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2013/08/16

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  • 7月14日(月)曇りときどき晴れ。

    台風五号が千葉県沖を通過中。そのせいでお天気が変わりやすい。晴れ間をねらって洗濯物を干したが、すぐに、「お父さん、雨だよ」大慌ての一日でした。備蓄米ひとつ欲しくて、あちこちかけまわる。ようやくドンキでひとつ購入。ほっと一息。良く洗い、水を少し多めにすれば、美味しくいただける。ほかの銘柄は税込み四千円は下らない。今年はどこの農家も米作りに力を入れている。乞うご期待。何を隠そう、うちも兼業農家。いつでも米作りができるよう、田んぼを保全する手に力がこもる。七十代後半。若い時のようには体を動かせない。けれども最後のご奉公とばかりに尽力している。若返りの薬とやらが欲しいところだ。タウリンの多い飲みものが必須。かつ丼やうな丼で猛暑をのりきりたい。7月14日(月)曇りときどき晴れ。

  • 梅の実に恵まれました。

    二年ぶりに梅の木がたわわに実をつけたので、この十日ほど忙しかった。「忙しくて、漬けている暇がないわ」「ああ、そうなんだね」悔しさをこころのうちに秘めた。うちの山の神さまに、「どうする。ひろってこようか」そう問いかけた際の返事であった。昭和三十年代に子ども時代をすごした者としては、梅の実が摘んでくださいとばかりにぼとぼと音立てて地面に落ちるのを座して見過ごせないのである。他人さまはいかがお考えだろう。そう思い、むかし昔、うちの塾に来てくださっていたご家庭を訪問。「もしもごいり用でしたら」と問いかけてみた。結果は、二件中二件とも、「お願いします」とのことで、一俵あまりの実をむだにしないで済んだ。その旨を、正直に、家内に告げると、「そんなあ……、だったらやっぱり欲しいわ。暇を見つけて漬けてみる」(これ以上身体に...梅の実に恵まれました。

  • 六月十九日(木)快晴

    こんにちは。ブロ友のみなさま。この暑さで梅雨の晴れ間?そんな疑問がわいてきますね。わたしなど野良に出ますので、大弱りですよ。一年で紫外線がもっとも強いのがこの時期。うすいカッターシャツを着て一時間もあぜの草刈りをしていると肌がひりひりします。畑で草むしりをしていたお年寄りの方が幾人かお亡くなりに……。スポーツドリンクが必須です。自分のからだであっても、いちばん身近な自然。それをうまくコントロールするのはむずかしい。そう心得て、くれぐれも無理のなきようにこの時期、過ごしたいものです。どうぞお元気で。またお会いしましょう。六月十九日(木)快晴

  • 老いも若きも……。

    狭い国土である。島国のせいか、むかしから一致団結しやすかった。もっとも先ごろは、若い外国の方を見かけることが多くなった。ふいに狭い露地から、わらわらと自転車に乗って登場されるから、びっくりする。互いに談笑されるのだが、こちらは、それがまったく理解できない。ともあれ、言葉も風習もことなるところで、職を見つけ、なんとか暮らしておられる若い人たちにエールを送りたい。自分だったらどうだったろう。異国で……。彼らと同じ境遇になっていたら、と考えてしまう。市当局に要望したいこと。彼らとの接点を、たまに設けてはいかがでしょう。互いの違いを認め合う良い機会となる。細かいところまで知るにはおよばない。言葉が通じなくても、人間同士、わかりあえることがある。「まあ、なんとかなるでしょう」こういった態度がいちばんいけないように感...老いも若きも……。

  • なんともはや……。

    テレビをみた。小学生がけがをして、路上にうずくまっている。足から血が出ていて……。近くに黒っぽいワゴン。男がふたり出て来て、事故に気づいて集まって来た人々になにやら言っている。しばらくして、ふたりは、その場を立ち去った。なんとまあ……、嘆息せざるをえない。「弱い人をねらった」八十歳代の女性が鋭利な刃物で襲われた。犯人がなんと中学生男子だった。それ以上観ていられず、わたしはテレビのスイッチを切ってしまった。彼女がなんとか一命をとりとめてくださればと願うことしかできなかった。フィッシング詐欺やら、他人の口座を使い、株の売買をくりかえしたり……。なんともぞっとするような人間社会である。これがこんにちただ今の我々のものだと、認めたくはない。目を世界にふり向けても、あちらでもこちらでもドンパチやっている。いつだって...なんともはや……。

  • 陽ざしが強いでした。

    二時間ほど野良仕事をしました。一尺ほどにのびた雑草あいてに、草刈り機を右に左にふるいました。所要時間は二時間ばかり。体をいたわりながらの作業であるのは言うまでもありません。手術後、二か月近い。もうそろそろ落ち着いてもいい時期でした。おそるおそるシャツをめくり、傷口の状態を確かめましたが、これといった変化がない。執刀してくださったお医者さま初め、ご心配をおかけした皆々様にお礼申し上げます。ひらりひらりと空から黒いお客さま。ふたりして舞い降り、少しはなれたところで何やらついばんでいる。かれらは決して、野良にいるわたしを見逃がすことはありません。「次回は、土を掘り返すことにするから、楽しみにしていておくれ」そっと、彼らに告げたことでした。都会では黒い鳥が人の頭をつつくことがあるそうで、驚いています。まがまがしい...陽ざしが強いでした。

  • 五月十日(土)曇りのち晴れ。

    わたしのブログ人生も、曇りのち晴れとなりますやら……。たった今。はてなブログさんに、引っ越しを済ませました。永らくお付き合いくださったみなさまに感謝申し上げるとともに、よろしければ「K先生の気のまま日記」を訪ねてくださればと思っている次第です。ここGooブログさんでは、この秋口まで折に触れ、日記やら随筆やらを書かせていただこうと思っています。五月十日(土)曇りのち晴れ。

  • 5月8日(木)晴れ。

    こんばんは、ブロ友のみなさま。連休が明けましたね。温かかったり、寒かったり。ずっと不陽気なお天気でした。おからだの調子、いかがでしょう。老いた体にこたえましたよ。私など、この二月に体調を崩して以来、お医者さまのやっかいになってばかり。でも、大した病でなく、入院したとしても、一泊二日程度のもので済みました。「なんだ、それくらいでうちに帰って来られたんだ」十歳くらい年上の、おとなりの男の方に笑われてしまいました。その方はもっと大きな手術を受け、一カ月にも及ぶ入院を強いられたようです。人生五十年。まあ、それくらいが、むかしも今も、人間、どこも具合が悪くなく暮らしていけるのでしょう。このところ、なぜかとみに、暮らしづらくなったように思います。できるだけ、善く生きたい。そう考えているものにとってはですね。まことに生...5月8日(木)晴れ。

  • 5月2日(金)風雨つよし。

    台風を思わせる、この日の空もようでしたね。春は残酷な季節だ。英国詩人のひと言を思いだしました。と同時に、「七十を過ぎたら、何があってもしかたがないんですよ」そんな医師の言葉をも思い起こしてしまい、(おらもそんな歳になったんだな。用心用心)折からの寒さに、からだが冷えてきて困りました。ブロ友のみなさま。どうぞお元気で。5月2日(金)風雨つよし。

  • 何が起きるや……。

    こんにちは。ブロ友のみなさま。突然のことでびっくりぎょうてん。世の中、一寸先は闇。それがよくわかりました。このブログサービス。終わるんですね。長年お世話になりました。Gooのスタッフのみなさま。ありがとうございました。ブロ友のみなさま。いつかまた、どこかでお会いできることを楽しみにしています。おっと、それはまだ先のこと。ヤフーさんが、以前、ブログサービスを終了なさったことを思い出しました。どこへ引っ越そうか。悪戦苦闘の日々でした。うまくほかのブログに移すことができなくて不愉快な想いをしたことです。記事がばらばらの状態で…とほほほ。ブロ友さまの記事や画像のかずかずがどこかであざやかによみがえることを祈ります。何が起きるや……。

  • 夕顔だより。 (1)

    こんにちは、ブロ友のみなさん。さっきまで空をおおっていた雲がまばらになり始め、陽ざしがさしこんで来て、暗かった山あいが急に明るくなりました。きのうの雨の降り方といったら、びっくりするほどでしたもの。夕顔パークのビニルハウスの天井のあちこちから、ぽとりぽとりとしずくが落ちてくるほどでした。「雨降りのうえに、気温13度と肌寒いのに、カラオケやってきたの?」そんな声がとどいてくるようですね。「はい、行ってきました」それが答えです。ひと月前くらいの、冬支度で行ってまいりました。朝十時半。さすがに、朝は、人の出足がわるく、受付係りの方がふたりばかりいるだけでした。お昼を過ぎても、大して、人が集まらず、「きょうはカラオケ練習に最高だね、よおし、いっぱい唄うぞ」と、カラオケの友だちと笑顔でおしゃべりしていました。わたし...夕顔だより。(1)

  • めずらしく晴れました。

    これはおととい、4月5日のお天気のことです。そよそよと吹く風にさそわれ、近くの観光名所をひとめぐりしました。いずれも、お花見を楽しもうとする人々でにぎわっていました。でも、年月に裏打ちされた、というか、歴史あるところとそうでないところ。その差は歴然でしたね。例えばしばしば、わたしがカラオケでの唄を楽しませていただいている下野市Y公園内の施設。なんとビニルハウスで、田舎情緒たっぷりといったところ。それは姿川の土手わきにあり、連日、演歌唄いのお年寄りたちでにぎわう。土手の両脇には菜の花が群生していて、その中を散歩コースが貫いています。橋を挟んだ北側の土手には、桜の木が等間隔で植えられていて、どれも同じ時期に苗木を植えられたおかげで、花もいっせいに開きます。それはそれは見事なもの。このたび、夕方から夜間にかけて...めずらしく晴れました。

  • 四月一日(火)雨

    こんにちは。なたね梅雨とでも申しましょうか。うっとおしい日がつづきます。きょうはエイプリル・フールですね。どんなフェイクというか嘘をついたら、ブロ友のみなさんがしあわせな気分になられるかな。そんなことを考えてしまいました。もちろん、ただ単なる読者さま、ネットサーファーの方々もOKです。消費税がゼロになった。国内国外を問わず、世界中いたるところから、もめごとや争いがなくなった。八十前のGGが考えられる嘘といったら、この程度のものです。みなさまはいかがでしょう。現実はきびしいものですがね。わたしはお人良しでうっかりやさんですので、しばらく前、フィッシング詐欺にひっかかってしまい、おいおい泣きました。みなさんも気をつけてください。この世間はまるで嘘だらけの世界のように見えますが……。人々がますます元気になる。す...四月一日(火)雨

  • 米とともに生きて。 (2)

    一番初めにわたしのこころのスクリーンに登場するのは、若き日の母の姿です。わたしは五歳くらいだったでしょう。母はわたしの目からは後ろ向き、お風呂で使うくらいの高さの腰掛にすわって、何やらジャブジャブ音立ててやっています。はいているのは、モンペでした。わたしはほかのことに夢中。母が何をやっているかなど、まったく興味がありませんでした。苗間の水口から流れ込んでくる水を、一心に見つめていました。いったい、何が目当てでそんなふうにしていたのでしょうね。「気をつけるんやで。苗間でおぼれるようなことになったらあかんよ」母のやさしい声が、ときどき、わたしの耳に届きます。「いたあ。石亀さんの赤ちゃんだ」ひとつひとつつかんでは、バケツに入れていきました。わたしの嬌声に、母がふりむいて、にこりと笑いました。母だけではありません...米とともに生きて。(2)

