかし、おれは親ガチャ外れだから、と言うだけなら、何も解決しない傾向は、必ず、確実にある。...
企業が、かわいい女子だけを採用していたなら、容姿を差別している、って叩かれるだろう。対して、偏差値が高い大学卒の女子だけを採用していても、学歴の差別、学校の格差は問題にはならない。だから、誰にとっても、進学の機会は、特権化された一部の人たちのものであってはならない。...
人は、自分の意思で、主体的な人生を作ることができる。そうでなきゃ自分でなくても、代わりに他人が生きればいい。人の本質、正しい生き方、そんなことは知らない。そんなものがあったとしても、人はそれに沿わなくてもいい。各自の、今日の、ひいては、今の、毎瞬の生き方、考え方が、折り重なって、各自の本質を作り上げて行けばいい。そのために、多様性を尊重し、差別や格差をなくして行こう。誰にとっても、自分の生き方を自...
個々人の多様性を尊重し、差別や格差をなくして、みんなで横並びで生きて行こう、って傾向には、僕たちは、総論としては同意できる。でも、各論としての個人の問題に落とされたときに、社会全体の利益に基づく総論は、時として、個人の利益とは相反し、或いは、個人の埒外にある。例えば、社会の利益を考えて恋愛する者はいない。...
僕が選択できる、ってことは、同時に、僕が選択されない、ってことと引き換えで、僕には選ぶ自由がある、ゆえに、僕は、相手から選ばれない自由、を引き受ける。よって、僕と社会には、競争がつきまとう。...
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社会のせいとか、自分のせいとか。本当は、社会のせいにしたがる自分のせいとか、自分のせいにさせたがる社会のせいとか。本当は、対置していない社会と自分を正対させようとする、社会のせいとか、自分のせいとか。 ―― グロテスク/平井堅、安室奈美恵 ―― 平井堅 作詞、Matthew Tishler、Daniel J.Plante 作曲、2014、Ariola Japan >アイツの幸せ喜べますか? >あのコのもの欲しがってませ...
デカルトから始まって、ヒューム、カントまでは、まず自己が在って、そこから他者との関係が生じるけれど、ヘーゲルは、私が私であるためには、まず私は、私たちの一部でなければならない、と考える。自己は常に他者と共に在って、その関係の中で生きている。「客」のない世界に生まれて、「主」は有り得るか。つながりのない世界で生きて、「個」に成り得るか。 ―― 優しい歌が歌えない/槇原敬之 ―― 槇原敬...
ふわふわと、社会、なんて言うから、自分の外側に社会があると思って対立してしまうけれど、自分という現象が、社会現象の寄せ集めであり、自分は、世の中の現象をあれこれ抱え込んでいる。愛や、自由や、希望や、夢は、社会に見つけても、或いは、自分の足下に転がっていても、どちらに在っても同じこと、在ればいいんだ。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY ...
自らの内に道徳法則を。自らの内に価値判断の基準を。自らの内に考える自らを。 ―― SIMPLIFY/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >He's gonna be responsible >to simplify his own life. >ややこしく生きてるように見えても >彼は単純に自分を信じてるのさ >誰かのせいにしながら >生きるつもりはないだけなんだ >She's g...
誰のせいにしたっていいけれど、自らの意思によって道徳法則、―― それは、自分の外にあるモラルではなく、内にあるエティカ ―― を立てよう。知恵の実を食べたから、意思決定ができるようになったんぢゃない。楽園を追放されたから、考えて歩けるようになったんだ。自分で立って、どこにだって行こう。 ―― やさしい哲学/椎名林檎 ―― 椎名林檎 作詞、冨田恵一 作曲、2013、TOSHIBA-EMI >ついに自由を...
Xで誰かの悪口を書き連ねても、インスタで映え画像を並べても、ブログで陰謀論を拡散しても、それだって、自分らしい、というのなら、他人を黙らせる役には立つ。 ―― Ordinary Days/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >当たり前さ それが普通さ >嬉しいことがないと >幸せと感じれないような >君のままじゃ疲れるだけさ >嬉しいこと 大事...
自分らしく、ってのは、もしかすると、底意地が悪いやつは意地悪のままに、意気地なしは意気地なしらしく、嘘つきは嘘つきらしく、ってことなのか。ことさらに、何も言ってないくせに、いいことを言ってる感だけで言ってないか。空疎なのに、中身がないのに、或いは、空疎であるゆえに、心地よく行き交うフレーズにしていないか。 ―― 太陽/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan ...
