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まほらにふく風に乗って
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http://mahoranokaze.com/
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団塊世代のおやじが、歴史の里と呼ばれる常陸の都-石岡-に住んで感じたことなどを徒然に紹介します。
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ブログ村参加:2011/04/26

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Roman1405さんの新着記事

1件〜30件

  • 常陸国における源平合戦(9) 河内源氏と常陸源氏

    常陸国における源平合戦の9回目です。前回と前々回は平氏として常陸国南部に進出した桓武平氏の直系とされる「大掾(だいじょう)氏」とよばれる氏族を鎌倉時代初めまでの多気大掾氏とその後戦国時代末期までの吉田大掾氏について書いて来ました。では源氏は?常陸国の源氏といえば、戦国時代を制し、常陸国を統一した佐竹氏がいます。常陸国は、ここまで書いてきたようにまず桓武平氏が地元豪族などと手を結すび、常陸国南部を中...

  • 源平合戦(10)

    常陸国における源平合戦の10回目です。前回と前々回は平氏として常陸国南部に進出した桓武平氏の直系とされる「大掾(だいじょう)氏」とよばれる氏族を鎌倉時代初めまでの多気大掾氏とその後戦国時代末期までの吉田大掾氏について書いて来ました。では源氏は?常陸国の源氏といえば、戦国時代を制し、常陸国を統一した佐竹氏がいます。この佐竹氏の流れを見て行きましょう。意外に知られていないことも多く、最近になってからわか...

  • コーヒータイム

     今日は気温はそれほどでもないようだけれどじめじめして鬱陶しい。午前中に、今月の「ふるさと風」の機関紙(会報)を会員で製本して、それぞれが規定の部数を公民館などへ。最近は人数も少ないので、今回のA4で20ページ(A3用紙×5枚裏表)、550部。そのまま昼も食べずに市内4箇所(公民館2箇所、観光施設2箇所)そして八郷地区からトンネルを抜けて小町の里へ。今日は結構混んでいた。車も駐車場がいっぱい。小町裏山からはたく...

  • 天王崎の夕景

     行方市麻生にある天王崎は霞ケ浦に飛び出した岬になっている。ここの夕日は美しい。昨日の帰りに夕日が沈む前に通ったので、夕日を眺めに行った。いつもであれば、銚子で仕事すると帰りには陽が沈んだ後になってしまうのだが、今回は早く終わったのと、今は夏至に近いので陽が沈む時刻が遅いので、間に合った。ちょうど夕日が傾き、太陽の道が霞ケ浦にはできていた。しかし誰もいない。すぐ近くにある日帰り温泉施設「白帆の湯」...

  • 潮来のあやめ祭り(2) 吊るし雛と長勝寺

     前川アヤメ園のあたりには昔「大門河岸(だいもんがし)」という船着場があったようで、この前川でも少し深い場所で、大きめの船がとめられたようです。そのため、ここから北にある古刹「長勝寺」との間に、寺の参道を含め、細長い道があります。この通りに面している一般家庭やお店の玄関先、店先にこの祭りのあいだに、色鮮やかなつるし雛が飾られています。数年前から何度も訪れていますが、いつも目を見張って眺めています。...

  • 潮来のあやめ祭り(1)

     昨日、銚子へ行く途中に潮来のあやめ祭りへ立ち寄りました。昨年は祭りが中止、今年も祭りは中止とはなっていないようですが、カクシュノイベントが全て中止になっています。名物の嫁入り舟、アヤメ娘をお目当てに訪れる人もおおいのでしょうが、音楽もかけていないようで、前川アヤメ園も静かに数組の観光客がいるだけで、混み合う事も無く静かな雰囲気でした。例年ですと今頃があやめのきれいな時ですが、今年はどこか寂しげで...

  • 常陸国における源平合戦(8) 吉田(馬場)大掾氏

    常陸国の源平合戦(8)になります。前回、常陸国南部に勢力を持った桓武平氏の直系である「多気大掾氏」を紹介しました。しかし、この大掾(だいじょう)氏が当時どのように呼ばれていたのかは不明で、大掾職(官職)が必ずしも世襲とはなっていなかったとも言われ、正式に大掾氏と呼ぶのにはふさわしくないという話もあります。ただ、ここからこの常陸国の平氏が始まりますので、ここは多気大掾氏と呼んでおきましょう。また、奈...