  • 三月二十二日(土)晴れ。

    久しぶりに、墓地につづく坂道をのぼる。風がひんやりしている。鳥の声がしたので、あっ、ひょっとしたらと思い、耳傾けた。ちょっとかすれ気味。(鳥でも風邪をひくのだろうか)だが、そんな心配はすぐに解消した。春告げ鳥である。季節をあやまたず、けなげにさえずろうとする姿に感動してしまう。いつもはこれほど気持ちを動かさないのにと、自分のこころの動きに驚く。ここ半月あまり体調がすぐれず、ほんの数日前、医師の手をわずらわせてしまったからである。ふたたびのopeだった。さいわいにも一泊二日の入院で済んだ。「お歳を召しておられるので、治療のさなかに、何がおきるやしれません」そう言われたのが、こたえた。いつの間にやら、喜寿となった身。今朝は花冷え。まわりの風景が、まるで、初めて目にするごとく映る。心を新たに、これからの人生を送...三月二十二日(土)晴れ。

  • 米とともに生きて。 (1)

    「米がとっても高くてね。困ったわ。年金暮らしだし、収入はきまってるし。しょうがないからパンやうどんにスパゲッティ、ああそうそう、それから、すいとんなんてご存じかしら。若い方はわからないでしょうね」ある年老いた婦人の嘆きです。「米だけじゃないぞ。電気代に水道代。なんだって値段が上がってる。おれたち年寄りはどうやって生きて行けばいいんだろ」もうひとりの老人がこう応える。ちょっと前は十キロで四千円くらいだった精米がなんと二倍にも値が上がりましたね。昨年の「令和の米騒動」以来、ほんとうに庶民の生活が苦しくなりました。一方では、マスメディアがテレビニュースなどで盛んに危機意識をあおる。「ウクライナとロシアの戦いを見なさい。たくさんの人が傷ついたり命を落としたりしている」「日本ひとりだけが、もはや平安ではいられない。...米とともに生きて。(1)

  • 二月二十三日(日)晴れたり曇ったり。

    こんばんは、ブロ友のみなさん。そちらのお天気はいかがでしょう。こちら、きょうは一日中風が強かったですよ。とても寒くてね。さすがの私も、外出するのが億劫になるほどでした。でもね。午前中、日帰り温泉につかったり、帰りがけに町の図書館に立ち寄ったりしましたけれどね。♨はいいですね。北関東T県には、火山帯が走っているせいか、あちこちから温泉が湧き出るのです。いきづまっている物語をなんとかして展開したいと思っているところ。このところ、いい知恵が浮かばずやきもきしています。アルキメデスさんが王様に言いつけられた課題。あれは何だったでしょうね。確か、ゴールドにかかわる難題だったと記憶していますが。それをクリアされたのも、温泉につかっていた時らしいですね。彼に見習おうっと思ったのですがね。もちろん、天才肌の彼と同じように...二月二十三日(日)晴れたり曇ったり。

  • 2月11日(火)晴れ

    こんばんは、ブロ友のみなさん。睦月から如月へ。暦が変わったとたん、とんでもない寒さにおそわれてしまい、わたしの身体はただただうちふるえていました。みなさまはいかがでしたか。お変わりないことを祈るばかりです。でもね。今日あたりはようやく厳しい寒さが去ったようで、車で岩船まで外出しました。ご存じない方がいらっしゃるでしょうし、少しお話しさせていただきます。佐野市の外れに、舟のごとき形をした山があります。わたしとしては、舟ではなく、動物のサイを思い出させる岩山です。このあたりは心理学者に訊いてみたいところです。同じものを見ても、人によって判断が違う。実に興味深いことです。栃木県には、人さまの願いを聞き入れてくださりそうな場所がふたつ。ひとつは那須烏山の龍門の滝。もうひとつは、ここ、岩船のお地蔵様です。何か願い事...2月11日(火)晴れ

  • 一月三十一日(金)晴れ。

    昼間、車中にいると、暖かい。陽ざしが徐々に春めいてくるのがしれて嬉しい。しかしいったん外に出ると、風がつめたい。この時期、特有のお天気である。ドライブが好きで、しばしば車を走らせる。男体山に女峰、それに茶臼のある那須岳。それらはいまだ雪におおわれ、遠目には美しい。だが、近寄れば近寄るほど、自然の厳しさが知れて驚かされる。谷間に足を踏み入れようものなら、お天気が一変。谷間は灰色の雲におおわれ、パラパラ雪が舞い散ってくる。ところどころで、栃木は熱いお湯がわく。こんなお天気の中でも、温泉客が絶えない。雪見酒としゃれこんだりと、それなりのだいご味があるのだろう。このところ不安が増した。すわっ、道路陥没。数日前、埼玉の八潮で起きたようなことが、目前で起きたらと思うと、そら恐ろしい。もっともわたしが住むところは、田舎...一月三十一日(金)晴れ。

  • 正月26日(日)晴れのち曇り

    日差しに季節の移り変わりが感じられるようになりましたね。車に乗っているとそのことが顕著で、眩しいやらあったかいやら。おまけに、わたしのからだも、なんだか変な具合。頭が重い。さては、くしゃみ、鼻水の時期が迫っているってことだろか。春は残酷な季節だ。英国の詩人のことばを思いだした。日光街道。道の両側につらなる樹齢400年あまりの大杉の群れ。それらの葉が徐々に茶に変色して来ているのを、一種哀感の念を持って、眺めている自分がいるのに気づく。発症以来、今年でどれくらいの月日が流れ去っただろう。花粉症になったのは確か昭和54年の春あたりだった。「はくしょん大魔王が来たわ」アサヤ塾の講師として、二十年勤めた。今は亡き麻屋先生の奥様に、そう指摘されたのを、きのうのことのように思い出す。一番につらかったのは、運転中にくしゃ...正月26日(日)晴れのち曇り

  • いつの間にか、日の入りが……。

    こんばんは、ブロ友のみなさん。いかがお過ごしでしょう。わたしは巳年が穏やかに始まり、ほっとしているところです。ここしばらく、ここ十年に及ぶ拙作の原稿に手を入れていて、こちらに記事を投稿する暇がありませんでした。お許しください。八十まじか。あちらこちらと、このところ、体調が軽微にくずれかかってきてしまい、あわてているところです。夜中にぐっすり眠れない。ふとんの中であったまると、かゆくなる。なにくそっ、これっくらい、負けるものか。そう思い、皮膚科でいただいたクリームを紅っぽくなった部分に、まんべんなく塗りつづける日々です。「飲み薬をご所望なら、告げてください」しかし、この歳では、そんなたぐいの薬をなるたけのみたくありません。ものによっては、眠くなったりで、あまりに長く服用すると、身体が変わってしまう。むかし、...いつの間にか、日の入りが……。

  • 正月9日(木)晴れ

    この朝、とても寒かった。正月気分がようやくぬけたが、なかなか元に戻りそうにない。霜ばしらが庭の隅に作った畑に、久しぶりに立った。二日前は大雨だったから、からだに応えてしまう。ついつい着ぶくれてしまう。「じいじって、雪だるまみたいね」今から小学校よ、と、ピンクのランドセルを背負った孫娘の笑いをさそった。最近なぜか、あまり笑わなくなった。学校へ行き始まったし、小さいながらもそれなりの社会生活。いろいろとつらいことがあるんだろう。気をもんてしまう。おらの小さいころは、と、お決まりの文句が口から出てしまいそうになるのを、かろうじて堪えた。彼女のあとを追うようにして、田舎町の大通りを車で走る。幾つもない十字路のひとつ。見守り隊の人たちが大勢でて、小旗をふりふり登校の子らを導いてくださっていた。ありがたいことである。正月9日(木)晴れ

  • 令和七年正月二日(木)晴れ。

    早朝からあたふたしてしまった。PC具合が……。インターネットがつながらない。すわっ、ウイルスにやられた。そう思い、今の今まで気が気でなかった。苦しいときの神頼み。大前神社に初詣で。必死に願うは、「どうかPCがセーフでありますように」恵比須さまが願いを聞き入れてくださった。こうやって文章を打てるしあわせ。それを再びあじわっている。ありがとうございます。大声で叫びだしたい衝動にかられる。みなさんも、フィッシング詐欺やらなにやらめったに目にしたことのない画像。それらをクリックすることのないように。どうぞスルーされますように。今年もよろしく願います。どなたかは知りません。わたしを助けてくださった方々。Gooブログのスタッフのみなさんに。「ありがとう」の言葉を送ります。令和七年正月二日(木)晴れ。

  • 令和六年 大晦日。快晴

    あまりに寒いので、寝坊してしまった。午前八時過ぎ。いそいで仏壇にお茶をあげ、南向きの廊下に置いてあった椅子にこしかけた。湯気の立った湯飲み茶わんのふちに、いい加減白いのがまじった無精ひげだらけの唇をちかづける。ひと口すすり、「ああ美味じゃ」と小さく、感嘆の声をあげた。この茶葉はある農協の商品。実はこのところ夏向きの麦茶のパックで、ご先祖さまをあざむいていた。しかたがない。むこ様の稼ぎがなかった。おらはもっぱら野良仕事に明け暮れた。人さまに頼むと、金がかかる。かみさんの内職程度の実入りしかなく、うちの経済が悪化の一途をたどっていた。それでも、せめてもの正月料理をとかみさんが言う。ゆうべは遅くまで、おせちの一部なりともそろえようとあちこちの店に出向いた。ご存じのように、おらは涙もろい。もろくなったというべきか...令和六年大晦日。快晴

  • 12月24日(水)晴れのち曇り

    佐野に用があったので午前9時ごろ出かける。このところ、お年寄りマークを付けている。途中、行き合う人いやもとえ、車がやけに急いでいる。若い女の方にも、わりとスピードを出す方がおられる。どうしてだろうと考えてしまう。車に乗ったら、人が変わったようになってしまう方がおられるのかもしれない。こちらまでせかせかしてしまい、アクセルをぐんと踏みたくなってしまう。だが、我慢する。ゆったりした気分で円滑安全に運転しようというこちらの気持ちが、そがれてしまうのがつらい。出発して数分後、ふと気が付くと、バックミラーに、ダンプカーの姿が映った。次第に近づいてくる。どんどん大きくなるダンプの姿に圧倒される。(ひょっとして、ぶつけられでもしたら…)そんな恐怖にわたしのこころが支配される。40キロの速度制限。少しばかり速く走っていた...12月24日(水)晴れのち曇り

  • 他人の街で。

    ひとたび田舎を出て、宇都宮にでると、道に迷うばかりでなく、人に迷うことが多い。この街は人口およそ五十万。全国的にも住みやすさでは群を抜く。この日、県の施設であるマロニエプラザに用があった。県道一号線と国道四号が交わる四つ角を北へ少しばかり進んだあたり。そうインターネットが教えてくれていた。一度しか訪ねたことのないところであるので、早めに家を出た。ちなみに愛車にナビは付いていない。その言い方は、実は正確ではない。というのは……。いつだったろう。自動で洗車していて、車の屋根に付いていたアンテナをダメにしてしまっていた。折りたたんでおけば良かったと悔やんだが、無駄だった。時計が利かない。好きなCDもむり。ラジオも……。ナイナイづくしで、しめて二十万近い値打ちものが、一瞬でゼロになった。ブロ友のみなさんにおかれて...他人の街で。