自分の心に正直に生きよう、とか、自分らしく生きよう、なんて、ポジティブなメッセージが飛び交っているけれど、そんなのは、何かを言ったつもりで、何も言っていないようなものか。 ―― I ask./槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >I ask myself 僕は問いかける >I ask myself 僕の中に >I ask myself 僕の知らない僕がいて >慣れたはずの悲しみを...
或いは、荘子が言う「樸(あらき)」は、人為が加わる前の切り出してきたばかりの木。サルトルがよく例に挙げるペーパーナイフ以前の木。あるがままの素朴さを備えているものが持つ生来の力、何にでもなれる可能性を奪われる以前の木。しかし、一度は可能性を失ってみないと、可能性があったことにも気づけないのが僕たちではある。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY...
>あるがままの心で生きられぬ弱さ>知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中まるでサルトルが言いそうなフレーズだ。本質の檻に囲い込まれた実存が逃走を企てる。実存が先立つのなら、あるがままの心は檻の外にいる。例えば、西田幾多郎なら、「主客未分」の中にいて、自分の人為が加わる前の、自分らしさの外に在る。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY >ある...
変わろうとしても変われない、変わろうとしなくても変わる。そう考えるのなら、人は、変化を事後に追認するほかはないもの。それは、誰のせいであっても、或いは、誰のせいでもなくても、人もまた、自(おの)ずから然(しか)るもの。 ―― 名もなき詩/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、1996、TOY'S FACTORY >あるがままの心で生きられぬ弱さを >誰かのせいにして過ごしてる >知...
動的な平衡系においては、留まって動かないのは罪、時が止まってしまう罰。 ―― Mr.Children/Sign ―― 桜井和寿 作詞作曲、2004、TOY'S FACTORY >緑道の木漏れ日が君にあたって揺れる >時の美しさと残酷さを知る...
>何年もやせさせないのは、>自分が悪い、って気がしてくる。太ったことによる不都合、苦労、弊害と、やせるための不都合、苦労、努力と、どちらを選ぶのかは自分の責めに任される。 ―― センス・オブ・ワンダー/sumika ―― 片岡健太 作詞作曲、2020、Sony Music Records...
いくつもの例外があり、それぞれの事情があり、自分でもすぐに反論が思いつくけれど、唐突に、雑で強引に書き投げよう。肥満は社会のせい、といえる。つまり、自分を太らせる社会が悪い。しかし、太ってしまった自分を、何年もやせさせないのは、自分が悪い、って気がしてくる。 ―― アドレナリン/山崎まさよし ―― 山崎将義 作詞作曲、1997、Polydor Records >早めに治しましょう >こじらせ...
>生死は移りゆくひと時の位相。言うなれば、時間と生死は同語反復で、季節が巡るようなもの。 ―― 彗星/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2000、Warner Music Japan >あの桟橋から首を突き出して >訳もなく2人でながめていた >汚れていて 止まって見える >あの川は確かに流れていた >そんな風に僕らが >いくら抗っても >仕方がない程 時は流れ ...
身体は動的な平衡系。言うなれば、身体は仮のもの。常に入れ替わるパーツ。喩えれば、身体は借りもの。ひいては、生命は仮のもの。つまりは、生命は借りもので、生死は、移りゆくひと時の位相。 ―― 獣ゆく細道/椎名林檎、宮本浩次 ―― 椎名林檎 作詞作曲、2018、TOSHIBA-EMI >無けなしの命がひとつ >だうせなら使ひ果たさうぜ >かなしみが覆ひ被さらうと >抱きかゝ...
そのままのあなたでいてほしい、そんな願いも、また、動的な平衡系。変わることを願うのではないけれど、変わらないことを望むのでもない。変わることも、変わらずにいることも、そのままに、あなたの平衡状態を維持させる、そんなふうに、そのままのあなたでいてほしい。 ―― 卒業写真/荒井由実 ―― 荒井由実 作詞作曲、1975、TOSHIBA-EMI >人ごみに流されて変わってゆく私を >あなたはとき...
