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  • 誰の所為にもしないで、待ち続けるしかないだろう

    卑劣と罵られても、軽率に貶められても、悪く言い返さないようにしよう。僕だって、誰だって、悪く言われるのは平気ぢゃない。他人は変わらないし、自分も変えられないのなら、誰の所為にもしないで、自分が卑劣だったのか、軽率だったのかの答を、待ち続けるしかないだろう。 私はかつて正しかったし、今もなお正しい。 いつも、私は正しいのだ。 私はこのように生きたが、また別の風にも生きられるだろう。...

  • 過去のものとするには、いい機会だと思われる

    同居20年以上の熟年離婚の割合が増えている、らしい。https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000266175.html夫を、資本、と考えたときには、定年退職までに稼ぐ給与収入の割引現在価値、つまり、将来得られる価値について、もしも現在の時点で受け取れるのなら、どの程度の価値を持つかの合計で定義される。なので、定年以降は資本としての価値は激減する。economic animal とは、1960年代後半、経済上の利潤追求を第...

  • できる方法よりも、できない理由を考える

    >できない理由は、十でも百でも、>いくらでも容易に思いつくから。いくらでも挙げることができるのは、行動に移さなくてもいいから。言うだけで終わりにできるから。というか、行動しないために考えるから。>でも、たった一つでいい、>できる方法を見つけたときには、行動しなきゃならなくなる。行動しないことができない理由になってしまうのなら、できる方法なんて、見つけたくないだろう。...

  • ハードモード、もはや、無理ゲー ←今ここ

    教育から始まって、就職でも、結婚でも、生涯に複数回の機会が予定されている。転職も、再婚も、当たりまえになってきたら、生涯に亘(わた)って就活と就労、婚活と婚姻のサイクルが織り込まれる。個々人の流動性が高くなってくると、社内での価値や、家庭内での価値と、市場価値が等しくなってくる。共同体の中でも外でも価値が測定されて、ゲームはハードなモードになってきたと思う。←今ここゲームのルールは、自分の選択にお...

  • できない理由を考えるよりも、できる方法を考える

    できない理由は、十でも百でも、いくらでも容易に思いつくから。でも、たった一つでいい、できる方法を見つけたときには、百のできない理由が反故になる。...

  • 配牌が悪すぎて上がれない

    すべての牌を裏返しにして、ぐるぐるかき混ぜる。公平やら、平等やらを期するために。しかし、牌山から配られて、ゲームが始まる時点では、まったく公平でも平等でもなくなっているだろう。不揃いな配牌からゲームをスタートするプレイヤーは、なんとかかたちを作ろうとするけれど、しかし、手配は何かになれそうな気配もない。対戦相手は、すでにあれこれ揃えていると思われる。人が生きる、ってことが麻雀の喩えに収まらないのは...

  • 自分と出会っているに過ぎない、のかもしれない

    例えば、日々、小さな努力を積み重ねている人は、誰かと出会ったときに、その人の、小さな努力の積み重ねが分かる、ってこと。では、自分に備わっていないものごとは、他人に見つけるのは難しい、ってこと。他人には、自分に理解できるものしか見つからない、ってこと。なので、同じ人に出会っても、その人に何を見出すか、何に同期するのかは、それぞれに違ってくる。同じ位相で増幅されるものごとは異なってくる。他人が馬鹿に思...

  • どうにかなること、どうにもならないこと

    人生の不都合を回避すること、不具合を正して行くこと、そんなことも、どうにかなることの中で、できたり、どうにもならないことの中で、できなかったりする。だから、どうにかなることの中で、少しずつ、できることを増やして行くしかないけれど、どうにもならないことができる方法は、徐々に増えてきたできることの中に潜んでいて、ほくそ笑みながら、見つけられるのを待っている。...

  • 人生の変わり目って、手を差し伸べる人がいる

    2021年3月6日、「マツコ会議」の名言。日を追うごとに、意味が深まる。幸運の意味を知る。 ...

  • 運がよかっただけ ―― 30/30

    自分という現象が、社会現象の寄せ集めであり、自分は、世の中の現象をあれこれ抱え込んでいる。時として、自分と世の中が同期するモメントがある。同じ位相で強められるようなモードがある。極端に増幅された出来事が、例えば、京アニの事件だとすれば、僕は、―― 幸運なことに、減衰された青葉被告ともいえる。僕は、弱められた青葉被告、大人しい青葉被告、薄められた青葉被告ともいえる ―― 幸運なことに。誰の心の中にも、小さ...