  • 常陸国における源平合戦(7) 常陸大掾氏(多気大掾)

    さて、かなり細かくい今まで書いてきているので、わかりにくいかもしれませんね。しかし、書き始めたのでこのままのスタイルで最後まで進めたいと思います。さて、今回のテーマは将門の乱の後に、常陸の地(とくに南部)で勢力を持った「平氏」の話です。一般に常陸大掾(だいじょう)氏と呼ばれる平氏です。掾(じょう)は国司の位の一つで、すでにこの「常陸国における源平合戦」の(1)に書いています。守、介の下の位です。ま...

  • 日米和親条約裏話(備忘録)

    日米和親条約裏話江戸時代末期に日本に訪れた黒船。江戸幕府は1639年に鎖国を開始してからは長﨑出島のみを開港しておりました。ここでの貿易相手はポルトガル、オランダ、中国などであり、蘭学(オランダ語)が中心でした。政府が正式にこの外国人との間で話す場合には、今でいう通訳がおりました。公式の通訳は職業として政府により任命された者だけが許されるのですが、この職の人を通詞(つうじ)と呼びますが、この通詞は...

  • 一打ちで七匹

     5月の末の夏日。やけに暑くて、机に向かってるのも疲れてきていた。すると、一匹のハエが目の前に飛んできた。今年のハエも早いな~。 などとまあのんきに・・・まずはこの目障りなハエを追い払ってと手で追い払うが、又すぐにやってくる・・・・今年の梅雨は何時になるのか・・・こんな晴れたり大雨となったり、シトシトと降ったり・・・・まあ、ハエもうるさい物の代表のようなものだろう。うるさい=五月蝿 と書くくらいだ...

  • 常陸国における源平合戦(6) 常陸国における源氏のはじまり

    さて、ここまで常陸国における源平合戦として、平氏の始まりを書き、続いて平将門の乱を書いて、平氏の坂東武者の広がりを見てきた。次は源氏の始まりを書こうと思うのだが、何時の時代から書くか迷ってしまった。一般には新羅三郎義光が常陸介でやってくる辺りからなのだと思うが、その前に将門の乱の最初の始まりにもなった武蔵国の争いの仲裁に将門が乗り出したことが、この乱の始まりの原因の一つともいわれているおり、これが...

  • 石榴(ざくろ)を詠(よ)む

    我が家の庭にあるザクロの紅い花が急に目立つようになってきた。眺めていると、緑の葉の色と対比すると、なかなかきれいな色だと思う。有名な「紅一点」の言葉の元になったのは、中国「宋」の王安石の「石榴(ざくろ)を詠む」がその出典だという。 <石榴を詠む> 王安石(今から1000年近く前)  万緑叢中(ばんりょくそうちゅう) 紅一点     人を動かす春色は須く多かるべからず  (一面緑色の草原に、紅い石榴...

  • 新川(土浦市)

     最近、隣町のような土浦市に出かける機会が減って、年に数回程度しかない。今回は税務署に用事があり出かけてきた。まあ書類を出すだけなので、1分ほどで用事も済んだ。目の前に「新川」という川が流れている。最近はここも桜並木がきれいなので、桜の名所とも言われるようになった。税務署の辺りから上流側には桜の枝が川の上におおい被るようになっており、花いかだもきれいだ。今の時期は青葉が美しく、木々も涼しげでなかな...

  • 常陸国における源平合戦(5) 平将門の乱(2)

    将門記の前回の続きです。<良兼の介入>国香の弟の平良兼は国香と同じく源護(まもる)の娘を妻にしている。また日頃から将門とは不仲であったようだ。川曲村の戦いで破れた平良正は将門の悪口を散々と手紙に書き良兼に送って一緒に将門を成敗してくれるように懇願した。常日頃仲の悪い将門の悪口を信じた良兼はすぐに良正や護の援護を約束した。<下野国境の戦い> 良兼はすぐに軍勢を集めて、周りの役人の制止も振り切って、93...