>時はいつの日にも 親切な友達都合よく何かを抽象して伏線を作り、いいとこ取りに他を捨象して回収する。而(しか)して、春は優しい、夜は優しい。 ―― 12月の雨/荒井由実 ―― 荒井由実 作詞作曲、1974、TOSHIBA-EMI >時はいつの日にも 親切な友達 >過ぎてゆくきのうを 物語にかえる...
歩くことも、また、動的な平衡系。平衡を崩しながら、平衡を保つこと。矛盾する二つのベクトルを同時に存在させて、動的な平衡状態を維持させる。川のせせらぎも、僕たちの足音も。 ―― 足音 ~Be Strong/Mr.Children ―― 桜井和寿 作詞作曲、2014、TOY'S FACTORY >夢見てた未来はそれほど離れちゃいない >また一歩 次の一歩 足音を踏み鳴らせ! >時には灯りのない 寂しい夜が来たっ...
淀みに浮かぶうたかたの、今、今、今に推移する過去と未来。現在がなければ、どこにも結びつけられない過去と、ばらばらに解(ほど)けてしまう未来を繋ぐ、今、今、今だけが、明日に続いている。 ―― 本能/椎名林檎 ―― 椎名林檎 作詞作曲、1999、TOSHIBA-EMI >約束は 要らないわ >果たされないことなど 大嫌いなの >ずっと繋がれて 居たいわ >朝が来ない窓辺を 求めている...
>高度経済成長期から昭和の終わり頃までは、男女の賃金格差は今よりも顕著で、女性の収入は不当に低く抑えられ、その分、男性に振り向けられていた。>この国では、男であるだけで性別ガチャ当たり。皆婚は、女性が男性に依存しなければ、生きて行くことが難しかった時代の現象で、今となってはそっちのほうが異常だったと思える。もっと早くに是正されるべきだったと思える。...
国ガチャ、なんて言い方をするのなら、高度経済成長期から昭和の終わり頃までは、日本人であるだけで国ガチャ当たり。性別ガチャ、なんて言い方をするのなら、この国では、男であるだけで性別ガチャ当たり。日本人で男性ならシード権が得られた。たとえそれ以外に誇れるものが何もなくても。...
もしかしたら、生まれつき努力ができない人がいる、そう仮定するのなら、努力できるもできないもガチャ。努力が可能な努力族は、運命論的に成功を収めやすく、対して、非努力族は、失敗が運命づけられている。努力族は、努力するな、と禁じられても努力を止めないし、非努力族は、努力しろ、と命じられても努力ができない。自らコントロールができるものごとについては、自己責任論的に、自分で責任を負うことになるけれど、さて、...
小説でも、映画でも、日常は捨象されている。主人公は、小銭を数えたり、コンビニに行ったり、洗濯ものを干したり、ときにはうんちを漏らすとしても、日常=つまらないから、物語からは省かれる。日常=つまらないのは必然だから、おもしろい=物語から省かれるのは自然だ。どちらも、必ず然(しか)る、自ずから然ると言える。...
美味しかった、おもしろかった、楽しかった、なんて感想には、日常に戻される寂しさが混じっている。日常=つまらない、ってのとトレードオフにはなるけれど、でも、少し離れたら、日常もまた悪くないと思えてくるから不思議。結局、僕たちは、何をしても、いつかは楽しくなくなるんだ。...
身をもって知っている、そう言い合っている、日常=つまらない、このテーゼは事実らしい。つまらないから、僕たちは旅に出る、レストランを予約する、人に会いに行く。対価を支払って、期待通りにものごとを受け取って、それだけでも非日常ではあるけれど、さらには、もっと予期しない展開で、思いもかけない景色や味や思考と出会うときには、稀有な僥倖、軽々と僕たちの日常を超えてくる。 ...
所謂(いわゆる)、つまらない日常。つまらない、を日常の枕詞のようにして、おおよそ、日常はつまらない。所謂、同じことの繰り返し。繰り返されるから同じことになり、同じことでないのなら、即(すなわ)ち、非日常である。つまらなくないのなら、即ち、非日常である。...
>そう考えると、何を選んだとしても、おおよそは、>今の自分でしかあり得なかったような気がしてくる。そんなふうに、自分の選択の失敗を許容できた気になると、選択の及ばない、そもそもからの失敗に視点が移る。例えば、選ぶことさえできなかった親ガチャや、大きくは、他の選択肢の在りようも見つからない資本主義や、さらには、都合のいい異世界を仮想することで色褪せて映る日常や。...