  • 小さな手を振り。

    「おじちゃん」ふいに金属がこすれあうような声が聞こえて、くぴをまわす。ここは、壬生の郊外。姿川のほとり。カラオケハウスから用を足そうと、ひょいと外に出たばかりだった。年端もいかぬ女の子。三歳くらいに違いない。ブランコから滑り台に向け、しやにむにかけている。私はなぜかうれしくて、胸が熱くなった。幼な子である。大した考えがあって呼びかけたわけじゃない。ちょっとしたハプニング。こころがぐいと驚かされた。今でもこんなふうに感じられるんた。そう感激した次第である。年老いるとえてして考えが後ろ向きになる。若い時のごとく前へ前へと進んでいくような考え方ができないのは仕方がない。いつの頃からだろう。しばしば外出し、キョロキョロと辺りを見まわすことがひんぱんになった。何を求めている?そう自分に問いかけてみる。すると、うちな...小さな手を振り。

  • まことに心細い。

    いよいよ師走。いま、近隣の市街地まで、ドライブしてきたが、その間いくどか、パトカーに行きあった。年末年始の警戒にあたっておられるのだが、お巡りするのにも、例年よりきっと、周りに対する気遣いがいることと思う。近ごろ社会不安が増大した。例えば盗み。昔は、こっそり家に忍び入り。そんなやり方はもう流行らないようだ。なにがなんでも金目のものを、むりやり奪っていく。狙われるのは、主に高齢者だ。殴ったり、蹴ったり。縛ったり。やりたい放題である。こんないい方は、誤解を生んでしまい、批判を受けるかも知れぬ。米国なみになった。そういうことだ。どうしてこうなったか。さまざまに取り沙汰されるが、原因は一様ではない。とにかく自分の身は、自分で守る。それに尽きる。わたしも後期高齢者のひとり。護身用のピストルを持つことはできぬゆえ、な...まことに心細い。

  • 変身。 (3)

    からだを何かとても重いものに押さえつけられてるようだ。やたらと息苦しい。口を開け、長い舌を出してないと、空気のとおりがうまいぐあいに保てない。あやうく意識を失いそうになる寸前、やっとのことで、おれのからだが軽くなった。あわててするりと、ふかふかしてあったかいふとんに心を残したまま、抜け出す。顔を上げ、あたりを観た。夜どおし、となりにいたらしい図体の大きい生き物が、ついと起き上がったらしい。(あれは何だろ?)飼い猫のクロじゃない。第一、にゃんこちゃんの姿をしていない。ヒトらしいけど、いま一つおぼえがないのが、なんとなく悔しい気がする。髪の毛はぼっちゃん狩り。肌着らしく首のところから足もとまで、ずうっと白づくめだ。こしの辺りがもぞもぞしている。どうやらおっしこに行くらしい。そろりそろりと歩き、となりの広々とし...変身。(3)

  • 11月18日(火)晴れ

    六時に目が覚める。寒い。北風が吹きぬける庭先にでてみると、手洗い場においた洗面器の水が薄く凍っていた。久しぶりに野良に出て、荒れ果てた田畑の面倒をみようと思う。改良区とやらで、ほかの田んぼのほとんどは稲作、この夏の猛暑にかかわらずよく実ったのが嬉しい。しかし……、コメの在庫が少なかったらしい。値が上がりに上がった。今や、庶民には値が高くて、なかなか口に入らない。こしひかり十キロで三千円ほどだった相場が二倍あまりに急騰したのには恐れ入った。「米を作ればいいのに」親せきの者がぶつぶつ言っていたようだが、こちらの内情を知らぬのだから、仕方ないことである。「作りたいのはやまやまですが」と、返したい。この年も天候不順だった。とりわけ四十度近い夏の暑さには閉口した。野良仕事をやるにはやった。なりものは、じゃがいもを筆...11月18日(火)晴れ

  • 変身。 (2)

    今にも飛んで来そうな母親の怒りの鉄拳におびえる息子は、両手で頭を抱えた。からだをくの字に折り曲げ、身をかたくした。彼女はやんわりとした口調に変え、「あたまどづいたらアホになるさかい。やめや……、まあ、そこで日がな一日いたらええわ。ああそうやそうや、お母ちゃん、ええこと思いついたわ。担任の先生に、うちの息子休みますって、電話連絡せんとこ……」思わず息子はからだを震わせた。顔が青ざめるのが、自分でもわかった。「ええ……、そんなんかなん。ほんまにおなかとちゃう、頭いたいんや。電話してな。そんなことしたら、ずっと、学校行けんようになってしまうやんか」「ふふんだ。ほら、こまるやろ。ざまをみなさいって。おまえの勝手や。行かんかったら行かんでええ。おまえの人生や。もう小学校のおちびちゃんやあらへんのやろ?自分で責任とる...変身。(2)

  • 11月8日(金)晴れ。

    あとふた月もすれば、また一年歳をとる。喜ぶべきことか、それとも悲しむべきなことなのか。おそらく、長生きできたと喜ぶべきなのだろう。人も動物である。年老いて、あちこちガタが来る。今年はそのことを痛みをともなって、感じたことであった。おなかを少しだけ横に切らざるをえなくて、まな板の鯉と同じ心の状態に置かれた。麻酔注射の針で、背骨辺りを、ふかく穿たれ、あやうく、ぎゃっと叫びそうになった。「オペじゃないと、この病は治らないのですから」お医者さまのひと言に、「おまかせします」首を縦に振らざるをえなかった。まことにいい勉強になった。人は何があっても、生きるべし。前向きにすすむように、インプットされている。わたしよりずっと若くして病や事故でしかたなく鬼籍に入った友が数多い。あの人も、かの人もと、時折、思い出しては、亡き...11月8日(金)晴れ。

  • 11月3日(日)晴れ。

    きのう二日は、あいにくの雨だった。しかし、近ごろのうつうとした気分を少しなりとも晴らしてみたい。思いきって、車で外出した。久しぶりにカラオケでもと、行きなれている下野市姿川のほとりのビニルハウスへ。だいたい十一時に着いた。これくらいの時刻に来ると、けっこう空きがある。ふたつやみっつ歌えれば、御の字だと思い直売所うらのハウスへ向かう。受付の女の方に、「きょうはカラオケはどうですか。営業なさってますか」と訊く。はいの返事を聞いてほっとする。入場料は二百円。一枚一枚ていねいに縦ひとすじの穴に差し入れた。戸外に通じるドアをざっと開けると、雨の音にまじって、誰かの野太い歌声が耳に入った。傘をささずに走ろうと思ったが、年老いた身、風邪でもひいたらと、傘のほねがいくつか折れ、きわめてあつかいにくくなってしまった古傘の心...11月3日(日)晴れ。

  • 変身。 (1)

    「いつまでも、あいつめ、奥の間で何しとるんやろ、また……」土間で掃きそうじをしていた四十がらみの女が小声でそうつぶやき、唇をかんだ。右手にもった小ぶりのほうきは動かしたままで、家事仕事がしやすいのか、あちこち布切れでつぎはぎした草色のモンペをはいている。お勝手の引き戸は開け放ったままだ。七輪で焼いている川魚が、もうもうと煙を上げている。外からもろに、家の中が観えないよう、引き戸の上から暖簾がかかる。彼女はそれを引き上げては、ときどき戸外の通路を見やる動作をくりかえした。家は玄関が南向きの造作で、訪問客があれば、すぐに見つけられた。畑に植えた柿の葉が雨にぬれている。ゆうべから降っているらしく、さつまいもの葉っぱばかりでない。辺り一面、乾いたところはどこにも見られない。梅雨入りまじかだ。門扉のわきに植えたエニ...変身。(1)

  • われに恩師ありき。 (1)

    長年生かせていただいていると、実にさまざまな憂き目にあう。若い頃より恩師としてあがめた方が、ふいに身まかられた。この月の十九日のことだ。(先生も昭和八年うまれ。すでに九十才を超えられたのだからこの先何があるやもしれぬ。その時は決して驚いたりあわてたりするまい)それまではこころの底で、そう思っていた。しかし、実際にぐいとその事実を突きつけられると、あっけなかった。わたしの思いなどいとも簡単に突き破られた。「わたしの夫がなくなりました。あなた様には大変お世話になりました。葬儀の日程は…」呼び出し音四回のあとで、そう、留守電にしたためられた、恩師の奥様の言葉。丁重に話されてはいるが、感情があらわにならぬよう、必死に理性で抑え込んでおられる。電話口でわっと嘆き悲しまれる以上に、彼女の想いがひしひしと伝わってきた。...われに恩師ありき。(1)

  • わっとか、あれっとか……。

    「生まれてくれてありがとう」両腕でしっかりと体を抱えながら、わたしは縁のできた幼子に声をかけつづけた。どれくらい経ったろう。いく度目かの来訪のとき、彼女のまなざしが実に活き活きとしているのに気づいた。わたしの発する音声に意味は見いだせないだろう。だが、しっかりと聴き入っている様子。彼女の小さな頭の中で、何がどんなふうに動いているか知れない。可愛さの増したつぶらな瞳に出会ったとき「この子はおしゃべりするのが早いぞ」と思った。何事によらず、人はわっとかあっとか、びっくりするべし。以来、わたしはそう思うようになった。それがもっとも大切じゃなかろうか。そんな感情をともなわないところでは、目の前の対象を、しっかりと究明しようとする意気込みが出てこないのではあるまいか。たとえば我が家の農業課題。土の日が近づくばかりの...わっとか、あれっとか……。

  • 土に生きる。

    こんにちは。ブロ友のみなさま。この日は久しぶりに暑かったですね。まるで夏の名残のようで、このところの草刈りによる身体の疲れか、ベッドに横たわったらいつのまにか寝入ってしまい、ふと目覚めたら、おやつの時間になっていました。寝ぼけまなこで、野良に出かける用意をしようと階段を降りていく。考えだって定まらない。ええっとどこまで野良仕事をやっていたんだろう。あまりの稗(ひえ)の多さに、心底、どうしていのやらわからない。それが本当のところ。田んぼを観に行くたびに、イノシシがけもの道を作っては、ぐるぐると走り回っている様子。どうやら、嬉しがって、稗を食しているらしいことが知れる。それならそれで、彼らに食べたいだけ食べさせて、冬場に枯れた稲を燃してしまうのが、ベターと思ったことでした。のみ、しらみ、馬のしとする枕もとどな...土に生きる。

  • 十月七日(月)くもり

    このあたり、きのう、おとといと神社のお祭りでした。秋の風物詩ですね。ああ、それとね。「十三夜」が、今月十五日です。まだまだ昔からの習わしが残っています。その日は小学生たちは、教室で授業を受けていても、わらでっぽうのイベントが気がかり。どれくらいのお小遣いになるかな。わくわくどきどきです。学校がひけ、家に帰ると、さっそく持つものを持って公民館前にあつまります。それまでに、お年寄りの先生に、作り方をおそわりながら、必死に、わらを細工し、地面をたたくものを作りました。次は、面倒をみて下さる、育成会の大人の方の指示を待って、さあ出発となります。お行儀よくぞろぞろと、各家の玄関先までやってきては、「米よし、麦よし、大豆も小豆もよく当たれ」かん高い声で唄います。「ほら、やっとくれ」家の主人の言葉が合図です。その言葉を...十月七日(月)くもり

  • 十月三日(木)くもり

    こんにちは、ブロ友のみなさま。ご心配をおかけしていて、申し訳ありません。私はいたって元気にしておりますので、ご安心くださいね。朝早く起きて、野良に出かけようって気持ちになるのですもの……。「神さま、ありがとうございます」毎朝そう念じています。体調がわるければ、ベッドに一日、ふせっているしかありませんよね。いま、野良仕事でいちばんの悩みの種は、うちの一番広い田んぼ一面にひえがはびこっていることです。粟とか、ひえ。そのひえ(稗)のことです。わたしの若い頃の塾生に、稗田という生徒さんがいました。今は米が主食。昭和の三十年代には、けっこう、大麦や小麦の生産が盛んでした。小麦粉で作った母さんの手料理。それらを目の前にして、子どもが生唾をのみこんだ時代でした。食糧事情がとてもわるかった。現在のように、お店に行けば、な...十月三日(木)くもり