  • 常陸国における源平合戦(4) 平将門の乱(1)

    西暦898年、平高望は3人の息子を伴って上総介として東国にやってきた。どのルートを通って上総国に来たのかは定かではない。しかし、当時上総国へは古東海道をきたとすれば、伊豆半島横須賀ちかくの走水(はしりみず)から上総国府(市原)に近い富津岬へ舟で渡ったはずだ。もしくは舟に乗って黒潮に乗って房総半島を回って北上し、千葉県の九十九里浜側に上陸したのかもしれない。この九十九里浜の現在の横芝光町屋形(やかた)に...

  • 常陸国における源平合戦(3) 常陸国における平氏のはじまり

    東国、特に常陸国における平氏の始まりを書いておきます。一般には、889年に桓武天皇の皇子であった葛原親王の孫の高望王が臣籍降下して宇多天皇より平氏姓を賜ったところから始まります。平高望(たいらのたかもち)となって9年後の898年に高望は上総介になります。高望は、都ではこれ以上いても出世は望めないと思ったのか、遠い上総国(今の千葉県東南部)の未知の領土にあこがれたのか、三人の子供を連れて上総国へ赴任...

  • 常陸国における源平合戦(2) 源氏と平氏のはじまり

     一般には源氏と平家という言い方をする場合が多いが、平家は清盛を中心とした伊勢平氏が都で華やかに暮らした時代の呼び名であり、それ以外は平氏と呼んで差し支えないと思う。ここでは源氏・平氏という呼び方をする。さて、源平合戦やその後の鎌倉幕府を開いた時代は、どうも平家(平氏)=貴族で、源氏=武士 という構図で捕らえがちだが、これは少し間違っていると思う。また西の平氏に東の源氏という考え方も少し違う。伊勢...

  • 常陸国における源平合戦(1) <律令制と親王任国>

     このブログのテーマは常陸国の源氏・平氏の戦いなどを書くものだが、その前提となる常陸国の成り立ちなどをまとめておきたい。大和を中心に日本国が建国されたのを何時と見るかは諸説あり、ここではそこには踏み込まない。しかし、大和朝廷が中国唐の中央集権的国家を見習って、律令制度を発令した西暦701年の大宝律令により全国に統一国家としての姿が確立したと考えられる。少し前を辿れば、645年にそれまで権力を握って...

  • 常陸國における源平合戦(序)

     書棚を見ていたら、4年前の藝文の特集号が出てきた。最近、地元石岡にいて常陸国の源氏・平氏をもう少し掘り下げておきたいと考えていた。さて、ここに書かれている話とは多分多くのところでラップすると思うが、これを参考にしながら少しまとめておければなどと思っている。年内にどこまで進められるか?まだ訪れていない所にどれだけいけるのか?まったく見通しは無いが、今まで訪れたところなどもかなりあるので・・・・・4...

  • 餅を買う女

     最近「飴買い幽霊」の話しがFBで出てきた。勿論常陸国でも頭白上人伝説が伝えられているが、この似た話は中国にもあった。昔読んだ記憶を頼りに手元にある駒田信二さんの「中国奇怪物語(幽霊編)」を見てみた。やはりあった。参考になると思うので、そのまま載せて置きたい。「餅を買う女」 安徽(あんき)の宣城は、兵乱があってから住民は四方へ離散してしまってさびれ、城外も· 蕭条(しょうじょう)たる草原になっていた。...

  • チガヤの白い穂が揺れて・・・

    潮来より神栖の広い国道を東に進むと、道路は広く片側3車線の道が続く。鹿島工業地帯の影響かと思うが、どんどん道がきれいになるが、旧道を通らなければ町の昔の姿はわからない。それでも、いつもはこの広い国道を走ることは多い。5月のこの頃は、道路わきなどにこの白い穂がゆらゆらとして、通る車の巻き起こす風に白い穂がまぶしく揺れる。この穂に太陽の光をあびるのできらきら輝いている。最近はこのチガヤの白い穂に混じっ...

  • 季節は急ぎ足で巡る

     今日はまだ5月の半ばだというのに、朝から風雨が強く、もう梅雨入りの様でもあります。五月は比較的天気が良いので、梅雨の中休みの晴れを指した「五月(さつき)晴れ」も今年ばかりは新旧の暦が同じようになってしまいそうです。コロナも今年の天候もこれからどうなってしまうのでしょうか。先週出かけた時に潮来の長勝寺に立ち寄りました。本堂前に植えられている大きな菩提樹の花がもしかしたら咲いているかもしれないなどと...

