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  • 『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』/スティーヴン・ウィット

    従来の音楽ビジネスが崩壊していく季節の様子を、①mp3の産みの親であるドイツ人技術者、②音楽業界のトップエグゼクティブ、③ユニバーサル・ミュージックのプレス工場からCDを盗み出しては違法海賊サイトに音源をアップしまくった若者、という三者の物語を通して描いたノンフィクション。出版当時かなり評判になっていたのも納得の、リーダビリティとおもしろさを持ち合わせた一冊だった。 「音楽をタダにした」大元の原因とも言えそうな音源圧縮技術だけれど、mp3は開発当初、業界団体の政治的な理由によって、企業での採用を逃してしまっていた。だが、それが逆に功を奏して、フリーで使える優秀な技術としてインターネットを通じて世のなかに浸透していき、結果的に世界標準となってしまった、ということらしい。本書ではこのあたりの経緯が詳細に描かれていて、なかなかわくわくさせられる。ちょっと教訓話のようでもある。

  • 『蝿の王』/ウィリアム・ゴールディング

    戦争の最中、疎開する子供たちを載せた飛行機が不時着、南国の無人島に数十人の思春期前の少年たちが取り残されてしまう。大人のまったくいない、ある意味では楽園とも言えそうな南国の孤島で、彼らは自分たちなりにリーダーを決め、ルールを作り、島内を探検しつつ、救助を待つことに。だが、楽しい日々は長くは続かない。やがて彼らの内に潜んでいた邪悪さが姿を表し、それは彼らの自尊心や承認欲求と絡まり合って、手のつけられないような暴力の連鎖を引き起こしていく…! 人間の本性を暴き出すために、無人島に残された少年たちを主人公にする、という設定は、いま読んでみてもやはりおもしろい。ちょっとしたことからじわじわと野蛮さ、凶暴さがエスカレートしていき、次第に対立する相手を排除するための手段を選ばなくなっていく子供たちの様子は相当に不気味なのだが、でも、こんなの絵空事だよね、と簡単に言いきってしまえないような妙なリアリティを保ってもいるのだ。どんな人間にもその内には邪悪さや暴力性といったものが含まれている、という本作の人間観は、いまなお有効なのだろう。

  • 『ないもの、あります』/クラフト・エヴィング商會

    「よく耳にするけれど、一度としてその現物を見たことがない」ものたちをクラフト・エヴィング商會の「商品目録」という形で紹介していく一冊。「堪忍袋の緒」や「口車」、「左うちわ」、「無鉄砲」、「おかんむり」などなど、日本語のことわざや慣用表現のなかだけに出てくる「もの」ばかりを、ひとつひとつキュートかつシュールなイラストつきで解説している。 まあ、お洒落で皮肉っぽくて気が利いていて、ちょっぴり毒気もあってオトナの余裕を感じさせる、という感じの、軽くてたのしい作品だと言えるだろう。この手の本って、センスが刺さるか刺さらないかほとんどすべて、という気がするけれど、正直に言うと、あまり自分には刺さらなかった。

  • 『僕の名はアラム』/ウィリアム・サローヤン

    サローヤンによる短編集。古き良き、と言っていいような、20世紀初頭、アメリカはカリフォルニアの田舎町での、「僕」と周囲のアルメニア人移民の家族や村の人々との生活を描いている。 物語世界に悪人は登場せず、登場人物たちは、みな大らかで明るく、基本的にポジティブである。それが「僕」の少年時代というノスタルジックなフィルタを通して描かれていくわけで、作品はほとんどファンタジー的、ユートピア的な世界、まさに本作の冒頭に書かれている、「僕が九歳で世界が想像しうるあらゆるたぐいの壮麗さに満ちていて、人生がいまだ楽しい神秘な夢だった古きよき時代」(p.15)を作り上げている。それは時折、上述のような重さを感じさせることもありつつも、全体としてはひたすらに眩しく、儚くて美しい。

  • 『雨はコーラがのめない』/江國香織

    江國の愛犬、オスのアメリカン・コッカスパニエルの「雨」との生活と、その生活のなかでの音楽について書かれたエッセイ集。江國の小説や文章には、なんだか雨が似合うイメージ――ひそやかに、静かにしっとりと降る雨、世界をふわりと白く曇らせるような雨――があるようにおもえるけれど、そんな彼女が犬に「雨」と名付けているのはとてもしっくりくる。良い名前だ。 江國と「雨」との距離感がよい。なんというか、「雨」が自分とはまったく異なる感覚や嗜好をもった生きものであるということ、その懸隔をまるっと受け入れた上で、それでも、「人間の都合と動物の野性とのせめぎあい」をしながら、共に日々を過ごしていく、というその感じが。