  • 九月二十九日(日)くもり

    六時に起きて、庭先の縁台にすわった。突然わたしが歩いてきたのに驚いたのだろう。小さな茶色のかえるがぴょんぴょんはねた。家の裏が水田。春から夏にかけ、おたまじゃくしがすいぶんと泳いでいた。かれらが今では成長し大人になったのだ。かように田舎は生き物が豊富で、朝から晩までにぎやかなものである。稲の穂がこうべを深く垂れ、稲刈りを催促している。ちょっと危険な田んぼ。猪よけの電気柵がまわりをかこんでいる。それでもかまわず、モミ食べたさに、果敢にイノシシがつっこんでいるらしい。あちこちで、電線が垂れ下がっている。空はいまだ曇っていて、そよとした風もなし。とても涼しい。ゆうべは音立てて雨が降っていた。ひと雨ごとに秋がしのびよってくる気配あり。きのうは壬生のおもちゃの街をたずねた。大きな園芸店で、塾ののぼりを物色したが、お...九月二十九日(日)くもり

  • せっせと草刈り。 (4)

    一日休んで、きょうは草刈り。そう思い、起きがけにグラス一杯の水を飲もうと台所に行った。ここ二十数年来の習慣である。これから動くぞ。そう、おのれの体にいいふくめることが出来るらしい。寝起きの、まして高齢者の身体である。せかせかと動くと、ちょっとした危険がともなうからである。野良着にきがえ、「田んぼに行くよ」と声をかけた。しかし、連れ合いは、見あたらない。「気をつけて」ようやく返事が耳にとどいた。玄関から向かいのガレージに向かった。鎌と砥石、それから一般ごみの入った袋を一輪車にのっける必要があった。両手でハンドルを持ち、一歩二歩と歩き出したが、いかんせん、からだが重い。「ちょっと体の調子がわるい」「きょうは休むといいよ。その年までがんばったんだから。あとは無理しないこと」「ああ……」わたしはばたばたと野良着を...せっせと草刈り。(4)

  • せっせと草刈り。 (3)

    九月十七日(火)くもりのち晴れ朝方はとても涼しかった。気温をみると、なんと摂氏23度。空は灰色の雲におおわれていて、お日さまが顔を出す気配がまったくない。(こりゃあ、一日、楽勝楽勝)すこぶる元気づき、自然と相好がくずれる。しかし、しかしである。午前十時を過ぎるころには、二階の屋根が白々としてきた。「あれれ、やっぱりだめでしょうか」おらは窓際に寄り、ひとりごちた。きのうは山の畑の小道の膝上二十センチくらいまでにのびた草を、幅二メートルにわたってせっせと刈った。二時間くらいついやして、きょうのからだはそのせいでけっこうくたびれている。「きょうはお休みにしてしまおう」と声に出し、ドサリとPCの前にすわった。ブログを、なんと、三つも四つも書かせていただいている。まことにありがたいことで、その日、その時の気分に応じ...せっせと草刈り。(3)

  • せっせと草刈り。 (2)

    九月十四日。曇りのち晴れ。きょうは草刈りはお休み。そんな気分でいるのが、わが愛しのからだはわかったのだろう。張りつめていた筋肉が、ふいにだらけた。どっと疲れが出てしまい、エアコンのきいた座敷のソウファで横になる始末。しばらくして、せがれが、「父さん、どなたかお見えになったよ」と、耳もとでささやくように言った。「ううん……」と言ったきり。わたしはすぐには起き上がれなかった。お客の用はせがれの応対で済んだらしく、それ以上しつこく起こしに来なかった。むにゃむにゃ寝言を放って、再び眠った。やけに首が痛むので、目が覚めた。頭をのせていたソウファの肘つき。それがあまりに高かったらしい。からだのねじがゆるんだら、あたまのねじまでしまりがなくなった。ひとつふたつと用を思い出す。中には、はっとするような急用があって、唇をか...せっせと草刈り。(2)

  • せっせと草刈り。 (1)

    九月十日。晴れ。この日は、草刈り。おおよそ二日か三日に一度と決めている。もちろん体調をおもんばかってのことだ。あと数年で喜寿。使いに使った身体だ。いつなんどきどんな変化がみられるやもしれぬ。母方の祖父が、脳卒中を発症したのは、彼が七十歳になる寸前のこと。昭和でいうと四十三年だった。わたしはその日、たまたま、勉学のために下宿していたY県T市から郷里に帰った。「なんやお前、誰もじいちゃんのこと、知らせへんのに。ほんま不思議なことがあるもんやな」知らせを聞いて、自分の生家にかけつけていたおふくろが彼女の姉とおしゃべりしている最中だった。わたしを見るなり、目を丸くした。「これってな、きっとムシの知らせっていうものやで」いっしょにいたおふくろの姉が、自信満々にそう言うと、「そうやなあ。じいちゃん、K夫のことが大好き...せっせと草刈り。(1)

  • せっせと草刈り。

    生まれて初めて、おなかにメスを入れた。ほんというと切りたくなかった。「親にもらったからだ。傷つけたくないですよ」大きな声で叫びたかったが、「オペしないと症状がおさまらないんですよ」とのお医者さまの返事。そけいヘルニア。外科的には軽いオペだといわれたが…。オペなど受けたことがない。まったく実感がわかなかった。オペ以来、常時、おなかに力が入らぬよう心がけている。あまりに重いものが持てない。ゴルフなどご法度である。むりすると、反対側のそけい部も脱腸をさそう恐れがあるらしい。左側だったから、リンパを外した。右側もヘルニアになってしまうと、足のむくみがひどいらしい。いとこが右側にヘルニアをわずらった。彼女の話を聞いて、良くわかった。人のからだはよくできたもの。そう実感する日々である。高齢者の七人にひとりがなるという...せっせと草刈り。

  • 残暑に、ひと言。

    九月六日。この日も暑い。残りの夏といったお天気なのだろうが、午後二時あたりで、気温が摂氏三十五度を記録しそうな勢いである。いま、二階の書斎にいて、この記事を書いている。首からひたいにかけて、たちまちのうちに汗ばんでくる。早くおわそうと思うが、暑さのせいで頭がぼんやり。書き終えるまでに、どれほどの時間がかかるか見当がつかない。パソコンのわきに、一冊の文庫本。「ベスト・エッセイ」著者は、今は亡き向田邦子さん。みなさん、よくご存じの直木賞作家。「渡る世間は鬼ばかり」テレビドラマで人気を博した。随筆や短編小説の名手でもある。わずかなりとも、向田さんの語り口を学べたらと思い、折に触れては読ませていただいている。しかし、書きものはやはり才能。何やかやと書き出して早や、十三年。ちょっぴり作文力がついたくらいでは、ものの...残暑に、ひと言。

  • ゆっくり、ゆっくり。

    今のモットーは、何事もゆっくりしたテンポでやること。おらは年老いたのだから。先日は高齢者講習を受けた。七十を過ぎると、三年に一度、この講習を受けることが義務づけられている。このごろ高齢者による交通事故が多い。厳しくされても仕方がない。高速道路で、逆走なんぞしたくありませんからね。とにかくね。この歳まで、よくぞ生きてこられたものだ。涙が一粒ぽろり。しんみりしてしまった。ありがたいやら…で、胸がジンとする。おらの課題は認知機能検査。事前に、少し、テストについての予備知識を得ようと、本屋さんで立ち読み。16枚の絵。4枚ずつ見せられる。それらがなんだったっけ?と、問われる。拝見してすぐなら、半分以上は憶えていられると思っていた。だが、そうは問屋が下ろさなかった。ちょっと経ってから鉛筆で解答用紙に記入するはめに……...ゆっくり、ゆっくり。

  • 盆の踊りに……。

    生まれつきにぎやかなことが好きなのだろう。私はもよりの公園で催される盆踊りに参加した。新型コロナがこのところ猛威をふるっていたから、実に六年ぶりの開催である。踊り始めが、午後七時。およそ一時間前に会場に到着していた。開会にはまだ間がある。あちこちぶらぶらしながら、見知った顔にでくわさないかと胸がわくわくした。会場まで歩いて片道十五分。病上がりだが、体調はいたって良く、しゃんしゃん歩けた。(自在に歩けることがこんなに嬉しく、しあわせに感じるなんて……)何だって、神さまのおはからい。つい最近、そう思うようになったのは、歳のせいばかりではないだろう。次第に空が暗くなり、黄昏となった。知り合いにお目にかかるチャンスはあきらめて、黒雲の動きばかりが気がかりになった。夕立の心配である。ときおり、北の山の上で稲妻が走っ...盆の踊りに……。

  • 仲間はずれ。 エピローグ

    気が強く、負けずらい。体調がいいときは、Mの伴侶のそんなところが前面にでて、聴衆がいかに多くても、ものおじしなかった。しかし、その時は違った。どことなくそわそわして、落ち着きがない。まるでけものの王者、タイガーをほうふつとさせるような目つきが消え、焦点の定まらないよわよわしい視線がただ中空をさまよっているだけだった。ひとりふたりとプレゼンを終えた人が、彼女のわきを通り、舞台から立ち去って行く。そのたびに、彼女は彼女らの背中をじっと見つめた。(わたし大丈夫かしら。じゅうにぶんに練習を積んだのに、どうしてか言い知れぬ不安がいや増してくる……)胸の辺りがやけにおもおもしい。まるで彼女が蓄積したものの上に、何か図体の重いものが尻をのせているようだった。「はい、次の方、どうぞ」歯切れのいい司会者の声が彼女の背を押し...仲間はずれ。エピローグ

  • 涼をもとめて。 (3)

    前にも書いたがとかく盆地は夏あつく冬さむい。ついのすみかになりそうな、関東の北部鹿沼の山あいから西に小一時間ほど車で行った佐野市もまわりが小高い山にかこまれているせいか、近ごろテレビのお天気番組によく出て来るようになった。ちょっと前は、もっと南寄り、埼玉の熊谷市が一位だった。次に群馬の舘林、そして佐野市と続いた。年々北へ北へと最高気温を記録する土地が移ってきた。これらの事象が何を意味するのか、浅学の私である。よく判らないが、ひょっとして、温暖化のせいで、偏西風なるものがくねくねと曲がるからかもしれない。佐野市の人びとは、外出して涼をとるとしたら、どこに行かれるのだろうか。現役をしりぞかれ、ゆうゆう自適の方なら、唐沢山で森林浴されるのも趣があっていいでしょう。年に一度催される足利の花火大会を見物されるのも一...涼をもとめて。(3)

  • 仲間はずれ。 (5)

    魔物事件の直後である。Mはかみさんにああだこうだとせっつかれても、すぐに何をする気も起らない。「とにかく居間でくつろいでいて。用意ができたら呼ぶからね」かみさんの勧めにあいよと応え、おのれの体をソファに投げ出すようにしてすわりこんだ。魔物に触れられた二の腕に、鳥肌が立っている。痛いとかかゆいとか、感覚があればいいのだが、それがない。皮膚の下の動脈の血管の中を、酸素や栄養分で満ちた血潮が、とくん、とくんと流れているのか疑わしいくらいだ。いったんは止まりかけた心の臓が危ういところで、なんとか持ち直したかのようだ。若い時はこんなじゃなかった。あと二年余りで、満五十歳になる一月の中頃のこと。この辺りじゃ珍しいほどの雪が降った。十センチ積もっても、一向に雪が降りやまない。それにしびれを切らしたかみさんはそれっとばか...仲間はずれ。(5)