  • 運がよかっただけ ―― 29/xx

    >考えるのがしんどくなるから、言葉を濁して通り過ぎる。それは、他人事で、僕が直面していることではないから。自分だって、自分の不運に遭遇していて、いつも手一杯だから。はた目には小さな不運に見えても、直面している者には大きいから。自分のことなら、しんどくても、考えるほかはない。不運の所為にして、通り過ぎることができない。選択し、行動する自由と引き替えに、不運の所為にしない。自分の所為にして、自分が責任...

  • 運がよかっただけ ―― 28/xx

    遺伝、によってどこまで決まるのか、については、あまり深入りしたくない話になってくる。例えば、親ガチャはずれ、なんてのは、親が変てこなソフトを自分にインストールしたから、生きづらい、って話ならまだ救いがある。そもそものOSから壊れている、とか、ハードのスペックが劣っている、って話なら、まともなソフトに入れ替えても、自分には重くて使えない。そんなしんどい現実は、確かにあるけれど、考えるのがしんどくなるか...

  • 運がよかっただけ ―― 27/xx

    >運が悪いということは、好転が望めない、>つまり、自分では変えられないことの多さである。(19/xx)>そのとき、人は不自由で、余りにも無力であり、すなわち、>無力感は、数ある不幸の中でもグレードが高い不幸である。(26/xx)自分で変えられないのなら、受動的になるしかなく、他人の選択に任せて、他人から動かされるほかはない。うまく行かなかったときも、うまく行ったときも、他人の所為であり、他人のおかげであり、...

  • 運がよかっただけ ―― 26/xx

    この時代の、この国に生まれてきただけで、日々不満はあっても、ずいぶん幸運なことではあるけれど、なんだかそれだけでは幸福が実感できないのは、もしかすると、それが自分の意志によることではないから、って確かめようもない仮説を立ててみる。では、自らの意志で選び、自ら努力を重ねたことなら、それは実感を伴った、自分で獲得した幸福と言ってもいい。しかし、自分で選び、自分で努力できる性格に生まれたのも、運不運と言...

  • 運がよかっただけ ―― 25/xx

    運が悪かった、とは、(幸)運(或いは不運)が(不運の側で)悪かった。運がよかった、とは、(幸)運(或いは不運)が(幸運の側で)よかった。不運が悪かった、とは、くどくなるけど、そのまんまで、幸運がよかった、とは、同じく、言い方がくどいだけ。不運がよかった、とは、一見、不運に思えたのに、結果的には、幸運な結末を迎えたことになり、幸運が悪かった、とは、同じく、どんでん返しをくらっている。...

  • 運がよかっただけ ―― 24/xx

    努力なら、実感が伴うのだろう。自分の努力なんだから、自分の手が憶えている、足が憶えている、つらかった心が憶えている。では、実感のない部分が運に振り向けられるのだろう。もちろん、失言ではあるけれど、36人が焼け死んだことについて、青葉被告は、運がなかった、と言ってしまった。https://mainichi.jp/articles/20231206/k00/00m/040/333000c実感、がなかった事件だと思う。ガソリンを撒くとき、火をつけるときの手ざわ...

  • 運がよかっただけ ―― 23/xx

    >幸運は、つまり、運と努力の積集合。運と努力が重なる部分。その配分は自分で変えることができる。誰にも確かめようがないことなので、運が50%、努力も50%と均等に重ねても、運が10%、努力を90%に割り振ってもいい。自分は運がいい、と思いたいのなら、運に90%を割り当てればいいし、努力が報われた、と思いたいのなら、思いたいだけ、努力に寄せればいい。...

  • 運がよかっただけ ―― 22/xx

    >例えば、青葉被告なら、>誰かを悪者にしなければ不都合を理解できない性格だから、>京アニが悪いのは死んでも揺るがないだろう。でも、それをやっていると、世の中は悪いことで埋め尽くされて、嫌いな他人の、醜い行為ばかりが増えて行きそうだ。自分以外は、みんな愚かにも思えてくるのだろう。そんなのは、幸運な考え方でも、幸福な生き方でもないみたいだ。...

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