  • 遊女の墓(潮来)

     昨日、また銚子へ行く途中で、潮来市の中心部にある真宗の寺「西円寺」に行って来ました。ここには「遊女の墓」があるのです。前に2度ほど訪れているのですが、墓のありかがわからず断念したことがあったのです。最近、江戸時代に松浦静山(まつらせいざん)が書いた甲子夜話(かっしやわ)を紹介していただいているサイトで遊女の話しを読み、ここもまた訪れたいと思っていたからです。(サイト:甲子夜話のお稽古 ⇒ こちら)...

  • 久しぶりにレストランへ

     母の日の日曜日、家内はどこか寂しげ。5月の連休中に千葉の息子夫婦が孫を連れてくるという話しを、今はまだ来ないでと断り・・・・・もう少ししたらワクチンも普及してこの騒ぎも収まるかと・・・・・・・でも、自治体のワクチン接種計画は国の話などからはかなりかけ離れている。65歳以上の接種が、今の計画では、8月~9月以降となる。このままでは何時になるのか・・・・・。まあ、気長に待つしかない。焦ればそれだけストレ...

  • いつまで咲くシクラメン

     事務所代わりに使っている借り部屋にシクラメンの植木鉢がある。この部屋に置かれたのは2年半前の冬。この場所で3年間見事に花を咲かせている。殺風景は場所にやはり色鮮やかな花はいいですね。窓際において、水はあまりやり過ぎないように少しずつやっている。5月に入っても花の勢いは衰えないようだが、それでもそろそろ赤い花の色がすこしずつ元気がなくなってきた。今月いっぱいは元気でいてほしいものだ。ちょっとした目の...

  • 麦の穂は勢いよく天を目指す

     石岡市山崎南交差点の近くには、大きな麦畑がある。最近は麦を見かけることは少なくなったので、この田植えの時期に大きく成長した麦の勢いがなんとも頼もしい。この麦も今月末には麦秋を向かえ、その後刈り取りされるのだろう。遠く八郷盆地の先に筑波山系の加波山などの山並みが見える。ここからの眺めは、確かに広大で、多くのよそから来た人からは「北海道みたいだ」などとよく言われている。今年は生育も早く、今月中にはす...

  • 往く言葉が美しければ

    5月の連休もどこも行かず、ひたすらステイホームで過ごしました。 私の所属している「ふるさと風の会」の機関紙がこの5月で満十五年を迎えます。毎月会報を発行していますが、今回が第180号です。2年前に会の創始者で、主査をつとめておられた脚本家の白井先生がお亡くなりになり、会の存続の危機となりました。それでも、残った会員で何とか15年を迎えられたのは嬉しいことです。会報の編集も先生から引き継いだのですが、毎月の...

  • こんな場所にも花だいこん

     車に乗っていて、石岡の街中で信号待ちをしていたら、家のブロック塀に蔦とともに紫色の花だいこんの花がきれいに咲いていました。今や春先にはあちこちで見かけるようになりました。中国由来の花だそうですが、それほど繁殖力が強そうでもないので、野原などで咲いているのもかわいらしいです。こんな場所に咲いているのは初めてみたように思います。いろいろな名前(オオアラセイトウ、花だいこん、ムラサキハナナ、諸葛菜、紫...

  • 古代官道跡は今

     古代律令制度が始まった頃(奈良時代始め前後)から奈良を中心とした五畿内から全国国府を結ぶ七街道が作られたといわれています。江戸時代の街道と区別するためにこの時代の東海道は古東海道などと呼ばれます。私も、この古東海道の終点が常陸国であり、国府であった現石岡に東海道終点の駅家(うまや)があったはずだと知って、いろいろ捜していたことがありました。この街道(官道)は地方の国から中央政権に物資や資料を馬で...

  • 臥龍の藤

    千葉県銚子市内に「臥龍(がりゅう)の藤」という藤の木があります。前にも紹介していますが、先日この時期しか見られないと思い立ち寄って見ました。ヤマサ醤油の工場の隣にある日蓮宗の古刹「妙福寺」の境内にあります。銚子駅のすぐ東側の踏切を渡ります。寺は1314年に匝瑳市(八日市場)入山崎地区に真言宗の寺として創建されたそうですが、寺の三世円学が日祐上人に帰依して日正の名を与えられ日蓮宗に改宗したという。また...

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