  • 仲間はずれ。 (4)

    ゆるぎない自信をもって、この部屋にとりついていたよこしまなものと、かみさんは対決したのではなかったらしい。「ううっうっ、うううう」少しの間、くぐもった嗚咽をもらしていたが、ふいに堰を切った如く、かみさんの感情が爆発。おいおい泣き始めた。闇を支配するものの一種に違いない。かみさんの涙に追い払われるように、大きな浴室の隙間という隙間から、すうっといずこかへ立ち去っていく。たちまちのうちに、浴室は元どおりの静謐をとりもどした。「もう泣かないでいい。もう大丈夫だ」Mは、かみさんの両肩を抱いた。浴槽の水はもはや元どおりになった。再び、浴室は清らかな空気で満たされた。よこしまなもの。その正体は依然として想像することしかできないが、それがふれるもの、なめるものすべてを汚してしまう。かみさんは浴槽の中をのぞきこむようにし...仲間はずれ。(4)

  • 涼をもとめて。 (2)

    ここ連日、体温を超す気温がつづく。奈良や京都も盆地であったから、昔からけっこう暑かった。手もとに一冊のアルバムがある。表紙は深緑色。らせん状の金属で、アルバムの何枚もの分厚い紙が支えられている。左上にさくらの花をかたどったM小学校の紀章があるから、きっと卒業式の際にいただいたものであろう。たたずんだままで、それをパラパラめくりだすと、青っぽい封筒が一枚、はらりと畳の上に落ちた。以前にも、その中身を観たおぼえがあるが、もうしばらく前のことで、何だったか思い出せない。調べると、自分の履歴のごとき、幼児期から少年期にかけての三枚の写真が入っていた。そのうちの一枚を観て、あっと思った。それほど驚くにはあたらないのだが、何しろ、およそ七十年以上も前に撮られたものである。幼子がふたり、砂利道でできた四つ角で、カメラに...涼をもとめて。(2)

  • 仲間はずれ。 (3)

    「おい、なにかい。いま、風呂かい」Mは目をつむり、怖さを我慢して、家の中で、かみさんにものを言う調子で問いかけた。できるなら、歯を食いしばったり、へその下あたりに心身の気力を集めたりして、気力の充実を図りたかったかったが、突発的な病があった。いちにいさん……と、Mは、こころの中で秒数をかぞえ、返事を待った。ふと物音や水のしたたる音がやみ、続いてザザザッと水が落ちる音がした。どうやら浴槽内にいる者が外に出て来るようだ。辺りの明るさがフェイドアウトし、次第に暗くなってくる。辺りが真っ暗になった。「入ってるよ。じきに出るから、ちょっと待ってて」どのみち、家の中ならそんな調子で、かみさんの返事がくるはずだった。だが、いくら待てども来ない。Mは闇の世界で、想像力を働かせるばかりだった。しびれを切らし、Mは、両目をあ...仲間はずれ。(3)

  • 仲間はずれ。 (2)

    部屋に入ると、あまりに広い上がり框を目にしてMは戸惑う。「ほら、何をぐずぐずしてるのよ。早く早く荷物はここに置いて」「うんうん、ああ。そうだね。ごめん」(なんだ。せがれと一緒に過ごせるもんだと思ってたのに、かみさんも同じ部屋なんだ、この調子じゃ少しも普段の生活と変わらないじゃないな)Mはここに至っても、かみさんが機嫌を損なうのはまずいと気を遣い始める自分に気づき嫌悪をおぼえる。「あんたたちはベッドで寝たらいいでしょ。ええっとわたしはどうするかな」かみさんは、M同様、年老いている。それを充分に意識しているらしい。男たちの面前で、衣服を脱いだ自分の姿をさらすのをいやがっている気配が伝わってくる。「ここでいいわ。あっちに和室があるけど、なんだか気味が悪いわ。茶の間でいい。わたしは」和室から持ち運んできたらしい布...仲間はずれ。(2)

  • 仲間はずれ。 (1)

    Mは、玄関先のロビーへとおそるおそる歩みを進める。一瞬立ちどまり、天井を見あげた。シャンデリア。留め金を外すやいなや、またたく間にガシャンと地響きをたて、床に落下ししまい、粉々に砕け散ってしまうガラス細工のともしびが、ロビー全体に淡い光を投げかけていた。(とてもとても、あのともしびの下には立つことはできないな。長い月日のうちに留め金が錆びついているやもしれない)持ち前の気弱さを発揮し、Mはふとひとりごちる。「ほら、あんた。いったいそこで何をしてるのよ。あんまりわたしをてこずらせないでよ」「ああ、いや、はいはいどうも」妻の叱責に委縮しそうになる気持ちをなんとかして励まし、このホテルでの一泊二日の研修を、Mなりに堪えようとする。自分の健気さを愛おしく感じる瞬間だ。妻と息子が、自分たちの荷物を、ロビーの一隅に、...仲間はずれ。(1)

  • 仲間はずれ。

    十数人ばかりのとあるサロンの会員を乗せた中型バスは高速道を乗り継ぎ、矢のような速さで、富士の裾野のとある湖のほとりにある超高級ホテルへと向かった。「いいですか、みなさん。この旅は観光目的ではありません。わかってますよね」リーダー格の女性の掛け声に応え、「はあい」車内のあちこちから、答えがぱらぱらと返ってくる。他の人たちの中には、こんにちの準備疲れなのか、こっくりこっくり首を縦に振ったり、肩を寄せ合いひそひそ話を始めたり、ポテチを早速、口にほうりこみ、ぽりぽり噛みながら走り去っていく窓外の景色に、何とかして目線を合わせようとする。「あれれれえ、なんとまあ声が小さい。わかっているんでしょうか。ホテルに付き次第、社長直々、みなさま方ひとりひとりの決意のほどを訊ねられることになっておりますのよ。それがおいやなら、...仲間はずれ。

  • 涼をもとめて。 (1)

    わたしのふるさとは大和盆地。海なし県でいざ涼をもとめるとなると、「うぐいすの滝」を観がてら、サワガニを採るのが子ども時代の楽しみでした。遠くは三重県伊賀の「赤目の滝」がありましたが、なかなか訪ねることはありませんでした。オオサンショウウオが生息しているらしいですね。水泳場は木津川の土手に造られた駅まで電車で行きました。木津川はご存じの如く、淀川水系。近鉄京都線の新田辺駅から数分で当時、川の土手に造られた簡素な駅に着きました。ベビーブーム世代で、夏休みともなるとたくさんの人でにぎわいました。とにかく水がきれい。魚の種類も多く、夢中で網ですくったり、ヤスで突いたりしたものです。水中めがねをはめ、もぐったまま、となりにいる人たちが歩いたり泳いだりしている様子を観察するのは興味深いものでした。もっと上流に行きます...涼をもとめて。(1)

  • 種吉版「おくのほそ道」

    月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老いをむかふるものは日々旅にして旅をすみかとす。「おくのほそ道」(元禄15年刊)の巻頭である。元禄文化期に活躍した俳人松尾芭蕉の紀行および俳諧。1689年春に江戸深川を舟で出発、千手から陸路を北上。当時芭蕉は46歳。弟子で6歳年下の曾良を伴ってのふたり旅だった。最大の目的地は、松島と平泉それに象潟であった。「月日というものは、永遠の時間を旅する旅人みたいなもので、やって来ては去っていく年月も、やはり旅人のようなものなのだ。舟の上で一生はたらく船頭さんも、馬をひいて年をとっていく馬方さんも、毎日の生活そのものが旅なわけで、旅を自分の家にしているようなものなのである」芭蕉は、門人曾良ただひとりを連れ、てくてくと歩きに歩いた。東北から...種吉版「おくのほそ道」

  • フラジャイル。 エピローグ

    T川の土手の八重桜の並木はもうすっかり、薄緑色の葉桜の時期を迎えていた。川向うの景色はすでに男の子の節句の色あいをにじませ、ふたつみっつ、背が高く表皮のむかれた杉の木に、いくつもの鯉のぼりがひるがえっている。「母さんと一緒に肩を並べてくれて嬉しかったわ」川向うに居ならぶ新興住宅地の一角を見つめたまま、陽子が言う。「ふううん、そんなに嬉しいんだ。そういえば小学校の時以来かも、中学に入ったら急に忙しくなっちゃった」「そう……」陽子は左手に持ったハンケチをそっと自らの眼にあてた。「あれ、母さん、泣いてる」真弓が先回りし、陽子の前に立った。「どうれ」と言い、陽子の顔をのぞきこむ。「バカ、泣いてなんていなくてよ。ちょっと眼にゴミが入っただけ。もう親こと小ばかにして、この子ったら」「えっへっへ。ほんとはさみしいんでし...フラジャイル。エピローグ

  • フラジャイル。 (8)

    ほどなく、のぼるがまさるをともない、勝手口から入ろうとした。「ただいま、母さん」陽子はえっ?と思ったが、可愛い息子の声を忘れるわけがない。「ちょっと待って。開けてあげるから、勝は玄関から入んなさいね」「いいのにさ。別に」それまでの欝な気分はどこへやら、陽子はいそいそと玄関に向かった。「表へまわったら、門のところにまさるがたたずんでるんでね。びっくりしたよ」昇はそれだけ言うと、昇は浴室に向かおうとした。そんな昇を陽子が止めた。「ちょっと待って。お父さんにまだ、訊きたいことがあってよ」「息子が帰って来たんだからいいだろ。じゃまになるだけだよ」「そんなことないから、ソウファにすわって」「しょうがないなまったく。旦那の苦労をわかってくれないんだから」昇は持っていたすりこ木をわきに置くとふうっと息を吐き、深々とすわ...フラジャイル。(8)

  • フラジャイル。 (7)

    「どうしたのよお母さん。ドンドンって。わたし昼間の疲れでぐっすり眠ってたのに起こされちゃったわ」タンポポのまわりを蝶が飛んでいるありさまをあしらった空色のパジャマ。それが真弓の寝乱れがもとで、くしゃくしゃになっている。時折あくびまで出る、寝ぼけまなこの真弓がふらふらしながら二階から降りて来た。「ごめんね、真弓。お母さんだって、夕方から、我が家で何が起きてるかわからないのよ。どこの誰だかわからない、風采の上がらない男の人が来るしね……」陽子の言葉のおしまいのほうが震えた。「お母さん、泣かないで。わたしまで悲しくなるじゃない」真弓は、ソウファにすわりこみ、頭を抱えている陽子のそばまで来て、陽子の肩を抱いた。「ありがとう、まゆみちゃん」「とにかくね、母さんがわるい。父さんが大嫌いな子猫なんて、家に入れようとする...フラジャイル。(7)

  • いかに生きるか。

    なんとも生きづらい時代ではある。齢七十五になって、そう思う。しかし、生きている限り、嘆くばかりではいられない。自分に何が可能か。試してみたくなる。いじめは日常茶飯事。おさな子が親に虐げられるにいたっては何をかいわんやである。最近はとみに涙腺が弱くなってしまい、そんな話を聞くと、たまらなくなる。みっつやよっつの子でも、親は親。ぶたれようが、蹴られようが、親を信じてついていこうとする。その子の心の内を思うと、いたたまれなくなってしまう。「そんなに虐げるのなら、決して生むべきではなかった」声を大にして、訴えたい。いつだったか、こんな事件があった。学校に刃物を持ち、男が侵入した。生徒を追いかけまわし、手当たり次第にふかでを負わせた。致命傷を負いながらも、一歩二歩と歩き、ついに力尽きた子もいた。大阪で起きた事件だっ...いかに生きるか。

  • フラジャイル。 (6)