  • 『読む・打つ・書く 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』/三中信宏

    進化生物学の研究者である三中が、どんな風に本を読み、書評を打ち、本を書いてきたか、について、ひたすらに細かく書き連ねている一冊。文系だとよく見かける類の本だけれど、理系ではなかなか珍しいのではないか。全体的に、とにかく記述が具体的で細かいのが特徴で、本の選び方、買い方、読み方から、書評や本を書く際のスタンス、構成や文体のかんがえ方、作業スケジュールの立て方まで、著者のこれまでの経験をもとにした考察やメソッドが、ぎっしりと詰め込まれている。 本書に書かれている内容は、極私的なものであり、それなりに偏向したものでもあるだろうけれど、そもそも、読んだり書いたりすることというのは、誰にとっても個人的、私的なことである他ないものだ。だから、ここで扱われているような一見かなり特殊な事例であってもーーというか、むしろそうであるからこそーー読んだり書いたりする個人それぞれにとって、参考になるものになっているようにおもえる。読む・打つ・書くについてかんがえるとき、汎用的な正解みたいなものを求めようとしても仕方ないのだ。

  • 『かわいい夫』/山崎ナオコーラ

    タイトルの通り、山崎ナオコーラが自身の「かわいい夫」について書いたエッセイ。元が新聞の連載だったということで、ほとんどが2、3ページに収まり、強烈に感情を揺さぶることのないような、ほんとうにちょっとした話、になっている。そのあたり、なかなか職人の仕事っぽい印象もあるのだけれど、よくある軽妙洒脱、くすっと笑えておもしろおかしい、といったタイプではまったくなく、全体に温度感低めで、とにかく淡々としているところが特徴的だ。愛する夫のことばかり書いているわりに、少しもきゃぴきゃぴしたところがないのだ。

  • 『ワインズバーグ、オハイオ』/シャーウッド・アンダーソン

    9世紀末のオハイオ州の架空の町、ワインズバーグに暮らす人々の小さな物語を集めた短編集。アメリカ中西部の田舎の小さな町で生きるということの倦怠や耐え難いほどの閉塞感、息苦しさ、不安や生き辛さといった感情に焦点が当てられており、ほっこりする話やハッピーな話などというのはひとつもないのだけれど、それでも生きていく、という人間の力強さが感じられる一冊になっている。 冒頭で、これは「いびつな(grotesque )者たちの書」だと語られているとおり、登場人物たちはみな揃って風変わりというか、どこか歪んでいるというか、ちょっと普通ではない人物ばかりだ。ただ、彼らの「いびつさ」というのは、何というか、そういうところこそがまさに人間らしい、とでも言いたくなるような、人間味ってまさにそういうやつだよ、というような、そんな具合の「いびつさ」なのだ。彼らは、作中の表現で言えば、世間の人からすると「無闇に深遠なやつ」だったり、「変人」だったりする人たちなのだけれど、「ほかの人たちと同じように、人生に温かさと意味を感じられるようになる」ことや、自分の存在を理解してもらうことを心の底から求めている。彼らがぶち当たる問題や悩みというのは、非常に普遍的なものでもあるのだ。

  • 『スタイルズ荘の怪事件』/アガサ・クリスティ

    アガサ・クリスティの長編第1作。戦傷を負って帰国したヘイスティングズは、友人の暮らすエセックス州の田舎屋敷、スタイルズ荘に滞在することになったが、到着して早々、事件に巻き込まれてしまう。屋敷の女主人、エミリー・イングルソープが毒殺されたのだ。ヘイスティングズは、イギリスへ亡命してきていたベルギー人の旧友、元刑事のエルキュール・ポアロに事件の調査を依頼してみることにするが…! いわゆる本格ミステリの雛形になったとされる本作だが、余分な要素のない、まさオーソドックスなミステリ小説だと言っていいだろう。緻密に配置された伏線や犯人の隠し方、ちょっとした描写に込められたヒント、小出しにされる小さな謎が、あそこが怪しい、いや、じつはこっちが犯人では?と読者のミスリードを誘発しまくり、ミステリ小説ならではの楽しみを提供してくれる。ヘイスティングスののんびりとした一人称の語りとポワロのキュートなキャラクターのおかげで、全体にゆったりとして穏やかな印象があり、決してハラハラするようなところはないけれど、とにかくシンプルに謎解きだけが物語を牽引していく感覚が心地よい。

  • 『わたしだけのおいしいカレーを作るために』/水野仁輔

    カレー研究家の著者による、「わたしだけのおいしいカレー」を作るための一冊。カレー調理における注意点やコツ、スパイスの選び方、そもそもカレーのおいしさとは何か、そして自分でカレーを作る際、どんなカレーを目指すべきなのか、などなどについて書かれているエッセイ本なのだが、とにかく著者のカレーへの愛というか、カレーのことばかりかんがえている感がほとばしりまくっていて素晴らしい。

  • 『ちぐはぐな身体 ファッションって何?』/鷲田清一

    哲学者の著者が、ファッションについて、あるいは、人が自分の身体をどのように経験しているかについて、考察している一冊。 人の身体というのは、<像(イメージ)>だと鷲田は言う。身体の全表面のうち、人が自分の目で見ることができる部分はごく限られているしーー自分の顔だって見ることができないーー、身体のすべてを自分の思うままに統御することなどなんて、もちろんできない。自分の身体について自分自身で確認できるのは、常にその断片でしかないわけで、そういう意味で、自分の「身体」とは、自分が想像的に構築する<像>でしかあり得ない、というわけだ。「身体」は、自分のもっとも近くにありながら、ある意味ではどこまでも遠く隔たったものでもある。

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