>どんな選択も、ただの日常になり行く。>そう考えると、何を選ぶか、ってことは、>たいして重要ではないと思われる。何を選択したとしても、重要なのは、繰り返される日常の過ごし方にある。>まだ少しも報われない日常に耐え続けること。大きな決断は、ついつい先延ばしになり、長期的な計画は、なし崩しに短期的な快楽に負けて、そう考えると、何を選んだとしても、おおよそは、今の自分でしかあり得なかったような気がしてく...
例えば、資格試験を受験する、って選択の先には、例えば、半年で、例えば、300時間の勉強を要するのなら、毎日1時間半の勉強をする日常が始まろうとしている。選択は一時的なこと、日常は継続的なこと。まだ少しも報われない日常に耐え続けること。...
何を選んだとしても、例えば、どんな仕事に就いたとしても、選んだ後には、日常が待ち受ける。どんな選択も、やがては日常になり行く。そう考えると、何を選ぶか、ってことは、たいして重要ではないと思われる。選ばれなかった選択の先にも、繰り返される日常が待っているはずだ。どれが正しいのかが分かっていて、結果まで見通せるようなときには、選ぶ、ということはない。決める、ということはない。なぜ結果まで見通せないかと...
きっと、今日も、誰かの優しさが、優しさの価値を引き上げている。優しい人は、きっと、明日も優しい。優しい人にとっては、この世界は優しい。僕の今日が、少し荒(すさ)んだ一日だったとしても、その間にも、誰かの優しさが、僕に気づかれないうちに、僕に届けられているのなら、優しくなれない僕にとっても、やはり、掛け値なしに、この世界は優しい。...
考える人は、今日も考え続ける。優しい人は、きっと明日も優しい。読みかけの本のページをめくるように、人は、日常の経験によって、来たるべき日常を規定して行く。もしも、今夜、僕が、ていねいに、生まじめに書くのなら、それは、今夜の文章はもちろん、昨夜までの文章のていねいさと、生まじめさを説明してくれる。自分が正しいと決めてかかる人は、今日も執拗に他人を責め続け、自分を棚に上げる人は、明日になっても下ろさな...
自分が言われて傷つくことは、他人にも言わない。そんなのは多くの人が、日頃からできていると思う。自分が言われて傷つくことは、自分にも言わない。それは僕たちには、上手にできないことらしい。 ―― ダヴ:リアルビューティー スケッチ あなたは自分が思うよりもずっと美しい ―― 2013、ユニリーバ...
>誰かのために考えて、言葉にして、>さらには、伝えようとする工夫が、誰かの本来の美しさを言い当てる。 ―― ダヴ : リアルビューティー スケッチ あなたは自分が思うよりもずっと美しい ―― 2013、ユニリーバ...
自分のために考えることなら、夢見がちでも、曖昧なままでも、語尾を濁して言い切らなくても、さらには、言葉にしなくてもいい。誰かのために考えて、言葉にして、さらには、伝えようとする工夫が、表現を豊かにさせるのだろう。...
日常のちょっとした選択も、未来を変えるような選択も、同じ脳みそを使っているとするのなら、日常をナメちゃいけないな、なんて思ったりもするけれど、そんなことを考える脳みそ自体が、今夜も、僕を正気に戻してくれている。...
幸福な生活、なんてパッケージがあって、そのセットを揃えようとするのは、たぶん、得策ではない。セットを揃えて生活している人がいても、きっと、日々の生活は淡々と過ぎて行く。繰り返される日常は、当たりまえの日常で、幸不幸の埒外の、ただの日常である。...
どのようなものであっても、関係など持ちたくない、って思うときには、ブロックは、逆説を連れ立たせる。ブロックなんてことをしていると、ブロックしている/されている、という関係を作ってしまう。本当は、それさえも作りたくない。 人間の形をして 生まれたからといって 人間らしく生きているなんて 限らないと今は思う ―― 君が教えてくれるもの/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲...
大人になって、もうずいぶん経つから、誰だって分かりやすい優しさを丸出しにして、おためごかしに提示してくることはない。僕たちは、詐欺師でもホストでもヤリモクでもない。それが拾い上げられるのを待っているようなものなら、足下の泥に埋もれたいくつもの優しさを、僕たちは、毎日、踏み潰しているのかもしれない。 「泥沼でもきれいに咲ける花が あるなら君はどうする」と 真っ白い蓮の花が...