    午後十時過ぎになって、この家の主人が帰ってきた。この頃、のぼるは幸せ太りの如く、おなかの出っ張りがめだつ。七十を超す体重も手伝って重いとびらもわけなくバサリと開いた。「ただいま。ああ、寒い寒い。外は冷えてるぞ。なかなか冬将軍さまは、本格的に退いてはくれないらしいな」廊下の向こうにいる家族に向かって大声で語りかけた。五十がらみの中年になっても、声だけは昔のままテノール。間違ってもバスやバリトンとはならないらしい。「ねえ、母さん、父さんてね。もうちょっと低音なら威厳ある感じを部下に与えられるのにね、なんだか父さんかわいそう」と、娘の真弓に軽口を叩かれる。塾が早じまいだった娘の真弓は、陽子との話が打ち切られたところで、早々と二階の部屋に行った。陽子一人、テレビの画面を観るとはなしに眺めているところだった。のぼる...フラジャイル。(6)

  • フラジャイル。 (5)

    子猫を家族の一員にする。それにはどうしたらいいか。その日の夕方近くまで、陽子と真弓がああでもないこうでもないと策を練ったが、確固としたものはできなかった。「父さんって猫ちゃんアレルギーだからね。それを突破できなくちゃ、ムリよね」真弓がたたずんだまま、からだの前で両手をひろげてみせた。「昇さんのからだは正直だしね。子猫が家の中を歩き回るとすぐに、くしゃみが出たりするでしょう。そしたら、もうお手上げよ」「うん、それはそうだけど」そのとき、玄関のチャイムが鳴った。「あれっ、お父さんにしては帰りが早すぎるしね。今ごろ一体、どなたかしら?」ダイニングのソウファにすわった陽子の目つきが曇る。「宅急便の配達ってこともあるわ。あたしちょっと見て来る」「気をつけてね。下手に開けるとひょっとしてひょっとするわ。強盗ってことだ...フラジャイル。(5)

  • 生まれついてのせっかち者で。

    いつの間にか古希を過ぎ、喜寿に近づくきょうこの頃である。もはや若くはないなと感じるのは、どんな時だろう。つい最近、こんなことがあった。一反に満たない田んぼを耕そうとした。八馬力の耕運機をつかい、表面をならそうとこころみた。その機械、なんと昭和四十五年製。爪をひんぱんにまわすと、どこからかオイルが滴ってくる。おそらく機械内部の小さな鋼鉄の球がすりきれ、その隙間からオイルがにじみだしてきているのだろう。購入した機械屋さんに問いあわせると、「もう、部品がないんですよ」その一言でかたづけられた。広い田んぼの耕すのに、躊躇せざるをえないようなご老体である。「この機械、おらに似てるな、まあなんとか共にがんばってくれやな」と声をかけ、ハンドルあたりをなでさすった。我が家には息子が数人いるが、だれひとり、「おれがやるから...生まれついてのせっかち者で。

  • フラジャイル。 (4)

    その宵のこと、真弓は学校から帰宅した後、部屋に入ったきりだった。母の陽子は台所にいていらいらしていた。真弓を塾に送って行く時刻が近づいている。その前に陽子は真弓に、かるい食事をとらせようともくろんでいたから、真弓がてきぱきと動かないと計算どおりにものごとが運ばない。思いあぐねて、陽子が階段下から、常ならぬ声を上げた。「まゆちゃんどうしたの。お母さんってもうたいへん。わたしこと助けると思ってさっさと降りて来てよお」途中で、悲鳴に変わった。それでも、しばらく経っても、階段を降りる真弓の足音が聞こえない。陽子は頭をかかえた。感情が高ぶってきて、セットしてもらったばかりの頭髪が、あやうくぼさぼさになるところだった。思わず、ダイニングのソウファにすわりこみ、どうにかして自分の心を穏やかにしようと試みた。(なんとかし...フラジャイル。(4)

  • フラジャイル。 (3)

    部活は、お昼前まで。さあ帰宅しようと、いちばん先に部室のドアを開けた。「おい、まゆみ、その態度はなに?三年生がまだ来てないでしょ」背後から声をかけられ、真弓は頭の後ろを拳固でぽかりとやられた気になった。真弓のそそうを指摘した先輩は、うるさ型で知られた人間のひとりである。「あっ、はい。そうでした。すみません」真弓は急いで部室から出る気になり、とりあえず汗をふこうと、右手に持ったタオルを折りたたむ仕草をした。「先輩、わるかったです」そう言いながら、彼女のわきを通り過ぎようとした。「だめ、まだ終わってない。ちょっと待て」怒りの目つきで、両方の手を差し出し、真弓の両肩においた。真弓は血の気が引いた。悔やんだがあとの祭りである。彼女の背後に、幾人もの先輩の姿が見え隠れしだした。真弓は床に敷いてあるマットの上にくず折...フラジャイル。(3)

  • 我知らず。

    なぜあのとき、あんなふうに言ったり振るまったりしたのだろう。なんとも解せぬ。ブロ友の方々におかれては、そんな経験がおありじゃないだろうか。わたしはしょちゅうである。まるできょうの朝早く吹いた突風のようで、びゅうっと吹いてはさっさといきすぎてしまう。あとはただしんと静まり返った風景だけが心の奥に残されている。じわじわと後悔の念がわいてくる。人間とは面白いものだとつくづく思うのは、こんな時である。人の脳の不思議さに驚く。かえりみれば、自らが意識して、この生命を与えられたわけじゃない。それは現在もそうで、各臓器やらが懸命に、動物の一種としての人間の生をまっとうさせようとがんばっている。まったく有難いことである。見えぬものと見えないもの。今や科学万能の世の中ではある。科学は見えるものだけを相手にし、その因果を究明...我知らず。

  • フラジャイル。 (2)

    真弓がさばさばした表情で、ダイニングに再び現れたとき、母の陽子はさっきまで真弓がすわっていたと同じ位置に、腰を下ろしていた。昼食の用意は整えたらしい。浅めの白い皿が四枚、テーブルの上にのっている。牛肉コロッケやミニトマト、もちろん、それらの下にしかれているのは、刻みキャベツである。赤黒い漆器のおわんがよっつ、あったかいみそ汁が注がれるのを待っている。真弓のおなかがぐぐぐうっと鳴った。陽子はいくらか気分でもわるいのか、そのほっそりした左手の甲を、自らのひたいにあて目を閉じている。「ねえねえ、お母さん、どうかしたの。わたし忙しいんだけど、大丈夫かな」唐突に聞こえたのだろう。陽子はびっくりしたらしく、あっと言って目を開けた。「なあに、まゆみ……、あなた、からだは大丈夫だった?」「うん。いつもより早かったし、ちょ...フラジャイル。(2)

  • フラジャイル。 (1)

    ピーピー鳴っていた笛が突然やんだ。しかし、台所にいるはずの陽子から何の返事もない。キャベツを切る音も、包丁をふるう音もしなくなった。床を何かがはうような物音がする。何かを求めているのだろう。陽子が腰をかがめているらしく、カウンター越しに彼女の姿が認められない。それからバタンとお勝手のドアが閉まる音がつづいた。「もおう、どういうことよ。そこにいたんなら何か言ってよ。外に出るんなら出るわよって、ひと言、声をかけてくれたっていいじゃない」真弓が怒った調子で言った。「忙しいのよあたし。学校へ行くんだしね。探し物もあったの。せっかくきこうと思ったのにきけないじゃないの」真弓は台所の方を向き、しばらく立ち尽くしていたが、あきらめたのか居間のソファに腰を下ろした。左手に持っていた歯ブラシを、もう一度口にくわえ、ふんふん...フラジャイル。(1)

  • フラジャイル。 プロローグ

    ある日曜の早朝。T川の河川敷に近い団地の一角に、中学二年生になったばかりの真弓の家がある。どの家もまるで兄弟姉妹のよう、よく似ていて見分けがつきにくい。土手の八重桜の花が散ってしまい、朝な夕なに人々が散策する小道をおおっている。人影はまばら。見るからに年老いた茶色の犬に、年老いた男の人がおぼつかない足取りで付き添っているのが、ダイニングルームの窓から見える。台所と居間を仕切るのは、長さ数メートルのカウンターだけである。時刻は、午前六時ちょっと前。母の陽子が食事のしたくに忙しい。いつもの休日らしくない。髪をきっちり整えている。広めのフライパンの中には、すでに焼かれた卵が黄身を真ん中にして、白身が丸く広がっている。それぞれの白身が折り重なっていて、ちょっと窮屈そうだ。平たくて白い皿が四枚、すでにカウンターの上...フラジャイル。プロローグ

  • 天網恢恢、疎にして漏らさず。

    ブロ友のみなさま。あしたから五月ですね。「新しい朝」そんなあしたがこの世にやってくる予感にかられました。ようやく、といった感じです。しかし相変わらず、自死する方が非常に多い。新しい朝って?どこがどうして?タイトルとどんなかかわりがあるの。そう訊ねられそうです。ラジオ体操の歌の文句の中にありましたよね、この言葉。テレビやラジオから流れてくるニュースを聞いていまして、今朝ほどふっとそんな想いがわいたのです。何をして、新しいと思うのか。それは、読者さまたちのお考えにおまかせしたいと思いますが……。インターネットでつながっている。そんな中で、こうやって、ひと言述べるのはとても気をつかいます。どなた様が読んでいらっしゃるかわからないから当然ですよね。ところで、お釈迦さまが亡くなられてのちどれくらいの歳月が過ぎ去った...天網恢恢、疎にして漏らさず。

  • 忘却。 補遺

    それからどれくらい経っただろう。冬の日は短く、間もなく、漆黒の闇が辺りを包みこもうとしていた。件のサイデリアの奥まった駐車場。その片隅に、何やらおもちゃの蛇のような細長いものが最寄りの街灯のもとでほの白く輝いていた。よく観ると、それは今はやりの精巧にできた恐竜のミニチュアに酷似していた。足が四つあるのが、気になる。しかし、もっと現実味のあるもので、首から尻尾にかけて、からだの表面に、あちこち赤っぽいペンキがまだらに付いていた。時折、ひくひくと動く。裂けた口から、何やら数珠状の黒っぽい玉がころがり出ている。米英では蛇はスネイク、トンボをドラゴンフライと呼ぶ。ふたつの目玉で、かっとにらまれれば、いかなつわものでも怖気づいてしまうだろう。その小さな蛇は自ら、渾身の力を尽くし、物影に自らの体を隠そうと試みたあげく...忘却。補遺

  • 忘却。 エピローグ

    「あんた、どうすんのよ。げっぷばかりして。あたし、ふたりでお茶するの、楽しみにしてたのよ」めったに言わない言葉を、思わず、口にしてしまい、かみさんがほほを染めた。「ううん、そうだなあ。お茶だけでいいのか」「食料いっぱい買い込んだけど、これは明日からの分でいいわ。今晩はどこかで食べたいわ」「ふうん、そうさなあ」おれは腹ぐあいを確かめるつもりで、ハンドルから左手を離した。のの字を書くように、腹の上で左手を動かす。「ちょっとだけ、大丈夫みたいだぞ。食後のデザートの用意もできてるし」「デザートって?」「いやなに……、なんでもない」「いやだわ。男のくせに、一度言いだしたことをひっこめるなんて」安上がりでいいわとかみさんが言うので、ふたりしてサイデリアのドアを通る。(先ずはドリアドリア、コインみっつで食べられる……)...忘却。エピローグ

  • 喉もと過ぎれば……。

    こんにちは。ブロ友のみなさま。いかがお過ごしでしょうか。わたしは、このところ、あまり元気がありません。なぜかといえば、詐欺メールに、見事なまでにひっかかってしまったからです。どうやって、彼は、わたしのクレカの詳細を知るのでしょう。どうしたら、わたしのいのちの次に大切なものを抜き取ることができるのでしょう。彼なりに必死に考えたのでしょう。敵は手ごわい。クレカについての知識を、充分に認識しています。異変は三月の半ばにありました。PCの画面に、明らかに、詐欺だとわかるくらいの画像が現れました。わたしは直ちに鹿沼ケーブルに電話。「この画像を削除するにはどうしたらいいでしょう」「では、こうしてください」この判断は正しかった。即座に、正確な処理のしかたを教えていただき、事なきを得ました。問題はこのあとでした。発信元が...喉もと過ぎれば……。

  • 忘却。 (4)

    かみさんの小言は、スーパーの玄関を出る際にもつづいた。(また始まったか。まったくいつまで続くのだろう)おれは思わず、あらぬ方を見つめた。その瞬間、ふっと何かが、おれの視界を横切った。年輩の女の人らしかった。割烹着を草色の着物の上に重ねていた。横顔がどこかで見たことが……と思ったら、もうこの世にいないはずのおれのお袋に似ていた。(おれを心配して、お袋は、自分の若いときの姿で出て来てくれたのだろうか、あれは白昼夢だったんだ。そうに違いない)おれはしばらくしてから、そう思った。かみさんの小言は、まるでしとしとと降ってはやみ、降ってはやみする、菜種ツユのようだった。ぶつぶつと小声で言っている。そのぶんエネルギーの消耗が小さい。だから、ねちねち、ねちねちと長引いてしまうように思われた。おれが少しでも、その小言に対し...忘却。(4)

  • 忘却。 (3)

    久しぶりに、二人してドライブ。若い頃なら子育てがあったりで、協力関係を保つのは当然である。しかし、双方とも古希を過ぎた身では、なかなか共通の話題が見当たらない。ともすると、互いに別々の行動に走ってしまうが、まあそれも良しとするのが夫婦が穏便にやっていく秘訣らしい。スーパーマーケットでのショッピングひとつするのにも、ツウと言えばカーというわけにはいかならなかった。互いにプラスとマイナス。近寄れば、パッと火花が散りそうな雰囲気になってしまう。こんな場合、男のほうが常に引く。しかし、こころの中でわだかまっているものをいつまでもそのままにしておくのは体にわるい。「あああ、いいい、ううう、ええお」おれは、少し離れて歩くかみさんの耳に入らない程度にうつむき加減でつぶやく。そんな調子で、ひと通り、かみさんの欲しいものを...忘却。(3)

  • 忘却。 (2)

    二階の部屋。外向きの窓は二枚のガラス戸になっている。けっこうな重量感があり、開け閉めするのに両手を使わざるをえないほどである。いちばん外側に雨戸があり、次に網戸がひかえている。三番目がガラス戸。その内側に障子戸が外からの陽光をさえぎっている。階下のかみさんの動向が気になるが、自らの身体の不調のほうが問題で、ちょっと横になってれば、いつもの身体にもどるだろうとたかをくくり、右向きで身体を、くの字型に保つ姿勢をとった。そのうち両のまぶたに鳩がとまったらしく、この頃とみに、てっぺんあたりが薄くなった頭を、上下にこくりこくりと振りだした。「あんた、寝てたんだね。道理で静かだと思ったわ」耳もとで、かみさんがそうささやくのを聞くまで、おれは夢の世界にどっぷりつかっていた。「うん……、ああ、まあ、そうみたい」ようやく、...忘却。(2)

  • 忘却。 (1)

    「あんたあ、どうしたのよ。寝てるのお。いい加減に下りて来てよ。用があるのよお」かすかに、かみさんの声がした。彼女はきっと、声を張り上げているに違いない。それがきわめて小さく聞こえるのは、おれのせいだろう。おれがいまだに目が覚めず、うつらうつらしているからに違いない。しかし、それにしても、何かが変だった。生来、せっかちの性分。いつもなら、彼女の声を耳にしただけで、胸の辺りがどきどきざわざわしだす。おかしなことに、今回はそうはならない。至って平静である。どっしりと構えている。しかしながら、頭のどこかで、以前のくせを憶えているのだろう。だんだんにもともとの性分の芽が出始めると、そわそわしだした。(早く返事しなけりゃだめだ。そうでないとまたまた彼女の機嫌を損ねてしまう)それっと、ベッドの上で起き上がろうとしたが、...忘却。(1)

  • 忘却。

    シュバッ。不意にスマホが音を立てた。誰かがメールを寄こしたらしい。しかし、ラインのトーク印が朱色に染着信の形跡がない。それじゃメッセージだろうと思い、アプリをタップし中身を調べた。あった。発信者の苗字がおかだとある。「おれだよ、おれ。どう、元気?」言葉に親しみがこもっている。おかだ、おかだ、おかだ……。こころの中でそう言ってみるが、その苗字についての記憶の糸が、容易に見つからない。(ああ、とうとう、おれも……)急降下していくエレベーターに乗っているような気がして、意識が遠のく。やっと自分らしくなり、ああでもないこうでもないと、返信をためらっているうちに、ふたたびメッセージが届いた。「ほら、高校時代のおかだだぜ。わかんないのか。かわいそうにその歳でな」ぼけ老人にされてしまった。そんなひどいことを言うんじゃ、...忘却。

  • 口にするものは……。

    こんにちは。ブロ友のみなさま。ようやく桜の花がひらいたと思ったら、夏日になるのですもの。驚きますよね。そして、次の日は気温が急降下。夕方になって、タンスにしまった服をもう一度身につける始末です。57年前のT大入学式。桜が満開でしたが、灰色の空から、白いものがふわりふわり。たちまちにして、ピンクの花びらが視界から消えてなくなりました。(えらいところに来たもんや。まあしゃあない。地元も阿波も受け入れてくれなかったんだから。ああ、もっと性根入れて勉強しとけば良かった)わたしの身体は、肌をさす空気の中で、ぶるぶる震えていました。甲州の郡内地方の冬。やっぱり、富士山のふもとは寒いのだなあと、手袋をはめない両手に、白い息を吹きかけました。ある冬の夜、銭湯に向かいました。行きはよいよい、帰りはこわい。風呂上がりで濡れた...口にするものは……。

  • ポケット一杯のラブ。 エピローグ

    今でこそはYは平気で女の子に、声をかけられるけれど、もともとはすごいひっこみ思案だった。M子と出逢い、胸の奥から、なにやらあったかいものがわき上がってくるようになってから、ちょっぴり自分を信じられるようになってきた。共にやった郵便局の社会学習はせっかくの良い機会だったし、M子とはあれきりで終わりにしたくないと思う。ある日、自転車で家に帰る途中、M子を見かけた。幸いなことに、あたりに人影がない。自転車を降りて、声をかけた。ほんの五、六歩あるくだけの距離がとても長く感じられた。「ねえ、M子、いっしょに帰らない。定期テストも近いし、いっしょに勉強しない」ふいにわきから女の子の声がかかった。M子がふり向き、Yを見てあらっという顔をした。すぐに、プッとふきだす笑いを、鼻のあたりに浮かべてから、M子の友の方に向きなお...ポケット一杯のラブ。エピローグ

  • ポケット一杯のラブ。 (6)

    最寄りのバス停留所に、Yがはあはあ言いながら駆けつけたとき、Yは、M子の様子がさっきとまったく異なり、不機嫌になっているように感じた。Yに対面の姿勢は保っているが、彼女の目は地面を見つめている。「あったよ。はいこれっ、良かったね。上司の女の人が気づいて、とっといてくれたんだ。そんなに気に入らないような顔してる理由がわかんないよ。これでもおれ、一所懸命、バスの時刻に間に合わせようと、一所懸命だったんだ」M子はいまだに顔を上げない。紙袋を受け取ると、すぐさまそれを左手でつかみ、自分の背後に回した。「ありがとう。でも、何が良かったよ。わたし何もいいことなんてないわ」M子に気おされ、Yは、びくりと身体をふるわせた。「なんでそんなに怒られなくちゃならないんだろ。だいじょうぶかい。腰のほうは?軽く足踏みしてるようだっ...ポケット一杯のラブ。(6)

  • 十三歳の頃って。

    中学二年生をあつかっていますけれどどうだったのかな。その頃の自分って?今の歳からみると、ずいぶん昔の話ですね。でも、ちょっと振り返って考えるのもありじゃないか。勉強になるんじゃないか。そう思い、つらつら思いだしながら書き綴ってみることにしました。もちろん、それを通して、今どきの中二のみなさんの思いに少しでも触れれば最高ですよね。昭和三十年の後半でしたね。あれは確か、三十七年だったか。そうですね、池田勇人さんが総理大臣だったでしょう。最初の五輪をひかえ、国民ひとりひとりがわくわくどきどきしていました。橋幸夫さんと吉永小百合さんが歌った「いつでも夢を」その歌が当時を象徴していました。親の手伝いをさせられた時代でしたね。五右衛門ぶろをわかす仕事やら、にわとりの世話、それに飼い犬の世話。堀っこに行って、にわとりが...十三歳の頃って。

  • ポケット一杯のラブ。 (5)

    局勤めは、裏門からの決まり。まっすぐ前を見ると、車庫に原付自転車がいくつか並んでいるのが見える。神さまお願い、きょうこそ、仕分けや配達の仕事がうまくできますようにと、目をつむりたくなる瞬間だ。「ちぇ、こんな時でも、いつもの癖が出てしまう。ああ、びくびくすんなよ。今は、M子の忘れ物を取りに来ただけなんだから」Yは、われとわが身をいたわる。中学生の二週間にも満たない社会勉強であるにもかかわらず、気を遣う。本当の職員さんの気遣いは、真剣勝負といったところだ。しかし、このところ、局に、お客さんからのクレームが多い。主に、配達にかかわる不平不満。「もう、日にちがかなり経っているのに、相手から返事が届かない。急を要したから速達で頼んだのに、一体どうなっているのですか」「すみません。調べた上で、すぐにお返事さしあげます...ポケット一杯のラブ。(5)

  • ポケット一杯のラブ。 (4)

    これほど率直に自らの想いを他人、ましてや女の子にぶつけられるとは……、ちょっと前まではとてもじゃなかった。どうせ自分なんか幸せになれるものか。いや幸せになってはいけないんだ。そんな想いが思春期に入ったばかりのYのこころをむしばんだ。どうしてそんなことを考えてしまうのか。Y自身よくわからなかった。足早に郵便局へともどりながら、Yはこれまでの十四年足らずの人生を、振り返った。父母と祖母そしてYの四人暮らしだった。母と祖母に対する気遣いが、子どもなりに半端じゃなかった。幼い頃は、母と祖母、互いに相いれないところがあると感じながらも、久しぶりの男の子誕生のうれしさがあって、祖母は母に対して感謝の念さえ持っていた。「可愛い子を産んでくれてありがとう」祖母の母への一言が、それを象徴していた。人間として正直で率直な気持...ポケット一杯のラブ。(4)

  • ポケット一杯のラブ。 (3)

    ガチャガチャとまるで買い物カートの小さな車輪が何かの故障でうまく前に進まない気鬱を思い起こさせるような物音が背後でして、M子とYが驚いて首を回した。嘱託あつかいのBさんが、配達用自転車に乗ってやって来るところだった。いかにも古くて頑丈そうな自転車。今どき、どこかで買いたくても、めったに店では買えない代物である。荷台あり、押せばプカプカと鳴るラッパあり。にぎやかなことこの上ない。太いパイプがハンドルになっていて、ブレーキをかけるのが大変。いざという場合、右と左のざりがに似のはさみに似た部分を、それぞれぎゅっと握りしめねば止まることができない。昭和五十年くらいまで、牛乳を配達したり、豆腐を売り歩いた人が、しばしば用いたものである。突然、キキッとブレーキのかける音がした。改めてM子とYが目を丸くした。Bさんが自...ポケット一杯のラブ。(3)

  • まさかの出来事。

    こんにちは。ブロ友のみなさん。あれから13年目ですね。未曽有の大震災の犠牲になられた方々の御霊に改めて鎮魂の祈りを捧げます。大地震や巨大津波から運よく生きのびた方々にまさかの原発建屋の水素爆発がつづきました。放射能に汚染された物質が、四方八方に吹き飛ばされ、風の吹くまま拡散して行きました。それらは雲となって、わたしの住む栃木県の北の山なみから日光連山までをおおいつくしたことです。我が町の山間部の小学校の運動場の土の入れ替えをしなくてはならないほどの被害でした。山々を除染することなどできない相談でそこに住む動植物にどれくらいの影響があったかなど知るすべはありません。放射能が半減するのにかかる時間はどれくらいでしょう。福島原発の建屋内部に残っている、燃え残りの放射性物質をすべて、取り除くのに一体どれくらいの月...まさかの出来事。

  • ポケット一杯のラブ。 (2)

    Yは長い間、とても恥ずかしがり屋だった。それがどうしたことか、M子とともに郵便局で会って以来、人が変わったように明るくなった。それでも、なかなか一歩進んでM子と話せないでいた。M子が腰を痛めたことを聞き、とても気にしていたが、自らすすんで彼女にからだの具合をたずねることができなかった。さいわいにして、主任のNさんが後押しがあったから、休憩室に来たようなもの。そうでなければ、Yはずっと行くか行くまいかと悩んでいたことだろう。YがM子のあとに従っていく。「ありがとうね。わたしはだいじょうぶだから、あなた持ち場にもどって。ゆっくり歩いてくから。心配しないで」「うん」M子にそういわれると、Yは小さくうなずき、くるりと方向を変えた。しかし、M子のことが気になる。Yは立ち止まり、振り返った。M子の後ろ姿がゆらゆらして...ポケット一杯のラブ。(2)

  • ポケット一杯のラブ。 (1)

    声の主はN主任だった。「だいじょうぶです」M子は無理に立ち上がろうとしたが、からだが思うように動かない。思わず、よろめいてしまい、わきにあった机に両手をついた。「ちょっと待って。ぎっくりかもしれないからね」(ぎっくりって、ああいやだ。それじゃうちのお父さんが、この間やったわ。そんじゃ動けないじゃないの)NさんはつかつかとM子のもとに歩いて来るなり、彼女をひょいと抱きかかえた。ごつい腕だ。なんでも郵便局員になる前は、山仕事をしていたらしい。ぷんと汗のにおいがした。M子は目をつむったまま、薄青色のジャージの上着の袖口から突き出た両手を、Nの首にまわした。「すみません」消え入りそうな声で言った。「だいじょうぶだよ。人間、生きてるといろんなことがあるのさ」(大人の男の人って、なんて強くてたくましいのだろ)休憩室の...ポケット一杯のラブ。(1)

  • ポケット一杯のラブ。 プロローグ

    公立中学校の二年生になるとほんのわずかの間だが世の中に出て大人たちの職場で実際に働いてみる機会がある。社会科見学より一歩ふみこんだもので、この学習に対して異論はむろんあった。しかし、図書館や郵便局といった公共機関が選ばれているうえ、思春期をむかえた子どもにとって意義あるものらしく、もう数十年続いている。M子は学区内にある小さな郵便局で、この体験学習に参加した。ある日のこと、誰に頼まれたわけでもないのだが、大人がやっているのだから、自分にもできそうだと、封筒やら手紙やらの郵便物が一杯つまった大きな袋を、力まかせに持ち上げようとした。そのとたん、腰の辺りがくきっと鳴った。M子にとっては初めて耳にする音で、少し痛みをともなう。彼女はその場にへなへなとしゃがみこんだ。「おい、誰かみてやれ。ちょっとむちゃなことやっ...ポケット一杯のラブ。プロローグ

  • 受験の季節。

    T県の高校受験。私学の場合、すでに昨年12月から始まる。著名なプロ野球投手を輩出したことのあるS高などは、県立高の結果をも踏まえたうえで、第一第二そして第三と生徒を募る。今年の県立高の入学試験は3月6日。結果発表は12日である。現時点では、ほとんどの受験生はひとつやふたつのすべり止めとして、私学への切符を手にしている。今月中旬には県立高の特色選抜制度に基づく試験があり、各校の定員の何パーセントかの合格者が内定している。しかし彼らの合格の喜びはごく控えめなものだ。選抜で志望校に合格するには、中学校の成績優良はもちろんだが、推薦が必要。それにもれた受験生は、あと12日間、一般入試での合格をめざし、主要五科目の苦手分野克服に大わらわとなる。あと一点、いや、あと二点採れば、と、家庭や塾で補習に力がこもる。「Yちゃ...受験の季節。

  • 人、さまざまに。

    この元日、わたしのスマホ宛に、不意にメールがとどいた。発信者はいずれの方だろう。スズキとある。名字だけで、名前が書かれていない。スズキさん。その名字をお持ちの方は日本全国津々浦々までかぞえると、一体どれくらいの方がおられるのだろう。この疑心暗鬼のご時世である。一瞬、わたしは詐欺を疑った。気味がわるくなり、すぐに返信を送らないでいた。すると、その方は二度三度と追伸メールを送ってくる。これは異例の事態。わたしのほうに何らかの落ち度があるやもしれない。こちらの旧姓をご存じだし、メールの中身はまことにざっくばらんなもの。昔からの知己でなければ、書けない話の内容であった。ボケが始まったかしらん?いやいや、待てよ。度忘れということがある。一度や二度くらいでは、そうそう悲観することはない。そう自分を奮い立たせ、じっくり...人、さまざまに。

  • 若がえる。 エピローグ

    曲がりくねった谷あいに造られた線路を、列車がわだちをきしませながら走っていく。運転席の真うしろにたたずみ、Nはあたりの景色をずっと眺めた。車窓に目を向けると、山々の木の葉が色とりどりにNの目を楽しませてくれる。しかしNの視線はもっぱら道行く人や、車内の若い女性に向けられた。それはまるで恋人を見るまなざしに似て、時折は相手に気づかれてしまい、きっと強い視線を返された。(おれってどうかしてるんやな、きっと)列車がときどき大きく揺れる。そのたびにNはもよりのつり革や鉄パイプにつかまり、からだを支えた。三つ峠駅を過ぎたあたりから、頂に白化粧をほどこしたどっしりしたお山が、Nの視界の中に見え隠れするようになった。(ずっとのぼり坂だ。こんな土地によくぞ線路が敷かれたものだよな……。いかに機械とはいえ、列車だってしんど...若がえる。エピローグ

  • 遺影。

    「おめもむこさまだよな。きにょうやきょうの人さまの釜のめしってえことじゃねえだろが……」暗い中から声がした。低くてしわがれている。だが、Nにとってやけに親しみが感じられる声だ。(えっ、なに……。いま時分、だれ?)寝室全体に木の香りが漂っている。隣の部屋との間にふすま四本建ての間仕切り。鴨居の上は書院造りになっている。なぜかNの視線はその書院のすき間に固定されたようになっていて、あちらこちらと両目を動かすことができない。ふいにNの息づかいが荒くなった。Nの意識そのものが、Nの体から抜け出しそこら辺を浮遊しているようである。白い霧状のものがその隙間をとおりぬけて来て、すうっと尾を引き、畳の上まで来た。しばらくふわふわはいまわっていたが、突然するする煙のごとく宙に向かった。横たわっているNのベッドわきに、先ほど...遺影。

  • 若がえる。 (13)

    今さっきまで橋上にいた女たちのようだ。三人連れで橋わきの小道を川べりに向かって来る。「わっきゃっ、あっあぶない……。あっああどうしよう」三人のひとり、先頭を歩く見るからにお嬢さま風情の娘が突然かけ足になった。道わきの雑木にきゃしゃな体ごとぶつかり、しばらく動けないでいる。「ああ、手が痛い。両手で支えたから顔は助かったけど、まともに衝突してたらどうなってたことやら……」とべそをかいた。左手にくっついた松の幹の皮のかけらを、右手の指でていねいに取り払っていく。「気をつけてね。あなたは東京育ちなんだし、こんなところ歩いて下りたことがないでしょう。だからそうなるの。わたしなんて、お茶なんか栽培してる農家の子だから小さいころから畑の中を走り回ってたわ。転ぶのはしょっちゅう。生傷が絶えなかった。ねえこうするのよ見てて...若がえる。(13)

  • 若がえる。 (12)

    複数の女たちのおしゃべり。それがMがいるところまで風にのって運ばれてきた。その話の内容におおむね心当たりがある。ただ単にそれだけのことであるが、Mは気になってしかたがなかった。よほど橋の上までのぼって行き、どんな人が話しているか、確かめたいと思った。(ひょっとしたら、ひょっとする。ひろ子とかいうあの娘もこの大学で……、確かそう言ってたよな)誰かにぎゅっとしめつけられるかのように胸が痛みだすのを感じて、Mは両手で我が身を抱いた。心臓の鼓動が速くなった。Mはあえてため息をひとつ吐いた。突然、身も世もなくなったように荒れだした、自らの心の平静をなんとかして取り戻したかった。医者にかかったことがないから、持病のカテゴリーには入らないものの、Mにはひとつの考えにこだわると、なかなかそこから出られないところがあった。...若がえる。(12)

  • 手ぶり地蔵。

    その日の朝あたりは霧でおおわれていた。ルル、ルルルルルルッ。ふいに軽トラックらしいエンジン音がA子の耳に入った。A子は小学四年生。こころ穏やかではいられない。およそ五百メートル先に竹林がある。車はその向こうを走っているらしい。竹林の外れに小さな交差点がある。とても見通しがわるいのだが、トラックは減速しそうにない。A子の胸に不安がよぎる。節分をいく日も過ぎた、ある日のことである。A子は菜の花を摘もうと家を出てあぜ道を歩いた。(速すぎるわ。あれじゃあぶない。運転手さん知らないのかしら。あの交差点。このままじゃ事故になるわ)農道に出たとたん、A子の目の前を霧をかきわけるようにして貨物車が通り過ぎた。T私鉄の踏切で警告音が鳴りだすと、いったんその車がとまった。しかしまた走り出した。軽トラックの目の前に紅い毛糸の帽...手ぶり地蔵。

  • 若がえる。 (11)

    久しぶりにまじかでフジヤマを観たいと思うMの起床は早い。湯船のある部屋どなりの空間がわずかに白々としている。K川のせせらぎにまじり、チチ、チチッと鳥のさえずりが谷間にひびく。寝覚めが思いのほかいいし、頭がすっきりしている。Mはいま一度湯船につかろうと、はだけてくしゃくしゃになった浴衣をきりりとしめなおす。Mは笑った。これから裸になるのになんでと思う。「いつ誰に見られてもいいように、男たるもの、しっかりふんどしのひもはしめておけ」一昨年の五月、急逝したおふくろの口ぐせをふいに思いだし、笑いがこみあげてくる。湯船のわきにしゃがみ小桶に湯をくむと、二三度体にかけた。両脚から音を立てないようにして体を湯船に沈めていく。(これ以上のしあわせはないな。それにぐっすり眠れた。熟睡が最高のアンチエイジングだと何かの本で読...若がえる。(11)

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